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272 日本海軍のレーダーが遅れていた根拠にされる、海軍士官が言った闇夜の提灯論って誰が何時何処で言ったのでしょうか?
自分的には探照灯使ってる癖に電探がどうとかって言うとは思えないのですが。
凡人

  1.  闇夜の提灯というのは、レーダーでも探照灯でもなく、無線通信を行えば探知されるということだと思いますが。
     
    hush


  2. ネットや本などで、よく日本海軍のレーダーに対する無知の根拠として目にするので不思議に思ってたんです。
    凡人


  3.  御免なさい、勘違いしていました。
     1936年11月海軍技術研究所電気研究部第1科主任に着任した谷恵吉郎造兵大佐が電波による索敵兵器の実現の可能性を指摘したところ、部長の向山均造兵少将から暗視装置のほうが重要であると反対されたそうです。
     ただし、 https://core.ac.uk/download/pdf/38195542.pdf によると、用兵者の意見によってとありますので、「暗夜の提灯」と言ったのは、部長ではなく、用兵者のほうかもしれません。
     
    hush


  4. 拝見しました、ありがとうございます。
    暗見装置って電探よりも開発の目処が立っていたのでしょうか?
    それと対空へ応用すると言う発想が無かったのは、当時まだ航空に対する理解が乏しかったのでしょうかね?
    凡人


  5. すみません、96式艦戦や96式陸攻やらを作っているのに、航空に対する理解が乏しいはなんかおかしいような気がしました。
    凡人


  6. 海軍電気技術史第5部(http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/nav_elec_his/nav_elec_his_part5.pdf)36ページからの引用です。片仮名は平仮名に直しています。

    第10項 見張用電波探信儀の整備

    1 概説

    電波探信儀の研究並びに整備に本腰を入れ始めたのは開戦直前の昭和16年6月頃からである。其の以前にも之に類似の研究は細々と行われては居たが、飛行機の様な小さな物体から100キロ以上も遠方から電波の反射が戻って受信機に感ずる程度の強さを与えるとは考えられず、僅かに軍艦の様な大きな物体に対して而も僅か1000米か2000米程度の距離ならば出来得るであろうと云う観点に立って研究が進められて居た。

    以上引用終わり

    技術者側から遠距離探知は難しそうだと説明されていたのなら航空に対する理解度の問題ではないように思います。
    名無し


  7. >4
     暗見装置はハンガリーのカルマン・ティハニが防空向けの最初の赤外線感知TVを1929年にイギリスで発明しています。
     
    hush


  8. 名無し様、hush様ありがとうございます。
    暗視装置は結構早くから使用されているのですね。
    それと初期のレーダーならそんな遠くの敵が見えにくいのは何となく解るような気がします。
    凡人



271 イギリス陸軍について、中村明が、英文学者の福原麟太郎のエッセイを引用し、次のように述べています。
1.<「毎年議会を開いて、臨時に陸軍を置くという決議」をし>
2.<ナポレオン戦争のときの教訓から「英国陸軍の大演習というのは、退却の演習」になった>
歴史を重んじるイギリスなら有り得るかな、とは思いつつも、
1.2ともに正しいですか?


park123

  1.  1については、正しいです。というのは、イギリス海空軍はRoyal Navy、Royal Air Forceで王室の支配下にある常備軍ですが、陸軍だけはBritish Armyで、現在も議会が臨時に召集、編制するものとなっています。もっとも、これは建前だけのものですが、1688年の権利の章典Bill of Rightsで議会の同意なき平時の常備軍の禁止が盛り込まれて以来、そのようになっています。
     2についてはよく分かりません。Beating Retreatあたりのことを書いているのかなとも思いますが、ナポレオンをセント・ヘレナに送り込んだのは、ワーテルローでウェリントンの率いるイギリス軍が勝利したからですので、退却ばかりをしていたわけではありません。
     ただ、福原麟太郎って誰と思って調べたら、学生時代にチェスタトンを訳したとか、「緋文字」の訳者とか出ているので、そのような英文学の泰斗があまりいい加減なことを書くとは思えませんし、1が正しいのなら、2も正しいのかもしれません(すいません、いい加減で)。
     また、インパールで旧日本陸軍が奥地に追い込まれて潰されたのは、イギリス軍の退却のうまさによるものですし、ダンケルクでも水際立った退却を見せています。それを考えると、もしかしたらと思わないでもないです。
     
    hush


  2. hush様へ
    早速のご回答ありがとうございました。
    1.<1688年の権利の章典Bill of Rightsで議会の同意なき平時の常備軍の禁止が盛り込まれて以来>、<陸軍だけはBritish Armyで、現在も議会が臨時に召集、編制するものとなっています>なのですね。1688年の決議?が今でも有効に残っているのですね。
    2.<もしかしたらと思わないでもないです。>ですね。<退却のうまさ><水際立った退却>があるのですね。転進とか玉砕とかとは違った、思想があるのですね。
    丹念に調べて頂きまして、イギリスの深さや古さを知ることができ感謝します。


    park123



270 日本海軍の将校は、公共の場では陸軍の将校より二階級上の立場だったと聞きましたが本当ですか?
もし仮に本当であればどの話なのかも教えてください。
凡人

  1.  明治初期において海陸軍だった時代はありますが、それ以外は、陸海軍ですので、たとえば「官報」に人事が載る場合、常に陸軍、海軍の順番で、陸軍将官、海軍将官の後、陸軍佐官、尉官、海軍佐官、尉官となります。また、その中に皇族がいても同じです。
     したがって、そのようなことはまずありえないと思っておりますが、どこでそのような話をお聞きになったのかのほうが興味があります。
     
    hush


  2. ニコニコ動画で日本海軍は陸軍を軽んじてたと言ってる人がいて、じゃあ事例一つ出したら?って聞いたら
    「実際、公共の場では海軍将校は陸軍の二階級上の将官と同じ扱いだった。ハイ論破。」って言われました。

    凡人


  3. URLや動画タイトル送った方がよろしいですか?
    凡人


  4. >2
     早速の御教示ありがとうございます。
     この3月に出た藤井非三四著「なぜ日本陸海軍は共に戦えなかったのか(光人社NF文庫)」には、陸海軍が互いを軽んじていた様子は描かれていますが、そのようなことは出てこなかったと思います。
     宮中席次でも陸軍大将、海軍大将となっており、その方も実例を出せないのではないかと思っています。
    >3
     いや、もういいです。ありがとうございました。
     
    hush


  5. 此方こそ、回答して頂きありがとうございました。
    凡人


  6.  想像ですが・・・

     英語のCaptainが海軍だと大佐で陸軍だと大尉だとか
     Lieutenantが海軍だと大尉だけど陸軍だと中尉だとか

     そういうところから来る勘違いなんじゃないですかね?
    おうる


  7. ニコニコ視聴者が英語読めるとは思いませんが………。
    何処かで又聞きしたのを勘違いしたかも知れませんね。
    まぁ仮に英語だとしても、日本軍と混同してる時点で論外ですけど。
    凡人



269 旧ドイツ国防軍の野戦憲兵(Feldgendarmerie)やSSの親衛隊野戦憲兵隊(SS-Feldgendarmerie)は憲兵隊所属を示すゴルゲットを首にかけていましたが、どういった理由でゴルゲットを身に付けるようになったのでしょうか?
キルケゴール

  1.  おそらくは、目立たせるためでしょう。つまり、権威付けです。
     旧日本軍が白地に赤字で憲兵と書いた腕章をつけていたのも同様です。ただ、ナチスの場合は復古趣味がありますので、このように仰々しいものになったのではないかと思っています。
     なお、Gorget自体は騎士の鎧の喉あてから変化したものですが、1688年にスウェーデン軍が使用したのを嚆矢として、各国で使われ、ワシントンの肖像画 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/Washington_1772.jpg にも描かれています。もっとも19世紀ごろまでには各国とも廃止していますが、帝政ドイツの一部部隊で1914年まで使用されていたそうです。
     
    hush


  2. 〉hush様
    おはようございます。ご教示大変参考になりました。国防軍の兵員からは軽蔑を込めて「ケッテンフンテ」と呼称されていたという話を聞き興味を持った次第です。ゴルゲットが使用されるようになった経緯、参考画像(ワシントン肖像画) まで御提示くださり大変感謝いたしております。詳しい解説、ありがとうございました。
    キルケゴール



268  「アニメを見る兵士が多い部隊は、戦争犯罪の発生率が低くなる傾向がある」という話をネット上で見かけたのですが、何かそういう統計結果みたいなものはあるのでしょうか?
 ググっても見つからないので「駄法螺かなぁ」と疑ってるのですが・・・
おうる

誰か答えて下さい。

267 日本で軍と警察が分離したのは明治維新(のちょっと後)において、という理解でよいのでしょうか?
satoski

  1.  1871(明治4)年10月23日に「府下取締として邏卒三千人被備置候」と太政官布告が出ているのが、警視庁の始まりです。これは、それまで治安維持に当たっていた藩兵の統制がとれなかったことの反省の上に立っており、うち2000人が旧薩摩藩士だったそうです。
     「日本で軍と警察が分離した」というのが、軍から警察が分離したという意味でしたら、上記のようにもともとが別組織となりますので、疑問としか言い様がありません。ただ、警察権が軍から取り上げられたという意味でしたら、上記の1871年ですので、御質問の通りかと思われます。
     なお、邏卒は後に巡査と改称し、西南戦争では別働第3旅団として従軍しています。
     
    hush



266 WWIのドイツ海軍の『Reichsmarineamt』ですが、資料によって海軍省、海軍本部と表記はまちまちです。
WWIIのOKMみたいな海軍の戦争指導を一手に担っていた組織なのでしょうか?

また、この組織名を海軍省と定義する場合、過去に日本にもあった海軍省や、アメリカ海軍省とは性格を異にする組織と解釈してもいいのでしょうか?
GUY

  1.  https://www.translatetheweb.com/?from=&to=ja&ref=SERP&dl=ja&rr=UC&a=https%3a%2f%2fde.wikipedia.org%2fwiki%2fReichsmarineamt
     Reichsmarineamtの翻訳です。
     
    hush


  2. ありがとうございました。
    GUY



265 他の部門の所でも質問しようかと思っている事なんですが、レイテ沖海戦時の各艦隊、各戦隊、各駆逐隊の司令部構成をご存知ないでしょうか?
アジア歴史資料センターで探してみたのですが、探しかたが不味かったのか見つかりませんでした。
凡人

  1.  たとえば、「日本海軍編制事典(2003年芙蓉書房出版)」には1944年8月15日現在の各艦隊、戦隊、駆逐隊の指揮官、参謀等は載っておりますので、そこを起点にして辞令広報を調べていけば分かると思います。
     
    hush


  2.  とりあえず、第5艦隊(志摩艦隊)の司令部を作ってみました。
     http://hush.gooside.com/Order/GF/5f.html#anchor28393
     間違い等もあろうかと思いますが、御容赦下さい。
     
    hush



264 皆さま、お世話になります。大東亜戦争当時、各衛戍地から出征した後の衛戍地についてなのですが、これらの師団司令部や旅団司令部は、ほぼ 無人になったのでしょうか。幾許かの衛兵が警備に当たっていたのでしょうか。私の住んでいる近辺に第24連隊の 衛戍地の跡地がありまして、ふと疑問に感じてしまいました。ご存知の方、お詳しい方、お教え頂ければ幸いです。
愛宕の社

  1.  師団出征時には留守師団が置かれ、留守師団長以下が任命され、出征部隊等への兵員補充、新兵の徴集や教育、担当する管区における防衛や警備などの業務を担当することになっています。
     なお、アジア歴史資料センターのリファレンス・コードC04123783600で留守師団司令部の編成が出てまいります。
     
    hush


  2. hush様
    迅速なご教示、ありがとうございます。衛戍地を出征した後はお教えのような措置がとられているのですね。大変ためになるお教えをお聞き出来勉強になりました。幼い頃何気なく遊んでいた24連隊跡地ですがお教えのような事を慮ると感慨深い思いになります。ご紹介のサイトでございますが、大変興味深く参照させていただきました。隅々まで閲覧したくなるすばらしい資料ですね。このようなサイトまでご紹介いただき本当にありがとうございます。
    愛宕の社



263  玉音放送の「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」のくだりですが、太平洋戦争開戦直後に東条英機や早大の総長が逆順で言っています。これは偶然なのでしょうか?それとも迫水久常らの記憶にあり、それを使ったのでしょうか?
http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/pm/19411216.SWJ.html
https://chronicle100.waseda.jp/viewer.php?img_name=3_1040.jpg
バツ

  1. もともとは達磨大師の「行じ難きを能く行じ、忍び難きを能く忍ぶ」で、成句になっていたのではないでしょうか。


  2.  さらに出典があったんですね。検索でも色々出てきました。ありがとうございます。
    バツ



262 第二次世界大戦のときのドイツ軍の重機関銃大隊について教えてください。重機関銃が集中配備されてるイメージですが、例えば師団の中でどのような働きを期待されていたのでしょう。トブルク包囲戦で大8重機関銃大隊が大きな損害を受けたエピソードを読み、そういえば、重機関銃大隊ってあまり聞き慣れないな、初めに突撃した様子なのになぜ歩兵大隊じゃないのかなと思った次第です。
Jack

誰か答えて下さい。

261 もし現在の日本が他国と戦闘状態に陥ったら、どの位の戦争遂行能力があるのでしょうか?精神的な事は抜きにして資源や兵力はどのくらいの期間の戦闘に耐えられるものなのか教えて下さい
おモチ

  1.  冷戦当時の話なので「現代」に含めていいかどうかわかりませんが、国会でソ連の侵攻を想定して似たような質問をされた国防長官が一週間程度は持ちこたえて見せるとか回答していました。
    おうる


  2. 日本に国防長官という役職はないはずです。
    Mk.63 GFCS


  3. 某所で突っ込まれていた様に前提条件無しには難しいものがあります
    例えば、米国とは密接な関係にありますから、かの国が参加するしないで大きく変わって来ます(微妙に言い方を濁してますが)
    今、一番可能性が高いであろう島嶼防衛戦でも、どの島?でもかわってきますし、本土侵攻でも国によって上陸作戦能力が大きく変わってくるです(さらに微妙)
    危なくて答えられない設定で無い限り、条件をつければ回答してもらえると思うですよ
    がちょう


  4. 回答ありがとうございます
    では上記の質問に相手国は中国で、アメリカの参戦はなし、また核の使用はないものとして諸島戦の想定としては対馬という条件をつけるとどうなるでしょうか?
    色々稚拙ですみません
    おモチ


  5. あのぅ、対馬に設定するのはヤバイんじゃ?
    某国の方々が土地を買いあさり、買い占めが終ったらウチの国のもんじゃーとやってるらしいので。日本の国の法の下で認められた所有権であるから、そんなことが認められるハズが無いのだが本人達はわかってて言ってるかもしれない所が厄介。
    また、日米安保下で対馬に中国が侵攻となるとアメリカは黙ってないんじゃ?
    というか半島を占領せずに、日本本土とも韓国とも激近の対馬へ直接侵攻するなんて、両国の航空基地を黙らせないと。
    と、ネガティブファクターが多いので、そういったシナリオは想定されておらず、どの程度耐えられるかは見積もりをしていないんじゃないでしょうか。
    自衛隊の想定するシナリオでは、どの程度もちこたえられるとみているのでしょうか?とかの方が回答を得られやすいと思います。
    で、私も答えが知りたいのでご存じの方がいらっしゃれば教えて欲しいです
    普段はROM



260 何故、天皇家はこんなに長く続いているんでしょうか?現在の天皇陛下は明治になって、反徳川の為に奉り上がられて陸海軍を統括する神様なってからです。それが戦後には象徴になっています。初期天皇の頃は、大和朝廷を平定した為政者であったはずです。それが武士の時代になって、本来ならこの時期に滅んでもおかしくない存在だったと思うのですが、それが何故ほそぼそでも日本の中枢として君臨することが出来たのでしょうか?
直改仁香

  1. 武士の時代になって〜の件についてですが、鎌倉・室町・徳川の各幕府は朝廷(天皇)から征夷大将軍に任命されています。安土桃山期の秀吉は関白ですね。
    権威付けに利用してから滅ぼそうにも、武家の中にも少なからず尊皇の家はありますし南北朝以降はその辺のからみの因縁もありますから、うかつな事は出来ないんじゃないでしょうか?

    普段はROM


  2. とんでもなくむつかしい問題で、日本史の重要なテーマの一つといっても過言ではないくらいですから、はっきり言って「わからない」が正解でしょう。
    ただし武士の時代になったからと言って天皇家は一気に力を失ったわけではなく、鎌倉時代は幕府と天皇家の二重政権の様相を呈しており、特に西日本において天皇家は侮れない力を有していました。また後醍醐天皇という特異な天皇の存在があったとはいえ、天皇家は鎌倉幕府を打倒することのできる力を有していたのです。
    7j6hkvs


  3. 武家の多くは極めて遠いながら皇家に祖を持ってます。(その様に信じていたり都合上そういう事にしているケースも含め)
    これは大名等の家臣そのまた家臣にも言えて、皆が尊皇ではないにせよ滅ぼそうとすれば足元が崩れるおそれもあります。
    また滅ぼそうとする勢力に敵対勢力がいれば勢力糾合の口実にされて、それなりの力を持つのは確実でしょう。敵対勢力の無い安定状態なら反乱を誘発しかねないですから薮をつつく事などせず、害が無い限りは権威を利用するのが得策というものでしょう。
    普段はROM



259 日本の海軍軍令部について質問します。

「軍令部」という名称はどういう経緯(由来)で決まったのですか?
軍令部は英語ではGeneral staff officeで参謀本部の英語表記と同じですし、明治20年代ぐらいまでは海軍参謀部や海軍参謀本部という名称が用いられていました。
それが「参謀部」や「参謀本部」から「軍令部」という名称に変更され、海軍から「(陸軍参謀本部と同格にするため)免償を参謀本部にしたい」と上奏されたのも却下されています。

1、「軍令部」という部署名(単語)の由来について教えてください。
2.「参謀部」から「軍令部」という名称に変更された経緯・理由と、参謀本部への改称が却下された理由について教えてください。
おうる

  1.  御質問を拝見してからいろいろと考えたり調べたりしているのですが、正確なところは分かりませんでした。したがいまして、以下は推測を多く含んでおりますが、御寛恕戴ければ幸甚に存じます。
     1 軍令という言葉については、他ならぬ軍令第1号に「陸海軍ノ統帥ニ関シ勅定ヲ経タル規程ハ之ヲ軍令トス」とあります。つまり、軍に関する勅令の略したもので、天皇の指示を隷下部隊に伝えるという意味です。したがって、軍令部は、その伝達機関となります。そして、この軍令という名称は1886年の海軍条例の中に見られるようですが、所管していたのは御存知のように参謀本部海軍部で1893年の海軍軍令部条例を定めて海軍軍令部となるまでは、機関名としては使用されていません。
     2 参謀本部という名称が却下されたのは、山県有朋の反対にあったからです。戦時大本営条例では、陸海軍の作戦用兵の責任を負うのは、陸軍の軍令機関である参謀本部の長である参謀総長となっていました。つまり、海軍は陸軍参謀総長の指揮を受けるということになり、これに反発していた山本権兵衛は明治天皇に上奏し、陸軍と同等の地位を求めます。そこで、天皇は元帥府にこの件を諮るように求めたのですが、却下されます。しかし、天皇は山県に再考を命じた結果、陸軍が折れ、海軍は陸軍と同等となります。日露戦争の直前、1903年のことです。
     ただ、海軍が求めた陸軍と同じ参謀本部という名称は採用されず、海軍軍令部となります。これは、参謀本部という名称に陸軍がつかないのに対して、海軍という名称をつけることにより、陸軍の優位性を示したかったということでしょう(1933年になってようやく海軍という冠称が外れて軍令部となります)。
     もちろん、海軍としても参謀本部とならないのなら、海軍参謀部という名称で我慢できるはずがありません。その名称では、参謀本部の下にあるという印象をもたれるからです。したがって、旧来の海軍軍令部という名称を使ったのは、せめてもの抵抗だったのでしょう。
     では、なぜ、海軍は参謀部という名称を軍令部に変えたのかということになるのですが、これは陸海軍での参謀の役割の違いではないかと思っています。
     もともと、参謀は高級指揮官の補佐でしかないわけですが、ドイツ軍は、司令官より参謀のほうが有名であることが多く、モルトケのように参謀総長の名で全軍を指揮するようなことが起きます。そして、その衣鉢を継いだ旧日本陸軍も同様で、参謀が立案した作戦を司令官が承認するだけという印象があります(もちろん、これは私個人の印象でしかないのですが)。これに対し、海軍が範としたイギリスでは、そのようなことはありません。参謀が立案した計画を鵜呑みにするような司令官はいらないのです。ですから、旧日本海軍においても、対馬海峡に布陣するとか、真珠湾を攻撃するというようなことは、司令長官が決めたことです。
     したがって、司令官、司令長官の下にあるはずの参謀の名を冠する参謀部という名称は、陸軍においては当然の名でしょうが、海軍においてはそうではなかったと、愚考いたしております。
     
    hush


  2. 回答ありがとうございます。

    そうなんですよね・・・ググっては見たんですがどうもはっきりとした答えがどうしても出てこなくて質問させていただきました。
    わざわざ調べていただいてありがとうございました。
    おうる


  3.  山本権兵衛で卒論を書いたというのが同僚におりましたので聞いてみましたら、私の考えと同じことを申しておりました。やはり、参謀というものに対する陸海軍の見解の相違が由来だったようです。
     
    hush



258 戦時中、日本の詔勅精神振興会なる組織からヘルマン・ゲーリングに刀が贈られたと聞きました。
詔勅精神振興会とはどのような組織か、何の為に刀が贈られたのか、贈られた刀の刀身と拵えはどのようであるか、疑問に思いました。回答お願いいたします。
質問者1

  1. >どのような組織か

    国威発揚の為の物なのでしょう。
    検索すると同じ様な名前の団体を見る事が出来ます。

    >何の為に刀が贈られたのか

    ヒトラー、ヒムラー、シュペーアとか贈られた人の名を見ます。

    第一次世界大戦で独逸の敵となった日本は同盟国となった物の、非常に印象が悪かった様です。それを変える為に、日本博とかを独逸で開催した様で・・。

    と、当然、ナチスの高官は来なければならず、来たからには日本側もそれなりなもてなしをしなければならなかったのでは無いでしょうか。

    ヒトラーユーゲントが来日した際、全員に小刀を贈呈したとの情報も見ました。
    暇人


  2. 暇人様、御回答ありがとうございます。自分では殆ど情報を見つけることができなかったので、大変勉強になりました。
    質問者1



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管理者 F4U : Ans.Q v1.40 [Shigeto Nakazawa]