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戦史、歴史
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220 クルスクの戦いにおいて、「砲兵から見た世界大戦」という本には「ドイツ軍の攻撃開始直前に行われたソ連軍の対砲兵戦でドイツ軍砲兵が相当数やられ、ドイツ戦車部隊は火力支援を充分に受けられず、突破に失敗した」となっていますが、ウィキでは「若干の損耗と攻撃開始が少々遅れただけ」と大したことなかったように書かれています。
 実際、ソ連軍の対砲兵戦でドイツ軍にどのくらいの損害が出たのか、具体的な数字があれば教えてもらえないでしょうか?

REW

誰か答えて下さい。

219 日本軍鹵獲機秘録によると「1945年(昭和20年)2月27日に台湾空襲に飛来した第5航空軍第35戦闘航空群第40戦闘飛行隊所属のラルフ・R・ハートレイ中尉操縦のP-47Dが日本軍の集成飛行場所属の四式戦「疾風」に撃墜されて豊原郊外に墜落したが、ほぼ原形に近い形で鹵獲された」だそうです。
この時の空中戦闘はどの様なものだったのでしょうか。第47戦隊はその少し前のジャンボリー作戦でも戦果を挙げている様ですが。
パンジャンドラム

  1.  お求めのものに一番近いのは下記ではないかと思います。もちろん、私に内容を理解できる能力があるはずができませんので、読解はお任せします。
     http://taiwanairpower.org/blog/?p=5295
     なお、同中尉は捕虜となり、台北で日本軍に処刑されています。
     
    hush



218  日本では手裏剣術は武術の一つとして認められていますが、欧米ではナイフ投げはフェンシングや棒術のような武術として認められているのでしょうか?
 
PIAT

  1.  映画やテレビのアクション作品ではよくナイフ投げの名人が出てきます。
      西部劇:荒野の七人 OK牧場 エル・ドラド
      戦争物:特攻ギャリソンゴリラ ランボー エクスペンダブルズ 
     小説では007によく出てきます。
     ジェームズ=ボンドは(スメルスシュの資料では)ナイフ投げの名人であり、携帯している書類カバンには刀匠ウィルキンスンの鍛えになる平たい投げナイフが仕込まれています。
     また、スペクトル一味が立てこもるピズ=グロリアを襲撃した私設特殊部隊のメンバーはシュマイザー=サブマシンガンと「使い込んだ投げナイフ」で武装しています。 

     しかし、サーカス以外で実際にナイフ投げを見た記憶はあまりありません。
     ナイフ投げとは実戦で使えるのでしょうか?
    PIAT


  2.  この質問は板違いではないかと自分で思ったので、補足します。

     Wikipediaによると、徳川慶喜は手裏剣術の達人だったそうです。
    『最後の将軍』によると、徳川慶喜は投網が上手かったとのことですので、物を投げるのが得意だったのでしょうか?
     欧米の軍人や武術家でナイフ投げの名人はいたのでしょうか?
     (剣豪)シラノ=ド=ベルジュラックや、近接格闘を創始したフェアバーンやアップルゲイトはナイフ投げをやらなかったのでしょうか?
    PIAT


  3. すみません。 
    少し酔っていたので、取り止めのない文章になってしまいました。
    PIAT


  4.  ナイフ投げが武術として認められているかということですが、これは回答のしようがありません。武術という概念が日本のものであり、欧米にはそういうものがないからです。たしかに、武術を調べるとmartial artsという英語が出てきますが、これは武芸を直訳したもので、東洋風の格闘技として関連づけられることが多い語です。また、マーシャル・アーツというと、日本では別の意味で使用されることが多いです。
     また、フェンシングは、銃砲の発達により剣の存在意義がなくなった19世紀にスポーツとして発生したものです。そして、英語のスポーツという言葉は、チェスやビリヤード等も含んでいます。つまり、日本語と欧米の言葉は、示す範囲が違っており、意味合いも違っているわけです。
     そういうことを踏まえていただいた上で回答しますと、格闘戦においては、ナイフ投げはほとんど意味はないと思っています。せっかくの武器を投げ捨てることになるからです。
     実際、名前を出されているフェアバーンの開発したナイフは、握りにくびれがついています。正確に握れること、つまり、滑らないようにしてあり、ナイフの保持には注意を払っていても、投げることはあまり考慮されていません。これに対し、投げナイフは、目標に命中したときに折れないように焼き入れが甘く、切れ味がほとんどないのが特徴です。もちろん、戦闘ナイフはそのようなことはなく、切れ味が重視されます。
     したがって、ナイフを投げるというのは、火急の場合となりますが、これとて、拳銃のほうが有効性が高いのは論を俟たないと思っております。そのようなものをわざわざ練習し習熟しようというのは、おかしな話です。
     ところで、スペツナズ・ナイフという刀身を発射できるナイフがあります。これは、ソ連の特殊部隊であるスペツナズが開発したとありますが、実際にはそうではなく、制式の装備品でもなかったそうです。そこからも分かるように、戦闘用の投げナイフはフィクションの中でのみ活躍するものであり、実際の戦場ではそのようなものを試す機会はほとんどなく、兵士の慰み物程度の存在でなかったかと思っています。
     
    hush


  5.  「欧米には武術という概念がない」というのは驚きました。
     日本では「剣禅一如」などと言って戦闘技術と哲学・教育を組み合わせて武術と呼んでいますが、欧米では、スポーツでなければ技術なのですね。
     そういえば、ナイフ戦闘をテーマにした映画『ハンテッド』・『殺しのアーティスト』では名人は弟子に精神的なことを全く言いませんでしたね。

     『忍者』と同じく『ナイフ投げ』もフィクションの産物でしたか。
     昔、アメリカ製のダガーナイフを持っていたことがありますが、説明書に「決して投げてはいけない」と書いてあったので、予想はしていましたが、ちょっと残念です。

     スペツナズナイフは戦争アクション小説の名作『樹海戦線』や『真夜中のデッドリミット』に登場していたので、ソ連の秘密兵器だと思っていましたが、そうではなかったのですか。
     当時はソ連のアフガン侵攻などでスペツナズが注目されていたので、頭のいい商売人が考え出したのでしょうね。
    PIAT



217 太平洋戦争において日本陸軍は映画で見られるように無理な突撃で勝機を逃したのでしょうか?日露、第一次大戦で近代戦は学ばなかったのでしょうか?それとも報道規制で実は善戦していたとか。
大鳳

  1.  島嶼戦においては、水際撃滅を基本として、縦深防御を行っています。無理な突撃というのは、いわゆるバンザイ突撃なのでしょうが、それは、これ以上の持久戦を行っても餓死するという場合の最終局面において行われています。
     日本は、勝てるはずもない相手に戦いを挑み、必然として敗れたのであり、勝機も正気もなかったことは、インパール作戦に参加した私の叔父達が証明しています。
     また、もしも善戦をしていたならば、当然、それを大々的に報じるはずですので、それがきちんと伝えられなかったというのならともかく、報道規制云々はありえません。
     
    hush


  2. バンザイ突撃は、hushさんの仰る通り。
    自決する為の突撃です。自分が見た記憶では、ピストルで突撃。軍刀で突撃。棍棒で突撃。機関銃やらライフルやらで防御している陣地にこれで突撃するのです。

    無謀な攻撃というと、日露戦争。
    ロシアの南下政策に対抗した物でした。
    ここで、負ければ次は本土戦も有りえた訳です。


    次ぎがノモンハン。
    日中はソ連の機械化部隊に押され、夜間は日本兵の突撃で陣地を取り戻したそうです。ジュ―コフ元帥をして、WW2最悪の闘いだったと言わしめています。
    当時は、日本の負けと云われていましたが、情報公開によりソ連の損害が日本の損害を上回っているのが分りました。

    この後、日中立侵条約が結ばれました。
    これって、大きい成果じゃないでしょうか?
    対独戦が有りソ連も望む所で有ったろうかと思いますが。

    今日、戦史等で、当時の彼我の状況等、分る様になっています。
    今では、無謀と断言する事が出来るのだろうと思います。

    が、しかし、当時の前線の指揮官はどうだったのでしょう。
    暇人


  3. >>1
    質問者様が聞いておられるのは、末期の自殺的な所謂バンザイ突撃の事ではないのでは?
    お答えすると、太平洋の島嶼において、ガダルカナル島での一木支隊や第二師団攻撃など、日本軍の突撃が「無謀」にも取れる様な様相を呈していたのは、地形によるところが大きいのであります。
    狭い島嶼ではうまく散兵できないんですよ。
    ああいう地形では一個大隊がギュウギュウに詰まって突撃せざるを得ません。
    これでは一網打尽にされるのは察しがつきますよね。

    これが、広い大陸での「突撃」との違いです。
    仮に広大な野戦での突撃でしたら、突撃を迎撃する火力密度は数十分の1に、かつこちらの散兵は本来の広さを取り戻しますので、成功するわけです。
    パンジャンドラム


  4. 「うまく散兵できない」なんてことはありません。
    陸軍の歩兵操典は典型的な散兵戦術の操典です。散兵と散開を勘違いしているのでしょうけれども、この場合の「散開」も正しい使い方ではありません。
    BUN


  5. 無謀な突撃と呼ばれるものも、よく分析すれば支援火力の欠如が失敗の要因であるケースが殆どです。本来なら用意されているはずの火力が、その戦場ではどうして無かったか、そこが調べるべきポイントでしょう。
    ガダルカナル島が狭いから、なんて話ではないのです。

    BUN


  6. 回答ありがとうございます。
    粘り強く相手に迫る方法はなかったのかと思いまして
    防備状況の認識誤りと不充分な
    援護のもと攻勢を
    始めたということでしょうか?
    日露戦争の白襷隊のようだった?
    大鳳


  7. 一つの戦闘を眺める時には評論めいた結論ありきの見方を極力遠ざけて、ひとかたまりに見えてしまいがちな戦いを幾つかのフェイズに分けて考えて行くと新たな発見がきっとあります。
    あれはダメな見本だと決めつけず、その時に何ができ、何をしようとして、何を試みたのか。そしてそれが失敗した後に何を改善して、どうやってみたのか。そうやって追って行くのです。
    一木支隊に何が起きていたのかも、そうやって見て行くと段々と解って来ますよ。

    BUN


  8. それから、敵の防御が堅ければ何とか敵弾を避けてジリジリと迫って行ければいい、と思うでしょうけれども、当時の日本軍もそう考えていて、戦訓としてガダルカナル島ではこうだったようだが、自分たちは敵の火点まで這い寄って手榴弾で仕留めている、といった報告も上がっています。
    我々が何となく考えるようなことは当時の前線でも概ね考えていたのです。
    BUN


  9. >>5
    開けた野戦とは異なり、ジャングルや海岸での戦闘、錯綜した山奥などその常識が通じない様な場所です。歩兵操典は典型的な散兵戦術の操典ですが散兵の取れない戦域での戦闘をあまり現実的に想定したものではない様に思えます。
    やむなく半ば密集隊形の様な形で突撃していたと推測します。敵前上陸作戦とかもセオリー通りにはいけない事が多いですね。二個師団が全滅した上海戦は割と知られた話でしょう。
    ザ・パシフィックのガダルカナル編はご覧になっていられると思います。あれはドラマですが。しかし有名な日本兵の横たわるイル川砂州の写真を見るとあの川を千人弱が渡河すれば散兵の体を成していなかっただろうとさえ思えます。あの折り重なる様に斃れる将兵の亡骸を見るに、固定されたキルゾーンに入った順番にバタバタとやられてあのようになったのでしょう。
    もちろん支援火力の欠如も大いにあります。しかし地形の制約が本質ではないとされると少しもんにょりします。
    いくら火力のある、例えば広大な突破正面を是とするソ連軍だって沖縄戦に放り込んでは前の人のケツに銃剣が刺さるレベルでしょう。
    火力もあって十分広がれてこその大陸での突撃との違いがあるのでしょう。
    この様にやはり限度というものがあると思われます。
    パンジャンドラム


  10. あ、しまった、酔いのせいでよく読んでいなかった。誤用に関しては訂正します。
    ○列横隊とか○列縦隊などの密集隊形を組んだ陣形は散兵戦術のそれを外れているとの認識でしたが、確かにガダルカナルでは兵員がすし詰め状態とはいえこれといってそれらの陣形を意識したものではありません。散兵云々は私の飛ばしです。
    ともあれ兵員の密集度合いなるニュアンスを汲み取っていただければ幸いです。

    105mm榴弾の威力半径は29m程度でしょう。敵砲兵一個中隊6門程度の火力で密集した一個中隊を壊滅させるのに苦労はいりません。
    まぁこの時の一木支隊のうち200名を死傷させ撃退に大いに撃退したのは、重機関銃要員であるリー・ダイヤモンド伍長、ジョン・リバース一等兵とアルバート・シュミット二等兵の3名だったりするんですけどね。
    ともあれ機関銃弾、キャニスター弾、迫撃砲・榴弾の雨あられに対しては、密集していては命はありません。

    パンジャンドラム


  11. 「密集」がそもそも思い込みですよね。
    BUN


  12. まぁ映像作品は演出上多数の兵士を画面に収めなきゃいけないですからね…多少は誇張も含まれるでしょう。
    とはいっても、たった3名の海兵隊員に200名が殺傷される異常な事態は火力の優劣で一蹴できる様な問題ではないでしょう。
    痛々しくも重なる様に無残に斃れる皇軍将兵の亡骸を見ると、私はもうそうとしか言えません。
    やはりよくある、僅かな機関銃巣の前にすら密集状態の集団が無力である事例の典型的な一つでしかありません。
    支援火力とて、無数に点在する火点を発射前にしらみつぶしに制圧する事は不可能ですから、あまり過度な期待はできません。

    パンジャンドラム


  13. あと「ガダルカナル島は狭い」というのはちょっと解釈が違うと思われます。
    ガダルカナル島はそこそこ広いです。地形が悪いと言っているのですが、私の表現が悪かったでしょうか。大半がジャングルに覆われた中で加農が届く様な距離の飛行場を奪い合うのですから、戦域が狭いのです。イル川の写真を見てください。あれのどこが広いですか。
    戦域が狭いから、こちらの兵員の密度も高く、かつ敵の火力密度も高くなる、敵の穴も見つけようにも見つからない、攻める側にとってこれほど不利な要件はありません。
    件の日本兵の遺体の山の様に重なる写真をどの様にお考えでしょうか。

    戦域が広いと、それだけで火力密度が低下するのはいうまでも無いでしょう(ソ連が広大な突破正面当たりにどれだけの火力を用意しなければならなかったかも知られている話です)
    それに広ければどこから仕掛けてくるか分からない上に、広いとその分だけ防御が手薄になりますから、迂回や突破点を作るのがまだ容易(狭ければもっと強固な防衛戦を作られてしまいます)
    大陸の日本軍は必ずしも火力に優っていたか??とは言えませんよね。中国軍の機関銃・迫撃砲の凄まじさは日本軍が身をもって体験しています。広大な大陸で中国軍に対し夜陰に紛れて行動し、戦闘群(半小隊)単位での疎開戦闘を進めたのだと思われます。
    日本の月産の砲弾を1日で使い切る様な準備砲撃や火力支援をしても、トーチカの破壊には至らず壊滅的に被害を受け撃退されたWW1のイギリス軍なんて事例もあるのですから、火点はなるべく多くを避けて通るに努める越したことはないと思われます。戦域広いとそれだけ間隔も広がり穴も作りやすいと思うのですが…。
    なので密集とはその一つに過ぎません。戦域の狭さこそ突撃失敗の要因の一つでしょう。密集するしない以前にあの突撃はする前から失敗が決まっていたと思います。狭いと守備範囲も狭くて済むんですから。極端な例え話ですがあの場所が十数倍に開けていれば、日本軍は安易に侵入を済ませた事でしょう。
    パンジャンドラム


  14. 一木支隊の闘いは攻撃と捉えていましたから書きませんでしたが無謀な攻撃だったと思います。

    正確な情報が得られていなかったのが大きいのかと思いますが、指揮官の判断を疑う所が多々有ります。

    まずは、戦力が結集する前に攻撃した。
    次にイル川を越えていった斥候将校の殆どが戻らなかったのに進撃した。

    更に、敵に押し戻されたのに再度、イル川を越えようとした。これに寄って敵に後方に回り込まれて壊滅したかと思いますが。
    暇人


  15. 連投失礼します。
    単刀直入に例えると、扶桑型戦艦のバイタルパートが広くて装甲が薄くなるのと同じですかね。
    陸戦でも戦域が広いとその分敵の防御も手薄になる(その分より多くの兵力を必要としてしまう)、考えるまでもありませんよね

    >>14
    一木支隊長は指揮官としての能力を疑うところではありますが、そもそもフィールドが海兵隊有利だったと言わざるを得ません。ジャングルが多く、攻撃可能な正面が狭過ぎます。
    確かに後から見れば戦い方も褒められたものではなく、それに続く川口支隊の様に、やはりジャングルを迂回して虚をつくべきでした。
    本来なら三部隊に分散して別々の三方向からの同時打撃すべきで、それぞれがお互いの陽動であり弾除けであります。攻撃地点は多ければ多いほど敵はその対応に追われますから好ましいです。
    しかし必ずしも正確とは言えない測量と劣悪な通信環境をもってして、ジャングルで多くの部隊は方角を見失い攻撃は大失敗に終わります。こちらも作戦としてはいくらか褒められたものでは無かったでしょう。とにかくジャングルさえなく、抜け穴は大いに越したことはありません。

    有り得ない話ではありますが、これが果てしない平野での戦闘であったなら、いくら火力をもってしたところで海兵隊の砲弾・機関銃弾が尽きるのが先です。広い平野にいくら砲弾を落としたってポツポツ雨にしかなりません。
    日本軍の攻勢正面が狭いから、迎え撃つあの程度の火力でも「密度が高かった」んてす。トータルの降水量が大したことなくても、局所的に降ったらどうでしょう。関東全域に雨が降ったとして、その全てを東京にのみに振り注げれば15倍にもなりますよ。簡単な話なんです。

    海兵隊の火力は大した事なく、あの狭い範囲に砲兵・歩兵砲を集中できたからこそ高火力と成せたのです。
    とにかく太平洋のこんな島が、日本軍の想像を遥かに超えていたという事です。
    本来なら海兵隊相手にこの様な負け方はしないところです。
    パンジャンドラム


  16. >15
    自分が餓島戦に思ったのは、海岸線沿いに押せなければ、他でも同じだろうでした。

    迂回した物の、重火器は送れず。兵士は疲弊。
    連絡の取り決めが悪かったのか、突撃のタイミングが合わずに壊滅。

    これって、要するに、ヘンダーソン飛行場の影響力が弱まるとか、我が軍の兵站がまっとうに機能出来れば出来たのでは無いでしょうか。

    ガ島戦は、攻められてからは終始敵軍有利だったと思います。
    ヘンダーソン飛行場の無力化が出来なかった事と、兵站が出来なかった事こそが敗因と思っています。
    暇人


  17. 各位

    後から知られた情報に基づいた「ああすれば良かった」論は意味がありません。
    物事の検証のやり方そのものが間違っていますよ。
    BUN


  18. 陣地の構築はただ漫然と火点を置くだけでなく、火点の前に敵が誘導されるように障害を置きキルゾーンを設定するところから始まります。
    これを大規模にやるか、既成の地形や建造物を利用するか、は程度の問題でしかなく、密集隊列で突撃(第二次世界大戦ではあり得ませんが)しても散開隊形で突撃しても上手な陣地は同じように作用します。
    広がれたから良い、ということはありません。
    広がれば個々に制圧されてしまうだけのことです。

    BUN


  19. いえ、本来ならば3人の海兵隊員に200人が殺傷される様な日本軍ではありませんが。
    やり手な防衛線構築能力の米軍を更に厄介にする正面の狭さを見逃す事は出来ません。むしろこっちの方が本質でしょう。
    あれだけのスコアを出すからには米軍の戦術に加えて日本軍の状態も無視出来ません。
    やはりイル川でなく果てしない平原ならあの様な戦果を期待するのは難しいでしょう。
    広野にいくら弾を落としても、ポツポツ雨にしかなりません。ソ連軍がどれだけの広大な正面で単位面積当たりを確保する為にどれだけの砲兵火力を必要としたかは知られている話だと思うのですが。弱体な海兵隊一個師団にそれができましょうか。
    あれが十倍あれば十倍の時間か十分の一のクオリティしか出せないですし、防衛線が伸びればそれだけ敵の防衛線の大半は空振りに終わりますよ。
    敵が上手かどうかとは独立している要素ですので、同様の作用は期待できないでしょう。あくまで上手な敵を更に厄介にする正面の狭さです。
    パンジャンドラム


  20. BUN様も防衛線の規模に関して、「程度の問題」といくらか拍車をかけた事を認めるところなのですから、見る側の視点の違いによるものだと思われます。
    私も、海兵隊がいくらか「火点の前に敵が誘導されるように障害を置きキルゾーンを設定」していたり、防衛線構築に関して上手な事は認めた上で、本質は正面の狭さにあるとしているわけです。別に海兵隊が米陸軍やドイツ軍ソ連軍日英軍などのそれに比べていかに上手いか?、はあまりも一概に言える問題ではないですし、そもそも防衛戦闘に関してその様な事は当然のごとく行われる、セオリー通りのものであります。だから特筆して海兵隊が一枚二枚上手だったとはならないでしょう。
    一方攻勢正面の狭さに関しては、今更考えるまでもない、ただの一般論です。偉そうにいっていますが、本当に常識レベルの大したことない話を私は大真面目にしているに過ぎません。満州獲得に際して、日本がかかえた8千キロの国境線が如何に守るのに苦しい長さとされていたかは、それこそ全有識者の認めるところであり反論の余地が見出せません。
    パンジャンドラム


  21. ぜんぜん違います。
    いい加減な調べ方で決めつけてはいけません。

    一木支隊の攻撃は海兵隊の防御線に突き当たった最初の段階で鉄条網で封じられた砂洲を通じての攻撃を行い大損害を出した後、しばらく間を置いて支援火力と共に迂回攻撃を試みたことが海兵隊の記録から読み取れます。
    それが撃退された後に、海兵師団が最も危惧していた複数方向からの攻撃が無い、と判明し、海兵師団の支援砲兵(105o榴弾砲ではなく、海兵隊の75oパックハウザーです)が一木支隊に対して集中砲撃を開始したことで一木支隊の攻撃は完全に頓挫します。
    そこから海兵隊戦車隊の主力が渡河を開始してかなり慎重な迂回包囲を試み、さらに戦車隊の予備部隊が一木支隊残余のいる海岸沿いの林に蹂躙攻撃を開始したのです。
    一木支隊は攻撃の第一波、第二波までは組織的でしたが、それ以降は動きが極めて鈍く、そのまま夕刻までに現地点をほとんど動かずに全滅しています。
    これは一木支隊の指揮機能が早期に失われたことを示しています。
    一木支隊はもともと攻撃が無理であれば持久して後続を待つことが許されていた部隊です。
    攻撃失敗が明らかになった時点で後退、持久に切り替えられなかったことはそれ以前の何処かの時点で指揮機能が失われていたことを示唆しています。
    攻撃中止を命じられるほぼ唯一の存在だった一木大佐の戦死が疑われるのはこのあたりです。

    このような戦闘の経緯がありますから、攻撃正面が大陸の戦場に比べて狭い、広い、といった問題ではありません。
    兵力差があること、火力差があること、それを認識した時点で一木支隊は動けなくなっているのです。
    こうした戦闘はガダルカナル島に限らず、何処にでも発生する可能性のあるものなのです。
    BUN


  22. ですから二度の攻撃が頓挫した時点でもう正面の狭さの弊害が存分に出ていると思いませんか。
    大陸の戦場で如何にして日本軍は大軍を打ち破ってきたか、兵力や火力に優っていましたでしょうか。
    一木支隊の「無謀な突撃」は戦車隊の蹂躙攻撃以前から始まっているのですよ。
    一木支隊の壊滅原因は間違いなく指揮機能の麻痺にあった事は正しいでしょう。しかし一木支隊の敗北の本質はその指揮機能を失うまでの攻撃の過程にある筈です。
    なぜ3名の海兵隊員に200名が殺傷されたか。
    後の第2師団総攻撃で、ジョンバジロン軍曹率いる重機隊に多数の兵員が死傷させられた件もそうです。
    ガ島戦を総括する上でこれらの「なぜ」を無視する事はできません。

    因みに戦車隊の蹂躙に関してですが、一木支隊の片側は海なのです。海の方には迂回できませんし逃げられないのです。もう片側から後ろに回られたら逆回り以外に逃げられないのは当然です。あそこの海岸地帯がもっと広ければ一木支隊はいくらかそっち側に開けていたでしょうしいくらかの脱出もあり得たかもしれません。海岸という地形で攻める以上結果は同じですが。
    実際の戦場における戦闘というのは勿論「戦場」に大きく左右されます。
    海岸と平原、戦場が違えば結果はどうあれ二度として同じ経緯など断じてあり得ません。
    パンジャンドラム


  23. 仮に指揮系統が健全で攻撃を中止しおめおめと引き返したとして、結局、「イル川渡河戦」としては失敗で仕切り直しをはかるだけの事に変わりはありませんから、「突撃の失敗の原因」ではないわけです。指揮系統の状態いかんに関わらず。引くか引かざるかの違いでしかありません。
    そこからイル川渡河戦の突撃の成功につながるわけではありません。
    失敗の理由を求めるには遡る段階が後過ぎます。
    その後の壊滅があるかないかで質問者様のいう「無謀な攻撃」度合いがどれだけ軽減されるのでしょうか。
    もっと遡って言えば、あの狭い海岸を伝って攻める時点で、一木支隊の攻撃に活路はないと言っているのです。だからフィールドが大切なのです。
    広範囲で、かつ複数方向(努めて三方向以上)の突撃でないと難しい。
    ガダルカナルではそのどちらも困難を極めるのですから、勝算がない以上「こうすればよかった」とかいう話ではないのですよ。あの戦いを振り返って、攻めるには難し過ぎた島だと総括するのみです。
    パンジャンドラム


  24. さしでがましいとは思うのですが、これ以上は議論ボードへ行かれた方が良いのではないでしょうか?
    本来の質問への回答も出そうにありませんし、質問者さんも困ってると思うですよ。
    がちょう


  25. その通りです。
    BUN


  26.  >パンジャンドラムさん 

     たくさんの参考になる御意見ありがとうございます。
    板野ファン


  27. ご回答ありがとうございます。
    多くの方から意見を聞けて大変参考になりました。
    知識が高まりました。ありがとうございます。

    大鳳



216 戦場掃除に関して質問します。日露戦争旅順攻略時などでは定期的?に休戦してまで戦場掃除(遺体回収)しています。日華事変や大東亜戦の戦記でも洗浄掃除について戦記に書いてありますが、第一次大戦などの会戦では桁違いの戦死者がでています戦場掃除はどのように行われていたのか資料なるような書物とありませんか?
my

  1.  アジア歴史資料センターで戦場掃除を検索し、1914年から20年で絞り込むと3点出て参りますが、うち1点は日露戦争の回想のようです。
     一時大戦で旧日本陸軍が戦闘に参加したというのはあまり多くはありませんが、一応、実施はしていたということでありましょう。
     もっとも、御質問が一時大戦時の欧州戦線を想定されたものでしたら、あまり役に立たない回答だと思いますが、戦場掃除の訳語が不明ですので、お許し下さい。
     
    hush



215 お世話になります。出典がはっきりせず大変申し訳ないのですがよろしくお願いします。塩野七海さんの作品なのは間違いないのですが、おそらくロードス島攻防記だと思います。その中にこのような記述がありました。「 ベネチア共和国海軍軍艦にはその軍艦を設計した設計技師が必ず乗艦する」です。
理由として損傷した場合に備えてとありました。
そこで質問なのですが、このようなことをして設計士の損失にはつながらなかったのでしょうか?
海戦に臨むという事は当然戦死したり負傷したりすることがあります。
熟練の設計士の損失は海軍にとって痛手だと思うのです。
そのような設計士を100人も200人も海戦に投入するというのは当時としては普通のことだったのでしょうか。
74式

  1. 「ロードス島攻防記」第四章より

    「ヴェネツィア共和国のエンジニアならばごく当たり前のことなのだが、築城技師でも造船技師でも、彼らが設計し建造した段階で、技師の仕事が終わったわけではない。船をつくった技師は、海戦に向かうその船にともに乗りこみ、航行中や戦闘前後の修理修復の、いっさいの責任をもつことになっている。」

    「設計技師」ではありません。乗り込んだのは多くの場合「造船技師」です。上級の「船大工」と言っても差し支えないかもしれません。

    職種がそこまで分化しておらず、設計士と船大工の境界は曖昧でしたから設計者が出陣した例もあるでしょうが、全くの新基軸の設計(ガレアス船など)が参戦する場合以外は、造船所の設計主任に当たる人物は、そうそう前線まで出てこない場合が多いです。そもそも人数がそこまで居ません。

    ただ、技官を乗せるというのはヴェネツィア共和国が特別なのであって、普通ではありません。というか他の国ではジェノバなどのイタリア都市国家以外には不可能でした。


    タンジェント


  2. タンジェント様
    乗艦していたのは造船技師だったのですね。本書を読んだのがかなり前でしたから、記憶が曖昧になっていました。申し訳ありません。やはり、設計主任ポジションの技師はそうそう前線には赴かないんですね。私もそんなにたくさんの設計士が前線に赴くと言うのは現実的なのか、と疑問に感じていました。長年の疑問がとけて大変助かりました。本当にありがとうございます。
    74式



214 以下の話を聞きましたが、史実ですか?
アメリカ海軍情報部は暗号を解読し、連合艦隊山本五十六が前線視察に出かけることを知った。
海軍情報部は司令部に対して「山本を殺害すべきか」と打診した。山本の後任により優秀な司令官が代わることを恐れたのである。
司令部は「ミッドウェイ海戦で山口多門が戦死しているから、もう優秀な軍人は残っていない。山本を殺害せよ」であった。


park12abc

  1. この話の出典を教えて下さい。
    UK



  2.  2010年の「週刊文春」に作家の保阪正康がそのように書いているというのは、Wikipediaの「海軍甲事件」の項に記載されていますが、本文を読んでいないので、どのようなソースに由来するものかは分かりません。
     したがって、これが史実かどうかなどということは存じませんが、そこに疑念が生じる余地があるとすれば、なぜ、戦後も60年以上経ってから出てきたのか、なぜ、山口多聞なのかということなのだろうと思っています。
     ただ、保坂は当事者への取材に重きを置く作者ですので、取材していく中で聞いたのだろうと思います。また、山口はプリンストンに留学しておりましたので、アメリカ国内に知人がいても不思議はなく、名前が挙がっても不自然ではないと考えております。
     
    hush


  3. UK様
    早速のご回答ありがとうございます。
    出典は、文藝春秋の10月号で、保坂正康が”昭和の軍人に見る「日本型悪人」の研究”のなかで記述しております。質問はその一部を要約(つもり)しました。
    暗号が解読されていたことは知っていましたが、下の2項目は初耳(不勉強で)でした。
    1.海軍が山本の後任を注意・警戒していた。
    2.海軍が山口多聞を優秀だったと評価していた。
    park123


  4. hush様
    早速のご回答ありがとうございました。
    1.<保阪正康>が以前同一の内容を書いていたのですね。
    2.<なぜ、戦後も60年以上経ってから出てきたのか>が不思議ですね。特別な資料でも見付けたのでしょうか。
    3.<山口多聞はプリンストンに留学しておりました>のですね。アメリカで知られていても不思議ではないのですね。
    park12abc


  5.  鄭重なお礼をいただき、恐縮しております。
     もう一つ付け加えると、山口多聞は在アメリカ大使館付海軍武官を勤めております。つまり、ハーヴァードに留学し、海軍武官を勤めた山本と似た道を辿っています。
     もっとも、在アメリカ大使館付海軍武官だった人物は他にもおりますので、なぜ、高須四郎とか、長谷川清という名前は出てこないのかという疑問は生じますが。
     
    hush


  6. 米国は我国の暗号を解読していただけでなく、そのことを秘密にする、あるいは我国に気付かれないようにすることにも細心の注意を払っていたと思います。山本長官の乗った陸攻を撃墜する為に多数のP−38を丁度時間に合わせてそれも長距離を出撃させれば、日本側に暗号を解読していることを気付かれる恐れがあります。そこで、上層部に判断をあおいだと思います。おそらく、その事に関しての話に日本側で尾ひれがついたのではないでしょうか。但し、小生の推測です。また、小生は、挙げられた文献に目を通してはいません。
    UK


  7. hush様
    再度のご回答ありがとうございました。
    <山口多聞は在アメリカ大使館付海軍武官を勤めております>なのですね。
    保坂の記述が史実とすれば、高須や長谷川などの人物を圧して、山口多聞はアメリカで高い評価を得ていたのですね。ミッドウェイ海戦は、アメリカでも大きな衝撃だったのでしょうか?

    park12abc


  8. 再度のご回答ありがとうございました。
    <日本側に暗号を解読していることを気付かれる恐れがあり>ます。そこで、<上層部に判断をあおいだ>というところまでは、知っていました。
    しかし、山口多聞云々という話は初めて聞きました。今ごろ現れたことは、<日本側で尾ひれがついた>のかもしれませんね。

    park123


  9. [8]については、UK様へのお礼でした。失礼しました。
    park123



213 中世の騎兵について疑問に思ったのですが、
馬の鎧は脚までは付けられませんが、その部分を狙って攻撃される事が有りそうだと思いますが、それに対して騎兵はどのように対処するのでしょうか?

  1. それとも馬の鎧は、弓矢、もしくは同じ騎兵を相手にする為のものなのでしょうか?


  2. 「中世の騎兵」だと時期も地域も範囲が広すぎます。5世紀から15世紀、馬鎧を用いる重装騎兵に限っても、中国の南北朝時代、東ローマ帝国、ムガール、ササン朝ペルシャ、百年戦争の英仏など際限がありません。

    従って馬鎧も相手の戦術や武装対策なので、それぞれに目的が違います。

    その中には、脚にまで装甲(脛当)を施した騎兵もありました。東ローマ帝国のカタフラクト(これは馬の前面が主)、クリバナリウス(全体)を調べてみて下さい。

    これらは主に飛び道具や比較的貧弱な槍衾対策だったようです。

    お尋ねの「中世の騎兵」を13〜15世紀の西ヨーロッパの重騎兵に限ると、馬の前半身のみ、場合によっては馬の顔のみとか全く馬鎧無しもありますが、それで差し支えなかったようです。これらの重騎兵は重すぎて機動力に欠けるので、戦闘のクライマックスに一撃を加える決戦兵種として、ただ一度の突撃のためにのみ存在すると行って良いようです。敵兵に冷静に陣列を組んで馬の脚を狙える余裕が在る状況では投入されないのです。

    少人数で脚をねらっても、余程運が良くないと槍か剣に串刺しか疾走する馬群に踏み潰されます。

    そして万が一敵に囲まれて脚を止めてしまった場合でも、これらの軍馬は四足全てで敵兵を蹴飛ばし噛みつき自らを守るように訓練されています。(乗り手の騎士より大勢の敵を屠った軍馬が居たとか)

    弓騎兵や軽騎兵は、また別の話になりますが、ここまでとします。
    タンジェント


  3. 有り難う御座います。
    質問が曖昧ですみません、おっしゃる通り13〜15世紀のヨーロッパについての疑問です。




212 江戸幕府の西の丸老中についてお聞きしたいのですが、表の老中は御三家といえども道を譲ったと言われる位、格式が高い役職だと聞いたことがあります。
そこでお聞きしたいのですが西の丸老中 が幕閣でしめる格式、権威などはどの程度のものだったのでしょうか?
ご教授いただければ幸いです。
ケンプファー

  1. 1.「西の丸老中」で検索をかければ、西の丸の住人である将軍の世継ぎ又は引退した将軍の家政を担当する役職で、臨時にしか置かれない役職であり、国政には関わらないことは直ぐにわかると思います。

    2. この質問は歴史(日本史)の分野で軍事では無いでしょう。詳しくはそちらを参照するべきと考えます

    タンジェント


  2. 歴史関係の事は質問したらいけないらしいので、申し訳ないのですが管理人の方、この質問を削除していただければと思います。よろしくお願いします。
    ケンプファー


  3. 西の丸老中は将軍後嗣の補佐役的な側面を持っています それなりに毛並みの良い譜代大名が任じられる事もあるようです 表老中に転ずる大名もいました ただあくまでも西の丸の庶務を取り仕切る役職ですし格式などはそこまで高くはないと思います
    Ad.シュペー


  4. ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1351145148

    名誉職みたいな物なのですかね。
    暇人


  5. 質問が削除されていないようなので、もう少しスレを続けさせていただきます。

    管理人さんのご好意に感謝いたします。

    Ad.シュペーさん、暇人さん おはようございます。
    ご教授ありがとうございます。私も質問をする前にwikipediaなどは目を通したのですが、江戸幕府の職制はいろいろと難しく、表と裏があり、時の老中が1番権力を持っているかというとそうとも言い切れず、西の丸に移り住んだ前の将軍の側近が権力を持つ場面もあったそうなのです。
    暇人さんのご紹介にあった記事にも似たような記述がありますよね。
    ある本には大目付のことを格式は高いが年寄り役と記述されており、私の認識と余りにも乖離しており、驚いたことがあります。
    西の丸老中はAd.シュペーさんのご指摘の通り、表の老中に抜擢されることがあるようなので、政治の実験は無いにしろ表の幕閣もあまり、粗略に遇らうことはできないのではないかと愚察いたしました。
    その場合、格式は高くなくともそれなりの権威をもつ西の丸老中が存在した可能性も否めないのかもしれませんね。
    ケンプファー



211 真珠湾攻撃時、攻撃前に在泊艦の確認は行っていたのでしょうか?
もし戦艦や空母と言った主力艦が存在しなかった場合はどうするつもりだったのでしょう?(攻撃前に不在を察知していた場合、攻撃隊が真珠湾に殺到してから分かった場合)
PlanB

  1. >在泊艦の確認
     しています。
     ハワイからの通報により7日時点の在泊数はつかんでおり、空母がいないのは分かっていました。
     また、筑摩、利根偵察機が直前偵察を行っています。
    >在泊していない場合
     真珠湾以外に在泊している場合は、これを攻撃せよとなっています。
     なお、戦史叢書「ハワイ作戦」は http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=010 で公開されていますので、いろいろ調べてみるのも一興かと思います。
     
    hush


  2. 事前に把握した上での攻撃だったんですね。また興味深い資料ありがとうございます
    まだサラッとしか読んでませんが、訓練場所から泊地を空ける期間等まで事細かに調べてあるのは結構意外でした
    PlanB



210 堀丈夫陸軍中将らが構想した陸海統合空軍構想を山本五十六らの海軍航空畑によって潰されたという話は事実なのでしょうか。ネットで調べても断片的にしか確認できませんでした。
つかだ

  1. 事実です。
    しかし空軍独立論について注意すべき事は
    1 空軍独立それ自体は少しも合理的なものではないこと。
    2 空軍の本質は陸軍航空隊であること。
    3 戦前日本の空軍独立論は国軍改革という政治性を強く帯びていること。
    これらを頭に入れて置かないといけません。

    BUN


  2. BUNさん、ご回答ありがとうございます。「帝国海軍一式陸攻」買いました(笑

    ご回答の内、2はよく理解できるのですが、1と2が良く理解できません。

    統合空軍の目的は、装備や教育の共通化という合理的な目的というよりも陸海軍間の
    勢力争いの趣が強かったということでしょうか。
    つかだ


  3. 統一、合理化といった上っ面で空軍を見ることから卒業するのは簡単ではないかもしれません。
    でも、空軍の時代といえる20世紀に各国のたどった道をを眺めて行くとその理由もだんだん見えて来ることでしょう。
    BUN



209 ヨーロッパや中国には『忍者』はいなかったのでしょうか?
日本では、戦争で情報収集・破壊工作・暗殺などを行う特殊技能を持った者を『忍び』等と呼んで、区別(差別?)していたようです。
人間のやることはどこでも同じなので、外国でも同じような者がいたはずです。
 第一次大戦のリエージュ要塞攻城戦では、イギリス兵に化けたドイツ兵が司令官暗殺をしようとして失敗した例があります。
 また、第二次大戦でもアメリカの情報部(OSS?)が金庫破りを刑務所から出して、ドイツ軍の機密書類を盗み出そうとしたことがあると聞きました。
 これらは忍者的な任務ですが、特別扱いされなかったのでしょうか?
PIAT

  1.  日本の『忍者』は元々は中国で行われていた諜報活動を真似たものが始まりだったと聞いています。

     戦国時代に北条に仕えた風魔一族は渡来人だったという説があったような気がします。
    おうる


  2. おうる 様  風馬一族が実在とは知りませんでした。

    子供のとき、『風のフジ丸』という忍者アニメをよく見ていましたが、悪役が風魔一族でした。
    ちなみに、この作品には『忍術千一夜』というコーナーがあり、本物の忍者(?)の先生が忍術の話をしてくれるのが好きでした。
    その先生が現在では『戸隠流忍術宗家』として外国では有名人になっています。

    テレビドラマ『水滸伝』では、馬より早く走る戦士、鉄の矢を射る戦士、幻を見せる妖術使いが登場したのを覚えていますが、彼等も忍者だったのでしょうか?


    PIAT


  3.  現在の忍者のイメージの大半は、ほとんどが立川文庫に代表される明治から大正期の創作に由来し、超人的な姿は1921年の本邦初の特撮映画である「豪傑児雷也」に始まるとされます。したがって、史実ではありません。
     忍者という言葉も1950年代に忍びに代わって定着したものであり、その忍びという言葉も戦後のもののようで、戦前は忍術使いと呼んでいます。もっとも、忍びという言葉はあったものの、戦国時代には様々な名称で呼ばれたようで、その一つである透波(すっぱ)はすっぱ抜くという言葉の語源でもあるように、主たる任務は、相手の情報を集めて報せることでした。したがって、戦いは避け、いかに生き延びるかということに重点が置かれています。当然、あの黒装束のように目立つ格好をするわけがなく、刀も持っていません。
     ところで、各国で「忍者」的な任務、例示されたものを拝見するとスパイ活動の一種のようですが、「特別扱い」の意味が分かりません。何をお聞きになりたいのでしょうか。
     しかし、「風のフジ丸」とは懐かしいですね。
     
    hush


  4. 古代から中世に関してのみ

    古代中国において「梁上の君子」は盗賊・泥棒ノ別称ですが情報の盗人も意味しました。つまり「忍びの者」を含みました。

    古代から中世の西洋で、「情報の商人」に当たる存在は多岐に渡って存在しました。ベネチア共和国の政府は、此等の存在と契約していたことが記録に残っているそうです。(トルコのパシャ他の暗殺費用の見積もり書があるとか)

    ユダヤ人の一部は、キリスト教圏と回教圏の両方に一族が存在することを利用して情報の遣取を行い、連絡窓口を商いにしていました。結果、両者から二重スパイの疑いをかけられたのが嫌われた一因との説があります。

    同様に占い師、吟遊詩人、芸人等にも情報の商人が居ました。(「怪盗」伝説のルーツは、この辺かも)

    専属の情報員以外では此等の存在が「忍者」に近いものかと思います。
    タンジェント


  5. 1.アラビアのロレンスも忍者の1形態(1種)だと思われます。
    2.数十年前ですが、ドイツの石炭液化ガス工場の発見、位置の特定に英国のスパイが関与した記事を読んだ記憶があります(キセルに隠したカメラで写真をとったりした)。
    3.歴史群像の最後の方の漫画(アフリカのロンメル関係の部分)でも、現地人に扮した英国のスパイが銃殺されるシーンがあります。
    4.米国でも、不時着した我海軍の水艇の資料を現地のゲリラ経由で取得しています。
    要は、どこの国でも普通にやっているのではないでしょうか。
    UK


  6. hush様 タンジェント様 UK様 回答をいただき、ありがとうございました。

    私がこの質問を思いついたきっかけは『youは何しに日本へ』というテレビ番組でした。
    空港で来日した外国人に訪日目的を聞くと、「忍術を学びに来た」と答える人が多く、ニンジャ的な存在は外国にはないのかと考えました。

    皆様からの情報をまとめると、ニンジャ的な存在は外国にもあるが、一般に流布している忍者はフィクションが独り歩きしたもので、史実ではない、というものだと思います。

    そこで、似たものとして思いついたのが『カウボーイ』です。
    牧童は世界中にいますが、一般に流布しているのは、アメリカのカウボーイであり、その理由はハリウッド映画にあると思います。

    フィクションの力は大きいと思いました。


    PIAT



208 英軍将校T.E.ロレンス(いわゆる『アラビアのロレンス』)について質問します。
ロレンスはアラブの民族服を着て戦闘に参加していますが、これは戦争犯罪に当たるのではないでしょうか?
それとも、あの服は戦闘服と認められていたのでしょうか?
PIAT

  1.  それは、ハーグ陸戦条約の第1章交戦者ノ資格の第1条第2項「遠方ヨリ認識シ得ヘキ固著ノ特殊徽章ヲ有スルコト」に違反しているという意味でしょうか。
     だとすれば、この条約は戦争に関するものでありますので、これをオスマン・トルコ帝国内の部族の叛乱であると考えれば、抵触しないのではないかと思います。
     もちろん、当時のローレンスはイギリス陸軍の情報将校ですが、叛乱に関する条約はないと思いますので、法に触れるとは思えません。
     むしろ、ローレンスがイギリス陸軍の制服を着て指揮を執っていたのなら、それのほうが問題になるのではと思っております。
     
    hush


  2. hush 様  早速回答をいただき、ありがとうございます。

    アラブのだと蜂起は内乱にあたるのですね。なんとなくアラブ軍は連合軍の一部と思っていました。
    オスはんがマン・トルコ政府から見れば、ロレンスは
    PIAT


  3. 文章の途中で書き込んでしまいました。

    オスマン・トルコ政府から見れば、ロレンスは反逆者の味方をする外国のスパイといった扱いだったのでしょうか?

    なお、中野好夫『アラビアのロレンス』によると、ロレンスは首に賞金がかけられており、捕まれば絞首刑だったそうです。
    PIAT


  4. >2、3
     鄭重なお礼を賜りありがとうございます。
     ヒジャーズ王国として、現在のサウディ・アラビアの一部が独立するのは1916年6月10日ですが、それまではトルコ主権下でのメッカのシャリーフ自治領にすぎませんので、ローレンスが関わったのはアラブ叛乱と呼ばれています。したがって、実体はともかくとして、オスマン・トルコとしては内乱ですので、彼は叛乱を扇動する者として賞金をかけられていたことになります。
     
    hush



207 スターリングラードで降伏時の第六軍は乞食同然だったのですか。ソ連軍が接収した残存武器資材は少しはあったのでは。
ケンタロウ

  1.  SU-76i駆逐戦車はスターリングラードで拿捕された3号戦車を改造したものが多いと書かれていますね。
     http://combat1.sakura.ne.jp/SU-76i.htm
     
    hush


  2. ありがとうございます。


    ケンタロウ



206 原爆投下後は10万年は生物が住めないとか言うデマは誰が流したのですか

  1.  原爆投下後半世紀はというのはよく見ますが、10万年というのは存じません。高レベル放射性廃棄物を10万年保管するという話と一緒にされたのでしょうが、出典はどちらでしょうか。
     
    hush



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