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265 九四式軽装甲車の全長3080mm(改良後期形3358mm?)とは何処から何処までの長さなのでしょうか?
横から見ると車体の前後面の中央部分に取り付けてあるフックが前後ともに車体本体(履帯)より前後に飛び出しているように見えます。
フックが全長に含まれるなら【フック―フック間】が、フックが含まれないのなら【履帯前端−履帯後端間】が全長になると思うのですが、その辺りの正確な所をご存知の方いませんか?

まやん

  1. 全長とは先端から後端までの長さです。フックが端ならそこからの長さです。「機甲入門」に掲載されている九四式軽装甲車の図面に全長が引き出し線で示されています。それを見ると後端はフックの端で先端は履帯の端です。
    Taki


  2. Takiさんありがとうございます。
    ということはフックも寸法に含まれ、前端は履帯よりフックが引っ込んでいるということですね。とび出ているものと勘違いしていました。
    図面が存在していないと思っていたのですが記載されているなら「機甲入門」を購入しようとおもいます。
    ちなみにその図面は略図(3〜6面図など)でしょうか?他の戦車などの図面も記載されているのでしょうか?他に図面や詳細が記載されている本(もしくはサイトなど)をご存じないでしょうか?
    まやん


  3. 「機甲入門」の図面は前期型は側面、前面、後面の3面図。後期型(37mm砲搭載の試作車)は側面、前面、後面、平面の4面図です。

    九四式軽装甲車の制式図面はこの本以外には知りません。他の本や雑誌に載っている図面は後世に書き起こしたものだと思います。「機甲入門」にはこれ以外にも他では見られない戦車などの制式図面が多数掲載されていますので、購入されることを強くお勧めします。

    Taki


  4. そうなんですか。制式3図面&他では見られない戦車の制式図面となると購入しないわけにはいきませんね。
    詳しい情報をありがとうございました。
    まやん



264 日本陸軍の戦車によく見られたかんざし式砲塔ですが、あれは車体機銃と同じく前方掃射用だったんですね…
砲塔内部を見ても砲手用、車長用に旋回転把と機銃の位置が離れているので同軸機銃のように砲塔を廻しながら機銃を撃つことが出来なさそうですが不便ではなかったのですか?
みかん段ボール

  1. かんざし式砲塔ってなんだろうと思って調べてみましたら、
    『四式中戦車の主砲初期案―肩当て照準と同軸機銃の微妙な関係』というサイトが有りました。
    デスコン


  2. むしろ同軸機銃化する方が不便です。

    砲塔機銃を使用するのは主に突撃時及びそれに続く敵歩兵掃討時ですから機関銃重量も加わった重い砲部を肩当操作するよりもボールマウントで車体機銃と同様に目標に対し軽快に指向できる方が有効でしょう。
    大きな方向変換は車長が砲塔旋回すれば済む話ですから。

    なお、『四式中戦車の主砲初期案―肩当て照準と同軸機銃の微妙な関係』で「九八式軽戦車「ケニ」、二式軽戦車「ケト」、特二式内火艇等がそれに当たる。」と銃口制退器が採用されたから連装化されたようになっているけど、あれって車体機銃が無いから連装にしてるんじゃないのかな?と思います。

    そもそも反動云々は砲手と反対側に機関銃を搭載した場合の考察であって砲手側に搭載した場合はさほど影響ないと思われます。
    また、ドイツ38(t)やイギリス戦車は肩当照準でも砲手とは逆方向に機関銃積んでいるのは問題なかったのかと言う疑問もあります。
    はいどーも


  3. 日本の戦車に導入された砲と機関銃(「機銃」は海軍の用語で陸軍には「機銃」という兵器はありません)の双連の砲架は肩当式で左右に砲を振る操作が廃されて導入されたものです。
    BUN


  4. >双連の砲架は肩当式で左右に砲を振る操作が廃されて導入されたものです。

    97式車載重機関銃(連装用)を搭載した1式37mm戦車砲の砲架は肩当式で左右に砲が振れるタイプですよね?
    しかも『四式中戦車の主砲初期案―肩当て照準と同軸機銃の微妙な関係』に掲載されている図とは異なり機関銃が砲手側に位置しますので砲手は肩当で制御出来る方式です。

    もっとも、私の
    >肩当照準でも砲手とは逆方向に機関銃積んでいるのは問題なかったのかと言う疑問もあります。

    この書き込みも砲が砲塔旋回以外に砲架自体が左右に動くのを失念していました。
    さらに、97式車載重機関銃(連装用)取扱法に発射衝力緩衝とともに砲架の旋回を防止する旨明記されていました。

    だからと言って、銃口制退器取り付け前は砲旋回が起こるため連装化(同軸化)は行えず、銃口制退器が取り付けられたから連装化した論には疑問を抱くわけです。

    むしろ、連装化しなくてはならない事情が発生したので銃口制退器が開発されたのではないかと思う次第です。



    はいどーも



263 特二式内火艇について質問したいのですが特二式内火艇は本土でも部隊配備が行われていたのでしょうか?
海軍大好き

  1. 本土決戦部隊の横須賀第十六特別陸戦隊に20輌ほどが配備されていました。他には大湊や舞鶴にもあったそうです。
    Taki



262 新砲塔チハについてある対空機銃架について質問です
あの機銃架の上下左右の可動範囲はどれくらいでしょうか?また、アメリカやドイツの戦車のように、乗員がハッチから身を乗り出して歩兵に対して撃つことはあった、またはできたのでしょうか?
みかん段ボール

誰か答えて下さい。

261 戦車の機動?についてなのですが、戦車について色々と書かれた本で、
味方の戦車と協力して進撃する時、左の味方が前進して斜め右の敵に攻撃して、その後、右の味方が前進して斜め左の敵に攻撃しする方法と、
左の味方が前進して前方の全体に攻撃、右の味方が前進して前方の全体に攻撃する方法が、あるって呼んだ記憶があるのですが、それぞれの戦術?の名前を教えて頂けないでしょうか?
デスコン

  1. 逐次躍進と交互躍進でした。
    デスコン


  2. うろ覚えでしたので、方法が違っていましたね。
    片方が前進、片方が援護。交互躍進
    片方が前進と攻撃。逐次躍進
    デスコン



260 九五式軽戦車不要論が日本軍内部で持ち上がった事はあるのでしょうか。
九七式軽装甲車の出現以降、ハ号の立場が脅かされた事は一時でもあったのかと気になりました。
実際は早々に切られたのはテケの方ですし、逆の結果なのですが。
しかしスペックの近似する両者が比較された事はもしかしたらあるかもしれない、そう思いました。
パンジャンドラム

  1. 軽装甲車は乗員が2名なので一人が負傷すると戦闘力を失ってしまいます。そのため、軽戦車への変換の要請が部隊から出て、軽装甲車は廃止されていきます。ですから、不要論は軽装甲車の方で、軽戦車が不要だと言う論は陸軍にはなかったようです。
    Taki


  2. ウィキなどの記述を見るとこうなりますね

    九五式軽戦車
    ・機械化部隊の主要戦車・陸軍は「軽戦車(主力・多数)と重戦車(補完・少数)の二本立て」で戦車隊を編成・九五式軽戦車は八九式中戦車もしくは九七式中戦車とコンビを組む機械化部隊の主役・砲+機銃+乗員3名

    九七式軽装甲車
    ・主に師団の捜索連隊(機動偵察部隊)に配備・戦車連隊など多くの部隊で連絡用などとして使用・海軍陸戦隊にも供与・脇役として設計されたが戦闘にも参加する豆戦車・砲のみ+乗員2名

    乗員数について「九五式軽戦車と類似する車両を開発する意味がないので3名案が見送られた」とあります
    別思想・別用途として開発された車両と言うことになりますね
    それならお互いに相手の立場を奪う要素がないので「不要論」の対象外ではないかとおもいます

    カブとスクーター・軽トラと軽箱バンのような関係じゃないでしょうか?
    まやん


  3. 九五式軽戦車に対して最初から否定的だったのは歩兵学校ですが、これはこの戦車が騎兵の管轄下にあったことが大きな理由です。騎兵にとっては騎兵装甲車から大幅に強化された車両なので文句は無く、日本最初の機械化部隊である独立第一混成旅団の装備も九五式軽戦車に置き換えられています。

    歩兵に対する「支援戦車」(これは当時の陸軍部隊で使われた用語で、直協という言葉は師団砲兵の任務と混同しやすいので「支援」となっています。)は中戦車、重戦車を含みますが、機動作戦用の軽戦車は含まれません。

    日本にそれまで存在しなかった「中戦車」というカテゴリーが生まれて以降は、軽戦車の運用ドクトリンは他の歩兵管轄の戦車とは違うのです。

    また九七式軽装甲車は化学戦に用いる車両でもありましたから、軽戦車とは任務の異なる車両として九五式の登場以降も開発が行われているのです。


    BUN


  4. 回答ありがとうございます。
    勿論、兵器の違いは弁えています。
    しかし、とても頭のキレる将校さんが二車を見て「どっちか要らんなぁ」と「思いついて」意見を書きなぐって上に送るという事はあったのかなぁと。
    どんなに「装甲車だから」と理性で押さえつけても、あの二車を見てしまえばそれを気にせずにはいられないのではないでしょうか。

    そんなに当時でも「冷静に」見ていたのでしょうか。
    貧乏性の陸軍がここに限って件の病気を発症しないし軍人の誰もハ号とのスペックの近似を指摘していない。
    ここがなんというか不気味なんです。
    パンジャンドラム


  5. 九七式軽装甲車は三分の二が機銃車で残り三分の一が砲搭載型で、砲搭載型は小隊長車にのみ留まっております。これは配備された捜索連隊(騎兵科が前身)が本格的な対戦車戦闘を考慮してない点にあります。

    次に、九五式軽戦車は生産された全ての車輌に戦車砲を搭載しています。これは本格的な対戦車戦闘、陣地攻撃(これは陣地を掃射する際必要な車体前方機銃や砲塔銃が装備されてることから、想定されていたことが分かる。一方九七式軽装甲車は陣地攻撃を行うことが考慮されていないので武装も銃塔内に機銃が一挺ある程度で、砲搭載型には機銃が無い。)を行うこともあり得る戦車隊に配備することを考慮された点があります。

    さて、ここから本題ですが、全て私の推測によるものと先にお断りしておきます。
    ・どっちか要らんなぁという意見について
    私が思うに、そもそも装甲車を扱う騎兵科と戦車を扱う歩兵科の縄張り争いから、そういった意見はほぼ無いと思います。一応戦車隊もノモンハンに限っては連絡用に少数ではありますが九七式装甲車を配備していましたが、太平洋戦争になると連絡用車輌にも九五式軽戦車に変更しています。

    一方捜索連隊ですが、こちらは太平洋戦争中、戦車師団捜索連隊を除くと、一部の捜索連隊で少数が配備されており、残りの大半が九七式軽装甲車を装備している状況です。途中から過剰になった(おそらく九七式中戦車に更新して余ったものと思われる)九五式軽戦車が譲られてる程度となっております。

    ここから考えるに、そもそも似通った性能とは言え、管轄・使用目的が違うのでどちらか選ぶといったことは無かったのではありませんでしょうか。

    あとふと思ったのですが、いくら性能が似通っても九五式は全備重量が8t近くあるので、当時のアジア地域の架橋ではおそらくそのまま通れないのでは? 機動力をもって誰よりも早く敵地を偵察することが任務で、わざわざ工兵の架橋を待っている暇が無い騎兵科にとっては少し扱いにくい部分があるのではないでしょうか? 一方九七式軽装甲車は全備で5tも無く、少なくとも九五式軽戦車よりかは特別な機器を用いずとも橋を渡れ、さらにそのまま船からクレーンで降ろして即座に展開ということもできると思います。 戦車隊より機動性を重視している騎兵科なら、似通った性能ならば後者を選ぶのでは?

    一方、戦車隊は敵の対戦車砲や陣地攻撃、対戦車任務を主眼に置いている以上、九七式軽装甲車では乗員が二名とハ号より少なかったのであまり使用せず、九五式軽戦車を選んでいます。

    最後に、ハ号とテケのスペックの近似を指摘していない点についてですが、九七式軽装甲車の場合、乗員が二名と少なかったので苦労したそうですが、九五式軽戦車より操縦が簡単だったそうです。確かにスペックは似ている両車ですが、使用目的から来る細部の相違点や操縦性、運用方法においては違いがあり、運用してみると全然違うので誰もそういうことを思いつかなかった、と私は推理します。
    みかん段ボール


  6. 訂正
    ×九七式軽装甲車は三分の二が機銃車で残り三分の一が砲搭載型で、砲搭載型は小隊長車にのみ留まっております。これは配備された捜索連隊(騎兵科が前身)が本格的な対戦車戦闘を考慮してない点にあります。

    ○九七式軽装甲車は三分の二が機銃車で残り三分の一が砲搭載型で、砲搭載型は小隊長車にのみ留まっております。これは配備された捜索連隊(騎兵科が前身)が本格的な対戦車戦闘、陣地攻撃を考慮してない点にあります。
    みかん段ボール



259 なぜソ連はパンターのような75ミリ級長砲身砲を採用しなかったのですか?
ヘルにゃんこ

  1. 戦車は専門外ですので、とりあえず呼び水のつもりでWikipediaからの引用を貼っておきます。
    「新しいT-34の武装としては、長砲身高初速のZiS-2 57mm対戦車砲や、52-K 85mm高射砲を改造したD-5TまたはZiS-S-53 85mm戦車砲が比較され、結果として砲身の寿命や榴弾の威力に勝る後者が選ばれた。」

    上記の件をご承知の上での質問でしたら失礼します。
    超音速


  2. 質問の仕方が良くなかったな。
    開発しようとしたのか、あるいは何かしらの理由で出来なかったのか、あるいは最初からいらないと考えていたのかがわからないです。
    ヘルにゃんこ


  3. >2
     1は、高射砲ながら装甲弾を使用できる85mm砲があるのに、わざわざ76mmの長砲身砲を開発する必要がありますかという意味に私は取りましたが。しかも、撃破すべきはパンテルではなく、ティーゲルなのですから余計です。
     
    hush


  4. 1940年以降、ソ連では76o級高射砲を製造していないからです。
    85o砲の採用はもちろん対戦車戦闘能力の向上が第一の目的ですが、面白いことに赤軍の対戦車砲は45o砲の1942年型、57o長砲身のZIS-2といった口径の砲が1943年から生産されその製造数のピークはそれぞれ1944年、1945年にあります。
    対戦車用としてはこれでも足りたということなのですが、戦車に85o砲を搭載するもう一つの利点である榴弾威力を評価していたことも忘れてはいけない点です。
    戦車が友軍野砲の射程外まで突破した段階で砲兵支援が受けられなくなり、戦車自身が直射野砲の役割を果たさねばならないという機動作戦実施上の課題も戦車砲の大口径化に繋がっています。
    BUN


  5. 上で皆様が書いてるけど、対戦車用として開発してたのはZiS-2 57mm対戦車砲で、この砲実はソ連85oよりも貫徹力あったりするんよ
    でもこの砲は高価で量産向きじゃないので作られた数が少ない

    そこで高射砲を流用するんだが、独のラインメタルのライセンス生産でM1931・76mm高射砲を作って、それの改良型をM1938・76mm高射砲として作ったが
    そのすぐ1年後に52-K 85mm高射砲が開発されたので生産が85o優先になったので、それを流用しただけ
    惑星民


  6. ZIS-2は戦争後期に10000門弱も生産されていますね。
    BUN


  7. 1945年になると、歩兵師団にももう一線級とは言えなくなったSU-76がいくらか下りてきています。つまり76.2ミリ対戦車砲は砲もさることながら牽引車両(とその整備チーム)が希少なので、師団に下ろさず軍直轄としていたものと考えています。エンジン込みのSU-76の現物が軍直轄部隊で後継車種に押されたら、そっちは砲兵として師団に下りてくるわけですね。砲の威力のほか、師団新設と損耗で膨大な数が要ること、牽引車事情(レンドリースのジープも使われました)も合わせて57ミリ砲以下が使われ続けたことかと思います。

    シュピールベルガーの「重駆逐戦車」には長砲身88ミリ砲が「一体型の砲身は生産性が悪く、途中から前半後半を継ぎ足す工法に変えるけれどもこれがまた初期不良続発」というような話が載っています。75ミリ砲を無理やり長くするのも、上記で命数の話が上がっていますが、似たような困難があるんじゃないでしょうか。ソヴィエトがやらなかったというより、ドイツだけが敢えてそれをしたほうに、なにか技術の裏付けがあるのかもしれません。
    マイソフ


  8. T-34/85と比較されたのはT-34/57と呼ばれる57o砲搭載型の43年タイプと呼ばれるものです。
    両者の比較で、榴弾威力の優位が85o砲採用の理由の一つに挙げられています。
    戦車の搭載弾薬の半分は榴弾なのです。
    BUN



258 旧日本軍の戦車用エンジンの部品供給について質問です。
いろんな文献により以下の二つの事柄が錯綜している様に思えます。
・「日本軍戦車のクランクシャフトはアメリカから輸入した工作機械で鍛造加工されたものを使っており、開戦に伴い入手不能になった為、機械が消耗した大戦後期からは国産の削り出し加工のものを使用した為故障が頻発した」
・「戦前の日本軍戦車のクランクシャフトはアメリカからの輸入品であった為に開戦後は国産の削り出し加工のものを…」
という説です。
製造プラントがこちら側にあるならば、開戦後も長期に渡り供給出来ており、後期に生産された車体の多くは一式・三式や九八・二式、各種自走砲・砲戦車の数百両以上が殆どを占め、実際の戦闘にあまり寄与する事は無かった、で済む話です。
一方で後者の説が正しければ、開戦後42年くらいまでの生産分は普通に前線で激しく交戦していますので、問題でしょう。
どちらが正しいのでしょうか。
またこの辺りに詳しい方がいらっしゃいましたら、是非「クランクシャフトが変わった・遷移した期間」の話を聞かせてほしいと思います。
いつ頃の話なのか。

また同様に「スウェーデン製ベアリング」を使っていた時期・国産品への遷移の様子など、教えて頂きたいと存じます。
98式6屯牽引車はボッシュ社製燃料噴射装置を使用する為に輸入品のストックに頼っていたそうですが、これは制定時期が統制型エンジンより二年早い為に二年分の輸入期間が増えた為にストックの量が終戦まで持った稀有な事例だと思われます。
パンジャンドラム

  1. 列型エンジンのクランクシャフトを切削加工だけで製造することはありません。
    1939年9月以降、そして1941年独ソ開戦、さらに日本の参戦によって外国製工作機械の入手が困難になって工作機械の中でも高度なものに属するクランクミラー等の国産は難しかった、というお話でしょう。
    またディーゼルエンジン化は戦車に限らず国策でしたから開戦時には燃料噴射装置は国産化できています。

    BUN


  2. >BUN様
    ありがとうございます。返信遅れて申し訳ありません。
    日本製燃料噴射装置に纏わる様々な悪評は目にしますが、一方で1943年に終わったハ号は主に軽量さによるものではありますが、それでも故障知らずの戦車であった事も伝えられています。
    外国製のクランクミラーはこちらが予め抑えていて、それを禁輸制裁・独ソ開戦・太平洋戦争開戦と新規に入って来なくなるなかでも、抑えていた分は稼働させていたとみてよいのですか。
    クランクシャフトを輸入に頼る、とは部品供給上大丈夫なのかと疑いますが、本当にそう書いてあるムック本も何度か読んだ記憶があるので、クランクミラーは日本が抑えていたのか、持ち主が気になっています。


    パンジャンドラム


  3. いや、要は日本のクランクシャフトって、「輸入した工作機械による国産品」なのか、「輸入品」だったのか、です。
    普通に考えれば前者な筈なのに、食い違う主張をみて心配になりました。
    作れないからといって輸入品に頼るよりは、作れるだけの工作機械を入手するのが無難に見えます。

    パンジャンドラム


  4. クランクシャフトが輸入できるなら、国産が難しかった工作機械も輸入できる、というお話です。
    日本の工作機械輸入は国際情勢の緊迫化と欧州の戦争勃発、そして独ソ戦開戦と節目ごとにどんどん困難になって行きます。
    BUN


  5. 商売ですから…、もしかしたら…。
    一応ハ号は故障知らずだったわけですし、万が一にもとは思いますが。
    パンジャンドラム



257 車両牽引式火砲のスネーキング(sway)対策について質問です。

現用の155mmりゅう弾砲は砲身を前方に向けて牽引されるようになっています。車枠および牽引車後部の構造上の困難より、重心位置を前進させてスネーキングを起こしにくくしてあるように見えます。
が、馬匹牽引から車両牽引に転換した頃は、砲身が後方を向いたレイアウトのままで車輪を空気入りタイヤに交換しただけに見える事例が多いように思われます。
スネーキングが問題とならなかったのか、対策は取られたのか等お教えくださいす。

  1. 呼び水程度ですがスネーキングが問題になる速度まで車両牽引に転換した頃には出さなかったではないでしょうか
    牽引車の速度も最高で20〜40Km/hくらいですのでスネーキングより他の問題の比重が高いと思います
    それと155mmりゅう弾砲は牽引時でも全長が10m弱ありますから取り回し等を重点にした気がします
    TU


  2. コメント感謝です。
    馬匹牽引から車両牽引になったころは確かにスウェイが起きない低速だったでしょう。
    が、砲口を前にする/自走化する直前の、最後の砲口後ろ向き車両牽引世代はある程度の速度を出した、出すことを期待されていた、ということはありませんか?
    時速60km程度でも不穏な挙動は生じうるので・・・



256 戦前の国産トラクターは、加藤、小松、新潟鉄工などで製造しています。
コマツの生産数はよく知られていますが、他のメーカーの製造数というのが全く分かりません。
ご教示いただければと思います。
CHOSAN

誰か答えて下さい。

255 WW2の多くの戦車の各部装甲厚が書かれた本を紹介して貰えないでしょうか?
デスコン

  1. ttp://www.k5.dion.ne.jp/~mhashi/database.htm

    本ではありませんが、こちらのサイトはどうでしょうか。
    超音速


  2. 有り難うございます。
    デスコン



254 九七式炊事自動車について質問です。
九七式炊事自動車はどれくらい生産され、どこに配備されたのでしょうか?
みかん段ボール

  1. 九七式炊事自動車は独立混成第1旅団(第1次の機械化旅団の方)やその他の幾つかの師団に数輌ずつ配備されました。生産数は不明ですが、少なかったと言われています。
    Taki


  2. 回答ありがとうございます。

    独立混成第一旅団ですか。やっぱり軍直属の旅団は装備でも優遇されるものなんですかね。

    やはり生産数は少ないのですか…
    ひとつ気になったのですが、日本軍の炊事事情ってどんな感じなんですかね?
    ドイツみたいに馬で引くようなフィールドキッチンとかは存在していたんですか?

    みかん段ボール


  3. フィールドキッチンのような炊事車は日本軍にもありました。一応、1個大隊に2輌1組が配備されることになってました。
    http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14010295600

    しかし、戦場写真などではあまり見ないです。日本軍と言うと飯盒炊爨と言うイメージですね。
    Taki



253 大戦中、日本陸軍は様々な75o級火砲を搭載した車両を試作していますが、最も身近な高初速75o砲だったはずの八八式高射砲を対戦車用に転用・車載しなかったのは何故でしょうか。水平射撃をすると駐退機が壊れるからでしょうか。
茶蘭花

  1.  http://www.warbirds.jp/ansq/3/C2000028.html
     仰られるとおりのようです。
     
    hush


  2. 八八式高射砲が平射を禁止されていたのは壊れるからではなく、爆風が危険だからと佐山氏の本にはあります。実際、八八式高射砲には平射用の○特もあります。
    八八式高射砲が戦車砲として使用されなかったのは後座量が大きかったことが理由だと思われます。水平射撃時の後座量が140センチもあり、車載に適さなかったと、「陸軍機甲部隊」(学研)にあります。
    Taki


  3. hush様、Taki様、ありがとうございました。
    過去ログ見たら、水平射撃でなくても、対空射撃でも連続で撃つと壊れたそうですね。どれだけヤワに出来てたのやら。
    茶蘭花


  4. 駐退器は強化すればいいし後座長は短縮すればいい。大きな反動は車体の質量で吸収できるでしょう。
    しかし改造範囲が大きくなり開発に時間がかかると思われます。
    そして開戦後は軍需方針として船舶・航空機の開発・生産が最優先であり、陸戦兵器のそれはかなり下位でした。陸戦兵器のなかでも優先順位は戦車より対空火器のほうが上でした。
    高射砲を野砲がわりに使うことはできますが、その逆はほぼ無理です。
    日本軍の大砲の生産リソースは限られており、高射砲の戦車砲転用は対空火力を削ってしまうリスクがあるのです。
    技術的理由もあるでしょうが、こうした資源配分上の理由も大きいんではないでしょうか?
    超音速


  5. 五式75mm戦車砲は四式75mm高射砲を転用したのですから、そういう配慮が働いたとは言えないと思います。もっとも、五式75mm戦車砲の場合、四式75mm高射砲の生産が優先されて、終戦までに数門しか完成しなかったと言われていますが。
    Taki


  6. 単純に前線で重くて使い物にならんと
    ほぼ烙印を押されかかっていた90式野砲が余っており、
    だが機動力を付ければ使い物になると判っていたので
    そっちを使っただけのような気がしますが、如何でしょう?
    88式ですと水平射するのにやはり改造必須ですから。

    ちなみにとある戦時中の書籍に、
    「そもそも高射砲を水平で打つこと自体が間違いなのである。」
    という記載があります。
    実際の所正しいか正しくないかはさておいて、
    戦時中にそういう認識をされていたとは思います。
    P-kun


  7. チヌ等搭載に付いては後座長の問題が有り90式野砲(減らすにしても90式の方が有利)。それ以降になると更なる威力の火砲となり4式高射砲という感じで、たまたま選定されなかったのでは無いでしょうか?
    暇人


  8. 九〇式野砲が最初に搭載されたのは一式75mm自走砲です。これは機動砲兵用の車輌ですから野砲を搭載するのは当然の流れです。チヌは急遽開発された車輌なので、一式75mm自走砲の搭載砲を転用しました。後座長の短縮は一式75mm自走砲に搭載するときに行われていて、チヌでは駐退機には手を加えていません。
    五式75mm戦車砲はさらに威力の大きい砲が必要になって開発されましたが、四式高射砲の方が初速は大きいし後座長は小さくて、八八式よりも明らかに有利です。結局、八八式には出番がなかったと言うことになります。
    Taki


  9. 八八式高射砲が平射を禁止されていたのは駐退器の問題ではなく対空射撃しか考慮されていない為、砲架と脚の接続部が平射で破壊する可能性があるためです。
    ノモンハンの戦例集には平射をする場合は脚部の水平に留意して砲床を工事する様指示されています。
    八八式高射砲○特はコンクリートに台座にボルト止めですが俯角7度迄射撃できます。
    本来の○特には通常の脚が付属し、野戦仕様にした際は平射を禁じられています。
    まあ日本の火砲に駐退器の問題は付きものなんですが.....
    poran



252 T-34やIS-2に関して質問です。
これら戦車は満州侵攻時、戦線投入されていたのでしょうか?
基本的にはBT-7、T-26が活躍したと思っていたのですが、友人から「満州侵攻時はT-34/85やIS-2も戦闘に参加した」と聞きました。実際に編成、満州での活動なども知りたいです。

みかん段ボール

  1.  https://en.wikipedia.org/wiki/T-34
     こちらには、満洲侵攻時にT34-85が使用されたと記されてはいますね。
     IS2については確認が取れませんでした。
     
    hush


  2. 1945年の赤軍の大規模な突破作戦でこの2車種が投入されていない事自体珍しいと思います。
    英語版wikiの満州侵攻の記述を見ると侵攻作戦に参加した4841台の戦車にIS-2が含まれているようですし、日本兵の体験記にも目撃例があります。https://en.wikipedia.org/wiki/Soviet_invasion_of_Manchuria#cite_ref-20
    また、Alexander Chubachin著のMilitary Chronicle ”IS-3”の記述によると第68重戦車連隊の21両のIS-3が満州侵攻に参加したようです。
    アロヲ


  3. 遅くなって申し訳ありません。
    皆さま回答ありがとうございます。とりあえず、IS戦車やT-34戦車は参加していたけど前線ではBT戦車やT-26の方が多かったということでしょうか。
    みかん段ボール


  4. BT系やT-26が主力だったのはノモンハンの頃で、これらの戦車は大祖国戦争でほとんど消耗してしまいました。満州侵攻は大部分がT-34で重要拠点の突破用にIS系の重戦車・重自走砲が少数いるイメージです。
    アロヲ



251 WW2のドイツの戦車は故障しやすいと言われますが、トーションバー式サスペンションも要因の一つでしょうか?
現代では、トーションバー式サスペンションが主流という事は、WW2時の技術では扱いきれない物だったのか?と思いました。
デスコン

  1. トーションバー式サスペンションの大きな弾性が移動/停止時に起こすロッキングモーションにより大きな負担>故障に繋がるのは現代でもありますので、確かに主流とは言えますが、新規開発は油気圧かそのハイブリッドかと思います。
    ドイツ軍もこのことは十分承知していたので、パンターでダブルビーム式を採用したりしていますが、トーションバーのメリットである大重量を支えられる割に構造が簡易でコストがかからない、をあえて複雑にするので色々試したものの概ね重戦車はシングルで行く方向に落ち着いていますね。
    saizwong


  2. 回答有り難うございます。
    もう一つお尋ねしたいのですが、性能、製造コスト、整備性などをかんがえてWW2時、最良のサスペンションは何だと思いますか?
    デスコン


  3. 同じ種類のサスペンションでも細かく違い、整備性も国によって事情が異なるので一概には言い難いですね。重量がある程度ある車両にはトーションバーが有効に働くので流れとしてそちらに行きがちだった、というぐらいでしょうか。
    ただ、超重戦車に外装スプリングを使う例は多いので、これは重量が過大になるとむしろトーションバーを交換する余裕がないと見られたためではないかと推測します。
    大戦時の中戦車ぐらいまでだと製造数と交換の容易さの関係から外装式スプリングや板バネは大戦の最後まで主流でしたし。
    ww2時どのサスペンションが最良か?はどの戦車が最良か?に直結するので、「ドイツが重戦車なんか持ってても無駄。そこそこのサイズの中戦車と突撃砲の数を揃えるべし」という考えならドイツでは板バネが戦時中ベストだったという言い方もできるのじゃないかと思います。
    saizwong


  4. 細かい所まで有り難うございました。
    オリジナルの兵器設計(?)のサスペンションで息詰まっていたのですが、
    トーションバーと板バネを使い分けてみようと思います。
    デスコン



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