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222  ファーブル昆虫記のファーブルの像は第2時大戦時にドイツの占領下でドイツ軍に破壊されることを恐れた地元住民達が隠して守ったそうですがファーブルや彼の残した研究はナチスやヒトラーの意に沿わない物だったのでしょうか?
タブ

  1.  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB には「ファーブルの生地であるサン・レオンにもファーブルの功績を称えて銅像が立てられた。第二次世界大戦時に進駐してきたナチス・ドイツによって、武器の材料として接収されたが、その後レジスタンスによって奪還されて地中に秘匿され、今は彼の生家の庭にたたずんでいる」とありますね。
     ファーブルは、日本では有名ですが、フランスでも、ドイツでも有名でなく、そこに像があったので武器の材料としてドイツ軍が接収し、レジスタンスが取り返しただけでしょう。
     
    hush


  2.  ありがとうございます。 ウィキは読んでいましたが一番最後の「ファーブルの知名度」は見落としていました。
    しかしファーブルはフランスでも生前から(現在も)有名でノーベル賞候補にも押されています。
    「ファーブルの知名度」の部分はほぼすべて要出典でウィキに書かれた経歴等とも矛盾しています。
    誰によって?といった注意書までついているのでこの部分は事実ではないと思います。

    ただ今回あらためてウィキを読み返してみて「ファーブルがどこよりも意味嫌ったプロシアからすらも多額の義援金がファーブルの元に送付された」の部分が気になりました。
    もしかしたら独仏戦争の影響もあり日頃から公の場でドイツの悪口を言っていたのでしょうか?
    タブ


  3.  無名のファーブルでGoogle検索をするといくつかヒットし、中にはフランス人に聞いてみたというのも出てきますので、事実ではないかと思っております。そして、フランス語版のWikipedia https://fr.wikipedia.org/wiki/Jean-Henri_Fabre にも「彼の発見は、ロシア、米国、韓国、特に日本で高く評価されており(以上機械翻訳)」とあり、本国ではあまり知られていないのではと思われる記述があります。
     フランス語は蝶も蛾もPapillonパピヨンの一語で片づける珍しい言語ですので、昆虫への関心が薄かったのかもしれませんが、フランス人がドイツ人の悪口を言うのは、つい最近まで普通のことでしたし、ドイツ語版Wikipedia https://de.wikipedia.org/wiki/Jean-Henri_Fabre にも「ファーブルと彼の記念品昆虫学は、長い間ドイツではほとんど知られていませんでした。現在ではドイツ語への翻訳も行われています(機械翻訳)」とあります。
     
    hush


  4. ファーブルは経済的に苦しい生活を送っていました。彼はアカネという植物
    から赤い染料を取り出す方法を開発して、これで経済的に楽になるかと期待
    したのですが、ドイツで安価な合成染料が開発されたためにアカネから収入
    を得るという目論見は外れました。ファーブルは『昆虫記』に、

    「すべては終わった。私の夢は完全に崩れ去った。(中略)アカネの桶から
    は手に入れることができなかったものを、インク壜の中から取り出してみよ
    うではないか。さあ働こう!」(奥本大三郎訳『完訳ファーブル昆虫記』
    より)

    と記しています。ファーブルがドイツを嫌っていたということが事実だとす
    れば、このことも理由の一つだったのかもしれません。
    Uhu


  5.  ファーブル個人がドイツに恨みを持っていたことを特別視されていますが、2で「フランス人がドイツ人の悪口を言うのは、つい最近まで普通のことでした」と申しておりますように、エリゼー条約締結までのフランスのドイツに対する視線は冷たいものがありました(ドイツからフランスに対してはそうでもなかったようです)。したがいまして、占領国ドイツに対するフランス人の視線が刺々しいのは当たり前のことなのです。
     つまり、ファーブルの像だったから狙われたというより、単にそこに像があり、金属供出の対象であったために起きた事件だろうと思っています。当時のドイツ人が、ファーブルを知らなかった可能性のほうが高いからです(ノーベル文学賞候補者の彼が無名だなんてと言われるかもしれませんが、多和田洋子の名前をどれだけの日本人が知っているかと考えるだけ充分ではないかと思います)。
     
     
    hush


  6.  多和田洋子→多和田葉子
     失礼いたしました。
     
    hush



221 災害の時の支援で疑問があります。どんな災害であれ被災地に生活物資を送り込んでいます。数日の停電や断水ならともかく、一週間以上に渡ってライフラインが切断されるなら、戦争中疎開したように隣県な安全な地域に被災者を輸送した方がベターなんじゃないかとも素人考えで思うのですがどうなんでしょうか?余震の心配も少なく、使ってないホテルや旅館などを活用すればできないでしょか。
富士の高嶺

  1.  2024年1月10日現在、全国6500戸の公営住宅が被災者に提供できることになっています。また、受け入れ先の宿泊施設の提供も進んでいます。
     ただ、石川県だけで2万人以上もの人が避難所にいる状況ですので、個別の判断もあり、輸送の限界もあって、それらが全部満杯になるには遠い状況ではないでしょうか。
     どちらにしろ、10日以上経っても、一時避難所で大変な生活をしている人がこれだけいるというのは、異様であるとは思っています。
     
    hush


  2. 道路・鉄道を含むインフラが壊滅状態で、一万人分の緊急援助物資を送り込むのと、一万人を安全に運び出すのと、どちらが有効でしょうか。
    タンジェント


  3. タレントのラサール石井さんもXで同じ内容のことを書いて、批判されてますね。何を言われて批判されてるのか?見て考えるのもありなのでは?
    参考までに
    まさのり


  4. >3
    >同じ内容のことを書いて、批判されてます
     何だろうと思って調べてみたのですが、二次避難先のホテルや旅館が有料であるという書き込みが炎上したようですね。もし、それを指しての発言なら、質問の内容とは全然違いますが。
     
    hush



220 日本の歴史の教科書で一つ気になることがあります。
昭和時代の歴史で、戦争の悲惨さなど
○○年に日本は戦争に負けた、は教えていますが
『何故そんなことが起きたのか』
『同じことを繰り返さないためにどうすればいいのか』など
そういうところまで解説している記述はほぼ見かけません。
学生時代は全く気づきませんでしたが
今思えば、年式や歴史上の偉人の名前を暗記するより
そっちを学ぶ方が遥かに重要ではないのでしょうか?
天手力男

  1. 中学・高校で言えば、その問いに対し明確な答が出ないのと、執筆者の主観、解釈で複数の答が発生するという事では?
    教育の一環として、問いに対して議論を重ねるというのは有りだとは思いますが
    まさのり


  2. 当時の関係者やそのご家族に存命の方がいらっしゃるので、下手なことを書くと「自虐だ」「一所懸命頑張った自分たち(or家族)を悪く言うのか」など抗議されることがあるので、客観的な事実しか書けない・・・という話を聞いたことがあります。

    余談
    自分の友人にも先祖が歴史上の豪族だというものがおりますが、「○栄の歴史ゲームにでてくるご先祖様はあんな無能じゃない!」と言っておりました。
    Ranchan


  3. 学習要領改訂により高校の履修科目が「日本史」「世界史」から「日本史探求」「世界史探求」に変わったのは、まさにそのような取り組みと思います。

    ただ、日本に限らず、歴史教育で教える「歴史」はその国の国民が積み重ねてきた記憶の集大成としての「歴史ファンタジー」の側面が強く、文献等の1次資料を重視し定説も時代により変わり異説も許容する歴史学で取り扱う「歴史」とは区別すべきと思います。 したがって天手力男さんの持たれる問題意識を中学高校の歴史教育で扱うのは本来相性が悪いのだと思います。

    若狭


  4. その時、何が起きていたかを知ることと、それを論評することとは全く別の話です。歴史を学ぶのであれば、そこを区別するところから始めなければなりません。「どうすればいいのか」は歴史学の責任範囲ではないのです。
    BUN



219 WW2でフランスがドイツに降伏する前にダンケルク等からイギリスに逃れたフランス兵はその後、自動的にドゴールの軍隊に所属したのでしょうか?
本国の降伏で戦闘に参加を拒否することもできたのでしょうか?
トロッター

  1.  1940年5-6月のダイナモ作戦でイギリスに脱出したフランス軍兵士は13万9000人とも12万3000人とも書かれていますが、そのほとんどが南フランス等に送られ、7万人以上が死亡します。イギリスに残った3000人だけが自由フランス軍に入りましたが、1月後の7月の時点で自由フランスの指揮下にあったフランス軍人は7000名に過ぎなかったそうです。
     これは、戦闘員の帰国を望んだ本国政府と、それに逆らえば家族がどうなるのかという葛藤があったからのようです。そして、イギリス艦隊がフランス艦隊を攻撃したことにより、自由フランスに加担するフランス人が減少した結果のようです。
     
    hush


  2. ありがとうございます。
    大半が送り返され過半数が戦死したのはフランス本国がまだ交戦中の時ですね。
    フランス降伏後にイギリスにいたフランス軍人は自由フランス軍に入らない場合は強制送還だったのでしょうか?
     本国が降伏を決めた以上、もう戦いたくはないがナチス占領下のフランスには帰りたくない反ナチ思想やユダヤ系の人達、ナチスと戦うのはいいがドゴールの下に入るのは嫌だという将校などもいたと思うのですが。
    トロッター


  3.  イギリスはフランス降伏後にフランス南部と植民地を統治するペタンのヴィシー政権を承諾しませんでしたが、1942年まで自由フランスを亡命政府としては認めていません。したがって、イギリスに残っていたフランス兵を強制送還することは、送り先がない以上、不可能です。また、イギリス政府が双方ともに認めていない以上、自由フランス軍に入るかどうかは個人の自由意志となります。植民地にいた者はヴィシー・フランスに忠誠を誓っている者が多く、イギリス国内でも旗幟を鮮明にしない者は多くいたはずです。実際、自由フランスの兵員のほとんどは植民地軍で、65%が西アフリカの徴集兵です。
     
    hush



218 日清戦争当時の清国北洋艦隊の主力艦、定遠、鎮遠、済遠らが1880年当時三流海軍国だったドイツ(ティルピッツの海相就任が1897年、第一次艦隊法の制定が1898年)に発注されたのはなぜでしょう?

清国内で海防派だった李鴻章が、英米仏らを嫌って当時新興軍事国だったドイツを頼ったのでしょうか?あるいは直近の大海戦であるリッサ沖海戦の結果から、艦首方向火力重視のドイツ=オーストリア系の艦艇と縦陣隊戦法を導入しようとしたのでしょうか?


備後ピート

  1.  むしろ、イギリスの意向のようです。
     アヘン戦争後、イギリスは清国に海軍顧問団を派遣しています。このため、台湾を征服し、日清に両属していた琉球を自国のものとして、さらには朝鮮半島に食指を伸ばした日本に対抗して、北洋艦隊を拡張する際も彼らが主導権を握っていました。
     しかし、イギリス本国は、ロシアへの影響が大きいとして、扶桑、金剛級に対抗する大型装甲艦の建造を拒否、かわりにザクセン級を建造したばかりのドイツでの建造を勧めたようです。このため、定遠級はクルップ砲を装備しながら、その砲配置はインフレキシブル級に類似したものになっています。もちろん、この砲配置はリッサ沖海戦の影響によるものですが、イギリス顧問団が運用しやすい設計を認めさせるため、他の列強と違って、艦艇の建造が緒についたばかりのドイツに頼らせたのでしょう。
     
    hush


  2. 参考迄に、ざっくりと歴史を調べると、フランスはベトナムを巡って紛争状態。アメリカは南北戦争の後始末とフロンティアによるネイティブアメリカンとの紛争。あとこの時期中国人の移民問題で中国人排斥運動も起きてます。国内が落ち着くとフィリピン、キューバを巡ってスペインと一悶着。となると消去法で王室が親戚同士のイギリスがドイツを紹介と言うのも有り得るかなぁ(笑)
    まさのり


  3. >2
     ヴィクトリア女王とロマノフ王家も縁戚関係がありますが。
     あと、当時、最大、最速の戦艦を建造したイタリアの存在も考える必要があろうかと思います。
     
    hush


  4.  当時、ドイツ人のGustav von Detrig は李鴻章と大変親しい側近でした。李も彼を大いに信用していたようです。ドイツ製の装備導入については、このことが大きい要素であった可能性があります。詳しくは、「清末中国内における西洋近代産業導入に貢献した外国人」というサイトを見てください。なお、この頃クルップの装甲板や大砲は世界一であるとの評価を得ていたと思います。
    電気戦艦


  5. >>4 それって蒋介石の国民党軍の軍事顧問に
    ゼークトやファルケンハインが居たりとか
    ドイツ製兵器の導入という流れに繋がるんでしょうか?
    まさのり


  6. >>5すみません。
    ファルケンハイン→誤
    ファルケンハウゼン→正
    です。
    まさのり


  7. まさのり様  >5.,6. デートリッヒはゼークトら軍人とは活躍年代も違うし、直接には関係ないとは思います。ただ親独感情というものがその後の中国の一部にあったかもしれません。
    電気戦艦



217  軍事の事ではないのですがこのサイトに関わることかもしれないので確認させてください。

 つい最近までセキュリティーソフトとしてカスペルスキー・インターネット・セキュリティーを使用していたのですが、使用期限が来ていたのと昨今の情勢を踏まえて別の会社のセキュリティーソフトに鞍替えし、カスペルスキーの方はアンインストールしました。

 ですが、こちらのサイトを開こうとするとサイトが開くまでの間、FireFoxの画面下部に「ff.kis.v2.scr.kaspersky-labs.comに接続しています...」と表示されます。

 もうアンインストールしたのに何だろうと思って検索したところカスペルスキーがサイトのソースに勝手にコードを書き込むようになっているようです。

参考
ttps://singoro.net/note/kaspersky-insert-code/

 あいにくとカスペルスキー・インターネット・セキュリティーは既にアンインストール済みで使用期限も切れているため再インストールも出来ません。

 これって、こちらのサイトの方に何らかの迷惑はかかるのでしょうか?
 ソースを見る限りは上述に関連したソースがWebページ側に書き込まれた様子は見つけられませんでした。もし何らかの迷惑が掛かっているのならもっと調べて相応の対処をせねばとは思っているのですが、現状私の乏しいネットスキルでは手に余っていて何もできていません。
おうる

  1.  一応、FireFoxのアドオンツール「Block Site」に「ff.kis.v2.scr.kaspersky-labs.com」を登録したら現象そのものは解消しました。
    おうる


  2. サイト側に影響はないです(あったら大問題です)。
    FireFoxにカスペルスキーのプラグインが入っているはずなので、それを消して
    キャッシュとクッキーも削除したら接続しなくなると思います。

    774



216 アニメ絡みの質問ですがご容赦下さい。

「機動戦士ガンダム」(初代)終盤に「ゲルググ」というモビルスーツが登場します。
ゲルググは主人公ガンダムに匹敵する性能を持つ、破格の量産型高性能機です。
しかし熟練パイロットは、旧型で性能は劣るが今まで乗り慣れたザク2やリック・ドムに乗りたがり、乗り手がいないゲルググは学徒補充兵に回されることが多く、持てる破格の高性能を生かせないまま撃破されていった・・・と設定されています(まあ後付け設定ですが)。

国によって違うかもしれませんが、実際の軍隊でもこのように

「受領した新型機を現場の搭乗員が拒否」
「現場では乗り慣れた旧型機が好まれ、故障もしていない折角の高性能新型機が宝の持ち腐れ」

ということはあったのでしょうか?
(パイロットが搭乗する機体を指定する・・・ということは許されていたのでしょうか?)

前置きが長くなり申し訳ありませんが、宜しくお願いいたします。
Ranchan

  1. 例外的な事例ではありますが、存在します。
    誰もが知る欠陥機だった紫電搭乗を個人的に避けた事例が三四三空の初出撃時にあるからです。
    BUN


  2.  その設定の話ですけど、たしか機種転換訓練のために貴重なベテランパイロットを後方に下げなければならなくなるので、軍および前線部隊およびパイロットの全員が嫌ったとかいう話があった気がします。
    おうる


  3. ご回答有り難うございます。
    さすがに「個人の好みで乗機を選択して出撃する」・・・というのは、割り当てられた機体がよっぽど明瞭な欠陥機でなければ許されない訳ですね。
    編隊を構成する機が性能バラバラではまともに行動できそうにないでしょうし、整備側も部品生産・調達や整備兵教育などの運用面で必要以上に手間がかかるような。

    >2
    ご回答を拝読して思ったのですが、彗星や天山、疾風や飛燕などの新型機が登場した時の日本軍、Me262のような従来機と一線を画する機が登場したドイツ空軍ではご指摘のような問題は出なかったのでしょうか?(新米パイロット教育のため、教官として一部の熟練パイロットを後方勤務に割り当てた・・・というお話は聞いたことがあるのですが)
    Ranchan


  4. 確か大英帝国海軍航空隊では
    ソードフィッシュ雷撃機の後継機
    アルバコア等が?な飛行機だった為
    マイ・ボニーの替え歌でソードフィッシュ戻っってこい!
    という歌があったと
    民明書房じゃなく岡部いさく氏の著書にあった。
    まさのり


  5. マリアナ海戦では、その様にしたという記事を読んだことがあります。
    UK


  6. >2を読んでいて、Me262を連想しました。
    Me262を戦闘機としてではなく爆撃機として運用しようとした理由のひとつには、既に防空戦闘機隊が疲弊していてこの新鋭機に乗せるべき戦闘機搭乗員が払底しつつあり、当該機の早急な戦力化のために使える搭乗員として(アラド234配備までの間)爆撃機搭乗員を活用しようという考えがあったような
    匿名


  7. 第2次世界大戦時のイタリア空軍のお話しですが、マッキC200が配備されたおりに、その大隊(カバリーノ・ラパンテと言われています)では、余り評判が良くなく、受領後に別の大隊(第一大隊)の複葉戦闘機フィアットCR.42と交換したという逸話があったようです。
    陸奥屋



215 日本海軍艦艇の食事は結構恵まれていたようですが
その調理師の腕前にも各艦で差があったんですよね?
ということは飯がまずい事で不評、所謂『メシマズ艦』が
日本海軍にもあったのでしょうか?
天手力男

  1. まぁ、回答になるかは不明ですが、参考になればと思います。
    舞鶴市が面白いものを公開しています。

    https://www.city.maizuru.kyoto.jp/kankou/0000006049.html

    読んだ感想は、正直、これを読んで訓練されているなら、失敗はないといえますねぇ。
    これを読んで訓練受けて、毎回失敗作を調理するならば、故意にやっているとしか思えないので、人事異動で部署替えして炊事場から外すでしょうね、という感じですわな。
    じゃんご


  2.  こういうのもあったようですが。
     http://nlsroumu.com/jj/archives/2006/04/post_160.html
     旧日本海軍の場合、将校と兵隊とでは全然違うものが出ています。
     兵員の場合は、上のものが箸をつけるまで食べられませんから、性格の悪い上官は、訓話を続けてなかなか食べ始めません。結局、時間が無くなって初年兵は飯を掻き込むことになりますので、味などないようなものだったということです。もちろん、上官は食後の片付けなどはしませんので、ゆっくりと食べますが。
     そういう上官には、意趣返しの意味でそういうのが出てくるわけです。
     
    hush


  3. 回答ありがとうございます。
    よりによってアイスを食べながら検索してしまいましたが
    こういうささやかな抵抗でもしないと、やってられないほど
    厳しい軍隊生活だったんですね
    天手力男



214 兵科記号が詳しくかかれているサイトなどは有りますでしょうか?
東亜連邦

  1.  どこの国のいつの時代のか分かりませんので、とりあえず http://warhistory-quest.blog.jp/18-Oct-09 でどうでしょうか。
     
    hush


  2. ありがとうございます。
    とりあえずFM 1-02.2を見てみることにしました

    東亜連邦



213 戦前・戦時中にも、現代で言うニート、引きこもりに
該当する人っていたのでしょうか?
もし、いたとしたらやはりその人たちも
容赦ない召集令状をされたんでしょうか


天手力男

  1. >ニート、引きこもりに該当する人っていたのでしょうか
     います。ただし、金持ちでないと個人の部屋などありえませんので、各地を放浪することになると思いますが。
    >容赦ない召集令状をされたんでしょうか
     召集令状の前に、徴兵検査を受ける必要がありました。これは、すべての成人男子の義務とされ、名誉とされましたので、懲役または禁固6年以上に処せられた者以外、受ける必要がありました。このため、重度の脳性麻痺で屋外に出たことのなかった者も、有名医師の診断書も出して請願し続けたが受けさせられ、現場で帰れと罵声を浴びたとあります。また、暴れるために座敷牢に入れていた人を強引に運んだという話もあります。
     前記の放浪者の人々については、居所不明ということで徴兵逃れと判断されます。これは罰金となりますが、払ったかどうかは存じません。また、旧日本海軍軍人の経歴調査のために官報を見ておりますと、そういう人達だと思われる人の名簿が掲載されているのに気付きます。だいたい、年間2000人程度はいたようですが、これらの人々のすべてが放浪者なのかどうかは存じません。なお、戦時中に窃盗等の犯罪で刑務所に入る人が多く、出所してもすぐに入所する件数が増加しているのは、徴兵逃れの人もいたからではないかといわれます。
     
    hush


  2. 解答ありがとうございます。
    やっぱり現代のように、部屋に篭りっぱなしでは済まされないのですね
    天手力男


  3. >2
     鄭重な御礼を賜り恐縮致しております。
     その後、津山33人殺し(「八つ墓村」のモデルになった事件です)の犯人が引き籠りだったと知って、調べていったところ、金持ちでなくても、戦前もそこそこいたのではないかと思うようになりました。
     というのは、武家においては部屋住みとか厄介伯父などというものもありますし、戦前も働かずに離れに一人で住んでいるケースもあったようだからです。
     津山事件のようなケースもありますが、私自身が不登校で、引き籠りの経験もありますが、無事に就職して今日までやっております。また、家から一歩も出ずに学校にも社会にも出ずにいた人が田舎の先輩にいますが、親が死んでから出て行ったそうで、その後、戻ってきた時にはバスの運転手になっていたそうです。もちろん、戦後の話ですが、高度成長期前のことですので、戦前と経済的にはそれほど変わらないと思いますので、参考までに載せておきます。
     あまり軍事と関係のないところにいってしまい、申し訳なく思っております。
     
    hush


  4. 現代の引き篭もりとはちょっと違うかもしれませんが、「遊民」で検索していただくと色々と出てくるはずです。白洲次郎なんかは遊民で徴兵を逃れたと言われています(白洲次郎の青年期の第一次資料はほとんど無い無いので本当かは分かりませんが)
    じゃんご


  5. >4
     遊民というと夏目漱石ですが、彼自身は北海道に戸籍を移すことにより合法的に徴兵忌避をしていますし、彼のロンドン時代は、ほとんど引き籠りに近い状態でした。ただ、白洲次郎にしろ、漱石にしろ資産家ですので、大学にも、留学にもいけたわけで(漱石は公費ですが)、そういう人には召集されないような手立てがあったようです。また、彼等は明治に徴兵検査を迎えた人達ですので、抜け道も多かったはずです。
     そういう高等遊民の資産家ではない場合はどうなるかを考えたのが1ですが、この時、私の頭にあったのは画家の山下清でした。彼自身は、徴兵検査を受けるのが嫌で、放浪していた訳ですが、結局、捕まって受検させられています。そして、知的障碍を理由に不合格になっても放浪を続け、その期間は1955年までの15年間にも及んでいます。つまり、戦争中も放浪生活をしていたわけですが、逆に言えば、そのような時期であっても、放浪ができたわけです。
     引き籠っている人にも、徴兵検査に合格していれば、当然、召集令状は届きます。合格していなくても、徴用令状が届く場合があると思います。これを拒否した場合は1年以内の懲役また罰金となります。したがって、罰金を払えない場合、令状に従うか、逃げるか、逮捕・懲役となるしかないのではないでしょうか。
     
    hush


  6. hushさん、遅くなりましたが、フォロー感謝です。
    じゃんご



212 些細かもしれませんが、僭越ながら質問いたします。(その他、一般呼称等)
昨今バイクに興味が湧きまして、色々とネット上で調べ見たり読んだりしていました。そのなかに少し気になった表現がありまして、エンジンの気筒数を「◯冷〜発」と書いたり話している人をみかけます。
試乗印象の動画や旧車走行展示会の動画でもナレーション担当の紹介人が「空冷四発、たまりませんねえ〜」と沢山の人に話していると、自分的には「エンジンが四つ付いてるのかな?」と感じてしまいます。しかしながら記事などのあらゆる媒体で見かけるので「ひろく普及している表現なんだな」と思いました。
「◯発」は発動機の略称だと思っていたのですが、ピストン気筒数でも間違った表記ではないのでしょうか。ご回答のほどよろしくお願いいたします。
ヒロ

  1. バイクに対して詳しい訳では無いのですが、
    「〇気筒発電機」を略して「〇発」と呼んでいるという事ではないでしょうか?



  2. ご回答ありがとうございました。もう少し調査してから質問いたします。失礼しました。
    ヒロ


  3. 私はエンジン技術にもバイク趣味にも無知ですが、Googleで「空冷四発」をキーワードにして検索すると上位にヒットするサイトを見ると、発電機のことではなく、明らかに4気筒を「4発」と呼んでいることが分かります。
    おっしゃる通り、航空機で「4発」と言えば「4つの発動機」であり、少なくとも私は「4気筒」を「4発」と表している例を目にした記憶はありません。しかし、バイク趣味の世界では「4気筒」を「4発」と言うことが「ひろく普及している」ということなのかもしれません。おそらく、一種のジャーゴンなのではないでしょうか。
    呼び水までに。
    味噌煮込みドアラ


  4. 30年ほど前からしか知りませんが気筒数は4発=マルチ 2発=ツイン 単気筒=シングルと呼んでました、
    バイクはエンジンが体のすぐ傍にあり気筒数は排気量と共に音や乗り味が変わるかなり重要な関心事項でしたからこのような呼称になったのかと思います。
    タンタル


  5. まぁ、日本語の豊かな多様性ということで(笑)

    じゃんご



211  タリバンによるカブール制圧前に欧米や日本の外交官が国外退去しました。
アフガンに軍を派遣していない国々もです。
タリバンの粗暴さを警戒してのことでベトナム戦争終結時にも同じような事が起きました。
しかし当時、日本の外交官はプノンペンが包囲された際には他の西側諸国と早々に避難したのに(フランス大使館のみ残留)サイゴン陥落時は留まりました。
 これはクメールルージュがタリバンと同じく何をするかわからない危険な連中でベトコンと北ベトナムは理性的に行動すると判断していたのでしょうか?
グエン カオ キ達はサイゴンをスターリングラードにするのだと息巻いていたしサイゴン市内に向けて北ベトナム軍はロケット弾攻撃を繰り返しています。
何が両大使館の判断を分けたのでしょうか?

 16年以上前に同じ質問をしたことがあるのですが当時は回答を得られませんでした。その後、新しくここを見られる方も増えたようですのでもしご存じの方がみえましたらご教授ください。



トロッター

  1.  こちら https://nsarchive2.gwu.edu/japan/kwatanabe.pdf のpdfファイルの8ページあたりからの記述によると、脱出に失敗したそうです。
     
    hush


  2.  いつもありがとうございます。
    ポルポト政権崩壊後にベトナム、カンボジアに行って以来ずっと疑問だったのでスッキリしました。
     
     ひとつ教えていただきたいのですが当時の多くの関係者やジャーナリスト達の資料を調べてみても両大使館の判断が分かれた理由が分からなかったのですが、このような短時間で膨大なベトナム戦争資料の中からこの資料を見つられたのは何か検索の良いコツがあるのでしょうか?
    トロッター


  3. >3
     サイゴン陥落 日本大使館 でGoogle検索を行っただけです。
     Googleではなく、Windows 10にデフォルトで使われているので、最近、よく使われていると思われるbingでは上位に登場しません。
     ”サイゴン陥落” ”日本大使館”に変えても同様の結果ですので、多分、かなり設計が異なるのでしょう。
     そういうことがありますので、bingが検索エンジンのデフォルトになっている場合でも、私はGoogleに変更して使っております。
     スマートフォンの場合は、持っておりませんので分かりません。
     
    hush



210 毎回お助け頂いております。ありがとうございます。
今回も諸兄姉の皆様の知識をお分けください。

日本海軍の士官防暑衣(大東亜戦争期)について、資料を掻き集めております。※家人に防暑衣(複製)を製作してもらうつもりで、できるだけよくわかる資料が多く必要です。
襟の形状、釦数、袖の長さ、ベルト形状などなど。

ネット上の画像や軍装店さんの画像などをできるかぎり集めてみましたが、その他にも良い資料はありませんでしょうか。
一番興味のあった海軍の「海軍服制」の資料は見当たりませんでした。
どんな資料でも構いませんので情報がありましたらご教授下さい。
海鷲

  1. 図説が非常に少ないので、製作にはあまり役に立たない可能性が大きいですが、津久田重吾著作の『ミリタリー服飾用語事典 〜日・独・仏・英・米・伊・露・芬〜』(新紀元社)という、かなりマニアックな というか、軍装と言う超狭い専門分野の辞典本が御座います。ご参考までに。
    とりゅう


  2. とりゅう様
    貴重な情報をありがとうございます。早速検索してみました。
    スキルが必要な本のようですが、貴重な情報も多く記述してありそうです。購入して読んでみたいと思います。
    海鷲



209 またまたつまらないことが気になってどうもすいません。帝政ドイツの超ド級戦艦カイザー級の2番艦がフリードリヒ・デア・グロッセで、3番艦がカイゼリンなのはどうしてなんでしょうか?逆じゃダメなんでしょうか?ドイツ人は命名順に韻を踏むということに無頓着なのでしょうか?
備後ピート

  1.  そのあたり、よくは分かりませんが、2番艦が艦隊旗艦に選ばれたからではないでしょうか。
     
    hush



208 旧日本海軍においては民間人はともかく内部では海軍大尉、海軍大佐を「かいぐんだいい」「かいぐんだいさ」と濁音で発音することになっていたと理解しています。

しかるに海軍大将のみは「かいぐんたいしょう」と清音で発音することとなっていました。これは「だいしょう」と濁音で発音すると、英国海軍のリア・アドミラル「代将」と混同されるからだと言う説があるのですが、本当でしょうか?
備後ピート

  1.  前段については、こちらを https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20160201_2.html
     後段については、こちらを https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E5%B0%86
     階級としてはないが、役職としてありということですね。
     なお、リア・アドミラルは少将で、代将はコモドーレですね。
     
    hush


  2. hush様、回答ありがとうございます。

    海軍「だいい」「だいさ」が昭和に入ってからの呼び方だとは知りませんでした。てっきり明治の健軍以来のものだと。旧帝国陸海軍とはこんなところまで差をつけたがるのかと思ってました。また勉強になりました。

    また代将がリア・アドミラルというのは私の完全な思い込みで、どうもすみませんでした。ああ、またまた恥ずかしい…。


    備後ピート



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