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187  仁王や四天王といった仏像がとっているポーズは、京劇のポーズのように見えますが、ひょっとして何かの武術の構えですか?
おうる

  1.  京劇は清代のものですから、それは置いとくとして、何らかの武術を参考にしたものである可能性は高いとは思います。ただ、若い時に、少しだけ拳法をかじった経験から申しますと、不思議な形になっているものがあります。
     たとえば、興福寺や法隆寺の阿形像は右手を持ち上げて殴ろうとする瞬間を捉えているのですが、手の甲側が顔の傍にあります。そして、左手は下に垂らしているのですが、掌を広げています。しかし、その姿勢で相手を殴れるでしょうか。
     もちろん、殴れるでしょうが、実際にやってみると、かなり打撃力が落ちます。だいたい、打撃を加える瞬間に腕をひねるのが一般的ですが、最初からひねっていては殴りにくいし、打撃力が落ちます。それに、この姿勢では防御ができません。
     有名な東大寺の阿形像も右足の踵に重心がかかっていて、つま先が反っています。これも、まずありえない姿です。
     もっとも、宮本武蔵の「五輪書」には「足のはこび様の事、つまさきをすこしうけて、くびすをつよく踏べし」とあって、踵に重心を置くべきであるとしていますので、古武術は、今と随分と違っていたのかもしれませんが。
     
    hush


  2.  ちゃんと空手をやっている方に聞いてみたら、そんな構えはないでしょと笑っていました。
     ただ、一度だけ太極拳の講習会に参加した際に座る形で立って下さいと言われて戸惑ったことがあります。今回、踵に重心を置くというのを考えていて、もしかしたら、その座る形というのは、そのことかなと思い至りました。
     そこで、中国武術で画像検索をかけてみると、頭の横で拳の甲側を内側にしているのが見つかりました。とすれば、これらの姿は、中国武道か古武術の構えであったのかもしれません。
     ナンバ歩きなどもそうですが、古武術というのは、現在の武術から考えると、奇妙な部分はありますが、説明を聞くと得心のいく部分もあって、なるほどなと思います。
     なんだか、あまり回答になっていなくて申し訳なく思っています。
     
    hush


  3.  回答ありがとうございます。

     おっしゃるように武術の構えとして見ると不合理な部分が多くて、どちらかと言うと「カッコよさ」だけを追求したようなポーズなんですよね。なので、武術の構えというよりは歌舞伎や京劇などの型に近いように思えるのですが、かといって中国武術の演武なんかの型ほど極端なポーズでもないし・・・意外とまともな武術の構えだったりするんだろうか?と疑問に思った次第です。

     日本に伝わった仏像の原型が成立したのが、仏教が中国に渡ってからだし、仏像が身に着けている鎧等も古代中国の物なので、おそらく武術の構えだとしたら中国武術のいずれかであろうとは思うのですが・・・
    おうる


  4. 推測ですが、東大寺の阿・吽形像の例(取れるはずのないポーズ・一部パーツ 手だったか? の大きさがおかしいが敢えてそうしているらしい)見ると、カッコ良さ・力強さの表現重視に思えます。印、装身具・武具等の決まり事を守っていればある程度作者・発注者の自由が利くようにおもえます。
    がちょう



186 海軍カレーについて色々調べているのですが、レシピでは牛肉(鶏肉でも可)というのが殆どで、豚肉を使うレシピはあまり見当たりません。当時の日本海軍の艦内生活ではあまり豚肉は食べなかったのでしょうか?現代人の感覚だと豚肉鶏肉は安価で庶民的に感じるのですが、当時はそこまで安価でもなかったのでしょうか?
みがも

  1.  腐りやすいからではないでしょうか。
     食肉は水分が多いほど腐りやすく、鶏肉→豚肉→牛肉の順で腐りやすいと言われます。しかも、牛肉は外から、豚肉は中から傷むと言われ、豚肉は腐っていても分かりにくいという難点があります。
     もし艦内で集団食中毒が発生したら、その艦は行動不能になってしまうかもしれません。実際、これは食中毒ではなく集団感染ですが、1918年に防護巡洋艦矢矧が行動不能になり、かろうじてマニラに入港したものの、そこから動けなくなるという事件が起きています。
     戦時中は、食糧事情から豚肉も使用されたようですが、牛肉ばかりだったのは、そこが大きいのではと愚考しております。
     もっとも、原型となったイギリスのカレー・シチューが牛肉だったからだったというのが正解だったとしても驚きはしませんが。
     なお、東日本は豚肉が、西日本は牛肉が多いので、西日本発祥という考え方もできますが、横須賀鎮守府が発祥らしいので、これは却下しようと思っています。
     
    hush


  2. 回答ありがとうございます。
    傷み方が違うのですか…確かに、そういうことなら豚肉は敬遠されそうですね。
    なんとなく牛肉は値が張りそうなのに、海軍料理で肉といえば牛肉がよく使われる理由も
    納得がいきました。ありがとうございます。
    みがも



185 愚問だとは思うのですが宜しくお願いします. WW2時のドイツの将官の軍装についてですがヘルメットを被ったところを見た事がない用に思います. 被る規定や習慣は無かったのでしょうか?
エヴァンジェリカル

  1. 補足しますとアメリカの将官が☆マークのついたヘルメットを被っている画像や映画を観た事がありますので疑問に思いました.
    エヴァンジェリカル


  2.  第2次世界大戦時には通信技術がある程度発達しておりますので、司令部は前線にある必要性はありません。むしろ、指揮系統の混乱を考えると、司令部が攻撃される危険性を回避すべきです。したがって、以前のように司令官が前線に立って、全体を見回しながら指揮を執るという必要はありませんし、当然、ヘルメットを被る必要もありません。
     そういう中で、将官がヘルメットを被る必要性が生じるのは、督戦のために前線に出かける時、司令部が攻撃される危険性がある場合、そして、自らを誇示する際であろうと思います。
     沖縄戦で砲撃を受けて死亡したバックナー将軍の最後の写真はヘルメットを被っています。これは、第一の前線視察の場合です。
     また、シンガポールで降伏したパーシヴァル将軍も被っていますが、これは司令部が前線になったケースです。
     そして、最後の例としては、ほとんどがヘルメット姿で写っているパットン将軍ということになります。
     上陸作戦、島嶼作戦の場合は、前線と司令部の距離をとりにくいので、ヘルメットの着用も必要かと思います。しかし、ヨーロッパの平原で戦う場合は異なりますので、それが兵式の士気を鼓舞すると思ったのか、自己顕示のためだったのか判断に迷うところですが、珍しいケースです。
     もっとも、rommel helmetで画像をGoogle検索しますと、2点、確認できます。したがって、ナチス・ドイツの将官でもヘルメットを全然被らなかったというわけではないようですが、将校以上の軍装は自弁が基本ですので、将官がヘルメットの必要性を感じたかどうかであって、規定や習慣の問題ではないと愚考いたしております。
     
    hush


  3. hushさん 詳しく解説して頂き有難うございます. ロンメル閣下の画像を早速拝見しました. とても新鮮な驚きに包まれた思いです(汗) こういう画像・知識を求めておりましたので大変ありがたく感謝の極みでございます. 心より感謝いたします.
    エヴァンジェリカル


  4. German generals Wearing Steel helmet
    で検索しても色々見れると思います。


  5. 片さん お礼が遅くなり大変申し訳ありません. すぐ画像検索をかけてみますね. 貴重な情報感謝致します. ありがとうございます.
    エヴァンジェリカル



184 会田雄次が”日本人の意識構造”(1979)に、次のことを書いています。
<突撃でも、日本人ほどうつ向いて銃を構え、伏せるように突っ込んでゆく民族はいない。それに比べればヨーロッパ人の突撃は直立に近い。>

質問1.ヨーロッパ人の突撃は直立に近い、のは本当ですか?
質問2.質問1が正しいとすると。伏せるようにした方より直立の方が、被弾の確率が高い、と思いますが、なぜ、ヨーロッパ人の突撃は直立に近い、のですか?
park123

  1.  質問1については本当です。突撃を意味するShock troops、Chargeで動画検索をかけると別の意味のものがでてきますので、Army等の語をつけて戴くと、実例がたくさん出てきます。英米だけではということでしたら、Wikipediaで突撃を調べて戴いて、そこから、その他言語版を出してもらって、それらの語を同様に調べて戴ければと思っております。
     質問2については、正解を持ち得ておりません。ただ、Wikipediaの突撃の項で紹介されている鳥羽伏見の戦いの図では、桑名藩兵は直立状態で突撃しています。これは、銃よりも槍や刀が主力だったからであろうと愚考致しております。つまり、刀や槍は伏せた状態では使用が難しかったからではないかということです。
     欧米においても、刀剣等が主流であった時代には、伏せて突撃するというのは難しかったと思われます。また、その当時の銃は前装式で再装填に時間がかかりますので、その間に突入をするのなら、伏せるより走りやすかったと思われます。
     しかし、機関銃等の登場により、この攻撃方法は大量の死傷者を出すことになります。ただ、個々の拠点制圧のためには歩兵の突入は効果がありますので、重火器、時代が進むと航空機を使用しての機関銃座の制圧後に行うということになります。しかし、日本の場合は、予算の関係かなと思うのですが、その方向に進んでいきませんでした。夜間、もしくは薄暮時の奇襲が中心となっていったのです。そして、そのためには、見つかりにくいように、伏せた状態での移動が中心になっていったのではと考えております。
     ただ、体を倒して移動しながらの攻撃は難しいので、銃剣による刺殺が中心となりますが、これに対して、連合軍は自動火器を対抗手段とします。日本側はそのようなものをあまり持っておりませんので、銃剣の届く前に撃たれるということになります。同一の戦闘で日本側の死傷者が異常に多いのは、兵員数の差も大きいのでしょうが、戦術の違いもあるのではと思っております。
     一方、機関銃座を潰してからの突撃に移行した欧米では、目標になる危険性よりも、移動速度のほうを重視したと思います。とすれば、伏せるよりも、立って走ったほうが速いですし、自動小銃等を持っている場合は、攻撃された際の反撃もしやすいと思われます。
     なお、陸上自衛隊の突撃訓練のようすを動画で見ますと、アメリカ式の直立してのものです。
     
    hush


  2. 丁寧なご回答ありがとうございました。
    使用する武器によって、突撃が、立ったり、伏せたりに変わるのですね。
    大雑把に分けると、刀剣では立って、銃では伏せて、機関銃では立って突撃する、ということですね。
    引用しました会田雄次の文は、日本人の特性にうつ向き姿勢が強い、という立場で、突撃が解説してあったものでした。

    park123


  3. 日本兵も突撃は直立姿勢ですから……会田何某がそもそも訳が分からんことを書いている。
    じゃんご


  4.  その会田何某は兵役経験者ですが…。
     
    hush


  5. 突撃姿勢のこの部分は昔から旧軍関係者達から批判されているのは有名です。何人もの元陸軍歩兵の方が夜襲や密林での突撃を一般論として語るな!!と言っていますよ。


    じゃんご


  6.  ありがとうございます。
     たしかに、「歩兵操典」第119には、部隊の攻撃の際に「此の間、要すれば匍匐し、又は屈身して躍進す」とありますので、前傾姿勢で突撃するのは、身を隠す必要があるときだけとなります。
     だとすれば、会田雄次が応召された1943年頃には夜襲や密林での突撃が一般的になったので(彼はビルマで戦っております)、そういう初年兵教育を受けたというふうに考えるべきなのかなと思っております。
     
    hush


  7. 5の回答で夜襲や密林の突撃と書きましたが攻撃の間違いです。誤記にきづきました。すいません。

    あと、会田氏が京都大学名誉教授で専攻はルネッサンス。ビルマ戦線にいたことも知っていますのでご安心を。夜襲や密林でビルマをほのめかしたつもりだったのですが遠すぎたか(笑)

    6さん。攻撃と突撃は別です。教範にも書いてありますので会田氏も教育されています。学徒出陣組も一通り教育されているのです。ここは完全に彼は「信頼できない語り部」になっています。一般人が区別つかないこと似たようなことを並列で語り自説の裏づけとするものです。良くある手法ですね。

    で、これがミャンマーだけのものであれば日本兵はという大前提は崩れることになりますので6さんの意見は会田氏の理論を崩壊させています。さね。

    あと考えられるとしたら栄養失調で姿勢を保てなかった。祖父は飢島の生き残りですが突撃姿勢を保つことが難しかったと言っていますのでね。

    ただそうだとしても自説の根拠の裏づけをとらなかった書き手の落ち度は大きいですね。彼が見聞しただけの範囲で世界を語っているのですから。
    じゃんご


  8. すいません。スマホ投稿で修正出来ていないところがありますね。

    さねとあるのは修正漏れです。ごめんなさい。
    じゃんご


  9. 重ね重ねすいません。

    教範ではなく教典です。
    じゃんご



183  洋の東西を問わず、君主や領主に対して片膝をつく礼が見られます。
 あの時、右ひざをついて左ひざを立てるのが正しいとか、逆に左ひざをついて右ひざを立てるのが正しいとか、決まりはあるのですか?

 決まりがあるとしたら、その理由は何ですか?

 国や時代によって違うとは思いますが、その違いについても教えていただけると助かります。


 一応「右ひざをついて左ひざを立てるのが正しい。左ひざをついて右ひざを立てると剣が抜きやすくなるので失礼。」という話は聞いたことがあるのですが、古代ローマのケントゥリオ以外の歩兵なんかは腰の右側に剣を吊ってるのでそれだと話が逆になりそうな気もします。(ケントゥリオも剣は左に吊るけど、右には短剣を吊ってますし・・・)
おうる

  1. 呼び水になれば幸い

    お尋ねの礼は、「半下座」と呼ばれる西洋独特の礼式かと思います。

    この場合、右膝だけ地面または床につけ、左膝は立てます。この時剣は鞘ごと腰から外し、右手に持って前に立てるか、左側に横たえ手をはなします。

    時代に関しては中世騎士の時代から絶対王政の時代まで行われたのは確かですが何時から始まり廃れたのか、長剣を左腰に吊っていた時期に行われていた印象がありますが明確には存じません。
    タンジェント


  2. Genuflectionは片膝をついた場合、両膝をついた場合の両方を指す言葉です。すでにペルシアで王への礼として使われていたのをアレクサンダー大王が自分の宮廷に取り入れたという人もいます。キリスト教の儀礼として広く用いられ、宗派によって少しずつ違うルールがある(または、左右が定められていない)ようです。

    マイソフ


  3. 宮中の儀礼では、右膝を付けて左膝を立てると有ります。が、酌とかする時は逆にするなんて有りますね。後、剣の話ですが右手で敬礼というのはその辺当たりから始まった事かも知れません。
    暇人


  4. >3
     それは握手のほうの由来で、敬礼は、鎧を装着した騎士が兜の眼を保護するシャッターを押し上げる動作に由来するようです。ただ、フランスやイギリス(海軍を除く)等、国によっては掌を見せるように挙手の礼を行う場合がありますので、御指摘のような意識が働いている場合もあるのかもしれませんが。
     本筋と関係のない指摘で申し訳ありません。
     
    hush


  5. >4
    あぁ、そうでした。ごっちゃになっておりました。
    暇人



182 端末の不調により書き込める文字数が大変短くなっていまして読解しずらい文章になっています まずお詫び申し上げます なにとぞご容赦ください 昨日「眼下の敵」というかなり古い映画がTVで放送されていたのですが少し釈然としないのです
ツバメ号

  1. 理由は映画の終盤に米駆逐艦がUボートの雷撃を受け大破浸水したシーンの件です Uボート側は米駆逐艦に対して5分の猶予を与えて退艦を促します 駆逐艦側は感謝の意を表し大部分の乗員を避難させます
    ツバメ号


  2. この後米駆逐艦は主砲でUボートを大破させるのですが私はこの行為が釈然としないのです 本邦風に云えば武士の情けに対してあまりにも卑怯だと感じてしまいます しかも主役サイドの行為なのです これはどのように読み説けばいいのでしょうか? 宜しくご教授ください
    ツバメ号


  3.  「眼下の敵」は、定年間近の私にとっても生まれる前の映画ですし、何十年も前に一度観たきりですので、ネットに上がっていたのを捜して、観てみました。ただ、宅のコンピューターは音声が出ませんので、よく分かりませんし、たとえ、出たとしても字幕もないので、分かりっこないのですが、あれは駆逐艦の側の策略に潜水艦のほうが乗ってしまったという展開ですから、武士の情けも何もないのではないでしょうか。
     つまり、駆逐艦の側は甲板で火を燃やすことにより、行動不能に陥ったと見せかけ、潜水艦のほうはそれに引っかかったということです。したがって、5分間の猶予を与えるというのは、駆逐艦側から見れば、驕り以外の何物でもないのです。策略と見抜けなかったからには、大砲も持っている相手に不用意に浮上して近づくほうが悪いという考え方です。
     実は、あの映画は原作があるのですが、小説のほうの結末は艦長同士の殴り合いになっています。それを先に読んで、人間の心理をうまく描いたものだと感心しておりましたので、映画には本当にがっかりさせられたのですが、それはともかくとして、結末を変えたにも関わらず、それ以外の部分は原作に則っていますので、齟齬をきたしているように思える部分があるように思います。武士の情けではないのかという御指摘は、そのような流れの中に登場する不協和音のようなものでありましょう。
     ところで、イギリスにヴァルパインVulpineという潜水艦がありましたが、この艦名の意味するところは、「狐のように」ですが、より具体的には「ずる賢い、狡猾な」です。しかし、そのような艦名は日本ではいただけないということになりそうですし、フェアであることを尊ぶイギリス人にとってもそぐわない名と思えます。
     しかし、白旗を上げておいて攻撃してきたらアンフェアですが、この映画のように、策略を用い、それにうまく使ったというのだったらvulpineなのではないかと思うのです。というのは、スポーツ選手をクレヴァーなと形容する場合があるからです。
     このcleverは「賢い」ではなく、「ずる賢い」という意味のアメリカの口語ですが、そう形容される選手というのは、トリック・プレーができる人なのです。つまり、反則ではなく、反則ギリギリのプレーができる人です。したがって、欧米人にとって、「ずる賢い」は、絶対に悪であると考えられるものではなく、状況によっては誉められるものだということなると思います。その流れの中で、御覧になれば、また違う見方もあるのではと愚考致しております。
     長文、失礼いたしました。
     
    hush


  4. hushさん こんばんは ご指摘された事を踏まえてもう一度視聴してみました やはりhush様のご指摘は的を射ており的確な解釈だなぁと感じいりました Uボートサイドでも米駆逐艦の行為を卑怯だとは非難していませんし米駆逐艦の方が一枚上手ということなのですね
    ツバメ号


  5. 「眼下の敵」に原作本があるのは存じてはいたのですが読んだことはないのです 原作本が映像化されますと納得いかない展開になることは間々見受けますが「眼下の敵」にもそのような展開があるというご指摘有り難く拝見いたしました
    ツバメ号


  6. 是非小説を読んでみたいと思います 端末の不調で途切れ途切れの返信になりましたこと申し訳ありません ご教授たいへん勉強になりました 心より感謝いたします ありがとうございます
    ツバメ号


  7. 昔大好きだった松本零士の戦場漫画シリーズの作品の一説で、日本人のセリフにこういうのがありました、うろ覚えですが。
    「アメリカの戦争映画では、ドイツ軍や日本軍は、馬鹿で間抜けで、おまけに念入りに負けてくれる。」
    まさにその典型でしょう。騙されたドイツが悪い。だいたいアメリカに騎士道精神なんてないから、原爆なんてもんが出てくるんでしょ。
    平山


  8. ツバメ号様
     端末の御不調にも関わらず、鄭重な御礼を賜り恐縮致しております。
     回答させて戴いても、そのようにすぐに御礼を戴くことが随分減っているようにおりますので、余計に感謝致しております。
     ところで、うっかりと小説の結末を書きこんでしまいました。
     御名前から判断するに、小説のお好きな方ではないかと思うのですが、そのような方にとって、未読の小説の結末を語られるというのは不愉快な話でありますので、誠に以って配慮の足りないことでありました。
     深くお詫び申し上げます。
     なお、「眼下の敵」は、
    https://www.amazon.co.jp/%E7%9C%BC%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%95%B5-1978%E5%B9%B4-%E6%B5%B7%E6%B4%8B%E5%86%92%E9%99%BA%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-1-D-%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC/dp/B000J8LQGA/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1495771319&sr=1-2
     で読みましたが、創元推理文庫で再刊されています。
     ただ、どちらにしても絶版ですので、古書店でお求めになられるか、図書館で探すしかないと思います。
     
    hush


  9. 平山さん こんばんは 確かにそういう一面を見受けますね ジャパンバッシングが盛んな頃に制作された映画などは鑑賞してましてあまり気分の良いものではないです 戦時中に描かれた日本の兵隊さんの描写なども悪意をかんじてしまいます 
    ツバメ号


  10. まあお互い様というところはあると思うのですが・・ご意見たいへん参考になりました ありがとうございます
    ツバメ号


  11. hushさん こんばんは 結末の件ですがお気になさらないでください 私自身そんなに読書家というわけではないのですがご指摘通りアーサー・ランサム全集は好きでして小学生のころより愛読してます 30代半ばにさしかかりつつある現在もたまに手に取ってます
    ツバメ号


  12. ハンドルネームのツバメ号はそこからネーミングさせて頂きました 眼下の敵は絶版という情報拝見いたしました 時間が出来ましたら古書店・図書館などを巡ってみたいと思います 重ね重ねのご好意心より感謝いたします ありがとうございます
    ツバメ号



181 以前newsで御皇室の菊の紋章が他の国の王家や貴族の紋章と一緒に掲揚されているのを視聴したのですがそのnewsの経緯が思い出せません 場所は欧州だと思うのですが極めて荘厳な宮殿の広間でした ご存じの方がいらっしゃるでしょうか? ご教授頂ければさいわいです
ツバメ号

  1. 補足させていただきますと欧米諸国の何れかに世界各国の王室・皇室・貴族等の紋章・家紋などを掲揚している宮殿・城があるようですがその場所・目的などが知りたいのです よろしくご教授ください
    ツバメ号


  2.  ウィンザー城のセント・ジョージ礼拝堂ですね。
     ガーター勲章を授与された者の紋章が飾られています。
     
    hush


  3. hushさん こんにちは セント・ジョージ礼拝堂を画像検索させていただいたところ正に私がnewsで視聴した広間でした 掲揚されている経緯も理解出来ましたし感謝の気持ちでいっぱいです ありがとうございます 英国の城館に御皇室の御紋章が掲げられていますのは誇らしいですね
    ツバメ号



180 ウィキペディアフリー百科事典で主力戦車をヘブライ語版にして見ていたのですが、直訳すると、キャンペーンタンクになるみたいですね。
ですが、キャンペーンという言葉と主力戦車という言葉の関連性が良くわかりません。
ヘブライ語での戦車を分類するキャンペーンはどのような意味をもつのでしょうか?
デスコン

  1.  キャンペーンcampaignという英語は戦闘を意味しますので、戦闘で中心となる戦車の意味でしょう。
     なお、この語はラテン語で平原を意味する語に由来しており、平野部で戦闘が行われたことに由来しますが、チャンピオンも同根の語で、シャンパンの産地フランスのシャンパーニュ地方も、平坦地という意味でつけられた地名です。
     
    hush


  2. なるほど。そのような意味があったのですか。
    類似した言葉までご教示有り難うございます。
    デスコン


  3. ヘブライ語の主力戦車に使われている”mʕrkh”には、「戦争、戦闘、一連の戦い、戦役、演劇の一幕、テニスの一セット」という意味があるそうです。
    敢えて”campaign”の意味を考えずとも、”battle tank”と同義であると考えればよろしいかと思います。
    ずっきーに少尉


  4. 私は主力戦車という言葉に先入観をいだいていたのかもしれません。

    皆様、説明有り難うございます。


    デスコン



179 将来の独ソ戦に備えてソ連が兵器製造設備を東方に移転させつつあったのは有名ですが、具体的には、どの様な設備をどの様な手段、態様で移転しつつあったのでしょうか。(溶鉱炉、鋳鍛鋼設備、化学反応槽は勿論のこと、多少とも重量があったり、据付に精度を必要としたり、稼動にエネルギーを必要としたりする設備は、移転不能と思われますが。しかし、これら設備が無いと、多少とも近代的な武器は製造不可能と思われますが)
UK

  1.  総括かつ簡便な内容の説明文と地図ならば『タイムズアトラス第二次世界大戦歴史地図』の「ソ連1940-1945年」のページに載っています。原著は30年ほど前の本ですから研究が進展しているであろう、とは思います。
    バツ


  2. どうも有り難う御座いました。調べてみます。
    UK


  3. http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?t=22442
    http://www.globalsecurity.org/military/world/russia/industry-stalin-evacuation.htm
    http://michaeltfassbender.com/nonfiction/the-world-wars/big-picture/the-transfer-of-soviet-factories-during-world-war-ii/
    http://www.gammathetaupsilon.org/the-geographical-bulletin/1970s/volume10/article4.pdf

     やはり製鉄関係の工場は移しにくかったようなことが書いてあります。チェリャビンスクと近隣の秘密都市マグニトゴルスクは疎開できる工場が疎開してくる一方、製鉄能力を高めましたが、それはもちろん戦前の基礎の上に立っていました。そしてやはり、1945年の鋼生産量(全土)は1940年の2/3くらいに落ちていたと書いてあります。
    マイソフ


  4. どうも有り難う御座いました。
    UK



178 ドイツについてお尋ねしたいのですが[s.Pz.B.41]や[s.SS-Pz.Abt.101]のように兵器コードや部隊略称で頭文字が小文字で始まる呼称を見受けます ドイツ語の知識が無くどのような理由で小文字で始まるのか解らないのです 宜しくお願いします
Ad.シュペー

  1. ごく簡単に申しますと、ドイツ語では「名詞は頭文字を大文字にする」という原則があるため、文章の途中であっても名詞の頭は大文字になります。他方、形容詞や動詞などはそうではありません。
    質問者様が例に挙げられた「s.Pz.B.41」を省略せずに書くと「2,8-cm-schwere Panzerb(ue)chse 41」であり、schwer は「重い」という形容詞、Panzerb(ue)chse は Panzer 「装甲、戦車」と B(ue)cse 「小箱、猟銃」 の複合名詞です。
    つまり最初の「s」は名詞ではないため小文字になっている、と解釈するのがよろしいかと存じます。
    INS


  2. INS様 こんにちは 回答いただきありがとうございます なかなか調べても解らなかったので大変助かりました 知識が無いというのは恥ずかしいと感じました 永年の疑問を解決していただきありがとうございました
    Ad.シュペー



177 軍隊生活での裁縫についてお尋ねします。
陸海軍問わず、兵隊(水兵)になった方々の体験談などでボタン付けなどの繕い物に苦労したというのはよくあります。
で、wikiの尋常小学校の項目を見ますと授業内容で「裁縫(女子のみ)」とあります。軍隊へ行って必要ならば男でもある程度はできるようにさせるべきだとは思いますが、学校として、あるいは世間の風潮としてそういう考えはなかったのでしょうか?
実際のところ平時においては実際に兵隊になるのは徴兵対象の1/6程度であるのは承知のことです。それでも国民学校になったあたりからは「将来、男の子はみんな兵隊になる」という事だったのだから学校でちゃんと教えるべきではなかったと思うのですが、私の知る限りそういう事は聞いたことがありません。
飯田橋

  1.  国民学校ではなく、尋常小学校を卒業し女学校在学中に敗戦を迎えた義母に、戦前の裁縫の授業について聞いてみましたところ、尋常小学校で教えるのは運針までだそうです。したがって、雑巾を縫える程度ぐらいまでしか教えなかったようですが、それも物資不足の時代でありますので、まず、布がない、糸がないという状況だったそうです。また、上級生は工場に行かされ、義母等は食糧増産のために開墾や農作業に従事するのが主であり、授業などはほとんどなかったようです。
     したがって、国民学校で兵隊になるのだから、男児も裁縫をというのは、まずありえなかったはずです。その頃には、布も糸もない、授業もなく、食べ物もない。精々、軍事教練ぐらいしかやらなかったわけで、そのような余裕はなかったと思うからです。
     その一方で、義祖父は丁稚奉公に出ていた時代に裁縫を覚えたようで、自分のものぐらいは繕っていたようです。また、東郷平八郎は、イギリスの商船学校に行っておりましたので、裁縫等も含めて身の回りのことはほとんど自分でしていたようで、舞鶴鎮守府時代の使用人がすることがなくて困ったという話があります。一方、日清戦争の時代に生まれた祖母は小学校に行かせてもらえなかったようですが、実に目の細かい裁縫を晩年(90歳ぐらい)までしておりました。つまり、裁縫というのは、家庭、もしくは職場で必要に応じて覚えるものであり、学校で教えたというのが画期的だったということになります。
     そして、これを女児に限ったのは、当時、裁縫が家事の中で重要な地位を占めたからでありましょう。というのは、たとえば三越呉服店というような名前を持っていても、扱っているのは、主として反物です。つまり、布であって、服ではないのです。布を買ってきて、服にするのは家庭の仕事だったのです。そして、これは、戦前においては、アメリカでも普通のことだったのですが、これが主婦の重要な仕事であり、娘達は裁縫ができないと嫁には行けないと脅されたわけです。
     現在のように、男女間の差異が少なくなってきており、既製服が普通に売られている時代から考えると、不思議な話でありますが、裁縫が女子のみに課せられたのは、そのような時代背景があったわけです。実際、前述の義母は、化学を勉強したかったのに、父親に反対されて女学校の家政科に行っております。
     
    hush


  2. ご回答ありがとうございます。
    ただどうも話がかみ合っていないようで、ここ何日かどのように返答すればよいのか迷っておりました。
    >裁縫というのは、家庭、もしくは職場で必要に応じて覚えるものであり
    そうなんですけども、兵役は私的な丁稚奉公とは違い国家的な事なのですから、あるいは習わせる場があったのでしょうか?という事です
    例えばこれは徴兵検査ですが
    http://nankishirahama.com/%E5%85%B5%E5%BD%B9%E9%96%A2%E4%BF%82/%E5%BE%B4%E5%85%B5%E6%A4%9C%E6%9F%BB%E9%A2%A8%E6%99%AF/
    各自が自発的に予め性病を治すとか、役所が「徴兵検査心得」というパンフレットをくれるとか、そういう事前準備があったそうです。

    ついでに
    http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317623.htm
    女子の裁縫は3年生から始めて5,6年生は週3時間です。雑巾を縫う程度だけとは思えません。
    それから三井呉服店「仕立て売り」というのもウリにしていたようです。
    飯田橋


  3. 初年兵教育(陸軍)の中に被服の修繕というのがあって、釦の付け方とか釦穴の修繕とかが教育されたようです。大して難しいことではないし、その場でやれば十分と思えます。
    ちなみに軍隊に必要だから学校で教えるべき、という論旨に読めますが、「必要」ってどういうことでしょう。釦付けがヘタクソだと戦闘に負けるのですか? 逆に「特に必要ではない」というか「重要度が低いから」学校で教えなかったように思えます。
    とおり


  4.  徴兵検査のパンフレットに記載されていないのでしたら、絶対に必要な事柄とは考えられていなかったのでしょう。
     海軍で必要なものの一つに水泳がありますが、募集条件の中に泳げる者という記載はないはずです。したがって、入営後水泳を教えるわけですが、太平洋戦争末期には、それを教える余裕すらなくしたようで、多くの溺死者を出しています。
     
     週3時間もの裁縫の時間があったのは、初めて知りました。ただ、戦時中に計画通りに実施されたかどうか怪しい話で、義母も、はっきりとは覚えてはいないようです。
     なお、江戸時代から仕立て売りがあったというか、一反から売る切り売りとともに三井高利の戦略の一つですから、三井を持ち出したのはまずかったかなと思っております。ただ、それは基本的な売り方ではなかったはずです。
     
    hush


  5. ご回答ありがとうございます。
    とおり様
    >大して難しいことではないし、その場でやれば十分と思えます。
    体験談で「苦労した」という記述が見受けられるわけですから、恐らく同じ話を聞いた子供も含む徴兵予定者は「予めできるようにしておこうかな」と考えるのが自然だと思いました。
    >ちなみに軍隊に必要だから学校で教えるべき、という論旨に読めますが
    別に正規の授業ではなく、裁縫の基本だけを放課後に生徒を集めて教えるとか、裁縫の仕事をしている人に、あるいは母親から教わるとか、そういう事があってもよかったのではないかと思ったのです。
    下の方(一般庶民)が必要だから自発的に習う場を作ろうとしなかったのか?をお尋ねしたかったのです。上の方(政府・文部省)が教えるように決めなかったのか?をお尋ねしたかったのではありません。
    >「必要」ってどういうことでしょう。
    別に戦闘には関係ないのでしょうが、軍隊生活をうまくこなしていくという事は当時の青少年、特に農村では重要なことだったと思います。小学校しか出てない小作人の息子でも上等兵になれば田舎では一目置かれる人物になれたそうですから。
    hush様
    >絶対に必要な事柄とは考えられていなかったのでしょう。
    上記の通り、自発的な対策として習っていなかったのかなということです。
    飯田橋


  6.  回答にはなりませんが・・・

     徴兵検査に合格したとしても必ず徴兵されるわけではありません。
     実際に徴兵されるのはだいたい10人に1人くらいです。
     であれば、学校で必修化したとしても将来実際に必要になるのは10人中1人ということになります。

     どうせやるのはちょっとした手直しぐらい(ほつれを直したりボタンや記章類の取り付けくらい)で、一から軍服を仕立てなきゃいけないとか高度な技術はまず必要ありませんから、入営してから初めて教わったとしても大きな問題になるとは思えません。
     であるならば、義務教育で必修化する必要性が認められなかったとしても不思議とは思いませんが・・・
    おうる


  7. >5

    >下の方(一般庶民)が必要だから自発的に習う場を作ろうとしなかったのか?をお尋ねしたかったのです

    ですから「軍隊に行ったら必要だから」と一般に認識されていなかったからあらかじめ習う機会も設けられなかった、の一言でしょう。仮に「裁縫ができないと軍隊でひどい目に合わされる」と広く認識されていたならば、個人的に対策する者は結構いたと思います。
    それから私は「裁縫で苦労した」という記述を読んだ記憶がありません。つまり、兵隊の誰もがそのように認識していたという訳ではなさそうです。苦労といえば、軍事訓練やそのほかの勤務や使役、内務班における制裁の恐怖や苦痛などのほうがよほど上回っていたと思います。むしろ、「裁縫の苦労」は苦痛の伴わないほっこりした思い出程度のものではなかったかと想像します。あるいは何か裁縫の不首尾が原因で制裁を受けたとかですかね?

    ちなみに、上等兵云々も本題には無関係です(針仕事が上手なら軍隊生活をうまくこなす一助にはなると思いますが、それと上等兵進級は無関係だろうという意味です)。
    とおり



176 留守家族から、戦場の軍人に手紙を送る場合、その宛先はどのようなるのですか?

テレビで放送された話です。
若妻が戦地の夫に手紙を送り、それが100通(正確な数は忘れました)にも達したそうです。その夫は、大隊長(?)であり、捕虜になったそうですが、手紙の束を持ち帰って来たそうです。彼らの娘によりその手紙が公開された、とのことです。麗しいお話でした。
ところで、留守家族から、戦場の軍人に手紙を送る場合、その宛先はどのようなるのですか?
(宛先は、所在地ではないでしょうから、組織名なのでしょうか?)

park123

  1.  陸軍の場合は部隊名、海軍においては艦船名を宛先に用います。
     なお、陸軍においては、部隊名は指揮官の姓と兵団、部隊、隊の部隊の種別名で表記されていましたが、1940年以降は通称号と呼ばれる漢字1、2文字の兵団符号と3-5桁の番号で表すように変更されています。
     亡父の場合、第63師団でしたので、陣という兵団符号が与えられており、家族はこれに定められた番号を付して手紙を送っていました。
     
    hush


  2. 早速のご回答ありがとうございました。
    基本的に
    <陸軍の場合は部隊名、海軍においては艦船名を宛先>
    なのですね。
    なお、兵団符号が、軍隊内や外にも使われていたのですね。
    park123


  3.  海軍についても「海軍部隊区別符号」「海軍所在地符号」が定められていて、それで送られた郵便もあります。空母加賀は「イ一八三」といった具合です。
    独立部隊でない(師団に属している)場合、歩兵なら連隊までしか番号が振られていないので、中隊長名を付して「凡二三四五 山田隊 田中一郎様」などと書かれていました。将校ともなれば、連隊の通称号だけでも届いたと思いますが。

     第二次大戦前、陸軍の通称号は西部・東部など本土にある地域司令部と満州について、それぞれ3桁以内の番号がついていました。満州は特別大演習などの移動を秘匿するためでしょうが、西部・東部などの番号は多くが留守師団、独立連隊など新兵を訓練する大小さまざまな部隊に付されています。たぶん部隊の新設や移動を隠すため、東部軍、西部軍などで受け取って仕分けした(けどパンクする量だったからやめた)のでしょう。

    マイソフ


  4. >2
     軍事郵便保存会・関西事務局員の日記
     こちらを御参照になれば実物が見られます。
    >3
     詳しいフォローを賜り、感謝申し上げます。
     
    hush


  5. マイソフ様
    早速のご回答ありがとうございました。
    <部隊の新設や移動を隠すため>
    いろいろ工夫をしていたのですね。船舶や部隊については、代わりの符号を使う事が出来たのでしょうが、個人名は如何仕方がないのですね。
    park123


  6. hush様
    再度のご回答ありがとうございました。
    紹介して頂きました
    <軍事郵便保存会・関西事務局員の日記>
    を見ています。当然ですが、留守家族あての手紙は沢山見ましたが、残念ながら、戦地着のものがまだ見つかりません。これからじっくりと探してみます。
    park123


  7.  鄭重な御礼を賜り恐縮致しております。
     戦地着の軍事郵便は当然のことながらあまり残っておりません。ただ、アメリカ軍が押収したものの中には、残っている可能性があると思い、ブログ内検索(左側のプロフィールと書いてある部分のずっと下にあります)で「押収」を調べてみたところ、何点か見つけました。
     御参考になれば幸いです。
     
    hush


  8. 再三のご回答、こちらこそ恐縮しております。
    <押収したもの>
    という手もあったのですね。いずれも、古色蒼然としていますが、当時の状況を生々しく伝えるものですね。また、手紙の保存という地味なことを実施している、団体や個人に頭が下がります。
    park123



175 「ローマ軍団は兵站で勝つ」「ローマ軍はアルテ(芸)で勝つ」という文句について
・いつ誰が言った言葉なのでしょうか?
・上記のように日本語では表記ゆれがありますが、原文ではなんと言っているのでしょう?
tellus

  1. 塩野七生さんが、ローマ人の物語で「ローマ人はツルハシで勝つ」と書きました。それが、巡り巡って質問者の言葉になりました。だから、誰がというのもありませんね。
    Tokyo-Rose


  2. 塩野氏の完全な創作だったのですか?
    古代の人物の言葉の引用だと思っていました。ありがとうございます。
    tellus


  3.  私も、「ローマ人はツルハシで勝つ」が原型ではないかと疑っております。検索をかけてみても、日本語以外に出てこないからです。
     ところで、ツルハシのほうは、ネロ暗殺を企てたとして自殺を命じられたローマの将軍コルブロGnaeus Domitius Corbuloのものですが、その原文がどのようなものであったかと思って、Wikipediaラテン語版のコルブロを調べてみました。当然ながら、何が書いてあるのか分かりませんでしが、ツルハシのラテン語dolabraはヒットしませんでしたし、らしい言葉もありませんでした。もっとも、英語版には”You defeat the enemy with a pickaxe”と言ったとありますので、原型は「ツルハシで敵を倒せ」だったのかもしれません。
     しかし、ツルハシというと工兵であり、兵站とは異なると疑問に思われるかもしれませんが、彼の言葉は橋を造っての意味だそうですので、煎じ詰めればそのようになるのかもしれません。
     なお、「ローマ人はツルハシで勝つ」は、新潮文庫版「ローマ人の物語」第24巻115ページにあるそうです。

     「ローマ人の物語」の中で、「ローマ軍は兵站(ロジスティクス)で勝つ」とも言われていたのだと、同文庫版の第27巻164ページに書いてあるという文章がネット上にありますので、「巡り巡って」ではないようには思います。なお、「アルテ」のほうも彼女が書いている形跡はあるのですが、この本を読んでいないので、はっきりしたことは申せません。
     つまらない指摘で申し訳ありません。
     
    hush


  4. 私は文庫版もっていないのでデカイサイズの方になりますが…

    「ローマ人はツルハシで勝つ」は4巻の72ページと10巻の87ページに記載があります。4巻の方にはコルブロが言った言葉として書いてありますが、10巻にはコルブロの記載はありません。

    「ローマ軍は兵站で勝つ」は4巻の62ページと10巻の88ページにあります。こちらは言われていると書いているだけで誰が言ったかの記載はありません。

    Hushさんの言うように巡り巡った訳ではありませんね〜。なにぶん十数年前にかkれた著作ですから許してくださいませ。(笑)

    両方とも塩野女史の意訳ではあると思います。また、彼女の著作の特徴として自分の言ったことと他人の言ったことは明確に分けていることがあげられますので、研究者や歴史家あるいは軍人などが言ったものを引用しているのでしょう。
    ま〜全15巻の大著であり、その他にも女史はムック本は解説本もかいているので他にもあるかもしれません。ま〜そこまでは追いきれませんのでご容赦を…

    で、閑話休題…

    両方とも道路や橋などのインフラ整備について述べたところで触れています。
    彼女が言いたいのはインフラの整備の大切さとなぜローマ人がこだわったのかについてです。主題はそちらになりますので表記に揺れでもなんでもありません。あくまでも読者に分かり易くするためにこう言われていたくらいですよというものですから…その部分だけが歩いてしまっているということでしょうね。

     今の使われ方とか引用のされ方は、インフラについて説明したというところが抜けて独り歩きしてしまっている面はありますね。ま〜そういったことを考えると巡り巡ってというのもあながち間違いではないかなと自己弁護をしておきます。

    アインシュタインの「エーテルは存在する」という言葉の引用ほど酷いわけではありませんが…

    最後に…

    Hushさんフォローありがとうございます。
    tellusさん、舌足らずな説明で申し訳ございませんでした。

    Tokyo-Rose



174  映画「パリは燃えているか」のオープニングの実写映像の中で、ドイツ占領下のパリの街の商店のショーウインドウにドイツ軍の勲章が売られているシーンがあるのですが、あれはどこから仕入れてどんな人が買っていたのでしょうか?
 
 公然と売られているのでドイツ側も問題なしとしていたのだと思われますが他国でも同じように戦時中に勲章が売買されていたのでしょうか?
トロッター

  1.  その映画を観たことがなかったので、 https://www.youtube.com/watch?v=HzuRNaNG4S8 で公開されていたものを少し観ました。しかし、オープニングは字幕が流れているだけでしたし、その後の映像を飛ばして観ても。問題のシーンを発見できませんでした。カットされているのかもしれませんし、観方が悪いのかもしれません。
     したがって、その勲章が当時の現行のものか、過去に出されたものかが分かりません。ただ、もし、後者であるのなら、堂々と店頭に置かれていたとしても、特には問題ないと思われます。というのは、勲章はコレクションの対象であり、売買の対象となっているからです。
     また、パリはドイツ軍の占領下にありましたが、市民は平時とあまり変わらない生活を送っております。もちろん、物資の不足はひどかったのですが、餓死者が出るほどではなかったようです。そういう中で、生活物資を買うために勲章を売り出す者がいても、不思議はなかったと思います。そして、その中には、ナポレオン戦争から第1次世界大戦で貰ったり、相続した、あるいは、購入したドイツ軍の勲章が含まれていたと思われます。
     ただ、ハーケンクロイツのついたものを堂々と売買できたかというと、そのあたりは微妙なものがあります。しかし、帝政時代のものならば、占領軍もあまり市民といざこざを避けたいという思惑もあって、それほど問題にならなかったのではと思っております。
     もっとも、ドイツ軍の勲章がパリの店先に並んでいるというのは衝撃的な場面であり、それほどあったとは思えません。したがって、ルネ・クレマンが実写映像の中に紛れ込ませたフェイクだったとしても驚きはしませんが。
     
    hush


  2. >hush様
    おそらく動画の5分過ぎのシーン。腰に吊るしたサーベルを放した左手とともにカメラがパンすると、持ち主が眺めるショーウィンドの中に勲章らしきものが写っているようにも見えます。
    残念ながら動画だと不鮮明なので鉄十字なのか単純な十字なのか判別できません。

    >トロッター様
    勲章については先に解答されたhush様に付け加える事は無いのですが、このオープニングはいわゆる「モンタージュ」手法で、記録映像と映画撮影した映像を混ぜる手法が使われているように見受けます。
    従って上記のシーンが記録映像なのかどうか判断できませんが、記録映像にしては上記のようにカメラがパンするなど、「凝って」いますので、撮影のようにも思えます。
    個人的には、この映像の意図は
    ・第一次世界大戦のドイツの勲章が売っている
    →戦場での戦利品やか戦間期にドイツ人が売った事を暗示
    →WW1でのフランスの勝利の象徴
    →それを眺める現代のフランス人(警官?、フランスの公的権力の象徴)
    を表現するシーンなのだと思います。

    いぎし ちじ


  3. いぎし様
     御教示多謝。
     たしかにそういう映像がありますね。
     若干、十字の端が膨らんでいるように見えますので、鉄十字章である可能性があるように思えます。
     おそらく、いぎし様の仰られるような意図で、挿入されたものでしょう。
     「禁じられた遊び」も、「太陽がいっぱい」も、何十年も前に観たきりですので、あまりよく分かりませんが、それぐらいのことはしそうな監督ですし。
     
    hush


  4.  ありがとうございます。
    DVDを静止すると明らかに鉄十字なのですが鍵十字がついているかまでは確認できません。
    確かに他の実写部分より若干画質が綺麗な気がします。
    ただ、あまりに一瞬で わざわざ作って差し込むほどのシーンでもありませんし ふざけてコッソリ入れた(インディジョーンズに一瞬小さく映るドイツ軍の車のナンバーに漢字で広島ナンバーがある等)にしては面白くも何ともないです。

     映像の真偽とは別に、実際に事実としてあったのか知りたいものです。
    トロッター



173 お世話になります サイトが閉鎖されるかもと聞き取り急ぎ書き込みします 質問というより紹介していただきたいのですが「エリコ(ジェリコ)のラッパ」の音源をさがしてます youtubeなどにもいくつか上がってますがアフレコらしいのでオリジナルの音源が聴いてみたいのです
アメリカ号について

  1. もちろんサイト・動画・CD・DVD・BD何れでもかまいません エリコのラッパの音色をどうしても聴いてみたいのです
    アメリカ号について



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