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艦船関係
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1059 ふと思ったのですが、アメリカのネバダ級戦艦、イタリアのコンテ・デ・カヴール級戦艦、同アンドレア・ドーリア級戦艦のように主砲が奇数連装砲塔と偶数連装砲塔の混載艦の場合、「交互撃ち方」はどのようにするのでしょうか?
それとも混載艦においてはそもそも射撃統制上の「交互撃ち方」という概念が成立しない(成立しなくても問題ない)のでしょうか?
備後ピート

誰か答えて下さい。

1058 日本の練習巡洋艦香取型の機関配置は、ドイツの軽巡洋艦ケーニヒスベルグ級の機関配置の影響を受けたと言っていいでしょうか。船首側から タービンー減速機ーフルカン継ぎ手ーデイーゼル となっていますから。
電気戦艦

  1. ふつうは推進軸を最短とするため主機を主缶の後ろに置きます
    んで蒸気通路を最短とするため主缶とタービン主機を隣接させれば内火機械はとうぜんその後ろになります
    さらにタービン主機と内火機械の出力軸を最短とするため減速機および継手類は両者の中間に置くのが最適設計です
    ようはマトモな設計者なら誰しも考え付くコトじゃないでしょうか
    駄レス国務長官


  2. 駄レス国務長官様 おっしゃる通りです。私が気になったのは、タービンとデイーゼルを同一軸に並べることが珍しいと思ったからです。以前からそのような配置はあったのでしょうか。
    電気戦艦


  3. 練習巡洋艦香取型はマル3計画よか後の昭和十三年度計画での計上でしたがマル2計画に計上の水上機母艦千歳型が同様の基本配置で本邦最初と思われます
    駄レス国務長官


  4. 駄レス国務長官様 ありがとうございました。新しい方面にまた関心が湧いてきました。関連して「日進」のことも調べました。これは興味ふかいです。13号2型1基を前機室に置き、13号10型2基を後機室に置いてありますが、フルカン継手をどのように配置していたのか教えてください。ドイチュランド型のように4基なら想像できるのですが。
    電気戦艦



  5. >4.
    日進はですね
    前機 13号2型 1軸1基 315rpm フルカン継手(変速機能無し)で推進軸と結合 スリップ5.7%で最大315×0.943=297rpm
    後機 13号10型 1軸2基 左右並置 350rpm フルカン変速機 減速比0.884・スリップ3.7%で最大350×0.884×0.963=298rpm弱
    となります
    以上「海軍造船技術概要」に拠る
    駄レス国務長官


  6. >5.補足
    後機は 巾 の字の両側の縦棒
    推進軸は真ん中の縦棒
    フルカン変速機は横棒
    になります
    駄レス国務長官


  7. 駄レス国務長官様 ちょうどお聞きしたいところについてお知らせいただき、ありがとうございます。さらに細かく確かめたいのですが、巾 の字の真ん中棒と横棒の交錯点では、スクリュー軸に固定された歯車に、2基のフルカン変速機の歯車2枚が噛み合っていると考えてよろしいですね。
    電気戦艦


  8. あいにく詳細な図面を見ておりませんが類推するにおそらくそうではないかと
    駄レス国務長官



1057 太平洋戦争末期に完成したイ号潜水艦(300番台など)はレーダー波反射対策として特殊なセイル形状をしてますが、従来に比べてどれくらい効果があったのでしょうか?
またこの場合のレーダー波長は米軍のそれにまったく忠実なものか、あくまでも日本軍の電探の波長を基準にしたものなのか合わせてご教授ください。
備後ピート

  1. 昭和19年5月に呂57潜の司令塔および艦橋の片面に傾斜15度の鋼板を装着し海芝浦に波長150cmおよび10cm横須賀市勝力崎に同50cmの電波探信儀を用意して実験したところ波長50cmおよび10cmで平均感度2程度低下し効果が確認された旨「海軍造船技術概要」にありました
    米海軍だとMK3(Lバンド40cm)およびMK8(Sバンド10cm)に相当しますが当時の日本海軍でどの程度詳細を把握してたかは不明
    駄レス国務長官


  2.  「日本海軍潜水艦史」には、この司令塔の傾斜について、「これは波長の短いものに対して若干有効なだけで、メートル波に対しては具体的に施すべき手段は見出しえなかった」という正木仁元技術少佐の回想が載っております。
     
    hush



1056  往復式蒸気機関推進の船の乗り心地についての質問です。かつて1960年代中頃までは、宇高連絡船としてタービン駆動の船が就航していました。振動がほとんどなく、乗り心地の良さは、デイーゼル船とは天と地の違いです。今や普通の人が乗れるタービン船は日本には(いや世界にも)無いと思います。これに関連して、今や絶滅した(一部観光用は除く)往復式蒸気機関の船の乗り心地に関心があります。大変静かであった、ということは聞きますが、実際に乗ったことがある人から話を聞いてみたいです。日本は戦後古い貨物船をたくさん買い付けたようです。またリバテイ船も戦後20年以上使われたようです(私は1967年横浜で実物を見学する機会があり、、機関室も見てきました)。海上自衛隊の前身、海上警備隊が発足するときアメリカから多数のPF(パトロールフリゲイト)を借り、1972年まで動いていたようです。ということで、往復式蒸気機関の船に乗ったことのある方はまだまだいらっしゃるのでは、と推定します。実際の乗り心地を教えていただければ幸いです。
 
電気戦艦

  1.  http://navgunschl.sblo.jp/article/177330396.html
     「残りの半数はPFで実習が行われました」とありますので、乗っておられるかもしれませんね。
     こちらには御越しになられないようですので、直接、御聞きになってはどうでしょうか。
     
    hush


  2. hush様 ありがとうございました。そのうち連絡したいです。
    電気戦艦



1055 日本陸軍の特種船について質問です。
神州丸及びあきつ丸の元船員の証言が載った本を知りたいのですが…
私自身調べてみたところ、まったくヒットしなかったので少し気になり質問させて頂いた次第であります。
みかん段ボール

誰か答えて下さい。

1054 おバカな質問ですいません。
イージス艦ってドック入りしている状態でミサイル撃ったりレーダー作動させたりは不可能ですか?
酔来亭天福

  1. ウィキですけど自衛艦は
    ・4年周期で半年程度を要する大規模なドック修理がある
    ・ドック修理終了から約1年間は、低練度艦として基礎的な訓練を繰り返し、その後1年間は、高練度艦として実戦的な訓練を消化する
    ・ドック修理から約2年経過後、約1年間を即応艦として実任務に対応し、次のドック修理まで活動する

    常識的にはドック入り中は何処かしら修理中で要員も充足されてないワケですから実戦対応は不可能じゃないでしょうか
    駄レス国務長官


  2. 車検中の車で高速道路走れるか、そもそも走っていいのか。みたいな感じで考えれば答えは自ずと分かると思います。
    護衛艦関係なくドック入り中の船は動けないと思ってください。あれ固定すんの結構面倒なんで
    お茶


  3.  わざわざ「おバカな質問」と断っておられますので、たとえば入渠中に弾道ミサイルが接近してきて緊急対応が必要な場合はどうかというような質問かなと思っています。そうした時、入渠中の電源は陸上から引いてきているし、乗員は足らないだろうと思って考えていたのですが、ちゃんと、この件についてつぶやいておられる方がおられました。
     http://navgunschl.sblo.jp/article/187642940.html
     そうか、弾がないのかと思ったような次第です。
     
    hush


  4. >3.
    そのお方はオカシな書き込みがあると大抵つぶやかれるようです(「独り言」で検索)
    駄レス国務長官


  5. 皆様回答ありがとうございました。

    おバカな質問と言いましたが、ドック入り中の弾道ミサイル防衛の穴を心配しての質問でした。
    ダメだろうと思ってましたが、何がダメなのかはっきりわからなかったのです。

    まず人がいない・弾がない・電源もない・場合によっては機械もバラバラ、つまり全部ダメなのだとわかりました。

    思いもよらず専門家のコメントをもらえてラッキーでした。質問してよかったです。
    酔来亭天福



1053 震災で廃艦になった「天城」の空母化ですが「赤城」のような、それとも後の「加賀」いずれの構想だったのでしょうか?

蚊取

  1. 質問の主旨を煙突構造かそれ以外の何かか明確に願います
    駄レス国務長官


  2. ごめんなさい「天城」は「赤城」とは別な構想で試製するつもりであったのか、
    それとも、「赤城」「天城」同じ空母を目指していたのかな、と言うことであります。煙突も「天城」では「加賀」のように考えてあったのでしょうか。。
    蚊取


  3. 平賀アーカイブ見ても天城赤城を別仕様で造るような資料はちと見当たりません
    給気路と排煙路は中甲板の右舷寄りにまとめた図があることより赤城式1本と考えられます
    缶の力量で赤城は加賀の45%増であることからも両舷の水平煙突は現実的でないでしょう
    駄レス国務長官


  4. ご教示ありがとうございました
    蚊取



1052  終戦時国内に残存していた軍艦のうち、賠償艦として外国に引き渡された駆逐艦、海防艦以外の戦艦、空母など大型艦は解体されスクラップになりました。しかし潜水艦は、五島列島沖その他海域において水没処分されました。なぜ潜水艦は解体が許されなかったのでしょうか。
電気戦艦

  1.  撃沈されたのは、潜水艦だけではありません。敗戦時、日本に残っていた戦艦長門、巡洋艦高雄、妙高、酒匂は、実艦標的もしくは海没処分となっています。残りの大型艦艇は擱座、もしくは行動不能状態であったために沈められなかっただけです。
     例外となったのは空母鳳翔、葛城、巡洋艦八雲、鹿島と前述の酒匂、それに潜水母艦長鯨等ですが、これらは復員引揚輸送に使われています。あと、空母隼鷹、笠置、巡洋艦北上も残っていますが、外洋航海ができない状態でした。
     したがって、復員引揚輸送やもう一つの重要な柱であった掃海作業に使えない潜水艦は、真っ先に処分される運命にあったのです。
     当然、復員引揚輸送に使われた鳳翔以下の艦艇も撃沈されるはずでした。アメリカは旧日本海軍の戦艦、巡洋艦、潜水艦などの大型艦艇はすべて破壊し、駆逐艦や小型艦艇をアメリカ、イギリス、ソ連、中国(中華民国)の4ヶ国で均等に分配すると、ヴィンセント国務省極東局長から中国、イギリスの駐アメリカ大使館に連絡しているからです。
     それが変更されたのは、アメリカの事情です。経済の悪化と1948年に行われる大統領選挙を見据えると、日本占領に関わる費用をアメリカ国民の税金で賄うのはまずいという判断があったからです。また、中国における共産主義勢力の伸張により、占領政策に大きな変化が生じていました。このため、残存艦艇を日本政府に返還し、小型低速の艦艇は漁業もしくは沿岸貿易にあて、大型艦艇はアメリカの負担で回航させる費用を生じさせることなく、日本国内で解体するとなったのです。うち、アメリカに譲渡された艦艇については、日本政府に売却され、返還艦艇については、後日、適正価格での支払いを求めるとなっています(これが実施されたかどうかは存じません)。
     
    hush


  2. hush様 詳しい説明して有り難うございました。ヴィンセント通達は興味深いです。
     長門、酒匂は自力航海が可能であることから、米軍は原爆実験用に利用することを考えたのでしょう。高雄、妙高は終戦時シンガポールにいました。最初英軍が引き取る予定でしたが、居住性が悪いので断り、マラッカ海峡で海没処分されました。鹿島は1924年に解体ズミです。
     今更日本の潜水艦沈めても意味はないのですが、ローマがカルタゴの土地に塩をまく気分だったのでしょうか。
     戦艦をスクラップにすると値打ちのあるものがずいぶん取れました。アーマー、砲身などにニッケルその他貴重なモノがたくさん含まれていたからです。
    電気戦艦


  3. >鹿島は1924年に解体ズミです
     それは先代ですね。1に書いたのは練習巡洋艦のほうです。
     
    hush


  4. hush様 有り難うございました。練習艦香取の名前はうっすらと聞いていましたが、鹿島の方はまったく知らなかったです。ついでに質問させて下さい。香取も鹿島もタービンとデイーゼルの併用となっています。航行時は、1.タービンのみ、2. デイーゼルのみ、3.タービン・デイーゼル併用、の3種類になると思います。するとフルカン継ぎ手は2基のデイーゼル機関回転数を同一にするためと考えてよろしいですか。または、タービン減速機からの回転数を同軸のデイーゼル機関の回転数に合わせるということはありませんか。
    電気戦艦


  5. 香取型練習巡洋艦はですね
    計画全力 タービン4,400shp+内火3,600shp=8,000shp/280rpm
    内火機械 1基1.900shp/500rpm フルカン継手減速比0.572 同スリップ2%で500rpm×0.572×0.98=280rpmとなります
    つまりタービン減速機の回転数にデイーゼル機関の回転数を合わせるということになります
    以上「海軍造船技術概要」に拠る
    駄レス国務長官


  6. >2
    >居住性が悪いので
     Wikipediaの妙高の項にはそう記されていますが、出典も示されていない記載です。あまり信用しないほうがいいと思われます。
     イギリスが自国海軍に編入しなかったのは、居住性云々より前に、単に必要性がなかったからだと思っています。
     だいたい、賠償もしくは鹵獲した大型艦艇を自国艦隊に大々的に編入したのは、近代では日本ぐらいで、大抵の場合、解体して得られた屑鉄の売却利益を国庫に収めるぐらいではないでしょうか。
     日露戦争で得た艦艇を編入した日本も、艦隊で同一行動を取らすのにも不便で、多大な改装費用を新造に回したほうがよかったといわれています。
     海没処分にされたので例には入れましたが、あの両艦は行動不能状態でした。これを修理して艦隊に編入するほどの価値は、イギリスにはなかったと思っております。

    >5
     さすがですね。
     
    hush


  7. >6.
    お褒めいただいといて何ですけど

    > 賠償もしくは鹵獲した大型艦艇を自国艦隊に大々的に編入したのは、

    WW1後の仏伊が独墺の小巡と駆逐艦を相応に編入供用してますけどそこは
    駄レス国務長官


  8. >7
     ご指摘ありがとうございます。巡洋艦に限っても5隻ずつですから、大々的にの範疇に入れてもいいのかもしれません。私自身のイメージでは、大型艦というのは主力艦だというのがありましたので、このあたりは無視したのですが。
     ただ、これらの巡洋艦も、2次大戦まで生き延びたものもありますが、植民地警備やそれに准ずる任務を与えられものが多く、艦隊での使用はあまりなかったようです。
     
    hush


  9. 戦艦「大和」が沖縄特攻に出撃できず終戦時残存し、アメリカに接収されUSS「モンタナ」(BB-65)となり戦後を生きる・・・という架空戦記がありますが、「大和」をアメリカ海軍に編入しても使い勝手が悪すぎるし、そもそも戦艦が余っているアメリカ海軍に編入する意味がないのでありえないよぁ・・・と思ってしまいます。

    やはり軍艦はその国での使用に特化しているので、他国海軍で使用しても上手く行くことはあまりないのでしょうね。
    Ranchan


  10. >9
     2次大戦後戦艦は艦隊の主力としての意味を失いますので、艦隊の重要要素ではありません。ただ、朝鮮戦争でも、ヴェトナム戦争でも、陸上への艦砲射撃には使われています。そういう中で、もし、大和が生き残っていたら、その46サンチ砲は最大の火力です。そのように考えていくと、大和を保有する意味が全然ないわけでもないのです。
     ただ、もし、アメリカが大和を保有するのなら、他の連合国、特にソ連が黙っていないでしょう。というのは、降伏したイタリア戦艦の譲渡を巡って、貸与されたイギリス戦艦の返還も含めて、様々な駆け引きがあったからです。したがって、大和の所有権をすんなりと認めるとは思えず、長門を代わりに寄越せということになるのではと思っています。
     実のところ、アメリカが早期に日本の艦艇を撃沈処分したのは、このことが念頭に会ったのではないかと疑っています。ただ、これは推測に過ぎませんし、証拠も何もない話です。
     なお、モンタナが山とか山が多いという意味なので、大和を改名するには相応しい名前であるのかもしれませんが、BB65はいただけません。この艦番号はアイオワ級戦艦の5番艦イリノイのものだからです。そして、アメリカの場合、一度使用した艦番号は、実際に建造されなくても、再使用しないからです。
     
    hush


  11. >BB65はいただけません。この艦番号はアイオワ級戦艦の5番艦イリノイのものだからです。

    仰られるとおりなのですが、作中ではそうなっているのです・・・。
    (本来はモンタナ型戦艦最終艦「ルイジアナ」(BB-71)に続きBB-72かなと思うのですが)
    Ranchan


  12. >11
     あっ、ごめんなさい。
     もちろん、こういうつまらない指摘は作者に対するものでして、
    そちら様にではありません。
     しかし、日本が最終的に勝たない架空戦記もあるんですね。
     
    hush


  13.  皆さま 色々議論ありがとうございます。帆装戦列艦の時代は、英仏が捕獲した相手の船を自軍に加えて普通に戦っていたようです。日本の潜水艦は戦後アメリカ軍の所有物になりましたが、アメリカが自らそれらを海没させたわけですから、現在これらは無主物ということになり、海底にとどまる巨大な廃棄物ということになります。
     ノルウェーのフィヨルド内で横転していたテイルピッツは、Wikiによれば、戦後ノルウェーとドイツ(おそらく西)の合弁会社が解体処理したとのことです。では、ナルヴィク海戦で沈んだドイツ駆逐艦10隻、英駆逐艦2隻はどうなったのでしょうか。引き上げられたのでしょうか、それとも沈んんだままのものもあるのでしょうか。
    電機戦艦


  14.  ドイツはさらに潜水艦も一隻沈められています。
    電気戦艦


  15. >13 沈んだままのものもあるのでしょうか
     ノルウェーの海図は https://www.norgeskart.no/#!?project=norgeskart&layers=1002&zoom=4&lat=7197864.00&lon=396722.00 で見られますが、沈没船情報まで載っていなかったので、個々に当たってみたところ少なくとも2隻は沈んだままのようです。
     Z2 水中にあるそうです。
     https://web.archive.org/web/20050211202303/http://www.skovheim.org/located/nordland/gthiele/gthiele.html
     Z12 2011年に同艦の操舵室にあった青銅製の鷲の置物が引揚げられたとありますので、海中にあるものと思われます。
     https://www.vg.no/nyheter/innenriks/i/qGmEO/fant-nazi-oern-paa-havdypet-etter-71-aar
     なお、海中にあっても無主物とは限らないと思いますが。
     
    hush


  16. hush様 得難い情報ありがとうございました。流石にフィヨルドとはすごいものです。陸地のすぐそばで水深60mあるとは、U字谷は本当だったのですね。ワシというものはヨーロッパではローマの時代から特別な意味があるのかとふと思いました(ローズマリー・サトクリフ「第九軍団のワシ」)。近世海事史を知る上でノルウェー語も重要であると思いました。米軍が接収した日本の潜水艦のことですが、もし米軍側が、これらを放棄する、と正式に発言していれば、無主物であると思うのですが、「日本軍の残党に利用されないように水に浸けている」ということなら、いまもアメリカの財産かと思います。Wiki見ますと、戦闘中に沈んだ船は元の国の物であるが、自沈すると所有権は失われる、とありました。確かにグラーフ・シュペーはアルゼンチンのもので、彼らは引き上げた部品を展示しています。日本の比叡はどうなるのでしょうか。
    電気戦艦


  17. 16.で アルゼンチン とあるのは間違いです。ウルグアイ が正しいです。
    電気戦艦


  18. >16
    >陸地のすぐそばで水深60mあるとは
     氷期の終了とともにスカンディナビヤ半島を覆っていた氷雪が融け、重量の軽減により隆起し、厚さ数kmの氷河が西側に流れた結果ですからね。
    >ワシというものは
     第3帝国自体が、神聖ローマ、帝政ドイツを受継ぐものという意味ですからね。もっとも、西ドイツ時代からも国章は鷲ですが。
    >比叡はどうなるのでしょうか
     https://www.nauticalarchaeologyjp.com/news/201807202395.html
     上記に「自沈した場合は、戦闘中であれば撃沈されたものであると想定しているようです」とありますので、比叡も日本国の財産となりそうですが、明確な規定はありません。遺骨収集の場合、同艦はソロモン諸島という独立国の領海内にありますので、そちらの許可はいるだろうなと思っています。
    >17
     気がつきませんでした。
     
    hush


  19. >18
    所持しております「伝承・戦艦大和 下巻」(光人社)では

    「戦艦『大和』は公海に沈んでいるので他国に引き揚げられても文句は言えない」
    「サンフランシスコ講和条約により日本は戦艦『武蔵』を含むあらゆる国外に沈んでいる艦船の所有権を放棄したので、現在『武蔵』の所有権を有するのはフィリピン政府である」

    とあるので、戦艦「比叡」ももう日本の国有財産ではないと思っていましたが、どうもアレな内容のお話みたいですね。

    著名な会社の歴史ある本でも、鵜呑みにしてはいけないようです。
    Ranchan


  20. >19
     御教示感謝申し上げます。
     たしかに、サン・フランシスコ講和条約第14条(賠償、在外財産)に「各連合国は、次に掲げるもののすべての財産、権利及び利益でこの条約の最初の効力発生のときにその管轄の下にあるものを差し押さえ、留置し、清算し、その他何らかの方法で処分する権利を有する」とあり、さらに、(a)として日本国及び日本国民等が掲げられいますので、在外資産については放棄したと考えられます。
     https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/rp/page22_002285.html
     これに対して18に掲げました2003年の日本政府の回答は、この講和条約の条文に反するようですが、訳されていない部分に”According to international law”とあります。つまり、「国際法に従って」です。国際法によれば保護されるものであるという見解なのでしょう。
     また、「海の墓として尊重されるべきである」というのは、講和条約の例外規定である「宗教団体又は私的慈善団体に属し、且つ、もっぱら宗教又は慈善の目的に使用した財産」の拡大解釈とも取れます。
     しかし、戦後レジームからの脱却などと叫んでアメリカの不信感を招いたりしていますが、講和条約自体は廃止されていませんので、この小泉政権下の回答は、理解に苦しむもののように思います。
     となると、御紹介いただいた本の著者である原氏の見解のほうが正しいように思えてきました。
     回答者が右往左往して御免なさい。
     
    hush



1051 1941年9月から10月の米空母がどこにいたのか分かる人はいらっしゃいますでしょうか。
ヨークタウン、ワスプ、レンジャーが大西洋にいて、
サラトガが西海岸で改装が終わったばかり、ということは書いてあったのですが。
チャカ

  1.  レキシントン、エンタープライズ 太平洋艦隊
     ホーネット 大西洋で就役訓練中
     
    hush


  2. hush様、回答ありがとうございます。
    レキシントンとエンタープライズが太平洋のどこにいたかが分からないのです。
    チャカ


  3. 2隻とも、5月以降は真珠湾かハワイ近海ではないでしょうか。


  4. 片様、回答ありがとうございます。
    太平洋諸島への航空機輸送のような任務は真珠湾攻撃直前になるまで行われなかったのでしょうか。
    チャカ


  5. >4
     ルーズヴェルトが大統領令8682号”Establishing Naval Defensive Sea Areas Around and Naval Airspace Reservations Over the Islands of Palmyra, Johnston, Midway, Wake, and Kingman Reef”でパルミラ、ジョンストン、ミッドウェー、ウェーク島とキングマン・リーフの防衛を命じたのが1941年2月14日で、ミッドウェー海軍航空基地の創設が同年8月です。これはワシントン海軍軍縮会議の要塞化禁止条項により整備が凍結されていたものですが、この命令により、基地の整備が進んでいきます。
     これを直前とみるかどうかは、人によって違うでしょう。
     
    hush


  6. ウェーク、ミッドウェーへの航空機輸送は真珠湾攻撃直前です。


  7. 空母を使って、整備が終わった基地に飛行機を運んだのは、11月12月のことですね。


  8. hush様、片様

    回答ありがとうございます。
    ひょっとすると山本長官は直前まで空母が真珠湾にいたことから今なら一網打尽にできる、と考えてハワイ作戦をやりたがったのかもしれませんね。

    チャカ


  9. >8.
    山本長官のハワイ作戦の着想は1941年1月頃で実行までには魚雷の沈降抑制とか徹甲爆弾の開発とかいろんな課題を解決する必要がありましたけどそこは
    駄レス国務長官


  10. >8
     戦史叢書「ハワイ作戦」を読んでもらえれば分かることですが、海軍が真珠湾攻撃を計画したのはずっと前です。したがって、奇襲当日、アメリカ太平洋艦隊の戦艦以下の主要部分が在泊していたのは僥倖であり、空母がいなかったのは予定外でも何でもないのです。
     このあたりは http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=010 の159コマを読んでもらえれば分かると思います。
     直前まで空母がいたからというところまで場当たりな作戦でもないのです。
     
     書き込もうとして、また被っていることに気づきましたが、御寛恕ください。
     
    hush


  11. なるほど、真珠湾の情報が分かるのは11月下旬以降だったのですね。
    だとすると、それより前に空母の所在は確認できませんね。
    チャカ


  12. 一網打尽というより、ハワイ付近に米空母がいれば、そこから発進する艦上戦闘機が真珠湾攻撃の飛行機隊にとって脅威となります。
    攻撃隊第一波の艦爆隊は、本来は、洋上決戦での場合と同じく、制空権を押さえるための敵空母先制攻撃用のものでした。

    5月中旬以降、ハワイに配置された米空母は1週間から10日ほど出かけることを繰り返しています。ずっと停泊していたわけではないのです。
    米空母が真珠湾で停泊していればまだしもですが、近海で行動中だったらほんとうに厄介なことになっていただろうと思います。結果として第二次攻撃が行われなかったのも、この所在のわからない米空母を警戒してのものだったはずと思いますし。


  13. 飛行機隊というより、機動部隊の空母そのものにとっての脅威ですね。
    うっかりラッキーヒットを食らえば、ミッドウェーが半年早まってしまいます。

    敵空母がいれば先制攻撃を行わなければならず、淵田中佐の信号弾の数によって、雷撃隊が先に出てトラトラトラと打電する、あるいは艦爆隊が先に出る、とケース分けされていたのもていたのも、米空母艦載機の出方次第だったわけです。
    場合によっては浅海面雷撃の命中率が下がるなど、攻撃効果への影響も考えなければなりません。

    「一網打尽」はちょっと虫が良すぎてしまうわけです。



1050  「世界の艦船」2020年6月号 の110ページ左上に建造中のソビエツキー・ソユーズの写真が出ています。両舷に円いフレームのようなものがずらりと並んでいます。これらが、かの有名なプリエーゼ式水中防御システムを構成する部材である、と考えたのですがそれでよろしいでしょうか。もしそうだとすると、本来の位置よりやや上にあると感じたのですがどうでshぷか。
電気戦艦

  1.  最後「shぷか」 は間違い、「しょうか」が正しい。
    電器戦艦


  2.  多分、上甲板はもっと上になるのだと思います。
     https://miniflot.ru/Modeli_korabley/Sov/evol/1936-2.png
     上記の図から考えると、他に該当するものはなさそうです。
     
    hush


  3. hush様 珍しい図面の紹介ありがとうございました。確かに上甲板がもっと上なら、丸部財は本来の位置に据わっていることになります。このフネは興味深いですね。こんなに大きいのに3軸なのはヨーロッパ風なのでしょうか。また外側2軸は平行ではなく、ハの字形に広がっています。
    電気戦艦


  4. >珍しい図面
     Линейные корабли проекта 23 Советский Союзで画像検索して見つけたものですので、あまり考えずに出してしまいました。
     ただ、ファイル名の1936−2.pngから考えますと1936年の案かもしれません。だとすると、1937年に最終設計ができあがっているだけに、信憑性はどうなのだろうかという疑問はあります。
     特に、同級はタービン・エレクトリック推進で、モーターを自由に配置できことを考えると、推進軸をそのように傾けて配備する理由も分かりません。自分で出しておいて申し訳ないのですが、ちょっと自信がなくなってきました。
     
    hush


  5. ソビエツキー・ソユーズ級の最終2案は1936.11に出されたTaKBS-1案とBS-4案でそれぞれ直立煙突・誘導煙突です
    機関区画は缶缶機缶機で前部機械室は左右主機後部機械室は中央主機のギヤードタービン3基3軸推進です
    (以上McLaughlin著Russian & Soviet Battleshipに拠る)
    >2.のリンク先は上記BS-4案になります
    問題のプリエーゼ構造ですが世艦増刊ロシア/ソビエト戦艦史P106により鮮明な写真が掲載されており構成部材の一部と判ります
    なお同写真の船体中央部横隔壁の間隔は狭狭広狭広で上記缶缶機缶機に対応してることからも電気推進は誤情報と判ります
    あと推進軸のハの字は別に珍しくありません
    駄レス国務長官


  6. >5
     フォロー多謝。
     
    hush


  7. 皆様 いろいろ有難うございます。このフネの図面改めて見ました。平面図で艦尾から離れたモノが二つあります。当初スケグを保持する部分がこのように見えるのか、と思っていました。しかし、下段の横断面 左から2番目を見ると、むしろ副舵かとも思いました。どう思われますか。
    電気戦艦


  8. >7.
    >2.の横断面図の左から二番目にあるように左右推進器の後方に設けられた副舵です
    伊海軍リットリオ級戦艦と同様の左右中三枚舵になります
    駄レス国務長官


  9. >8. どうも有難うございました。二枚副舵の具体例は初めて見ました。格舵を独立に動かせば、旋回時の船体の外側への傾きを減らせるのかと空想しました。
    電気戦艦



1049 世界の傑作機No.91「九六式陸上攻撃機」には、
この機体の晴れ舞台であったマレー沖海戦を紹介する「九六陸攻ーマレー沖我らが最良の日」なるページがあります。
先生方はこれを読んだ、若しくはエピソードを知っているかと思いますが、
ここでは「プリンス・オブ・ウェールズ」の対空能力を説明する一文に「プリンス・オブ・ウェールズには1分間に6万発を撃てる8連装の40mm機関砲、通称ポムポム砲がある〜」云々の記述があります。
この発射速度の数値はどこから来た物なのでしょうか
写真屋ジョー

  1.  版元に直接聞かれたほうがよろしいのではないでしょうか。
     
    hush


  2. ネットで調べると、

    装填は砲を左右から挟み込む形に配置されたマガジンに入ったスチール製ベルトリンクで行ない、8連装砲架の場合再装填なしで73秒の連射が可能だった(一門あたり140発)

    ということなので、単純に信用すると、140発×8門=1,120発を73秒で撃ち尽くすということかと。
    平山


  3.  1の補足です。 
     M61A1ヴァルカン砲でも発射速度は毎分6000発ですので、これは明らかな誤記か誤植です。
     該当誌を架蔵しておりませんので、どなたがお書きになられたのか存じませんが、人間のすることですので、間違いは幾らでも発生します。このため、校正という仕事があるのですが、トムキャットと彗星の解説を取り違えて記して、校正も通ってしまったケースもあるぐらいで、こういうことは一杯あります(なお、上記のとんでもない間違いは「世界の傑作機」のようなきちんとした雑誌で発生したものではありません)。
     ただ、間違った数値の典拠をここに求められても、答えられるのは著者か編集部しかないということになろうかと思いますので、答えようがないわけです。
     
    hush


  4. その文章の最後に「聞いていた」とありますよね。ですので当事者(搭乗員)が誰かから聞いた話なのは間違いないでしょう。
    間違いと言うより、数値的なことに意味は無く少し語弊がありますが比喩表現的な伝えられ方をされたのではないでしょうか。
    良く言う「100万倍凄い」とかの類いで、数値的なものに意味は無く「とにかく凄いこと」を具体的に正確では無いが「1分間に6万発」と言われたのではないかと。
    個人的な考えで悪い意味ではありませんが、軍関連書籍に時々そういった適当な数値のを当てはめた比喩表記がなされている事が多いような気がします。
    陸奥屋


  5. 「毎分千発」を「毎秒千発」と誤解したんじゃないでしょうか
    駄レス国務長官


  6. 皆様、ありがとうございます。

    この数値は実際に当時の帝国海軍内でそう言われていた(当事者がそう言われた)かもしれないし、
    戦後のインタビューによる物なら、発言者の記憶違いかも知れない、
    若しくは本当に単なる誤植かもしれない、様々な可能性が考えられるかと思いますが、

    hush様の言われる通り編集部に問い合わせてみるのが一番確実で手っ取り早いと思います。
    後日、問い合わせしてみたいと思います。
    写真屋ジョー


  7. その文章の最後に「聞いていた」とありますよね。ですので当事者(搭乗員)が誰かから聞いた話なのは間違いないでしょう。
    間違いと言うより、数値的なことに意味は無く少し語弊がありますが比喩表現的な伝えられ方をされたのではないでしょうか。
    良く言う「100万倍凄い」とかの類いで、数値的なものに意味は無く「とにかく凄いこと」を具体的に正確では無いが「1分間に6万発」と言われたのではないかと。
    個人的な考えで悪い意味ではありませんが、軍関連書籍に時々そういった適当な数値のを当てはめた比喩表記がなされている事が多いような気がします。
    陸奥屋


  8. すみません
    >>7は何か間違ったかバグのようです
    陸奥屋



1048  イ号艦本式ボイラについての質問です。金剛級一番艦の金剛にはヤーロー式ボイラーが積まれていました。二番艦の比叡に積まれたのイ号艦本式ボイラです。これら二者は大略的には同じ構造ですが、前者は、蒸気ドラムと水ドラムを結ぶ水管が直線であるのに対し、後者は湾曲しています。比叡竣工は金剛の一年後です。ということは、金剛の建造中に比叡のボイラは設計されていたことになります。このイ号ボイラの形を考えたのは、日本の技術陣であると思いますが、例えば英国の技術者が案を提示してしたということはないでしょうか。
 なおついでですが、三番艦榛名と四番艦霧島に載せたのはヤーロー式であると高木氏も石橋氏も断言されています。しかし、これらはロ号であるという言説は今もあります。この不統一の状態をどのように理解すれば良いでしょうか。
電気戦艦

  1. イ号の最初の搭載は明治36年起工の音羽ですから比叡のだいぶ前です
    いっぽうロ号は周知のようにイ号の運用成績より水胴の溝蝕対策を主眼としたモノで最初の搭載は大正3年起工の樺型です
    イ号ロ号がさほど日を置かずに出現したというのは無理があるでしょう
    駄レス国務長官


  2.  駄レス国務長官様 日本海軍は日露戦争前からヤーロー式ボイラを模倣しながら、後にイ号と呼ばれることになるボイらを製作してきました。水ドラムが半円筒型のものでしたが、不都合が出たようです。ヤーロー社も改造型を考え、金剛のボイラの様に、水ドラムの上部をそれまでのような厚い平板をやめ、円弧状の管板を下半分の半円筒にリベットで止めるようにしました(それまではボルトとナット)。日本海軍が比叡用に製造したボイラは、水ドラムはヤーローと全く同じです(水管が湾曲しているのは違いです)。ですから、前の質問は、比叡用が実質金剛と同じなのはあまりにも素早いので、英国の協力を得たのではないかということでした。
     なお、堤氏のブログ「桜と錨 の.....」 (2017/5/12) で紹介された内令293 でイ号とロ号が定められていますが、制定された1914年は、夏に比叡が竣工し、また秋にはロ号ボイラが樺型駆逐艦に搭載されますから、整理のためであったとおもわれます。しかし比叡のボイラの水ドラムが半円筒型というのはおかしいです。

    電気戦艦


  3. 前段
    音羽の缶は「帝国海軍機関史」下巻P38に図示される如く水胴断面は月齢10程度の月のように半径の異なる二個の円筒の組み合わせです
    同P34には説明として「其ノ缶ニハ本邦製艦政本部式水管缶(後ノイ号艦本式)ヲ使用シタリ」と明記されてます
    後段
    大正三年にロ号が制定されたので在来の艦本式水管缶をイ号と呼称すると決めたってコトです
    「内令二九三」の「半円筒形」は必ずしもヤーロー原型缶のような平面管板でなくロ号の真円水胴断面の対立概念を示すモノと解釈すべきでしょう
    駄レス国務長官


  4. ダレス国務長官様 新しい情報有難うございました。せっかくですから教えてください。第67号水雷艇や春雨型駆逐艦のイ号ボイラはどのような水ドラムを持っていたのでしょうか。「音羽」と同じになっていたのでしょうか。
    電気戦艦


  5. 「軍艦機関計画一班」(明治41年増補再版)に「水寄」の「水胴内径」として
    ・音羽 1ft6in1/4 × 2ft6in1/2
    ・春雨 1ft4in7/8 × 2ft0in
    と各2種の内径が記載されてますので異種径水胴を有する同型に間違いないと思われます
    水雷艇については残念ながら不詳です
    駄レス国務長官


  6. × 各2種の内径が
    ○ 短径と長径が
    駄レス国務長官


  7. 駄レス国務長官様 詳しく教えていただき有り難うございました。19世紀末から20世紀初めにかけて、機関関係でも大きな技術革新が起きていたのですね。艦政本部も忙しかったことと思われます。
    電気戦艦


  8. >5.補足
    水胴の短径/長径の比
    ・音羽 ほぼ0.6
    ・春雨 ほぼ0.7
    音羽のほうが大型のため扁平度高い(真円度低い)

    >7.
    艦艇機関関係の技術革新最大時期は1910年前後でしょう(弩級艦の時代)
    駄レス国務長官


  9. 駄レス国務長官様 有難うございました。私は、金剛の水ドラムと比叡のそれはほとんど同じであると言って来ましたが、改めてよく見ますと、後者の管板の丸みは金剛よりも小さく、むしろ平板に近い気がしました。内令293に、イ号は反円筒型であると規定するのは、そんなに間違っているとは言えない気がして来ました。
    電気戦艦


  10. x 反円筒型   ○ 半円筒型
    電気戦艦


  11. >9.
    >7.にも書いたように同じイ号でも水胴の短径/長径の比には範囲を持ちますので単に比叡がそうだからと言ってイ号が半円筒型と納得するのは如何なモノかと
    駄レス国務長官



1047 いつもご教示頂きまして有り難うございます。

写真や沈没艦調査(戦艦「大和」「武蔵」、重巡「摩耶」「最上」など)を見ると、大東亜戦争後期では消磁電路を装着した艦と未装着の艦が入り混じっているようですが、殆どの艦は開戦前の出師準備工事実施時に消磁電路を装着したと聞いております。
なぜわざわざ消磁電路を取り外す艦が現れたのでしょうか?(消磁電路はあまり効果や必要性が認められなかったのでしょうか?)

宜しくお願い致します。
Ranchan

  1.  資料を提示できないので心苦しいのですが、消磁電路を艦内配備にしたからだといわれているようです。
     もっとも、秋月級のように舷外配備にしているものもあり、その基準がいずこにあったのかは分かりませんが、艦内配備にすると消費電力は増えるものの、波浪の影響を受けないので保守管理上は有利だそうです。
     なお、戦後の護衛艦は艦内配備のようです。
     
    hush


  2. ご回答有り難うございます。

    英戦艦「キング・ジョージ5世」でも舷側式消磁電路を艦内式に改め、その姉妹艦は最初から艦内式でしたから、艦内式の方がご指摘の保守点検の容易さ、波浪や戦闘での破損の可能性が減少するなどの理由で優れているのでしょうね。

    ただ、最後の日本軽巡「酒匂」は舷側式消磁電路でした。

    「艦内式消磁電路に改めるように」との内部通達が出た頃には艦の建造が進みすぎていた・・・とか、「酒匂」の発電能力では艦内式消磁電路は扱えなかった・・・とか理由を考えてみましたが、よく分からないままです。
    「酒匂」が舷側式消磁電路を採用した理由が説明されている文献に巡り合えることがありますように。
    Ranchan



1046  戦艦機関部のシフト配置とスクリュー軸の関係についてお尋ね致します。もし対になったスクリュー軸を艦底に対して同一傾斜にしようとすれば、タービンまたは減速歯車装置の高さ、姿勢を調整する必要があります。大した違いは無いだろうからそのままでも良いという考えもあったかも知れません。実際はどうだったのでしょうか。
電気戦艦

  1. その場合は推進軸の短いほうに長いほうの傾斜を合わせるコトとなりますので主機の位置が高上しひいてはデッドスペース・デッドウェイト増大と重心高上という不利益が生じます
    駄レス国務長官


  2. 駄レス国務長官様 それではご回答の内容を確認させてください。タービンの上下位置調整はしないで、またスクリューの上下位置も左右同じにするということですね。其の場合でもタービン等の姿勢は微妙に左右で異なりますね。ユニバーサルジョイントがあればタービンは水平のままでいいのですが。
    電気戦艦


  3. そーです軸系の傾斜のみ変わります
    4軸艦でも内外軸の傾斜は不同のコトが多いですからそれ自体は大した問題ではありません
    駄レス国務長官



1045  第二次大戦において、主力艦が要塞に撃沈された例は重巡洋艦ブリュッヒャーだけだと聞きました。
 過去ログ等によると、オスロ侵攻のためにフィヨロドを航行中、600ヤードの距離からクルップ製の旧式28p砲等の命中弾を受け、300mの距離からの魚雷が命中して沈没したとのことです。
 そこで、二つ質問させていただきます。
@ 要塞付近のフィヨルドは幅1000mしかなく、罠に飛び込むようなものだと思うのですが、なぜ、こんな危険な作戦が実行されてのでしょうか?
A ノルウェー軍の28p砲とはもともと艦載砲だったのでしょうか?
  旅順攻撃に使った28サンチ砲だと思っていたのですが、写真でみると、違うようです。


PIAT

  1. 2に関して。
    英語版wikiを見ると「28cm MRK L/35」のようです>28センチ砲
    艦載砲としてはブランデンブルク級戦艦の中央砲塔用として採用されているみたいですね(艦首艦尾は40口径砲)。
    薩摩


  2.  オスロはフィヨルド(実際には湾)の最奥部に位置する港湾都市です。そして、海側以外は山に囲まれ、一番近いドイツの航空基地から500kmほど離れています。もちろん、爆撃機のみの渡洋爆撃なら可能ですが、空挺部隊の使用は1年後のクレタが最初ですので、まだ有効性が確認されていません。したがって、海上輸送により陸兵を送り込むのが実際的な方法であると考えられたようです。
     ただ、御指摘のように、途中には要塞があり、要塞対軍艦では、要塞に分があるというのは常識でありますので、夜陰に紛れて突破する計画だったようです。しかし、ノルウェー側に察知された結果、砲撃を受け、さらには秘匿されていた(多分、ドイツ側も存在に気づいていない)魚雷を受けてかような損害を出したということでしょう。
     
    hush


  3. 薩摩様 情報ありがとうございます。
     戦艦ブランデンブルグ(約1万トン)は1893年竣工で、28p砲を6門装備していたので、三笠やスワロフよりやや旧式ですね。
     発射速度は遅いと思いますが、使い方によっては、半世紀の大砲でも役に立つのですね。

    hush様 オスロには夜間に侵攻する予定だったのですね。ありがとうございます。
     それにしてもノルウェー侵攻はよくわからない作戦ですね。
     海軍が言い出した作戦のようですが、オスロを占領したのは空輸された陸軍部隊であり、海軍は多大な損害を受けたうえ、王族等の政府首脳を取り逃がすという失態を演じました。
     第一次大戦のリエージュ要塞の様に、要塞に特殊部隊を送り込むのは無理だったのでしょうか?


    PIAT


  4. >要塞に特殊部隊を送り込むのは
     私もそれが正しいと思います。にもかかわらず、それができなかったのは、無理だったからでしょう。
     仰るように、ノルウェー侵攻はレーダー海軍総司令官が言い出したことですが、作戦自体は国防軍最高司令部(OKW)が立案しています。ただし、立案者のヴァルリモント砲兵大佐は、砲兵とつくように陸軍の出身ですが、OKWはヒトラーが国防軍を直接指揮するためのものですので、陸軍ならびに空軍総司令部は関与していないどころか、作戦の存在も知りませんでした。このため、両軍がこれを知ったときには、多大の反発があり、精鋭部隊の参加は見送られました。空挺作戦が予定されなかったのはこのためですが、特殊部隊についても同様であったのではないかと思っています。フランス侵攻が目睫の間に迫っており、そのタイミングで特殊部隊を消費できないと思うからです。
     では、どうするかです。オスロの前面には細長い湾があり、途中の狭水道には要塞もあります。たとえて言うのなら、大阪を海上から攻撃するのに、豊後水道から瀬戸内海を通っていくようなもので、豊後水道と来島、明石海峡付近に要塞があるようなものです(紀伊水道は封鎖されていて通れないとします)。しかも、策源地から500kmも離れており、特殊部隊や空挺部隊は使えないのです。
     太平洋戦争末期のアメリカ艦艇の艦砲射撃や、下関の砲撃のように圧倒的な戦力差があるのなら別ですが、28cm MRK L/35の射程は仰角25度で14.5kmで、ブリュッヘルの20.3cm SK C/34の33.5kmの半分以下ですが、充分な脅威です。しかも、ドイツ側は「平和裏」の進駐を望んでいたので、こちらからの発砲は、警告射撃を受けた場合でもしてはいけないとなっていました。
     したがって、次善の策は夜陰に紛れてということになるのですが、オスロの日の出は4月前半だと6時半頃です。この前に湾を北上して、要塞の砲撃圏内を突破してと考えると、低速の輸送船では無理で、艦艇での輸送となります。また、要塞と撃ち合う可能性もあるので、駆逐艦や水雷艇程度では対抗できません。これが、重巡洋艦や装甲艦の参加した理由でしょう。
     ところで、湾口で早くも照射と砲撃を受けたわけですが、ドレーバク水道に差し掛かった時点では、ドイツ艦隊はいまだに正体不明であったわけです。したがって、エリクソン要塞司令官が、英雄になるか、法廷に引き出されるかのどちらかだと叫んだ後に砲撃を命令しなければ、そのまま通過していた可能性が高いのです。
     ドイツは宣戦布告を直前に通告していますが、ギリギリのタイミングです。しかも、それを受けて、ノルウェーが動員令を発動できるのは数日後であり、前線に伝わっていた可能性も低いわけです。そのような中で、中立を宣言しているノルウェーの一要塞司令官が、目の前を通過する国籍不明の艦艇に対して砲撃を行うというのは、戦争を引起こしたのはノルウェー側であるということになりかねないのです。おそらく、ドイツ側も、そこを狙っての作戦だったろうと思っています。
     
    hush



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