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4077 初めて質問させていただきます。
ミッドウェイ海戦で空母「赤城」が被爆直前に発進した零戦は、誰の搭乗機でその後どうなったのでしょうか。
SHIN

  1. 戦闘詳報によれば、6月4日0726に赤城は被弾していますが、その直前0725に零戦1機(木村惟雄一飛曹)が発進しています。同機は0800飛龍に着艦収容されています。


  2. >1
    日本時間でいうなら6月5日ですよね。

    木村惟雄さんは戦後、雑誌「丸」に手記を書いておられます。今、それがすぐに出てこないのですが、記憶によると、確か第二次攻撃隊の制空隊として甲板に並べられていた先頭機に飛び乗って、単機発進したというような内容だったと思います。もし、それが本当なら第二次攻撃隊制空隊の指揮官機は板谷少佐機だということになるのですが、戦闘詳報には機番号まで書いてないのでわかりません。昔の「丸」記事は編集者の脚色も窺われますので、鵜呑みにはしない方がよいかもしれません。
    ちなみに、木村一飛曹はこの日第一次攻撃隊第一制空隊第三小隊長としてミッドウェー島に飛び0610までに着艦、0632に第六直で他の4機とともに上空直衛に上がり、木村機のみ0651に着艦し、さらに0725にこの日三度目の発艦をしています。二回目の飛行時間が20分と短いことから、被弾したか、あるいは故障のため着艦し、飛行機を乗り換えて三度目の発艦を行ったと見るのが妥当ではないでしょうか。
    なお、「飛龍」収容後の木村一飛曹は、0900〜1200、さらにこの日三回目の上空直衛、通算四回目の発艦を行い、「飛龍」に収容されています。三回目と四回目の機が同一かどうかはわかりませんが、いずれにしても「飛龍」沈没により「飛龍」とともにミッドウェー沖に沈んだというのが後の質問の答えになるでしょう。
    土屋二飛曹

  3. 木村氏の手記でしたら光人社NF文庫の証言ミッドウェー海戦に収録されていますが、うまくすれば同じものかも知れませんね。
    踊るまねき猫

  4. >2 ご指摘感謝。タイプミスです。


  5. 木村氏の記述は度々収録されており、前述の光人社NF文庫の証言
    ミッドウェー海戦の他、零戦燃ゆ等でも確認出来ます。
    この時、木村氏が搭乗した機体は、氏の記述では「隊長機」となっています。
    また赤城発艦直後、SBDを攻撃中「カチッ」と音がしてエルロンが、
    (被弾または、故障)効かなくなってしまった為、飛龍に着艦。
    機体状況を尋ねられ、エルロンが効きかない旨を報告すると飛龍艦上から、
    そのまま海上へレッコーされてしまったそうです。

    無限


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