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ちょっと気になると夜も眠れない。 艦船関係 Ans.Q どうでも良いことなのに…、誰か助けて! |
| 1389 |
現在の空母は艦上で艦上機を移動させる際に車両で牽引してたりしますが、航行中の艦船の上で自動車を走らせるようになったのはいつからですか? 最初の例が知りたいです。 おうる |
hush
機体の大型化に伴い必要になったようですね。
大柄な機体の多い米海軍ならではだと思いました。
おうる
鄭重な御礼痛みいります。
アヴェンジャーが8t近く、他の機体の2倍近い重量があったのでジープが導入されたようです。
興味深いのは、専用の車体が開発されたのに、このジープが50年代まで使用されたことです。
hush
| 1388 |
重箱の隅をつつくような質問ですが。第二次大戦での日本の残存艦艇についての本を見ると、「米or英への賠償艦に指定されたが実際には引き渡されず日本で解体された」というものが多くあります。あれは 「要らないからそっちで勝手に処分していいよ」と無償で返還(または受け取り拒否?)された扱いということでしょうか? もしくは 所有権はあくまでも米or英で、艦そのものは引き渡さなくても 解体を依頼されてスクラップとしての売却益は納めたとかの形なんでしょうか。 かめ |
hush
「賠償艦を引き取る→本国に回航せず即刻日本の解体業者にスクラップとして売却、代金を領収」
というのが大部分だと思います。
Ranchan
はっしゅ先生/
戦艦ナッサウは幾らでしたか?
駄レス国務長官
トルグート・レイズも含めて分からなかったです。
一応 https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C10128219200 あたりは探っていたのですが。
hush
Ranchan様
回答ありがとうございます。
米or英が日本の業者に直接売却ということに思いが至りませんでした。
海防艦で1隻いくらくらいだったんだろう。
かめ
鄭重な御礼痛みいります。
かつて三笠が荒廃して修復をとなった際、いっそ船体を屑鉄として売って記念館を作ろうと話があり、4000tで8000万ほどになると試算されています。
これに対し、アメリカ海軍がLST1隻を寄贈、1650tで約3000万円になるが、これでどうだということになって翌1959年に三笠は国庫からの5000万円、民間からの募金1.5億円と合わせて修復されたという話があります。
海防艦ですと排水量が700〜1000t内外で、そこからどれだけ屑鉄が取れるか知りませんが、多少の参考になろうかと思います。
もっとも、敗戦直後と高度成長期では比べるのも困難でしょうが。
なお、 https://www.jisri.or.jp/kakaku に現在の鉄スクラップ(鋼スクラップ)価格が出ておりますが、4万円/tとすると500tで2000万円ほどとなります。
hush
これだと戦艦「大和」でも64,000tとして64,000t×4万円=25億6千万で買える!(64,000tは基準排水量だからもう少し安くなるでしょうが)
・・・と無茶を言ってみる。
Ranchan
お世話になります。
「戦艦オルデンブルクを日本政府はオランダの解体業者に19000ポンドで売却」の出典元を知りたいのですが、御教示頂けますか?
太助
こちらこそお世話になっております。
出典はhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88_(%E6%88%A6%E8%89%A6) というわけで、Wikipediaです。
もっともこれの出所が書いてないですし、他にこれを書いてあるページもなさそうなので、出所を探して随分と苦労されたのではないかと思います。
すいません。
hush
早速の対応ありがとうございます。
確かに「四番艦オルデンブルク(ドイツ語版)は日本に賠償として引渡されたが、日本政府は19000ポンドで本艦を売却しオランダのドルトレヒトで解体された。」と書いてありますね。
19000ポンドで納得しました。
艦の規模からしてスクラップ価格は概略1トン1ポンドになるのでしょうか。1916年の為替レートを1ポンド10円とすると、戦艦オルデンブルク1隻で約20万円(当時の円価で)くらい。
ちなみに、戦艦三笠で建造予算1300万円(当時の円価で)ほどらしい。
-----以上は当時の円価、以下は現在の円価-----
貨幣価値を、当時の1円≒現在の2000円としたら、
戦艦オルデンブルクのスクラップ価格は現在の貨幣価値で4億円。
戦艦三笠の建造費は現在の貨幣価値で260億円。
戦艦オルデンブルク(2万トン)× スクラップ相場(4万円/トン)ならば8億円ほど。
>>8で質問した際は、(ちょっと暗算を間違えていて)スクラップ価格19000ポンドは安過ぎかと思いましたが、当時のスクラップ市場が不況と考えれば有り得る価格といったところでしょうか。
ちなみに、当時(1916年代)の1円≒現在の2000円の仮定は以下から。なんちゃって予想です。
・1916年→1936年:インフレ率は1-2倍を仮定。
・1936年→1946年:インフレ率は約3倍。
(AIによると、1936年→1949年:インフレ率は220倍。1945年→1949年:インフレ率は70倍。これらの割算。数字の裏はとっていない。)
・1946年→2025年:インフレ率は600倍。
(1946年の国家公務員大卒初任給が540円
で、現在2025年は36万円くらい⇒倍率600倍。)
某サイトの某図表(企業物価指数の推移1901-2022)をみると、
859.4÷0.469≒1850
あたりがより正確かもしれない。
太助
ナッサウは、https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C10128487100の43ページ
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C10128487200の9ページによると16000ポンドです。
>8&9
英語版wikiでは、出典付で英国の業者に売却され、その後オランダの業者へ再売却の形のようですが、売却価格に関しては記載がないです。
オルデンブルクの売却価格は、https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C10128487200の13ページ19ページに19000ポンドと記載がありますので
日本語版wikiの出所はこのあたりではないでしょうか。
根性の無い履帯
ご教示有難うございます
オルデンブルク 22,800噸 19,000ポンド
ナッサウ 18,800噸 16,000ポンド
比率 0.82 0.84
・・・ですから妥当な線ではないでしょうか
他の関連文書も興味深かったです(仏のえげつなさが目立ちますね)
造船材料8千トンも分捕ったのは初めて知りました
やはり敗けると身ぐるみ剝がされちゃいますね・・・
駄レス国務長官
内容確認しました。ありがとうございます。
>>3の質問も単なる疑問だったみたいですね。オルデンブルクの売却価格19000ポンドが真っ当な数字であるかはナッサウの売却価格を調べれば判りますよと、婉曲な指摘だったのかなと当初穿った解釈をしていました。ナッサウの売却価格が19000ポンドより大きかったり、19000ポンドとは桁が違うほど売却価格に差があったりするのかなと(ひとつの可能性として)考えていましたが、杞憂であることが判明して良かったです。
素直に物事を解釈する習慣をつけんといけませんな💦
根性の無い履帯さん、どうもありがとうございました。
太助
ありがとうございました。
私も結構探したつもりでしたが、根性なしでした。
hush
| 1387 |
ワシントン軍縮条約で、戦艦陸奥は未完成にもかかわらず完成していると主張して、 保有を認めさせたのは有名ですが もしも、陸奥完成の嘘が諸外国にバレてしまったら、 戦艦陸奥の運命はどうなっていたのでしょうか? 考えられる可能性は @諸外国の非難と圧力に屈して、スクラップにする A諸外国の非難と圧力に屈して、戦艦としての竣工を諦めて別の艦種として生まれ変わる Bもう嘘がバレているにもかかわらず、竣工していると反論し続ける C諸外国の反発をシカトして、戦艦としての工事を強行する あるいはもっと別の可能性があったと思いますか? 天手力男 |
なぜならば、ワシントン軍縮条約交渉時「『陸奥』が厳密に言えは完成していない」ということは最初から各国は承知していたからです。
Ranchan
かめ
僕は、戦艦としての工事を諦め、各種新兵器テスト用の試験艦として誕生して・・・
というシナリオを想像していました。
天手力男
| 1386 |
いつもご教示頂きまして有り難うございます。 英海軍の”Hush-hush-cruiser” HMS「カレイジアス」「グローリアス」「フューリアス」についてお伺いします。 航空母艦に改造前の彼女たちは「大型軽巡洋艦」「巡洋戦艦」「軽巡洋戦艦」などいろいろな呼ばれ方をしていますが、正式には英海軍では何に分類していたのでしょうか? また「主力艦」(Capital Ship)扱いをされていたのでしょうか? (さすがにあれで「実は正式には『軽巡洋艦』だった!」・・・ということはなかったと思うのですが・・・) 宜しくお願い致します。 Ranchan |
(議会に予算を通すためのフィッシャーの方便)
駄レス国務長官
まさか「大型」が付くとは言え正式に「軽巡洋艦」だったのですか。
15インチ砲×4か18インチ砲×2(計画)を装備し排水量が20,000t近い「軽巡洋艦」って・・・よく皆納得したなぁ。
以前の愚問と被ってしまいますが、「英海軍内での艦の『格』」としては主力艦扱いだったのでしょうか?
主砲数がクイン・エリザベス型や「フッド」の半分、装甲は紙と、主力艦としては極端に中途半端で使い難そうな3姉妹ですが・・・。
Ranchan
https://dreadnoughtproject.org/tfs/index.php/H.M.S._Courageous_(1916)#Captains
https://dreadnoughtproject.org/tfs/index.php/H.M.S._Glorious_(1916)#Captains
https://dreadnoughtproject.org/tfs/index.php/H.M.S._Furious_(1916)#Captains
を調べてみると分かると思います。
hush
これに対し1914年計画で計画をキャンセルされた艦に搭載する予定だった砲塔を巡洋戦艦でなく、大型軽巡洋艦に2基ずつ載せた軽巡洋艦を建造するとフィッシャーが言ったのが1の背景です。
ただ、大口径砲とはいえわずか4門では不足しており第二次ヘルゴラント沖海戦に参加した折には400発近くを発射していますが、命中弾は1発のみ(なしという記述もある)で、逆に主砲弾の発射によりカレイジャスの前甲板が損傷するという状態でOutrageous classと呼ばれました。
hush
ご教示有り難うございます。
「あんな大艦を『軽巡洋艦』と名乗らせなければならなかった理由は何だったのか?」と以前より不思議に思っておりました。
>Outrageous classと呼ばれました。
「常軌を逸した」「ムカつかせる」「ありえないほど酷い」・・・
”Hush-hush-cruiser”の当時の評価が良く分かるあだ名ですね。
Ranchan
細いですが、
×軽巡洋艦以上のものを建造するな
○軽巡洋艦より大きな艦艇を建造するな(軽巡洋艦はO.K.)⇒だから大型軽巡洋艦との方便が成り立つ。
ではありませんか?
https://en.wikipedia.org/wiki/Courageous-class_battlecruiser
The Chancellor of the Exchequer had forbidden any further construction of ships larger than light cruisers in 1915, so Fisher designated the ships as large light cruisers to evade this prohibition.
3隻すべてに文字ったあだ名があったようですね。
・Courageous→Outrageous(あだ名)
・Glorious→Laborious(あだ名)
・Furious→Spurious(あだ名)
太助
御指摘ならびに補足説明ありがとうございます。
>5
ハンドル・ネームの由来ですので、「常軌を逸した」「ムカつかせる」「ありえないほど酷い」と言われると、ひどすぎると思ってしまいます。
でも、改装後の活躍を考えればいいのですね。
hush
「大型軽巡洋艦」(Large Light Cruiser)は、ドイツ装甲艦ズが「ポケット戦艦」(pocket battleship) と言われたような通称(愛称)だと思っていました。
まさか本当に「light cruiser」だったとは。
今日の一言
「おまえのような『軽巡洋艦』(Light Cruiser)がいるか!」
>7
3姉妹のうちWW2で一番活躍し唯一最後まで生き残ったのが、誕生以降何回も身体を弄り回され何度も大変身し、そして最も旧式であった「フューリアス」だったと言うのが何とも。
Ranchan
まだ巡洋艦の定義に排水量の制限もありませんし、船体の防御方式と装甲厚から軽(装甲)巡洋艦と強弁したようにも思えます。
元自
| 1385 |
お久しぶりです。5500トン型軽巡のカタパルトに搭載されている水偵ってどのようにパイロットが搭乗するのでしょうか? 他にカタパルトを搭乗した戦艦や巡洋艦なら脚立などを使えば飛行作業甲板からコックピットまでは無理なく水偵に搭乗できそうですが5500トン型だとカタパルトが高すぎてとても乗れないと思うのですがどなたか情報をお持ちでないでしょうか? クロロ |
大日本帝国軍主要兵器
@japanesewarship 様のHP
ttps://japanese-warship.com/photo/a6m2-n-photo/
ttps://japanese-warship.com/photo/navy-aircraft-photo/#%E6%B0%B4%E5%81%B5
ぱっとみ艦上整備(水上機母艦)、沿岸スロープ、未整備海岸発進時
発進準備中の写真あり、希望のカタパルト搭乗時の写真は
残念ながら見当たりませんが概ね全ていい感じに梯子を
(用途に応じて長さを調節した物を)
作成してたというのは確認できます。
ただ整備中の射出器上の整備員が脚立無しで上がってる
写真も同じくらいでてくるので
ケースバイケースなのかと思いますが・・・
過去ログでは似た質問がありこのようなお返事と
書籍の紹介が具体的にされてます。
ttp://www.warbirds.jp/ansqn/logs/A001/A0000072.html
生憎具体的な手順が網羅されてる書籍は
手元にないので確認できませんでした。
参考になれば
ももんが
| 1384 |
いつもご教示頂きまして有り難うございます。 WW1〜戦間期において主力艦として「戦艦」と「巡洋戦艦」を両方保有したのは旧日本海軍と英海軍だけだと思いますが(ドイツ海軍は「戦艦」・「大巡洋艦」と分類しているのであくまで「『戦艦』と『巡洋艦』であり『巡洋戦艦』は存在しない」と理解しています)、この両者はそれぞれの海軍内で軍艦の「格」として同格と扱われていたのでしょうか?それとも「戦艦>巡洋戦艦」だったのでしょうか? 例えば、旧日本海軍ですと艦長を任命する際、原則として艦の「格」により 戦艦・正規空母:古参大佐 軽空母・重巡洋艦・軽巡洋艦:比較的新参の大佐 駆逐艦:中佐または古参少佐 が当てられるなど差があったと聞いております。 宜しくお願い致します。 Ranchan |
(艦種Aの旧式艦と艦種Bの新鋭艦を比べると...旧式艦のが上、の場合は艦種に格の違いがあると考える。)
【日本帝国】
「格:戦艦 ≒ 巡洋戦艦」
戦艦と巡洋戦艦は船としては同格だと思います。巡洋戦艦って枠がなくなってしまいますが。
「格:戦艦 > 巡洋戦艦」を仮定すると、「格:戦艦扶桑 > 巡洋戦艦天城」なんかも成立するってことですが、この序列「扶桑 > 天城」は不自然です。「格:戦艦 > 巡洋戦艦」という仮定が間違いだったのかと思う次第です。
【イギリス】
時期により序列は異なるのでは?
「格:戦艦 > 巡洋戦艦」(WW1後)
・戦艦(Battleship)=主力艦
・巡洋戦艦(Battlecruiser)=戦艦に準じるが、防御力の点で一段下(特にWW1期の評価)
「格:戦艦 ≒ 巡洋戦艦」(1920年代以降)
1920年代以降、「高速戦艦」と「巡洋戦艦」が呼称レベルで混同された結果、 “巡洋戦艦”と書かれていても実態は戦艦に等しいという事態が生じた。
特に フッド級以降 は「巡洋戦艦」という名前でも、イギリス海軍内部では戦艦と同格の扱いをされていた、と言って差し支えない模様。
https://en.wikipedia.org/wiki/Battlecruiser
の翻訳によれば、
「当時の英海軍の文書では、防護装甲の量に関係なく、速度が約24ノット(時速44キロ、時速28マイル)を超える戦艦はすべて巡洋戦艦と記述されることが多かったが、G3はバランスの取れた高速戦艦であると大方の見方があった。」
Royal Navy documents of the period often described any battleship with a speed of over about 24 knots (44 km/h; 28 mph) as a battlecruiser, regardless of the amount of protective armour, although the G3 was considered by most to be a well-balanced fast battleship.
太助
艦長の格で言や金剛初代艦長中根大佐、比叡第二代艦長加藤大佐、霧島初代艦長舟越大佐はいずれも直後に少将に昇進してますからご指摘の古参大差で戦艦と同格ってコトになるんじゃないでしょうか
駄レス国務長官
×金剛初代艦長中根大佐
〇金剛初代艦長中野大佐
駄レス国務長官
×古参大差
〇古参大佐
駄レス国務長官
巡洋戦艦は元々「battlecruiser」(直訳すると「戦闘『巡洋艦』」)となりますし、日本でも「巡洋戦艦」に分類された艦は筑波型・生駒型・金剛型・天城型と命名が全て一等巡洋艦基準の山岳名です(前者3型8隻は「装甲巡洋艦」として計画されていた艦たちだから巡洋艦基準の命名なのは当然ですが)。
こう考えると
「巡洋戦艦は『超甲巡』『補助戦艦』、あくまで戦艦より格下の『巡洋艦』である」
と位置付けられていたのではないかと疑問に思いましたので質問させて頂きました。
Ranchan
巡洋戦艦はハンマー戦艦はアンビル(金床)で両者相まって「主力艦」を張れるワケですから機能上も同格なんじゃないでしょうか
駄レス国務長官
再度のご回答有り難うございます。
旧日本海軍においては艦隊・部隊・戦隊を指揮する際に便利だから性能・特性によって「戦艦」「巡洋戦艦」と分類し取り纏めていただけで、艦の「格」としてはどちらも「主力艦」だったわけですね。
英海軍もほぼ同様だったのでしょうか?
Ranchan
英米海軍ともCapital Shipで華府軍縮条約で一番の制限対象になっております
駄レス国務長官
英国の場合はdreadnoughtproject.orgの検索窓にCategory:Battlecruiserで出てくるページで艦名を選び、Captains欄で艦長を選ぶと、Service Record欄で役職が分かります。
日本の場合は、拙サイトThe Naval Data Baseの表紙にある日本海軍艦艇一覧で巡洋戦艦を選び、各艦の艦長を検索してもらって人名を検索してもらうと役職が出てきます。
だいたい、長官閣下の仰る通りだと分かると思います。
「書き込み内容に不適切な用語が含まれています」と出てしますのでURLが打ち込めませんでした。面倒ですが検索で出してください。
hush
| 1383 |
戦艦「榛名」についてお伺いします。 戦艦「榛名」は1934年に第二次大改装を終えています。 ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d4/Haruna_1934.jpg/1024px-Haruna_1934.jpg これはその折の公試運転時の姿ですが、一番煙突上部に白帯(のようなもの)が写っています。 まだ艦隊に配属されていないので識別線はないはずですし、そもそも金剛型戦艦の煙突にそんなものが塗装されたことはないと思うのですが、この「白帯」は何なのでしょうか? 宜しくお願い致します。 Ranchan |
ご指摘の部分は第一煙突のちょうどすぼんでいる部分にあたります。
光の反射の加減で白線のように見えていると思うのですが、どうでしょうか
同じ写真の前部砲塔側部などよく似た薄い色に写っていますね
答えになっていますかどうか・・・
ひでぼん
もし白帯が引いてあるとすると艦橋や砲身基部等の各部のキャンバス部よりは白く見えるのではないかと考えます。
ご指摘の部分はキャンバス部より心持ち色が濃く見えるのですが
ひでぼん
同じ様なアングルの「榛名」や姉妹艦の写真を見ても、このような「白帯」は見られなかったので、何か意味がある特殊塗装かこの時だけの臨時の装備があったのかと思いました。
Ranchan
| 1382 |
波二百一型潜水艦の武装について質問です。 7.7mm単装機銃を搭載する意味はあったのでしょうか? 戦争末期じゃ25mm機銃では能力不足だと、判明しているのに それよりさらに小口径・短射程の7.7mmじゃ、戦闘機を撃ち落とせるとは到底思えません。 それどころか水中での抵抗という影響もあるでしょう。 もういっそのこと、最初からつけないほうがよかったので? 天手力男 |
特攻用として建造されたようですので、上陸部隊の後方に擱座して銃撃するというような構想だったのかもしれませんし、これ以上大型の機銃は収容できなかったのかもしれませんね。
hush
対空防御と小型艦(駆潜艇や魚雷艇等の駆逐艦以下)への対抗手段で
不測の事態で潜航できない場合のお守りみたいな位置づけだったはずです。
潜航できるなら最優先で潜るでしょうが何かの事情で修理中などに
敵にみつかった場合にはあるとないとではわずかながらに
結果を変える可能性があるとおもいます
それならば許せる範囲で許せる装備をつけるのが適切かと思います。
ももんが
フォロー多謝。
hush
| 1381 |
魚雷の「斜進装置」(で、いいのかな?)は、どういったものかはある程度理解しているつもりですが 1920〜1930年代辺り?の各国の潜水艦を紹介したの記事で「魚雷の斜進装置が開発出来なかった為に 旋回式?の発射管を搭載した」と言う文章をうろ覚えですが見掛けた記憶があります こういった斜進装置を「開発出来た国」と「開発出来なかった国」はどこなのでしょうか 陸奥屋 |
ただ、潜水艦で旋回式発射管を装備したのはフランス以外では日本のローブーフ型、ならびに海中1型とオランダのKV級級ぐらいしか思いつきませんので、可能性があるのはフランスかなと思います。
ただ、シュルクーフも旋回式発射管を持っていますが、これは通商破壊用に小口径のものを装備したと説明されていたように思いますし、この時点まで斜進装置を開発できないというのは考えにくいと思います。
オランダ艦はイギリスの設計ですので、フランスが出遅れたのかなと思っております。
hush
hush
有り難うございました。
個人的にもフランスとオランダはそうなんじゃないかと思ってるのですが・・・。
少し質問があやふや過ぎたのかもしれません。
陸奥屋
| 1380 |
麻薬密輸船・海賊船・密漁船などの小型高速船を停船させる方法として、ドローンから網を投下してプロペラにからませるシステムを考えているのですが、網の投下による強制停船の成功例はあるのでしょうか? 〇 1999年3月の能登半島沖不審船事件では、護衛艦から網(体験航海時の緑色の転落防止ネット)を投下し、海面に漂わせて不審船のスクリューに絡ませようとしたが、回避され失敗しました。 〇 先日アメリカ海軍がベネズエラの公海上で麻薬密輸船を銃撃したそうですが、日本ではとてもできそうになく、また、並走する取締船から乗り移る方法は危険過ぎるので、新たな方法を考えています。 PIAT |
調べてみるほうが早い気がします。
下手に作成して特許侵害で訴えられたら最悪人生詰む気がしますが。
ももんが
ロープを内蔵したミサイルにより、領海侵犯船の前程に展張し
スクリューに巻きつかせて、領海侵犯船の行動の自由を奪う。
という特許は既にありますので停船事例は他の方にお任せしますが
材質、展開密度次第では有効性はあると思いますが
「他国では拿捕は当たり前、武力行使が普通」ですので
ニーズや商業的に成功できるかは微妙かと思います。
ももんが
早速WIPOで「停船」と検索したところ、ご紹介のあった特許が見つかりました。
私のアイデアとは少し違いましたが、同じような考えをする会社があると知り、心強い思いがしました。
特許侵害等に気をつけて研究したいと思います。
PIAT
| 1379 |
私の友人のEugen Pinak氏が見つけた https://youtu.be/mOpNRsLZUBU?t=98 の1分38秒付近から登場する艦は北上か大井の重雷装艦当時のものと思われます。 ただ、登場する1式陸攻は1943年10月1日に編成された第732航空隊のコード「32」をつけており、1943年9月から1944年1月にかけて製造された後期11型だそうです。 しかるに、北上と大井は1942年8月〜9月に高速輸送艦に改装され、四連装魚雷発射管は6基に削減され、計24基となったというのが一般の見解ですが、この動画の艦は10基搭載しているようです。 もちろん、時期が異なるものを編集した結果ということもあり得るのですが、これに対する整合性のある回答があれば御教示いただきたいということでした。 よろしくお願いします。 hush |
一瞬特撮じゃないよな?と思ってしまいました。
重雷装艦や重巡洋艦「青葉」の戦時中に行動している動画なんて・・・。
特に重雷装艦は、少なくとも自分は写真ですらその全姿を見たことはありません。
Ranchan
ありがとうございます。
あれは青葉なのですね。もし、衣笠だったら「時期が異なるものを編集した結果」という可能性が高まるので、かなり重要だと思います。このため、その同定の理由を御教示いただければ幸いです。
私は艦名についてはそれなりの知識は持っているつもりですが、写真の同定については素人です。煙突が揃っているから大井だろうというPinak氏の説明にそんなものかと思う程度です。
動画の最初のほうのナレーションが何語であるとかも分かりませんし、何か情報があれば書き込んでいただければと思っております。
hush
また、動画をアップされた方は上掲の動画のショート版もアップしており、そこで字幕が(恐らく自動で)おこされていますが、最初の単語を検索してみたところインドネシア語の「軍隊」という意味であることが分かりました。
勿論字幕に関しての品質保証はできませんし、何より私はインドネシア語は分かりませんので参考までに。
知ったかぶり
×:軍隊
〇:軍人
失礼いたしました。
知ったかぶり
ありがとうございます。
https://x.com/eugenpinak のほうは別にされていると思います。もっとも、私はツウィッターのアカウントは私のHPに表記してあるブルースカイしかないので、よく分かっていません。
インドネシア語ですね。一部文字を翻訳サイトにかけて確認しました。しかし、字幕がそのまま日本語に翻訳されるのですね。凄い時代になっているのですね。
hush
>その同定の理由を御教示いただければ幸いです。
1分56秒時の重巡を見ると青葉型重巡であることは明白ですが、前檣が三脚である青葉型重巡は「青葉」です。
('42年10月11日のサボ島沖海戦で倒壊した前檣を修理した折付け替えた)
「衣笠」はほぼ開戦時のままで戦没したと言われていますので、前檣は単檣のままだったと思われます。
Ranchan
ありがとうございます。
そういう面では無知ですので、そういう見分け方があるとは存じていませんでした。
お手数をおかけしました。
hush
https://x.com/arsenic_arsenal/status/1957829357306581270
もっとも、私はアカウントを持っていませんので中身は分かりませんが、多分、もうよいようです。
また、 https://archive.org/details/hiduplah-indonesia でオリジナルの動画が見られるそうです。
お二方にはご協力いただきありがとうございました。
hush
今月号の「世界の艦船」(2025年11月号・No.1049「艦対地攻撃」)に当動画よりのキャプチャー写真及び説明が掲載されています。
そりゃそうだよなぁ・・・極めて貴重な動画だもん。
Ranchan
| 1378 |
戦時中の中立国の兵器購入についての質問です。 中立国のポルトガル砲艦「「マカオ」は1943年に日本海軍に引き渡されていますが 支払いはどういった経緯を辿ったのでしょうか。 「(よく知らないけど)こう思う」とか「聞いた」「ネットでは」「AIでは」では無く 公言されている資料を基にした回答をお願いしたく思います。 陸奥屋 |
「戦時中の中立国の兵器購入」では無く
「(日本が)戦時中の中立国からの兵器購入」の支払いのお話です。
陸奥屋
Já há muito tempo que os nipónicos vinham cobiçando a nossa lancha-canhoneira e em 1943 a falta de arroz era tão premente que conseguiram que o Governo de Macau lhes entregasse o navio em troca de dez mil sacos de arroz, de sessenta quilogramas cada, o que perfez seiscentas toneladas de arroz no valor de um milhão de patacas.
日本人は長年、私たちの砲艦を欲しがっていました。1943年、米不足が深刻化したため、マカオ政府は1万袋(1袋60キログラム)の米と引き換えにその船を日本側に引き渡すことを承諾しました。これは合計600トンの米に相当し、その価値は100万パタカに上りました。
ジョゼ・フェレイラ・ドス・サントス著「第一次世界大戦におけるポルトガル海軍の艦船」(海軍兵学校、2008年)からの抜き書きだそうです。
hush
なお、元の文章があると思しきURLもあったのですが、PDFが重すぎたせいかDLできませんでした。
本の原題は“Navios da Armada Portuguesa na Grande Guerra” (Academia da Marinha, 2008), da autoria do Comandante José Ferreira dos Santosです。
hush
hush
有り難うございました。
なるほど、本国政府とのやりとりでは無く、マカオとの交渉でしたか。
陸奥屋
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『大本営会軍部・連合艦隊<4> 第3段作戦前期』の554頁には、1943年9月のY作戦計画時に展開可能な航空兵力の見積もりがありますが、第1航空戦隊の配備数の根拠(特に艦攻)に関して、教えて頂けないでしょうか。下記の数値です。 ・第1航空戦隊 戦闘機:75機 艦爆:45機 艦攻:59機 艦偵:6機 このうち、戦闘機は3空母の定数として、艦爆はろ号作戦の進出兵力から2空母の実数として、根拠を想像しています。また艦攻に関しては、定数(42機)から17機多く、どういった理由で、作戦資料としてこういった機数になったのか、想像が及びません(合計数は185機で、自分の理解する定数よりも多いですが、少ししか違わないので、そういうこともあるかな、という漠然とした理解で納得しています)。 空母艦載機は、定数や、配備数で、その時その時数値が異なり、切り取って、これがこう、というのは違うのかも知れません。ただ、この時点の作戦計画の資料として、この数値が出てくる以上、何かしら元となる根拠があると思っており、それを知りたく質問しています(この段階での配備数がこうだった、ということでしょうか)。 お忙しいところ恐縮ですが、教えて頂けますと幸いです。 タバスコ |
基地航空隊や第2航空戦隊が定数と思われる数値(2航戦の水偵も気になるのですが)を書いているのに対して、第1航空戦隊の数値は実数が混じっているように思われ、そのなかで艦攻の数値がイメージできなかったので質問をしてみました。
また何かございましたら、よろしくお願い致します。
タバスコ
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下記は米国戦略爆撃調査団文書空襲損害評価報告書に添付された1945年4月12日の呉軍港の偵察写真です。 https://dl.ndl.go.jp/pid/3984479/1/4 これと3の写真に写っている左下の艦については、 https://h7.alamy.com/comp/2JHHYYF/kure-japan-before-it-got-its-arsenal-well-kicked-by-pinpointed-b-29s-on-22-june-1945-made-heavy-armaments-for-japanese-navy-2JHHYYF.jpg に榛名と記されています。 多分、 https://dl.ndl.go.jp/pid/3984473/1/34 にHarunaとあるためのようですが、私には伊勢級に見えます。 https://dl.ndl.go.jp/pid/3984473/1/56 から58のように推定される艦名もなく、冒頭の写真の同定ができる方はおられないかと思って書き込ませてもらいます。 hush |
榛名は2月か3月から6月までずっと同じ丁錨地にあり、その間に伊勢、日向は別の場所で確認されています。
米軍も3月28日の偵察評価では「航空戦艦に改装中の榛名」としていますが、もちろんそうしたことはなく、艦尾付近に小型ポンツーンがつけられていたとのことです。
片
ありがとうございます。
榛名、伊勢、日向の俯瞰写真の比較図を作って、眺め続けた結果、件の写真に後部砲塔が薄っすら写っているのに気が付きました。
御協力感謝申し上げます。
もし、他の艦艇でお分かりになるものがありましたら、ついでの時にでも御教示いただければ幸いです。
hush
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軍艦の進水式について質問させて下さい。 進水式が行われるより前に艤装員長、艤装員等が発令されてる場合、これ等の方々は進水式に参列されるのでしょうか? また、参列する場合、式の時や奉迎、奉送の時はどこに立たれるのでしょうか?(アジ歴等で図等を見ましたがいまいちよくわかりませんでした) 2199! |
実際、 https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C08020923100 の文書を見ると「浜風午前十時無事進水せり」と、浜風艤装員長(竹内正少佐)名で飽の浦電信局から10時20分に発信されています。
そこから考えると、艤装員長は進水が見られる位置にいたわけですが、民間造船所が発注者である海軍の軍人を式典に招待しないわけがありません。したがって、艤装員長は式場の貴賓席にいて、伝令を電信局に送ったのだろうと思います。
海上自衛隊は進水前に艤装員を発令していますが、やはり貴賓席に並ぶのではないでしょうか。
hush
アジ歴で調べた範囲では招かれた方々もある程度立ち位置が決まっていた様ですが(招待券の種類や身分等で分かれている感じでした)、艤装員等がどこに分類されるのかいまいちよくわかりませんでした。
この点について何かご存じでしょうか?
2199!
艤装員がいるとしても、それほどの数ではないと思いますが、将校ですので、皇族がいる場合はそうなるのではと思っています。
hush
2199!
2199!
長門の時を見る限り、同じ桟橋を使ってるので名前を変えて書いてるだけで同じ桟橋なんでしょうか?
長門の場合では立ち位置はニですかね?
2199!
あとはお任せします。
hush