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313 いわゆる「いまさら聞けない」たぐいの質問ですが…。

大戦後期のドイツ軍装甲車両の「3色迷彩」や「冬季白色迷彩」塗装は、車体下面まで回り込んで施されていたのでしょうか?

それとも迷彩塗装が施されていたのは地上可視部分だけで、通常見えない車体下面は基本塗装色である「ダークイエローのまま」が一般的だったのでしょうか?

特殊な例はあるかも知れませんが「一般的にはこうだった」ということで、識者の皆様どうか教えてください。

備後ピート

  1.  直接の回答ではありませんが、どなたからも回答がなされないようなので・・・

     戦車や車両の迷彩塗装は現地部隊が自分たちでやります。
     で、ドイツ軍の東部戦線ではペンキの補給が間に合わなくて自分たちでチョークを手に入れて塗りたくって冬季白色迷彩代わりにした戦車もありました(そういうキャプションが付いた写真が残ってます)。

     当時のドイツ軍もそうですし、今の日本の自衛隊もそうなので、多分ほとんどの軍隊がそうなんじゃないかと思います。
    おうる


  2. 車体下面だけでなく、フェンダーの裏側とか、OVAのシャベルをつけたまま迷彩を行った場合そのシャベルなどを取り外した下とか、元の色のままです。
    車体下面は基本塗装色です。見えないから迷彩しても意味ありません。
    実は、大戦時ドイツ軍の車両の基本塗色は何回か時期により変化しているのですが(最後は見緑色でした)、そうしたところに基本塗色が現れてくるので、この車両は何色に塗られてるからこの時期のもの、と推定する根拠にできるわけです。


  3. それから「ペンキ」は塗料一般のことを意味しませんので、できればご注意いただけるとよいところです。


  4. おうる様、片様、回答どうもありがとうございました。なかなか回答がなされないので、またぞろ変てこりんな愚問をやっちまったかと悩んでおりました。安堵いたしました。

    ところで非礼を承知での追っかけ質問になりますが、大戦後期ドイツ軍装甲車両の基本塗装色の変遷は、いわゆる「3色迷彩」のドゥンケルゲルプ→ロートブラウン→オリーフグリュンの順と考えてよろしいのでしょうか?
    備後ピート


  5. ロートブラウンが基本塗装色になったことはありません。

    「Dunkelgelb nach musuter」→「RAL 7028」→「RAL 7028 Ausgabe 1944」→「RAL 6003」


  6. 片様、丁寧な回答ありがとうございました。
    備後ピート



312 市街地で携行型対戦車ミサイルで撃破される戦車の映像を見ると

今戦車の影響力が前より下がってると感じますがどうなんでしょうか?
大鳳

  1. どんな映像を見たかわからないので質問の前提を確認したいと思います。

    「携行型対戦車ミサイル」といえばTOWやHOTのような三脚に設置するものをいいますが、ジャベリンや01式のような肩撃ち式のことをイメージしてますか?
    もしかしてRPGやSMAWのような無誘導のものも含みますか?
    近年実用化されたアクティブ防護システムは念頭にありますか?

    「戦車の影響力」というのは敵に与える脅威のことなのか、それとも自軍における重要度のことなのでしょうか?
    超音速


  2. シリアの内戦映像を見て思ったもので。
    これとかhttps://www.youtube.com/watch?v=BbHcA6mXX7o



    大鳳


  3. 90年代に精密誘導弾など技術の進歩によって戦車や空母のような武器搭載プラットフォームの脆弱性が高まるという見方が生まれました。
    米海軍がdistributed leathalityという構想を模索している一つの理由としていわゆる矛盾で矛の進歩のほうが現状早いというのを上げても良いかもしれません。
    当然一方の盾側が進歩していない訳ではなく動画のT72のように爆発反応装甲を追加したり、チャレンジャー2が車体下部をRPG29に撃ち抜かれて以降車体下部にも複合装甲を施す事例もありますし1の方が既述されておられるようにハードキルの実用化も進んでいます。
    影響力と言う言葉を重要性や地位という言葉に置き換えて回答するならば依然として変わることは無いでしょう。
    toe


  4. 映像の7分あたりに出てくるのはRPG-27かな?タンデム弾頭によって、ERA(反応装甲)も撃ち抜かれたのですね。

    この種の携行対戦車兵器はそれこそWW2からあるわけですが、戦車の防御も対戦車兵器もそれぞれ発達しながら現在に至っても戦車は存在し続けています。

    近年も戦車不要論がささやかれていた中、米軍ではアフガニスタンでの経験から非正規戦でも戦車が有用であることが改めて確認されました。
    超音速


  5. 回答ありがとうございます。
    そりや厚い装甲が出来れば対策考えますよね。今も兵器開発競争、矛と盾のシーソーゲームを平和ボケで忘れてました。
    冷静になってみたら市街戦自体戦車にはきつい面ありました。長砲身の取り回しや上面の弱さなど。

    大鳳



311 ヒアツィント・シュトラハヴィッツのWikipediaの項目を見ると、1934年に国防軍の機械化を求めるデモに参加したとあります。
このデモの詳細を教えてください。
げしゅたぽ

  1.  英語版、ドイツ語版等のWikippediaをあたってみましたが、そのような記述は見当たりませんし、ネット上でも、これの引用を除くと、他には見当たりません。したがって、この記述は独自のものである可能性が高いのですが、出典の記述もないので、真偽を確かめるすべもありません。このため、以下はデモがあったという前提のもとの推測です。
     シュトラハヴィッツは軍の将校ですので、デモに参加するというのは考えにくく、参加するとしたら、ナチスの主導下で行われたものでしょう。
     ナチスが政権を奪ったのが前年の33年、再軍備宣言が翌35年ですので、ヴェルサイユ条約の軍備制限条項の撤回をアピールするためと考えるのが妥当だと思っています。というのは、同条約ではドイツに対して、装甲車、戦車、潜水艦、毒ガス、化学兵器の輸入、製造を禁止しているからです。
     「戦車将軍グデーリアン」(2020年角川新書)によると、ヒトラーは1933年に自動車化部隊による実験演習を見学し感銘を受けたということですが、再軍備宣言の7ヶ月後には第1〜3装甲師団を編成しています。このように早くに部隊を編成するためには、民意を醸成することも重要であったと思いますので、そのために行われたものではないかと考えております。
     
    hush


  2. >1
    その解釈は非常に納得できます。1934年というタイミングが良くわからなかったので、もともと軍備推進な上に強権なヒトラー政権にデモを行う得はあったのか?、と意味不明なデモだなと思ったが、なるほど外国に対してのものだったなら話の筋が通りますね。
    もし日本なら矛先は陸軍省および内閣でしょうけど…デモがあるべきはこっちなんですがね。
    げしゅたぽ



310 アメリカ軍の自走迫撃砲が砲撃している動画をみていると車体の後ろに向かって撃っていることが多いのですが何か理由があるのですか?

  1.  よく知りませんが、調べてみると、M4の場合は、スペースの都合で後ろ向きにしか置けなかったと書いてありますね。しかし、これは使い勝手が悪かったらしく、運用側で無理に前方に発射できるように改造したものもあったようですが、もっとスペースのあるM21になるまで解決しなかったようです。
     最近ではM1129が後ろ向きに発射するようになっていますが、これは兵員室天蓋に制約されるからでしょう。
     
    hush


  2. ありがとうございます



309 九五式軽戦車の高射托架はどのような形状でどこにどのように取り付ける物だったのでしょうか
また、これは戦場においてどの程度実際に使用されていた物なのでしょうか
写真屋ジョー

  1. 追記
    九五式軽戦車の砲塔内を外から撮影した写真だと車長展望塔の内側に台形のような出っ張りがありますがここに差し込む物だと推測しますが、
    仮にそうならば、この出っ張りはそこに固定された物でしょうか?
    それとも展望塔内周に沿ってレール等があって移動できたりするのでしょうか?
    写真屋ジョー


  2. 台座は固定です。動きません。托架の形状は下記の写真を見てください。
    https://i173.photobucket.com/albums/w43/Taki_21/Ha-Go%20MG.jpg
    高射托架はそんなに多くは使用されませんが、上のように使用している写真もあることはあります。

    Taki


  3. Taki様、早速の御回答ありがとうございます。

    台座は固定なのですね。
    高射托架の形状はへの字状のものを想像していましたが、意外と複雑な形状だったのですね。

    写真屋ジョー


  4. さらに調べてみると、下のような高射托架もありました。
    https://twitter.com/Taki2121/status/1247092755316109313
    Taki


  5. >4
    Taki様、ありがとうございます。
    托架の形状は時期によって違いがある可能性があるのですね。

    ちょっと質問の趣旨からズレますが、気になったのでついでに…
    提示されたツイートの4枚目の写真、ハッチの上に乗っている物に目が行きます。これは撮影時に誰かが何らかの装置を置いただけでしょうか。まさかパノラマ眼鏡ではないですよね。

    それから、これはハ号に限らないのですが、帝国陸軍の戦車において高射托架に据えられた車載重機を、跨乗した随伴歩兵等が使用することはあったのでしょうか。
    ペリリューのハ号と言えばタンクデサントによる斬り込みが連想されたので…

    写真屋ジョー


  6. > 提示されたツイートの4枚目の写真、ハッチの上に乗っている物に目が行きます。これは撮影時に誰かが何らかの装置を置いただけでしょうか。まさかパノラマ眼鏡ではないですよね。

    パノラマ眼鏡に見えなくもありませんが、パノラマ眼鏡はチハ車の備品で、ペリリューにはチハ車はありませんでしたので筋が通りません。何なのか良く分かりませんが、壊れた何かの部品ではないでしょうか。

    > それから、これはハ号に限らないのですが、帝国陸軍の戦車において高射托架に据えられた車載重機を、跨乗した随伴歩兵等が使用することはあったのでしょうか。

    そういう例は私は知りません。「対戦車戦闘の参考」を見ても、跨乗兵は前進する間車上に伏臥して損害を避けるとありますので、跨乗兵が高射托架の車載重機に取り付いて前進すると言ったことはなかったと思います。

    Taki


  7. >6
    分かりやすい画像を交えた丁寧な御回答をありがとうございました。
    戦車の上で車載重機を猛射する日本兵は非常に絵になると思ったので残念です。
    米軍の戦車の上で車載機関銃を猛射する日本兵なら有名なのに
    写真屋ジョー


  8. ハッチ上の謎の装置は、弾倉を抜き、銃床を折り畳んだ状態の九七式車載重機関銃の後ろ姿に見えなくもない気がします。
    写真屋ジョー



308 九八式軽戦車(ケニA)の開発において、従来は縦置きとなっていたエンジンを横置きとすることで、プロペラシャフトを車体左側に通すことができ、戦闘室台座を持ち上げる必要が無くなったため、低車高化が実現できたといいます。
私には非常に良いアイデアのように見え、既存の九七式中戦車や、新型の一式中戦車はいずれも縦置きエンジンですが、この様に改めるメリットは無かったのでしょうか。
また「もし」改良できていた場合、どうなっていたでしょうか。
げしゅたぽ

  1. チハ車のエンジンは長さが190cmあります。一方、チハ車の履帯幅を引いた内部の幅は約170cmです。従って、物理的に横には置けません。
    エンジンは大型になるとそれだけ長さも長くなります。それを横に置くと戦車の横幅が大きくなり正面面積が広くなって被弾率も高くなります。あまり、良いことがあるようには思えません。
    Taki


  2. 改良は厳しそうですね。横置きで前後長を圧縮できれば重量的にはトントンだと思われますが、幅が広がって通り辛くなる、被発見リスクが増大するのはデメリット。
    もうちょっと排気量や気筒数の少ない優秀なエンジンがあれば、全幅を増す事なく低車高化ができたでしょうけど…。
    げしゅたぽ



307 結局なぜナチスドイツはソ連のV-2ディーゼルエンジンのコピーを断念したのでしょうか?
たまに「冶金技術でソ連に劣るから」という書き込みを見ますが、検索で調べられる範囲でははっきりとした理由が分かりません。
エンジンのコピーの経緯に関する詳細が分かるような書籍やHPがありましたら教えてください。
写真屋ジョー

  1.  とりあえず、こういうのが出てきました。
     http://www.warbirds.jp/ansq/3/C2000193.html
     
    hush


  2. >1 hush様、ご回答ありがとうございます。

    提示して下さった車両193の回答2、
    > ドイツがV2エンジンのコピーに失敗したというのは私の記憶違いでした。5号戦車のデザインコンペの段階で手堅いガソリンエンジンに決定し、また、その他の理由も含め、ディーゼルエンジン搭載予定のダイムラーベンツ案が落とされてのが真相のようです。

    それ以前にグデーリアンはソ連の戦車に対抗する手っ取り早い方法としてT-34のコピーを提案していますが、十分な数のディーゼルエンジンと合金鋼を供給できないとして陸軍兵器局は拒否しています。
    この丸コピの提案やその落とされたDB案などの計画段階での断念の話に尾鰭が付いて「ドイツはV-2エンジンの(T-34の)コピーができなかった」という風にネット上で広まったのでしょうか?
    (つまり質問自体が誤りなのでしょうか)

    そして回答3、
    > ドイツがディーゼルエンジンを避けた理由はアルミ合金製のそれを作るような設備がないとのことでしたが、ユンカースが作っていた航空機用のものはアルミ合金製ではなかったのですかねー。

    これに関しては、
    ティーガーIの所謂極初期型と初期型の一部に搭載されたマイバッハHL210はアルミ鋳造のクランク室とシリンダブロックを持つエンジンなのです。
    V号戦車DB案のDB503エンジンもクランク室はアルミ合金だそうです。
    件のユンカースJumo205系列の航空ディーゼルもアルミ鋳造が使われていたという英語の書き込みを見たことがありますが、これについては裏が取れません。

    このように設備が(数が足りるかはどうあれ)無かったとは言えないでしょう。
    それにどうしてもコピーしたいけどアルミがネックだと言うなら、HL210のアルミ部分をスチールに変更したHL230のような手段が取れた筈です。
    写真屋ジョー


  3.  本来、車両のことに無知な私が書き込むことがおかしいのですが、
     http://www.warbirds.jp/ansq/3/C2000178.html
     を読んでおりますと、V2のコピーが可能かどうかという視点より、ディーゼル機関を必要としなかったということのほうが重要な気がします。
     多分、これ以上のことは、どなたかがフォローして下さると思います。
     
    hush


  4. V号戦車DB案の搭載エンジンはDB503ではなく、DB507でした。
    すみません、訂正します。
    写真屋ジョー


  5. >3 いえいえ、ありがとうございます。

    車両178の回答1、
    マイバッハHL230(最大出力700馬力)はWikipediaでは1200kg、
    DB507(最大出力850馬力)はあるサイトでは850kgと紹介されています。
    圧縮圧の高いディーゼルエンジンは強度確保の為ガソリンエンジンより重くせざるを得ないのは常識なので、このデータが単純に比較できるものとは思えませんが…(補機類含めての重量なのかとか、条件がわからない)
    参考までに、DB507のベースとなったガソリンエンジンのDB603はWikipediaでは920kgと紹介されています。

    DB507はベースが航空エンジンであるが故に前後方向に長く、車載するにはハルの全長も長くなるのでやはり重量などの面で不利でしょう。
    最初から戦車用としてディーゼルエンジンを開発した場合、どのくらいコンパクトにできたのか気になります。

    回答2と3、
    戦車用燃料の補給がガソリンと軽油の2系統になることを嫌ったから、というのは私も可能性のひとつとして考えてましたが、
    確かに鹵獲戦車への補給はどうしていたのでしょうか?
    鹵獲した車両を運用する程度なら問題にしなかったのでしょうか。

    回答4、
    飽くまで私の推測ですが、これが一番正解に近い、というか重要な要素だと思います。

    実際当時の人造石油は比較して軽油よりガソリンをかなり多く含み、
    軽油を多く含む人造石油の生産法が開発されるのは戦後になります。
    UボートやSボートなど、ドイツの比較的小型の舶用ディーゼルエンジンの使用燃料は軽油であり、希少な軽油をこれらに回さなければならなかったという事情があります。
    戦車用燃料に軽油を回す余裕がなかったのではないのでしょうか。

    私が質問をしているにも関わらず、なんだか私の憶測ばかり述べる場になってしまい、申し訳ありません。

    写真屋ジョー


  6.  実は、Uボートのディーゼル機関が軽油を使っていたことを知りませんでした。そして、だとすれば、仰るように戦車に回す分が無くても不思議は無いと思っています。
     鹵獲車両については、南方軍に集中配備されたということを考えると、3に示した中にもありますが、プロイエスティ油田に近かったので、まだ融通がきいたのかもしれません。
     
    hush


  7. 大戦中の日米英などは潜水艦の燃料に重油を用いていましたが、
    ドイツはUボートの燃料に軽油を用いていたそうです。
    ヴァルター・タービンでも軽油を使うようですね。

    遣日潜水艦で日本に来たUボートが燃料の違いで困った、という話も聞いたことがあります。
    写真屋ジョー



306 また素人質問で申し訳ありませんが、日本陸軍の装甲板にまつわる事で一つ。
もう散々、「浸炭処理されている部分されていない部分とで急冷時の体積膨張率が違うから負荷が凄まじく、このままでは駄目なので焼き戻しを云々(硬さは落ちる)すべきという技術者の意見を、硬さが命と信ずる陸軍は突っぱねて、装甲板は非常に脆く割れやすいものとなった」などと至るところで聞きます。
これはどこから出た話で、そして事実なのでしょうか。
第二種防弾鋼板は、「低温焼き戻すもの」となっており、私には専門的な事は分かりませんが、その辺の知識や考え方が無かったとは判断しにくいのですが。
パンジャンドラム

  1. 話の出所は私には分かりません。が、割れやすいのは事実と思います。まず前提として日本陸軍の戦車に使用されたニセコ鋼板、及び第二種防弾鋼板は焼き戻しは行われています。ただし、品質的な問題で割れやすかったのは事実で、九五式軽戦車や九七式中戦車の表面硬化部分が劣化で割れる(ひびが入る)報告はちょくちょくありました。
    みかん段ボール


  2. >>1 ニセコ鋼板は日本陸軍が絡んでいない(日本製鋼所&海軍主導)で、かなり念密な焼き戻し法を適用していたようです。表面硬さも浸炭装甲にしては少し低下していると記憶しています。どこぞで見たのですが数字は忘れましたが。
    しかし陸軍の絡んだ第二種において質問のやり取りが行われたと所謂おたくの間において吹聴されているので、何らの根拠や事実に基づいたものか検証しなくてはと思います。
    ニセコ鋼板は新型の第二種に代替されたと考えていましたが、ハ号には使われているのでしょうか。
    パンジャンドラム


  3. ハ号はニセコだった記憶しています(あやふやな記憶なので勘弁願います)少なくとも第二種のような浸炭処理はしていません。
    焼き戻しをしていない云々に関しては根拠が分かりませんが、似たようなもので兵頭氏の本がありましたね。日本有事ってなんだ、でしたっけ。もう持ってないのでアレですけど、確か表面硬化装甲を言及してた気がします。

    とりあえず日本陸軍戦車に使われた表面硬化装甲は焼き戻し処理はされてるのは確かですが、気温や残留応力が原因でひびが入りやすいのも(日本に限りませんが)事実ですね。
    みかん段ボール


  4. >>3 ありがとうございます。あと焼き戻しを云々と書いたのは(私の書き方が悪かったのですが)、焼き戻しをするべき、というのも確かに存在はしましたが焼き戻しのやり方をこうこう変えるべき(硬さは落ちる)、といったものもあって、共通するのが陸軍が技術者の意見を聞く耳持たなかったという点です。

    兵頭氏なら多々間違っている点が指摘されており、さもありなんとは思います。
    ニセコ鋼板は軟鋼の表面を硬く焼き入れしたもので、浸炭ではありませんね。
    ハ号のクラックの件は、ニセコ鋼板によるものだとしたら、やはり陸軍云々は大した重要では無かったということになりますね。
    第二種防弾鋼板は曲がりなりにも優秀な装甲板と目されていたものですし、初歩的な手落ちがあったとは考えにくく(願望めいていてすみません)、噂の真偽のほどを確かめかっただけですので、特段批判の意図はありません。
    しかし第二種防弾鋼板 などと調べてもなかなかこれにフォーカスした詳しい研究にはたどり着けません。ネットの限界ですね。
    できればこの装甲割れやすいかの件に触れたソースがほかにあれば教えていただきたいです。
    パンジャンドラム


  5. 戦車マガジン1991年3月号41〜45頁のY.ARAKI氏の記事はお読みでしょうか?
    「官給防弾鋼の欠陥」として、筆者の意見が述べられています。
    ペンネーム?のY.ARAKIから推察すると、三菱重工業の技師、荒城義郎氏が書いたものと思われます。この人は戦後、61式戦車の防弾鋼と溶接法の選定に関わった人物で、戦中は三菱重工業の大野隆技師のチームで、官からお仕着せの防弾鋼の溶接に腐心していた一人のようです。

    ところで、ネット上では、第一種防弾鋼板は均質鋼板なので、靭性の大きい(しなやかな)ソルバイト組成と思っているような書き込みが有りますが、日本陸軍では、第一種防弾鋼板は均質鋼板ですが、硬度が大きいが、その分脆いマルテンサイト組成の物も有り、むしろ、そのマルテンサイト組成(下記の本によるとβマルテン+トルースタイト針他)の物が主だったように思われます。これは、私が「溶接技術の概観」という本の160〜166頁を読んだ感想ですが・・・。
    Luna


  6. >>5 感謝します。どうやら軍事ライターの話ではなく、本業者の言だったとは…。
    あと第1種防弾鋼板も硬いのですね…。浸炭と違って裏まで同じ硬度で硬いとなるとかえって脆さのせいで抵抗力は落ちてしまわないのでしょうか。
    パンジャンドラム


  7. 実際の例としてはミリタリークラシックVol66(2019年9月販売)によれば、千葉戦車学校の報告で九七式中戦車の装甲が残留応力により割れた、とあります。
    あと兵頭氏の「日本有事ってなんだ」をもう一度買い直しましたが、兵頭氏は侵炭処理装甲に関して、焼き戻し処理の方法や表面が硬いけど割れやすいとは書いてありましたが、いわゆるネットで書いてあるような技術者と陸軍の議論については書かれていませんでした。兵頭さんごめんなさい。
    みかん段ボール


  8. 特殊鋼版の溶接手記というPDFがあり、そこに書かれているのはNi3.5、Cr1.5、Mo0.7のニッケルクロムモリブデン鋼について言及がありました。この3〜12mmのニクロム鋼の表面を焼き入れし、ブリンネル硬度480度にしてから溶接なり孔を開けるなりして戦車を組み立てるそうです。 また、32頁には納入した戦車の中から溶接した部分が割れる問題について言及しています。
    みかん段ボール


  9. >>7〜8 なるほど、残念ながらチハにもハ号同様の自然にクラックを生じる問題はあったのですね。割れたのがどの部位なのかは気になります。
    あとそのPDFを読まさせていただきましたがTK車の溶接割れは深刻だったのですね。
    硬い表面硬化装甲材の溶接強度は如何に難しいかを感じます。大戦後期のドイツの様に硬度を落とせばおそらくいけるのではと思う次第です。

    第一種防弾鋼板の方は流石に残留応力&溶接性ともに大丈夫だったのでしょうか。
    パンジャンドラム


  10. すみません。本題とは関係有りませんが、ちょっとニセコ鋼について書かせていただきます。
    ご興味ない方は、スルーして下さい。
    ミリタリー雑誌界隈では、“ニセコ鋼板=ニッケル・クローム含有の表面浸炭鋼”という事になっているようですが、「鉄と鋼」誌 第十五年 第三号「ニセコ鋼(特長及び製法)に就て」(1929)によると、「ニセコ鋼とはニセコ法を以て作つた鋼の総称であつて炭素鋼もあれば合金鋼もある。」と書かれています。また、「日本製鋼所に於ては鋼を主なる用途に依り7種に類別して、之に第1号乃至第7号の番号を附して居る。ニセコ鋼に於ても同樣に、第1号から第7号までの番号がある」とも書かれています。例えば、第1号ニセコ鋼は普通品用で炭素鋼ですから、ニッケル・クロームは含有していません。思うに、ミリタリー雑誌界隈で言うところのニセコ鋼板とは、第3号ニセコ鋼(砲身其の他兵器要部用)の更に限られた製品についてであると思われます。
    ところで、一部では“ニセコ鋼板=ニッケル・クローム含有の表面浸炭鋼”というのは「日本の戦車 下巻」からの引用情報と勘違いされている方が居るようですが、同書にはそのような事は書かれておらず、最高級の特殊鋼を選び、地金の成分や熱処理法などに苦心研究が重ねられた事、幸いに日本製鋼所の室蘭工場でニセコ鋼板が発明されて好結果を得たという事が書かれているだけです。最高級の特殊鋼は、最高級の鋼を作る技術がなければ達成できませんから、ニセコ鋼の発明は大変な幸運であったと思われます(低級なリムド鋼しか製鋼できないようであれば、特殊鋼の製造などおぼつかないでしょう)。
    九四式軽装甲車などを溶接し、技術研究した手塚敬三氏(東京瓦斯電気工業)の手記などでは、タハード鋼という名前が出てきます。これは日本特殊鋼会社での商品名で、ニッケル・クロム・モリブテンを主成分とする防弾鋼板のインゴットで、これを3から12ミリの板にしてブリネル硬度480位に焼き入れしてから、孔をあけたり削ったり溶接して、戦車を組み上げたそうです。このタハード鋼系の防弾鋼板は他にも日本電解製鋼、神戸製鋼所、日本製鋼所(つまり、“ニセコ鋼のタハード鋼”ですね)で製造されていたようです。
    Luna


  11. >>10 ニセコ鋼って、一口には言えないのですね。勉強になります。

    ふと疑問に思うのが、「第一種」「第二種」の区分が制定されたのがおそらくチハの開発されたころであるとするならば、それ以前の装甲はどうなったのか?、と。
    表面硬化装甲の方は、おそらく第二種の登場でフェードアウトしていったのではないかと思うのですが、均質装甲の方は?、と。

    第一種防弾鋼の方も以前の均質装甲に比べて何らかの改良変更がなされて制定された、あるいは全く別の装甲なのかも?という可能性もあり、あるいは第二種防弾鋼板の登場で旧来の均質装甲が単に第一種防弾鋼板としてカテゴライズされただけなのか、などが分かりません。
    第一種は硬さが低く、引っ張り強さの大きい「砲弾に対して抵抗力で受け止める」装甲かと思っていましたが、こちらも第二種ほどでは無いにせよ、硬くて脆いタイプのだと言われて、少し分からなくなってきました。当時の所謂海外で一般的な思想の均質装甲(硬さは低く粘くて割れにくい)タイプの装甲はあったのでしょうか。

    パンジャンドラム


  12. とりあえず経過報告。1946年に米海軍が作成した日本の技術に関するレポートがあって、13〜14頁目に戦車の防弾鋼板に関するレポートがあります。リンク名が長すぎるので「日本の防弾鋼板・鋼板に関する戦後の米海軍調査レポート」で検索お願いします。
    第1種防弾鋼板に似た化学成分の「日本戦車の均質圧延装甲」の表面のブリネル硬度が320と普通の均質圧延装甲(M4とかはだいたいブリネル硬度280程度。もっとも厚みがあるほど、硬度は低くなる傾向にありますが。)より硬いことがわかります。ちなみに第二種防弾鋼板の表面部分はビッカース硬さで550だったようです。で、ビッカース硬さとブリネル硬さへの変換表で見たところブリネル硬さは505くらいみたいですね。 一般的な表面硬化装甲の硬さです。
    みかん段ボール


  13. 追記。調査レポートでの日本戦車に使われた均質圧延鋼(第1種防弾鋼板)、侵炭装甲(第二種防弾鋼板)化学成分を見れば成分量的には他国と比較しても常識の範囲内です。ただし日本に限らず当時の表面硬化装甲の硬度はバラツキは酷いので目安程度に、と付け加えておきます。
    みかん段ボール


  14. さらに追記。一応付け加えておきますと、第1種防弾鋼板のブリネル硬度320は当時としては常識の範囲内です。装甲が50mm以下かつ小口径砲弾や銃弾を想定していた時代は基本的に300を超える硬度を持つ戦車は珍しくありません。
    みかん段ボール


  15. >>12〜14 なるほど、第一種の方はブリネル硬さは一般的な感じですね。安心しました。押収45mm砲の射撃試験によると、50mm装甲では第一種の方が第二種より優秀な成績を叩き出しており、25mm第二種は距離1500mでも食い破られてしまうというのもです。
    キャップや弾頭表面で浸炭層を圧貫できる新型砲弾には、引っ張り強度の高い、粘くて抵抗力のある第一種を使った方が効果が高いという結果になっています。
    自然にクラックが生じる問題や、垂直装甲向けで被弾傾始があまり働かないという問題とも併せて、その膨大な加工コストに見合うものか疑問になります。
    そもそもとして日本陸軍に厚板を製造できる○○トンクラスの圧延機が欠乏していたという事情はありますが、それでも第二種の薄板に過度な期待を寄せ過ぎていた感はします。

    パンジャンドラム


  16. 25mm浸炭鋼板だと不貫限界速度は300m/s
    50mm浸炭鋼板だと不貫限界速度は640m/s
    50mm均質鋼板だと不貫限界速度は720m/s
    だそうです。
    パンジャンドラム



305 度々申し訳ありません。
ミリタリークラシックスの九七式中戦車特集を読んだのですが、
そのなかで臨時松岡中隊の一文を読んで気になった部分があったので質問させていただきます。

ファインモールドの実車解説では、宇野少尉の証言として4月7日にバンダン河北岸で敵戦車3輌が自動貨車を伴い出現、これを友軍爆撃機と共に撃破とあります。
ミリタリークラシックスではこの敵戦車は臨時松岡中隊が到着する前に友軍の直協機の攻撃で撃退され、九七式中戦車改との戦闘は実現しなかった、と書かれています。
ここで気になったのは
@臨時松岡中隊が到着する前にすでに撃破されているのに、どうして宇野少尉の証言を採用したファインモールドでは臨時松岡中隊と飛行隊の共同撃破となっているのか。
A今までの私の認識としましてはフィリピンの緒戦でM3軽戦車を擁する第192、第194戦車大隊はバターン半島攻略戦の前に全滅した、ということなのに米比軍はどこから戦車を調達したのか、という点です。

結局、バターン半島攻略戦における臨時松岡中隊は本来の対戦車戦闘を行うことなく、追撃戦や歩兵の支援しかやっていないんでしょうか。


みかん段ボール

  1. @ 詳しくは「戦車第七連隊史」を見て頂きたいのですが、松岡中隊が到着したのは第3中隊と友軍機とによる戦闘が行われている最中です。敵戦車撃破は第3中隊から聞いたことで、正しくは第3中隊と友軍機との共同撃破と言うべきでしょう。

    Aについては詳しくは知りませんが、バターンに逃げ込んだ残存戦車があったようです。

    松岡中隊による対戦車戦闘の記録はありません。M3ハーフトラック自走砲との交戦記録はあります。

    Taki


  2. ミリタリー・クラシックスに書いた戦闘の経過は私が直接、宇野少尉(当時)から聞いたものです。
    宇野少尉たちは戦闘には参加していません。これは確実と考えられます。

    BUN


  3. バターン半島には戦車があったんですか。非常に興味深いですね。つまり、戦車はあったけど、臨時松岡中隊はこの敵戦車との交戦はしていない、ということなんですね。

    少し気になったんですが、臨時松岡中隊は第二次バターン半島攻略戦での戦歴ってどんなのでしょうか。
    彼らの活躍が知りたくて、臨時松岡中隊の戦闘詳報とか中隊史的な記録本があるかなと思い調べてみたのですが、まったく出て来ませんでした…
    みかん段ボール


  4. あと宇野少尉の経歴も差し支えなければ、教えて欲しいです。
    もし憚れるというのであれば、何か書籍を教えていただければ幸いです。
    みかん段ボール


  5. 3.の訂正:臨時松岡中隊の戦闘詳報に関しては存在することは分かったのですが、国立図書館やその他書籍販売サイトで調べてもまったく出て来ませんでした。
    また、宇野寛氏も戦記本を出しているわけでは無いので、彼の経歴、戦歴も断片的にしか分かりません。
    みかん段ボール


  6. 松岡中隊の戦闘詳報は宇野さんから頂いたコピーを持っています。
    また宇野さんはその後「◯ゆ」の乗員となった方です。
    BUN


  7. それから、戦車の有無について早合点しないように。
    宇野さんは戦闘に参加していないのですから。
    BUN


  8. なるほど。戦車第7連隊史と違って書籍化等はされていないんですね。

    私の理解力が乏しくて申し訳ないのですが、ひとつだけ確認をお願いします。
    宇野寛氏が戦闘に参加していない、というのはこの『敵戦車3輌』との交戦のことを指しているのですよね。
    それとも宇野寛氏はそもそもバターン半島攻略戦に参加していない、という意味での戦闘に参加していない、ということでしょうか?
    みかん段ボール


  9. ようやく『敵戦車との交戦という意味での戦闘に参加していない』、ということが理解できたので8.での発言を取り消します。
    失礼しました。

    みかん段ボール



304 お久しぶりです。
九七式中戦車改を装備した臨時松岡中隊についてお聞きしたいのです。
臨時松岡中隊に所属した宇野寛少尉の乗車車輌は何号車だったのでしょうか?
指揮班長は631号車、高久光明伍長は637号車、土田重雄中尉は638号車というのは知ってるのですが、どうしても宇野少尉の乗車車輌の番号が分かりません。
みかん段ボール

  1. 635号車です。

    Taki


  2. 返信遅れて申し訳ない。
    なるほど635号車ですか!ということは宇野少尉は第二小隊長なんですね。
    勉強になりました、ありがとうございます
    みかん段ボール



303 アメリカや日本等が使っているmlrsはサーモバリック無誘導ロケット弾や単弾頭無誘導ロケット弾は使えるのでしょうか。

  1. https://www.quora.com/Why-does-the-US-army-not-develop-thermobaric-missiles-Why-does-it-not-make-a-thermobaric-rocket-for-the-MLRS-and-HIMARS

    上のようなページを見つけました。
    機械翻訳で読んでみますと色々とわかりますね。
    超音速


  2. ありがとうございます。



302 10式戦車のエンジンは排気量に対して極めて小型化されている筈だと思うですが、実際の寸法形状は本当に相応に小型化に成功しているのでしょうか。
エンジンにはまったくと言ってよいほど知識が無いこの素人めに、どなたか教えていただきたいのですがよろしくお願いします。

前任の90式戦車の10ZG32WTは、10式のより小さい排気量(21.5リットル)で1500馬力とぶっちぎりのチューンなわけですが、これで90式のが本当に排気量相応にコンパクトだったら1200馬力にした10式のエンジンがばかみたいに思えてしまいます。

一方でドイツのMT883 1500馬力エンジンなどは、27.3リットルながら超コンパクトエンジンとされレオパルト2やメルカバmk4、一説には99式戦車にもコピーされなどで実績もあります。
90式戦車のグラビアは結構豊富で内部メカの一部も明らかにされていますが、私はまだ新鋭の10式戦車の内部メカを知りません。
実際のところ、寸法形状の圧縮に成功しているという情報が出ているならどなたかご教示願いたいです。
パンジャンドラム

  1. 排気量で見るなら、相対的に1200馬力の10式のはかなり後退した感があります。
    ですからその代わりに排気量以上のコンパクト化に成功しているという情報が是非とも欲しいのです。
    あるいは逆に90式のエンジンだけが実態は排気量以上に巨大なエンジンだったとか。
    10式のエンジンにどこか凄いところを見出したいという私の、結論ありきな質問ではありますが、実際にエンジンの寸法形状について何か公式発表あるいは軍事誌等の情報が有ればご提供頂けると幸いです。
    パンジャンドラム


  2. 10式では4st化による燃費低減を目的の一つとしていることをお忘れなく
    そこをごっちゃにすると「2stレーサーレプリカは4stより小型軽量でぶっちぎりチューンなのに廃れた!」みたいな話になりますよ
    とおり


  3. パワーパックは小さくすれば良いというものでもないです。
    MTU883は小型化し過ぎて、冷却が追いつかないために、定格出力は3分しか発揮出来ないそうですし(日本のは野戦整備状態で15分らしい)、僅か3分しか発揮出来ないピークパワーを受け止めるトランスミッションは能力(強度)不足で、非常に扱い辛いパワーパックらしいです。

    あと
    10ZG 640kW/m3
    試作の多気筒(10気筒) 880kW/m3
    MTU883 1061kW/m3
    とのことらしいですよ。10式のは、多気筒の8気筒版程度に考えて良いかと思います。
    K1


  4. >>2 >>3 回答ありがとうございます。
    感謝します。疑問が氷解しました。なるほど4ストの特性故なのですね。
    あと冷却の件は知りませんでした。トランスミッションにも欠陥があるようですね。やはりレオパルト2及びMTU883を世界最優秀戦車&エンジンなどと評する向きはやはり間違っていると言わざるを得ません。
    パンジャンドラム



301 m151ジープはm101榴弾砲やm102榴弾砲、自衛隊が使用している120mm迫撃砲を牽引できるのでしょうか
お願いします

  1.  毎度、Wikipediaで申し訳ないのですが、M151は「戦場ではスタックした際にフックで牽引すると車体が歪むなどの難点も見られた」とあります。これが事実としたら、迫撃砲ならいざしらず、2t以上もある榴弾砲の牽引には厳しいのではないかと、素人ながらに思っています。
     
    hush


  2. 解答ありがとうございます。m151と120mm迫撃砲と検索するとグラウラーitvやソルタムm65がでてきてしまいわからなかったのとm151とm101榴弾砲は画像検索で出てきたのですが怪しい模型だったので質問させていただきました。



300 大戦時のイタリア陸軍牽引車PAVESI P4に付いての質問です。
なぜあのようなタイヤ形態になったのか理由が知りたいです。
まあ、何かしらの利点があったのでしょうけど北アフリカ戦線では
同車が普通ゴムタイヤでも走行しているのを見ると
個人的感想ですが、そちらのほうが走行に有利なように思えました。
また、総生産台数(イタリア軍向け及び輸出・ライセンス生産別)も
資料がありましたらお願い致します。
陸奥屋

  1.  https://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=it&u=https://it.wikipedia.org/wiki/Pavesi_P4&prev=search
     上記はWikipediaの機械翻訳ですが、その中に、「頑丈なゴム製のリングと折り畳み可能なパドルが取り付けられた大きな車輪は、でこぼこのイタリアの地形では優れていましたが、代わりにコロニーの砂質で柔らかい土壌に沈みました。 そのため、1937年にピレリの 「シギロベルデ」 タイヤがモード30および30Aに採用されました。」という記述があります。
     フェリーニ等の古いイタリヤ映画を観ていると、この国、特に南部の貧しさを強く感じるのですが、同時にかなりの起伏の激しさを感じます。実際、この国の70%は平野ではありませんし、ヨーロッパでは珍しいことに火山も多くあります。そのような中でトラクターを使うには、不整地をものともしないものが必要だったはずです。しかし、北アフリカの砂漠地帯では、逆に沈み込んでしまうということでしょう。
     生産台数は、それを意味するイタリヤ語のVolume di produzioneをつけてちょっと検索してみたのですが、よく分かりませんでした。もう少し忍耐力があれば何とかなるかもしれませんが、他の方のフォローに期待します。
     
    hush


  2. >hushさん
    ありがとうございました。一応大戦時のイタリア車輌に関する洋書は持っているのですが同じような事が書かれています
    ただ、何となくですがAB40ですとかDovunque35が通常のゴムタイヤになっているのに旧いとは言え
    軽装甲車型まで計画されていたPAVESI P4が途中でゴムタイヤ系に変更されなかったのが不思議だったのです
    走行するにあたってタイヤ型式に優れているなら、もっと他の車輌でも採用されていたのでは?との疑問でした
    元が民間用トラクターだった事も関係在りそうですね

    生産台数に関しても有り難うございました。もう少し洋書を購入し調べようかと思います。

    陸奥屋



299 皆様のお世話になります。 ヴィターレ・ミキエルと申します。 よろしくお願いいたします。 第二次世界大戦時のイギリス軍のセントーMk.IV巡航戦車ですが、砲塔にスケールのような目盛りが書き込んでありますよね。上陸用舟艇から射撃をするため、砲塔全周に書き込まれた照準用目盛りだと言うことまでは何とか理解出来たのですが、どのようにして、あの目盛りで照準を合わせたのかがよく分かりません。ご教示して頂ければありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
ヴィターレ・ミキエル

  1.  何ですかそれはと思って「砲塔全周に書き込まれた照準用目盛り」で検索をかけたら、「海上から射撃を行うときに、たとえ視界不良でも複数のセントーが同一方向へ射撃を行えるように基準として書き込んだ」ものだと出てきました。
     
    hush


  2. hush様 わざわざ調べて頂き申し訳ございません。わたくしも同一標的への射撃というのはなんとなく把握していたのですが、どのようにしてスケールを活用していたのかがよくわからないのです。思うに上陸用舟艇の要員が標的を選定し、砲塔のスケールを基準に「あと5センチ右、あと7度角度上げ」のような感じで各セントーの砲手に指示していたということでしょうか。戦果、効果なども知りたいところですがなかなか難しいですね。上陸作戦時に上陸用舟艇から戦車が砲撃をするという事を、わたくしは存じてなかったので、お詳しい方の解説をお聞きしたく思い質問をあげさせて頂きました。貴重な時間を割いて頂きありがとうございました。
    ヴィターレ・ミキエル


  3.  Tank Encyclopedia http://www.tanks-encyclopedia.com/ww2/gb/A27L_Cruiser_MkVII_Centaur.php というサイトに”It’s set up so an observer stood behind the tank on an assaulting landing craft can read immediately what direction the turret is pointing so he can lay them on to shore targets quicker.”とありますので、お書きになられている方法でいいようです。
     この塗装はオヴァーロード作戦のD-Day当日のみ、海兵隊のセントーで使われたようですが、当日は波が高く、あまり意味はなかったようです。
     参考 http://ww2talk.com/index.php?threads/run-in-shoot-by-ra-in-overlord-assault.16174/
     
    hush


  4. hush様 ご教示ありがとうございます。 ウェブサイトのご紹介、ありがとうございました。興味深い画像などが数多く紹介されており大変好奇心をくすぐる内容でございました。スケールの活用方法についてですが、hush様のご尽力のおかげで満足な回答を得ることが出来ました。お詳しい方のお話は大変説得力がございます。こちらの質問掲示板にお世話になって良かったです。ありがとうございました。
    ヴィターレ・ミキエル


  5. >4
     鄭重な御礼をいただき恐縮致しております。実のところ、オーヴァーロードよりネプチューン作戦のほうが興味がありますし、戦車にも空母と同じ名のケンタウルスなんていうのがあるんだなという程度の者です。
     ところで、興味深い画像云々で思い出したのですが、royal marines centaur d-dayでGoogleの画像検索をかけると、展示物やイラストでない、砲塔に目盛りをつけた実際のセントーの写真が見られます。Wikipediaに収められたものもありますので、ご存知かと思いますが、念のために記しておきます。
     
    hush


  6. hush様 質問にお答えいただいた上、大変有意義なWebサイト、画像検索ワードのヒントをご提示頂いて心から感謝いたしております。また何かありましたら、お世話になるかもしれませんが、その際にはお力をお借りできれば幸いでございます。
    この度は大変お世話になりました。 ありがとうございました。
    ヴィターレ・ミキエル



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