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181 戦前船舶研究会が刊行した、本誌「戦前船舶」以外の資料集等、実際にはどの様なものが、どの程度まで刊行、販売されたのでしょうか?

誰か答えて下さい。

180 冷戦期から現在に至るまでの、核兵器の使用に関して。
いきなり全面核戦争に至らないようにするために、米ソ間で核兵器使用を徐々にエスカレートさせていく取り決めがあったと記憶しています。
確か最初は戦術核で軍事目標攻撃しかしない。的な話だったと。
密約なのか公式の取り決めなのか?
具体的な資料はどこかにありますでしょうか?

似非ハンター

  1.  限定核戦争のことなのかなと思うのですが、これで何らかの合意に達したという記憶はないです。
     もっとも、米ソ偶発核戦争防止協定等の裏でそういう話になっていたかもしれませんが。
     
    hush


  2. 確かに限定核戦争は記憶にあります。
    でも決まりではないのですかね。
    もし仮にウクライナ戦争で、ロシアが核兵器を使う場合にどのような段階を得るのか。
    予想するのに、冷戦期の核抑止論が何らかの参考になるかと思いまして。
    似非ハンター



179 三島事件に関してなのですが自衛隊に対して、

「自衛隊に好意的な作家だからといって、真剣を持たせたまま総監に面会させたからこんなことになったのだ。反省しろ。」

といった批判はなかったのでしょうか?
バツ

  1. 同時代を生きたロートルとして

    1. 知人の陸自士官、「あそこまでバかとは思わなかった。好意をもつ者はいたが、三島の高名に無碍にあつかう訳にいかないが俺たちの苦労苦心に見かけだけ同情して勝手な事をいっている、と反発するものも多い。本当に国を想う人間が、あんな利敵行為をするか?」

    2. 総監室に飛び込んで「盾の会」と取っ組み合いした士官は、切られて重傷を負うまで「木刀と思い込んでいた」と証言している。過去に木刀を持ち込んだことがあって、まさか銃刀法違反を堂々と行うとは思わず油断したらしい。何より「乱入」したのであって検問を受けていないと聞いた。

    3. 三島の演説に対して、隊員は「冷淡」な反応を示し、それを称賛する声の方が多かったと記憶する。「あんな極右作家と仲良くするからだ」と言う声は在ったが、三島の名声を考える井無理もないと考える人が多かったように思う。

    以上、私の私見です。
    タンジェント


  2. ありがとうございます。今からみれば警備基準は緩かった(同年のよど号事件では模造刀とはいえ機内に持ち込めた)のでしょうが、それでも不用心すぎないか?、という疑問でした。
    断固として「預からせて頂きます」という態度を貫けば、事件の様相も変わったかな?、と思います。
    バツ


  3. 1.真剣と判っておれば、取り上げられます。当時の新聞記事を読んで下さい。
    2.三島由紀夫の精神状態ですが、精神分裂病ですね。但し、専門の雑誌を読むと、意外に思う(反対する)専門の医者もいるようです(今もそうかは不明)。本人も自覚していて、非東大系の医者にいっていたらしいです(治療していた医者も守秘義務があるので、詳細は不明です)。
    読書家



178 海防艦「五百島」(旧:中華民国艦「寧海」)の艤装図面は見つかっていないのでしょうか?
ググってもガレージキットの組立て説明書の類ばかりで・・・。
(姉妹艦の「八十島」(旧:中華民国艦「平海」)の艤装図はググれば出てくるのですが)

また、中華民国艦時代の「寧海」「平海」の詳細の分かる本・資料などをご存じないでしょうか?
(なお、hush様の「近代世界艦船辞典」の「寧海」「平海」「五百島」「八十島」は拝読させて頂いております。
また「日本巡洋艦史」は旧版(1991版)・新版(2012版)共に所持しております)

以上2点、もしご存知でしたらご紹介頂けると助かります。
宜しくお願いいたします。
Ranchan

  1.  名前を出してもらったのですが、よく分かりません。
     https://web.archive.org/web/20140810210958/http://big5.chinabroadcast.cn/gate/big5/gb.cri.cn/3821/2004/08/26/151@280506.htm
     あたりはどうなのかなと思っていますが。
     すいません、役に立ちませんで。
     
    hush


  2. ご回答有り難うございます。

    ご紹介頂いた文献で驚いたのは、「寧海」と「平海」の備砲の相違についての件でした。
    「寧海」「平海」両艦の建造時の日中関係は緊張・悪化しており建造に悪影響が出ることが心配されていましたが、意に介せず無事両艦は竣工し中華民国海軍に引き渡された・・・と聞いておりましたが、ご紹介頂いた資料では「高角砲や機銃の艤装を日本側が拒否したため『平海』はドイツ製8.8cm単装高角砲などを調達・装備した」となっております。
    (逆に言えば、「平海」の他の武装は無事日本製のものが装備されたということですが)
    勉強させていただき有り難うございました。

    >名前を出してもらったのですが
    お名前を出したのがお気に触りましたのなら申し訳ありません。
    「近代世界艦船辞典」の該当項目に両艦の写真が多数掲載されていたので、「その項目に掲載されている多数の写真は拝見しております」とお伝えしようと思った次第です。
    Ranchan


  3. >お名前を出したのがお気に触りましたのなら申し訳ありません
     気に障るだなんてとんでもないです。名前を出してもらったのに、何も答えるものがなくて申し訳ないという意味です。それでも、多少とも役に立ったようでうれしいです。
     
    hush


  4. 誤りではないが不正確な記述,あるいは誤りがあります

    1)「両艦の建造時の日中関係は緊張・悪化しており...」
    => 南京国民政府,すなわち国民党との関係は,それほど緊張・悪化はしておりません
    国民党,および蒋介石との関係が極端に悪化したのは,張学良が武力で蒋介石を軟禁し,抗日を迫った西安事件の後
    2)「高角砲や機銃の艤装を日本側が拒否したため」
    => 対空機銃 (AA Gun) 用 range finder の輸出を不許可としたことはあります[Tamura1985]
    3) 「ドイツ製8.8cm単装高角砲などを調達・装備した」
    => 建造時,平海の武装は次の通りです [Tamura1985]
    五十口径三年式十四糎砲  連装砲塔 x3
    四十口径三年式八糎高角砲 単装露天砲架 x3
    5.7 cm 単装砲 x4
    この件に関して,Tamura, Toshio. 氏は「Tamura1985] で以下のように考察しています。
    The HA guns aboard Ping Hai were described as German made 8.8 Krupp HA weapons in all Eurpean published articles, books and even in some Japanese published writings.
    The reason for this error can be explained as follows.
    At first, it was attempted to buy range finder for HA guns and AA MGs for Ping Hai through a commercial firm in Shanghai, which dealt with European arms manufactures because of the difficulty of obtainging Japanese equipement.

    参考文献
    [Tamura1985] Tamura, Toshio. “The Chinese Light Cruisers ‘Ning Hai’ and ‘Ping Hai’ (1930-1936).” Warship International 22, no. 2 (1985): 118–31. http://www.jstor.org/stable/44891135.

    ねこねここねこ


  5. >4
    大変遅くなり申し訳ありません。ご回答有り難うございます。
    当方は思い込みでの発言が多かったようで、反省しております。

    ご紹介頂きました資料ですと「寧海」「平海」とも武装配置に相違はあれど、全部日本製の武装を装備していたのですね。
    一般に流通している説でも盲信せず、よく裏付けを取らないといけないようです。

    しかし「寧海」「平海」の姉妹艦は元々は外洋航行には不向きな「沿岸防衛用の砲艦」とでも言うべき艦で、鹵獲され日本に回航された後も適当な仕様用途がなく5年ほど放置されています。
    こんな艦を大改造して船団護衛に充てねばならなかったほど船団護衛艦がなかったんだなあ・・・と当時の日本海軍の苦境を思わずにはいられません。
    Ranchan



177 米戦艦「インディアナ」(BB-58)は一時メジャー32/11D or16D(デザインについては資料によって「11D」だったり「16D」だったので・・・)で塗装されておりますが、右舷・左舷のパターンは分かるのですが平面・正面・後面の塗装パターンが分かりません。

当時の「インディアナ」の写真は多数ありますが、やはり図面で確認したいのです。
(例:ttps://www.history.navy.mil/content/history/nhhc/our-collections/photography/numerical-list-of-images/nara-series/80-g/80-G-100000/80-G-109726/_jcr_content/mediaitem/image.img.jpg/1424204898035.jpg:「ポートランド」型重巡洋艦用のメジャー32/7D塗装指示書)

ご存知であれば紹介して頂ければ幸いです。
宜しくお願いいたします。
Ranchan

  1. お探しの図面は電子ファイルでは公開されていないようです。
    https://en.m.wikipedia.org/wiki/World_War_II_US_Navy_dazzle_camouflage_measures_31,_32_and_33:_battleships

    小生の調べた限りでも、BB-58絡みでは、同型艦の『Camouflage Measure 32, Design 1D』の図面があったのみです。(しかも未使用。)
    https://www.history.navy.mil/content/history/nhhc/our-collections/photography/us-navy-ships/battleships/massachusetts-bb-59/80-G-157914.html

    太助


  2. 遅ればせながら、ご回答有り難うございます。

    そんなに極秘にするようなものでもないと思うのですが、幸い当時の「インディアナ」の写真は多数残されていますので、写真とにらめっこするしかないようですね・・・。
    Ranchan


  3. 公開はされているでしょうが、紙・フィルムからの電子化が遅れてるのかと思います。(たしかに極秘案件とは違いますね)。米国市民権をもたない身に紙資料を漁らせてくれるかは微妙だし、当面は現状の資料とにらめっこですね。

    p.s.日本の防研資料の電子化・Webでの公開はどうなったんだろう?


    太助



176 魚雷は大人になってから〜を読ませていただいてから、
ずっと水中魚雷発射管、特に艦首の魚雷発射管があげた戦果について調べています。
が、ネット上では日本語で検索をかけても出てこないみたいで、bow underwater torpedo tube で検索してみてもうまく出てきません。
潜水艦のものであるbow torpedo tube ばかり出されて困っています。
どなたかいい塩梅の検索ワードをお知りでないでしょうか
Aki/c

  1.  キーワードをということですが、私なら https://www.deepl.com/translator のような翻訳サイトで水上艦艇による水中魚雷発射管の使用例というように適当な日本語を打ち込んで出てきた英訳Examples of underwater torpedo tubes used by surface vessels等でGoogle検索します。もちろん、他の言語でもOKです。
     ただ、私の知る限りではロドニーがビスマルクに発射した以外に該当する成功例はないと思っています。というのは、北岬沖海戦におけるシャルンホルストは水上発射管を使用しておりますし、沈む前のフッドがビスマルクに魚雷を発射したというのも否定されているからです。そうしますと、第2次大戦で水中魚雷発射管を残しているものはほとんどなく、しかも、雷撃を実施できる状況はほとんどないので、それ以前となります。しかし、ジュットランド沖海戦で英独双方の主力艦が十数本撃っていますが、1本も命中していませんので、成功例が他にあるのだろうかと思うのです。
     
    hush


  2. hush様回答ありがとうございます。
    今は日本語で検索できる時代になっていたのですね…

    しかし水中発射管はやはり駄目だったんでしょうか…
    艦が魚雷のための機動をとってくれそうな巡洋艦とかもしかしたらあったんじゃないかなと思ったんですが。
    水雷巡なんて艦種があったくらいですし…探してみます。重ね重ねありがとうございます。
    Aki/c


  3. >水中発射管はやはり駄目だったんでしょうか
     誘爆の危険性と、水密構造の面倒さや脆弱性を考えると、水上発射管のほうが楽です。したがって、水中発射管にしなくてはならなかった唯一の理由である魚雷の脆弱性、水面突入時に壊れる、さえクリアできれば、こだわる必要性はありません。
     日本の巡洋艦の発展史を見ていますと、水中から中甲板、そして、上甲板というように移動していますが、これが如実に表していますね。
     
    hush


  4. 水中魚雷発射管は考えただけでも水密構造や被弾時の脆弱性が辛そうです。
    実戦だと使いにくいでしょうし。射角を考えると船の運動も制限され、さらに速度もあり過ぎると真っ直ぐ射出できないかもしれませんし。
    シュワルツコフ魚雷が日清戦争で使用されてますが、魚雷艇でのものですし。衝角攻撃を交わしざまに発射とかも無かったのでしょうか。

    一応はっきりしてる戦果としましてはエムデンがロシアのジェムチェクに2発当てているのは確認できましたが、停泊中のものでした。

    格上との戦闘に備えての装備…みたいな記述が多いみたいですし水上発射管ができるまでは海戦での使用は難しかったのかもしれません。
    もし使えるなら連装水中魚雷発射管片側3門装備みたいな艦がいていいはずですし…

    Aki/c


  5.  なるほど、エムデンの例がありましたね。すっかり失念しておりました。
     一応、こちらも当たってみましたが、うまく見つけられませんでした。
     巡洋艦あたりであるかもしれません。
     
    hush



175 WW2時〜戦後のアメリカ重巡洋艦(特にバルティモア型)について説明された書籍をご存じないでしょうか?
なお、写真や図面重視で、各艦の艤装・兵装の変化が理解できるものをご紹介頂けると助かります。

宜しくお願いいたします。
Ranchan

  1. Ranchan様には先刻ご承知かも知れませんが、日本語で書かれた文献なら、少し古くなりますが「第二次大戦のアメリカ軍艦:1984年」「アメリカ巡洋艦史:2016年」(共に海人社刊)くらいでしょうか。
    備後ピート


  2.  書籍はBaltimore class cruiserで書籍検索をするとヒットするものはありますが、所持していないのでよく分かりません。ただ、写真で各艦の艤装・兵装の変化を御覧になりたいのなら、 http://www.navsource.org/archives/04idx.htm で探すという方法もあります。多分、御存じだとは思いますが。
     
    hush


  3. ご回答有り難うございます。

    「ウィチタ」(CA-45)以降の米重巡は戦没艦もなく写真も多いので、その手の書籍(当然洋書)は結構多いのだろうと思っていたのですが、案外穴場なんですかね?
    (「French cruisers 1922-1956」という本を所持していますので、「米巡洋艦に比べてマイナーなフランス巡洋艦でこれだけの本があるのなら・・・」と思っていました。出版社の「seaforth cruisers」でググっても英タウン級巡洋艦やイタリア重巡洋艦の本は出ているようですし・・・)
    Ranchan



174 太平洋戦争期に活躍した艦のうち、利根、筑摩、島風、大鳳など比較的新型で画期的な性能を有する艦は舞鶴鎮守府に艦籍を置く例が多いように思えます。

これは舞鶴鎮守府が軍縮条約の撤廃により復活した新しい軍港だったため、急速にその所属艦(内容)を呉、佐世保、横須賀に匹敵するように充実を図ったためでしょうか?

それとも開戦とすぐに連合軍潜水艦の跳梁が始まっていて、新型艦の公試には日本海側の方が安全かつ都合が良かったのでしょうか?


備後ピート

  1. 開戦とすぐに連合軍潜水艦の跳梁が始まっていたとは、本当でしょうか。
    □ □


  2. 大鵬に関して言えば、神戸の川崎造船で建造された後、瀬戸内海や大阪湾でなく、わざわざ日本海で公試をしたのでしょうか。そして、また瀬戸内海で訓練をするのでしょうか。
    □ □


  3. 質問と回答がまったく嚙み合ってないような・・・
    かめ


  4. 他の例を挙げるなら、利根は横鎮所属です。何でもかんでも、いい加減な質問をするのは止めて欲しいですね。
    UK


  5. UK様。利根と筑摩は1939年11月に横須賀鎮守府から舞鶴鎮守府に転籍しています。よく調べもせず何でもかんでも、思い込みでいい加減な回答(にもなってない茶々)をするのは止めて欲しいですね。
    備後ピート


  6. 大鳳などの艦は、建造が神戸で行われたとしても、最終的には呉に入渠してそこで艤装が完成されます。完全な竣工は呉でであり、公試も内海西部です。
    大鳳は日本海には入ったこともないまま沈んでいるはずです。
    とのように、艦籍がどこであっても、行動にはほぼ関係していません。

    天龍 龍田 木曽 長良 名取 利根 筑摩 龍鳳 日進 蒼鷹などが新設の舞鶴鎮守府に移籍され、その後も大鳳などがそこに艦籍を置くことになるのは、他鎮守府に対する事務能力のキャパシティの問題だろうと思います。



173  号令について質問します。

 中世〜近世の欧州でパイクを装備する部隊が行軍する時、長くて重いパイクを担いだままだと疲れるのであえて引きずっていました。この、兵士たちにパイクを引きらせるための号令は多分英語だと「Trail Arms」になると思うのですが、これの日本語訳、あるいは日本語版は何になるのでしょうか?
おうる

  1.  戦国時代の長槍の図の中に穂先の下を持って、槍を引きずるものがあるそうですので、日本でも同様のことをやっていたようです。ただ、そのようにする命令等は管見の限りでは見当たりませんでした。
     Trail Armsは下げ銃と訳されていますが、少なくともナポレオン戦争時のイギリス軍で使われているようです。したがって、銃ではない言い方があってもいいのでしょうが、見当たりませんでした。
     あまり訳に立たなくて申し訳なく思っております。
     
    hush



172 ロシア軍がウクライナで燃料帰化爆弾を使ったようです。
「非人道的な被害をもたらす兵器として国際条約で規制されている。」
との記載がありますが、そんな規制有りましたっけ?
確か米軍もアフガンでサーモバリック爆弾を、洞窟に潜む敵を攻撃するために使ってたと記憶しています。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB0125E0R00C22A3000000/
似非ハンター

  1.  アメリカの発表はジュネーブ条約違反と言っていますので、焼夷兵器の使用の禁止又は制限に関する議定書 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/arms/ccw/ccw.html ではないかと思われます。
     どこで使ったのか分かりませんが、人口稠密地域ならそういうことになります。
     
    hush


  2. ありがとうございます。
    つまりサーモバリック爆弾は、戦時国際法的には焼夷弾扱いだから、人口密集地に使うと違反ということですね。
    この記事からだけではわかりませんでした。
    似非ハンター



171 騎兵操典について伺います。
襲撃の命令は

襲撃に・・・襲え

ですが、この「に」はどういう意味なのでしょうか。

たとえば、各個に・・・巻き乗り であればわかりますが・・・

  1.  この「に」は、手段。方法を表す格助詞で、今なら「によって」と表記されるものかと思われます。私が見た「騎兵操典」は、国立国会図書館でデジタルコレクションで公開されている明治24(1891)年出版のものですが、その第168には「第何小隊砲撃に」と予令を出し、「砲撃を開け襲へ襲へ」とありますが、これも「によって」と言い換えると、文意が通じやすいと思います。この時代ですと、言文一致運動も緒についたばかりの時期のものですので、文語で命令をしていても不思議ではないと思われます。
     
    hush


  2. ありがとうございます。
    なるほど、文法的にはなんとなく理解しました。

    ですが、それが続いた理由は何でしょうか。
    手元の明45操典、昭3須知、昭6便覧とも「襲撃に・・・襲え」は共通ですが、
    襲撃に・・・で、押伍が隊列に吸収されるところまでは同じですが、歩度を伸ばせとするのは昭3年までで、昭6では歩度伸ばせは削除されています。
    号令の中身を変えているわけで、号令自体も昭和の語感に合わせ、かつ、怒鳴った際に聞き取りやすいよう変えてもよいように思うのですが・・・

    各個に、巻き乗り、を例にすれば、
    各個に、の「に」は言い切り型になり、巻き乗〜りと続きます。
    でも戦場での襲撃に、は、言い切り型でなく、襲撃にぃ〜になるように感じられ、聞き取りづらそうです。
    たとえば襲撃用意/襲撃準備等のほうが聞き取りやすいように思われるのです。
    「襲え」も聞きづらそうです。

    大正期に自殺者だした襲撃論争等が影響していたりするのでしょうか。
    他方で(機甲になって間に合いませんでしたが)、今村先生が持ち帰ったカプリリ方式を馬術教範に取り入れ、遊佐先生も弟子の今村先生に習ってカプリリ方式での飛越をする等、柔軟なところもありますし・・・





  3.  専門用語が並んでいて、私にはほとんど理解不能であり、襲撃論争も、今村先生も存じていませんが、1931年の騎兵教程に収められた騎兵教範を見て、仰るように「襲撃に」で終わっていることは確認しました。その上で考えたのは、とりあえず「襲撃に」という予令で来ていて、特に問題を感じなかったということなのだろうということです。ならば、みだりに号令を変更するほうが問題だということになると思います。もちろん、聞き間違いをしやすい号令は論外でしょうが、聞き取りにくい程度なら、そのまま通したほうが問題が少ないと考えた結果なのでしょう。
     
    hush



170 日本海軍の航空機に付けられた略符号(A6MやH8Kみたいな)は何時頃から採用されたのでしょうか?
陸軍のキ番号は導入以前の機体には付されていないのに対し、海軍機は導入以前の機体にも遡って略符号が付与されているとしか思えないので……。
ご存知の方がおられましたらご教授頂きたく、宜しくお願い致します。
元自

  1. 略符号に関する令達は残っていませんが、その使用は昭和十三年から始まります。
    BUN


  2. BUN様、回答ありがとうございました。
    昭和十三年から導入という事は後の月光や雷電になる戦闘機分類が性能標準として形になった頃と同時期なのですね。
    元自



169 一昔前に見た『架空機の館』というサイト。
数年ぶりにアクセスしようとしたら
いつの間にかサイトそのものが無くなっていました。
陸海空様々なオリジナル架空兵器が見られて、面白いサイトだったのに
お絵かき帳以外、消えてしまったのが本当に残念です。
どなたかアーカイブなど、もう一度見られるサイトをご存じありませんか?
天手力男

  1. インターネットアーカイブで2017年10月6日までは見られました。
    使い方は以下のurlを参照してください。
    https://warp.da.ndl.go.jp/contents/reccommend/world_wa/world_wa02.html
    774


  2.  興味深いものを紹介していただきありがとうございます。
     今にして思えば、ここを使用した思われるものは見たことはありますが、このようなものがあったとは、全然、存じませんでした。
     質問者ではありませんが、篤く御礼申し上げます。
     以前、伝言板に情報を求められた方もおられましたが、ここの検索窓に http://warbirds.jp/index1.html を打ち込み、適当な時期を選べばいろいろなものが見られますね。
     
    hush



168 太平洋戦争時の日本海軍主要艦艇(巡洋艦以上、できれば駆逐艦以上)の艦名と艦籍(所属する鎮守府名)が分かる一覧表のような資料は無いでしょうか?画像検索の時のように1隻ずつ調べるのに疲れました。適当な資料があればぜひともご教授お願いいたします。



備後ピート

  1.  駆逐艦は隊番号で分かりますね。
     https://geolog.mydns.jp/www.geocities.jp//boat_sparrowhawk/dg01.html
     
    hush


  2. Webで「日本海軍 艦艇一覧」で検索してTop3あたりが下記になります。
    ウィキ
    ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%89%A6%E8%89%87%E4%B8%80%E8%A6%A7

    1936年(昭和11年)〜1945年(昭和20年)8月当時の艦艇一覧
    ttp://www.jyai.net/military/parts_ship/list.htm

    大日本帝国海軍艦艇一覧
    ttps://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%89%A6%E8%89%87%E4%B8%80%E8%A6%A7_%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%89%A6%E8%89%87%E4%B8%80%E8%A6%A7%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81

    上記に「所属 鎮守府」を加えると・・
    ttp://xn--ww2-523es33s4hr4hk.jp/list-warships.htm

    や、Yahoo!知恵袋
    ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12129992267?__ysp=5pel5pys5rW36LuNIOiJpuiJh%2BS4gOimpyDmiYDlsZ4g6Y6u5a6I5bqc

    と、いった回答があります。
    私も低所得40代の万年へっぽこモデラーですが、小学生の頃〜所帯持ち後のやりくりが功(災い?)を奏し、買い溜めた書籍(とプラモ)が積もり積もって自宅2階の床が抜けそうになってます。
     
    今ではコンビニ本でも情報量豊富なものがあり(例:学研刊 歴史群像編集部編「帝国海軍艦艇ガイド」2008.12.20第一版)や、艦船模型を嗜まれておられるなら「ウォーターラインガイドブック」巻末にも個艦要目や鎮守府は無けれど一覧や戦時編成を掲載しておりますので、紙ベースでも何冊かお持ちになることをお勧めします。
    Webですと「翌日、突然閉鎖」される場合もありますので・・
    ジョナサン2


  3. ↑の回答から私も気になって追加で調べたところ、よくお世話になっている『桜と錨の気ままなブログ』さまのところに「艦艇、特務艦本籍別一覧表(昭20.2現在)」がここ最近の更新で掲載されております。
    ジョナサン2


  4. >3
     フォロー多謝。
     その表の選択基準がよく分かりませんが、その時点での在籍艦艇すべてでも、すべての艦艇が網羅されているわけでもないようです。そこで、漏れている軍艦籍の艦艇について拙ページ等から拾ってみました。ただし、竣工時を基本にしていますので、転籍している場合もありますし、若干、怪しいものをソースにしている部分もありますので、訂正して下さる方がおられました幸いです。
     
     横須賀鎮守府 冲鷹.秋津洲.天龍.
     呉鎮守府 飛鷹.雲鷹.大井.球磨.神通.
     佐世保鎮守府 大鷹.川内.龍田.那珂.長良.名取.由良.夕張.
     舞鶴鎮守府 神鷹.日進.
     
    hush


  5.  アジア歴史資料センターの検索窓に「艦艇 本籍別一覧表」と打ち込むといろいろ出てきます。
     「艦艇本籍別一覧表」だと大正時代のしか出てこないので。検索する言葉やスペースの配置を工夫する必要があるようです。
     したがって、4に示した表よりもきちんとしたものが簡単に出せますので、こういうものを作る必要もなかったわけです。
     失礼しました。
     
    hush


  6. hushさま、補足ありがとうございます。アジ歴にもあるんですね。
    検索のアドバイスまで掲載いただき(質問者でない)私も非常に参考になります。
    ジョナサン2


  7. >6
     鄭重な御礼畏れ入ります。より確かなことは、 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/result?DB_ID=G0000101EXTERNAL&DEF_XSL=default&ON_LYD=on&IS_INTERNAL=false&IS_STYLE=default&IS_KIND=summary_normal&IS_START=1&IS_NUMBER=20&IS_TAG_S51=iFi&IS_KEY_S51=F2012072716205555530&IS_EXTSCH=F2006083118101851446%2BF2006090101382792715%2BF2007112716582002416%2BF2012050113595553617&IS_ORG_ID=F2012072716205555530&IS_SORT_FLD=sort.refc&IS_SORT_KND=acs&DIS_SORT_FLD=sort.refc
     アジア歴史資料センター>防衛省防衛研究所>海軍一般史料>0法令の内令を観てもらえればと思いますが、全部が残っているわけではないようです。
     
    hush


  8. hush様、ジョナサン2号様、御礼が遅れまして大変すみません。そもそもは同一戦隊の所属艦でありながら、平時の所属鎮守府が違う艦があるのを不思議に思って調べだしたものです。ありがとうございました。

    プラモの世界では知られた事ですが、母港の海軍工廠の違いによって、軍艦色のグレイの色味が違ってきたりするもので…。
    備後ピート


  9. >8
     鄭重な御礼を賜り恐縮致しております。
     http://hush.gooside.com/index/Nations/Nihon.html
     こういったものを作ってみました。
     ご利用いただければ幸いです。
     
    hush


  10. >9
    hushさま、ありがとうございます。
    艦種ごとの分類で戦艦から海防艦、特務艦、輸送艦に至るまで・・
    艦籍も掲載(確定でない場合“〜と仮定”)があり、本質問に対する回答の極致だと思います。
    このような形で過去ログを残すことが大切なのですね。
    ジョナサン2



167  古代ローマ軍の日本語資料について質問です。

 軍に限った話じゃないですけど、古代ローマに関連する書籍などを見ると当時の名詞についてカタカナで表記する例が多々あります。ですが、それが元々のラテン語の単数形を使ってたり複数形を使ってたりするのは何故なんでしょうか?

例えば重装歩兵は一般に「ホプロマクス」と表記されますが、これはHoplomchusのカナ表記で単数形です。
軍団兵も「レギオナリウス」と表記されることが多いようですが、単数形のLegionariusのカナ表記です。

しかし、騎兵/騎士は一般に「エクィテス」と表記され、これは元のラテン語ではEquitesでEquesの複数形です。
軽装歩兵は一般に「ウェリテス」と表記されますが、やはり複数形のようです。
首都警衛隊、あるいは警察消防隊と訳される「ウィギレス」はVigilesでVigilの複数形です。

エクィテスはまだ騎兵という兵科のみならず騎士階級の身分を現すこともあるので、複数形の方が使われるのもわからなくもないのですが、ウィギレスやウェリテスが複数形な理由がイマイチわかりません。
何故、古代ローマの資料の名詞は単数形や複数形が入り混じっているのですか?
おうる

  1. 中世イタリアの都市国家時代の資料でも単数形と複数形が入り乱れます。
    なので、あまり気にしていなかったのではないかと言うのが私感です。

    まぁ、これも完全なる私感ですが、古代ローマ人は最後に「ス」付けるの好きだよねというのはありますね笑

    回答になっておらず、雑談レベルで申し訳ないです。

    じゃんご


  2. >>1 回答ありがとうございます。

     ネットで漁る海外の史料でも複数形と単数形が入り混じってる状態だったので単にそれに引きずられているのかもしれませんね。
    おうる



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