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キ83試作遠距離戦闘機についてです。この機体は爆撃機援護用に開発がはじまったと考えております。二式複戦や月光の経験から、複座戦闘機は対戦闘機戦には使えないということがわかっていたと思うのですが、それにもかかわらず、開発が続けられていたのはどのような理由によるものでしょうか。 ねのひ |
- キ83の構想時、複座戦闘機が対戦闘機戦に使えないと結論されていた訳ではありません。複座であろうが双発であろうが予想される敵戦闘機よりも高速であれば勝機は十分にあると考えられています。キ83の取扱説明書にあるように「如何なる戦闘機よりも高速かつ航続力大」であるならば非常に魅力的な機体と言えます。
キ83の開発が最後まで続けられたのは高高度戦としての性能を期待されていたことと偵察機を兼用できることが主な理由と言えるでしょう。
BUN
- B-29を迎撃するためでは?
高速・大火力で高高度性能がよいというのは当時でも十分魅力的だと思います。
夜戦や司偵とかにも転用できそうだし。
みどり
- 質問者です。ご回答ありがとうございます。
高速・大火力の高高度戦闘機としてはキ87、キ94、キ102、キ108など、海軍にも陣風があるし、単発戦闘機で満足できたのでは?とにかく手当たりしだいに各航空機メーカーに高高度戦の発注を乱発していたような感じを受けるのですが。そんなに滅茶苦茶なこともないだろうし、何を考えていたのでしょう。Bf110がうまくいってないといった情報なども入っていなかったのか、と思うのですが。
それともキ44の後継機として、新たな重戦闘機を目指していたのでしょうか?
ねのひ
- >3
BUNさんが>1で
・複座であろうが双発であろうが予想される敵戦闘機よりも高速であれば勝機は十分にあると考えられていた。
・如何なる戦闘機よりも高速かつ航続力大」であるならば非常に魅力的な機体と言える。
と言う事を考えていたとはっきり書いてある訳なんですが、ナニがご不満でしょうか。
ooi
- 回答というわけではないのですが、キ83は個人的には思い入れのある機種なので・・・
>複座戦闘機は対戦闘機戦には使えないということがわかっていたと思うのですが
たしかに同乗者のための座席はありますが、基本的には双発単座戦闘機という性格なのではないでしょうか?
たしか遠距離侵攻作戦や偵察時、指揮官機などに必要に応じて同乗者を乗せること「も」できるように後席が設置されているのではないでしょうか?
>Bf110がうまくいってないといった情報なども入っていなかったのか、と思うのですが。
モスキートやP-38の成功を意識していたという言い方もできるかと思われますがいかがでしょうか?
山脇
- ドイツ双発戦闘機の評価について
Bf110が英軍戦闘機に対して劣勢であるという情報は入手されていても、戦後の戦闘機ファンが抱くようなイメージではなく、陸軍中央はBf110の後継機としてMe210に大いに期待を寄せています。期待を寄せているとはただ漠然としたものではなく、Me210を国産双発戦闘機開発の参考にしたいという希望の他、日独の共同開発による双発重武装高速戦闘機の研究も準備されていたということです。日本陸軍は少なくとも昭和十六年末頃から十七年にかけての時期、ドイツ双発戦闘機を大いに評価しているのです。
キ83について
キ番号からもわかるように、この機体の研究は昭和十六年には開始されています。ただキ番号とは元々そうしたものですが、双発戦闘機の開発計画が開始されてはいても最終的に完成したキ83の形態に落ち着くまではその要目は二転三転しています。色々と模索する中で、キ83には「高速」というシンプルな開発テーマを持つようになり、そのことがキ83をあのような機体に育てることになります。戦時中の開発計画の谷間に落ち込んだような状態で余計な追加要求を受けずに開発が進められた点ではキ67によく似た経緯を持っていると言えますが、双発戦に関する概念が未だ確固たるものではなかったこととその開発優先度がそれ程高くなかった事から生まれた僥倖なのでしょう。
ですからキ83はモスキートでもP38でもなく、また対B29邀撃機としてでもなく、日本陸軍の航空兵器研究方針上にある進攻用高速遠距離双発戦闘機としてキ83は開発が進められているのです。
陸軍中央がキ83を高高度邀撃戦闘機の代用機として検討し始めるのは昭和十九年秋以降のことで、陸軍航空本部の技術開発方針を示す文書中にその方針転換を述べたものがあります。代用機ですからキ83はB29邀撃の為に育てられたとは言えません。キ83はその装備面でも遠距離進攻用の戦闘機であることがわかります。
BUN
- 質問者です。みなさま、貴重なご意見、情報ありがとうございます。
説明が拙劣で申し訳ありませんでした。私もキ83は好きな機体です。遠距離戦闘機としての性格はわかりました。
ただ、高速・大火力で敵機を圧倒するという、「重戦闘機」的な方向が陸軍内部で生き永らえていたということが、理解できなくて。
BUNさまにいただいた、キ83は昭和16年に開発がはじまっていた、という情報は、一式戦採用であれほどもたついた原因となった、格闘戦至上主義と相反することのように思われて仕方がないのです。
キ44の不評にもかかわらず、「重戦闘機」開発を推す流れは陸軍部内に確固として残っていた、と考えてよろしいのでしょうか?
ねのひ
- 試作計画を立案する陸軍航空技術研究所では昭和16年の段階で重戦闘機の開発が最優先であってそれを補助する軽戦闘機の開発はもはや不要である、という方針を確定しつつあります。キ61以降の軽戦闘機が中止されているのはその為です。
しかし、キ83は複座戦闘機という航空兵器研究方針上で別の概念の下にある開発計画ですから、重戦闘機、軽戦闘機という主力・補助の関係とは別に遠距離進攻用の双発複座戦闘機という発想から生まれています。
双発複座戦闘機が「勝つ」ためには何が必要と考えられていたのかは初代の双発複座戦闘機である二式複座戦闘機を見ればよくわかるのではないでしょうか。軽戦である一式戦よりも高速重武装ですものね。
BUN