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1333  日本海軍艦艇の炭酸ガス発生装置と火災消火方法について質問です。

 これまで海軍艦艇で作られたラムネは酸素魚雷用の酸素発生装置の副産物で出る炭酸ガスで作られているものと理解しておりましたが、ラムネは魚雷を積んでない戦艦でも製造されています。
 また、ネットで調べてみると「戦艦大和には消火用の炭酸ガス発生装置が積まれていて、それで得られた炭酸ガスでラムネを作っていた」という記事を見つけました。また一部には消火用の炭酸ガス発生装置について「窒息消火」という言葉が添えられている物もありました。
 しかし、艦内で炭酸ガスを充満させて酸欠で消火させる窒息消火は非常に危険です。炭酸ガスは目に見えませんし、火災区画以外に炭酸ガスが流出すれば乗員を二酸化炭素中毒や酸欠で死に至らしめる危険もあり、また火災区画だけとはいえ艦内を二酸化炭素で満たすには相当な量の炭酸ガスが必要になると思われます。
 美術館や博物館などで不活性ガスによる窒息消火システムがあるのは知っていますが、軍艦で炭酸ガスによる窒息消火が行われるとはにわかには信じがたいものがあります。炭酸ガスが消火に使われるとすれば消火剤の噴射や石鹸水の発泡に使われる程度だと考えますが、実際のところどうだったのか気になり質問させていただきます。

1.戦艦等に搭載された炭酸ガス発生装置はどういうもの?
2.炭酸ガス発生装置で得られた炭酸ガスの用途は消火とラムネ製造だけ?(一部に冷媒ガスとして使われていたという記事を見つけましたが、冷媒ガスは密閉されるから炭酸ガス発生装置から補充する必要まではなさそうな・・・)
3.消火の際の炭酸ガスの使い方は本当に窒息消火?

 以上、よろしくお願いします。
おうる

誰か答えて下さい。

1332 https://toyokeizai.net/articles/-/822419
上記のリンクは第二次大戦時の日本の潜水艦の弱点を書いた記事です。その中で空調の不備のため2日間しか潜航出来ないというのが有ります。空調の不備の原因とは具体的にどんな技術的不備が有ったのでしょうか?
まさのり

  1. いやまあ、2日しか潜れないのは事実ですけど当時の潜水艦なんてそんな何日も潜れないので……
    というかそんな何日も潜れる潜水艦なんて原潜くらいかと。まず中の人間が吸う酸素が持ちません。(原潜は大量に電気が使えるので海水を電気分解して酸素を生成できるのですが)
    シュノーケルを用いれば潜水しながらの吸排気は可能ですがこの記事ではそこには触れてませんしやはり当時の潜水艦で潜航しながらというのは無理かと(現代はどうなのか?と問われると答えられないのですが……)
    私は潜水艦に特段詳しいわけではないのですがこの記事はあまり真に受けないほうがいいかと
    豆戦車マン


  2.  例えば炭酸ガスは飲料にも入っているものですが、濃度6%で6分間で意識を失くし10%では1分間で同様の状況になり30%だと即時でそうなります。
     もちろん、意識を失くした状況が続けば死に至ります。
     ところが呂108で8時間の潜水実験を行ったところ、発令所で3.05%まで上昇したそうです。
     このため空気清浄装置を装備していましたが、艦内に送る電動ファンの騒音が大きく、発熱量も多く艦内温度がかなり上がったそうです。
     また、シュノーケルなど持たない当時の日本の潜水艦は長時間の潜航は考えていませんでしたが、レーダーの普及とソナーの進歩により長時間無音潜航を余儀なくされています。
     特に伊44は39時間15分もの潜航を行っています。
     にもかかわらず、炭素濃度測定器も1943年になってようやく配備されただけで、ようやくアルカリセルロースによる応急清浄に成功しましたが、量産計画中に敗戦となっています。
     もちろん、その他のガスも発生するわけですが、中には冷房用のフレオンの不足から冷媒にメチルクロライドを使用したため、漏れて乗員の大半が中毒したケースもあります。
     
    hush


  3. 豆戦車マンさん、hushありがとうございます。日本の場合発電機等の電気系の装置に問題が有ったりとか冷媒用、フィルター用の資材が足らなかったと言うことですかね?
    まさのり


  4. >3
    >日本の場合発電機等の電気系の装置に問題が有った
     遣独潜水艦を見たUボート関係者の感想に、「日本の潜水艦は軍楽隊を乗せているのか」というのがありました。
     向こうにしてみたら、こんな歯車やベアリングで航行していたら音を立てるのは当たり前で、すぐに見つかるということでしょう。
     これは、ドイツと日本で工作の精度が一桁か二桁か違うからです。
     そもそも、日本の工作機械で精度がいいのはアメリカやドイツの輸入品ばかりで、国産品は劣っていました。
     そういう中で艦内に送る電動ファンの騒音が大きいとわざわざ国内の記録に残っているぐらいですから、論外の品だったということでしょう。
    >冷媒用、フィルター用の資材が足らなかった
     何もかも足っていません。
     そういう類はほとんど輸入品だったのではないかと思いますが、戦争はそれを止めてしまうわけですから。
     あと、日本は世界の天然ゴムの8割を占めていたマレーシアとインドネシアを押さえたのに、艦船用の防振ゴムの研究は戦時中の1942年からでした。
     それもドイツの情報を得てからでした。

    hush


  5. hushさん詳しい解説ありがとうございます。そのような状況から、海自のAIP搭載潜水艦「そうりゅう」、リチウムイオン蓄電池搭載潜水艦「たいげい」が凄い と言われるのですから頑張りましたね。
    まさのり



1331 36cm砲や41cm砲の砲や砲塔って作るのにどれくらいの日数と工数がかかったんでしょうか
46cm砲については探せばあるんですけど36cmや41cmについては見つけることができず……
豆戦車マン

誰か答えて下さい。

1330 現在、潜水艦建造は米英とも巨大な建物の内部で行われています(アメリカ:コネチカット州グロトン、英国:バーローインファーネス)。日本は、神戸市にある川崎重工、三菱重工とも、屋外で建造されています。その違いはなんでしょうか。米英は冬の気温が大変低いですが、日本はまあまあだからでしょうか。日本の造船所の人に聞きましたら、雪が降れば箒で払えばよい、という感じでした。なお、機密保持のためには屋内がいいと思うのですが、日本の考えはどうなんでしょうか
電気戦艦

  1.  造船所の仕事は野外の仕事であり、夏暑くて、冬は寒い。雨が降ろうが、雪が降ろうが、休日だろうが、時間外だろうが関係ない。うん十年前に造船所に配達に行っていた感じはそんなものでした。こっちも似たようなものでしたので、それで何とも思いませんでしたが、今はどうなのでしょうか。
     今はどうか知りませんが、造船所で働きたいという人は少ないと思います。これが、屋内の仕事だったら少しは違うかなとは思うのですが、屋内造船所に移行しようなどという体力のある造船会社は、国内にあるのでしょうか。
     ヨーロッパの場合は、労働者の求めるものがシビアですから、屋内造船所にしないと人が集まらないというのが理由ではないでしょうか。
     韓国でも日本と似たような状況であり、中国は、多分、もっときつい労働環境ではないかと思っています。
     50%あった世界シェアが17%に落ち込み、日本のONEのコンテナー船も中国で造られている現況を考えると、屋内造船所は難しいかなと思っています。
     
    hush


  2.  重箱の隅を突くようでなんですが、FRP船体は屋内造船所じゃないとです。
    おうる


  3. >2
     そうなんですか。
     そっち方面の知識はないので御教示いただければと思うのですが、接着とかをするから、野ざらしでは無理とかいう理由でしょうか。
     
    hush


  4. こんにちは。
    いつも通り事実確認からで申し訳ありませんが。
    質問者さんがどの程度の建屋を想定されているのかは判りませんが、国内潜水艦も屋内建造ってことはありませんか?
    (米英のは原子炉からの放射能漏れにも対応した特別建屋だ!とかだったらごめんなさいですが。)


    すーさんの艦活日記 潜水艦「らいげい」川崎重工業神戸造船所進水 2023/10/17
    https://suusan-kankatsu.blog.jp/archives/36303390.html
    このサイト掲載の写真をみると、屋内船台から艦体が出てきたように見えなくもないと思うんです、、。

    別サイトですが、
    https://blog.goo.ne.jp/inoue8652/e/6786430bb3f293aaf417842515394b45
    「川崎重工神戸工場の潜水艦船台(神戸工場第1船台)の屋根が一部開いて潜水艦が見えます。」という解説が付いています。


    建屋内だと、
    ・天候による工期遅延が発生しづらい。
    ・DX化にも屋内が良いらしい。
    ・クレーンも便利に使える?
    など利点が多数あると思われ。
    逆に屋外建造であれば、何故?となるのは確かですが、まあ資金面ですよね。潜水艦つくるような造船所は大会社でしょうから屋内化が進み、水上艦は小さな会社もあるので屋外建造もある感じでしょうか。


    備考:DX化で欧州造船所の屋内化(水上艦)
    欧州の造船業等におけるデジタルトランスフォーメーションの動向
    https://www.jstra.jp/PDF/d07555a0162093fcbf0c2910321e8919a72a1552.pdf
    BAE Systems の水上艦の建造、修繕、改造は、スコットランドのクライド川沿いの 2拠点(スコッツタウンとガヴァン)で行われ、潜水艦はボロウ・イン・ファーネスで建造されている。
    ・・・
    2021 年末、BAE Systems はグラスゴーのガヴァン造船所の再開発計画を発表した。計画では、既存の建物を全部取り壊し、全造船工程を完全に屋内で行うことのできる複数の新工場を建設する。

    太助


  5. >4
     ありがとう。事実確認は大事ですね。
     ふー
    hush


  6. hush様、太助様
     ありがとうございました。造船の仕事は屋外産業の要素が強かったのですが、高度な技術が要請されるようになり、ある意味機械工業に近寄ってきたのかとも思います 私が川重を見学したのは、1980年代で、黒い船体が屋外に座っていたのを記憶しています。ただし実際の建造現場は見ていませんので、質問に書いたように屋外建造と言い切っているのは、やや軽率でした。近くに屋内建造場所があったかもしれません。
     北ヨーロッパは気候が寒冷であるので屋内が発達したのだと思います。ドイツには、軍艦ではなく大型船の建造で有名なマイヤー造船所があります。ここは、大型屋内建造ドックがあることで有名で、一号ドックは、470mx102mx60m であり、二号は504mx125mx75mとのことです。今や観光地となっているようです。場所は北西部エムデンに近いところのようですね。
     
    電気戦艦


  7. >2. おうる様
     ご指摘ありがとうございました。FRPの場合、何層も樹脂を塗り固めていくので、途中で雨が降ってきたりすると、表面に凹凸ができてまずいのかな、と思いました。フェロコンクリートの場合も、金網かぶせてはモルタル塗っていくので、屋内でないとまずいのでしょうね。
    電気戦艦


  8. マイヤー造船所1号ドックについて。
    英語版Wikipediaを参照されたのかもしれませんが、ドイツ語版およびオランダ語版を確認したところ、(100m拡張した結果)長さ370mになったとありますね。
    ちなみにこの有名な屋内造船ドック(1987-)も質問者さんの川重見学よりも後かもしれませんし、当時の川重潜水艦ドックが屋外にあったとしても不思議ではないと感じました。

    ドイツ語Wikipediaから抜粋します。
    https://de.m.wikipedia.org/wiki/Meyer_Werft
    Die folgenden Kreuzfahrtschiffe wurden in dem zur damaligen Zeit weltweit größten überdachten Baudock gebaut, das 1987 in Betrieb genommen wurde.
    Die Halle misst – nach einer Verlängerung um 100 Meter in den Jahren 1990/1991 – heute 370 Meter in der Länge und ist dabei 101,5 Meter breit und 60 Meter hoch. Das Dock selbst in dieser Halle hat eine Länge von 358 Meter und eine Breite von 39 Meter.


    英語に翻訳。
    The following cruise ships were built in the world's largest covered building dock at the time, which was put into operation in 1987.
    After being extended by 100 meters in 1990/1991, the hall now measures 370 meters in length and is 101.5 meters wide and 60 meters high. The dock itself in this hall has a length of 358 meters and a width of 39 meters.


    オランダ語Wikipediaから抜粋。
    https://nl.m.wikipedia.org/wiki/Meyer_Werft
    Halle 5 Baudock 1
    Lengte 370 m
    Breedte 101 m
    Hoogte 60 m
    Lengte dok 358
    Breedte dok 40 m
    Kranen 1x 600 ton 4x 30 ton 6x 12,5 ton

    太助


  9. 屋外は、気温の差が大きくなり、精度の保持が困難となります。また、溶接や曲げ加工等の諸工事の秘密漏洩も難しくなります。何しろ、分厚い耐圧船殻用の超高強度の鋼材ですから秘密やノウハウが一杯あります。
    更に、これは私の想像ですが、夏季にあまりにも艦内温度が上昇すれば、進水に先立って艦内に装着された電子機器にも悪影響があると思われます。

    MKHI


  10. >8. 太助様
     ありがとうございました。 延長後370mが正しいようですね。私が川重神戸を訪れたのは1988年でした。あとせっかくですから、関連感想など書かせてください。

     ついでに日本の巨大ドックについて調べてみました。三菱重工が建設し、今は大島造船所のものになっている香焼ドックが幅99mで長さが990mで最大です。もし上物があれば壮観でしょうね。これだけの深さがあると壁上部を歩く時は怖いです。昔のように犬走りがあると恐怖感は緩和されるのでしょう。

     バーロー・イン・ファーネスの潜水艦建造工場は、かつての造船用ドックを二つ撤去した後に設置したものだと、何十年か前の「世界の艦船」に出ていました。確か屋内に水は入れず、完成したものはスロープで外部水面に出します。空気を入れたゴム容器で少し持ち上げては横にずらす方法が使われていますが、詳細は忘れました。

     BAEのカヴァーン工場の古い施設を全て撤去する計画があるのですが、文化財のことで進捗がとまっているとのこと、興味深いですね。日本でも開発事業で遺跡が出てくると処理に数年から十年かかると言われます。新橋ー横浜で古い土手が出てきましたが、結構時間かかっています。

     かつて三井造船玉野を見学した時、海洋構造物専用というドックがありました。陸奥部の擁壁に丸くなった部分が二つつながってありましたので、聞いてみますとやはり古い石積みドックを二つまとめたものでした。

    >9. MKHI様
     どうもありがとうございました。おっしゃる通りだと思います。

    電気戦艦


  11. Govan造船所に質問者さんも言及されましたので、再開発計画を時系列に並べてみました。現在2024/12なので後少しで工事完了の予定です。(間違っていればごめんなさいですが。。)

    ・2021末:BAE Systems’ Govan shipyard 再開発計画発表(>>4 the current shipbuilding hall at its Govan shipyard in Glasgow expand out to Govan Road.)
    ・2022 :歴史的な建造物を取り壊すことになるため計画を変更(>>10)。敷地内の湿地を改良し、ここに新工場を建設することに。
    ・2024 :新工場を”Janet Harvey Hall”と命名。
    ・2025春:完工予定。

    ソースは添付しませんが、大体こんな感じかと思います。なぜ工事中の2024/8/8に”Janet Harvey Hall”と命名されたのかが解らないのに少しモヤモヤします。何か工事のマイルストーンだったのかな?

    あとは繰り返しになりますが、屋内造船所の利点は、天候に左右されない操業(工期短縮)とDX(少し意味が違うかとは思いますがロボットの導入など)に言及しているサイトが多かった印象でした。〆

    太助


  12.  あと電気溶接は風があるところではできません。
     溶けた鉄に酸素が触れると酸化して強度が落ちてしまうため、電気溶接では溶接している時は溶けている鉄に不活性ガスを吹き付けて酸素が触れないようにしています。
     しかし、風があるとその不活性ガスが飛ばされてしまい、溶けた鉄に酸素が触れて酸化してしまうため、溶接の品質が保てないのです。

     したがって電気溶接は屋内でやるか、屋外でやる場合は周囲を風よけで囲うなどしなければなりません。天候に左右されないということは無いんです。
    おうる


  13. >12
     丁寧に教えていただき、ありがとうございました。
     すると、屋外で風よけもなしに船体に直接溶接をやっているのは電気溶接ではないということなのですね。
     
    hush


  14. >>13
     風がないなら風よけで覆う必要はありません。全体的に風が無視できるほど弱いか、あるいはその場所は風が吹き込まないという場合もあります。
     あるいは電気溶接に見えてるけど、実はグラインダーで削っているところだったり、あるいはプラズマカッターで切断している場面だったのかもしれません。プラズマカッターは電気溶接の技術を応用して金属を切断する機械なので、遠くで見ていると電気溶接をしているようにも見えます。ちなみにプラズマカッターは放電で熱した金属に酸素を吹き付けて焼き飛ばすものなので、風はあまり影響しません。
    おうる


  15. >14
     早速の御回答ありがとうございました。
     手間を取らせました。

    hush


  16. 溶接情報センター(日本溶接協会が運営するサイト)から情報を持ってきました。

    Q&A
    https://www-it.jwes.or.jp/qa/details.jsp?pg_no=0090010040
    造船外業工程におけるガスシールドアーク溶接の防風対策はどのようにしたらよいでしょうか。

    https://www-it.jwes.or.jp/qa/details.jsp?pg_no=0070010110
    風の比較的強い戸外で,軟鋼や高張力鋼の半自動アーク溶接を行う場合,どのような方法があるでしょうか。また,その時の注意事項等についても教えて下さい。


    空気中の酸素だけでなく窒素も悪さをするようですね。その他恣意的ではありますがキーとなる文章を抜粋し以下に示します。

    【1つ目のQ&Aからの抜粋】
    ・造船で最もよく使われる炭酸ガスによるシールドや混合ガス(20%CO2+80%Ar)による場合,風速2m/secまでは,ほとんど影響がないが,それを超えると通常の溶接条件ではブローホールが発生し,不具合を生じることが,実験的,経験上分かっている。
    ・風の影響を受けにくい作業場の設営をする。
    ・溶接作業の屋内化をできるだけ図る。
    ・防風壁,衝立,防風治具等の活用を図る。(防風箱,防風衝立などの使用)

    【2つ目のQ&Aからの抜粋】
    ・ガスシールド溶接法と比較的風の強い戸外での溶接に適したセルフシールドアーク溶接法がある。
    ・セルフシールドアーク溶接法は,シールドガスを供給しないで行うアーク溶接法であることからノンガス溶接法とも呼ばれる。・・・最近では,8〜10m/sec程度の風速でも健全な溶接が行える溶接棒が開発されている。適用例としては,ビル鉄骨や橋梁,鋼管杭の溶接などで導入されている。


    ご参考程度に。

    太助


  17. >16
     鄭重なる引用感謝申し上げます。
     あれは、アーク溶接なのかな。

    hush


  18. >>17
    どうもです。ちなみに”あれ”とは?

    太助


  19. >18
     あれは某球団のではなく、13で書いたように、屋外で船体の溶接を行っているのは電気溶接ではなくアーク溶接なのですねという意味なのですが、アーク溶接も電気溶接の一部なのですね。ガス溶接と書くべきでしたか。
     要するに技術的なことに無知ゆえの愚問ですので、忘れて下さい。
     
    hush


  20. >9. MKHI様 この前いただいた回答から改めて考えてみますと、自分が潜水艦建造の具体的なこと全くわかっていないことに気づきました。水上艦艇なら上部に開口部分がたくさんあるので問題ありませんが、潜水艦は一旦船体にまとめてしまうと開口部は、司令塔上部のハッチしかない(魚雷搬入通路は除く)ので不便です。実際には前後に数ブロックに分割し、内部を整備した上で、全体をスライドして溶接で結合するのだと思うのです。もしそうなら屋外でやるのは問題が起こりそうなので、屋内が望ましいと考えました。

    >11. 太助様 ご説明ありがとうございました。 建物付きの建造ドックを hall と呼ぶのは初めて聞いたのですが、ぴったりの言葉ですね。

    >12〜19 おうる様、hush様、太助様
     電気溶接で船を作ったのは、1921年ごろからです。英国のフラガー、日本の諏訪丸が最初です。その後日本は軍艦建造の溶接化に熱心でしたが、第四艦隊事件で頓挫します。商船には熱心でなかったです。戦後溶接化が急激に進みましたが、当初は屋外が普通でした。今は工場内の定盤上で大型ブロックを建造し、最終的にそれらを屋外でまとめるようになっています。熱ひずみなども精密に計算できるようになり、かつての潜水母艦大鯨のようなことは起こらなくなりました。
     アメリカは戦時中リヴァテイー船を溶接で大量に建造しましたが、砂浜につくったスロープ上で風除けは見当たりません(この時、大勢の女性が溶接に従事しています)。現代では、英国の空母クイーンエリザベスは、アイランド部分を一つにした巨大ブロックを最後に船体に乗せて溶接で一挙に完成のようです。大変な技術ですね。
    電気戦艦


  21. >>20
    リバティシップの溶接は手溶接(被覆アーク溶接)ではありませんか?
    風の影響を受けにくいはずですよ。

    備考:
    被覆アーク溶接は、
    ・SMAW(Shielded Metal Arc Welding)
    ・MMA(Manual Metal Arc Welding)
    と呼ばれます。

    太助


  22. .21. 太助様
     liberty ship の建造では、曲線部分は手溶接ですが、直線部分は、ユニオンメルト式(サブマージ溶接)の自動溶接が多用されたと思います。この場合の環境についてはよく知りませんが、確かに強い風が直接当たるのはまずいので、何らかの対策はあったのでしょう。
    電気戦艦



1329 日本海軍の潜水艦搭載水偵の用途・任務について質問致します。
世界の艦船増刊「日本潜水艦史(2024年12月増刊)」75Pにおいて以下の記述があります。
・戦前の想定では漸減要撃作戦において潜水艦から発艦させた偵察機ににより、進撃中の敵艦隊に対して捜索・偵察を行う想定であったと言われる
・潜水艦搭載機による要地偵察は本来であれば次等の任務
素人としては潜水艦搭載機による水上艦隊捜索・偵察は敵艦隊発見時に母艦が潜航していたら打電しても意味がない、浮上したまま結果待ちでは母艦側の被発見率が上がる等、リスクばかり大きいようにも思えます。
実際に潜水艦搭載水偵による敵艦隊の捜索・偵察任務は要地偵察より重視されていたのでしょうか?
元自

  1. wikiの内容そのままですが
    日本海軍の潜水艦搭載偵察機は太平洋戦争初期には要地偵察任務に活躍し、爆撃任務にも使用された。もっとも、洋上偵察任務にはほとんど使用できず、また、その小型機ゆえの劣性能は明らかで次第に使用されなくなった。
    呼び水程度に
    まさのり


  2. 該当の雑誌は読んでいませんが。
    潜水艦搭載の航空機は敵地偵察を目的に導入されたように思います。
    その後に、航空機搭載潜水艦の用途が偵察から攻撃寄りに変更になった可能性はあると考えます。その際、出撃した敵艦隊の捜索にも使えるかも?と少し思ったりしたかもしれませんが、結局そちらの用途は大淀型巡洋艦の計画に落ち着いたのかなと想像してます。

    【検索成果1】
    http://www.warbirds.jp/truth/ijn-sub.html
    第四講 伊号の航空兵装はバカ装備か?
    には、『潜水艦搭載航空機の目的は計画当初から明確に「要地偵察」でした。』と書いてありました。

    【検索成果2】
    潜水艦に航空機を搭載した動機(敵地偵察)については以下の記載あり。
    ----------
    戦史叢書:潜水艦史
    P.72
    (昭和4年)この年、艦隊から中央に対して次のような意見具申が行われた。

    潜水艦による敵地の監視哨戒は、潜水艦の決死的潜入によるほか、基地飛行機によらなければならないが、基地飛行機は航続距離が短く成功の算はない。潜水艦によるとしても、潜水艦の決死的潜入によらねばならないとすれば難しい。しからば潜水艦に偵察機を積む以外に方法はない。
    ----------


    【感想1:敵地偵察】
    敵地偵察は、偵察機の発艦座標と帰還座標を同じにして、往復にかかる2-3時間は潜航していたのかなと無責任に予想するが、艦内空気の汚濁は気になるところ。
    (機種によっては「暖気運転などを省けるように予熱してある水や油を使用できる」等の工夫もあったようですし。)
    >>母艦が潜航していたら打電しても意味がない、
    ⇒これは潜望鏡をあげるのと同じ理屈で回避できるようです。以下サイトからの抜粋です。
    http://www.yokohamaradiomuseum.com/cgi-bin/imgboard.cgi?bbsaction=disp_rep_form&amode=&page=1&blood=20171227114153&parent=8845
    一方、短波用空中線は潜望鏡昇降装置を模倣した構造で、最上部にエボナイトで防水した1mの黄銅棒を取付け、その基部からキャブタイヤ電線を送信機に接続し、運用は水面上に本空中線部を露頂させ行った。

    【感想2:用途の追加】
    ・監視用潜水艦も攻撃用途に
    ・潜水艦単独での敵艦隊への接触は困難⇒大淀型の計画
    ----------
    戦史叢書:潜水艦史
    P.35
    監視に任ずる巡潜型潜水艦は、水上速力が遅かったが、艦隊随伴用の海大型潜水艦は迅速な散開線の移動のために水上高速力を必要とした。しかし敵勢を漸減するためには監視に任ずる潜水艦にも水上高速が要求されるに至った。すなわち、敵出撃後追躡触接に任ずる潜水艦は、敵の前程に進出して好機攻撃を加える、いわゆる漸減作戦の任務が加えられた。
    ----------
    (大淀wikipediaより)
    太平洋戦争開戦前、海軍の対アメリカ戦計画では潜水艦部隊による敵主力艦隊の漸減邀撃が予定されていた。だが、広大な太平洋上を潜水艦単独で敵艦隊と接触交戦するのは困難であった。
    ⇒巡洋艦大淀を建造


    【以下はメモ】
    ・当時の潜水艦の水中巡航距離は3knot/数十海里というオーダー。潜ったままでは殆ど移動できない。
    ・零式小型水上機の航続距離は882km。
    ⇒片道200-300kmくらいか。往復で2-3時間。
    ・96式空1号無線電話器は対地70km
    http://www.yokohamaradiomuseum.com/cgi-bin/imgboard.cgi?bbsaction=disp_rep_form&amode=&page=1&blood=20201101171400&parent=9309
    Wikipedia( https://ja.m.wikipedia.org/wiki/九六式空一号無線電話機 )には対地100海里とあるが、100kmの間違いか?
    要確認だが70-100kmとすると結構短い。

    太助



1328 軽巡洋艦「那珂」等に搭載された50口径三年式14cm砲の質問です。
1944年2月の米軍艦載機のトラック島空襲の際、撮られた映像で
「那珂」が艦載機に対して同砲を発砲(1番・2番砲)しているシーンが
有るのですが、同砲は平射砲に近く対空砲としては不向きと記憶しています。

●50口径三年式14cm砲での対空射撃は頻繁に行われたのか?
●同砲の砲弾には対空用のものが有ったのか?

質問は以上となりますが、出所を含め御教示お願いします。
陸奥屋

  1. 「平射砲に近く」というのは語弊がありました。
    「仰角が30度程度のため」に修正します。
    陸奥屋


  2.  同砲の零式通常弾には91式時限信管がつけられます。
     零式通常弾+91式時限信管でGoogleサーチしてもらえれば、いろいろと出てきますよ。
     
    hush


  3. 陸奥屋さん
    お世話になります。
    平射砲も対空射撃はしたと思いますが(出所としては書籍『高角砲と防空艦』や1943砲戦教範改正案など)、映像の「那珂」発砲が平射砲だったのかは確認お願いします。

    ●平射砲も対空射撃はする。
    対空戦闘砲戦距離標準(1943砲戦教範改正案)という表が『高角砲と防空艦』P.65に載っています。
    ・高角砲
    ・25mm機銃
    ・40mm機銃
    ・13mm機銃
    ・平射砲(大口径砲、20cm砲、15.5cm砲以下)
    ・・・
    など。15.5cm砲以下の平射砲は15,000m以内だそうです。
    同P.66辺りには、対空砲火指向および警戒方向という表もあり、平射砲は以下の優先度とされています。
    1.雷撃機
    2.低高度水平爆撃機
    3.急(緩)降下爆撃機
    ただし平射砲は爆風や砲煙で高角砲・機銃の邪魔しない範囲で等の記述もあり。

    しかし当てる工夫(射撃指揮装置やら高射装置)がないと、平射砲でも高角砲でもなかなか厳しいんじゃないでしょうか。


    ●確認させてください。
    >>「那珂」が艦載機に対して同砲を発砲(1番・2番砲)している

    これは確定情報でしょうか。
    たぶん同じ映像をみたと思うのですが、艦の進行方向前方に発砲光を2回確認しました。普通に考えたら1番・2番砲なのですが、大洗磯前神社の軍艦那珂忠魂碑に

    『満身創痍砲は飛散艦首艦橋切断海中ニ歿ス
    後進交戦魔ノ紅ノ炎ト化シ遂ニ沈没』

    とあるそうなので、後進時に艦後ろ寄りにある12.7cm連装高角砲を撃った可能性はないかなあと。

    p.s.
    1番・2番砲を撃った可能性が大なのですが、小生の眼齢では動画での確認が難しく。ご協力お願いします。

    太助


  4. >3
     横合いからごめんなさい。
     仰ってられるのが https://youtu.be/Fty3BQjnloY の映像でしたら、明らかに艦橋はありますし、艦首波も正常のように見えます。また、59秒〜1分あたりで発せられる閃光も艦橋より前から出ています。
     陸奥屋さんはお忙しいようで、私みたいな退職者ではないようですので、失礼ながら、私の観測を書き込ませてもらいます。
     
    hush


  5. >>太助さん
    >>hushさん
    一応、映像拡大や再処理して見てみたのですが、どうやら1番・2番砲なのは間違い無いようです。
    どうも、昔読んだ書籍のイメージから「50口径三年式14cm砲で対空射撃はしない」と刷り込まれていたようですね(笑)
    お二方、有り難うございました。
    陸奥屋


  6. ありがとうございました、感謝です!

    太助



1327 最近の潜水艦の通信について質問があります。
潜水艦はほとんど潜ったままで行動しますが。
地上から指令を送る、又は潜水艦から情報を得るにはどうしてるんでしょうか?
冷戦時代は長波などで通信していたそうですが、今でもやってるのでしょうか?長波では通信速度が遅すぎて、詳細な情報を伝えるのは難しそうですが。
もし可能なら、日米や他の各国の情報が知りたいです。
よろしくお願いします。
似非ハンター

  1.  長波は使っています。ただ、もっと使い勝手のよい電波の届く深度まで浮上せよというような単純なものを送付するためのようです。
     あと、wikipediaでよろしければ https://en.wikipedia.org/wiki/Communication_with_submarines というものもあります。

    hush


  2. 核ミサイルの発射命令等の重要な指令は、昔は超長波だったようです。
    20年以上前からは、人工衛星を使用して極短時間に圧縮したデータを送受信することもなされているようです。従って、この際は極短時間だけアンテナを海上に露出させると思われます。
    読書人


  3. 2の追記ですが、フォークランド紛争で英国の原潜がアルゼンチンの軽巡を魚雷で撃沈した際には、戦闘区域外であったため、本国に雷撃の許可を求め、本国の許可のもとで攻撃した旨の記事を読んだ記憶があります(40年程前ですが)。従って、そのころから指向性の強いアンテナ、極超短波、人工衛星を使用して圧縮したデータの送受信はなされていたと思われます。


    読書人



1326 いつもご教示頂き有り難うございます。

英巡洋戦艦「レナウン」「レパルス」の姉妹艦は第二次大改装の内容が大きく異なり、性能も艦容も全く違うものとなりましたが、なぜ姉妹であんなに異なる大改装とする必要があったのでしょうか?

改装内容が姉妹艦で異なる場合、よくある理由は「予算」「工期不足」ですが、両艦とも第二次大改装に戦間期の約3年を費やしておりそういう理由とも思えません。

宜しくお願いいたします。
Ranchan

  1.  リパルスの改装が終わった頃、ウォースパイトの改装が終わり、そちらの評判がよかったので、リナウンの改装にその成果が取り上げられたということでしょう。
     
    hush


  2. ご回答有り難うございます。

    「レパルス」第二次大改装:1933.4〜1936.5
    「ウォースパイト」大改装:1934.3〜1937.3
    「レナウン」第二次大改装:1936.9〜1939.8

    「ウォースパイト」で新しい改装要綱を実験してみたら思いのほか良好だったので、後続のKGV型、「ヴァンガード」、幻の「フッド」大改装案に取り入れられていった・・・ということのようですね。

    一朝一夕で戦艦の大改装計画を纏めることは不可能なのですから、「レパルス」でも「レパルス」改装中に完成していた「ウォースパイト」用改装要綱を部分的にでも取り入れてやれば良かったのに・・・。

    日本練習戦艦「比叡」が戦艦に復帰する大改装を受けるに当たり

    「他の姉妹艦と戦隊を組む運用を考えると、『比叡』1艦を徹底改装して姉妹艦より突出した性能にすることは好ましくない」

    とされ、程々の改装に抑えられた話と比較すると、英海軍はあまり姉妹艦の
    性能を均一化することを重視していなかったのかなと思います。
    Ranchan


  3. >英海軍はあまり姉妹艦の性能を均一化することを重視していなかった
     絶対視はしていなかったと思います。
     実際、フッド、リナウン、リパルスの3隻は巡洋戦艦戦隊を編制していましたが、戦時中、3隻が同一行動を取ったことはないです。
     相手が弱小のドイツ、イタリア艦隊であったということもあったと思いますが、各部隊に1隻ずつ振り分けられているからです。
     であるのなら、その時点の最高戦力を持たすべきであるが、改装中のリパルスの工事を止めてまですることではないということでしょう。
     海に出ている戦力は、予算にもよりますが、多いほうがよろしいでしょうから。
     
    hush


  4. >「他の姉妹艦と戦隊を組む運用を考えると、『比叡』1艦を徹底改装して姉妹艦より突出した性能にすることは好ましくない」

    自分で書いておいて何なのですが、「比叡」が大改装時に徹底改装されて(大改装後の「ウェスト・ヴァージニア」(BB-48)のように)姉妹艦とは隔絶した性能を持つ「超金剛型」とでも言うべき艦になっていたとしたら、何が問題だったのでしょう?

    運用上で必要があるのならその場合は「比叡」が他の姉妹艦に合わせてやれば良いだけでは・・・という気が。
    Ranchan



1325 日本海軍で旧式の三年式12cm砲が高角砲として再設計されていたのは知っているのですが同じく旧式で条約的にも中途半端な口径になってしまっていた三年式14p砲も二次大戦までに高角砲化される計画はあったのでしょうか?
回答宜しくお願いします。
また、先日は野暮な質問をしてしまい申し訳ございませんでした。
クロロ

  1. 一応計画というか、構想らしきものはあったのかもしれません。

    平賀譲デジタルアーカイブに、「五十口径14cm連装高角砲Scale1/16」の名前で鉛筆描きの1枚だけ資料がありました。
    https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/assets/52d25fe8-97fc-435b-8436-9964ef0abde5?pos=1

    ご参考まで。

    太助


  2. >1
    太助さん回答ありがとうございます。
    質問する前にその資料は発見したのですが調べたがぎりでは情報がそれしかなく、
    図面の読解も試みたのですが経緯に関する情報は見つかりませんでした。
    クロロ


  3.  1932年に採用された91式時限信管は同砲弾も使用可能となっていますね。
     ただ、同砲弾の重量は38sとなっていますが、他に装薬が必要ですし、高角砲としてどうなんだろうとは思いますね。
     
    hush


  4. 『高角砲と防空艦』という市販本のP.24に「表9 軍備制限研究委員会答申艦型の大砲」という表があり、そこに、
    ・20cm高角砲
    ・14cm高角砲
    ・13cm高角砲
    といったモノが出てきます。主力艦主砲以外は全て両用砲化しようとの思想があったようで、時期的にはワシントン海軍軍縮条約が有効であった頃ですかね。

    >>3
    実際の利用方法は対地射撃の曳火ではないでしょうか。よく地表50m付近を狙って爆発させ、下にいる人や飛行機が火の海・破片の海で大変な目にあう奴です。

    太助


  5. >4
    >>実際の利用方法は対地射撃の曳火ではないでしょうか
     一瞬、時限信管のことをいわれているのかと思いましたが、14p高角砲のことですよね。
     軍備制限研究委員会答申艦型の大砲ということは1928年ですね。あの頃って、イタリアのドゥーエの戦略空軍論が有名になった頃で、空の脅威というものがクローズ・アップされ始めた時期なのです。
     すでに1921年にはアメリカのミッチェルが実艦標的として旧ドイツ戦艦を沈めていますので、とりあえず空に向かって撃てる砲が必要になり、手持ちの砲の仰角を高めようということで、そういうものが考えられたのではないでしょうか。
     何せ、それまでの上空の脅威は飛行船ですから、慌てたのでしょうね。
     時計信管もドイツのを参考に服部精工舎(セイコー)が頑張って作ったわけですが、どこまで使えたか。
     もちろん、それまでの火薬式よりきちんとしたものだったとは思いますが。
     
    hush



1324 WWII時の英軽巡タウン級の15.2センチMkXXIII3連装砲塔の中央砲が左右砲より一段後退した位置にある理由を教えてください。これは日米仏独伊の15センチ級3連装砲塔には見られないものです。
砲の機関部をオフセットして砲塔バーベット直径を短縮したかったのでしょうか?砲口位置をずらすことによって飛翔する砲弾の相互干渉を防ぐ、一種の発砲遅延装置のようなものだったのでしょうか?
備後ピート

  1.  仰るように砲弾の相互干渉を防ぐためのものだったようですが、http://navweaps.com/Weapons/WNBR_6-50_mk23.php によると、これはうまくいかず、1937年に砲室の設計の問題で砲身が不規則に振動するためと分かるまで、改善されなかったようです。
     
    hush



1323  すいません、下記の写真の艦名または級名が分かる方はおられますか。
 http://hush.gooside.com/Photos/2024/murasame_fuji.jpg
 写真は裏面にMitsubishi photographic paperと書かれ、切手の貼付位置に三菱の社標が描かれた絵葉書からとったものです。
 オランダ坂があり艦尾に単装砲塔2基を装備する艦ということでむらさめ級かあきづき級であると思われますが、どちらであるかは不明です。
 なお、同時に購入した絵葉書の艦は三菱製造の艦ではないのでMitsubishi photographic paperを使用した絵葉書というだけであろうと思わます。
 よろしくお願いします。
 
hush

  1. この写真に写っているのは単装砲2基ではなく連装砲1基と思われます。
    あきづき型、むらさめ型共に52番砲はオランダ坂の上に搭載されているので53番砲との高低差がかなり大きく、砲身がここまで綺麗に並行になるとは考えられません。
    恐らく写真の艦はオランダ坂を持ち後部に3インチ連装砲1基を搭載するあやなみ型のあやなみ、いそなみの何れかではないでしょうか。
    元自


  2. 元自様
     ありがとうございます。
     なるほど、言われてみると連装砲塔ですね。
     https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ab/Scale_model_of_JS_Ayanami%28DD-103%29_in_JMSDF_1st_Service_School_May_6%2C_2019_02.jpg
     の模型の写真を見ながら、なるほど、これはこの部分と思いながら、確認させていただきました。
     質問欄に書き込みましたように三菱の建造艦とは限りませんので、あやなみ、いそなみに限らないとは思いますが、御慧眼に感服致しております。
     お手数をおかけしました。

    hush



1322 特別観艦式の動画を見ていて気になった事があります
ttps://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%e5%b8%9d%e5%9b%bd%e6%b5%b7%e8%bb%8d&mid=4AC4F2E252D1314F7B0F4AC4F2E252D1314F7B0F&FORM=VIRE
(先頭にhをお願いします)

上記動画の1:38の神風の部分ですが
艦尾の部分が気になる点

・艦尾が不鮮明だがマスト有るので二隻重なってる?(給糧艦?)
・重なってるのが気のせいなら船尾の長さが変
・そもそも艦尾方向にみえるバラック?二棟はなんだろう?
という物になります、有名な写真なのかもしれませんが
気になり始めたら寝れなくなりました・・・宜しくお願いします
ももんが

  1. すいません、船尾マストは艦固有の物なのは
    別俯瞰の写真で確認しました。
    三番目のバラックはちょうど後部砲塔二基に重なる形で
    据えられてるようにみえるので目的がなんなのか、が疑問点になります。
    ももんが


  2. 引揚者のための仮宿舎です。

    終戦時健在だった「神風」は復員輸送艦となりましたが、旧海防艦「国後」が'46.6/4に座礁したので救難作業中、6/7に自分まで座礁してしまいました。
    その後救難作業は失敗し、「神風」「国後」は2隻とも放棄されました。
    写真はその時のもので、武装は撤去されています。
    Ranchan


  3. Ranchan様
    教えて頂きありがとうございます。
    後方の宿舎に目が行き過ぎて武装撤去してるのすら
    気が付かなったですお恥ずかしい。

    終戦後の写真だったのですねありがとうございました。
    ももんが



1321 もしワシントン軍縮会議で日本の戦艦の保有枠がもう少し大きかったとしたら、
主砲の仰角の向上や艦橋のパゴダマスト化などの近代化改修を薩摩型や河内型も受けていたのでしょうか。そしてそれらは有効な戦力足りえたのでしょうか。
歴史にifはないと言いますが回答宜しくお願いします。
クロロ

  1. >保有枠がもう少し大きかったとしたら
     88艦隊計画の新造艦建造を進めるでしょう。もっとも、完成時には国家予算の1/3を建造費で占めるというふざけたものですから、どこまで行けたかは疑問ですが。そして、数少ない予算の大半は新造艦のほうへ参りますので、両級のような旧式艦に回すものがあったかというと疑問でありましょう。
     ただ、88艦隊計画では24年間という艦齢が定められていますので、1930年代中葉までの保有はあり得るでしょう。うち、河内は爆沈していますので、摂津、薩摩、安芸の3隻が対象となりますが、45口径と50口径の混載の摂津、レシプロ艦の薩摩という使いづらいものばかりですので、そういう改装が行われるとしたら、実験目的以外は、なさそうに思います。
     
    hush


  2. >1
    軍縮条約の施行に建造中の88艦隊計画艦が陸奥まで(何なら陸奥も)しか建造が間に合わなかったのでこれを質問した次第です。
    とは言え上記の艦の設計が古いのは事実なのでそのまま使い続ける事は無いでしょうし、
    薩摩の代艦の起工がギリギリロンドン軍縮会議に間に合うか間に合わないかで、残りの戦艦よりは比叡の保有を優先するでしょうから摂津か安芸が練習戦艦になりそうですね。
    余談ですが大和の艦橋のテストを比叡でなくこれらの艦で行ったら扶桑以上の違法建築が出来上がったりして…。
    クロロ


  3. >>日本の戦艦の保有枠がもう少し大きかったとしたら

    若干日本の有利なようになる if を考えた質問ですよね。小生も以下 a) b) c) の3ケースを考えてみましたが、軍縮条約に関わった方々の尽力を考えると、a) が if の可能性として精々かなという感じです。b) c) は会議決裂も同じでしょう。

    a) 廃棄戦艦の数が少なくなるケース(保有隻数の増加)
    陸奥の件で揉めなければ、摂津が残りそうだったんですよね。役に立つかどうかとのご質問もありましたが、史実日本は弩級戦艦を全廃しているのに対して、史実米国では弩級戦艦(フロリダ級2隻・ワイオミング級2隻)がワシントン海軍軍縮条約後も残っています。で具体的な摂津の役に立ち方としては、
    ・史実の米国弩級戦艦が辿ったような訓練支援や対地砲撃用途
    ・↓ワシントン条約抜粋Bの艦齢20年以上で代替艦建造可
    とかでしょうか。
    (しかし摂津は20,000トンありますからね、扶桑型2隻+伊勢型2隻を長門型4隻に排水量だけ考えればアップグレードできるくらい。この if もかなりデカイが、会議本来の目的を度外視したり、ifのifだったりするよりは有り得るケースかとは思います。)

    b) 日本の加賀型・天城型が生き残るケース
    このケースは if の重ね掛けで、↓Cの排水量35,000トン制限をも条件緩和することになります。すると35,000トン制限の長門型2隻が現存する日本が不利になりませんかね(他国は新造45,000トン戦艦で揃えてきたりして)。という感じで、日本の不利になる予想があるので=日本が承諾しないのではないかと思いました。
    また仮定が過ぎるifのifであって史実からの乖離が大きく、軍縮にも寄与するところ少(金がかかる)為、軍縮条約を結ぶ前提であれば有り得ないケースかもしれません。

    c) 35,000トン制限艦の隻数増加
    日本は長門型3,4番艦を一から新造する。あまり面白くないですね。これも↑b)同様に有り得ないケースかも。


    以上は小生の感想。
    以下は調べた結果。
    Wikipediaから概要を抜粋します。
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ワシントン海軍軍縮条約

    ----------抜粋----------
    5大海軍列強国は建艦競争を抑制するために、戦艦等の建造に厳しい制限を加えることに合意した。

    @条約は加盟国それぞれが保有する主力艦の数と、その排水量の合計を制限した。
    A計画中あるいは建造中の艦は直ちにキャンセルあるいは廃棄することとした。
    B戦艦の新造は条約締結後10年間は凍結することとされ、例外として艦齢20年以上の艦を退役させる代替としてのみ建造を許された。
    Cさらにまた、いかなる新造艦も、主砲口径は16インチ(406mm)以下、排水量は35,000トン以下に制限された。
    ----------終わり----------


    ワシントン海軍軍縮条約(1923)での日本戦艦絡みの結果(17隻を廃棄・計画中止)、17隻の内訳は(多分)以下の通り。

    廃棄された戦艦5隻(竣工年)
    ・摂津(1912)
    ・薩摩(1910)
    ・安芸(1910)
    ・香取(1906)
    ・鹿島(1906)

    建造中止戦艦12隻
    ・加賀型(加賀、土佐 )
    ・天城型(愛宕、高雄)
    ・紀伊型(紀伊、尾張、11号艦(駿河)、12号艦(近江))
    ・十三号型(13号艦、14号艦、15号艦、16号艦)

    航空母艦
    ・(鳳翔:ノーカウント扱い)
    ・天城:未成巡洋戦艦を改装
    ・赤城:未成巡洋戦艦を改装
    ※関東大震災で天城が大破・修理不能となったため、加賀が代わりに改装された。

    残った戦艦
    ・金剛型(金剛、比叡、霧島、榛名)
    ・扶桑型(扶桑、山城)
    ・伊勢型(伊勢、日向)
    ・長門型(長門、陸奥)

    太助


  4. ≫2
    やはりa案が現実的ですよね。
    また代艦を建造するためだけに敷島型や香取型、薩摩型を保持するのは本末転倒でしょうから摂津の保有が一番ありえそうです。
    そして上記のごとく練習戦艦に改装されるのがオチでしょうか。
    ただ練習戦艦になるとしても砲数の制限に引っ掛かり変な砲配置になることは避けられないでしょうし、
    そもそも背負い式の砲を持っていない艦が練習に適しているのかは疑問ですね。

    クロロ


  5. 本来の質問の回答になったいないのではないでしょうか。
    ワシントン軍縮条約での戦艦に対する争点は、第1に日本の戦艦の対米保有率が7割であることです。第2に、陸奥が完成しているか否かです。我が国の保有枠が対米7割であれば、当然摂津の保有が認められます。また、陸奥が未完成とされれば、当然薩摩と安芸の少なくもいずれかは保有が認められることとなります。
    質問の趣旨は、この場合主砲の最大仰角の増加や艦橋のパゴマスト化等の改造がなされたか否かです。これに対する回答が無いみたいです。
    なお、小生は若しも、たらやればの質問への回答は控えさせていただきます。
    失格



1320 '44.2.24、戦艦「武蔵」は陸軍兵士や物資を乗せてパラオを出発しましたが途中大暴風雨に会いました。
護衛駆逐艦「白露」「満潮」は海面からスクリューが飛び出るほどで、艦にも波浪による損傷が生じ前進するのがやっとの状態でした。
しかし「武蔵」は平然と航海を続け、丸一日の暴風雨を異常なく抜け「さすが『武蔵』だ」「『武蔵』に乗っていれば安心だ」と乗艦していた将兵から讃えられたそうです。
このような時、特に小型艦では将兵の食事はどうしているのでしょうか?

炊事しようにもそれ自体が困難でしょうし、いつ終わるか分からない暴風雨の間、全員乾パンなど調理のいらない食材で空腹を凌ぐ・・・なんてできるのか?そんな量を搭載しているのか?とも思います。

宜しくお願いいたします。
Ranchan

  1. 直接の回答ではありませんが、上甲板に乗せた物資はロープを体に巻き付けた海軍兵士により海へ投機されたのではなかったでしょうか。遠い昔にラジオで聞いた生残り兵の回想。
    失格


  2. 今と昔は違いますが、一応の経験談として。
    みうら型輸送艦に乗艦していた時、三陸沖で時化に遭遇して左右各45度ずつの揺れ+波頭乗り上げによる激しい上下動がほぼ一昼夜続きました。
    この状況下でも食事を取り(汁物は流石になかった記憶)風呂に入っていましたので、結局のところ「慣れ」次第なのかなぁと。
    元自


  3. >2
    ご回答有り難うございます。
    荒天下での炊事も食事も「慣れ」で片付くお話なのですか・・・。

    >左右各45度ずつの揺れ+波頭乗り上げによる激しい上下動がほぼ一昼夜続き
    艦上生活の経験がない私からすれば、この状況下での炊事や食事はまるで曲芸で信じられないものです。
    第一、ご飯を炊いたりおかずを配膳するだけでも大仕事ではと。
    何か炊事用具や食器に特別な揺れ対策でもあるのでしょうか?
    Ranchan


  4. 四分隊ではなかったので作る方は分かりませんが、食べる方は動揺周期が大きければさほど難しくはない気がします。
    動揺対策としてはテーブルにトレー(テッパン)落下防止用のストッパーがあるくらいでしょうか。
    元自


  5. ご回答有り難うございます。
    食事がプレート配膳なのは存じていましたが、それほどの荒天下でも少なくと喫食は+ストッパー程度の装備で問題ないんですね。
    貴重な経験をお話頂き有り難うございました。
    Ranchan



1319  艦上で航空機を整備する際、エンジンのような大きな部品の脱着はどのようにしていたのですか?
 揺れる艦内でクレーン作業というのも難しい気がしますし、かといって旧海軍の格納庫内の航空機の配置図なんか見ると機体と機体の隙間が小さすぎてリフトのような大きな器具は使えなそうな気もします。
おうる

  1.  アメリカの場合はホイストとケーブル・システムでやっていたようです。もっとっも、これは落下事故が多かったため、後にはフォークリフトに人員用のバスケットをつけたものに変更していますが、仰るように旧日本海軍の場合は運用が難しいでしょうね。
     
    hush


  2.  言わずもがなですが、天井に補用機がぶら下がっています。日本の場合も天井部に格納されたものが多いのではと思っています。
     あと、横押し車を使用して場所を空けてということもやっていたのではと思っています。
     
    hush


  3. 我国の空母は、閉鎖式かつ多段であるため、天井部に吊るすことはできなかったと思われます。
    失格


  4. http://www.warbirds.jp/ansq/21/B2001125.html

    こちらの過去ログによれば吊り上げ格納が検討されたそうです。(一部を吊り上げる方式)
    超音速


  5. >3、4
     ありがとうございます。
     私は分解の上、格納するイメージだったのですが、それもないのですね。

    hush


  6.  皆さんありがとうございます。

     ということは御神輿みたいに人力で上げ下ろししてたんですかね?

     松本零士の『ザ・コックピット』にはジャングルに墜落した機体からエンジンを御神輿みたいに担いで持って帰るエピソードがありますが
    おうる


  7.  こちらに https://www.aiw.co.jp/owned-media/post-106/ に、大正15年製の天井クレーンをメインテナンスしたとありますので、戦前の日本の各種工場で使われたのは確かでしょう。
     ホイストというのは、上下動に特化したクレーンですので、天井の梁に設置したら、エンジンぐらい持ち上げるのは人力でも可能だと思いますし、 https://livedoor.blogimg.jp/gundamseedd/imgs/6/a/6ac7f561.jpg の写真が加賀の格納庫であるのなら、幾つか天井に設置されているのは天井クレーンではないかと思っています。
     誉21型の乾燥重量が830sあることを考えるとかなりの人数が必要であり、滋賀で見つかった飛燕のエンジンは移送途中で台車が潰れたので、通用口の中という不思議な場所に展示されていたことを考えると、頑丈な台車で運んでホイストで持ち上げてというほうがありそうに思います。
     
     
    hush


  8. お探しのものとは違うでしょうが。
    https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C05023518600
    アジ歴にて「クレーン 航空母艦」で検索しました。空母赤城にて、新規搭載の九○式戦闘機の発動機が大きく重いため、発動機積卸し用のクレーンを改造したいとの事。

    ↑は倉庫用クレーンがあったというだけですが、他のクレーンの有無も気になります。


    本題ですが、
    >>揺れる艦内でクレーン作業
    現在でもフリゲートの格納庫天井にクレーンがあったりするそうなので、可能といえば可能かと思います。現在のフィンスタビライザ付きの小型艦と、過去の大型艦でどちらの方が揺れるのかは知りません。

    また以下のWikipediaでは発動機換装に格納庫高さが必要と書いてあるので、吊ったのかなとイメージしました。魚雷等に運搬台車があったのなら、発動機運搬台車もあるような気もしますが、航空機本体から吊上装置で運搬台車に積み下ろしですかね。
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/航空母艦
    飛行機の格納庫(Hangar)としては、日本とイギリスでは閉鎖式の2層式(「赤城」と「加賀」では3層式)が用いられていた。この場合、格納庫の高さは、ギリギリで搭載機の発動機換装ができる程度のものとなる[15]。
    [15]福井静夫『世界空母物語』光人社〈福井静夫著作集〉、2008年。第八章 航空母艦の特殊装置

    一方で、魚雷等が下から積めるのに、発動機は上から吊らなければならない理由を問い詰められたら、よく判りませんとしか・・・発動機と魚雷の設置高さの差かな?横幅が狭く縦に高いものは倒れやすいですね。

    p.s.
    発動機の積み卸しは、
    ・場所:決まった場所 vs 格納庫の任意の場所
    ・頻度:低頻度 vs 高頻度、同時に何台?
    ・方法:上から吊り上げ vs 下からジャッキアップ?
        吊り上げるとしたら、天井から vs 例えば門型クレーン?
    ・その他(整備条件、廃棄条件など)
    等々知らないことばかりです。格納庫を文字通り格納場所と捉えるか、整備場所と考えるか等々も含め、国によっても違うのかな?似たようなものかな??
    戦時に複数機が被弾して戻って来る可能性を考えると、任意の場所で整備できるに越したことはないですが、やりたいことが全部できる訳でもないし。

    太助


  9. >8
     フォロー多謝。

    hush


  10.  重ねての回答ありがとうございます。

     エンジン積み下ろし用のクレーンがあったのは間違いないようです。

     揺れる艦内で実際のクレーン作業をどのように行っていたか気になります。
     吊り荷にロープを繋いで前後左右から引っ張るなどして揺れを強引に抑えたかと考えるのが妥当そうな気はしますが、1トン近い吊り荷の揺れを本当に人力で抑えられるか疑問が残ります。
     もしかしたら、一定程度以上の揺れの時にはクレーン作業を禁止していたとかあるのかもしれません。

     外したエンジンの試運転は加賀の場合だと左舷側に試運転専用の場所があったようですね。
     現在の米空母は艦尾にあるようです。
    おうる


  11. >10
    >吊り荷にロープを繋いで前後左右から引っ張るなどして…
     ホイストの操作で揺れが止まります。
     ホイスト+ノッチで検索をかけてみて下さい。動画もあります。
     ブランコで、後ろに動いている時に、前へ漕いだら勢いが弱まるのと同じ原理です。
     旧日本海軍のことですので、ホイストの神様みたいな下士官がいたんでしょうね。
     
    hush


  12. >>11 玉掛けと床上操作クレーンと小型移動式クレーンの資格持ってます。

    ホイストって一方向と上下だけしか動かせないイメージがありますが、横行と走行と両方できるのが空母についてたんですか?
    おうる


  13. >12
    >玉掛けと床上操作クレーンと小型移動式クレーンの資格持ってます
     おお、それは失礼いたしました。
     日本の空母にどのようなものがついていたかは存じませんが、それでないといけませんね。ごめんなさい。
     
    hush


  14. 翔鶴型の格納庫内で行われたと思われる演芸会の写真があるのですが、天井にはホイスト用のレール等は見当たりません。私には、はずした発動機を載せる台車にクレーンも装備させたほうが楽なように思います。その台車を飛行機に固定できれば揺れにも対処できそうですし。
    隼鷹の発動機調整所は上部格納庫の後端にあり、発動機試運転所はその左舷にあります。公式図にはそれらの上面にホイスト用のレールがあると描かれています。
    また隼鷹の格納庫の公式図には、分解した補用機が描かれています。零戦は主翼を含む機体前半と水平尾翼をはずした機体後半に別れて、九九艦爆は垂直尾翼以外の翼をはずした胴体部で描かれています。はずした翼は、下部格納庫の煙路と干渉する部分の補用機格納所に置かれています。
    老猿


  15. >14
    老猿様
     過日はお世話になりました。
     実は、加賀かもしれないという写真の天井にあるものも、ちょっと違うかもしれないと思い始めたところです。
     わざわざの御教示ありがとうございました。
    hush


  16. 質問からは外れますが。

    >『ザ・コックピット』にはジャングルに墜落した機体からエンジンを御神輿みたいに担いで持って帰るエピソードがありますが

    「吸血鬼の花束」ですね。実際には墜落してペラが何かに接触したら軸が歪んでしまって使い物にならないんでしょうけど。
    かめ



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