ちょっと気になると夜も眠れない。

車両関係
Ans.Q

どうでも良いことなのに…、誰か助けて!


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*ここは新規質問投稿欄です。質問への回答ではありません。
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322 いつも勉強させて戴いております。ありがとうございます。
書籍などでちょくちょく見られるティーガー1の生産風景。
ttp://hiroshi2017.com/taiga-1/#jp-carousel-12768
この機関室区画(中央にエンジン、左右には燃料タンク、ラジエーター、冷却ファン等が設置されているとの事)の「向こう側」の厚さは何mmあるのでしょうか?
 
と、言いますのは、仮にここが20〜30mm厚ですと車体後面装甲80mmと合わせ、車体/砲塔の正面と変わらないレベルになりそうですし、内蔵されるエンジンブロックを含むとメルカバみたく+αの耐弾性も期待できそうな気もします。(稼働面ではなく乗員の保護、という点のみで考えた場合です。)
また、一見したところ、中央のエンジン区画と左右区画の間の壁の厚さは車体側面の半分程度はありそうで、それが「向こう」も同厚だとすれば「後面最強」という感じがしないでもありません。実際のところ、乗員の生存性はどうなのでしょうか?
 
なお、この画像だけですと車体後面が薄めに見えますが、歴群シリーズの「ティーガー重戦車パーフェクトバイブル」26Pの「ドンガラ」画像でその訳は大体分かりました。
ジョナサン2

  1. 防火壁の厚さは10mmですが、材質は装甲鈑ではないのでは。


  2. 片さま、ご回答ありがとうございます。
    なるほど、防火壁ですか。先の「ドンガラ」画像では赤茶色の錆止め塗料が分厚く塗られて四方同じ質感に見え、ある意味でスペースドアーマーのような印象を受けた次第です。
    ジョナサン2


  3. まあ、ただの仕切りですね。
    機関室から乗員室に暖気を通す通気孔やら何やら、
    穴もたくさん開いています。


  4. 追加回答、ありがとうございます。
    “ティーガー 防火壁(英語など)”で検索しますと→「戦闘室は防火壁を介して機関室とは完全に隔離・・」等々、あらたな視点での情報を得ることができそうです。ありがとうございました。
    (TVCMでちょくちょく観る子トラが登場する国産防火壁がたくさんhitするのがご愛嬌。)
    ジョナサン2


  5. 「機関室とは完全に隔離」はされていません。
    3にも書いたとおり、通気孔が空いていて、簡単な仕組みの蓋を開ければ暖気が機関室から戦闘室へ直接入り込んできます。
    また、防火壁下部もプロペラシャフトが通るわけですから、開口しています。



321 319の質問でUS様という方から質問理由を併記すべきとのご提言をいただいたのですが、質問の字面通りの単純な質問でありまして、特に理由は無いのでございますが、ページタイトルの上下に「ちょっと気になる。。」や「どうでも良い事なのに。。」という文言がありました上に、質問の構成要件として理由などが必要とのおことわりもございませんでしたので、気軽な自由意志でどんどん質問しても良い場だと考え質問させていただきました次第でございます。もし考えが間違っておりましたら質問は今後控えるようにしたいと思いますが、特に理由なく気軽に質問をする事は間違っておりますでしょうか?どうぞよろしくお願いいたします。




こども

  1.  全然間違っていないと思っています。
     理由を記入していただければ、回答する側としてもしやすいとは思いますが、管理者ならともかく、回答者のほうから注文をつける事柄ではないと思っております。
     ま、そういう回答者の方もおられるぐらいに思っていただければと考えています。
     
    hush


  2. おっしゃることは間違っていません。
    質問はこうあるべきと勝手にルールを決めて人に強いる態度は感心いたしません。
    絶対に止めて頂きたい行為です。
    BUN



320 アメリカ軍のM3軽戦車が日本やドイツなどで捕獲・使用された際、車体銃の照準方法はどのように評価されたのでしょうか?
こども

  1. 南方軍の報告では「車体銃に照準器は無し」となっています。

    poran



319 アメリカ軍のシャーマン戦車の車体前方銃を使って1発で人間大の目標を狙撃したい場合、どうやって照準をするのでしょうか?
こども

  1. これは固定銃のことでしょうか。
    それともボールマウント式銃架のことでしょうか。
    BUN


  2. 固定銃については日本はともかく、レンドリースで供給を受けたソ連軍はそれなりに評価していて、IS-2以降の新設計の戦車にも固定銃の装備があります。
    BUN


  3. M4中戦車の車体機銃には照準器がありません。
    ペリスコープから曳光弾の弾道や着弾を確認しながら修正します。
    というか車体機銃を持つ米軍戦車の大半がこの方式で、有名なところではM3/M5軽戦車、M24軽戦車、M3中戦車、M26重戦車もM4中戦車と同じく照準器を持ちません。

    なので精密に狙撃するものではなく弾幕を張る、といった使い方が主でした。
    みかん段ボール



318 25年前のグランドパワー誌において、1943年5月以降の太平洋戦域でアメリカ軍の各種戦車合計736両が日本軍の戦車及び対戦車火器によって損耗したとありますが、日本軍の戦車及び対戦車火器による要因以外では何両損耗したのでしょうか?
こども

  1. 736両という数字そのものを疑う必要があるでしょう。
    明らかに過剰な数字だからです。
    BUN


  2. 太平洋で戦った戦車部隊は海兵隊で6個大隊に過ぎません。
    これに陸軍の戦車大隊を加える訳ですが、736両は戦車と対戦車兵器で「損耗」したとは考え難いのです。
    昭和18年以降、日本軍の対戦車兵器は速射砲であったりタテ器であったりするのですが、地雷を除いて即座に戦車を破壊できるものは少なく、多くの場合、損傷戦車は自力で後退するか、一旦放棄された後に回収されるかしています。また上陸時の海没は戦車の損失原因の一つですが、これは対戦車兵器による訳ではありません。こうした損傷と機械的消耗(こちらの方が数が多く、走行距離に比べてエンジン等の消耗が激しい傾向にあります。)とを含めるか、損傷の累計でようやく736両という数字になるのではないでしょうか。
    BUN



317 日本軍戦車全般の高射機関銃架について。wikipediaの九七式車載重機関銃の項目にて「対空・対地射撃を行うことができる」と出典なしで書かれています。しかし「戦車と戦車戦」「激闘戦車戦」等戦車兵の手記を読む限りでは高射機関銃架は文字通り対空用で地上に向けて撃つような場面が見られません。そして銃架の高さ的に地上目標に撃とうとするならかなり無茶な姿勢を取らねばならないような気がするのですが、はたして地上目標に向けて撃つような使い方ができるのでしょうか?
園田

  1. 九七式車載重機の設計要領の最後に「所用に応じ砲塔等に装着して対空射撃をなし得ること」
    「車外に於いても使用しうること」の2点が記載されています。

    そのために高射銃架と車外用の脚が付属しています。
    何れも余分な銃が有るわけでは無く、砲塔銃/車体銃を外して使用します。

    >地上目標に向けて撃つような使い方
    撃てない事は無いでしょうが、高射銃架で地上射撃をすることは考えていないでしょう。
    poran



316 ネット上では九七式中戦車改の初実戦はコレヒドール島攻略戦からと記載されたが多いです
ラーホス

  1. 失礼しました。
    ネット上では九七式中戦車改の初実戦はコレヒドール島攻略戦からと記載されたが多いです。
    国本戦車塾さんでは戦車第七連隊の小隊長だった方へのインタビューと併せて第二次バターン半島攻略戦で大活躍したと書かれていました。九七式中戦車改の初実戦はコレヒドールではなく第二次バターンの方が正しいんでしょうか?
    ラーホス


  2.  そのページに「第二次バタアン攻略戦戦闘詳報」というものの写真が載っており、それを見て書いておられると思いますので、それでよろしいのではないでしょうか。
     もっとも、その戦闘詳報にどのように書いてあるのかは存じませんが。
     
    hush


  3. 戦闘詳報は実在しますし、お話も直に聞いています。
    ただ、戦車戦はありませんし、「大活躍」もしていません。
    BUN


  4. ファインモールド社の鈴木邦宏氏が臨時松岡中隊の宇野寛氏からお話を伺っており、九七式中戦車改の説明書に記載されています。
    簡単にまとめると3/29フィリピンに上陸→4/1戦車第七連隊に編入、臨時松岡中隊として編成→4/3鹵獲M3軽戦車に実弾射撃試験→4/7歩兵部隊より戦車出現の報告を受けて戦七連第3中隊と追撃(戦闘起こらず)→4/8アランガン河周辺で戦闘→4/9カヤンガン河での戦闘と追撃、マリベレス進撃途中で敵高級将校を捕虜にして作戦終了

    となっております。一応第二次バターン半島攻略戦には新砲塔九七式中戦車は実戦投入はされていましたが、戦闘は無かったか、もしくはあっても小規模なものだと思われます。
    みかん段ボール


  5. よく考えたらプラモデルの説明書が出典ってどうなんだろうか。
    と思って本棚から取り出したミリタリークラシック誌vol66の32頁によれば
    「昭和17年3月に試作車が部隊配備され、5月に実戦に参加しているが〜」と記載されていました。時期的に第二次バターン半島攻略戦時は九七式中戦車改は戦闘に遭遇せず、実際に戦闘に投入されたのは5月のコレヒドール攻略からだと思われます。
    みかん段ボール


  6. 戦闘詳報のコピーはお見せできないけれども、
    戦車第七連隊史に詳報の抜粋が掲載されています。
    お金も時間もかかりますが図書館や古書を探す気持ちがあればご覧ください。

    BUN



315 日本陸軍の戦車砲について。
今はもう繋がらない大砲と装甲の研究にて、九四式三十七粍砲の九四式榴弾の人馬殺傷距離は半径6m、九〇式五十七粍戦車砲の九〇式榴弾は16mとなっております。
しかし一式四十七粍砲用の一式榴弾(米側資料に出てくる。炸薬はピクリン酸とTNTの混合で91g。日本側の呼称は不明)の人馬殺傷距離についてデータを知りたいのですが、ご存知の方はいますでしょうか?
みかん段ボール

  1. 佐山氏の本によれば一式四十七粍砲用榴弾の威力半径は7.5mとなっています。尚、一式四十七粍砲用榴弾の制式名称は九八式榴弾だと思われます。
    Taki


  2. 昭和20年 陸軍弾薬諸元表によれば一式榴弾は94式戦車砲/ラ式速射砲と一式速射砲/戦車砲用であり炸薬は 66gで上部 黄色薬 下部 茶褐薬 100式小瞬発信管となっています。
    薬莢が違う94式速射砲/98式・100式戦車砲94用には生産されていなかった様です。

    Taki様の仰るとおり機動速射砲は98式榴弾のみです。(炸薬90g 信管98式野山加)
    poran


  3. >100式戦車砲94.......94を削除して下さい
    poran


  4. ご回答ありがとうございます。
    半径7.5mということは37mm砲や九八式手榴弾とあまり変わらない威力なんですね。
    対人用途では他国の37mm(M3対戦車砲の39gやPak36の44g、22gのM1930)より強力でそれなりに強力な気がしますが、対陣地に対しては直撃を狙うか多数撃ち込まないと効果を発揮しなさそうな気がします。
    みかん段ボール



314 ドイツ軍の四号駆逐戦車には(V)と(A)の2種類があります。トーマシールドを標準装備しているのでアルケット社の(A)の方が後発だと思うのですが、この時期に同じ75ミリL70を装備した駆逐戦車を別途開発したのはなぜでしょうか?

先発の(V)にはない要求性能が求められたのでしょうか?それとも単に大戦末期のドイツ装甲車両の生産体制の混乱の表すものに過ぎないのでしょうか?
備後ピート

  1. (V)はフォマーグ社製、(A)はアルケット社製(車体抽出元はNibelungenwerke社)という差だけでは無いでしょうか
    生産も同じ1944年8月からですし、戦闘室形状と一部装甲厚に差はありますので、書類上の差異を設けるために
    (V)及び(A)としたものではないかと。
    陸奥屋


  2. 季刊ミリタリー・クラシックスの2020年6月号がヤクトパンターと四号駆逐戦車の特集で、三種の四号駆逐戦車の開発経緯とその運用について触れているので、そちらを読むと質問の答は得られると思います。
    新突撃砲として車台から開発された四号駆逐戦車と応急駆逐戦車の(A)の関係とそれぞれの配備先が異なっていたことなどの運用上での違いについての解説があります。

    BUN


  3. BUN様、資料の紹介ありがとうございます。広島の田舎住まいで当該資料は簡単には目にすることができないと思いますが、何とか努力してみます。こういう実のある回答は大歓迎です。

    しかし人柄にもよるのでしょうが、回答にはふれず「そんなことも知らないで質問するな」という回答者もいて、このあたりが一流、二流の軍事史家の分かれ目なのかと思ったりもします。いや愚痴めいたことを書いてしまいました。後半は回答ではなく個人の感想ですので削除していただいて構いません。資料紹介の件、重ねてありがとうございました。
    備後ピート



313 いわゆる「いまさら聞けない」たぐいの質問ですが…。

大戦後期のドイツ軍装甲車両の「3色迷彩」や「冬季白色迷彩」塗装は、車体下面まで回り込んで施されていたのでしょうか?

それとも迷彩塗装が施されていたのは地上可視部分だけで、通常見えない車体下面は基本塗装色である「ダークイエローのまま」が一般的だったのでしょうか?

特殊な例はあるかも知れませんが「一般的にはこうだった」ということで、識者の皆様どうか教えてください。

備後ピート

  1.  直接の回答ではありませんが、どなたからも回答がなされないようなので・・・

     戦車や車両の迷彩塗装は現地部隊が自分たちでやります。
     で、ドイツ軍の東部戦線ではペンキの補給が間に合わなくて自分たちでチョークを手に入れて塗りたくって冬季白色迷彩代わりにした戦車もありました(そういうキャプションが付いた写真が残ってます)。

     当時のドイツ軍もそうですし、今の日本の自衛隊もそうなので、多分ほとんどの軍隊がそうなんじゃないかと思います。
    おうる


  2. 車体下面だけでなく、フェンダーの裏側とか、OVAのシャベルをつけたまま迷彩を行った場合そのシャベルなどを取り外した下とか、元の色のままです。
    車体下面は基本塗装色です。見えないから迷彩しても意味ありません。
    実は、大戦時ドイツ軍の車両の基本塗色は何回か時期により変化しているのですが(最後は見緑色でした)、そうしたところに基本塗色が現れてくるので、この車両は何色に塗られてるからこの時期のもの、と推定する根拠にできるわけです。


  3. それから「ペンキ」は塗料一般のことを意味しませんので、できればご注意いただけるとよいところです。


  4. おうる様、片様、回答どうもありがとうございました。なかなか回答がなされないので、またぞろ変てこりんな愚問をやっちまったかと悩んでおりました。安堵いたしました。

    ところで非礼を承知での追っかけ質問になりますが、大戦後期ドイツ軍装甲車両の基本塗装色の変遷は、いわゆる「3色迷彩」のドゥンケルゲルプ→ロートブラウン→オリーフグリュンの順と考えてよろしいのでしょうか?
    備後ピート


  5. ロートブラウンが基本塗装色になったことはありません。

    「Dunkelgelb nach musuter」→「RAL 7028」→「RAL 7028 Ausgabe 1944」→「RAL 6003」


  6. 片様、丁寧な回答ありがとうございました。
    備後ピート



312 市街地で携行型対戦車ミサイルで撃破される戦車の映像を見ると

今戦車の影響力が前より下がってると感じますがどうなんでしょうか?
大鳳

  1. どんな映像を見たかわからないので質問の前提を確認したいと思います。

    「携行型対戦車ミサイル」といえばTOWやHOTのような三脚に設置するものをいいますが、ジャベリンや01式のような肩撃ち式のことをイメージしてますか?
    もしかしてRPGやSMAWのような無誘導のものも含みますか?
    近年実用化されたアクティブ防護システムは念頭にありますか?

    「戦車の影響力」というのは敵に与える脅威のことなのか、それとも自軍における重要度のことなのでしょうか?
    超音速


  2. シリアの内戦映像を見て思ったもので。
    これとかhttps://www.youtube.com/watch?v=BbHcA6mXX7o



    大鳳


  3. 90年代に精密誘導弾など技術の進歩によって戦車や空母のような武器搭載プラットフォームの脆弱性が高まるという見方が生まれました。
    米海軍がdistributed leathalityという構想を模索している一つの理由としていわゆる矛盾で矛の進歩のほうが現状早いというのを上げても良いかもしれません。
    当然一方の盾側が進歩していない訳ではなく動画のT72のように爆発反応装甲を追加したり、チャレンジャー2が車体下部をRPG29に撃ち抜かれて以降車体下部にも複合装甲を施す事例もありますし1の方が既述されておられるようにハードキルの実用化も進んでいます。
    影響力と言う言葉を重要性や地位という言葉に置き換えて回答するならば依然として変わることは無いでしょう。
    toe


  4. 映像の7分あたりに出てくるのはRPG-27かな?タンデム弾頭によって、ERA(反応装甲)も撃ち抜かれたのですね。

    この種の携行対戦車兵器はそれこそWW2からあるわけですが、戦車の防御も対戦車兵器もそれぞれ発達しながら現在に至っても戦車は存在し続けています。

    近年も戦車不要論がささやかれていた中、米軍ではアフガニスタンでの経験から非正規戦でも戦車が有用であることが改めて確認されました。
    超音速


  5. 回答ありがとうございます。
    そりや厚い装甲が出来れば対策考えますよね。今も兵器開発競争、矛と盾のシーソーゲームを平和ボケで忘れてました。
    冷静になってみたら市街戦自体戦車にはきつい面ありました。長砲身の取り回しや上面の弱さなど。

    大鳳



311 ヒアツィント・シュトラハヴィッツのWikipediaの項目を見ると、1934年に国防軍の機械化を求めるデモに参加したとあります。
このデモの詳細を教えてください。
げしゅたぽ

  1.  英語版、ドイツ語版等のWikippediaをあたってみましたが、そのような記述は見当たりませんし、ネット上でも、これの引用を除くと、他には見当たりません。したがって、この記述は独自のものである可能性が高いのですが、出典の記述もないので、真偽を確かめるすべもありません。このため、以下はデモがあったという前提のもとの推測です。
     シュトラハヴィッツは軍の将校ですので、デモに参加するというのは考えにくく、参加するとしたら、ナチスの主導下で行われたものでしょう。
     ナチスが政権を奪ったのが前年の33年、再軍備宣言が翌35年ですので、ヴェルサイユ条約の軍備制限条項の撤回をアピールするためと考えるのが妥当だと思っています。というのは、同条約ではドイツに対して、装甲車、戦車、潜水艦、毒ガス、化学兵器の輸入、製造を禁止しているからです。
     「戦車将軍グデーリアン」(2020年角川新書)によると、ヒトラーは1933年に自動車化部隊による実験演習を見学し感銘を受けたということですが、再軍備宣言の7ヶ月後には第1〜3装甲師団を編成しています。このように早くに部隊を編成するためには、民意を醸成することも重要であったと思いますので、そのために行われたものではないかと考えております。
     
    hush


  2. >1
    その解釈は非常に納得できます。1934年というタイミングが良くわからなかったので、もともと軍備推進な上に強権なヒトラー政権にデモを行う得はあったのか?、と意味不明なデモだなと思ったが、なるほど外国に対してのものだったなら話の筋が通りますね。
    もし日本なら矛先は陸軍省および内閣でしょうけど…デモがあるべきはこっちなんですがね。
    げしゅたぽ



310 アメリカ軍の自走迫撃砲が砲撃している動画をみていると車体の後ろに向かって撃っていることが多いのですが何か理由があるのですか?

  1.  よく知りませんが、調べてみると、M4の場合は、スペースの都合で後ろ向きにしか置けなかったと書いてありますね。しかし、これは使い勝手が悪かったらしく、運用側で無理に前方に発射できるように改造したものもあったようですが、もっとスペースのあるM21になるまで解決しなかったようです。
     最近ではM1129が後ろ向きに発射するようになっていますが、これは兵員室天蓋に制約されるからでしょう。
     
    hush


  2. ありがとうございます



309 九五式軽戦車の高射托架はどのような形状でどこにどのように取り付ける物だったのでしょうか
また、これは戦場においてどの程度実際に使用されていた物なのでしょうか
写真屋ジョー

  1. 追記
    九五式軽戦車の砲塔内を外から撮影した写真だと車長展望塔の内側に台形のような出っ張りがありますがここに差し込む物だと推測しますが、
    仮にそうならば、この出っ張りはそこに固定された物でしょうか?
    それとも展望塔内周に沿ってレール等があって移動できたりするのでしょうか?
    写真屋ジョー


  2. 台座は固定です。動きません。托架の形状は下記の写真を見てください。
    https://i173.photobucket.com/albums/w43/Taki_21/Ha-Go%20MG.jpg
    高射托架はそんなに多くは使用されませんが、上のように使用している写真もあることはあります。

    Taki


  3. Taki様、早速の御回答ありがとうございます。

    台座は固定なのですね。
    高射托架の形状はへの字状のものを想像していましたが、意外と複雑な形状だったのですね。

    写真屋ジョー


  4. さらに調べてみると、下のような高射托架もありました。
    https://twitter.com/Taki2121/status/1247092755316109313
    Taki


  5. >4
    Taki様、ありがとうございます。
    托架の形状は時期によって違いがある可能性があるのですね。

    ちょっと質問の趣旨からズレますが、気になったのでついでに…
    提示されたツイートの4枚目の写真、ハッチの上に乗っている物に目が行きます。これは撮影時に誰かが何らかの装置を置いただけでしょうか。まさかパノラマ眼鏡ではないですよね。

    それから、これはハ号に限らないのですが、帝国陸軍の戦車において高射托架に据えられた車載重機を、跨乗した随伴歩兵等が使用することはあったのでしょうか。
    ペリリューのハ号と言えばタンクデサントによる斬り込みが連想されたので…

    写真屋ジョー


  6. > 提示されたツイートの4枚目の写真、ハッチの上に乗っている物に目が行きます。これは撮影時に誰かが何らかの装置を置いただけでしょうか。まさかパノラマ眼鏡ではないですよね。

    パノラマ眼鏡に見えなくもありませんが、パノラマ眼鏡はチハ車の備品で、ペリリューにはチハ車はありませんでしたので筋が通りません。何なのか良く分かりませんが、壊れた何かの部品ではないでしょうか。

    > それから、これはハ号に限らないのですが、帝国陸軍の戦車において高射托架に据えられた車載重機を、跨乗した随伴歩兵等が使用することはあったのでしょうか。

    そういう例は私は知りません。「対戦車戦闘の参考」を見ても、跨乗兵は前進する間車上に伏臥して損害を避けるとありますので、跨乗兵が高射托架の車載重機に取り付いて前進すると言ったことはなかったと思います。

    Taki


  7. >6
    分かりやすい画像を交えた丁寧な御回答をありがとうございました。
    戦車の上で車載重機を猛射する日本兵は非常に絵になると思ったので残念です。
    米軍の戦車の上で車載機関銃を猛射する日本兵なら有名なのに
    写真屋ジョー


  8. ハッチ上の謎の装置は、弾倉を抜き、銃床を折り畳んだ状態の九七式車載重機関銃の後ろ姿に見えなくもない気がします。
    写真屋ジョー



308 九八式軽戦車(ケニA)の開発において、従来は縦置きとなっていたエンジンを横置きとすることで、プロペラシャフトを車体左側に通すことができ、戦闘室台座を持ち上げる必要が無くなったため、低車高化が実現できたといいます。
私には非常に良いアイデアのように見え、既存の九七式中戦車や、新型の一式中戦車はいずれも縦置きエンジンですが、この様に改めるメリットは無かったのでしょうか。
また「もし」改良できていた場合、どうなっていたでしょうか。
げしゅたぽ

  1. チハ車のエンジンは長さが190cmあります。一方、チハ車の履帯幅を引いた内部の幅は約170cmです。従って、物理的に横には置けません。
    エンジンは大型になるとそれだけ長さも長くなります。それを横に置くと戦車の横幅が大きくなり正面面積が広くなって被弾率も高くなります。あまり、良いことがあるようには思えません。
    Taki


  2. 改良は厳しそうですね。横置きで前後長を圧縮できれば重量的にはトントンだと思われますが、幅が広がって通り辛くなる、被発見リスクが増大するのはデメリット。
    もうちょっと排気量や気筒数の少ない優秀なエンジンがあれば、全幅を増す事なく低車高化ができたでしょうけど…。
    げしゅたぽ



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