ちょっと気になると夜も眠れない。

車両関係
Ans.Q

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381 m1戦車のAGT1500とt-80のGTD1250。
どちらもエンジンのサイズ自体はさほど変わらないにも関わらず、パワートレインのサイズは明らかにm1の方が大きい様です。
では逆になぜt-80のパワートレインはこんなにもコンパクトに出来たのでしょうか?
(変速機のサイズ差については知っていますがそれ込みでも差が大き過ぎないか?と感じたので質問させて頂きます)
ペンダント

  1. AGT1500はパワータービンの後ろにエンジン本体よりも巨大な熱交換器が一体化しており、燃費改善と共に排気温度を下げる&騒音を低下させる効果があります。
    GTD1250は比較的単純なラッパ型の排気口があるだけなので、排気のエネルギーはそのまま捨てます。 車体側にサイレンサーが付いているのかもしれませんが。

    またAGT1500は軸流式コンプレッサーですが、GTD1250は遠心式です。
    遠心式コンプレッサーはエンジンは太くなるけど全長は軸流式の半分程度で収まるので、戦車の様にパワーユニットに入れるならコンパクトになるでしょう。

    サイズ的にはGTD1250の方が有利ですが、M1は待ち伏せ任務でも8時間おきに燃料補給だそうで、それより大幅に燃費が悪そうなGTD1250だと燃料の心配が大変かと。
    また、高温の排気ガスは被発見率を上げると想像できます。


    わんける


  2. GTDの図面見てどうなってんのかさっぱりだったんすけどあれ遠心式だったんですね。
    ありがとうございました
    ペンダント



380 米国から英国にレンドリースされた、戦車、装甲車の車載機関銃はM1919機関銃で、英国の戦車、装甲車の車載機関銃はベサ機関銃で、両銃とも口径、リムの有無と全く違う弾丸を使用してます。更にブレン軽機関銃も0.303ブリティッシュと口径が違う弾丸を使用してます。この違いで兵站上問題なかったのか?と思えばwikiに以下の記述が有りました。
「王立装甲軍団への弾薬供給網が、もともとイギリス陸軍のその他の兵科とは独立していたことも影響している。」
これはどういう事で何で独立してるのでしょうか?
まさのり

  1. wikiのその記事は、英語版からの直訳のようですね。
    ドイツ語版では、次のようになります。

    ブレンはイギリスの.303イギリス弾薬カートリッジに変換することができましたが、ベサでは不可能でした。これを行うには、弾薬ベルトと装填機構をイギリス製のリムカートリッジに改造する必要がありました。したがって、リムレスケースを備えたオリジナルの 7.92 mm モーゼル キャリバーは維持される必要がありました。(中略)この兵器の弾薬の供給を確保するために、英国にこの目的専用の工場が建設されました。兵站上の問題を制限するために、ベサは機甲部隊にのみ支給され、歩兵には支給されなかった。


  2. そして、王立装甲軍団の兵站がなぜ独立していたかといえば、英国陸軍が、成り立ちの異なるふたつの軍隊が統合されたものだったからであり、そのひとつが王立部隊であったから、ということに由来しています。


  3. 片さん、ありがとうございます。英国陸軍は海軍や空軍みたいにロイヤルが付かないなど、色々事情が有りそうですよね。元々、戦車は海軍が作ったものだから王立なのかな?とも思いました。(笑)
    まさのり


  4. >3
    >戦車は海軍が作ったものだから王立なのかな?
     残念ながらTank Corpsだったものが1923年にジョージ5世王「大佐」によりRoyalのタイトルを与えられたのが由来です。
     なお、イギリス陸軍にRoyalがつかないのは議会により臨時召集されるものという建前があるからです。
     
    hush


  5. hushさんありがとうございます。
    まさのり



379 連投質問誠に失礼します。このたび幸運にも「某Y本プラモデル部」で話題になったパンサーG型スチールホイール仕様(タ〇ヤNo35174:現在では絶版欠番品)のキットを手に入れることができました。
このキットには「某Y本プラモデル部」で知らされたように、夜間暗視装置のパーツが3組入っています。
私はこの暗視装置を手持ちの3台のパンサー戦車(G型後期アゴ付き砲塔仕様、G型後期スチールホイール仕様、F型架空実戦仕様)のキットに取り付けようと思うのですが、時期的考証上おかしくなるものは無いでしょうか(架空車両混ぜといてよく言う)?
「プラモデルは自由だ!(某量産型リ〇)」と言ってしまえばそれまでなのですが…。
備後ピート

  1. 写真でそれとわかる実戦に使われた夜間暗視装置付パンターG型は、顎なし、普通の転輪のものが多いようです。


  2. 確か終戦時でもパンター製造ラインには通常の転輪が
    大量にストックが残ってたので
    1年終戦が伸びたなら兎も角史実ベースなら片さんがおっしゃる様に
    スチールホイールではない物が考証としては正しいと思います
    書籍で見かけるパンターやその派生派も戦場で生きてる物、撃破された物
    移動中に物含めてスチールホイールを履いたものは見た記憶は有りません

    ももんが


  3. いわゆる鋼製転輪は、複数あるパンターG型の組立工場のうち、MANの194年9月生産分Fgst.Nr.121032から121055でのみ限定的に使われた、とされています。最後期型の特徴というわけではないのです。


  4. しかし、暗視装置FG 1250の装備は、やはり1944年9月以降の生産分ではありますが別の会社MNHで製造されたパンターG型に対して行われているようです。
    これもまた、ほぼ1944年いっぱいの(1945年にも少しこぼれる?)発注であり、戦争最末期にはもう作られていません。


  5. そrから、あくまで考証にこだわるならば、FG1250の装備車は、車体右後部の雑具箱が、標準的なものとは別の形をしたFG1250補機箱に取り替えられます。これはタミヤの模型には入っていないはずです。

    もちろん、模型として楽しむ分にはどのようにでも自由に作られれば良いものです。



378 質問370の関連質問です。この度ウィキペディアの「パンサーF型」の記述を読んでいたところ、「前方車載機銃をMG34からMG42に変更し…」の記載を見つけました。ここで言う「前方車載機銃」とは片様の言う主砲同軸機銃のことでは無いですよね。
さっそく手持ちのパンサーF型のドラゴンのキットを調べたところ、前方車載機銃はどう見てもポールマウント装備のようでした。
それでは質問370で指摘のあった、ボールマウントとMG42の相性の悪さの問題はどのように解決されたのでしょうか?識者の皆さんどうか教えてください。

備後ピート

  1. パンターF型でMG42を装備する計画があったのは、砲塔の同軸機銃の方です。
    車体前面は、MP44に替える計画があったようですが、G型砲塔を載せて実戦に出たF型の写真を見ると、車体前面のボールマウントにはまだMG34がついているように見えます。



377  太平洋戦争中のアメリカ・グアム基地の映像みたことあります。爆弾を搭載した車両を数珠繋ぎにしたムカデ列車のようなものがトラクターに牽引され、曲線上を走っていきます。レールもないのに上手く走れるものだと感心しました。このような列車は今や日本の空港でも旅客バゲッジの輸送に使われています。質問は
1. このような列車が、先導車と同じ道(軌跡)を走れるような操舵機構はどのようなものか。
2. このような列車はアメリカではいつ頃から使われているのか、また日本ではどうだったのか。
3. ついでの質問ですが、これらの爆弾をB29に積み込むための装置はどのようなものであったか。爆弾倉上部に天井クレーンのようなものがついていたのか。
です。よろしくお願いいたします。
電気戦艦

  1. トーイングトラクタとドーリーの事をお尋ねでしょうか。
    もしそうなら特殊なもの以外は、前から突き出した牽引突起に合わせて前輪の向きを変えるくらいで特別な操舵機構はありません。

    モノによっては4隅の車輪が自由に回転するだけで方向すら変わりません。

    但しこれは私個人の見聞に基づく知識です。間違っていたらごめんなさい

    2、3については答えを持ちません。
    タンジェント


  2. タンジェント様
     どうもありがとうございました。確かに(自動車のように)前車輪が車軸に対して傾くわけではないので、前車軸から直角に飛び出した棒の先端が、前方の車にピンか何かで接続されていればそれでいいわけで、操舵装置は必要ありませんね。
    電気戦艦


  3. ≻2
     https://eagletugs.com/ground-support-equipment-history/ 等によるとクラーク社が1923年に開発したDuat Tow Tractorが嚆矢のようです。
    ≻3
     爆弾の搭載は地上からジャッキ等を使ってやっているようです。
      
    hush


  4. hush様 >3. どうもありがとうございました。このような列車は、工場内などでかなり前から使用されていたので、たまたま爆弾輸送にも使ったことのようです。大昔紡績工場を見学した時、製品を搭載した列車が無人で構内を走っていたことを思い出しました。爆弾搭載ではっきり写っているのは少ないですが、B26マローダーに、ロープとベルトを使って引っ張り上げてる写真がありました。また、機外装架の場合は確かにジャッキ的なもので下から押し上げていました。
    電気戦艦



376 ソ連のBT−5等でキャタピラ走行→車輪走行の変更はどれくらいの時間がかかったのでしょうか。
(映画の様に数秒で出来るとは思えませんが……)
安井 賢一

  1.  スウェーデンのランズヴェルクL-30は20秒(走行中は30秒)で交換可能だそうですが、Bt-5シリーズは数十分かかるようです。
     
    hush


  2. hushさん、回答をありがとうございます。

    やはりそれなりに時間かかるんですね(走行転換)。
    映画は演出という事ですね。
    安井 賢一



375 サイパンの戦いにおける戦車第9連隊の吉村中隊について。
ミリタリークラシックやネットでは吉村中隊の九七式中戦車及び九五式軽戦車がLVTと交戦した、と書かれている事がありますが、ザロガ氏の本や米軍側視点でサイパンの戦いの戦記には戦車第9連隊の総反撃時におけるM4中戦車との戦いは書かれていてもLVTとの戦闘については言及がありません。
本当に吉村中隊はLVTと交戦したのでしょうか?
アリゲーター

  1. 「鎮魂・戦車第九連隊を想う」には米軍資料によると吉村中隊の一輌が第6海兵連隊の上陸用装軌車に発砲して多大の損害を与えたとあります。なお、これは米軍上陸初日のことで、戦車第9連隊の総反撃時のことではありません。
    Taki


  2. 米軍資料とはこれだと思われます。53頁です。
    https://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/USMC-M-Saipan/USMC-M-Saipan-2.html
    Taki



374 第二次世界大戦時のアメリカの軍用トラックについてwikiを見てて質問します。
@同クラスのgmc cckwとスチュードベーカーUS6は部品を共用してたのと駆動系も同じみたいです。シボレー製のバンジョータイプ・デフ、ティムキン製のスプリットタイプ・デフの2種類がありバンジョータイプはイメージが湧きますがスプリットタイプは湧きません。どんなデフなのでしょうか?
Aこの当時でもアメリカのトラックはボンネット型です。因みにイギリスの軍用トラックはキャブオーバーが多いように見受けられます。何か理由があるのでしょうか?
BアメリカがスチュードベーカーUS6のキャンバストップを提案したところ
ソ連側は気候を理由に拒否したと有ります。何でアメリカではキャンバストップが好まれたのでしょうか?
まさのり

  1. @ どちらもデフはデフです。違うのはアクスル側です。
     バンジョータイプ・デフというのはバンジョー型アクスルに取り付けるためにデザインされたデフのことで、スプリットタイプ・デフというのはスプリット型アクスルに取り付けるためにデザインされたデフです。両者の違いはギヤ機構ではなく、ギヤ機構を固定するデフキャリアの形状の違いです。
     そしてバンジョー型アクスルというのは現在主流になっているタイプでトラック等大型車のリジットアクスルで見られる形状です。すなわち右端から左端まで一本につながった筒状の車軸の中央に、デフを取り付けるための大きな穴が開いているものです。
     対してスプリット型アクスルは現在生産されている車両ではもう見られなくなった形状で、車軸が一体型ではなく真ん中付近で左右に分割されているものをいいます。もう長らく使用されていないので検索をかけても中々見つかりませんが・・・以下の画像のような形状です。
    https://www.public.asu.edu/~grover/willys/graphics/split.jpg
    https://www.jalopyjournal.com/forum/attachments/p1010155-jpg.3696024/
    https://shop.willysamerica.com/v/vspfiles/assets/images/model_timken.jpg
    強度的に無駄が多く、軽量化に向かない上に整備性も悪いので使われなくなりました。

    A 個別の事由ではなく一般論ですが・・・

    ボンネット型のメリット
    ・エンジンを大きくできる。
    ・車高(キャビンの屋根の高さ)を低くできる。
    ・キャビンの乗り心地が良くなる。
    ・エンジンの整備性が良くなる。
    ・エンジンの熱がキャビンに伝わりにくい。
    ・放熱性に優れる。
    ・衝突事故を起こした際のキャビンの安全確保がしやすい。
    ・キャビンにエンジン音が伝わりにくく、静かにしやすい。

    ボンネット型のデメリット
    ・車体全長が長くなる。
    ・全長に上限がある場合は荷台スペースが短くなる。
    ・同じ能力を持ったキャブオーバー車に比べ車体が重くなる。
    ・(大型車は特に)前方の視界が非常に悪い。
    ・車外にエンジン音が漏れやすくうるさい。

    キャブオーバー型のメリット
    ・車体全長を短くできる。
    ・全長に上限が決められている場合は荷台スペースを確保しやすい。
    ・同じ能力を持ったボンネット車に比べ車体を軽くできる。
    ・前回りの視界が良い。
    ・車外にエンジン音が漏れにくくなる。
    キャブオーバー型のデメリット
    ・車高がどうしても高くなる。
    ・車高に制限がある場合、大きなエンジンを搭載できない。
    ・キャビンの乗り心地が悪い。
    ・エンジンの整備性が悪い。
    ・エンジンの熱がキャビンに伝わりやすい(寒冷地では床暖房になるのでメリットになるかも)
    ・車内にエンジンの音が伝わりやすく、うるさい。
    ・キャビンの衝突安全性の確保がしにくい。

     上記のメリット・デメリットはあくまでもボンネット車とキャブオーバー車を比較した場合の傾向です。ボンネット車ならキャブオーバー車より絶対的に衝突安全性に優れるというわけではありません。
     現在のアメリカの大型ボンネットトラックが詰んでいるエンジンは大きすぎてキャブオーバー車には絶対搭載できませんが、当時の軍用トラックではエンジンの大きさは同じくらいなので無視して良いと思います。

    B 自衛隊のトラックもキャンバストップが多いですが、キャンバストップは屋根を撤去することで視界が良くなり、車両の全高が低くなって隠蔽性を高められることが出来るため採用されています。
    おうる


  2. おうるさん、丁寧な回答ありがとうございます。
    Aについて、イギリスの汎用軍用トラック CMPトラックの項目に車体をコンパクトにして運び易くしたいという軍の要求が有った
    と言うのがありました。
    アメリカ軍はトラックの運び易さについて余り拘らなかったのかな。

    まさのり


  3. B 小説ネタですが、朝鮮戦争時の米軍の話です。

    軍用トラックにて兵士を運ぶ際、少しでも戦闘の恐れがある場合にはキャンバスを外しておくように忠告する話がありました。(士官相手に下士官が言ったので命令ではありません)
    物語の中では、霙交じりの雨に一台は指示を守って外し、士官の乗る一台はそのまま。
    襲撃を受けて、外した側は荷台から飛び降りて半数が生き残り、外さなかった方は全滅します。
    「軍用車が何故幌付きなのか、士官殿は御存知ない」

    記憶違いもありそうですし、なにより「小説」ですが、当時のベテラン軍人の認識が其の様なものだった可能性はあると思います。
    タンジェント


  4. タンジェントさん。小ネタの提供ありがとうございます。アメリカ軍はM10などの駆逐戦車達、M8グレイハウンド装甲車のように視界確保の為オープントップを採用してます。
    トラックもその影響なのですかね〜。CCKWの中にはリングマウントがありM2重機関銃が取り付けられるのも有ったみたいですね。これは対空用と対襲撃用の為でしょうね。
    まさのり



373 第二次世界大戦時のソ連は、軍用トラックの量産化に失敗し主にアメリカからのレンドリースのトラック、スチュードベーカーUS6やシボレーG506で賄ってました。これらのトラックはガソリンエンジンでT34、KVシリーズ、JSシリーズはディーゼルエンジンです。この辺りで兵站の混乱は起きなかったのでしょうか?或いはソ連側からアメリカにディーゼルエンジンに換装してくれ?という要望は無かったのでしょうか?確か第二次世界大戦時のアメリカは兵站の混乱を避ける為に、ガソリンエンジンに統一したと見た事が有ります。
まさのり

  1.  当時のソ連のトラックというとZIS-5とGAZ-AAだそうですが、これらはアメリカのトラックの模倣で、ガソリン・エンジンでした。したがって、トラックにはガソリン、戦車にはディーゼル油というように分けたほうが、混乱は少なかったのではないでしょうか。
     
    hush


  2. この時期はドイツもオペル・ブリッツなどアメリカの亜流ですし、ディーゼルエンジン搭載の軍用トラックが有ったのか?ですね。(苦笑)
    燃料もドイツは人造石油(液化石炭)頼み。日本は当時最大産油国のアメリカ頼み。これでは牛、馬に頼りたくのも判らなくもない。

    まさのり


  3. 軍用トラックの量産化に失敗したというのは本当でしょうか。ソ連は米国を主とする物資、物品の供給、援助があったため、戦争に直接必要な物や物品以外の生産や開発を取止めていますが、そのせいではないでしょうか。航空機でさえ、戦闘機を除いて新規開発をやめたと言われています。機関車も生産を中止していますね。
    UK


  4. hushさんが挙げてる、ZIS-5は10万台くらい生産されてますが、兵員輸送用のトラックが不足のためタンクデサントを取り入れたのでは?Pe-2、TU-2で事足りたのでは?更新が必要な機体であればIL-10のような機体を開発してますよ。レンドリースがあったから機関車が生産中止になった という事で宜しいのでしょうか?そうなると英米とソ連では線路の幅が違うと思うのですが?
    まさのり


  5. 機関車ですが、レール幅をどうしたかは知りません。ただ、一般的には、2000両近く受領し、このため国内生産は事実上停止したとされています。あの当時、ゲージ幅の相違は何とでもなると思われます。
    UK


  6. >4、5
     もちろん、アメリカはロシアの5フィート軌道としたものをALCOとBaldwin社で製造しています。
     
    hush


  7. >5.
    露軌のS-160は1943年にアルコとボルドウィンで200両です

    >6.
    良くご存じで
    駄レス国務長官


  8. >7
     今頃気づきましたが、ありがとうございます。もっとも、ちょっと調べただけですので…。
     
    hush



372 第二次大戦のドイツでナースホルンやフンメルで使用されていたIII/IV号車台はIII号戦車のパーツとIV号戦車のパーツを組み合わせたものだということですが、具体的にIII号戦車・IV号戦車と何が違うのですか?
また、ナースホルンやフンメル以外にこの車台を採用している車両はありますか?
ご存知の方いらっしゃいましたら、どうかご教授いただけると幸いです。
東亜連邦

  1. III/IV号車台は三号戦車、四号戦車の車体構成をする部品を
    ごちゃ混ぜにしたものですので一言で説明するのはかなり難しいです。
    車体自体は新設計です、故に見た目が同じでも転輪間隔が異なります。

    概ね駆動系を三号系統から流用してますが
    エンジン補器は4号流用があったり
    転輪は4号だが起動輪だけ三号(試作時は4号)で
    かつ時期により仕様が異なるなど
    細部を調べたら数十種類はあるかもしれないレベルです

    なんで転輪だけは4号なのってって疑問でしたら
    当時枯渇していた4号転輪の専用生産工場の竣工の兼ね合いなど
    供給面での問題かと思います
    三号は戦車生産は終了予定で突撃砲型は継続生産、拡大が
    予定されており、そちらに優先するつもり(それ以外に供給する余裕がない)
    と思われます。

    派生派については
    フンメル車台に砲を載せていないだけの弾薬運搬車が製造されてます
    砲を載せるだけでフンメルに戻す(改造)ことができる物

    次世代10cm榴弾砲自走砲のホイシュレッケ、クルップ案
    ラインメタル案試作車両にIII/IV号車台ベースに新設計された
    車両が用いられてる物
    試作されてごく少数が先行生産されたものもありますが結局
    新規製造するほどの物でないと廃案になってます。

    車体試作の検討段階で8.8cm高射砲を搭載する物
    これは別の武器運搬車車台で開発されることになり
    物になってないペーパープランです

    大戦末期にフンメル台車に10.5cm軽榴弾砲leFH18を搭載した物
    これは戦後連合軍に提出された書類に11両製造されたと
    記録がある事と、別資料で(うろ覚えですが)部隊に
    配備されたと見た覚えもありますが
    配備の有無については眉唾と思ってください。
    自分の把握してるのは上記4件となります。
    ももんが


  2. こちらのサイトに車台の概要が書いてあります。
    http://combat1.sakura.ne.jp/3+4GOU-R.htm

    まさのり


  3. ○車台全幅は、IV号よりも広いIII号のものと同じ。
    (なので、トランスミッションから起動輪にかけてはIII号のものを使って、鉄道車両の限界からはみ出さないようにしている)
    ○全長はIV号車台より長い。
    ○車内の容積を占めてしまうIII号のトーションバーは使わず、外装式のIV号のボギーを使う。

    III号、IV号のパーツを随時使って新開発を避けていますが、車内容積を最大限に取れるようにした自走砲向けの新車台なのだ、と。





  4. このようになったのは、要求された開発期間が短かったために、できるだけ多くのものを既存車両から流用するという方針が採られたためです。
    他にもあるIII/IV号統合戦車とは別のものです。


  5. 例えば、2.で紹介されているページには、1941年9月の段階でIII号とIV号戦車からできるだけ流用した戦闘重量23.5tの自走砲専用車台、とあるのですが、これがそもそも23.5tの中戦車のことです。複合転輪千鳥配置トーションバーで、III号戦車砲塔を使用するもので、IV号からの要素はありません。
    ドイツ軍Wa. Prüf. 6は、多砲塔戦車Nb.Fz の失敗後に、要素をIII号戦車とIV号戦車という二車種に分離してしまったことを悔いており、たびたび次世代用に統合中戦車を作ろうとしては諦めるということを繰り返しています。1941年9月の23.5t戦車もそのひとつでした。

    フンメル・ナースホルンの車台Geschützwagen III/IVは、上記のように本格的に次世代用に新開発するのではなく、また、戦車車台から流用するのでもなく、可能な限りすでに存在するものを利用して、専用の自走砲車台としての使い勝手の良さを得ようとしたものでした。



371 第二次大戦末期の中国戦線について。
独立混成第7旅団史というサイトで米式装備の第一戦区軍のM4中戦車には手も足も出なかったような事が書かれています。ansqか別の何処かの書き込みで見た記憶だと中国軍のM4中戦車は緬甸方面に配備されていた様で中国戦線での日本軍との交戦は殆ど無かった様に書かれていたので意外でした。
昭和20年以降になるとM4中戦車は中国戦線でも多数運用されていたのでしょうか?

  1. 独立混成第7旅団史の記述はM4中戦車に備えたとあるだけで、戦ったとは書いてません。中国戦線でM4中戦車と交戦した記録はありません。中国軍はM4中戦車を含め全面的に米式装備に変更される予定でしたが、その前に終戦になりました。
    Taki


  2. 返信遅くなりすみません、確かにその様でした。



370 第二次大戦ドイツ陸軍の車載機関銃としてMG34が最後まで使われたのは、後継機のMG42が銃身斜め横スライド交換方式だったのに対し、MG34が銃身後方引抜交換方式だったため、銃身交換の際乗員が車外に出なくて済むからだったと言われていますが、本当でしょうか?

銃そのものを車内に引き込んで、車内で銃身交換すればいいだけの話ではないでしょうか?機関銃そのものの性能としてはMG42の方が断然優れていると思うのですが…。


備後ピート

  1. ボールマウントの固定を外すと照準狂いますが・・・・
    固定武器ってものは取り付けた際に照準調整しないと使い物になりません。
    車内も広くありませんので
    「ラッチを外し引き抜いて足元に転がしてる予備をつかんで差し込み固定」と
    「マウント固定を外し車内に引き込んでから銃身固定ラッチをずらし引き抜いて予備銃身をセットし固定してボールマウントに差し込んで固定」が
    どちらが簡便で早いと思いますか?
    車内を見たことある人ではないので予想ですが狭い車内で機銃を全部引き抜くのは座席に座ったままでは困難と思いますし、座ったままが不可能なら
    作責からずれる動作も加わります。
    見た事は有りませんが恐らくボールマウント重機はボルト固定と思いますし
    何の書籍か忘れましたが確かボールマウントに据え付けてるMG42は銃身交換不可能の記載がありました。
    ボールマウントの形状を変えれば42も使えるようなものはできたのかもしれませんがそうすると既存の車両との互換性の問題が出てきます。


    ももんが


  2. 「車載機関銃」ということでしたら、ボールマウントを使わない形式ではMG42の使用は始まっていました。
    砲塔同軸機関銃などです。



369 1980年代ぐらいまでは、ソ連系戦車や自衛隊でも74式がドラム缶のドロップタンクを使ってた記憶があります。
しかし今は見かけません。何故なのでしょうか?
素人目には良いアイデアだと思うのですが。
似非ハンター

  1. 参考程度に、
    ・建前では、戦闘前には投下するのですがしないまま戦闘に入る車両がある。
    ・いくら燃えずらいとは言え、昨今のトラック火災を見ると…中東戦争の時イスラエル軍は、エジプト軍の撃破しずらいJS-3戦車を撃破するため曳航弾でドラム缶を狙ったみたいです。
    まさのり


  2. しずらい→しづらいですね。すみません。
    まさのり


  3. コメントありがとうございます。
    確かに薄い鉄板一枚のドラム缶は、弱点にはなりますね。
    似非ハンター


  4. あれって、航空機の増槽のように車内からの操作で分離できるもんなんですか?
    かめ


  5. 少なくとも、T-34/85辺りは車内からの操作で分離してたようですね。
    後部に装着された燃料タンクの付け根に分離装置が有り、その装置からワイヤー?が車外の金属製パイプ内を伝って車内へ伸びています。
    詳しい動作内容は分かりませんが、中国人民革命軍事博物館にあった3輌のT-34/85(1輌はポーランド製)全てに付いていました。

    陸奥屋


  6. T-34/85の車体後部のは発煙装置です。


  7. >4
    74式戦車も車内から切り離し可能となってます。
    ガンヘッド507



368 車長が一人何役もこなさなければならない二人乗りの戦車は能率的でないというのが妥当な評価だと思いますが、WW1のルノーFTの時点でそのような戦訓は得られなかったのでしょうか?
TR

  1.  どなたも回答なさらないようなので・・・・・・

     おそらく後の戦車運用の基本となるような機動戦が無い上に敵側に戦車が存在せず、歩兵を支援しながら前進するのが基本で速度も遅いので周囲の状況の変化がそれほど早くなく周囲の監視と指揮に専従する乗員の必要性がそれほど高くなかったからでは?
    おうる


  2. おうるさんご返信とご意見ありがとうございました。

    TR


  3. 能率的も何も、ルノーFTは戦車で全周回の砲塔を装備した最初の事例、なのだそうですが…
    にも@一言。


  4. 〉1 おうる様 質問者氏の物を考えていない文面に対しては、先ずそのその事を指摘すべきです。
    質問者氏にとって
    ww2アメリカの、「三人砲塔の量産体制を整えるには時間が掛かる」からリー/グラントの様な物を中継ぎとして量産するといった判断は
    理解の外なのでせうから、先ず質問者様に対して「では菱形戦車が能率的なのですか?」と問い返しませう。

    にも@二言。


  5. そもそもの話車長は指揮に専念する、という概念がいつ生まれたのか、という話です。三人乗り砲塔を持つヴィッカース中戦車は1920年代ですが、その後継の戦車はしばらく二人乗り砲塔になってます。一般的になったのはむしろWW2前後からです。それでも二人乗り砲塔を装備する戦車は多く、理由の一つとして車体容積があります。三人乗り砲塔はその分砲塔が大きくなりがちですので車体も大きくする必要があります。大型の戦車を作るにはコストも技術も資源も必要で、乗員が増えるなら人的資源も必要です。
    車長が指揮に専念する方が効率が良いというのは戦車の運用が複雑化してきたから、というだけの話なのです。
    みかん段ボール


  6. にも@二言。さんご返答ありがとうございます。
    菱形戦車は車長・砲手・装填手を分業しているので、車長が兼砲手兼装填手のルノーFTよりは車長が指揮に集中できたんじゃないでしょうか。後期の型は特に。

    またロールスロイス装甲車やランチェスター装甲車は二人乗り砲塔、ガーフォードプチロフ装甲車は二〜三人乗り砲塔、FCM1A重戦車は三人乗り砲塔ですので、複数人砲塔はWW1にもありました。

    しかし、WW1明け間もなく仏FCM2Cや米M1921中戦車や英中戦車マーク1やA1E1等、車長砲手装填手を分業した英スタイルの戦車が作られる一方で、
    乗員を切り詰めたルノースタイルの戦車も多く作られているので、WW1で兼任車長は大変だという評価は得られなかったのかなと思い質問させていただきました。

    余談ですが、もし1A重戦車が2C計画に食われずに実用化していたら、戦車の砲塔は三人乗りがベターだという意識が特に仏で早く広まったかもしれませんね。
    TR


  7. みかん段ボールさんご回答、ご意見ありがとうございます。
    >その後継の戦車はしばらく二人乗り砲塔になってます
    そうだったのですか。中戦車マーク1〜3、マークC、マークD、戦間期の巡航戦車、歩兵戦車はマチルダ1以外三人乗り砲塔だと記憶していました。

    >車長が指揮に専念する方が効率が良いというのは戦車の運用が複雑化してきたから、というだけの話なのです。
    いくらWW1がWW2に比べて単純で展開が遅いと言っても、砲塔旋回ハンドルもない原始的な一人乗り砲塔で照準を覗いて射撃する、射撃結果の観測をする、索敵や状況判断をする、操縦手に指示を出す、味方とコミュニケーションを取る、装填/装弾をする、とそれら全部を一人で迅速にやらなければならない車長は明らかにオーバーワークですから、車長が指揮に専念できた方が良いという戦訓がFTの時点で得られても不思議ではないと思いました。
    ちなみにルノーFTの直系のR35について「2人乗り戦車は数が揃っても指揮官車についてウロウロ動くだけで物の役には立たない」という結論の意見を目にしたことがあり、印象に残ってます。

    >理由の一つとして車体容積があります。大型の戦車を作るにはコストも技術も資源も必要で、乗員が増えるなら人的資源も必要です。
    確かに戦間期の不況は深刻で豆戦車が流行した位ですものね。
    仏が一人乗り砲塔に拘ったのは人的資源が理由の一つと言われていますね。

    TR



367 三式中戦車の撃発についてですが、wikpediaには撃発手は無線手又は車長が行うと書いてます。
疑問に思うのは無線手が撃発手を兼ねる場合、右側にある拉縄を左側かつ砲より手前に居る無線手が引くというのはあまり理想的な配置では無いように思います。(というより砲塔旋回する際縄が砲手や装填手、車長に引っかかるのでは。)実際一式七糎半自走砲や一式十糎自走砲は右側に撃発手が居るため、三式中戦車もこれに準じてると思うのですが、無線手が兼任するという話はどこから出現したのでしょうか。
匿名

  1. 三式中戦車の乗員の役割が書かれている資料というのは見たことがありません。wikpediaの記述は憶測や噂の類でしょう。ファインモールドに乗員の配置や役割が描かれた図がありますが、それも推定によるものです。

    Taki


  2. 「ファインモールドに」を「ファインモールドの」に訂正します。
    Taki



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