ちょっと気になると夜も眠れない。 艦船関係 Ans.Q どうでも良いことなのに…、誰か助けて! |
1337 |
日本の巡洋艦の艦名は山岳や河川から採られますが、これらの名前にも、戦艦における同型艦同士の繋がりのようなもの(伊勢・日向で天照大神繋がり等)は存在するのでしょうか? Volgograd |
球磨と多摩は音の類似から。
愛宕と高雄はともに京都近傍の山。
駆逐艦ですが、綾波、磯波、浦波、大波はあいうおで始まる言葉+波
百人一首+暗号で調べてもらうと、百人一首が言葉の重なりで他の歌と繋がっていることが分かると思いますが、今なら駄洒落ですかと思われるような言葉遊びを尊ぶ文化があったわけです。
命名権者の明治天皇は歌人でしたので、そういうことが生じたのでしょう。
hush
また、開戦時の我国の戦艦名は57577となっているのは有名です。
英国では、c級軽巡やd級軽巡を挙げられます。
言葉遊びかユーモアか、それとも軍事的な意味があるのかは知りませんが、結構あるようですね。
失格
八百島・五十島 数字と島つながり(海防艦より二等巡洋艦に艦種変更)
・・・なんぞは如何でせう
駄レス国務長官
練習巡洋艦は、香取、鹿島、香椎、橿原と「か」で頭を揃えてもいますね。
C、D型だけでなく、E型もですね。Emerald、Enterprise、Euphrates。
>3
忘れておりました…。
hush
天城、赤城、愛鷹、愛宕も頭揃えですけどそこは
駄レス国務長官
閣下、あれは巡洋戦艦でございますし、愛鷹は高雄となりましたので、あえて触れておりませぬ。
hush
Ranchan
金剛級が1931年に戦艦に類別されたことから、戦艦の範疇に容れてもよろしいのでは。
http://www.warbirds.sakura.ne.jp/ansqn/logs/B002/B0000991.html
で長官閣下が仰るように、装甲巡洋艦として計画されてはいますが。
hush
私の質問が不明瞭で申し訳ありません。金剛型や筑波型・鞍馬型などの巡洋戦艦・装甲巡洋艦は、この場においては巡洋艦の括りでお願いします。
ところで、個人的には妙高型と高雄型の繋がりが気になるのですが、何かご存じの方はいらっしゃるでしょうか。
Volgograd
>妙高、足柄級
すべて山岳信仰のある山ですね。
hush
失礼しました。
hush
>山岳信仰
それはその通りなのですが、山岳信仰自体は日本に多数あります。その中から選ぶからには、何かテーマがありそうだと思う次第です。
Volgograd
1336 |
「レッドサン・ブラッククロス」というボードゲームが存在します。 ここに登場する架空艦についてなのですが、 播磨級:播磨・能登・美濃 出雲級:出雲・讃岐 常陸級:常陸・上総 (なお、加賀・紀伊・尾張・甲斐は既に使われている。) となっているのですが、これら艦名の関連性が分かりません。何か知っている方や閃いた方は教えてください。 あぼっけ |
頓馬天狗
おうる
1335 |
日本における戦艦の命名規則についての質問です。 「越後」「上総」など、前後や上下といった言葉の入った旧国名は戦艦に使われない(「肥前」「丹後」は戦利艦なので別)という話をネット上で見かけました。 しかし、これが何らかの根拠あってのものなのか、単なる推測なのか、恥ずかしながら確認できませんでした。 ですので、この法則に根拠はあるのか、あるとすればその資料は何か、ご存知の方がいらっしゃれば、何卒この二つについて教えていただけないでしょうか。 浪川 |
また、艦艇の命名基準というのは1905年8月1日に定められたとされるのですが、その第一着として、相模、丹後、阿蘇、宗谷、津軽、翌9月に肥前が命名されています。
もし、そういう都からの遠近でつけられる前後や上中下の文字のつく国名はつけないという規則があったのなら、最初から破っていることになると思われます。
後付けで考えた根拠だと思っております。
hush
hush
「薩摩」「石見」「日向」「長門」「土佐」・・・
有名な戦艦ですが、艦名となった旧国名は「中国−遠国」ランク(全16ランク中12番目)ですものね。
個人的には「大和型戦艦が計画通り量産されていたら、『武蔵』以降の艦はどう命名されたのだろう」との点に興味を持っております。
「大和」「武蔵」「紀伊」「尾張」「常陸」(徳川御三家)とかかな・・・とか妄想中。
Ranchan
常陸は常陸丸を思い出しますからね。
あと、信濃の姉妹艦の艦名が伝わっていないのに、798-9号艦の艦名が伝わっているというのは不思議に思っています。
hush
こちらのYahoo知恵袋によると「肥前・肥後、越前・越中・越後などは人為的な区分で趣がない」との理由から、明治の太政官令によって候補から除外された、とあります。(戦利艦は鹵獲地点や修復した工廠、古戦場に因むため例外であるとのこと)
しかしこれ以外に出典を示したソースが見当たらず、「明治の太政官令」も見つけられないで居るので、ご存じの方は教えてください。
Andow
だいたい、それでいったら、東や陸奥はどうなるのだろうと思いますし、本居宣長が申していますように日の本というのは中国の東という位置を表す語ですが。
「明治の太政官令」というのは、その中のどれかを指すのでしょうが、何を指すのかは存じません。
hush
それらを差し置いて「土佐」(中国−遠国)が選ばれていますし・・・。
艦名とするに相応しい謂れがあれば「大国」「上国」などの「国のランク」は気にせず命名してたのかな・・・という気も。
>4
「常陸丸事件」がありましたか・・・。
じゃあ797号艦は「駿河」(上国−中国)かな。
Ranchan
大和型三番艦に関しては、空母への変更に関わらず「信濃」であった、と聞きます(加賀
浪川
ほぼ確実なのは、2隻で対になるように命名することです。
土佐は加賀と南北軸、長門と陸奥は本州の両端、赤城と天城は艦名の類似というように多数の例がありますが、3、4番艦については、高雄(予定艦名愛鷹)、愛宕というように、それぞれのペアが優先されるように思います。
常陸丸は次代も沈んでいますから、民間船とはいえと思っております。
hush
すいません、途中送信です。
大和型三番艦に関しては、空母への変更に関わらず「信濃」であったと聞きます(加賀などと同様)。
無知を晒すようで恐縮ですが、この辺りについてもご享受お願いします。
また、一一一号艦並びに七九七号艦の艦名の予想についても、重ねてご協力いただきたく存じます。
浪川
軍艦は海軍大臣が艦名を選定し天皇が治定するものですので、一度、決まった艦名が変更になることはあまりありません。その数少ない例が、大鯨から龍鳳となったケースです(他に、安宅となった勿来の例があります)。したがって、信濃も戦艦としての候補艦名ではなかったと思っております。
もっとも、雲龍級の大量建造により空母らしい艦名の払底が予想されることから1943年に空母の艦名に山岳名が追加されていますが、国名も追加されたという文を読んだ記憶があります。今、調べてもどこに載っていたのか分からないのですが、これが本当なら、その一環として命名されたとも考えられます。というのは、大鳳級も大量建造が予定されており、その艦名も困ったと思うからです。
一応、信濃の命名は1944年7月1日と空母に改装中のことですので、上記のことに関しては推測でしかありません。
したがいまして、「無知を晒す」も何も、こちらも砂上の楼閣ですのでご安心ください。
なお、111、ならびに797号艦については、現状、何の情報もなく、推測以前となりますので、私は遠慮させていただきます。
hush
学研本48「日本軍艦発達史」P158に
「四隻の『大和』型戦艦が起工された。
このうち『大和』『武蔵』が竣工し、『紀伊』は航空母艦『信濃』と改名、改造されて竣工した。
しかし『尾張』または『飛騨』と命名されたであろう四番艦は、開戦により工事が中止され解体された。」(遠藤 明氏著)
とあるのですが、文中の110号艦「『紀伊』→『信濃』」、111号艦「『尾張』または『飛騨』」の根拠は触れられていません。
>11
>信濃も戦艦としての候補艦名ではなかったと思っております。
確認させて頂きたいのですが、上文は「信濃も戦艦としての候補艦名ではなかった『か』と思っております。」が正しく、「か」が脱落しているのではないでしょうか?(文意が逆転してしまうので・・・)
Ranchan
>「か」が脱落しているのではないでしょうか?
謹んでそのように訂正させていただきます。
肝心要のところで逆になるところがあって、どないしましょうと思っています。
>紀伊、尾張、飛騨
遠藤先生が仰ることですので、何かあるんでしょうね。
hush
「紀伊」「尾張」はともに「上国−近国」(全16ランク中6番目)の徳川御三家なので大和型戦艦の艦名に相応しいと思うのですが、なんで「飛騨」(「下国−中国」、全16ランク中15番目)が出てくるんでしょう?
「播磨」「駿河」「甲斐」とか、他に幾らでもあると思うのですが。
Ranchan
飛騨地方には「飛騨の口碑」なる伝承があるらしく、それは「日本で最初に海から浮かんだのは飛騨地方(の乗鞍岳)である」というものだそうです。
また他にも天孫降臨や天照大神の伝承も存在し、加えて縄文時代の遺跡も見られることから「飛騨王朝」なる説も存在するそうです。
「紀伊」「尾張」ならば徳川御三家で説明がつきそうですが、「紀伊」「飛騨」パターンの場合、飛騨側にはこの辺の伝承が絡んできそうです。
(付け加えるなら、飛騨の両面宿儺と、紀伊の金平鹿の鬼つながり。ただ両面宿儺は寧ろ信濃の建御名方神の方が馴染む気がするのが課題。)
Volgograd
ご教示有り難うございます。
ランクの低い国ですが、「飛騨」には「伊勢」「日向」の場合と同様日本神話上の重要な伝承があったんですね。
Ranchan
仮に「日本軍艦発達史」の説を正しいとした場合、一一〇号艦の名前をわざわざ信濃に変更した理由は何なのでしょう。
浪川
「紀伊」の名前は別の戦艦に使いたかった、等でしょうか?
命名時はまだ松代大本営の計画はなかった筈ですし、格式のある紀伊の名前は取っておくつもりだったのでしょうか。
Andow
>一一〇号艦の名前をわざわざ信濃に変更した理由は何なのでしょう。
hush様ご指摘のように「2隻で対になるように命名する」からではないでしょうか。
同型艦がもう確実に生じない「航空母艦110号艦」なら、以前より「尾張」とペアと見做されている「紀伊」より、日本の中心に位置し上国であり、かつ適当なペア国のない「信濃」という艦名が相応しい・・・というのはいかがでしょう?
Ranchan
1334 |
近代戦艦は皆二重底になっています。しかしアメリカのノースダコタ級、アイオワ級は三重底になっています。これらは、艦底での魚雷、機雷の爆発に耐えることを目的としたようです。日本の大和級では従来の二重底です。無理に三重にしなくても二重でよい、というのが建艦当局の考えだったようです。 私は少し意地悪に考えています。すなわち、リベットで三重底を作るのがは面倒だからそれを避けたのではないでしょうか。二重ですとT字型の接合線が現れますがリベットでも何とか工作できます。三重にすると十字型の立体的な接続部分が現れますので結構面倒な気がします。溶接ならもっと簡単なのですが、日本海軍は重要部分はリベットでないとダメとしていました。アイオワ級は溶接が主だったので楽にできたのでしょう。 電気戦艦 |
Ranchan
電気戦艦
「中心からズレたところ」を「舷側に近い部分」に改めます。推進軸は4本ありましたから、この表現ではまずいです。
電気戦艦
また、確かアイオワ型の後期艦は2重訂にした筈です。理由は不明ですが、3重底採用の大きな原因である艦底で起爆する魚雷の開発失敗があったのかもしれません。
インターネットではなく、伊藤正徳氏、黛氏、牧野茂氏等の著作、記事によります。
老人
>アイオワ型の後期艦は2重底…魚雷の開発失敗があったのかもしれません
実際には1939年の水密試験で水中防御力の不足が発生し、設計を改めた結果だそうです。
ところで、また、ハンドル・ネームがおかわりになったようですが。
hush
老人様 ありがとうございます。しかし因果関係に少しズレがあります。信濃を空母にすると決めたので、対戦艦は考慮せず、重巡からの20cm砲弾に耐えればよい、ということで舷側装甲厚を200mmにしました。(では既にあった400mmの厚い装甲板は、どうなったのかについて何年か前に本欄で質問したことがります。結局再加熱して圧延し直したのでしょう)。
>5/
hush様 ありがとうございます。 アイオワ級の舷側内部にある傾斜装甲板の先端が艦底に接続される部分に弱点があることが実物大試験でわかったので改良したようですが、詳細を現在自分は知りません。何かリベットと溶接の比較があったらしいので、もう少し調べてみましょう。
電気戦艦
ここで「溶接とリベット」とあるのは勘違いですから取り下げます。溶接部分周辺に魚雷爆発時の圧力で割れが入ることを心配したようです。Wikiを読んでも図面が全くないので、詳しいことは理解できませんでした。すみません
電気戦艦
5.>4 水中防御力の不足が判明したことで、3重底を2重底にするというのも変な話ですね。
痴呆の老人ネーム変更
松本氏の著書によれば、起工してしてまもなく機関部の防御強化のため、設計を二重底の強化と一部の三重底化がなされたのであり、全てが三重底になっているとは言えないと思います。具体的なことは、この本だけではわからないのが現状です。
電気戦艦
但し、これらは四角の枠にきされた本来の質問とは無関係。従って、これ以上は止め。
痴呆の老人
ありがとうございました。いつか「世界の艦船」のバックナンバー見る機会ありましたら探してみましょう。
電気戦艦
それもそうかと思ってアメリカ人の研究者に聞いてみました。
1939年の水密テストの結果、アイオワ級の装甲が下まで伸びているので、魚雷命中時にその装甲の硬さで艦内を破壊してしまう。このため、ノース・カロライナ級のように途中で止めたほうが魚雷防御上有利となった。そして、二重底への変更は、そのために空隙部を増やすためではないかということでした。
もっとも https://www.navsource.org/archives/01/016613.jpg の写真のキャプションには三重底とありますので、二重底は単なる計画だけの話だったのかもしれません。
hush
興味深い写真ありがとうございました。ほぼ真ん中左寄りに装置があります。これは電気溶接用の電流制御用の装置と思われます。装置の左右に電力ケーブルが見えます。
傾斜舷側装甲板と三重底上部との結合に問題があるとされているようです。魚雷防御の観点からは、爆風により対応する隔壁が風船のように膨れ尚且つ三重底との結合が十分ならいいわけです。しかし、サウスダコタ級やアイオワ級のように傾斜装甲板の最下部が2インチ近くある場合は、剛性により三重底の上部水平面が曲げで引きちぎられる恐れを問題にしたのかと想像します。
電気戦艦
より分かりやすくしてもらい、ありがとうございます。
ご存知かと思いますが、アメリカ艦艇の写真なら https://www.navsource.org/archives/ で、網羅的に出てきます。
hush
大変役に立つ写真集の紹介ありがとうございました。戦艦のところざっとみまして気づいた面白いところ書き出しました。
1. アイオワ級の完成した4艦は、リベットと電気溶接が共用されていることが明記されています。モヤモヤしていたのではっきりしてよかったです。後続のイリノイとケンタッキーは全溶接で計画されていました。イリノイは1945年1月に起工したということです。アメリカの余力というか、官僚主義で決めたことはやるという態度が伺えました。
2. ノースカロライナの起工式の写真に巨大な馬蹄形の鋼製の装置が写っています。これが水圧(油圧ではありません)リベッターです。大型の部材を太いリベットで止める時に使います。日本の造船業では使用例があるかどうかわかりませんが、ボイラ製作には使われました。日本の造船業ではリベット手打ちから空気リベッターに一挙に替わったと思われます。
3. モンタナ級の水中防御システムはノースカロライナ級によく似ています。サウスダコタ級、アイオワ級の舷側装甲の艦底への取り付けかたで不安があったのでノースカロライナ風に先祖返りしたのでしょう。
電気戦艦
お役に立てたのなら幸いです。
hush
1333 |
日本海軍艦艇の炭酸ガス発生装置と火災消火方法について質問です。 これまで海軍艦艇で作られたラムネは酸素魚雷用の酸素発生装置の副産物で出る炭酸ガスで作られているものと理解しておりましたが、ラムネは魚雷を積んでない戦艦でも製造されています。 また、ネットで調べてみると「戦艦大和には消火用の炭酸ガス発生装置が積まれていて、それで得られた炭酸ガスでラムネを作っていた」という記事を見つけました。また一部には消火用の炭酸ガス発生装置について「窒息消火」という言葉が添えられている物もありました。 しかし、艦内で炭酸ガスを充満させて酸欠で消火させる窒息消火は非常に危険です。炭酸ガスは目に見えませんし、火災区画以外に炭酸ガスが流出すれば乗員を二酸化炭素中毒や酸欠で死に至らしめる危険もあり、また火災区画だけとはいえ艦内を二酸化炭素で満たすには相当な量の炭酸ガスが必要になると思われます。 美術館や博物館などで不活性ガスによる窒息消火システムがあるのは知っていますが、軍艦で炭酸ガスによる窒息消火が行われるとはにわかには信じがたいものがあります。炭酸ガスが消火に使われるとすれば消火剤の噴射や石鹸水の発泡に使われる程度だと考えますが、実際のところどうだったのか気になり質問させていただきます。 1.戦艦等に搭載された炭酸ガス発生装置はどういうもの? 2.炭酸ガス発生装置で得られた炭酸ガスの用途は消火とラムネ製造だけ?(一部に冷媒ガスとして使われていたという記事を見つけましたが、冷媒ガスは密閉されるから炭酸ガス発生装置から補充する必要まではなさそうな・・・) 3.消火の際の炭酸ガスの使い方は本当に窒息消火? 以上、よろしくお願いします。 おうる |
というのは、1920-60年代では炭酸ガスを用いる方式しかなかったようだからです。
詳しくありませんので、とりあえず調べたことだけ。
hush
回答ありがとうございます。
質問した後も少し調べてみました。
二酸化炭素消火装置が発明されたのは1914年のアメリカで、日本が二酸化炭素消火装置の国産化に成功したのが1933年。
船舶安全法が施行されて船舶に消防設備の整備が義務付けられ、軍艦を含め国内にも二酸化炭素消火装置が普及。
ただし、軍艦に搭載された消火用の二酸化炭素発生装置なるものは見つけられませんでした。
長門以前は戦艦も魚雷を装備していたので強力なコンプレッサーを装備していました。また、火薬庫の冷却に炭酸ガス式冷却装置が用いられていました。昭和5年版の日本海軍の教科書を見ると、コンプレッサーで45気圧以上に圧縮した空気を10℃に冷やすと液化炭酸ガスが抽出できるそうなので、コンプレッサーから副産物として液化炭酸ガスを抽出していたのではないかと推測していますが、確証が得られません。
おうる
1332 |
https://toyokeizai.net/articles/-/822419 上記のリンクは第二次大戦時の日本の潜水艦の弱点を書いた記事です。その中で空調の不備のため2日間しか潜航出来ないというのが有ります。空調の不備の原因とは具体的にどんな技術的不備が有ったのでしょうか? まさのり |
というかそんな何日も潜れる潜水艦なんて原潜くらいかと。まず中の人間が吸う酸素が持ちません。(原潜は大量に電気が使えるので海水を電気分解して酸素を生成できるのですが)
シュノーケルを用いれば潜水しながらの吸排気は可能ですがこの記事ではそこには触れてませんしやはり当時の潜水艦で潜航しながらというのは無理かと(現代はどうなのか?と問われると答えられないのですが……)
私は潜水艦に特段詳しいわけではないのですがこの記事はあまり真に受けないほうがいいかと
豆戦車マン
もちろん、意識を失くした状況が続けば死に至ります。
ところが呂108で8時間の潜水実験を行ったところ、発令所で3.05%まで上昇したそうです。
このため空気清浄装置を装備していましたが、艦内に送る電動ファンの騒音が大きく、発熱量も多く艦内温度がかなり上がったそうです。
また、シュノーケルなど持たない当時の日本の潜水艦は長時間の潜航は考えていませんでしたが、レーダーの普及とソナーの進歩により長時間無音潜航を余儀なくされています。
特に伊44は39時間15分もの潜航を行っています。
にもかかわらず、炭素濃度測定器も1943年になってようやく配備されただけで、ようやくアルカリセルロースによる応急清浄に成功しましたが、量産計画中に敗戦となっています。
もちろん、その他のガスも発生するわけですが、中には冷房用のフレオンの不足から冷媒にメチルクロライドを使用したため、漏れて乗員の大半が中毒したケースもあります。
hush
まさのり
>日本の場合発電機等の電気系の装置に問題が有った
遣独潜水艦を見たUボート関係者の感想に、「日本の潜水艦は軍楽隊を乗せているのか」というのがありました。
向こうにしてみたら、こんな歯車やベアリングで航行していたら音を立てるのは当たり前で、すぐに見つかるということでしょう。
これは、ドイツと日本で工作の精度が一桁か二桁か違うからです。
そもそも、日本の工作機械で精度がいいのはアメリカやドイツの輸入品ばかりで、国産品は劣っていました。
そういう中で艦内に送る電動ファンの騒音が大きいとわざわざ国内の記録に残っているぐらいですから、論外の品だったということでしょう。
>冷媒用、フィルター用の資材が足らなかった
何もかも足っていません。
そういう類はほとんど輸入品だったのではないかと思いますが、戦争はそれを止めてしまうわけですから。
あと、日本は世界の天然ゴムの8割を占めていたマレーシアとインドネシアを押さえたのに、艦船用の防振ゴムの研究は戦時中の1942年からでした。
それもドイツの情報を得てからでした。
hush
まさのり
第2に、50年程前の世界の艦船の居住特集に記された旧海軍の潜水艦の居住関係者の記事では、炭酸ガス吸収剤等の遅れは記されていますが、空調機器の遅れについては記されていません。そんなもの、実質無いに等しいようです。常時、湿度100パーセント、32℃以上のようです。
読書人
お書きになられたハード面とソフト面は当該記事にすでに書かれており、その上で「いずれも日本潜水艦がアメリカ海軍の攻撃をかわせなかった、逃げ切れなかった理由でもないからである」と書かれているのは御存じでしょうか。
あと、アメリカの空母打撃部隊の編成に原子力潜水艦が含まれているのは、空母を守るためと思っていましたが、これは間違いでしょうか。
なお、 https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6%E5%8F%B2-1979%E5%B9%B4/dp/B000J8CW8G に掲載された伊藤信義軍医大尉の記録によると、潜航後3時間で兵員室の温度は33度、5時間後の湿度は85%で、浮上するまで続いたとあり、潜航12時間で炭酸ガス濃度は3.24-3.62%となったとあり、軍医にとって、炭酸ガス濃度は関心事だったようです。
hush
1331 |
36cm砲や41cm砲の砲や砲塔って作るのにどれくらいの日数と工数がかかったんでしょうか 46cm砲については探せばあるんですけど36cmや41cmについては見つけることができず…… 豆戦車マン |
誰か答えて下さい。
1330 |
現在、潜水艦建造は米英とも巨大な建物の内部で行われています(アメリカ:コネチカット州グロトン、英国:バーローインファーネス)。日本は、神戸市にある川崎重工、三菱重工とも、屋外で建造されています。その違いはなんでしょうか。米英は冬の気温が大変低いですが、日本はまあまあだからでしょうか。日本の造船所の人に聞きましたら、雪が降れば箒で払えばよい、という感じでした。なお、機密保持のためには屋内がいいと思うのですが、日本の考えはどうなんでしょうか 電気戦艦 |
今はどうか知りませんが、造船所で働きたいという人は少ないと思います。これが、屋内の仕事だったら少しは違うかなとは思うのですが、屋内造船所に移行しようなどという体力のある造船会社は、国内にあるのでしょうか。
ヨーロッパの場合は、労働者の求めるものがシビアですから、屋内造船所にしないと人が集まらないというのが理由ではないでしょうか。
韓国でも日本と似たような状況であり、中国は、多分、もっときつい労働環境ではないかと思っています。
50%あった世界シェアが17%に落ち込み、日本のONEのコンテナー船も中国で造られている現況を考えると、屋内造船所は難しいかなと思っています。
hush
おうる
そうなんですか。
そっち方面の知識はないので御教示いただければと思うのですが、接着とかをするから、野ざらしでは無理とかいう理由でしょうか。
hush
いつも通り事実確認からで申し訳ありませんが。
質問者さんがどの程度の建屋を想定されているのかは判りませんが、国内潜水艦も屋内建造ってことはありませんか?
(米英のは原子炉からの放射能漏れにも対応した特別建屋だ!とかだったらごめんなさいですが。)
すーさんの艦活日記 潜水艦「らいげい」川崎重工業神戸造船所進水 2023/10/17
https://suusan-kankatsu.blog.jp/archives/36303390.html
このサイト掲載の写真をみると、屋内船台から艦体が出てきたように見えなくもないと思うんです、、。
別サイトですが、
https://blog.goo.ne.jp/inoue8652/e/6786430bb3f293aaf417842515394b45
「川崎重工神戸工場の潜水艦船台(神戸工場第1船台)の屋根が一部開いて潜水艦が見えます。」という解説が付いています。
建屋内だと、
・天候による工期遅延が発生しづらい。
・DX化にも屋内が良いらしい。
・クレーンも便利に使える?
など利点が多数あると思われ。
逆に屋外建造であれば、何故?となるのは確かですが、まあ資金面ですよね。潜水艦つくるような造船所は大会社でしょうから屋内化が進み、水上艦は小さな会社もあるので屋外建造もある感じでしょうか。
備考:DX化で欧州造船所の屋内化(水上艦)
欧州の造船業等におけるデジタルトランスフォーメーションの動向
https://www.jstra.jp/PDF/d07555a0162093fcbf0c2910321e8919a72a1552.pdf
BAE Systems の水上艦の建造、修繕、改造は、スコットランドのクライド川沿いの 2拠点(スコッツタウンとガヴァン)で行われ、潜水艦はボロウ・イン・ファーネスで建造されている。
・・・
2021 年末、BAE Systems はグラスゴーのガヴァン造船所の再開発計画を発表した。計画では、既存の建物を全部取り壊し、全造船工程を完全に屋内で行うことのできる複数の新工場を建設する。
太助
ありがとう。事実確認は大事ですね。
ふー
hush
ありがとうございました。造船の仕事は屋外産業の要素が強かったのですが、高度な技術が要請されるようになり、ある意味機械工業に近寄ってきたのかとも思います 私が川重を見学したのは、1980年代で、黒い船体が屋外に座っていたのを記憶しています。ただし実際の建造現場は見ていませんので、質問に書いたように屋外建造と言い切っているのは、やや軽率でした。近くに屋内建造場所があったかもしれません。
北ヨーロッパは気候が寒冷であるので屋内が発達したのだと思います。ドイツには、軍艦ではなく大型船の建造で有名なマイヤー造船所があります。ここは、大型屋内建造ドックがあることで有名で、一号ドックは、470mx102mx60m であり、二号は504mx125mx75mとのことです。今や観光地となっているようです。場所は北西部エムデンに近いところのようですね。
電気戦艦
ご指摘ありがとうございました。FRPの場合、何層も樹脂を塗り固めていくので、途中で雨が降ってきたりすると、表面に凹凸ができてまずいのかな、と思いました。フェロコンクリートの場合も、金網かぶせてはモルタル塗っていくので、屋内でないとまずいのでしょうね。
電気戦艦
英語版Wikipediaを参照されたのかもしれませんが、ドイツ語版およびオランダ語版を確認したところ、(100m拡張した結果)長さ370mになったとありますね。
ちなみにこの有名な屋内造船ドック(1987-)も質問者さんの川重見学よりも後かもしれませんし、当時の川重潜水艦ドックが屋外にあったとしても不思議ではないと感じました。
ドイツ語Wikipediaから抜粋します。
https://de.m.wikipedia.org/wiki/Meyer_Werft
Die folgenden Kreuzfahrtschiffe wurden in dem zur damaligen Zeit weltweit größten überdachten Baudock gebaut, das 1987 in Betrieb genommen wurde.
Die Halle misst – nach einer Verlängerung um 100 Meter in den Jahren 1990/1991 – heute 370 Meter in der Länge und ist dabei 101,5 Meter breit und 60 Meter hoch. Das Dock selbst in dieser Halle hat eine Länge von 358 Meter und eine Breite von 39 Meter.
↓
英語に翻訳。
The following cruise ships were built in the world's largest covered building dock at the time, which was put into operation in 1987.
After being extended by 100 meters in 1990/1991, the hall now measures 370 meters in length and is 101.5 meters wide and 60 meters high. The dock itself in this hall has a length of 358 meters and a width of 39 meters.
オランダ語Wikipediaから抜粋。
https://nl.m.wikipedia.org/wiki/Meyer_Werft
Halle 5 Baudock 1
Lengte 370 m
Breedte 101 m
Hoogte 60 m
Lengte dok 358
Breedte dok 40 m
Kranen 1x 600 ton 4x 30 ton 6x 12,5 ton
太助
更に、これは私の想像ですが、夏季にあまりにも艦内温度が上昇すれば、進水に先立って艦内に装着された電子機器にも悪影響があると思われます。
MKHI
ありがとうございました。 延長後370mが正しいようですね。私が川重神戸を訪れたのは1988年でした。あとせっかくですから、関連感想など書かせてください。
ついでに日本の巨大ドックについて調べてみました。三菱重工が建設し、今は大島造船所のものになっている香焼ドックが幅99mで長さが990mで最大です。もし上物があれば壮観でしょうね。これだけの深さがあると壁上部を歩く時は怖いです。昔のように犬走りがあると恐怖感は緩和されるのでしょう。
バーロー・イン・ファーネスの潜水艦建造工場は、かつての造船用ドックを二つ撤去した後に設置したものだと、何十年か前の「世界の艦船」に出ていました。確か屋内に水は入れず、完成したものはスロープで外部水面に出します。空気を入れたゴム容器で少し持ち上げては横にずらす方法が使われていますが、詳細は忘れました。
BAEのカヴァーン工場の古い施設を全て撤去する計画があるのですが、文化財のことで進捗がとまっているとのこと、興味深いですね。日本でも開発事業で遺跡が出てくると処理に数年から十年かかると言われます。新橋ー横浜で古い土手が出てきましたが、結構時間かかっています。
かつて三井造船玉野を見学した時、海洋構造物専用というドックがありました。陸奥部の擁壁に丸くなった部分が二つつながってありましたので、聞いてみますとやはり古い石積みドックを二つまとめたものでした。
>9. MKHI様
どうもありがとうございました。おっしゃる通りだと思います。
電気戦艦
・2021末:BAE Systems’ Govan shipyard 再開発計画発表(>>4 the current shipbuilding hall at its Govan shipyard in Glasgow expand out to Govan Road.)
・2022 :歴史的な建造物を取り壊すことになるため計画を変更(>>10)。敷地内の湿地を改良し、ここに新工場を建設することに。
・2024 :新工場を”Janet Harvey Hall”と命名。
・2025春:完工予定。
ソースは添付しませんが、大体こんな感じかと思います。なぜ工事中の2024/8/8に”Janet Harvey Hall”と命名されたのかが解らないのに少しモヤモヤします。何か工事のマイルストーンだったのかな?
あとは繰り返しになりますが、屋内造船所の利点は、天候に左右されない操業(工期短縮)とDX(少し意味が違うかとは思いますがロボットの導入など)に言及しているサイトが多かった印象でした。〆
太助
溶けた鉄に酸素が触れると酸化して強度が落ちてしまうため、電気溶接では溶接している時は溶けている鉄に不活性ガスを吹き付けて酸素が触れないようにしています。
しかし、風があるとその不活性ガスが飛ばされてしまい、溶けた鉄に酸素が触れて酸化してしまうため、溶接の品質が保てないのです。
したがって電気溶接は屋内でやるか、屋外でやる場合は周囲を風よけで囲うなどしなければなりません。天候に左右されないということは無いんです。
おうる
丁寧に教えていただき、ありがとうございました。
すると、屋外で風よけもなしに船体に直接溶接をやっているのは電気溶接ではないということなのですね。
hush
風がないなら風よけで覆う必要はありません。全体的に風が無視できるほど弱いか、あるいはその場所は風が吹き込まないという場合もあります。
あるいは電気溶接に見えてるけど、実はグラインダーで削っているところだったり、あるいはプラズマカッターで切断している場面だったのかもしれません。プラズマカッターは電気溶接の技術を応用して金属を切断する機械なので、遠くで見ていると電気溶接をしているようにも見えます。ちなみにプラズマカッターは放電で熱した金属に酸素を吹き付けて焼き飛ばすものなので、風はあまり影響しません。
おうる
早速の御回答ありがとうございました。
手間を取らせました。
hush
Q&A
https://www-it.jwes.or.jp/qa/details.jsp?pg_no=0090010040
造船外業工程におけるガスシールドアーク溶接の防風対策はどのようにしたらよいでしょうか。
https://www-it.jwes.or.jp/qa/details.jsp?pg_no=0070010110
風の比較的強い戸外で,軟鋼や高張力鋼の半自動アーク溶接を行う場合,どのような方法があるでしょうか。また,その時の注意事項等についても教えて下さい。
空気中の酸素だけでなく窒素も悪さをするようですね。その他恣意的ではありますがキーとなる文章を抜粋し以下に示します。
【1つ目のQ&Aからの抜粋】
・造船で最もよく使われる炭酸ガスによるシールドや混合ガス(20%CO2+80%Ar)による場合,風速2m/secまでは,ほとんど影響がないが,それを超えると通常の溶接条件ではブローホールが発生し,不具合を生じることが,実験的,経験上分かっている。
・風の影響を受けにくい作業場の設営をする。
・溶接作業の屋内化をできるだけ図る。
・防風壁,衝立,防風治具等の活用を図る。(防風箱,防風衝立などの使用)
【2つ目のQ&Aからの抜粋】
・ガスシールド溶接法と比較的風の強い戸外での溶接に適したセルフシールドアーク溶接法がある。
・セルフシールドアーク溶接法は,シールドガスを供給しないで行うアーク溶接法であることからノンガス溶接法とも呼ばれる。・・・最近では,8〜10m/sec程度の風速でも健全な溶接が行える溶接棒が開発されている。適用例としては,ビル鉄骨や橋梁,鋼管杭の溶接などで導入されている。
ご参考程度に。
太助
鄭重なる引用感謝申し上げます。
あれは、アーク溶接なのかな。
hush
どうもです。ちなみに”あれ”とは?
太助
あれは某球団のではなく、13で書いたように、屋外で船体の溶接を行っているのは電気溶接ではなくアーク溶接なのですねという意味なのですが、アーク溶接も電気溶接の一部なのですね。ガス溶接と書くべきでしたか。
要するに技術的なことに無知ゆえの愚問ですので、忘れて下さい。
hush
>11. 太助様 ご説明ありがとうございました。 建物付きの建造ドックを hall と呼ぶのは初めて聞いたのですが、ぴったりの言葉ですね。
>12〜19 おうる様、hush様、太助様
電気溶接で船を作ったのは、1921年ごろからです。英国のフラガー、日本の諏訪丸が最初です。その後日本は軍艦建造の溶接化に熱心でしたが、第四艦隊事件で頓挫します。商船には熱心でなかったです。戦後溶接化が急激に進みましたが、当初は屋外が普通でした。今は工場内の定盤上で大型ブロックを建造し、最終的にそれらを屋外でまとめるようになっています。熱ひずみなども精密に計算できるようになり、かつての潜水母艦大鯨のようなことは起こらなくなりました。
アメリカは戦時中リヴァテイー船を溶接で大量に建造しましたが、砂浜につくったスロープ上で風除けは見当たりません(この時、大勢の女性が溶接に従事しています)。現代では、英国の空母クイーンエリザベスは、アイランド部分を一つにした巨大ブロックを最後に船体に乗せて溶接で一挙に完成のようです。大変な技術ですね。
電気戦艦
リバティシップの溶接は手溶接(被覆アーク溶接)ではありませんか?
風の影響を受けにくいはずですよ。
備考:
被覆アーク溶接は、
・SMAW(Shielded Metal Arc Welding)
・MMA(Manual Metal Arc Welding)
と呼ばれます。
太助
liberty ship の建造では、曲線部分は手溶接ですが、直線部分は、ユニオンメルト式(サブマージ溶接)の自動溶接が多用されたと思います。この場合の環境についてはよく知りませんが、確かに強い風が直接当たるのはまずいので、何らかの対策はあったのでしょう。
電気戦艦
あれっと思ってGoogle mapを確認したら、三菱も川崎も屋根がないようです。
hush
川重神戸には艦船を建造する場所と艦船を修理する場所がありまして、hushさんが映像で潜水艦を確認されたのは Repairing Dock 、もう少し言及すると、
・No. 4 Dry Dock 第4ドック(215m × 33.5m)
・No. 3 Floating Dock 第3ドック(250m × 43.2m)
だと思います。2024/12/30に確認したGoogle mapでも両ドックに潜水艦らしきものが写っていました。その他にも3隻の潜水艦が川重内に碇泊していましたよ。
(座標 (N34.6765164, E135.1848428) が第4ドックだと思っています。)
(座標 (N34.6697835, E135.1831731) が第3ドックだと思っています。)
ちなみに、
・No. 2 Floating Dock 第2ドック(113m × 20m)
は屋根がついているようで、中に何が入っているのかは当然判りません。
(座標 (N34.6694374, E135.1828210) が第2ドックだと思っています。)
一方で潜水艦を建造するのは、
・No. 1 Building Berth 第1船台(127m × 15.4m)
のはずで、Google mapで確認すると、第4船台の北に資材置場を挟んて屋根付きの建屋がありまして、これが第1船台だと思います。当然ですが空撮映像では屋根の下は確認出来ません。
(座標 (N34.6738043, E135.1878358) が第1船台だと考えています。)
→
https://goo.gl/maps/HL8RTzKcRJFMS7Lm6
今回のお題は潜水艦建造が屋外で行われるのか/屋内で行われるのかが始まりでしたが、この話題は >>4 のリンク先サイトの写真で完結したと考えていましたが、、少なくとも川重に関しては。
「いやいや、それでも川重の潜水艦建造を行う船台に屋根は無いんだよ」と重ねて主張されるのであれば、川重神戸工場のどの場所に屋根が無いのかすり合わせましょう。
太助
いや、そういう主張をする気はないです。
お手数をおかけしました。
hush
こちらこそ失礼しました。
太助
1329 |
日本海軍の潜水艦搭載水偵の用途・任務について質問致します。 世界の艦船増刊「日本潜水艦史(2024年12月増刊)」75Pにおいて以下の記述があります。 ・戦前の想定では漸減要撃作戦において潜水艦から発艦させた偵察機ににより、進撃中の敵艦隊に対して捜索・偵察を行う想定であったと言われる ・潜水艦搭載機による要地偵察は本来であれば次等の任務 素人としては潜水艦搭載機による水上艦隊捜索・偵察は敵艦隊発見時に母艦が潜航していたら打電しても意味がない、浮上したまま結果待ちでは母艦側の被発見率が上がる等、リスクばかり大きいようにも思えます。 実際に潜水艦搭載水偵による敵艦隊の捜索・偵察任務は要地偵察より重視されていたのでしょうか? 元自 |
日本海軍の潜水艦搭載偵察機は太平洋戦争初期には要地偵察任務に活躍し、爆撃任務にも使用された。もっとも、洋上偵察任務にはほとんど使用できず、また、その小型機ゆえの劣性能は明らかで次第に使用されなくなった。
呼び水程度に
まさのり
潜水艦搭載の航空機は敵地偵察を目的に導入されたように思います。
その後に、航空機搭載潜水艦の用途が偵察から攻撃寄りに変更になった可能性はあると考えます。その際、出撃した敵艦隊の捜索にも使えるかも?と少し思ったりしたかもしれませんが、結局そちらの用途は大淀型巡洋艦の計画に落ち着いたのかなと想像してます。
【検索成果1】
http://www.warbirds.jp/truth/ijn-sub.html
第四講 伊号の航空兵装はバカ装備か?
には、『潜水艦搭載航空機の目的は計画当初から明確に「要地偵察」でした。』と書いてありました。
【検索成果2】
潜水艦に航空機を搭載した動機(敵地偵察)については以下の記載あり。
----------
戦史叢書:潜水艦史
P.72
(昭和4年)この年、艦隊から中央に対して次のような意見具申が行われた。
潜水艦による敵地の監視哨戒は、潜水艦の決死的潜入によるほか、基地飛行機によらなければならないが、基地飛行機は航続距離が短く成功の算はない。潜水艦によるとしても、潜水艦の決死的潜入によらねばならないとすれば難しい。しからば潜水艦に偵察機を積む以外に方法はない。
----------
【感想1:敵地偵察】
敵地偵察は、偵察機の発艦座標と帰還座標を同じにして、往復にかかる2-3時間は潜航していたのかなと無責任に予想するが、艦内空気の汚濁は気になるところ。
(機種によっては「暖気運転などを省けるように予熱してある水や油を使用できる」等の工夫もあったようですし。)
>>母艦が潜航していたら打電しても意味がない、
⇒これは潜望鏡をあげるのと同じ理屈で回避できるようです。以下サイトからの抜粋です。
http://www.yokohamaradiomuseum.com/cgi-bin/imgboard.cgi?bbsaction=disp_rep_form&amode=&page=1&blood=20171227114153&parent=8845
一方、短波用空中線は潜望鏡昇降装置を模倣した構造で、最上部にエボナイトで防水した1mの黄銅棒を取付け、その基部からキャブタイヤ電線を送信機に接続し、運用は水面上に本空中線部を露頂させ行った。
【感想2:用途の追加】
・監視用潜水艦も攻撃用途に
・潜水艦単独での敵艦隊への接触は困難⇒大淀型の計画
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戦史叢書:潜水艦史
P.35
監視に任ずる巡潜型潜水艦は、水上速力が遅かったが、艦隊随伴用の海大型潜水艦は迅速な散開線の移動のために水上高速力を必要とした。しかし敵勢を漸減するためには監視に任ずる潜水艦にも水上高速が要求されるに至った。すなわち、敵出撃後追躡触接に任ずる潜水艦は、敵の前程に進出して好機攻撃を加える、いわゆる漸減作戦の任務が加えられた。
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(大淀wikipediaより)
太平洋戦争開戦前、海軍の対アメリカ戦計画では潜水艦部隊による敵主力艦隊の漸減邀撃が予定されていた。だが、広大な太平洋上を潜水艦単独で敵艦隊と接触交戦するのは困難であった。
⇒巡洋艦大淀を建造
【以下はメモ】
・当時の潜水艦の水中巡航距離は3knot/数十海里というオーダー。潜ったままでは殆ど移動できない。
・零式小型水上機の航続距離は882km。
⇒片道200-300kmくらいか。往復で2-3時間。
・96式空1号無線電話器は対地70km
http://www.yokohamaradiomuseum.com/cgi-bin/imgboard.cgi?bbsaction=disp_rep_form&amode=&page=1&blood=20201101171400&parent=9309
Wikipedia( https://ja.m.wikipedia.org/wiki/九六式空一号無線電話機 )には対地100海里とあるが、100kmの間違いか?
要確認だが70-100kmとすると結構短い。
太助
まさのり様、太助様、ありがとうございました。
元自
1328 |
軽巡洋艦「那珂」等に搭載された50口径三年式14cm砲の質問です。 1944年2月の米軍艦載機のトラック島空襲の際、撮られた映像で 「那珂」が艦載機に対して同砲を発砲(1番・2番砲)しているシーンが 有るのですが、同砲は平射砲に近く対空砲としては不向きと記憶しています。 ●50口径三年式14cm砲での対空射撃は頻繁に行われたのか? ●同砲の砲弾には対空用のものが有ったのか? 質問は以上となりますが、出所を含め御教示お願いします。 陸奥屋 |
「仰角が30度程度のため」に修正します。
陸奥屋
零式通常弾+91式時限信管でGoogleサーチしてもらえれば、いろいろと出てきますよ。
hush
お世話になります。
平射砲も対空射撃はしたと思いますが(出所としては書籍『高角砲と防空艦』や1943砲戦教範改正案など)、映像の「那珂」発砲が平射砲だったのかは確認お願いします。
●平射砲も対空射撃はする。
対空戦闘砲戦距離標準(1943砲戦教範改正案)という表が『高角砲と防空艦』P.65に載っています。
・高角砲
・25mm機銃
・40mm機銃
・13mm機銃
・平射砲(大口径砲、20cm砲、15.5cm砲以下)
・・・
など。15.5cm砲以下の平射砲は15,000m以内だそうです。
同P.66辺りには、対空砲火指向および警戒方向という表もあり、平射砲は以下の優先度とされています。
1.雷撃機
2.低高度水平爆撃機
3.急(緩)降下爆撃機
ただし平射砲は爆風や砲煙で高角砲・機銃の邪魔しない範囲で等の記述もあり。
しかし当てる工夫(射撃指揮装置やら高射装置)がないと、平射砲でも高角砲でもなかなか厳しいんじゃないでしょうか。
●確認させてください。
>>「那珂」が艦載機に対して同砲を発砲(1番・2番砲)している
これは確定情報でしょうか。
たぶん同じ映像をみたと思うのですが、艦の進行方向前方に発砲光を2回確認しました。普通に考えたら1番・2番砲なのですが、大洗磯前神社の軍艦那珂忠魂碑に
『満身創痍砲は飛散艦首艦橋切断海中ニ歿ス
後進交戦魔ノ紅ノ炎ト化シ遂ニ沈没』
とあるそうなので、後進時に艦後ろ寄りにある12.7cm連装高角砲を撃った可能性はないかなあと。
p.s.
1番・2番砲を撃った可能性が大なのですが、小生の眼齢では動画での確認が難しく。ご協力お願いします。
太助
横合いからごめんなさい。
仰ってられるのが https://youtu.be/Fty3BQjnloY の映像でしたら、明らかに艦橋はありますし、艦首波も正常のように見えます。また、59秒〜1分あたりで発せられる閃光も艦橋より前から出ています。
陸奥屋さんはお忙しいようで、私みたいな退職者ではないようですので、失礼ながら、私の観測を書き込ませてもらいます。
hush
>>hushさん
一応、映像拡大や再処理して見てみたのですが、どうやら1番・2番砲なのは間違い無いようです。
どうも、昔読んだ書籍のイメージから「50口径三年式14cm砲で対空射撃はしない」と刷り込まれていたようですね(笑)
お二方、有り難うございました。
陸奥屋
太助
1327 |
最近の潜水艦の通信について質問があります。 潜水艦はほとんど潜ったままで行動しますが。 地上から指令を送る、又は潜水艦から情報を得るにはどうしてるんでしょうか? 冷戦時代は長波などで通信していたそうですが、今でもやってるのでしょうか?長波では通信速度が遅すぎて、詳細な情報を伝えるのは難しそうですが。 もし可能なら、日米や他の各国の情報が知りたいです。 よろしくお願いします。 似非ハンター |
あと、wikipediaでよろしければ https://en.wikipedia.org/wiki/Communication_with_submarines というものもあります。
hush
20年以上前からは、人工衛星を使用して極短時間に圧縮したデータを送受信することもなされているようです。従って、この際は極短時間だけアンテナを海上に露出させると思われます。
読書人
読書人
1326 |
いつもご教示頂き有り難うございます。 英巡洋戦艦「レナウン」「レパルス」の姉妹艦は第二次大改装の内容が大きく異なり、性能も艦容も全く違うものとなりましたが、なぜ姉妹であんなに異なる大改装とする必要があったのでしょうか? 改装内容が姉妹艦で異なる場合、よくある理由は「予算」「工期不足」ですが、両艦とも第二次大改装に戦間期の約3年を費やしておりそういう理由とも思えません。 宜しくお願いいたします。 Ranchan |
hush
「レパルス」第二次大改装:1933.4〜1936.5
「ウォースパイト」大改装:1934.3〜1937.3
「レナウン」第二次大改装:1936.9〜1939.8
「ウォースパイト」で新しい改装要綱を実験してみたら思いのほか良好だったので、後続のKGV型、「ヴァンガード」、幻の「フッド」大改装案に取り入れられていった・・・ということのようですね。
一朝一夕で戦艦の大改装計画を纏めることは不可能なのですから、「レパルス」でも「レパルス」改装中に完成していた「ウォースパイト」用改装要綱を部分的にでも取り入れてやれば良かったのに・・・。
日本練習戦艦「比叡」が戦艦に復帰する大改装を受けるに当たり
「他の姉妹艦と戦隊を組む運用を考えると、『比叡』1艦を徹底改装して姉妹艦より突出した性能にすることは好ましくない」
とされ、程々の改装に抑えられた話と比較すると、英海軍はあまり姉妹艦の
性能を均一化することを重視していなかったのかなと思います。
Ranchan
絶対視はしていなかったと思います。
実際、フッド、リナウン、リパルスの3隻は巡洋戦艦戦隊を編制していましたが、戦時中、3隻が同一行動を取ったことはないです。
相手が弱小のドイツ、イタリア艦隊であったということもあったと思いますが、各部隊に1隻ずつ振り分けられているからです。
であるのなら、その時点の最高戦力を持たすべきであるが、改装中のリパルスの工事を止めてまですることではないということでしょう。
海に出ている戦力は、予算にもよりますが、多いほうがよろしいでしょうから。
hush
自分で書いておいて何なのですが、「比叡」が大改装時に徹底改装されて(大改装後の「ウェスト・ヴァージニア」(BB-48)のように)姉妹艦とは隔絶した性能を持つ「超金剛型」とでも言うべき艦になっていたとしたら、何が問題だったのでしょう?
運用上で必要があるのならその場合は「比叡」が他の姉妹艦に合わせてやれば良いだけでは・・・という気が。
Ranchan
1325 |
日本海軍で旧式の三年式12cm砲が高角砲として再設計されていたのは知っているのですが同じく旧式で条約的にも中途半端な口径になってしまっていた三年式14p砲も二次大戦までに高角砲化される計画はあったのでしょうか? 回答宜しくお願いします。 また、先日は野暮な質問をしてしまい申し訳ございませんでした。 クロロ |
平賀譲デジタルアーカイブに、「五十口径14cm連装高角砲Scale1/16」の名前で鉛筆描きの1枚だけ資料がありました。
https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/assets/52d25fe8-97fc-435b-8436-9964ef0abde5?pos=1
ご参考まで。
太助
太助さん回答ありがとうございます。
質問する前にその資料は発見したのですが調べたがぎりでは情報がそれしかなく、
図面の読解も試みたのですが経緯に関する情報は見つかりませんでした。
クロロ
ただ、同砲弾の重量は38sとなっていますが、他に装薬が必要ですし、高角砲としてどうなんだろうとは思いますね。
hush
・20cm高角砲
・14cm高角砲
・13cm高角砲
といったモノが出てきます。主力艦主砲以外は全て両用砲化しようとの思想があったようで、時期的にはワシントン海軍軍縮条約が有効であった頃ですかね。
>>3
実際の利用方法は対地射撃の曳火ではないでしょうか。よく地表50m付近を狙って爆発させ、下にいる人や飛行機が火の海・破片の海で大変な目にあう奴です。
太助
>>実際の利用方法は対地射撃の曳火ではないでしょうか
一瞬、時限信管のことをいわれているのかと思いましたが、14p高角砲のことですよね。
軍備制限研究委員会答申艦型の大砲ということは1928年ですね。あの頃って、イタリアのドゥーエの戦略空軍論が有名になった頃で、空の脅威というものがクローズ・アップされ始めた時期なのです。
すでに1921年にはアメリカのミッチェルが実艦標的として旧ドイツ戦艦を沈めていますので、とりあえず空に向かって撃てる砲が必要になり、手持ちの砲の仰角を高めようということで、そういうものが考えられたのではないでしょうか。
何せ、それまでの上空の脅威は飛行船ですから、慌てたのでしょうね。
時計信管もドイツのを参考に服部精工舎(セイコー)が頑張って作ったわけですが、どこまで使えたか。
もちろん、それまでの火薬式よりきちんとしたものだったとは思いますが。
hush
1324 |
WWII時の英軽巡タウン級の15.2センチMkXXIII3連装砲塔の中央砲が左右砲より一段後退した位置にある理由を教えてください。これは日米仏独伊の15センチ級3連装砲塔には見られないものです。 砲の機関部をオフセットして砲塔バーベット直径を短縮したかったのでしょうか?砲口位置をずらすことによって飛翔する砲弾の相互干渉を防ぐ、一種の発砲遅延装置のようなものだったのでしょうか? 備後ピート |
hush
1323 |
すいません、下記の写真の艦名または級名が分かる方はおられますか。 http://hush.gooside.com/Photos/2024/murasame_fuji.jpg 写真は裏面にMitsubishi photographic paperと書かれ、切手の貼付位置に三菱の社標が描かれた絵葉書からとったものです。 オランダ坂があり艦尾に単装砲塔2基を装備する艦ということでむらさめ級かあきづき級であると思われますが、どちらであるかは不明です。 なお、同時に購入した絵葉書の艦は三菱製造の艦ではないのでMitsubishi photographic paperを使用した絵葉書というだけであろうと思わます。 よろしくお願いします。 hush |
あきづき型、むらさめ型共に52番砲はオランダ坂の上に搭載されているので53番砲との高低差がかなり大きく、砲身がここまで綺麗に並行になるとは考えられません。
恐らく写真の艦はオランダ坂を持ち後部に3インチ連装砲1基を搭載するあやなみ型のあやなみ、いそなみの何れかではないでしょうか。
元自
ありがとうございます。
なるほど、言われてみると連装砲塔ですね。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ab/Scale_model_of_JS_Ayanami%28DD-103%29_in_JMSDF_1st_Service_School_May_6%2C_2019_02.jpg
の模型の写真を見ながら、なるほど、これはこの部分と思いながら、確認させていただきました。
質問欄に書き込みましたように三菱の建造艦とは限りませんので、あやなみ、いそなみに限らないとは思いますが、御慧眼に感服致しております。
お手数をおかけしました。
hush