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227  18世紀前後、ヨーロッパの貴族や上流階級がしていた白塗りの化粧とカツラは、彼らがほぼ独占していた将校として軍服を着用した時も行われていましたが、これはいつ頃までやっていたのでしょうか?
 絵で見る限りナポレオンは帝位についても化粧はしていないようなのでフランス軍は革命以後、将校の化粧は廃れたように思うのですが他国はどうなのでしょう。
将校の化粧禁止の軍規ができたのか流行が廃れて自然消滅したのでしょうか?
タブ

  1.  中世において、華美な格好をしていたのは男性のほうで、宝石をつけていたのも男性が中心でした。ウィッグも、化粧も、その流れの中で解すべきでしょうが、これらを流行らせたのは近世フランスの宮廷で、終わらせたのも彼等でした。というのは、そういう格好をしているのは貴族に違いない、だったら、ギヨチンにかけよという時代が到来したからです。
     イギリスでは、その後も命脈を保っていたようですが、ヴィクトリア女王の即位した頃には、男性がそういう格好をするというのも下火になったようです。
     それでも、軍人は華美な格好を従ったようですが、銃の発達により狙撃の対象になって塹壕戦の時代に終息を向かえます。
     
    hush



226 以前から疑問に思っていたことが有り質問させていただきました。
第二次世界大戦前後の兵器の輸出入の話なのですが、「日本がドイツのハインケルHe111の輸出交渉時に
ヒトラーは外貨が獲得できるために乗り気だったが空軍が反対し、結局イタリアがBR20の販売で
外貨を手にした」というような話を読んだ記憶があります(確か”丸”だったかと)。
この話の「外貨」とは普通に「円」?または別の通貨だったのでしょうか。
バーター取引の話は稀少金属や食料品等で聞くのですが通貨の内容に付いてはよく分からず仕舞でした。
出来れば、出所(書籍)も教えて頂ければ助かります。
陸奥屋

  1. 戦前の国家間の取引について、以前に読んだ本の内容をお伝えします。図書館から借りた本で書名は忘れました。戦前ドイツの経済政策について書かれた本でした。記憶違いがあればご勘弁お願いします。
    戦前の国家間の取引は最終的には金(きん、Gold)で決済されます。日本人がドイツから物を買う場合はマルクで支払いますし、ドイツ人が日本から物を買う場合は円で支払います。ドイツから物を買うにはマルクが必要なので、銀行でマルクを買います(両替するということです)。銀行は日本の中央銀行からマルクを購入し、日本の中央銀行はドイツの中央銀行からマルクを円で購入します。一方、ドイツでも日本から物を買う場合も同じ流れで、ドイツの中央銀行が日本の中央銀行から円をマルクで買います。両国の中央銀行は年に一度決算を行い、例えば、日本のほうがマルクを多く買っていたとなれば、その差額に相当する金をドイツに支払います。相手国からの輸入額が輸出額より多いと金を払うことになります。
    輸出して「外貨を得る」というよりは、「金を得る」という表現のほうが正しのではと思います。

    赤龍


  2. 赤龍さん、ありがとうございました。
    参考にさせていただきます。
    陸奥屋


  3.  そういえばドイツに派遣された潜水艦が金を輸送していますね。
     検索をかけると日本海軍によるロシア金塊の輸送1916・17年という論文もありました。
     金塊輸送の船がどうのこうのという小説もありますね。


    hush


  4. >>hashさん
    ありがとうございました
    陸奥屋



225 またつまらないことが気になってしまって、お知恵を借りたく質問します。日本語で「十字軍」を意味する「クルセイダー」という名称がありますよね。
戦車にも、戦闘機にも、軍艦にも、作戦名にもあります。
不思議に思ったのは、主に英語圏で使われているにもかかわらず、英語読みの「クルセイド(Crusade)」ではなくスペイン語読みの「クルセイダー(Crusader)」の方が主流だということです。私の調べた限りではウイリアム・カッツという小説家の「潜航!ノーススター十字軍」という作品の中で敵組織のコードネームとして「ノーススタークルセイド」というのがあるくらいでした。
英語は大陸語に比べて、構文がより慣習性?が強いからでしょうか?
備後ピート

  1.  https://wikidiff.com/crusade/crusader によると、どちらの英語でもいいようですが、歴史用語としての十字軍はCrusade、十字軍に参加した人をCrusaderと呼んだようです。
     カッツがNorth Star Crusadeとつけたのは、デビュー作だけに衒学的につけたのかもしれませんが Crusade -CrusaderでGoogle検索するといくつかヒットします。
     ただ、スペイン語だとCruzado、Cruzadaとなりますが、スペイン語の発音に由来するというのはどこに載っていますか。私は見つけられませんでした。
     
    hush


  2. hush様。ヤフーヤフージャパンで「クルセイダー」で検索すれば、最初に十字軍の説明とスペイン語由来だと出てくるのですが。
    備後ピート


  3. >2
     ご回答ありがとうございます。
     ただ、一応、Yahoo.jpで検索しましたが見つかりません。もし、それが、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC であるのなら「スペイン語で「十字架をつけた集団」という意味を持つ言葉で」であって、御質問の「スペイン語読みの「クルセイダー(Crusader)」の方が主流だということです」には当てはまらないと思われます。
     このため、「スペイン語の発音に由来するというのはどこに載っていますか」と書かしてもらったような次第です。
      
    hush


  4. hush様。私の意図が上手く伝わってないようですので、ヤフージャパンで「十字軍」「英語」で検索することをおススメします。CrusaderではなくCrusadeで翻訳されて出てきます。スペイン語読み云々もここで記されています(あくまでスペルではなく「読み」として)。
    にもかかわらすウィキにあるようにCrusaiderの用例の方が圧倒的に多いので、英語は構文の慣習性(ここでは昔からそうなってるから、そうなんだ!程度の意。頭の悪い英語教師みたい)が強いのかなと思った次第です。
    備後ピート


  5. >4
     Yahoo.jpで検索しましたが見つかりません。
     私は、ここで検索することがほとんどないので、学習機能の問題かもしれません。
     URLを教えて下さい。
     
    hush


  6. 色々あるのですが最も表しているのはhttps://ja.wikipedia.org>wiki>クルセイダーですかね。ぶっちゃけウィキペデイアの頭書きの抜粋文ですが、スペイン語で「十字架を付けた集団」の「スペイン語」の部分が要出典?となっていて、hush様の「出典が知りたい」という問いかけに対して、私は「出典も定かでないくらい昔から慣習的に使われてきたのではないか」と述べているわけです。ああ、疲れた。日本語って言いたいことを相手に伝えるのが難しいですね。。
    備後ピート


  7. >6
     そこにあるのは、スペイン語に由来する英語であるという出典不明の説明であって、御質問にある「スペイン語読み」は登場しませんが。
     そして、要出典?はWikipedia内で、出典が書かれてないが、どういうことだというような問いかけにすぎません。
     なお、 https://www.etymonline.com/jp/word/crusade を見ますと、Crusadeのほうに「フランス語のcroisade、スペイン語のcruzadaからきており」とあり、英語は、それに人称を表すerをつけた語でしょう。
     
    hush


  8. 訂正
     それに人称を表すerをつけた語でしょう→それに人称を表すerをつけた語とあります。
     なお、英語は、本来、ドイツ語と同じくゲルマン語の系統ですが、ラテン系のフランス人に占領されたことから、多くの語がフランス語由来のものに変更されました。したがって、Crusadeが英語本来の語で、Crusaderがスペイン語からの外来語というより、ともにラテン語系統の語から入ってきた英語と考えて貰ったほうがよいと思います。
     
    hush



224  長いロープを単純に巻いたものを横方向に引き出すと、捻り(スピン)がかかり、キンクが発生し、不都合がおきます。これ予防するためには、「8の字巻き」にすれば、ねじれが交互にキャンセルしますので問題は起きません。ただし、ロープを置く場所が広くなりそうです。
 アメリカ式捕鯨のキャッチャーボートのジオラマ見ますと8の字ではなく単純に巻いてあるように見えました(記憶違いか)。また近代捕鯨のキャッチャーボートの写真を見ますと、銛に着いたロープは単純に巻いてあるように見えました。これらにおいては、獲物までの距離が短いので、捩れは気にならないのでしょうか。それtも空転装置が付いているのでしょうか。
 消防のホースは長いですが、しまうときは半分に押して平たくし、横方向には引っ張り出さないのでこんな問題は起きません。海底ケーブル敷設船へのケーブル積み込みは、初期ネジれが起こらないよう工夫されていました(詳細は忘れました)。なお、ロープではありませんが、船のアンカーチェーンには空転装置がついています。
電気戦艦

  1.  whaling-harpoon-cannonをGoogle画像検索しますと、仰るように一重に巻かれており、 https://stopkillingwhales.com/images/norwegiam-cold-harpoon.jpg のように、乱雑に置かれているものすらあります。俯角をつけて発射するぐらいの短距離ですので、捩れを気にするほどでもないのではと思うのですが、問題はその先です。というのは、急速に沈んでいく鯨を回収する目的で、このロープは船内に収蔵されたロープにつながっているからです。
     コナン・ドイルの記述によるとその長さは2マイルにもおよんだそうで、不足した場合に備えて別の船がロープをもって待機していた場合もあるそうです。当然、回収作業にはキャプスタンを使うでしょうし、捩れ防止装置もつけないといけないと思っております。
     
    hush


  2.  hush様 ありがとうございました。確かに単純に一方向に巻いたものが見られます。その後キンクの起こりかたを考えました。ロープを巻いて、両端をを中心軸方向に引っ張ると、ロープの内部には捩れた部分ができます。またロープの軸方向にはひっぱりの力がかかっています。この状態ではキンクの心配はありません。今度このロープを軸方向に緩めるとすると、今まで捻じられていた部分が元の形になろうとし、それが一箇所で起きるとキンクが発生します。ですから、鯨に銛をを投げている時はロープにはひっぱりの力が働いているので、キンクの心配はありません。
    電気戦艦


  3. 捕鯨の映像を見ると、高速で飛翔する銛に結びつけられたロープは、巻いてなんかしていないようです。格納時は何かに巻き付けたり巻いたりはしているかもしれませんが。また、鯨を母船内に引き上げる際は、もっと太イロープを使用しているようです。
    そもそも、これは軍事に関する事項かな。
    Uチューバー


  4. Uチューバー様 回答見るのが遅れ、お返事遅くなってすみません。確かにおっしゃる通り、銛についたロープはくしゃくしゃのような気もします。

    フォークランド戦争のとき、英国潜水艦がアルゼンチンの巡洋艦を雷撃で沈めました。その時の魚雷は有線誘導であったと報道されました。細いワイヤがキンクしないで遠距離伸びるのか、と気にしたことが関心の持ち初めです。巻き戻すことがなく、伸びるだけ伸びるならその心配はない、というのが現在の結論です。その後の報道で、魚雷は従来のものであった(有線誘導なし)と読んだ気もしますが、記憶が曖昧になっています。
    電気戦艦


  5. >4
     コンカラーがヘネラル・ベルグラーノを沈めたのは第二次大戦型の通常魚雷ですので、その記憶で大丈夫です。
     なお、有線魚雷のワイヤーは“torpedo-mounted dispenser”(TMD)というものに納められていますが、画像検索をしてみると、 https://americanhistory.si.edu/subs/weapons/armament/torpedoes/images/wireguide_full.jpg にあるように、通常のドラムのようです。
     
    hush


  6. hush様 ありがとうございました。ここぞというときには実績のあるものを使うということなんですね。第二次世界大戦(日ソ戦含む)以後魚雷が相手を沈めたのは珍しいですね。その後のことを調べてみますと、2010年3月に韓国のコルベット「天安」が沈められたのは北朝鮮の魚雷攻撃によることのようです。いろいろな思惑で韓国政府は正式には認めてないようですが。
     ご紹介写真のドラムを見ますと、引っ張り出しによるワイヤ捻りは気にしていないように見えました。家庭用の裁縫ミシンでも、以前は下糸のボビン軸は水平でしたが、今のは垂直もあるようです。実用には問題ないようです。
    電気戦艦


  7. >6
     1971年にパキスタンの潜水艦ハンゴールがインドのフリゲート、ククリを沈めています。
     コンカラーはタイガーフィッシュという誘導型魚雷を装備していましたが、配備されたばかりであったので実績のあるMk8を使用したそうです。
     チョナン(天安)の場合は、多分、潜水艦の魚雷でしょうが、認めない人も多いようですね。
     二次大戦後、潜水艦が雷撃により沈めたというのは、自分の知る限り、これだけです。
     
     
    hush


  8. >7 hush様 印パ戦争のときのこと全く忘れていましたので、今回はありがとうございました。
    電気戦艦



223  TVでウクライナのニュースが流れていて至近弾という言葉がでてきました。そばで何気なく見ていた高校生のバイトから「ねえ至近弾って何?」と聞かれ「近くに落ちた弾」と答えたら「近くってどれくらい?」とさらに聞き返され返事に困りました。
 至近弾は近くに落ちた被害のない弾もあれば磁気信管のように近くで爆発させることによって直撃あるいはそれ以上の被害を出すものもありますよね。

 軍隊や自衛隊の公式な報告書や記録では至近弾の公式基準はあるのでしょうか? 
報告者の主観だとかなり大きなバラつきが出ると思うのですが。



トロッター

  1. https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1438107099
    YahooのQ&A知恵袋より
    まさのり


  2.  site:www.warbirds.jp/sudo 至近
     で、操典類における「至近」の用例を調べてみたところ、
     http://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_1.htm
     に、「独逸軍の戦法は夜間行軍に依る近接、払暁後移動弾幕射撃の掩護の下に於ける攻撃直前至近の距離(陣地前二、三百米)への配備」とあり、
     http://www.warbirds.jp/sudo/artillery/bomb.htm
     に、「至近距離に於いて大破するも 十米以上に於いては効力を期待し得ず」等の記載はありますが、操典の類には具体的な距離の記述が見つかりません。
     これだけでは不足かもしれませんが、旧日本陸軍の公式基準に「至近」の規定はなかったのではないかと思っております。
     
    hush


  3.  ありがとうございます。
    質問前に検索はしていますが攻撃を受けた場合の至近弾の公式基準が探せませんでした。主観に左右されると危険性の判断も経験値にかなり左右されそうですね。
    トロッター


  4. 御質問の至近弾のみならず、駆逐艦、巡洋艦、フリゲート、旅団、師団、司令官等の軍事用語は、定義の有無にかかわらず、幾つもの史料、文献、記事を読んで凡そこんなもんだと理解すればそれでよいと思われます。何しろ、近代的な軍隊組織等ができてからゆうに百年以上経過し、各国、各人が各様に使用していますから。一時的に条約等で定義されていても、条約等に拘束されない国、締約国であっても条約失効後は勝手に使いだしますから。
    蛇足ながら、質問文中の「磁気信管」は、高射砲等の場合には「近接信管」であり、通常は命中弾とされています。
    変人


  5. 4の追記、そして蛇足ですが、昔の航空機の機体はほとんどが布や薄い木材や軽合金製の薄板であったため、高角砲弾が直撃しても触発信管では多くの場合不発となって効果が少ないあるいは撃墜に結びつかないないため、初期には時計信管が使用されていました。この場合にも、うまくいけば近接信管と同じく撃墜の効果が得られます。
    変人



222  ファーブル昆虫記のファーブルの像は第2時大戦時にドイツの占領下でドイツ軍に破壊されることを恐れた地元住民達が隠して守ったそうですがファーブルや彼の残した研究はナチスやヒトラーの意に沿わない物だったのでしょうか?
タブ

  1.  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB には「ファーブルの生地であるサン・レオンにもファーブルの功績を称えて銅像が立てられた。第二次世界大戦時に進駐してきたナチス・ドイツによって、武器の材料として接収されたが、その後レジスタンスによって奪還されて地中に秘匿され、今は彼の生家の庭にたたずんでいる」とありますね。
     ファーブルは、日本では有名ですが、フランスでも、ドイツでも有名でなく、そこに像があったので武器の材料としてドイツ軍が接収し、レジスタンスが取り返しただけでしょう。
     
    hush


  2.  ありがとうございます。 ウィキは読んでいましたが一番最後の「ファーブルの知名度」は見落としていました。
    しかしファーブルはフランスでも生前から(現在も)有名でノーベル賞候補にも押されています。
    「ファーブルの知名度」の部分はほぼすべて要出典でウィキに書かれた経歴等とも矛盾しています。
    誰によって?といった注意書までついているのでこの部分は事実ではないと思います。

    ただ今回あらためてウィキを読み返してみて「ファーブルがどこよりも意味嫌ったプロシアからすらも多額の義援金がファーブルの元に送付された」の部分が気になりました。
    もしかしたら独仏戦争の影響もあり日頃から公の場でドイツの悪口を言っていたのでしょうか?
    タブ


  3.  無名のファーブルでGoogle検索をするといくつかヒットし、中にはフランス人に聞いてみたというのも出てきますので、事実ではないかと思っております。そして、フランス語版のWikipedia https://fr.wikipedia.org/wiki/Jean-Henri_Fabre にも「彼の発見は、ロシア、米国、韓国、特に日本で高く評価されており(以上機械翻訳)」とあり、本国ではあまり知られていないのではと思われる記述があります。
     フランス語は蝶も蛾もPapillonパピヨンの一語で片づける珍しい言語ですので、昆虫への関心が薄かったのかもしれませんが、フランス人がドイツ人の悪口を言うのは、つい最近まで普通のことでしたし、ドイツ語版Wikipedia https://de.wikipedia.org/wiki/Jean-Henri_Fabre にも「ファーブルと彼の記念品昆虫学は、長い間ドイツではほとんど知られていませんでした。現在ではドイツ語への翻訳も行われています(機械翻訳)」とあります。
     
    hush


  4. ファーブルは経済的に苦しい生活を送っていました。彼はアカネという植物
    から赤い染料を取り出す方法を開発して、これで経済的に楽になるかと期待
    したのですが、ドイツで安価な合成染料が開発されたためにアカネから収入
    を得るという目論見は外れました。ファーブルは『昆虫記』に、

    「すべては終わった。私の夢は完全に崩れ去った。(中略)アカネの桶から
    は手に入れることができなかったものを、インク壜の中から取り出してみよ
    うではないか。さあ働こう!」(奥本大三郎訳『完訳ファーブル昆虫記』
    より)

    と記しています。ファーブルがドイツを嫌っていたということが事実だとす
    れば、このことも理由の一つだったのかもしれません。
    Uhu


  5.  ファーブル個人がドイツに恨みを持っていたことを特別視されていますが、2で「フランス人がドイツ人の悪口を言うのは、つい最近まで普通のことでした」と申しておりますように、エリゼー条約締結までのフランスのドイツに対する視線は冷たいものがありました(ドイツからフランスに対してはそうでもなかったようです)。したがいまして、占領国ドイツに対するフランス人の視線が刺々しいのは当たり前のことなのです。
     つまり、ファーブルの像だったから狙われたというより、単にそこに像があり、金属供出の対象であったために起きた事件だろうと思っています。当時のドイツ人が、ファーブルを知らなかった可能性のほうが高いからです(ノーベル文学賞候補者の彼が無名だなんてと言われるかもしれませんが、多和田洋子の名前をどれだけの日本人が知っているかと考えるだけ充分ではないかと思います)。
     
     
    hush


  6.  多和田洋子→多和田葉子
     失礼いたしました。
     
    hush



221 災害の時の支援で疑問があります。どんな災害であれ被災地に生活物資を送り込んでいます。数日の停電や断水ならともかく、一週間以上に渡ってライフラインが切断されるなら、戦争中疎開したように隣県な安全な地域に被災者を輸送した方がベターなんじゃないかとも素人考えで思うのですがどうなんでしょうか?余震の心配も少なく、使ってないホテルや旅館などを活用すればできないでしょか。
富士の高嶺

  1.  2024年1月10日現在、全国6500戸の公営住宅が被災者に提供できることになっています。また、受け入れ先の宿泊施設の提供も進んでいます。
     ただ、石川県だけで2万人以上もの人が避難所にいる状況ですので、個別の判断もあり、輸送の限界もあって、それらが全部満杯になるには遠い状況ではないでしょうか。
     どちらにしろ、10日以上経っても、一時避難所で大変な生活をしている人がこれだけいるというのは、異様であるとは思っています。
     
    hush


  2. 道路・鉄道を含むインフラが壊滅状態で、一万人分の緊急援助物資を送り込むのと、一万人を安全に運び出すのと、どちらが有効でしょうか。
    タンジェント


  3. タレントのラサール石井さんもXで同じ内容のことを書いて、批判されてますね。何を言われて批判されてるのか?見て考えるのもありなのでは?
    参考までに
    まさのり


  4. >3
    >同じ内容のことを書いて、批判されてます
     何だろうと思って調べてみたのですが、二次避難先のホテルや旅館が有料であるという書き込みが炎上したようですね。もし、それを指しての発言なら、質問の内容とは全然違いますが。
     
    hush



220 日本の歴史の教科書で一つ気になることがあります。
昭和時代の歴史で、戦争の悲惨さなど
○○年に日本は戦争に負けた、は教えていますが
『何故そんなことが起きたのか』
『同じことを繰り返さないためにどうすればいいのか』など
そういうところまで解説している記述はほぼ見かけません。
学生時代は全く気づきませんでしたが
今思えば、年式や歴史上の偉人の名前を暗記するより
そっちを学ぶ方が遥かに重要ではないのでしょうか?
天手力男

  1. 中学・高校で言えば、その問いに対し明確な答が出ないのと、執筆者の主観、解釈で複数の答が発生するという事では?
    教育の一環として、問いに対して議論を重ねるというのは有りだとは思いますが
    まさのり


  2. 当時の関係者やそのご家族に存命の方がいらっしゃるので、下手なことを書くと「自虐だ」「一所懸命頑張った自分たち(or家族)を悪く言うのか」など抗議されることがあるので、客観的な事実しか書けない・・・という話を聞いたことがあります。

    余談
    自分の友人にも先祖が歴史上の豪族だというものがおりますが、「○栄の歴史ゲームにでてくるご先祖様はあんな無能じゃない!」と言っておりました。
    Ranchan


  3. 学習要領改訂により高校の履修科目が「日本史」「世界史」から「日本史探求」「世界史探求」に変わったのは、まさにそのような取り組みと思います。

    ただ、日本に限らず、歴史教育で教える「歴史」はその国の国民が積み重ねてきた記憶の集大成としての「歴史ファンタジー」の側面が強く、文献等の1次資料を重視し定説も時代により変わり異説も許容する歴史学で取り扱う「歴史」とは区別すべきと思います。 したがって天手力男さんの持たれる問題意識を中学高校の歴史教育で扱うのは本来相性が悪いのだと思います。

    若狭


  4. その時、何が起きていたかを知ることと、それを論評することとは全く別の話です。歴史を学ぶのであれば、そこを区別するところから始めなければなりません。「どうすればいいのか」は歴史学の責任範囲ではないのです。
    BUN



219 WW2でフランスがドイツに降伏する前にダンケルク等からイギリスに逃れたフランス兵はその後、自動的にドゴールの軍隊に所属したのでしょうか?
本国の降伏で戦闘に参加を拒否することもできたのでしょうか?
トロッター

  1.  1940年5-6月のダイナモ作戦でイギリスに脱出したフランス軍兵士は13万9000人とも12万3000人とも書かれていますが、そのほとんどが南フランス等に送られ、7万人以上が死亡します。イギリスに残った3000人だけが自由フランス軍に入りましたが、1月後の7月の時点で自由フランスの指揮下にあったフランス軍人は7000名に過ぎなかったそうです。
     これは、戦闘員の帰国を望んだ本国政府と、それに逆らえば家族がどうなるのかという葛藤があったからのようです。そして、イギリス艦隊がフランス艦隊を攻撃したことにより、自由フランスに加担するフランス人が減少した結果のようです。
     
    hush


  2. ありがとうございます。
    大半が送り返され過半数が戦死したのはフランス本国がまだ交戦中の時ですね。
    フランス降伏後にイギリスにいたフランス軍人は自由フランス軍に入らない場合は強制送還だったのでしょうか?
     本国が降伏を決めた以上、もう戦いたくはないがナチス占領下のフランスには帰りたくない反ナチ思想やユダヤ系の人達、ナチスと戦うのはいいがドゴールの下に入るのは嫌だという将校などもいたと思うのですが。
    トロッター


  3.  イギリスはフランス降伏後にフランス南部と植民地を統治するペタンのヴィシー政権を承諾しませんでしたが、1942年まで自由フランスを亡命政府としては認めていません。したがって、イギリスに残っていたフランス兵を強制送還することは、送り先がない以上、不可能です。また、イギリス政府が双方ともに認めていない以上、自由フランス軍に入るかどうかは個人の自由意志となります。植民地にいた者はヴィシー・フランスに忠誠を誓っている者が多く、イギリス国内でも旗幟を鮮明にしない者は多くいたはずです。実際、自由フランスの兵員のほとんどは植民地軍で、65%が西アフリカの徴集兵です。
     
    hush



218 日清戦争当時の清国北洋艦隊の主力艦、定遠、鎮遠、済遠らが1880年当時三流海軍国だったドイツ(ティルピッツの海相就任が1897年、第一次艦隊法の制定が1898年)に発注されたのはなぜでしょう?

清国内で海防派だった李鴻章が、英米仏らを嫌って当時新興軍事国だったドイツを頼ったのでしょうか?あるいは直近の大海戦であるリッサ沖海戦の結果から、艦首方向火力重視のドイツ=オーストリア系の艦艇と縦陣隊戦法を導入しようとしたのでしょうか?


備後ピート

  1.  むしろ、イギリスの意向のようです。
     アヘン戦争後、イギリスは清国に海軍顧問団を派遣しています。このため、台湾を征服し、日清に両属していた琉球を自国のものとして、さらには朝鮮半島に食指を伸ばした日本に対抗して、北洋艦隊を拡張する際も彼らが主導権を握っていました。
     しかし、イギリス本国は、ロシアへの影響が大きいとして、扶桑、金剛級に対抗する大型装甲艦の建造を拒否、かわりにザクセン級を建造したばかりのドイツでの建造を勧めたようです。このため、定遠級はクルップ砲を装備しながら、その砲配置はインフレキシブル級に類似したものになっています。もちろん、この砲配置はリッサ沖海戦の影響によるものですが、イギリス顧問団が運用しやすい設計を認めさせるため、他の列強と違って、艦艇の建造が緒についたばかりのドイツに頼らせたのでしょう。
     
    hush


  2. 参考迄に、ざっくりと歴史を調べると、フランスはベトナムを巡って紛争状態。アメリカは南北戦争の後始末とフロンティアによるネイティブアメリカンとの紛争。あとこの時期中国人の移民問題で中国人排斥運動も起きてます。国内が落ち着くとフィリピン、キューバを巡ってスペインと一悶着。となると消去法で王室が親戚同士のイギリスがドイツを紹介と言うのも有り得るかなぁ(笑)
    まさのり


  3. >2
     ヴィクトリア女王とロマノフ王家も縁戚関係がありますが。
     あと、当時、最大、最速の戦艦を建造したイタリアの存在も考える必要があろうかと思います。
     
    hush


  4.  当時、ドイツ人のGustav von Detrig は李鴻章と大変親しい側近でした。李も彼を大いに信用していたようです。ドイツ製の装備導入については、このことが大きい要素であった可能性があります。詳しくは、「清末中国内における西洋近代産業導入に貢献した外国人」というサイトを見てください。なお、この頃クルップの装甲板や大砲は世界一であるとの評価を得ていたと思います。
    電気戦艦


  5. >>4 それって蒋介石の国民党軍の軍事顧問に
    ゼークトやファルケンハインが居たりとか
    ドイツ製兵器の導入という流れに繋がるんでしょうか?
    まさのり


  6. >>5すみません。
    ファルケンハイン→誤
    ファルケンハウゼン→正
    です。
    まさのり


  7. まさのり様  >5.,6. デートリッヒはゼークトら軍人とは活躍年代も違うし、直接には関係ないとは思います。ただ親独感情というものがその後の中国の一部にあったかもしれません。
    電気戦艦



217  軍事の事ではないのですがこのサイトに関わることかもしれないので確認させてください。

 つい最近までセキュリティーソフトとしてカスペルスキー・インターネット・セキュリティーを使用していたのですが、使用期限が来ていたのと昨今の情勢を踏まえて別の会社のセキュリティーソフトに鞍替えし、カスペルスキーの方はアンインストールしました。

 ですが、こちらのサイトを開こうとするとサイトが開くまでの間、FireFoxの画面下部に「ff.kis.v2.scr.kaspersky-labs.comに接続しています...」と表示されます。

 もうアンインストールしたのに何だろうと思って検索したところカスペルスキーがサイトのソースに勝手にコードを書き込むようになっているようです。

参考
ttps://singoro.net/note/kaspersky-insert-code/

 あいにくとカスペルスキー・インターネット・セキュリティーは既にアンインストール済みで使用期限も切れているため再インストールも出来ません。

 これって、こちらのサイトの方に何らかの迷惑はかかるのでしょうか?
 ソースを見る限りは上述に関連したソースがWebページ側に書き込まれた様子は見つけられませんでした。もし何らかの迷惑が掛かっているのならもっと調べて相応の対処をせねばとは思っているのですが、現状私の乏しいネットスキルでは手に余っていて何もできていません。
おうる

  1.  一応、FireFoxのアドオンツール「Block Site」に「ff.kis.v2.scr.kaspersky-labs.com」を登録したら現象そのものは解消しました。
    おうる


  2. サイト側に影響はないです(あったら大問題です)。
    FireFoxにカスペルスキーのプラグインが入っているはずなので、それを消して
    キャッシュとクッキーも削除したら接続しなくなると思います。

    774



216 アニメ絡みの質問ですがご容赦下さい。

「機動戦士ガンダム」(初代)終盤に「ゲルググ」というモビルスーツが登場します。
ゲルググは主人公ガンダムに匹敵する性能を持つ、破格の量産型高性能機です。
しかし熟練パイロットは、旧型で性能は劣るが今まで乗り慣れたザク2やリック・ドムに乗りたがり、乗り手がいないゲルググは学徒補充兵に回されることが多く、持てる破格の高性能を生かせないまま撃破されていった・・・と設定されています(まあ後付け設定ですが)。

国によって違うかもしれませんが、実際の軍隊でもこのように

「受領した新型機を現場の搭乗員が拒否」
「現場では乗り慣れた旧型機が好まれ、故障もしていない折角の高性能新型機が宝の持ち腐れ」

ということはあったのでしょうか?
(パイロットが搭乗する機体を指定する・・・ということは許されていたのでしょうか?)

前置きが長くなり申し訳ありませんが、宜しくお願いいたします。
Ranchan

  1. 例外的な事例ではありますが、存在します。
    誰もが知る欠陥機だった紫電搭乗を個人的に避けた事例が三四三空の初出撃時にあるからです。
    BUN


  2.  その設定の話ですけど、たしか機種転換訓練のために貴重なベテランパイロットを後方に下げなければならなくなるので、軍および前線部隊およびパイロットの全員が嫌ったとかいう話があった気がします。
    おうる


  3. ご回答有り難うございます。
    さすがに「個人の好みで乗機を選択して出撃する」・・・というのは、割り当てられた機体がよっぽど明瞭な欠陥機でなければ許されない訳ですね。
    編隊を構成する機が性能バラバラではまともに行動できそうにないでしょうし、整備側も部品生産・調達や整備兵教育などの運用面で必要以上に手間がかかるような。

    >2
    ご回答を拝読して思ったのですが、彗星や天山、疾風や飛燕などの新型機が登場した時の日本軍、Me262のような従来機と一線を画する機が登場したドイツ空軍ではご指摘のような問題は出なかったのでしょうか?(新米パイロット教育のため、教官として一部の熟練パイロットを後方勤務に割り当てた・・・というお話は聞いたことがあるのですが)
    Ranchan


  4. 確か大英帝国海軍航空隊では
    ソードフィッシュ雷撃機の後継機
    アルバコア等が?な飛行機だった為
    マイ・ボニーの替え歌でソードフィッシュ戻っってこい!
    という歌があったと
    民明書房じゃなく岡部いさく氏の著書にあった。
    まさのり


  5. マリアナ海戦では、その様にしたという記事を読んだことがあります。
    UK


  6. >2を読んでいて、Me262を連想しました。
    Me262を戦闘機としてではなく爆撃機として運用しようとした理由のひとつには、既に防空戦闘機隊が疲弊していてこの新鋭機に乗せるべき戦闘機搭乗員が払底しつつあり、当該機の早急な戦力化のために使える搭乗員として(アラド234配備までの間)爆撃機搭乗員を活用しようという考えがあったような
    匿名


  7. 第2次世界大戦時のイタリア空軍のお話しですが、マッキC200が配備されたおりに、その大隊(カバリーノ・ラパンテと言われています)では、余り評判が良くなく、受領後に別の大隊(第一大隊)の複葉戦闘機フィアットCR.42と交換したという逸話があったようです。
    陸奥屋



215 日本海軍艦艇の食事は結構恵まれていたようですが
その調理師の腕前にも各艦で差があったんですよね?
ということは飯がまずい事で不評、所謂『メシマズ艦』が
日本海軍にもあったのでしょうか?
天手力男

  1. まぁ、回答になるかは不明ですが、参考になればと思います。
    舞鶴市が面白いものを公開しています。

    https://www.city.maizuru.kyoto.jp/kankou/0000006049.html

    読んだ感想は、正直、これを読んで訓練されているなら、失敗はないといえますねぇ。
    これを読んで訓練受けて、毎回失敗作を調理するならば、故意にやっているとしか思えないので、人事異動で部署替えして炊事場から外すでしょうね、という感じですわな。
    じゃんご


  2.  こういうのもあったようですが。
     http://nlsroumu.com/jj/archives/2006/04/post_160.html
     旧日本海軍の場合、将校と兵隊とでは全然違うものが出ています。
     兵員の場合は、上のものが箸をつけるまで食べられませんから、性格の悪い上官は、訓話を続けてなかなか食べ始めません。結局、時間が無くなって初年兵は飯を掻き込むことになりますので、味などないようなものだったということです。もちろん、上官は食後の片付けなどはしませんので、ゆっくりと食べますが。
     そういう上官には、意趣返しの意味でそういうのが出てくるわけです。
     
    hush


  3. 回答ありがとうございます。
    よりによってアイスを食べながら検索してしまいましたが
    こういうささやかな抵抗でもしないと、やってられないほど
    厳しい軍隊生活だったんですね
    天手力男



214 兵科記号が詳しくかかれているサイトなどは有りますでしょうか?
東亜連邦

  1.  どこの国のいつの時代のか分かりませんので、とりあえず http://warhistory-quest.blog.jp/18-Oct-09 でどうでしょうか。
     
    hush


  2. ありがとうございます。
    とりあえずFM 1-02.2を見てみることにしました

    東亜連邦



213 戦前・戦時中にも、現代で言うニート、引きこもりに
該当する人っていたのでしょうか?
もし、いたとしたらやはりその人たちも
容赦ない召集令状をされたんでしょうか


天手力男

  1. >ニート、引きこもりに該当する人っていたのでしょうか
     います。ただし、金持ちでないと個人の部屋などありえませんので、各地を放浪することになると思いますが。
    >容赦ない召集令状をされたんでしょうか
     召集令状の前に、徴兵検査を受ける必要がありました。これは、すべての成人男子の義務とされ、名誉とされましたので、懲役または禁固6年以上に処せられた者以外、受ける必要がありました。このため、重度の脳性麻痺で屋外に出たことのなかった者も、有名医師の診断書も出して請願し続けたが受けさせられ、現場で帰れと罵声を浴びたとあります。また、暴れるために座敷牢に入れていた人を強引に運んだという話もあります。
     前記の放浪者の人々については、居所不明ということで徴兵逃れと判断されます。これは罰金となりますが、払ったかどうかは存じません。また、旧日本海軍軍人の経歴調査のために官報を見ておりますと、そういう人達だと思われる人の名簿が掲載されているのに気付きます。だいたい、年間2000人程度はいたようですが、これらの人々のすべてが放浪者なのかどうかは存じません。なお、戦時中に窃盗等の犯罪で刑務所に入る人が多く、出所してもすぐに入所する件数が増加しているのは、徴兵逃れの人もいたからではないかといわれます。
     
    hush


  2. 解答ありがとうございます。
    やっぱり現代のように、部屋に篭りっぱなしでは済まされないのですね
    天手力男


  3. >2
     鄭重な御礼を賜り恐縮致しております。
     その後、津山33人殺し(「八つ墓村」のモデルになった事件です)の犯人が引き籠りだったと知って、調べていったところ、金持ちでなくても、戦前もそこそこいたのではないかと思うようになりました。
     というのは、武家においては部屋住みとか厄介伯父などというものもありますし、戦前も働かずに離れに一人で住んでいるケースもあったようだからです。
     津山事件のようなケースもありますが、私自身が不登校で、引き籠りの経験もありますが、無事に就職して今日までやっております。また、家から一歩も出ずに学校にも社会にも出ずにいた人が田舎の先輩にいますが、親が死んでから出て行ったそうで、その後、戻ってきた時にはバスの運転手になっていたそうです。もちろん、戦後の話ですが、高度成長期前のことですので、戦前と経済的にはそれほど変わらないと思いますので、参考までに載せておきます。
     あまり軍事と関係のないところにいってしまい、申し訳なく思っております。
     
    hush


  4. 現代の引き篭もりとはちょっと違うかもしれませんが、「遊民」で検索していただくと色々と出てくるはずです。白洲次郎なんかは遊民で徴兵を逃れたと言われています(白洲次郎の青年期の第一次資料はほとんど無い無いので本当かは分かりませんが)
    じゃんご


  5. >4
     遊民というと夏目漱石ですが、彼自身は北海道に戸籍を移すことにより合法的に徴兵忌避をしていますし、彼のロンドン時代は、ほとんど引き籠りに近い状態でした。ただ、白洲次郎にしろ、漱石にしろ資産家ですので、大学にも、留学にもいけたわけで(漱石は公費ですが)、そういう人には召集されないような手立てがあったようです。また、彼等は明治に徴兵検査を迎えた人達ですので、抜け道も多かったはずです。
     そういう高等遊民の資産家ではない場合はどうなるかを考えたのが1ですが、この時、私の頭にあったのは画家の山下清でした。彼自身は、徴兵検査を受けるのが嫌で、放浪していた訳ですが、結局、捕まって受検させられています。そして、知的障碍を理由に不合格になっても放浪を続け、その期間は1955年までの15年間にも及んでいます。つまり、戦争中も放浪生活をしていたわけですが、逆に言えば、そのような時期であっても、放浪ができたわけです。
     引き籠っている人にも、徴兵検査に合格していれば、当然、召集令状は届きます。合格していなくても、徴用令状が届く場合があると思います。これを拒否した場合は1年以内の懲役また罰金となります。したがって、罰金を払えない場合、令状に従うか、逃げるか、逮捕・懲役となるしかないのではないでしょうか。
     
    hush


  6. hushさん、遅くなりましたが、フォロー感謝です。
    じゃんご



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