ちょっと気になると夜も眠れない。

艦船関係
Ans.Q

どうでも良いことなのに…、誰か助けて!


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984 いつもご教授頂きまして有り難うございます。

艦が攻撃され「右舷機械室満水」「第○缶室浸水」などの被害を受けることがありますが、この様な場合どの程度内部の機械類はダメージを受けるのでしょうか?
(満水状態になってしまっても短時間内に排水して乾燥すれば、そんなに問題なく再度稼動するものなのでしょうか?)

駆逐艦「梨」は沈没状態の艦を引き揚げ自衛艦「わかば」として再就役していますが、エンジンは入念にレストアしたにも関わらず騒音が酷かったそうです。
私は「9年も水に浸かっていたものが動くのか!」と逆の意味で驚きましたが。

宜しくお願い致します。
Ranchan

  1.  状態次第でしょうが、修理は不可能ではないと思います。実際、水没、修理、船等の言葉で検索していくと、船外機の落下や船体の沈没等でエンジンの修理の話が散見されますが、交換よりは安く上がるようです。ただ、電気系統はかなり難しいようで、基本、交換となるようです。
     また、旅順で自沈したロシア艦をはじめとして、浮揚修理されたものは多くありますが、機関の換装を必要としたものは、近代化改装を同時に行ったもの以外は、あまりないように思われます。
     ただ、その修復にはかなりの時間がかかっており、大変な作業であることは確かです。

     ところで、水中では空気がないので、錆の発生が抑えられます。したがって、最近、よく発見される沈没艦船の映像を見ておりますと、何十年も前に沈んだと思えないほど原形をとどめています。ところが、これを引揚げて空気に触れた途端に酸化が始まるのです。海水だと余計です。したがって、このあたりの対応が重要なのだろうと思います。
     梨の場合は、僥倖に恵まれたのだろうと思いますが、このあたりの対応がきちんとしていたということなのでしょう。
     
    hush



983 海自潜水艦はディーゼル機関ですが、排気が真っ白です。
いったい何故なのでしょうか?
satoski

  1. 当該の問いに対し私自身は妥当と思われる推測をしました。貴方の推測は?
    にも。


  2.  https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1087474750

    hush


  3. >にも。様
    推測しきれず質問いたしました。

    >hush様
    ありがとうございます。
    ディーゼルは黒煙、という先入観がありました。
    こういう理由で白煙も出るのですね。
    satoski



982 戦艦比叡はロンドン軍縮条約の結果、主砲塔1基と舷側装甲を撤去することにより練習戦艦となりました。装甲は埋込ボルトにより内側の背板に、マホガニーの板を挟んで、取り付けられています。従って、装甲をはずした後、ボルト用の孔が残ります。このままだと水が入りこむのでまずいです。実際はどのような処置をしていたのでしょうか。写真を見ると、何か新たに板を張ったようにもみえるのですが。
電気戦艦

  1.  さっき勘違いしていました。マホガニーではなくチーク材でした。なお、日本ではヒノキ材を使うこともありました。今回の質問のポイントは、鋼材でできた船体表面に、どのようにして木材の板を張り付けて止めるかということに有ります。昔の戦艦や重巡の進水式の写真をみますと、舷側装甲を取り付けていない状態で滑っています。そこは木の板が張ってあるのが見えます。
     なお、大和や武藏は木材を使わずにパテという粘性はあるが流動性のあるものを詰めていました。これは後には固化します。おもしろいのは、明治末に英国から輸入した香取(ヴィッカース社)と鹿島(アームストロング社)はパテを使ってました。大正終わりにこれらを解体したとき、前者は完全にパテが充填されていましたが、後者はまだら状であったとのことです。
    電気戦艦



981 各国海軍で使用されていますサイドパイプの起源、歴史を調べているのですが、私の調べ方がまずいのか詳しいWEBサイトが見つかりません。そこで、お教えを乞いたいのですが、サイドパイプはどの時代のどこの国の海軍にルーツを持っているのでしょうか?私はイギリス海軍ではないかと考えていたのですが、どうも違うようなのです。
諸先輩方のお知恵をお借りしたく質問をさせていただきました。何卒よろしくお願いします。
サビ抜き

  1. 私も歴史的な詳細は知りませんが、”bosun's whistle”, ”piping the side”, ”Boatswain's call”などで検索することをお薦めします。

    英語の海洋小説の表現では蒸気が多いように思いますので(記憶だよりなので綴りが一部怪しいです。ご容赦)
    タンジェント


  2. すみません、「蒸気」は「上記」です。
    タンジェント


  3. タンジェント様
    おはようございます。検索ワードのご提示ありがとうございます。
    英語の海洋小説ではボースンホイッスルと表現されることが多いとの事、
    貴重なお話、承りました。お教え心より感謝申し上げます。
    サビ抜き


  4. ttp://www.dundasseacadets.com/uploads/9/8/1/8/9818667/boatswains_20call.pdf

    上記によると、13世紀半ば、十字軍(年号から第7回)の記録にあるそうなので、地中海のイタリア都市海軍やフランス・スペインの海軍では知られていた可能性があります。
    タンジェント


  5. タンジェント様

    おはようございます。13世期半ばには使用されていたとの事、貴重な情報ありがとうございます。私も色々調べてはいるのですが思うようにいかないものですね。遠方の友人にメールで同じような質問をしたのですが、友人曰く、「うろ覚えで申し訳ないが、古代ギリシアの三段櫂船の櫂をかく時の号令が起源だったという話を聞いた事がある。」という回答をもらいました。情報ソースが定かではないので鵜呑みには出来ないのですが。タンジェント様から提示していただいた検索ワードから色々な情報を得られつつあるので、大変感謝いたしております。改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
    サビ抜き



980 いつもご教授頂きまして有り難うございます。

日本海軍は爆沈した戦艦「陸奥」を引き上げて3ヶ月で修理・再就役させることを調査検討したが、艦体の損傷が大きすぎて不可能だとの結論に達し断念したと聞いております。

では、比較的余裕のある平時であれば駆逐艦「梨」のように戦艦「陸奥」を引き上げ修理・再就役させることは可能だったのでしょうか?
それとも同様に爆沈した戦艦「河内」のように放棄解体とするしかなかったのでしょうか。

宜しくお願いいたします。
Ranchan

  1.  第3主砲塔の爆発で船体両断、後部船体は上下逆に裏返しですが、前部は右舷に横転したものの原形を保っておりますので、膨大な予算と金をかければ不可能ではないでしょう。
     しかし、問題は引揚げのほうです。現場は浅海域ですが、潮流が早い上に、視界が1m程度しかありません。また、水中で作業できる時間も20分程度しかありません。
     このため、戦後の艦尾部分の浮揚に際しても85mmワイヤーが切れるという1970年時点でも不測の事態が出来し、ダイナマイトの爆破により2分割して引揚げています。
     残りの部分については、 https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN6/7_osirase/kisyareku/070424.html にあるように、現在も主要部分が海底に横たわったままです。
     したがって、浮揚には船体の分割が必要であり、そのようなものを再就役させるための費用対効果があるかと考えると、きわめて疑問です。しかも1943年の爆沈という事実をずらさないとすれば、艦齢20年以上の老朽艦で、その予算で新艦を建造すべきでしょう。
     
    hush


  2.  膨大な予算と金>膨大な予算と期間
     失礼しました。
     
    hush


  3.  なお、現在、陸奥の船体の一部なりとも浮揚され、遺骨の多くが収集されているのは、損得を度外視してサルヴェージされた奇特な会社があったからであり、普通は無理であることを付記しておきます。
     
    hush


  4. ご回答有り難うございます。

    なるほど、引き揚げの方が困難なのですね。
    駆逐艦「梨」の戦没地点と近いようなので、「梨」が再就役出来たのなら「陸奥」でも沈没時から短時間なら再就役目的の引き揚げも可能かと思いました。

    沈没地点が難所の上に、「陸奥」はそのまま引き揚げるには大きすぎるのですね。せめて「三笠」のように着底なら・・・。
    Ranchan



979 CTF150で活動しているフランスのラファイエット級を
見て思ったのですが、クロタルやシースパローなど
短SAMで自艦以外の貨物船などへの対艦ミサイルを
迎撃できるのでしょうか?
くま

  1.  これらのミサイルは個艦防空システムとして運用されるもので、射程が10km前後と短いので、他の艦船の防御はやりにくいと思います。ただ、シースパローの後継で、発展型シースパローとも呼ばれるESSMでは30km以上と射程が延伸しており、これらなら僚艦防空も可能ではないかと思っております。
     
    hush


  2. となるとラファイエット級は対艦ミサイル級の
    脅威からは護衛は出来ないということですか
    あくまで対テロ、対海賊か・・
    ありがとうございます
    くま


  3. 湾岸戦争で米海軍のニュージャージに向けて陸上から発射された対艦ミサイルを護衛のイギリス艦が個艦防空ミサイル(シーウルフだったかな)が撃墜した事例があります。シーウルフで僚艦防衛するには、目標艦と対艦ミサイルの間に割り込む必要がありましたが、フォークランド紛争の戦訓で改良されました。
    桜ヶ丘


  4. 文章が誤解をまねきそうなので、明確化を。
    シーウルフは湾岸戦争時には、目標とミサイルの間に割り込まなくても、僚艦に向かうミサイルを迎撃できます。
    桜ヶ丘


  5. >3
     ニュー・ジャージーは1991年に退役しており、同年の湾岸戦争には参加しておりません。したがって、これは姉妹艦のミズーリで、同年2月にイラクのHY2対艦ミサイルに攻撃された際にイギリス駆逐艦グロースターが迎撃に成功しています。
     しかし、この際に使用されたのはシーダートで、これは射程が70kmに達する中距離艦隊防空用ミサイルですので、個艦防御用ではありません。
     なお、1で申しましたように、個艦防御システムは僚艦を防御するのは、不可能ではないかとは思いますが、難しいのではないかと思っています。
     
    hush


  6. >5
    記憶違いでしたか。これは失礼しました。
    桜ヶ丘


  7. 護衛対象が1隻であれば、かなり接近していれば
    射程的には迎撃可能なようですね、複数だと対応できずと・・
    箱型ランチャーだと射角的に全方位対応が辛そうですが
    垂直発射型ならマシかな・・・
    くま


  8. 多少の時期遅れは御容赦願います。
    質問者の意図する対艦ミサイル及び短SAMの「短」並びに自艦以外の貨物船等と自艦の距離や位置の関係が不明ですが、実用化されだした時点においては、条件によっては難しかったのではないでしょうか。
    先ず、短SAMは車載型の防空システムに採用されている為、航空機の迎撃には問題が無いと思われます。
    しかし、トマホーク等のシースキマー型の長距離対艦ミサイルの場合には、自艦で無く僚艦に向かって飛翔しているのを発見することは困難な場合があり得ると思われます。
    次に、発見して短SAMを発射しても、誘導波を照射することが困難な場合もあり得ると思われます。ともかく、発射する艦自体が動揺しています。
    また、短SAMは、距離によっては落下しつつ短SAMから反射されてくる誘導波に向かっていくことになりますが、海面も反射するため、雑音を除去する必要があると思われますが、これは非常に困難と思われます。さらに、対艦ミサイルの進行方向と誘導波の照射方向も種々です。
    従って、単に短SAMの射程だけの問題では無いと思われます。
    状況にもよりますが、システム全体の問題となります。
    UK


  9. >8
     質問が「クロタルやシースパロー」とありますのに、「実用化されだした時点においては」とあるのが分かりません。また、上記の短SAMは対SSMの脅威に対応して開発されてきた経緯がありますので、現行のものはシースキマー型SSMに対応しようとしています。
     つまり、シースキマーといえども、最終的には目標を確認しなければなりませんので、上昇してシーカーを働かす必要があります。そこから5-10km飛翔して目標に向かうので、この間が短SAMならびにCIWSの迎撃海域となります。
     多分、このあたりはご存じのことだとは思うのですが、「距離によっては落下しつつ」とか「海面も反射するため」とか、すべてをシースキミングしていると思われるような表現がありましたので、念のために書かしてもらいました。
     
    hush



978 また質問してすいません。
米海軍の戦艦サウスダコタは司令部施設のために両用砲が二基減っています。この手の話を聞くたびに思うのですが、第二次大戦時の各国が艦艇に求めた司令部施設とは具体的にどんな内容のものだったのでしょうか?
Mk.63GFCS

  1.  http://www.warbirds.jp/ansq/7/G2000471.html
     乗員以外にこれだけ乗せようと思ったら、大変だろうと思いますよ。
     あと、こちらの表にはありませんが、料理人とかも別にいるかもしれませんし、通信指揮関係の設備も他の艦より充実させる必要があるので、他に設けた場合もあるでしょう。
     国によって、要望は様々でしょうが、平時においては、外交官も兼ねる場合もありますので、公室などもパーティーができる程度の広さとそれなりの設備が必要でしょう。
     
    hush


  2. 具体的な内容は記録されてない感じでしょうか?
    どのような用途、面積、設備を持った部屋をどの位置に設ける必要がある、みたいな。
    Mk.63GFCS



977 帝国海軍などでは大和型戦艦が海軍高等技術会議等にかけられて案を検討する流れが知られてますが、アメリカやイギリスなどではどのような場でどのような人々が検討するのでしょうか?
Mk.63GFCS

  1.  多分、イギリスの場合は第2海軍卿Second Sea Lord and Deputy Chief of Naval Staffが人事・装備・インフラストラクチャーを管掌するとありますので、ここが中心となるのではと思っています。ただ、同国の場合は組織が非常にややこしいので、具体的な決定プロセスについては、不明です。
     中途半端な回答で申し訳ありませんが。
     
    hush


  2. ドレッドノートとインヴィンシブルはフィッシャー親分が子分共を一堂に集めて短期間にチャチャッと決めちゃってますね
    駄レス国務長官


  3. 英海軍はかなり複雑なようですね。
    米海軍はどうなのでしょうか?
    Mk.63GFCS


  4. 多少、時期遅れですが、ご容赦を。何時でも、官民や洋の東西を問わず、また軍事に限らず、重要あるいは基本的な計画は上層部が決定し、それに基づいて名部局や担当部門が細部を決めていきます。基本的な計画としては、例えば旧ソ連や中共の国家としての第2次5ヵ年計画、我国の八八艦隊計画、米国の両用艦隊計画等です。細部の計画としては、パナマ運河を通過不能な戦艦を建造する。具体的には46センチ砲を8門以上搭載し、30ノット以上等の要目の戦艦を建造する等です。これを建造するに際して、担当の軍人と多分艦政本部の基本計画担当の技術者が種々の案を比較、検討して最終案を決めます。艦首側と艦尾側に連装と3連装を装備する案は時期的に無理として却下されました。30ノットの速力は艦が過大となるとして却下されました。但し、どうしても解決できない事項、極めて重大な要目の変更や基本計画そのもの変更に際しては、必要に応じて、別途の検討会が設けられたようです。大和の場合には、最晩年の近藤市郎氏に伺った話ですが、ディーゼルの不採用は上層部の年寄りによって決められ、その直ぐ後に氏にはディーゼルを開発している人をなだめて欲しい旨の密使が来たそうです。軽巡大淀の場合には、航空巡洋艦案は、高等技術会議で葬られました。この様な事項は、何処の国でも同じと思われます。
    ただ、米国や英国は、我国より正しい判断をすることが多かったと思われます。例えば、7万トンの大和の高角砲は12門ですが、英国の3万5000トンの戦艦は16門、米国のそれは20門です。さらに、バイタルパートの防御とは別に、艦内への浸水を極言する等して船としての安定性や運動性を最後まで保持するということにも注意を払っていない様です(牧野茂氏、黛氏)。同じく、1905年の夏に戦艦安芸を建造するに際して、我国では12インチ連装砲を艦の前後に2基づつ配置する案が却下されています(伊藤正徳著「大海軍を想う」)。米国はミシガンを、英国はドレッドノートを建造しました。
    確か、世界の艦船で、旧海軍の造船官であった堀氏が「技術者が、技術に基づいて意見を述べることは望まれてもいなかったし許されてもいなかった。」と記されています。また、高雄級重巡の巨大な艦橋に対して。ドイツのフェルスター海軍大将は「訓練には便利だが実戦では不利」と言い、イタリーのプリエーゼ造艦中将は「各部の要求を綜合して決定すべき権限と権威を造船計画者が持たずにただ漫然と受容れているだけであり、私は日本海軍が心配だ。」と行っています。マタパン岬沖海戦で、英国巡洋艦からはイタリー戦艦を視認できなかったそうです。米潜水艦が高雄級を雷撃する際、巨大な艦橋は良い目標になったのではと心配しています。
    これらの理由ですが、根源的には、組織としての海軍が、技術者、軍人等、さらには大砲のみならず航空やダメスタ等の各部門の力を綜合して発揮するという面からは、英米ほどには発達していなかったからと想われます。米国では、軍人は同時に技術者であり、技術者は軍人でも有りました。


    UK



976  戦列艦等帆船の火薬庫の壁には静電気対策で銅板が張られていたそうですが、これはいつ頃から始まったのですか?

 船体の銅被服と同様、銅が高価だったころは鉛板が使われてたりしたんでしょうか?
おうる

  1.  ヴィクトリーとコンスティチューションの火薬庫には銅が張られています。しかし、それ以前の帆船がどうであったかが不分明であったので、gunpowder magazine copperで検索をかけたところ、1759年と1765年に建設されたイギリスの陸上火薬庫に銅板が使用されていることが分かりました。これらが造られた当時からそうであったかどうかは分かりませんが、18世紀には使われていたのではないかと思っております。
     なお、gunpowder magazine leadでは思わしい検索結果が得られませんでしたので、鉛が使われたかどうかまでは分かりませんでした。
     
    hush


  2.  わざわざ調べていただいてありがとうございます。

     ヴィクトリー号の火薬庫に銅板が張られているのは存じておりましたが、今改めて調べてみると、どうやら1800〜1803年の再建造の際に火薬庫の銅板が追加装備されたようです。
     ヴィクトリー号の船体の銅版被服は1780年に追加装備されたそうですが、火薬庫への銅板追加が1800年にされたということは、1780年当時はまだ静電気対策としての銅板貼り付けの有効性は認知されていなかったのか?と思いきや、陸上の火薬庫には1759年に銅板が採用されてるんですよね・・・うーん
    おうる


  3.  
    https://www.researchgate.net/publication/252891104_Lightning_and_Gunpowder_in_the_18th_Century
     上記によると、イギリス、Purfleetの火薬庫にフランクリンの提案により銅板が設置されたのは1780年のことだそうです。
     

    hush


  4.  パーフリートPurfleetの火薬庫は1765年に完成しています。したがいまして、これは改装された結果ということなのでしょう。
     しかし、独立戦争中になぜフランクリンがイギリスに協力するのだろうかという疑問が生じるのですが、インゲンホウスはフランクリンと旧知の間柄のオランダ人で、その頃、パリにいたフランクリンに目的を話さずに聞いたのではないかと思っています。
     
    hush


  5.  ということは、火薬庫の壁を銅板で覆って静電気火災を防ぐのはベンジャミン・フランクリンによる発明なんですかね?

     確かに彼は雷の実験でロンドン王立協会の会員になってますし、オクスフォード大学で名誉学位も授与されてますから、英国内でも一目置かれる存在であったことは疑いようもありません。「彼がパリの社交界でこんな話をしていた」という伝聞でも注目はされそうです。
     避雷針の発明者でもあるので静電気対策について知見を持っていてもおかしくないとは思います。
    おうる


  6.  lightning damageですので、静電気対策ではなく、落雷対策ですが、フランクリンのアイデアです。また、壁と床は鉛を仕込んでいます。ただ、このことは忘れ去られていたいたようで、1876年にかのマックスウェルが同様の勧告を行ったと書いてあります。
     翻訳サイトの精度が上がったので、随分と楽になりましたが、思い違いをしていたら御免なさい。
     
    hush


  7.  回答ありがとうございます。
     最初に読んだ本には静電気対策としてと書いてあったのでてっきり静電気対策だと思っていましたが落雷対策だったのですね。

     静電気対策だと思っていたので検索をかけてもそれらしい答えを見つけることができませんでしたが、 Lightning Damage Gunpowder Copper Sheet で検索しなおすことでいくつか有益な情報を見つけることが出来ました。

     まとめると・・・
     ベンジャミン・フランクリンは1749年に避雷針を発明。
     それから1751年6月までの間に雷が火薬を発火させる事を発見し、1753年には家屋を落雷から守る方法を発表。
     1767年にフランクリンは金属製のカップに通電したところ、カップの中には電気が流れない事を発見。
     1769年にイタリアのブレジアで落雷による火薬庫の爆発事故が発生。これを受けて1772年5月にイギリス議会(英国兵器委員会)はベンジャミン・ウィルソンとベンジャミン・フランクリンに火薬の製造と保管について諮問しており、両者の間での長い論争(電気の正と負とか避雷針の先は尖った方がいいとか丸い方がいいとか)が始まる。王立協会による大規模な実験等を経て同年8月にフランクリンの勧告を採用されパーフリート兵器庫が改修される。
     1775年アメリカ独立戦争勃発。1776年後半からフランクリンは渡仏し、外交官として働く一方で定期的にフランスの科学アカデミーの会議に参加、落雷から建物と火薬を守る方法についていくつかの勧告を行う。
     1777年1月、インゲンホウスは皇帝ヨーゼフ2世の要請で落雷から火薬庫を保護する方法について助言を求める手紙をフランクリンに出す。
     1777年5月にパーフリート兵器庫に落雷があったが損傷は軽微だった。当時フランクリンはフランスに滞在。ウィルソンは避雷針の形状について実験を継続。
     1780年5月にインゲンホウスは再度フランクリンに助言を求めたのに対して返信。この中で壁を鉛で裏打ちしたうえで銅板で覆い、接合部を半田で埋めることを勧告。鉛の裏打ちは建物を構成する石材が落雷時の爆発で飛び散るのを防ぐためのもののようです。

     フランクリンがイギリスを支援したというか、オーストリアを通じてイギリスに情報が渡ったと見た方が自然な気がします。インゲンホウスの母国オランダもアメリカを支援してますし・・・
    おうる


  8.  どうも、かなり訳文を間違って返答していたようですね。
     失礼しました。
     
    hush


  9. >>8、いえ、おかげで私にとっては非常に有益な手掛かりを得ることが出来ました。ありがとうございました。

     機械翻訳の場合、翻訳対象がPDFだと一つの文章の途中で改行があると、改行の前と後を別の文章として翻訳してしまうようです。なので、原文を一行ずつコピーして繋ぎなおして機械翻訳にかけなおすとだいぶマシな翻訳ができます。

     それはそうと、肝心の艦船への最初の採用例がまだわかりません。英海軍の艦船の採用は1780年ごろからで良さそうですが、>>7の経緯の通りだとすると米艦や仏艦にはもっと早い時期に採用されていると思うのですが、それを示す資料が検索できません。ヒットしてるいくつかの内に書かれているかもしれませんが、ヒットしたものの半数以上が電子書籍の記事で機械翻訳にかけられないデータばかりなので・・・
    おうる



975 連合軍がノルウェーに居る戦艦ティルピッツを警戒して
たった1隻のために多くの戦力と労力を割いていたのは有名な話ですが、
翻って太平洋戦線を見た時 連合軍はトラックから動かない大和・武蔵に対して
「あいつらがソロモン水域に出張って来たらヤバイ」みたいな
特別の注意を払っていたのでしょうか。
それとも、両艦がトラックに居ると把握していなかったとか
スペックを正確に認識していなくてさほど脅威とは感じていなかったのでしょうか。

かめ

  1.  写真撮影により、同級の主砲が18インチである可能性は指摘されていましたが、一般には16インチであるとされており、速力は正しく認知されていますので、それほどの脅威とは思われていなかったのではないでしょうか。また、18インチ砲搭載と認識していても、当時のアメリカの保有していた戦力から考えても、対抗可能と思われたのではないかと思っています。
     あと、スケートによる大和雷撃は、暗号解読による待伏せですし、F13等による写真撮影も行われていますので、場所の特定はされていたと思います。しかし、アメリカにとっては、日本艦隊の撃滅より、要地の攻略のほうが重要であり、その際、脅威となるのは航空兵力ですので、そちらのほうが重視されたと思っています。
     ティルピッツに対する絶対の対抗兵力を持たないイギリスとは、随分と意識が異なっていたのではないでしょうか。
     
    hush


  2. 詳しく有りませんが、大和型に対しては1の通り。16インチ艦と捉えられていたのでしょう。

    片やティルピッツの件ですが、英軍はやたら独軍の艦船を警戒していた面も無いでしょうか。シュペー追撃戦。ビスマルク追撃戦。凄い反応ですよね。
    暇人


  3. hush様、暇人様、丁寧なご説明 ありがとうございました。
    大和型戦艦の活動についての評価の話をネットでつらつらと漁っていて、
    「両艦はトラックに居るだけで大きな脅威を与えて 相応の戦力を
     対抗のために割かせており、出撃しなくとも前線に貢献していたのだ」
    との主張を見たので質問いたしました。
    実際の所はそれほど大きな脅威を与えていたわけではないのですね。
    (甘く見ていたわけではなく、戦力的に対抗可能という意味で)

    かめ


  4. トラック泊地の件に付いては、米軍はほぼ計画通りに対日戦を実行しました。
    最初の時期に無理にトラック泊地を攻める必要も無かったかと。

    結局、トラック泊地は侵攻が進むにつれて空襲でボコボコにされてしまう訳ですから。
    暇人


  5. 英海軍がシュペー、ビスマルク追撃戦に労力を割いたのは、両艦の任務が通商破壊活動だったからでは無いのでしょうか?あとティルピッツに関しては、ティルピッツが停泊してる場所がノルウェーのフィヨルドで、英国がソ連に援助物資を送る航路に対し、喉仏に引っかかった魚の骨みたいな厄介な存在だった
    というのを赤本の「壮烈 ドイツ艦隊」で読んだ記憶があります。
    まさのり



974  859の質問をしたものです。
その後、戦後に移送された艦について時々調べていて他の疑問が出てきました。
戦後大量のUボートが英軍に引き渡されています。そしてこのほとんどをイギリス海軍は大西洋で雷撃で撃沈処分しました。
 
 英国はドイツの降伏によってアメリカからの物資支援が終わり国民は敗戦国と大して変わらない窮乏生活だったと聞きます。しかも戦後のイギリスは英国病と言われるほど何十年もの財政赤字国になりました。

 そのイギリスが不足する金属の塊であるUボートを高価な魚雷を使ってボコボコ沈めたのでしょうか?
Uボートの金属は解体処理してリサイクルするほうが高くつくようなものなのでしょうか。
そうだとしても魚雷を使わず注水した方が安上がりだと思います。
また戦後イギリスは財政難でトラファルガー海戦の戦利品だったフランス艦の返還をフランスに申し出て断られ、これも雷撃処分しています。
 タダならアメリカ辺りの富豪や博物館などいくらでも引き取り手はあるでしょうし、解体しても木製家具や内装の好きなイギリス人に貴重な材料として売れたと思います。
 またボロ倉庫で小銭取って展示しておいても、大西洋に引っ張り出して雷撃処分するよりお得だと思います。

 武士は切腹。軍人は銃殺みたいに軍艦は雷撃処分といった考えがイギリス海軍にあったのでしょうか?
トロッター

  1.  デッドライト作戦Operation Deadlightで沈められたUボートの多くは砲撃や爆撃により撃沈されており、雷撃というのは少数ではないでしょうか。
     また、戦後のイギリスで不足していたのは食料等の生活必需品であり、不要になった自国の軍艦だけでも、屑鉄のほうはかなりあったのではないでしょうか。
     それよりも、「戦後イギリスは財政難でトラファルガー海戦の戦利品だったフランス艦の返還をフランスに申し出て断られ、これも雷撃処分」という部分のほうが気になっています。戦後を第2次大戦後の理解しますと、トラファルガー海戦の戦利品だったフランス艦が、フィッシャーが木造軍艦の整理を行っていることもあり、その頃までどれだけ残っていたかという疑問がありますし、そのような木造艦に雷撃を行う理由が分かりません。もしよろしければ、出典を教えてもらえないでしょうか。
     なお、降伏したUボートのリストは https://uboat.net/fates/surrendered.htm に載っており、Operation Deadlight submarine torpedoでGoogleの書籍検索を行うと、Black Flagという本が出てきますが、この本の最後のほうに、かなり読めない部分はあるのですが、各艦の処分状況が出てまいりますことを付記しておきます。
     
    hush


  2.  いつもありがとうございます。
    帆船の雷撃処分の映像は、今回の疑問のかなり以前に見たNHKの番組です。
    確か1950年前後の映像です(マスト無し。1隻のみ)。年は正確に覚えていないのですがフランスに断られて処分したということで、とんでもなくもったいないことをするなぁと強く印象に残っています。その後Uチューブでも偶然見かけたので間違いないと思いますが船名等調べてみます。

     Uボートについては魚雷以外も使ったのですね。私の調べ方が足りませんでした。すみません。
    ただ金属は魚雷・砲弾等の費用をかけて海に廃棄するほど余裕があったと思えません。 軍人はいちいち銭勘定しないだけかもしれませんが。


    トロッター


  3. >2
     御教示多謝。
     こちらで船名を調べたところ、インプレカブルHMS Implacableでした。ただ、 https://www.youtube.com/watch?v=xTl7tphyvJY で公開されている動画を見ますと、艦上で士官が爆破スイッチを押した直後に爆発が起きていますので、雷撃ではなく、遠隔操作による爆破です。
    >魚雷・砲弾等の費用をかけて
     魚雷は高価ですが、砲弾や爆弾はずっと廉価ですし、戦争が終わっても、そのような爆発物を大量に持っていても、経年変化等を考えると、どこかで処分すべきでしょう。そのような時、実艦標的として使用するのは、悪くない方法かと思われます。
     ところで、戦後のイギリスで金属が不足していたと主張されていますが、何かデーターでもお持ちなのでしょうか。日本では、開高健の「日本三文オペラ」にあるように、あるいは5円玉に穴が開けられたという話があるように、戦後は金属が不足していますが、イギリスではそのような話を、調べても出てこないのですが。
     なお、一部のUボートは解体されていることは、1で示したリンク先でも確認できると思います。
     
    hush


  4. >Uボートについては魚雷以外も使った
     1で申しましたように、雷撃は少数です。
     
    hush


  5. 確かに、金属類が極度に不足したと言うお話は聞きませんね。まあもしかしたら種類によっては不足だったかもしれません。
    1939〜1945年の総計となりますが銅(鉱石)に関しては現在のザンビアから1640.8(1000トン単位)、
    これにカナダ・米国からの輸入もあったでしょうから不足では無さそうです(日本比)。
    鉄鉱石は3480.6(同。日本の3倍)で、亜鉛は英連邦構成諸国(カナダ・オーストラリア)からの輸入が主、
    錫はマレー半島が英国にとって主産地でしたから日本参戦後はボリビア鉱山を押さえている米国や
    ベルギー領コンゴからの輸入に頼ったと思われます。アルミ関係はボーキサイトが英領ギアナから
    6695(同。開戦後インドネシア・マレーを押さえている日本の5倍)ですから、これも不足していなかった感じ。
    但し一次製品の生産量は大戦期間中比較だと日本408(同)に対して英国240.5(同)+再生アルミが437.6(同)
    他のマンガン・ニッケル・クロム・モリブデン・タングステン・バナジウム・コバルト等に関しても主産地が英連邦・植民地・
    米国(同盟国)傘下の鉱山が主産地でしたから、態々再生金属を使うより安価に精製出来たのでは無いでしょうか。
    何れも鉱石・原料に関しては全ての数量が英国に来たわけでは無いですしドイツ側の潜水艦作戦で厳しい時期があったかもしれませんね。
    ちなみに数値や場所は「レアメタルの太平洋戦争」より抜粋しています。
    精錬に関して、知識が皆無に近いですので突っ込まれても反論できませんが。
    陸奥屋


  6. >5
     フォロー多謝。
     精錬に関しましては、戦争終了まで、あれだけの原材料を運び入れて兵器類を製造できるのですから、問題があるはずはないでしょう。
     
    hush


  7. >6
    いえいえ
    いずれにせよ、ドイツが英国の屈服を諦めた理由の一つに米国の援助もあるでしょうが、
    この(当時としては)無限に近い英連邦や植民地のベースメタル・レアメタルの存在もありそうですね
    話が大きくなってしまいましたが。
    陸奥屋



973 1935年に満州国で行われた大典観艦式の詳しい内容(参加大型?艦船名と御召艦名)を御教示ください。
映像を見たのですが、後部に展開された天幕の関係で順天型砲艦と定辺型砲艦の見分けが付かず
困惑しています。多分、後部天幕がある艦船が御召艦だと思われるのですが・・・。
あと映像では9月9日になっているのですがWikiあたりですと10月10日となっているのも謎です。
どちらが艦船名・日付は本当なのでしょうね。
陸奥屋

  1.  アジア歴史資料センター リファレンス・コード C05034111200はどうでしょうか。
     
    hush


  2. >hushさん
    ありがとうございました。
    どうやら定辺型砲艦が御召艦で9月9日が正解なようですね。

    陸奥屋



972 翔鶴型空母を建造した横須賀、神戸の船台と武蔵を建造した長崎の船台の差はどういうものだったのでしょうか。
チャカ

  1.  多分、幅だと思うのですが、各船台のサイズを記した資料を見つけられずに今に至っています。
     
    hush



971  イタリアのヴィットリオ・ヴェネト級戦艦は軽量化のために燃料タンクを小さくしていますが、これはどのくらいの効果があったのでしょうか?
 他の条約型戦艦では重量削減のために燃料タンクの大きさに気を払っている記述を見かけていないので気になっています。
ナマケモノ

  1. 逆に質問させて下さい。「軽量化のために燃料タンクを小さくした」とは初めて聞き(読み)ました。出典は、何でしょうか。
    私は、行動予定海域が地中海であるため、航続距離が短いという説明を信じていました。
    UK


  2.  Wikipediaのヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の項には、たしかに「設計段階で燃料タンク自体の大きさを小さくして浮いた重量を武装や防御に回した結果であった」と記されているのですが、これは英語版、イタリア語版の同項には記載がありませんし、菅見の限りでは他に見当たらない記述です。その上、その出典も記されていないのですが、基準排水量は満載排水量から燃料と予備水を除いたものですから、それでワシントン条約における制限から逃れる何らかのメリットがあると思えないのです。どなたが書いたのか知りませんが、私にはよく分からない記述です。
     
    hush


  3.  調べなおしてみたところ、ベルッゾー式タービンという軽量だが巡航時の燃費が良くない機関のせいで航続距離が短くなったという記述をみつけました。
     出典がよりにもよって艦これwikiですが、ジュゼッペ・ベッルッツォが設計したタービンがヴィットリオ・ヴェネト級に使用されたという記述がイタリア版wikipediaにありましたし、アメリカ合衆国特許第1,865,551号がベルッゾー式タービンらしき記述なので、燃料タンクが小さいという記述よりは信憑性があると思います。
    ナマケモノ


  4.  Ermingo Bagnasco著”The Littorio Class: Italy's Last and Largest Battleships”に”It was also determined that the dry weight of the entire propulsion machinery would be 2,200 tons and that the minimum weight of the liquids (lubricants, water for the boilers, etc.) contained in them would be about 155 tons.”とあり、同級の機関重量は合計で2350tとなります。これは大和級の4000tはもちろん、金剛級の2700tよりも小さいのに、13万馬力を発生させています。
     Wikipediaの記述は、軽量高出力の機関を採用することにより浮いた重量を武装や防御に回したが、機関の特性により、航続力が犠牲になったが正しいのかもしれません。
     
    hush


  5.  なるほど、ヴィットリオ・ヴェネト級の航続距離か短い原因は燃料タンクではなく、機関にあるということで間違いないようですね。
     ご回答ありがとうございました。
    ナマケモノ


  6. 4>挙げられた文献は読んでいませんが、世界の艦船No,394号の牧野茂(旧海軍造船官)著「日米戦艦比較論」によると、大和の機関重量は電気関係を含めて約6400トン、含めないと5300トンです。なお、米国のNC型とSD型(蒸気条件は、約450℃、40気圧)は電気を含めて3499トン、3637トンです。なお、伊戦艦の蒸気条件は、世界の艦船654号によると、大和と同じです。何等かの誤りがないでしょうか。
    5> 丸スペシャル115号によると、計画段階の大和の試案であるA−140F3(Dが6万HP、Tが7,5万HP)では、航続距離が16ノット4900海里で艦の長さは246m、航試排水量は61000トンであり、航続距離が7200海里のなったF4では248m、62545トンとなっています。
     さらに、前記世界の艦船654号によると、英国のヴァンガードは、12ノットで5500海里です。伊戦艦は16ノットで4580海里です。
     従って、5のようなことは考えられません。
    2> 伊戦艦は、海軍大臣の判断で、対外的には3,5万トンとするが、最初から4万トンを超える設計です。なお、米国の戦艦が4万トン以下なのは、6インチ副砲を廃止し、両用砲の防御装甲は廃止し、高温高圧のタービンを採用し、速力を抑えたことによります。
    UK


  7. >6.
    伊ヴェネト級の機関の重量対出力は130,000/2,405=54(shp/t)で仏リシリュー級の150,000/2,865=52(shp/t)や米アイオワ級の212,000/4,797=44(shp/t)を抜いて列国最高です(世艦753号 ド級戦艦のメカニズム「機関」参照)
    半面ヴェネト級のベルッツオ式タービンは巡航タービンを持たないので巡航燃費は列国最悪です
    従って>4.の見解はおおむね妥当と言えるでしょう

    また計画段階の大和試案の計画値を持ち出していますが実際に建造された各級の実測値と比べる意味が判りません
    あと英戦艦は軒並み航続力が小さくヴァンガードはKGV級よりもむしろ劣る程度です
    駄レス国務長官


  8. >7
     フォロー多謝。
     しかし、専門の方の仰ることは重みがありますね。
     
    hush


  9. 機関部の重量は、牧野氏と伊、仏戦艦とでは、区分(定義)が相違するからと思われます。
    大型艦の場合、航続距離を多少変えてもボイラ等は実質同じなので、基準排水量はそう変化しません。勿論、公試排水量は、燃料分は変化しますが。
    伊戦艦は、地中海での作戦を考えている為、そう航続力が短いとはいえないと思います。
    本来の質問への回答になりますが、戦艦に限らず、兵器の開発に当たっては、条約、予算等の制約の下で可能な限り使用者(軍人)の要求を満たすべく種々の案が検討されます。伊戦艦も、全ての要求を満たすと4万トンを超え、3.5万トンの制約に収めることは困難なため、最終的には海軍大臣の判断で対外的には3.5万トンで押し通すことになったそうです。しかし、あまり超えるのは問題となります。その結果、航続距離を含めて種々の妥協がなされたと思います。其の辺の話に、脚色がなされたのではないでしょうか。
    UK


  10. >9.
    >区分(定義)が相違するからと思われます。
    区分は「船体・機関・兵装・防御・燃料と水」なので大きな相違は無いと考えます
    同一尺度による>7.の文献では米ノースカ級121,000/3,286=37(shp/t)大和型150,000/5,083=30(shp/t)ですから伊ヴェネト級が重量対出力最高という結論は変わりません

    >ボイラ等は実質同じなので、
    単に蒸気性状が同じだから機関重量も同等と言うワケでは無く方式や構成で著しく変わります

    >本来の質問への回答になりますが、
    本来の質問はそこではありませんね
    駄レス国務長官


  11. 本来の質問は、燃料タンクを小さくした効果です。
    もうこれだけにしましょう。
    UK


  12.  イタリア語版WikipediaにV.V級の燃料搭載量はビスマルク級の7,700tより3,700少ない4,000tという記述がありました。両艦とも基準排水量が41,000tぐらいですから、V.V級が燃料タンクの小さい戦艦というのはそれほど間違った記述でもないようです。
     ところでイタリアの戦艦はプリエーゼ式水雷防御というものを搭載しているのですが、図を見ると他国の戦艦が採用している液層防御よりも燃料が入る場所が少ないような感じがしなくもないのですが、もしかしてこれのせいで燃料搭載量が少なくなっているのではないのでしょうか?
    ナマケモノ


  13. >10.
    燃料搭載量は作戦上の要求によって決まり伊ヴェネト級は地中海全域往復+戦闘分で4,000トンの計画ですから防禦その他によってそれ以上削られたワケではないと思いますけど
    駄レス国務長官


  14. >12
     リットリオ級は案外と小ぶりなんですよね。 http://www.kbismarck.com/genedata.html こちらの表が分かりやすいと思うのですが、ビスマルクはもとより、リシュリューよりも全長がかなり短い。幅もそうですが、吃水はあまり変わらない。排水量はかなりあるのですが、装甲は厚いのに総重量はかなり軽いし機関重量もそうです。不思議な艦形だと思うのですが、この結果として燃料タンクが小さいというのはあり得るでしょう。
     もっとも、日本を含む欧米列強のうちで、イタリヤだけは航続距離をあまり気にしなくてよいので、燃料タンクが小さいというのは優先順位が低いというだけで、武装や装甲のために小さくしたとまではいえないと思います。
     なお、プリエーゼ・システムPugliese systemについては、たしかに嵩張るのかもしれませんが、外筒部分に液体を入れることになっており、燃料をいれることも可能だと思っています。ただ、”The Littorio Class: Italy's Last and Largest Battleships”に掲載されている燃料タンク(ここには常備3700満載4228tとあります)の位置を見ていますと、どうやら、ここは燃料タンクとしては使っていなかったようです。
     

    hush


  15.  すいません、かぶりました。

    hush


  16.  なお、”The Littorio Class: Italy's Last and Largest Battleships”はGoogleで書籍検索を行いますと読めます。リットリオ(ヴィットリオ・ヴェネト)級を調査されるのでしたら、有意義かと思いますので、いらぬことかと思いますが、紹介させていただきます。
     
    hush



970 いつもご教授頂きまして有り難うございます。

スペイン航空母艦「プリンシペ・デ・アストゥリアス」は、2013年2月6日退役後どのような運命を辿ったのでしょうか?
「競売に掛けられた」などのお話も聞きましたが、現状どのようになっているのかわかりません。

彼女は退役後どうなったのかお教え頂きたく、宜しくお願い致します。
Ranchan

  1. スペインのコトはスペイン語のウィキ ↓
    https://es.wikipedia.org/wiki/Pr%C3%ADncipe_de_Asturias_(R-11)

    上記によればスペインのSurus Inversaとトルコの合弁企業が2016.9.26にスクラップとして240万ユーロで落札しトルコのAliagaに曳航の上同地で解体とのコト
    駄レス国務長官


  2. ご回答有り難うございます。

    案外まだどこかでモスボール保存されてるのかも・・・と思ったのですが、彼女もすでに「歴史上の艦」になっていたのですね。(合掌)

    Ranchan



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