ちょっと気になると夜も眠れない。 戦史、歴史 Ans.Q どうでも良いことなのに…、誰か助けて! |
276 |
微妙な話題かもしれませんが、戦国時代、一向衆や一向一揆に苦しめられた豊臣秀吉、徳川家康は、キリスト教は弾圧しましたが、一向衆、浄土真宗を弾圧したという話は聞きません。ただ私が無知で知らないだけかもしれませんが…この差はどうしてなのでしょうか? まさのり |
なお、三重県内に勢力を持つ浄土真宗高田派は、長島一向一揆の際、信長にあれは他派で、うちは関係ないという手紙を出していたと知り、唖然した記憶があります。
hush
hush
まさのり
ただ通称として「一向衆」または「一向宗」と呼ばれることが多かった。
そして「浄土真宗本願寺派」として独立した宗派でしたから、他の浄土真宗諸派からは別物として扱われました。
詳しくは ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%90%91%E5%AE%97
2. 「弾圧」はしなかったかもしれませんが秀吉、家康ともに「戦争」はしていました、それも10年以上。
3. 信長以下が「弾圧/戦争」したのは浄土真宗ではありません。宗教権威により世俗の権力=政治に介入する宗教勢力です。
信長に焼き討ちされた寺社は全部これに当たります。キリスト教もカソリックの政治権力志向が明確になったために弾圧されたと私は思っています。
hushさんの記事とは少し違っていますが、家康が弾圧しなかったのは「浄土真宗本願寺派」は政治権力を取り上げられ、そこまで危険で無くなったこと。
さらに東西に分割し家康自身が入信する事で完全に制御出来たからだと思います。
以上、私見を含みますがご参考まで
タンジェント
いつもお世話になっております。また、丁寧なフォローを賜り恐縮しております。
ただ、3に「家康自身が入信する事で」とあるのを拝見して、いささか疑問に思っております。彼が先祖代々浄土宗の信徒であり、天海に傾倒して天台宗に肩入れしたのは存じているのですが、真宗に入信したとは聞いたことがないからです。
よろしければ、典拠を御教示いただければ幸甚に存じます。
hush
>>5 タンジェントさんが、入信と話してる事はこの事でしょうか?
「松平氏の菩提寺は今でも愛知県岡崎市にある成道山松安院・大樹寺(だいじゅじ)だ。 この寺は当然仏教であり、宗派は浄土宗」
まさのり
それは浄土宗の寺で、徳川家、松平家の菩提寺です。
浄土真宗ではないです。
hush
タンジェント
ありがとうございます。
実は私の家が浄土宗、学校が真宗高田派、相方の家が真宗高田派、学校が本願寺派ですので、つい気になってしまいました。
失礼の段、お許しください。
hush
275 |
1945年8月14日夜間から翌朝にかけて埼玉県熊谷市は米軍の大空襲を受けました。一説には、ルメイが「爆弾が戦後も残っていると物品管理の事務が面倒だから、グアム基地にあるものは一切合切日本の上に落としてこい」と言ったと言われています。いかにもルメイのいいそうな言葉ですが、実際にそのように言ったという史料あるのでしょうか。 電気戦艦 |
1945年8月1日にルメイは第20航空軍司令官から戦略航空軍参謀長になっています。
ただ、戦略航空軍団(SAC)の発足は1946年ですので、大陸航空軍(Continental Air Forces)の参謀長だと思うのですが、もし、そうなら、本土防空が任務ですので、ルメイは本土にいたのではないかと思います。SACの設立準備という意味なら、司令部がサン・フランシスコですので、やはり、マリアナにはいないと思われます。もっとも、新聞記者に聞かれたら、それぐらいは言うかもしれないと思いますが。
M56ブロック・バスターを使用しています。この2t爆弾が中小都市爆撃に使用されたことは過去にはなかったので、最後の空襲だからという意識はあったのかなと思います。
熊谷、伊勢崎空襲は第314爆撃航空団が夜戦命令で指定されていましたが、熊谷には第313爆撃航空団の11機、伊勢崎には第73爆撃航空団の8機が参加しています。このようなことは、過去にはなかったので、これも同様の理由ではないかと思われます。
第73、第313爆撃航空団は前日の日本本土空襲に参加しており、何らかの事情により参加できなかった機体を持ってきたようですが、土崎を空襲した第315爆撃航空団機を含めると、8月14-5日に使用できた機体のすべてを投入したと思われます。
なお、時間的に見ますと、土崎空襲が、最後の日本本土空襲になると思われます。
hush
いろいろな情報ありがとうございました。結局ルメイが対日戦闘で本領を発揮した期間は数ヶ月もなかったのですね。
ブロックバスターというものは知らなかったので興味湧きました。勝手な推測ですが、米軍は最初工場攻撃には通常爆弾を用いてましたが、あまり効果が上がらないものですから(狙ったところに当たらない)、このような爆風を利用する大型爆弾を開発したのか、と思いました。もっともそれを使う前に焼夷弾による一般民家攻撃に切り替えたので、使う機会がなかったのでしょうか。残っていたそれらを最後の機会だからと、熊谷市に使用したのでしょうね。
直接の関連はありませんが、今年はパンプキンによる被害をまとめた成書も出版されました。
電気戦艦
274 |
かなり昔ルーマニアに行ったことがあります。ある場所へ行った時、「この辺りはかつて激戦地であった。彼我の銃弾が空中で衝突し、一方が他者に貫入しX字型になったものを、博物館のようなところで見たことがある。今度見に行こう」と言われました。第一次大戦中のことだと思います。結局実物は見ていません。このようなことが実際に起きることがあるでしょうか。皆様のご意見をお伺いいたします。 電気戦艦 |
ただ、トルコのガリポリで見つかった銃弾 https://qph.cf2.quoracdn.net/main-qimg-d5a4eb0b72bd74291d4cf1ed06634970-lq の場合、空中衝突ではなく、保存されていた銃弾に突き刺さったというものです。
なお、銃弾が被甲されるようになると、衝突しても突き刺さるようなことはないようです。
あと、ルーマニアでの例はネット上では見つけられませんでした。
hush
それにしてもこのような問題に興味を持っている人が世界には多くいることが面白いです。ガリポリはチャーチルの失敗で有名なこともあるのでしょうか。
電気戦艦
以下。熊本県の歴史ガイド (ttps://kumamoto.guide/look/terakoya/009.html)より引用
「薩軍は薩摩示現流の猛烈な必殺剣で斬り込んだ。官軍は狙撃兵を配して、これを撃ったが、官軍は、一の坂・二の坂・三の坂と三つに分かれる田原坂の最後の300Mを越えられなかった。雨も降り続いた。文字通り泥沼の戦場となった。一日32万発もの弾雨が降り注ぎ、弾丸が空中で激突したほどである。(田原坂資料館に保管されている)。」
タンジェント
銃弾が被甲される前ですと、南北戦争で実例があったようで、2 Bullets collided Civil warで画像検索をしますと、いくつか出てまいります。
hush
資料ご紹介ありがとうございました。田原坂の戦いは名前はよく知っていたのですが、実際にはこんなことがあったのですね。2本のシャワーの水を相対させると水滴どうしが当たることかなりありそうです。
hush様
資料紹介ありがとうございました。被甲があると起こりにくいということですが、表面で滑ってしまうので、破壊や貫入が起きにくいということでしょうか。
電気戦艦
その通りです。被甲がある、すなわち、フルメタルジャケットの場合、いわゆる鉛玉より、そのようなことは起こりにくいでしょう。実際、銃弾の費消数は増えておるのに、そのような弾丸の発見例がなくなりつつある理由としては、他に考えにくいと思っております。
hush
ありがとうございました。現代に近い戦闘では、二者合体弾(タンジェント様紹介の資料によると行合弾ともいう)はほとんど発見されていないとい、これは二者が当たってもツルッと滑るからである(あろう)、ということですね。
電気戦艦
hush
ありがとうございました。 動画を見てもよくわからないのですが、方向が変わるということはそうなのだと思います。高校の物理で習う運動量保存の式が役に立つのでしょう。
今回の質問ではそんなことまずは起こらないだろうという思い込みがあったのですが、実際は結構起きていることがわかり、感動いたしました。
電気戦艦
273 |
https://gendai.media/articles/-/124798 太平洋戦争末期、硫黄島での陸軍、海軍の食料事情の格差の記事ですが、この格差は時期、場所を問わずあったものなのでしょうか?あと徴兵される側からは、食料事情の良い海軍の方に行きたいという話は有ったのでしょうか? まさのり |
海軍の食料事情の原因の一つとして、志願制ですので、食料を陸軍よりよくしないと志願する者が減るからという理由が上がっていますが、食料事情を理由にして海軍へ行った者がどれだけいるかは存じません。
hush
まさのり
その代わり初年兵いじめは陰惨だったようです。その海軍の料理でも上の兵隊がなかなか箸をつけないものだから、わずかな時間で書き込むしかなく、味など分からなかったそうです。
hush
瑠藻莉
すいません、それは何に対する回答でしょうか。
hush
戦争末期の日本近海の島々の状態です。
瑠藻莉
失礼ながら、質問は「この格差は時期、場所を問わずあったものなのでしょうか?あと徴兵される側からは、食料事情の良い海軍の方に行きたいという話は有ったのでしょうか?」であって、そういうことは聞かれていないと思いますが。
hush
瑠藻莉
272 |
戦時中の雑誌にラジコン飛行機の広告がありました。 ラジコン飛行機用の燃料といえばおそらくメタノールを主成分とするグロー燃料ではないかと想像します。 戦時中の日本というと何もかもが統制されていたというイメージがありますが、グロー燃料はどのような扱いになっていたのでしょうか? ラジコン飛行機を自由に飛ばせるだけの民間市場への供給があったのですか? おうる |
メタノールについては、戦後のアルコール不足の時代に飲用に供され多数の死者や失明者を出しましたが、酒税不要の変性アルコールとして比較的多く出回っていたようです。
また、1935年生まれの義母の話では、津市旭町にグライダーの練習場があったぐらい、航空産業や飛行士の育成に軍が力を入れていたようです。このため、ラジコン飛行機はこの方針のもとに雑誌掲載が許された可能性があります。
当時、ラジコン飛行機用のエンジンは小川精機のグロー燃料を使用するものと思われますが、戦時中であっても、航空産業育成のためというような理由をつければ飛ばせるでしょうし、工場でも経営していたら工業用アルコールの入手は困難ではなかったと思っています。
hush
271 |
明けましておめでとうございます。新年早々またつまらないことが気になってしかたないので、質問させていただきます。 百年戦争時の聖女ジャンヌ・ダルクのエピソードについてです。 ジャンヌは神の聖託を受けた後、最寄りのアルマニャック派貴族ロベール・ド・ボードリクール伯の支援を受け、王太子シャルルへの信任状と武具を与えられ、シノン城へ旅立つのですが、この時ボードリクール伯がジャンヌにかけた言葉として、私の知る限り、 @「行け、行くのだ。たとえ前途に何が起きようとも」と励ました。 A「とっとと行ってしまえ。俺はもうどうなっても知らんぞ」と吐き捨てた。 の全く逆の2種類の邦訳があるのですが、今日正しいとされているのはどちらでしょうか? 原文を見ればいいじゃないかと言われるかも知れませんが、私のフランス語に対する知見が低く、原文を検索し出すことができませんでした。 どなたかフランス語ないしフランス史に精通されている方がいらしたら、どうか教えてください。 備後ピート |
おそらく、記録されているのは言葉だけで、伯爵の気持ちは記録されていないので、作者の捉え方次第という部分があるのではないでしょうか。
書店や、図書館へ行けば評伝はたくさんありますので、見比べて新しいものはどうなっているかを調べるのも一興かと思われます。
hush
備後ピート
270 |
謹んで新春のおよろこびを申し上げます。 スリガオ海峡海戦についてお伺いいたします。 同海戦における西村中将最後の命令として有名な 「ワレ魚雷攻撃ヲ受ク 各艦ハワレヲカエリミズ前進シ敵ヲ攻撃スベシ」 ですが、この時の「各艦」に当たる重巡「最上」、駆逐艦「時雨」の戦闘詳報を閲覧しましてもこの文面はありません。 見落としなら申し訳ありませんが、どこからこの文面は来たのでしょうか? (「時雨」駆逐艦長西野中佐(当時)の証言のみで、他の証言はない文面なのでしょうか?) 宜しくお願いいたします。 Ranchan |
受信録にないものをどうやって聞いたのかという話にはなりますね。
hush
他には記録も証言者もない「西野中佐の個人的な証言」の域を出ないものだったんですね。
まあスリガオ海峡海戦における日本側の指揮官レベルの生還者(捕虜になられた方は除く)は西野中佐お一人ですから、やむを得ないのかもしれませんが・・・。
Ranchan
実際、海軍が公刊した日露戦史は、嘘が多いことが、「極秘 明治37.8年海戦史」の発見された今日では常識となっています。
hush
戦艦「山城」から放たれた西村中将最後の命令は
「ワレ航行不能。各艦ハ『扶桑』艦長指揮ノ下レイテ湾に突入セヨ」
だった。
と読んだことがあります。
これは発光信号によるものだったそうですが。
あの激烈な砲雷撃下で炎上し沈没寸前の「山城」からの発光信号がすぐ近くにいるわけでもない「最上」「時雨」から識別できるんでしょうか・・・ねぇ?
Ranchan
プリンス・オヴ・ウェールズ沈没時のトーマス・フィリプス提督がノー・サンキューと言って退艦を断ったという話も、捕虜がでっち上げた話を日本で美化して広げたとか、長篠の戦いの三弾撃ちも陸軍が作ったとか、いろいろありますからね。
hush
スリガオ海峡海戦や西村中将の最期を語るときいつも出てくる文言ですが、こんなに根拠のない不確かなものだったとは驚きです。
Ranchan
https://synodos.jp/opinion/society/23075/
洋の東西を問いませんね。
hush
269 |
昭和17年に米豪遮断作戦などと企画されたが、かりに全南半球の島全部を日本軍が占領したとして、米豪は遮断されるのでしょうか。船での行き来が可能な限り、交流は続いており遮断は無理なんじゃないでしょうか。 五十六週撃 |
hush
Shipmap で検索してもらえると世界を航行するコンテナ船&タンカーの航路を見ることが出来ますが、米西海岸と豪州を結ぶ航路を遮断しようと思ったらソロモン諸島のみならずニューカレドニア、バヌアツ、フィジー、トンガ、サモアといった島々は軒並み基地化しなければならなくなりますし、それのみならずニュージーランドまで抑えなければ太平洋航路を遮断できません。日本軍にそれを可能とするだけの戦力があったとは思えません。
しかも太平洋航路を遮断してもインド洋航路はノーマークのままですから豪州の経戦意思次第では米豪遮断による豪州脱落を実現させるのは無理でしょう。
おうる
268 |
最近の人口石油のニュースでサイトを見てると 人造石油(液化石炭)について書いてあるサイトが有りました。そのサイトには、 「ここにひとつの誤認をわれわれは犯していた。ドイツの成果は、すべて石炭の直接液化法によるものだと考えていたことである。戦後の文献によるものは、ほぼ68万トン/年にすぎず、それ以外はすべてタールその他の液状原料の水素添加だったのだ」と陸軍省燃料課の技術将校・高橋建夫少佐も語っています(高橋健夫著『油断の幻影』)。の記述が有りました。ナチスドイツは人造石油(液化石炭)で戦ったと思ってた私からすると どちらが正しいの?と思いました。あと上記にある、タールその他の液状原料の水素添加 とはどういうことなのでしょうか? まさのり |
hush
まさのり
極少数の旧海軍関係者の、今はやりの忖度と言うか嘘が、何の検証も無く、長年に渡ってひとり歩きをしていたというのが実状では無いでしょうか。
よく引用される、直接液化法で日本の石炭の灰分が配管を摩耗して、日本では物にならなかったと言う話も、冷静に考えれば、ドイツの石炭に灰分が無い訳が無く、何を言いたかったのかを考えて見るべきでしょう。
海軍関係者の分析と選択の失敗を糊塗しようとしたのが、この話の始まりだと考えます。
姫
姫君、お久しぶりです。
専門家の仰ることはやはり違いますね。
実のところ、私はこの話を知らなかったのですが、開戦経緯と絡んで注目しております。
海軍については、東京裁判を有利に乗り切るために関係者の発言を統一した経緯もあり、旧海軍関係者の嘘が一人歩きしているというのは、説得力にある話だと思っております。
また、いろいろと教えて下さい。
hush
水素添加の技術もアメリカ式の陸軍とドイツ式の海軍では系統が異なり、どちらも戦時下で行われた技術革新を採り入れることができずに取り残されています。
ドイツの石炭、褐炭ベースの高性能燃料製造技術は戦時中に大きく転換してある程度の成功を収めていますが、日本はその技術を模倣できないまま終戦を迎えているので、「実はドイツでは通説とは全く異なり・・」といった話では無いのです。
BUN
ドイツの直接添加法に用いられたタール、重質油の由来は3系統に分かれます。
一つ目は、石炭からのコークス製造又は石炭ガス製造などの高温乾溜により発生したタール分からモーターベンゾールやベンゼン、トルエンなどの有用成分を取り除いた残渣
二つ目はドイツで大量に採掘される褐炭を低温乾溜したタール分、又はこれより軽、中、重油を乾溜した残渣
三つ目はドイツ並びに大戦中に大増産を遂げたオーストリア産原油を製油した残渣である重質油分、タール分になります。ドイツ、オーストリア産原油はハンガリー産原油とは性状が違い重質な為、重質油分、タール分の取得割合が多かったと思われます。
ドイツでの直接液化法とは石炭の高温乾溜によって出来たコークスや褐炭の低温乾溜によって出来たコーライトを使って製造した水性ガスから分離した水素と、触媒と重質油、タール分又は石炭、褐炭を粉末にした物を重質油、タールに混ぜた物を、高温高圧の元で反応させる事です。
と理解していました。
姫
267 |
かつて軍艦の燃料が石炭であった時、黒い煙は相手に見つけられやすいので、煙が薄くなるような良質の石炭が好まれたと言います。では実際に、煙が黒くて不利になった例、逆に煙が薄くて有利になった例にどのようなものがあるのでしょうか。第一次大戦中にありそうなのですが、お分かりの方教えてください。 電気戦艦 |
第1次大戦のほうはよく分かりませんが、 http://geo.d51498.com/kigiken/update2.html 所収のドッガー・バンク海戦に見る機関部の実相を見ますと、いろいろと技術的なことが書いてあり、ドイツ側は有煙炭だったので不利だったと書いてあります。
多分、専門家の方がフォローしてくれると思いますが、あのサイト復活しないのかなぁ。
hush
カーデイフ炭は積出港の名をとっているのであり、実際は、無煙炭から瀝青炭まで色々あったようです。(わたしは、無煙炭が燃えた時の燃焼ガスに関心があります。要は高温の二酸化炭素ガスなのでしょう。炎というものはあまりないのかと思います。ウナギを焼くときの備長炭のコンロの上なのでしょう。)
高木氏のサイトは大変充実しており、私も常々参照していました。蒸気機関車のデータと比較しながら勉強すると特に興味深いです。これらが紙の本になって記録されることを願うものです。
電気戦艦
なお、バルチック艦隊は回航中の訓練により放出される煙の濃度は減少していたという意見もありました。
>これらが紙の本になって記録されることを願うものです
木氏に期待しましょう。
hush
hush
電気戦艦
だとすれば、「坂の上の雲」で司馬遼太郎が無煙炭を喧伝していたのは何だろうなとは思いますが、ひとまず、日本海海戦がそうであるという指摘は撤回させていただきます。
失礼しました。
hush
カーデイフ炭が評価されていたのは、煤煙の量が少ないというよりも、重量当たりの発熱量が一番大きかったことにあると思います。このことは他の石炭よりも(同一積載量で)航続距離が大きいとか、機関員の疲労が減るとか利点があったのでしょう。帝国海軍は大正期に燃料の練炭への切り替えが進んだので、煙の色はあまり心配しなかったのか、と考えます。では、大戦中地中海に派遣された日本駆逐艦はどんな燃料を使っていたのか、には関心あります。
電気戦艦
>オリョールが2隻
オリョールは鷲のことですので、東ローマ帝国から引き継いだとされるロシア帝国の国章、双頭の鷲を意味すると思われます。このため、1889年にロシア義勇艦隊の客船として進水した際には国を代表するものとしてこの名が使われたのでしょう(もっとも、Eagleと英訳された船名で進水しているそうです)。
>大戦中地中海に派遣された日本駆逐艦はどんな燃料を使っていたのか
アジ歴リファレンス・コードC10080069500ピロウス方面に於ける燃料淡水並工場調査報告を見ておりますと、戦前はピロウス(アテネの外港ピレウスのことだと思います)に入ってきていたカーディフ、ニュー・カースルからの英炭の輸入は途絶しており、現地のギリシャ炭を使用せざるを得ないと書いてあります。
hush
早速調べてくださりありがとうございます。石油産出は地理的に偏在していますが、石炭は品質の良否は別にしてどこの国にも産出するということでした。幕府海軍は、品質が低いとされる常磐炭を結構使ったらしいです。
軍艦の命名はお国柄が現れて興味深いですね。ただ、日本では絶対に個人の名前が使われないことは、はっきりしています。我々の精神世界の奥底では、平家物語や方丈記のようなものが強く生きてるのでしょう。
電気戦艦
間宮と「しらせ」という例があります。間宮海峡と白瀬雪原と書かれていますが、もとは間宮林蔵と白瀬矗というのははっきりしていますので。もっとも、砕氷艦を軍艦と呼ぶべきかなるとどうなのでしょうね(間宮も特務艦ですが)。
命名権者である明治天皇が歌人であったため人名は使われませんでしたが、乃木神社とか東郷神社とかが作られたことを考えると、絶対にとは言えないと思っています。
もっとも、このあたりは、随分と脱線しておりますので、この辺で。
hush
(2)ドッカーバンク海戦で、英国の巡洋戦艦隊は損傷した旗艦の旗信号を排煙のため見間違い、逃げるドイツ巡洋戦艦隊を追撃せず傷ついたブリュッヒャーを攻撃したため、独巡洋戦艦隊を取り逃がしたと言われています。ただ、これもどの程度影響したのかは判りかねます。
(3)第2次世界大戦の初期に生じたラプラタ沖海戦では、英国の巡洋艦隊は、接近してくるシュッペー号をその排煙により発見しています。ただ、これも具体的にどの程度早く発見できたのかは判りかねます。
UK
266 |
米西戦争時のグアム島攻略時に、スペイン側は戦争状態である事を知らなかったので、攻略に来たアメリ艦隊に礼砲を打とうとしました。 しかし、礼砲が発射できずに(即応用の砲弾も火薬もなかったらしい)、釈明に来たスペイン軍司令官をアメリ艦隊が捕虜にしたので、あっさりグアム島は陥落しました(ソース『ラバウル烈風空戦録』)。 このエピソードは本当でしょうか? 安井 賢一 |
hush
hush
戦争がまだ牧歌的だったからのエピソードですね。
安井 賢一
265 |
WWIにおいてドイツはペーター・シュトラッサ―司令の下、ドイツ飛行船体を駆使して英本土の戦略爆撃を行っていますが、この際の発進基地はデンマークのトンデルン基地となっていました。 はて、WWIにおいてはデンマークは確か中立国だったはず。この際の国際法上の取り扱いはどうなっていたのでしょうか? またのちに英国海軍は空母フューリアスの艦載機でトンデルン基地を攻撃、壊滅させることに成功しますが、この場合も英国とデンマークの国際関係はどのように解釈されたのでしょうか? 備後ピート |
hush
したがって、当時はドイツ領です。
愛のない書き込みでしたので、補足しておきます。
hush
備後ピート
264 |
もしミッドウェー攻略作戦が成功したと仮定して、そこから陸攻隊でハワイ攻撃は無理だといわれていまが、実際、微細でも攻撃は無理でなんでしょうか。 トワイライト |
爆装を減じて航続距離を延ばす特殊改造を施し
仮に到達できるようにしても鈍足の爆撃機単独で遠路を飛ばす
メリットがありません、護衛戦闘機は当然ですがついていけません。
軍功機能をマヒさせたい、燃料タンク等の破壊工作を行いたいのであれば
潜水艦からの航空機を発射させ低空侵入が成功率は高いと思われますが
最終的にはどちらの方法もレーダーで捕捉され撃墜がオチかと思いますし
ミッドウェーが攻略できるという事は日本側機動部隊は
壊滅せずという事になるのでしょうから、好きな方位から再度ハワイに空母で
強襲をかけるほうがはるかに成功率も効率も高いと思います。
五十六さんは最終的にはハワイを攻略する腹積もりだったようですが
ミッドウェーは防衛は攻略前ですら困難だろうと目算されてましたので
保持してても史実のガナルカナルが、攻略したミッドウェーに
なるだけかと思いますのでハワイ空襲どころじゃない状況になると思います。
ももんが
片
263 |
1939年9月にドイツ軍とソ連軍がポーランドに侵攻して第二次大戦がはじまりましたが、独ソ開戦まで1年半以上、太平洋戦争開始まで2年以上経過しています。 ポーランド侵攻当時、独ソ戦や太平洋戦争を予想した人物はいたのでしょうか? PIAT |
私はなんとなく、世界中で大動乱が起こるような気がします。
後世、「2022年2月に第三次大戦が始まった」と言われるのではないかと思い、質問いたしました。
PIAT
英国が宣戦布告をしてくるのは想定外だったみたいです。
かなり取り乱したと言う話です。
但しナチスドイツとソ連は、いくら中立条約を結んでいても
いずれ破綻するだろうと言う感じだったと思います。
まさのり
太平洋戦争ですが、満州事変勃発時に米大統領は対日水師発動を命じようとしたが、時の海軍長官が職をかけて反対したのと、英国が噛んでいるのを知ったので取りやめ、取合えづ重巡は条約の限度いっぱい建造することにしたのは有名です。フランスの降伏後は、日独伊、ビーシーフランスの4か国との戦争を念頭に両用艦隊計画のもとで海軍の大拡張に取り掛かりました。はっきりと、戦争を覚悟したというより開戦を決断したのは独ソ開戦後のようですが。
日本においても、日独伊三国防共協定に反対した人は、将来の日米間の戦争につながることを恐れたのが一因です。はっきり書くなら、いつ戦争が勃発してもおかしくない状況でした。
独ソ戦でも、将来何かが生じると恐れていた人は多数います。インターネットで調べても、ソ連はドイツの侵攻の危険性を十分認知しており、ある程度の準備はしていたようです。
なお、現在のロシアによるウクライナへの進行でも、ロシアに接するいくつかの国は、御承知のように徴兵制を復活したり、復活しようとしたり、軍備の増強を図ったりしていました。
結局、そのものずばりを予想した人は少ないでしょうが、かなりの確率で生じると予想した人は多数いるようです。
あと、解答者のまさのり氏ですが、何故ヒトラーは英国が宣戦布告をしてこないと思っていたか、英仏両国はナチにのみ宣戦布告をし、ソ連にしなかったのかを調べても如何でしょうか。
UK
一方、太平洋戦争については難しいかもしれません。というのは、日独防共協定は1931年ですが、その3年後の39年に独ソ不可侵条約を締結してポーランドに侵攻しているからです。防共とは、統一協会の文鮮明の作った勝共連合の共と同じく、共産主義を意味します。つまり、ドイツは日本との協定を無視して、共産主義の総本山であるソ連と手を組んだわけです。「我が闘争」には日本を侮蔑する内容も散見されますので、ヒトラーらしいわけですが、そこから枢軸国対英米蘭中等連合国26ヶ国とその植民地との戦争に発展するというのは読みにくいでしょう。ただ、日中戦争の推移とそれによるアメリカの権益との衝突を考えるとあり得ると思ったでしょう。また、それだけ虚仮にされても40年に日独伊三国同盟を結び、北部に引き続き、ヴィシー政権下のヴェトナム南部に侵攻したことによりきな臭さを感じ取った人は多いでしょう。
ところで、4の中で分からない点がいくつかあります。
>「予想」の意味、あるいは定義が不明確と思われます
その時点で独ソ開戦や日米の衝突を「予想」した者がいるかですよね。何の疑問もなく答えられるのですが、何か問題があるのでしょうか。
>満州事変勃発時に米大統領は対日水師発動を命じようとしたが、時の海軍長官が職をかけて反対した
1931年だとフーヴァーとチャールズ・F・アダムズですが、そういう話は存じません。スティムソン・ドクトリンのことでしたら、国務長官ですし、職を賭すような話があったかなと思うのです。もし、「有名です」がこれにかかっているのなら、笑われるだけのことかもしれませんが、出典を御教示いただければ幸いです。
>戦争を覚悟したというより開戦を決断したのは独ソ開戦後のようです「が」
最後の「」を付した「が」のかかり具合が分かりません。まさか、戦争を覚悟したから両洋艦隊法を可決したという訳ではないと思いますが。
>日独伊三国防共協定に反対した人は、将来の日米間の戦争につながることを恐れたのが一因です
巷間、そう伝えられていますが、若干の疑問があります。山本五十六はその中心人物ですが、「半年か一年の間は随分暴れてご覧に入れる」と述べたと近衛の手記にあります。対米戦争の回避を訴えた一節ですが、これだけを取り出すと短期決戦なら勝算ありと取られかねない文言です。また、大山事件にしても非武装の将校が軍服着用の上、サイドカーで中華民国軍が警備する飛行場のゲートに突入したわけですが、時の海軍大臣、次官は米内、山本です。「我が闘争」の原文を読んだ堀が、そのような国とと言い出したからかなと思っています。
>何故ヒトラーは英国が宣戦布告をしてこないと思っていたか、英仏両国はナチにのみ宣戦布告をし、ソ連にしなかったのかを調べても如何でしょうか
それで何が分かりますか。
hush
8年後ですね。
hush
262 |
軍事についてはほとんど知識がないのですがよろしくお願いします。 先日、YouTubeでアメリカ海軍を紹介する動画を視聴しました。 その動画でアメリカ海軍の構成員の人数が紹介されていたのですが、 ☆大将9名 ☆中将37名 ☆少将61名 ☆准将118名 ☆大佐3067名 ☆中佐6486名 ☆少佐10267名 ☆大尉19860名 ☆中尉6846名 ☆少尉7156名 ☆准尉1900名 ☆士官候補生4539名 ☆下士官208088名 ☆水兵75746名 このように紹介されていました。 軍隊の構成員の比率は軍事の知識がないわたしのイメージだと おおよそピラミッド型になるような気がしていたのですが、 この構成員比率を見ていると必ずしもそうではないのでしょうか? 特に気になったのは、大尉の人数が中尉と少尉を足した人数より多いことです。 これに士官候補生を合わせてもほぼ同じ人数になります。 少佐の人数を注目して見ても、中尉、少尉よりもかなり人数が多いようです。 なぜこのような比率になるのでしょうか? よくわからないのですが、少尉や中尉の退職率が高いとか、大尉から少佐に昇任する人数が少なくて、大尉のままで歩留まりしている、こんな感じになるのでしょうか? なにしろ軍事知識がないもので見当違いな質問なのかもしれませんし、勘違いが多々ある可能性も有りますがよろしくお願いいたします。URLは一応把握していますが、貼って良いのかわからなかったので留意しました。 カーペンタリア |
旧日本海軍の場合、ほとんどの人が大佐まで進級しますが、陸軍はそうではなく、アメリカもO-3からO-4へは半分程度しか昇進しないと書いてあるサイトがあります。
また、 https://www.businessinsider.com/how-much-military-service-members-make-2019-2#o-1-38256-10 によると、アメリカ海軍のO-1(少尉)は2年間で自動的にO-2(中尉)になり、O-3(大尉)には3年間の勤務が必要です。そして、4年間の勤務後にO-4(少佐)になれますが、これは資格を得たというだけで、自動ではなれません。
つまり、退役などがなければ、士官学校の卒業生や大学で士官教育コースを受けた者のほとんどは大尉になれますが、少佐になるには障壁がある上に、大尉のまま4年以上過ごす人が多いので、大尉の数が多いわけです。
なお、O-3は、ものによってはLieutenant(中尉)とし、大尉の階級をなくした訳もありますが、一般的な訳に従いました。
hush
リンク先、大変良いサイトを紹介頂き助かります。今は、翻訳もすぐできますし便利になりました。
階級の昇任にはいくつかの決まり事があるのですね。少しずつ理解できればと思いました。
大変有意義な勉強をさせていただきました。心よりお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
カーペンタリア
給与は階級内でのランクを上げれば済みますが階級は部門の上位クラスだとほぼ決められてるのが
軍隊でしょうからそんな人たちが大尉あたりに集中しているのではないかと推測します
tu
>医師、技術者、法務など能力や資格で軍に採用された人はピラミッド構造の構成外ではないでしょうか
旧日本海軍の場合、軍医中将、技術中将、法務中将を頂点とするピラミッド構造です。陸軍も同様かと思われます。
>そんな人たちが
そんな人たち=医師、技術者、法務等の人という意味でしたら間違いです。
単に大尉辺りからの昇進の時間がかかったり、困難だからです。
hush