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ちょっと気になると夜も眠れない。 車両関係 Ans.Q どうでも良いことなのに…、誰か助けて! |
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M51スーパーシャーマンですが、ウィキには「105mm砲の反動は強烈で車体全体で反動を受け止めた、とあります。 となると、砲身を真横に向けて発砲すると車体が横転する恐れは無かったのでしょうか? あるいは、砲身を左右に向けられる範囲が決まっていて、それ以上には向けるな、といった制約があったのでしょうか? REW |
誰か答えて下さい。
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英語版ウィキペディアの3号戦車の項目の中に「外国での導入例」として日本の事例が取り上げられています。概要としては以下の通りです。 ・日本が3号戦車を2台購入。新型戦車の研究調査目的 ・技術的に時代遅れとなった時期に日本に到着 ・3号戦車 https://en.m.wikipedia.org/wiki/Panzer_III 以下、ご質問です。 1 日本が実際に3号戦車を購入し、勢力圏内で受領した事実はあるのでしょうか 2 日本が同戦車の購入を検討したり、独側に提案した事実があるのでしょうか 3 日本が同戦車を技術面や戦術面で参考にした事例はあるのでしょうか 4 独が同戦車の売却や提供を日側に打診、もしくは議論として検討した事例はあるのでしょうか このうち、1は戦史叢書や『深海の使者』などで確認したことはなく、間違いだと思っていますが、単に知らない可能性があるため、伺う次第です(柳船や対英米戦前の船舶輸送などの中身は余り把握していません)。2と4はオルタナティブの話です。実際の物や金の動きは実現しなくとも、案として検討された内容が回り回って誤解され、大きくなった可能性があるため、こういう事実があったのか否か伺う次第です。3もこの流れと関係しますが、どちらかと言うと興味関心で、独側の中型戦車に対する日本側の評価が知りたいです。 なお、上記で引用した文章には脚注で出典がついています。ちょっと古い年代となりましたが、一応は英語での書籍(小冊子?)のようなものに見え、執筆者には執筆者なりの根拠がありそうです。他方で今みで読んで理解してきた独側との軍事交流のなかで、同戦車の導入ないし検討に関する記述を見たことがなく、皆様のお知恵を拝借したく質問しております。何卒宜しくお願い致します タバスコ |
・4号戦車は二両購入して履歴も残っている
故に同時に3号も候補か契約した可能性はありますが
ヲタ歴30年の自分も聞いたことがないです。
・5.6号I戦車も購入しているが上記4号含めて開戦後の為届いたものは一両もない
日本の開戦前には当時の最新鋭ともいえるFw190やBf109、Ju88も
購入、受領できてますので購入の可能性はありえなくはないですが
日本側に受領されたという記録も写真も一枚も現在までないというのが
実情ですし日本の戦車開発に関する書籍でも触れられたことは
過去一度も無いと思いますので個人的には眉唾かなと感じます。
答えとしては個人的な範囲と前置きしますが
1.受領していないと思われる
2.生憎分かりません
3.戦車設計においては日本は日本独自で開発を続けてましたが
乗員配置等では参考にした可能性はあります
戦術については参考にしたくとも真似したくともできなかったというのが実情
4.これも2と同様です
ももんが
Taki
https://www.digital.archives.go.jp/img.pdf/1723819
Taki
ももんが
3号戦車の件はもちろんですが、4号戦車のことも全く知りませんでした。しかも突撃砲の購入も・・・
日の丸を付けた可能性のある独戦車を想像すると、年甲斐もなくワクワクします。
英語版ウィキペディアの3号戦車の項目は前半は根拠あり、後半はまだ分からない、ということですかね。ただ先入観を持つことなく、史料にもチャレンジしたいと思います。これら戦車はその後どうなったのか・・・現地でも日本に引き渡されたのか、などなど色々と調べてみます。
タバスコ
https://pepeprism.hatenablog.com/entry/2021/10/07/113752
まさのり
3号、4号なども言及ありましたね。勉強不足でした。
6号戦車のように、3号、4号などのその後が分かると良いのですが。
ありがとうございました。
タバスコ
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初めて書き込みます。 古典的名著、バランタイン版世界大戦ブックスNo15「ドイツ機甲師団」の最終章に、1945年3月21日のキュストリン〜ベルリン間の戦車戦が取り上げられています。末期の東部戦線でのドイツ戦車部隊の善戦を記録したものですが、登場するドイツ軍部隊は何なのでしょうか? 調べてはいるのですが、未だに解決していません。 よろしくお願いします。 豹スキ! |
翻訳サイトで見た感じではかなり詳しいので、これではどうでしょうか。
hush
2月22日現在の部隊表では、「M.-Bataillon z. b. V. Panzer-Truppe Nr. 346」なる部隊がありますが、よくは解りません。
パート5の記事に3月18日から22日にかけてミュンヒェベルク師団の名前が見えるので、そちらの方かなと思っています。
豹スキ!
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九七式中戦車の改造案 チハの装甲25mmでは、37mm対戦車砲の徹甲弾に打ち抜かれてしまいますが、 エンジン出力に余裕がないから、装甲を厚くすることも 大幅に増加装甲を取り付けることもままならない。 そこでふと思ったのですが、大和型戦艦の装甲技術を応用すればいいのではないでしょうか? (陸軍海軍の協調性の悪さという問題は別として) 主砲塔に使われていたVH甲鉄。この大和型のために新開発された装甲板と同じ材質にすれば 装甲厚25mmでも米軍の37mm対戦車砲に耐えられると思いますか? 天手力男 |
先ず質問の趣旨は単純に、チハの装甲25ミリと同じ距離でVH甲鉄25ミリは37ミリ対戦車砲を弾く事が出来るか?との事でしょうか?
それともVH甲鉄でチハを同じ装甲厚で製作しての話でしょうか?
あとVH甲鉄で製作する際のコスト、生産性、適性←鋼は硬くなると脆くなる。もしVH甲鉄の比重が重かったらとか
を度外視の想定でしょうか?
申し訳ないですが
まさのり
チハの装甲厚25mmを変更せずに、材質をVH甲鉄で製造するという事です。
あと自分はVH甲鉄の技術的特性といったものは知らずに、ただ単に大和型の装甲技術を利用すれば
チハの装甲厚を変更せずとも、対戦車砲に耐えられるのではないかと漠然と思っただけです。
天手力男
極論すれば防御効果が20%向上したとしても30mm相当にしかならない訳ですし。
元自
戦車の装甲を世界中の国が海軍のより強い(と一見見える)装甲を
転用しなかったのは単に情報漏洩するリスクが当然あるから問題外で
議題にすら上がらなかったのでしょうか?(そんなこと言いだせば狂人扱い)
ももんが
どれだけ大きくて厚い装甲板を造れるかって結局「炉」の大きさ次第なんですよ。
一枚の装甲板の大きさの上限は一つの炉で一度に溶かせる鋼分だけです。
たとえば100L溶かせる炉で1m四方の装甲板を造ろうと思ったら、単純計算で100mmまでの厚さしか作れません。100L溶かせる炉で2回に分けて鋼を溶かして1m四方200mm厚の装甲板を造ろうとしてもできないんです。
では逆に薄い方はというと100Lの炉で鋼を溶かして1m四方25mm厚の装甲を造ろうと思ったらひどく効率が悪くなります。かといって10平米10mm厚の装甲板を造ろうと思ったら今度は溶けた鋼が型に流し込まれる際に型の中に広がりきる前に先に流し込まれた分が先に冷えるなどして品質が均質でなくなります。
赤熱した鋼をローラーで引き延ばしていくような圧延鋼板なら違うでしょうが、海軍の戦艦などに使われる分厚い装甲板は鋳造ですから生産設備が違いすぎて技術転用が難しいんだと思います。
実際に面積と厚さの関係にどこまでの自由度があるかはわかりませんが、200mm以上あるような軍艦の装甲を造る設備で25mmの装甲板を造ろうなんて無理が出てくるのではないでしょうか?
おうる
戦艦用舷側装甲は鋳造じゃなく鍛造では?
大和型戦艦建造時に装甲鍛錬用の15000トン水圧鍛錬機を新規導入してますし。
元自
鍛造でも一度鋼を溶かすのは同じですし、ローラーで引き延ばす圧延鋼板ではないのだから炉の容量と装甲版のサイズの関係に制約は出るのでは?
おうる
横から失礼します。
軍艦用の装甲も圧延鋼板ですね。以下第7表などのように、鋼塊を鋳造(Φ2660〜2910)→水圧機で鍛錬(〜1100mmt)→圧延機で圧延となっています。巡洋艦等の砲塔や水平装甲など、艦艇用でも25mm程度のNC装甲は多く用いられているので、薄いものを作れないことはないんじゃないかと。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tetsutohagane1955/53/9/53_9_1119/_pdf
なお複数の溶解炉からの溶湯で一個の鋼塊を作る方法は当時から用いられており、上記第7表のように大和型の410mm装甲は70t平炉3基の合わせ湯で鋳造した160t鋼塊から製造されています。
ぱやーん
弾径と装甲厚は比例関係にあり、装甲厚は弾径以上にあることが望ましいのです。下記ぱやーん氏の提示した資料を読み解けば分かります。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tetsutohagane1955/53/9/53_9_1119/_pdf
もともと、チハ車の主要部装甲厚の25mmは30mmを必要とする軍の意見に対する回答であり、25mm厚でも表面浸炭処理により30mm相当の防御力があるとして採用されたものです。つまり、VH甲鉄からVC甲鉄にしたようなものですからVH甲鉄に戻したら30mm厚が必要となるのです。
戦車も軍艦と同様に小口径弾防御の表面硬化装甲(VC相当)から靭性に重きを置く均一圧延装甲(VH相当)に変移していますが、これは対処弾径が軍艦同様に増大して来たからであり、それ相当の厚さを必要としています。
えさたく
expery
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タイガー戦車後期型や一部のパンサー戦車の鋼製転輪は、ゴムをサンドイッチ状に内蔵してるとのことですが、履帯に接する部分が鋼製である以上、それまでのゴムリング式転輪に比べて走行時の振動が激しくなる、したがって乗員の疲労や走行間射撃の精度が落ちるなどの欠点は生じなかったのでしょうか?生じたとしても資源節約の観点から許容できる程度のものだったのでしょうか。 備後ピート |
おうる
えさたく
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王虎の転輪はそれまでの猫シリーズの挟み込み転輪と違い単にずらす様に転輪を配置していますが、問題は起きなかったのでしょうか? ペンダント |
車両を鉄道で輸送するには、各車軸の外側の車輪を取り外し、より狭い軌道を取り付ける必要があった
回答がつかないので、調べた感じではこのようなところでした
hush
ポルシェサスペンションは中止され、ティーガーIIと同じ転輪に戻していますが・・・・・・それで問題は改善されたということのようですね。
片
| 383 |
初めて質問させていただきます。 M4、4号などの戦車において、非戦闘時には操縦手、通信手席はハッチを上に開いて頭を出し視界確保して運転してるようですが、戦闘中などハッチを締めてるときはどうしてるのでしょうか 席に座ったまま前にかがんで操縦してるのでしょうか 戦闘が長引くと疲労度半端ないと思うのですがご教示ください ひでぼん |
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcR_jz3oWEQUmODQCkJ1gCJbSx8_I72aBk_8Hfpvn57iMw4CkE8HOz7uniBAfGW5dUDYaK4&usqp=CAU
上記が一番分かりよいと思ったのですが…
hush
でしたら、M4の場合、車長席は上下します。
https://qph.cf2.quoracdn.net/main-qimg-72a0ef56a0737dc3b32fb8207367a311-pjlq
hush
hush様、早速の回答ありがとうございます。
お断りですが質問は車長のことではありません。
M4は映画フューリーのティーガーとの戦闘シーン見る限り、通信手席はハッチ閉めても車内でかがんでるようには見えません。
ならば頭出してるときは席に何かクッション状のものを敷いてるのか腰浮かせてるのか?
現代の車みたいに何かシートの高さ調整機構があるのか。
4号についてもタミヤの新作4号G型のボックスアートなんかは砲塔から3名体乗り出しドライバー席から頭一つ出てるのに通信手のハッチは閉めたまま。中で一人だけ体かがめてるんですかね。
疑問は尽きません。
ひでぼん
だとすると、砲手と装填手ですね。
https://youtu.be/DN4TJpPRhSQ
を見ると簡易座席があります。
座面の上に立って外を見ているのではないでしょうか。
hush
いや、砲手でも装填手でもありません、砲塔ではなく車体の話です。
じつはM4について正解を見つけてしまいました。
https://www.youtube.com/watch?v=hzj2BP86XUM
の5分10秒前後、レバーで座席高さが調整できるようです。
某質問サイトでも同様の質問がされており、パンターなども高さ調整できるようですね。
映像で確認できるもの探してみようと思います。ありがとうございました。
ひでぼん
何だか、こちらが勘違いしていたようで、すいません。
つまり2で紹介したシートでいいわけですね。調整できる高さが違いますが。
hush
いや、砲手でも装填手でもありません、砲塔ではなく車体の話です。
じつはM4について正解を見つけてしまいました。
https://www.youtube.com/watch?v=hzj2BP86XUM
の5分10秒前後、レバーで座席高さが調整できるようです。
某質問サイトでも同様の質問がされており、パンターなども高さ調整できるようですね。
映像で確認できるもの探してみようと思います。ありがとうございました。
ひでぼん
| 382 |
帝国陸軍のタンクデサントについて 九五式軽戦車は後部にドラム缶を取り付けて、そこに兵員を乗せていたようですが 九四式&九七式軽装甲車のような更に小型の戦車では どうやってタンクデサントしていたのでしょうか? 天手力男 |
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7f/Type_94_tankette_column.png
hush
後で考えてみれば、これだけ小さかったら一人乗せるだけで
限界ですね・・・
天手力男
失格
Taki
| 381 |
m1戦車のAGT1500とt-80のGTD1250。 どちらもエンジンのサイズ自体はさほど変わらないにも関わらず、パワートレインのサイズは明らかにm1の方が大きい様です。 では逆になぜt-80のパワートレインはこんなにもコンパクトに出来たのでしょうか? (変速機のサイズ差については知っていますがそれ込みでも差が大き過ぎないか?と感じたので質問させて頂きます) ペンダント |
GTD1250は比較的単純なラッパ型の排気口があるだけなので、排気のエネルギーはそのまま捨てます。 車体側にサイレンサーが付いているのかもしれませんが。
またAGT1500は軸流式コンプレッサーですが、GTD1250は遠心式です。
遠心式コンプレッサーはエンジンは太くなるけど全長は軸流式の半分程度で収まるので、戦車の様にパワーユニットに入れるならコンパクトになるでしょう。
サイズ的にはGTD1250の方が有利ですが、M1は待ち伏せ任務でも8時間おきに燃料補給だそうで、それより大幅に燃費が悪そうなGTD1250だと燃料の心配が大変かと。
また、高温の排気ガスは被発見率を上げると想像できます。
わんける
ありがとうございました
ペンダント
| 380 |
米国から英国にレンドリースされた、戦車、装甲車の車載機関銃はM1919機関銃で、英国の戦車、装甲車の車載機関銃はベサ機関銃で、両銃とも口径、リムの有無と全く違う弾丸を使用してます。更にブレン軽機関銃も0.303ブリティッシュと口径が違う弾丸を使用してます。この違いで兵站上問題なかったのか?と思えばwikiに以下の記述が有りました。 「王立装甲軍団への弾薬供給網が、もともとイギリス陸軍のその他の兵科とは独立していたことも影響している。」 これはどういう事で何で独立してるのでしょうか? まさのり |
ドイツ語版では、次のようになります。
ブレンはイギリスの.303イギリス弾薬カートリッジに変換することができましたが、ベサでは不可能でした。これを行うには、弾薬ベルトと装填機構をイギリス製のリムカートリッジに改造する必要がありました。したがって、リムレスケースを備えたオリジナルの 7.92 mm モーゼル キャリバーは維持される必要がありました。(中略)この兵器の弾薬の供給を確保するために、英国にこの目的専用の工場が建設されました。兵站上の問題を制限するために、ベサは機甲部隊にのみ支給され、歩兵には支給されなかった。
片
片
まさのり
>戦車は海軍が作ったものだから王立なのかな?
残念ながらTank Corpsだったものが1923年にジョージ5世王「大佐」によりRoyalのタイトルを与えられたのが由来です。
なお、イギリス陸軍にRoyalがつかないのは議会により臨時召集されるものという建前があるからです。
hush
まさのり
| 379 |
連投質問誠に失礼します。このたび幸運にも「某Y本プラモデル部」で話題になったパンサーG型スチールホイール仕様(タ〇ヤNo35174:現在では絶版欠番品)のキットを手に入れることができました。 このキットには「某Y本プラモデル部」で知らされたように、夜間暗視装置のパーツが3組入っています。 私はこの暗視装置を手持ちの3台のパンサー戦車(G型後期アゴ付き砲塔仕様、G型後期スチールホイール仕様、F型架空実戦仕様)のキットに取り付けようと思うのですが、時期的考証上おかしくなるものは無いでしょうか(架空車両混ぜといてよく言う)? 「プラモデルは自由だ!(某量産型リ〇)」と言ってしまえばそれまでなのですが…。 備後ピート |
片
大量にストックが残ってたので
1年終戦が伸びたなら兎も角史実ベースなら片さんがおっしゃる様に
スチールホイールではない物が考証としては正しいと思います
書籍で見かけるパンターやその派生派も戦場で生きてる物、撃破された物
移動中に物含めてスチールホイールを履いたものは見た記憶は有りません
ももんが
片
これもまた、ほぼ1944年いっぱいの(1945年にも少しこぼれる?)発注であり、戦争最末期にはもう作られていません。
片
もちろん、模型として楽しむ分にはどのようにでも自由に作られれば良いものです。
片
| 378 |
質問370の関連質問です。この度ウィキペディアの「パンサーF型」の記述を読んでいたところ、「前方車載機銃をMG34からMG42に変更し…」の記載を見つけました。ここで言う「前方車載機銃」とは片様の言う主砲同軸機銃のことでは無いですよね。 さっそく手持ちのパンサーF型のドラゴンのキットを調べたところ、前方車載機銃はどう見てもポールマウント装備のようでした。 それでは質問370で指摘のあった、ボールマウントとMG42の相性の悪さの問題はどのように解決されたのでしょうか?識者の皆さんどうか教えてください。 備後ピート |
車体前面は、MP44に替える計画があったようですが、G型砲塔を載せて実戦に出たF型の写真を見ると、車体前面のボールマウントにはまだMG34がついているように見えます。
片
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太平洋戦争中のアメリカ・グアム基地の映像みたことあります。爆弾を搭載した車両を数珠繋ぎにしたムカデ列車のようなものがトラクターに牽引され、曲線上を走っていきます。レールもないのに上手く走れるものだと感心しました。このような列車は今や日本の空港でも旅客バゲッジの輸送に使われています。質問は 1. このような列車が、先導車と同じ道(軌跡)を走れるような操舵機構はどのようなものか。 2. このような列車はアメリカではいつ頃から使われているのか、また日本ではどうだったのか。 3. ついでの質問ですが、これらの爆弾をB29に積み込むための装置はどのようなものであったか。爆弾倉上部に天井クレーンのようなものがついていたのか。 です。よろしくお願いいたします。 電気戦艦 |
もしそうなら特殊なもの以外は、前から突き出した牽引突起に合わせて前輪の向きを変えるくらいで特別な操舵機構はありません。
モノによっては4隅の車輪が自由に回転するだけで方向すら変わりません。
但しこれは私個人の見聞に基づく知識です。間違っていたらごめんなさい
2、3については答えを持ちません。
タンジェント
どうもありがとうございました。確かに(自動車のように)前車輪が車軸に対して傾くわけではないので、前車軸から直角に飛び出した棒の先端が、前方の車にピンか何かで接続されていればそれでいいわけで、操舵装置は必要ありませんね。
電気戦艦
https://eagletugs.com/ground-support-equipment-history/ 等によるとクラーク社が1923年に開発したDuat Tow Tractorが嚆矢のようです。
≻3
爆弾の搭載は地上からジャッキ等を使ってやっているようです。
hush
電気戦艦
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ソ連のBT−5等でキャタピラ走行→車輪走行の変更はどれくらいの時間がかかったのでしょうか。 (映画の様に数秒で出来るとは思えませんが……) 安井 賢一 |
hush
やはりそれなりに時間かかるんですね(走行転換)。
映画は演出という事ですね。
安井 賢一
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サイパンの戦いにおける戦車第9連隊の吉村中隊について。 ミリタリークラシックやネットでは吉村中隊の九七式中戦車及び九五式軽戦車がLVTと交戦した、と書かれている事がありますが、ザロガ氏の本や米軍側視点でサイパンの戦いの戦記には戦車第9連隊の総反撃時におけるM4中戦車との戦いは書かれていてもLVTとの戦闘については言及がありません。 本当に吉村中隊はLVTと交戦したのでしょうか? アリゲーター |
Taki
https://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/USMC-M-Saipan/USMC-M-Saipan-2.html
Taki