ちょっと気になると夜も眠れない。 艦船関係 Ans.Q どうでも良いことなのに…、誰か助けて! |
1346 |
東京都新宿区早大通りにあった春日の25p主砲弾はどうなったのでしょうか。 最近、ふと気になって調べてみたのですが、ストリート・ヴューでは見つけられませんでした。 私は2004年に実物を見ていますが、その時にあったビルもなくなっているようです。 ネット上では2010年以降の情報がないようです。 見落としているだけかもしれませんが、撤去された、移転したというものから、何年ごろまであったはずという情報だけでも構いませんので、御教示いただければ幸いです。 砲弾の写真を添えておきますので、よろしくお願いします。 http://hush.gooside.com/name/k/Ka/Kasuga/20040815houdan01.jpg http://hush.gooside.com/name/k/Ka/Kasuga/20040815houdan02.jpg hush |
誰か答えて下さい。
1345 |
「傑作軍艦アーカイブ16:英戦艦『キング・ジョージ5世』級」を所持しておりますが、その中に 「ワシントンは・・・基準排水量37,484トン、速力27ノットとキング・ジョージ5世級と同規模の艦であった。しかし、40.6センチ3連装砲3基の対水上火力をはじめ、対空火力、防御力、航続距離などもノース・カロライナ級の方が優れていた。」 との1文があります。 また旋回半径も共に14.5ノット時で850.39 mの「キング・ジョージ5世」に対し525.78 mと「ワシントン」が勝っています。 また同書の「キング・ジョージ5世級のメカニズム 3:機関」中にも 「戦艦に限らぬが、米艦隊は30分の機関部準備で出動できたが、英艦隊は最低4時間の準備が必要だったといわれており、英造機技術の立遅れは明白だった。」ともあります。 後に「ヴァンガード」と「アイオワ」(BB-61)が同行した際、フネとしての安定度は「ヴァンガード」が勝っていた・・・と言われていますが、米新戦艦が英新戦艦を圧倒しているように思えます。 米新戦艦がバケモノ揃いなのは承知しておりますが、英新戦艦が米新戦艦に勝るものは艦の安定度の他に何かないのでしょうか? 宜しくお願いいたします。 Ranchan |
駄レス国務長官
ただし、アメリカ艦はアイスクリームが食べられます。
1935年のKGVの基本計画時、イギリス政府は新戦艦14インチ砲で妥結すると考えていました。したがって、3年ほどの違いですが、15インチ、16インチが当たり前の世界のサウス・ダコタ級と比べるのは酷です。
造りたくても造れなかったのかもしれませんが、ヨーロッパの戦場だと現有戦力で行けるという見通しのよさも光ります。
hush
1344 |
既に1334番の質問で議論しましたが、「信濃」の艦底が三重かどうかが問題となりました。これは決着がつかないままになっていると思います。 最近、雑誌 「歴史群像シリーズ 超超弩級艦「大和」建造」(学研) の中で、原勝洋さん、岡田幸和さんの文章見ました。彼らによると、元々の二重底の底板に25mmDS鋼板を2枚付加したのでそこは三重張りになっていたと言います。この三重張りのことが世間では三重底と間違って伝えられたのではないでしょうか。皆様のご判断をお伺いいたします。 電気戦艦 |
痴呆の老人
チト高いですけどここで質疑を繰り返すよか早いでしょう
駄レス国務長官
また、高い本を…
一応、「海軍造船技術概要」は国立国会図書館にあります。
https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?identifierItem=BIBID&identifier=000001862961
デジタル化され、送信サービスで閲覧可能となっています。
もっとも、私、このサーヴィスを使ったことがないのですが。
hush
国会図書館でしたら一度出向いて利用者登録をおススメします
(未登録だと一部館内限定資料がネット閲覧できないと思われ)
駄レス国務長官
そうなんですか、わざわざの御教示ありがとうございます。
しかし、それは面倒なシステムですね。
hush
関西館でも出来るんじゃないでしょうか
駄レス国務長官
ありがとうございます。
来館、オンライン及び郵送で登録できるが、一ヶ月ぐらいかかるそうです。
hush
どうもありがとうございました。「海軍造船技術概要」は自分の近くの図書館にありますので、今度よった時に読んでみます。
電気戦艦
1343 |
艦船の老朽化、について質問します。 例えば戦時中の扶桑山城は艦齢が古く老朽化が著しくて練習任務に従事していた、とか金剛が雷撃を受けたあと浸水に堪えられなかったのは老朽化のため、という表現の記述がされています。 しかしながら船体の鋼材が艦齢二十数年で腐食して本来の強度を保てなくなるとも思えませんしそれなりのメンテナンスもしてるはずです。 思うに、大戦中に扶桑級より艦齢を重ねている金剛級が縦横無尽に活躍できたのは、改装による高速化その他の新技術による搭載機器の更新などによる戦力の更新・充実にあると思います。老朽化という表現によって「器が古くなって使用に堪えない」というイメージにとらわれているのかもしれませんが、イタリア戦艦みたいに改装の仕方によっては極端に言えば器は古くともいつまでも老朽化とは無縁、という言い方もできそうです。 実際のところ老朽化にはどんな事例があるのでしょうか。事例の紹介されてる書籍などあればご紹介ください。 ひでぼん |
扶桑、山城も改修工事を行っています。
にもかかわらず、金剛級のように活躍できなかったのは、速度が出なかったからです。
そして、金剛級のように速度が出るようにするのには、機関室の拡大が必要であると思いますが、そのためには主砲の一部撤去が必要なぐらい余裕はないと思っています。そして、金剛級ですら高速発揮のために艦尾の延長が必要でした。
つまり、船体を改造しても、もともとの設計思想が古いので限界があるのです。
もちろん、金に糸目をつけないのなら何でもできますが、戦間期の砲弾や魚雷とは全然違う威力のものに対応させるだけでも大変ですし、金もかかります。
1941年の時点で日本の軍事費は国家予算の75%を超え、10倍以上のGNPを持つアメリカの半分弱という無茶苦茶な状態です。
イギリスの例を見ますと、ウオースパイトが236.2万、ヴァリアントが280万、リナウンが309万ポンドの改装費がかかったのに対して、KGVの建造費は739.1万ポンドです。
新造の1/3から半分弱の費用が必要なわけです。
建艦休日というものがなければ、あそこまで金をかけられないと思います。
hush
金剛型戦艦が活躍できたのは、「日本戦艦の中で最も高速だが最も旧式・弱体(扶桑型戦艦と比較して速力+6ノット、火力・装甲約2/3)なので使い潰しても構わない」との位置付けだったからというのも大きいと思います。
また、その運用や役割などからも金剛型戦艦は「戦艦」というよりむしろ「巨大巡洋艦」「超甲巡」であり、同じ「戦艦」と名乗っていても扶桑型以降の日本戦艦とは違う種類の艦と考えた方が実体に近いのではないでしょうか。
Ranchan
船舶の寿命に関する基礎考察
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjasnaoe1968/1990/168/1990_168_605/_pdf
によると、船舶に限らず一般の構造物の耐用年数,寿命はその要因別に
@物理寿命
A経済寿命
B機能寿命
に分類できるそうです。
@物理寿命⇒物理的な老朽化
質問者さんのいう”器の古さ”などですが、老朽化により船体構造物は腐食の他に疲労き裂などが進みます。
腐食は犠牲陽極などの防食技術である程度抑制できるはずです。
疲労き裂は、船体が波浪により繰返し応力を受け、応力集中の大きな形状不連続部や溶接止端部などから疲労き裂が発生します。こちらも大事故に至る前に補修すべきですが、運航する以上は老朽化すると考えてよいのではないでしょうか?逆にモスボール保管では船体の疲労き裂は発生しないでしょう。
A経済寿命⇒経済的な老朽化
部品,部材の軽度の損傷による修繕費の増大や稼働率の低下により経済的採算が取れなくなった時点が経済寿命になります。
B機能寿命⇒機能的な老朽化
大戦後の戦艦という艦種などもそうかと思いますが、↑のサイト(PDF)では以下の例示ありです。
”効率的な輸送 ・流通方式によりそれまでの定期貨物船の1/2から1/3とも云われる費用とより一層の短時間輸送で貨物船を(コンテナ船が)駆逐したのは,機能革命により貨物船が寿命に達した例である。”
太助
回答ありがとうございました。
やはり一口に老朽化と言っても、改装で戦力アップできる資金があれば器は使い続けられるもんなんでしょうね。そしてそして戦力はアップするが、もとの設計思想が古ければ対応しきれない部分もあるだろう、とはその通りだと思います。
老朽化という表現の使い方も考えものですね。
ひでぼん
1342 |
今から30年かもっと前の「丸」に空母赤城の特集がありました。その中に、「赤城は巡洋戦艦の船体をもとにしているから、無理が生じている場所があった。ある通路は、天井が端に行くほど低くなり、ついには行き止まりになっていた。」という記述がありました。そのような構造がどうして生じたのか不思議です。お分かりの方、教えてください。 電気戦艦 |
それにより、推進効率の低下が懸念されたために20p副砲を重しも兼ねて搭載して推進器を何とか本来の喫水まで下げたのですが、
艦首には特に細工をしなかったために船体自体が水線から傾いていて、その影響をモロに受けたため通路が傾斜していた…ハズです。
クロロ
航空母艦「赤城」の艦体は、新造時艦尾艦底が艦首艦底より約3m沈下して斜めになっていました。
巡洋戦艦時代は当然水平だったので、その歪みを吸収するため艦内を弄った結果変な甲板が生じてしまったのだと思われます。
Ranchan
補足ありがとうございます。ここでは何度か質問はさせて頂いた事があるのですが回答側に回ったのは初めてなので有難いです。
クロロ
どうもありがとうございました。天井が下がっていたのではなく、船体前後方向の傾きをキャンセルするために、床面に勾配が付けられてた、ということだったのですね。
電気戦艦
1341 |
個人にイタリア海軍の計画案であるプリエーゼ氏の22,000トン空母についての情報を集めているのですが丸 2014年10月号以外でその内容を確認出来る資料,サイトを存じ上げている方がいらっしゃれば教えて頂けないでしょうか。 クロロ |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AD%E3%83%A9_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)#%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%AF%8D%E8%89%A6%E8%A8%88%E7%94%BB
にある「プリエーゼ技術大将は14,000トン案と22,000トン案の2タイプの航空母艦の設計案を海軍に提出した」かなと思います。
それで、いくつか調べてみましたが、22000t空母は出てきませんでした。ただ、
https://www.anua.it/files/Corr_Aviat_9-10_2021_WEB.pdf
https://www.treccani.it/enciclopedia/umberto-pugliese_(Dizionario-Biografico)/
に、1935年プリエーゼが15000t級の新造空母では時期的に間に合わないとして、アウグストゥスとローマの改造計画を提出したと書いてあります。そして、これを実際に改造したアクィラとスパルヴィエロの排水量が2万2000t強です。
もしかすると、これのことかなと思うのですが、確証を持っているわけではありません。
hush
なるほど、そう考えてみると時期的にも辻褄が合い、綺麗に納得出来ました。
クロロ
丸の連載内容をまとめたものかと想像しますが書籍が出てますよ。(税込902円)
もし興味がお有りでしたらと思い紹介します。
仏独伊幻の空母建造計画 知られざる欧州三国海軍の画策
瀬名堯彦(著)
潮書房光人新社
参考文献や、丸からの追加記載があるかどうかは未確認。
ご参考まで。
太助
ありがとうございます。
その本は持っているのですが、問題はどこにあるかなのです。
半径5m以内にはあるとは思うのですが、それで、つい、ネットに頼ってしまうのです。
どちらにしろ、お手数をおかけしました。
hush
該当2案の航空母艦の側面図が載っていましたので、何らかの参考文献はあるのでしょう。ただ、本の末尾に参考文献はたくさん載っているのですが、どれが当たりかは判らない。すべてチェックするとなると大変そうですね。
太助
当該書籍を書店で取り寄せて精読してみたいと思います。
これは骨が折れそうだ…。
クロロ
1340 |
超甲巡についての質問です。 超甲巡は「甲巡を超える巡洋艦」とのことですが、艦名は甲巡と同様に山岳名と捉える説が強いようです。しかし態々甲巡を超えるのですから、山岳名以外を採用する可能性はないのでしょうか。 (また、山岳名以外の説を採用している方がございましたら教えてください) 浪川 |
天城級がB64で、超甲巡がB65ですから、妙高あたりが使われたかもしれませんね。
hush
元自
おお、それはいけない。
御指摘多謝。
hush
駄レス国務長官
あり得るのが若干嫌ですが、スタートレック → スペースシャトルのエンタープライズみたいなものですかね・・・
そういえば新戦艦高千穂には戦艦信濃が出てくるとWikipediaに記述がありました。海軍は戦意高揚のため同小説を利用したとも。
太助
戦没艦ですからね。
絶対にないとはいえ、襲名するでしょうか。
鞍馬とかのほうがありそうですが。
hush
Ranchan
米海軍の襲名ペースが早いのは事実ですが、それ以外の国も戦没艦の襲名自体はやっているようですね(プリンチペ・アメデオ級装甲艦パレストロ、アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦リュッツォウなど)
とはいえあそこまで早いのは(規模と統一性からネタが被りやすいというのもあるでしょうが)かなり異質と言えそうです
Volgograd
アメリカの場合は他国の艦艇の名前まで襲名するぐらいですから。
hush
あぼっけ
吉野川
駆逐艦、水雷艇、敷設艇で漢字一字のものはあります。
ただ、日本の古い地名は中国の影響で好字で二字にすることになっており、木→紀伊、泉→和泉、科野→信濃、上毛野→上野、中→那珂のように改名されています。
このため、歴史ある一字の地名は少なく、命名しにくいだろうなとは思います。
また、捕獲船に勝鬨丸と命名したら、優美な名をつけるという海軍の伝統に反したと怒られた話もありますので、その面からも難しいかなとは思います。
なお、海上保安庁の巡視船に「つるぎ」がおります。
hush
イギリスなどは戦没艦の艦名を積極的に使っています。
これは、戦没するぐらい活躍したので、それを顕彰する意味もあるようで、欧米はだいたいその考えで行っているようです。
実際、日露戦争で大量に拿捕されたロシアは、その艦名をすぐに襲名させています。もっとも、丹後、相模、宗谷がロシアに返還(実際には売却)された際にはすでにポルタワの名が使用されていたため、チェスマと改名されています。
帆船時代のイギリス艦でも、奪還された拿捕艦艇の艦名がすでに襲名されていたので、違う艦名がつけられたケースは随分とあります。アメリカも駆逐艦(DD224)スチュワートがスラバヤの浮船渠ごと沈んだとみて、1942年11月に進水した護衛駆逐艦DE238にスチュワートと命名しましたが、日本に来た占領軍が第102号哨戒艇として残存しているのを見て驚いたという話があります。結局、先代はDD224となり、DE238のほうはテキサスで保存艦として残っています。
旧日本海軍の場合、縁起担ぎのような非科学的なことはしないように見えるのですが、事故や戦争で沈んだ軍艦の襲名はほとんどされていません。春雨のように駆逐艦で例があるだけです。
一応、喪失後何十年かで襲名が可能という内規があったようにも思いますが、筑波とか、千島とかが襲名されていないのはそういうわけです。
>11
作者に聞いてみて下さいというしかないのですが、多少、眺めてみた感じでは、あまり感心はしませんでした。ただ、モンサラットの「非情の海」のコンパスローズとか、イギリスのものはなかなか考えてあるなとは思っています。
hush
大山から「大」とか、北岳から「北」とか名付けられても格好悪いですし、「火神」や「白峰」みたいに異称・総称を使うのではないでしょうか
Volgograd
(そうしないと艦名が絶対的に足りなくなるのは明らかですし)
本当、旧日本海軍艦船は文字通り全滅だったんですねぇ・・・。
でも護衛艦に「吹雪」「舞風」「時雨」「潮」とかないですね。いい名だと思うんですけど。
(さすがに「陸奥」「深雪」のような事故喪失艦や「信濃」のような不運艦は縁起が悪いと思われそうですが)
Ranchan
海上保安庁の巡視船に「だいせん」と「びざん」がありますね。
大山と眉山です。
白峰三山の名は海上自衛隊の護衛艦「しらね」の名として使われていました。
>15
海上保安庁はそういう意識がないから、「つくば」も「まつしま」もいます。巡視艇に「ふぶき」はいましたが、あとはいないです。
あと、「ちきゅう」になった原子力船「むつ」がいますね。
hush
海上保安庁の旧い巡視艇に「しなの」いたんですね・・・しかも2隻(- -;
最近だと「ふそう」も。
いやびっくり。
さすがに「やまと」と「やましろ」はいなかった。
Ranchan
あの巡視船「しなの」は国名ではなく、信濃川、つまり、千曲(筑摩)川ですね。
「ふそう」は昔の「みずほ」ですね。
「やまと」、「やましろ」は内陸部ですので、難しいかもしれないです。
hush
はっしゅ先生(--)/
「やまと」は大和川も有ります
駄レス国務長官
「畝傍」(うねび)
Ranchan
大和川に由来する「やまと」って記憶にないのですが?
http://hush.gooside.com/name/y/Ya/Yamato/Yamato.html
>20
香久丸は特設水上機母艦にいますが、耳成はいませんね。
hush
1339 |
日本軍の重巡洋艦について質問です 大戦末期には最上、高雄などの重巡洋艦の艦尾に手動爆雷投下台が装備されていたのは色々な本の解説に記述がありますが 雑誌「丸」編集部編 図解軍艦シリーズ3 図解日本の重巡 1999年4月発行の資料の艦首部分の艦内側面図を見ると、利根、摩耶、那智は水中聴音機装備区画と水中聴音室が書かれています。 いろんな資料を見てみましたが、この本以外に水中聴音機が重巡に搭載されていたという記述が見当たりません。 実際に聴音機は重巡に搭載されていたのでしょうか? おでんボーイ |
実艦と図面は異なる場合もありますし、どの程度信用できるのかという気はしますが、ご参考まで。
Ranchan
妙高 九三式
高雄型 零式(略確実)
最上型 九三式(略確実)
とありました
駄レス国務長官
高雄型が零式搭載との資料があるのですね。
零式水中聴音機は戦艦空母用というイメージがあったんで驚きです
搭載されていたとしても93式だろうなと思ってました
おでんボーイ
駄レス国務長官
1338 |
第二次大戦中の高速戦艦は時速29ノットぐらいのものが多いいですがこれ以上の速度だと、運用上の困難が発生するのでしょうか? 前田が泣いてるぞ |
hush
速度を1.1倍にするなら1.1^3で1.331倍の出力が必要です。
1.2倍なら1.728倍の出力が必要です。
1.3倍なら2.197倍の出力が必要です。
つまり16万馬力で27ノット出せる船体で30ノット出そうと思ったらエンジン出力を最低でも22万馬力に強化しなければなりません。
運用上の困難が発生するというより、主機を1〜2基増やすくらいの変更が必要で、そうなると機関にスペースと重量をとられますから走攻守のバランスが崩れ、さらにバランスを保とうとすると船体規模そのものを大きくしなければならなくなり……と、戦艦として成立させるのが難しくなっていくのです。
おうる
自分も以前より何でWW2時の新戦艦の最高速力は揃って30ノット前後なのだろう?・・・と思っておりました。
WW2時では、英巡洋戦艦のように何かを犠牲にしないと30ノット以上は目指せなかった訳ですね。
基準排水量45,000t、33ノッターのアイオワ型戦艦でも防御が手薄気味ですし・・・。
仮想戦記などで「戦艦××:最高速力45ノット」とかあるのが如何に「火葬」なのかよく分かりました。
Ranchan
40ノットで航行中の船の甲板上には風速20mもの風が吹いてます。
おうる
「そんな最高速度が何で必要なんだよ?」
とか
「そんな速力で突っ走ってちゃんと敵に弾当てられるの?」
とか言いたくなります。
Ranchan
それ以上の速度を出せる飛行機が命中させるのだから、その点は大丈夫かと。
ただ、そこまでの速度となると、ジェット・エンジンを載せた水面効果船ですかとか思うわけですが、航空機はそれ以上の速度を出しますので、意味はないだろうなと思います。
hush
1337 |
日本の巡洋艦の艦名は山岳や河川から採られますが、これらの名前にも、戦艦における同型艦同士の繋がりのようなもの(伊勢・日向で天照大神繋がり等)は存在するのでしょうか? Volgograd |
球磨と多摩は音の類似から。
愛宕と高雄はともに京都近傍の山。
駆逐艦ですが、綾波、磯波、浦波、大波はあいうおで始まる言葉+波
百人一首+暗号で調べてもらうと、百人一首が言葉の重なりで他の歌と繋がっていることが分かると思いますが、今なら駄洒落ですかと思われるような言葉遊びを尊ぶ文化があったわけです。
命名権者の明治天皇は歌人でしたので、そういうことが生じたのでしょう。
hush
また、開戦時の我国の戦艦名は57577となっているのは有名です。
英国では、c級軽巡やd級軽巡を挙げられます。
言葉遊びかユーモアか、それとも軍事的な意味があるのかは知りませんが、結構あるようですね。
失格
八百島・五十島 数字と島つながり(海防艦より二等巡洋艦に艦種変更)
・・・なんぞは如何でせう
駄レス国務長官
練習巡洋艦は、香取、鹿島、香椎、橿原と「か」で頭を揃えてもいますね。
C、D型だけでなく、E型もですね。Emerald、Enterprise、Euphrates。
>3
忘れておりました…。
hush
天城、赤城、愛鷹、愛宕も頭揃えですけどそこは
駄レス国務長官
閣下、あれは巡洋戦艦でございますし、愛鷹は高雄となりましたので、あえて触れておりませぬ。
hush
Ranchan
金剛級が1931年に戦艦に類別されたことから、戦艦の範疇に容れてもよろしいのでは。
http://www.warbirds.sakura.ne.jp/ansqn/logs/B002/B0000991.html
で長官閣下が仰るように、装甲巡洋艦として計画されてはいますが。
hush
私の質問が不明瞭で申し訳ありません。金剛型や筑波型・鞍馬型などの巡洋戦艦・装甲巡洋艦は、この場においては巡洋艦の括りでお願いします。
ところで、個人的には妙高型と高雄型の繋がりが気になるのですが、何かご存じの方はいらっしゃるでしょうか。
Volgograd
>妙高、足柄級
すべて山岳信仰のある山ですね。
hush
失礼しました。
hush
>山岳信仰
それはその通りなのですが、山岳信仰自体は日本に多数あります。その中から選ぶからには、何かテーマがありそうだと思う次第です。
Volgograd
那智 熊野三山
足柄 矢倉神社(1939年足柄神社) 倭建命を案内した白鹿に由来
羽黒 出羽三山
高雄 神護寺(和気清麻呂霊廟1874年護王神社)
愛宕 白雲寺(1870年愛宕神社) 勝軍地蔵を祭る火伏の神社
摩耶 天上寺
鳥海 鳥海山大権現(1868年大物忌神社)
hush
箱根の関は東海道の関所で、鈴鹿の関以東だった関東という語を、ずっと東に移動させた場所です。中でも899年に足柄坂に作られた足柄関は古代の重要な関所でした。
一方、越の中山で知られる妙高山は北国街道の関所でもあり、善光寺の背後に聳える山として有名だったからです。
hush
1336 |
「レッドサン・ブラッククロス」というボードゲームが存在します。 ここに登場する架空艦についてなのですが、 播磨級:播磨・能登・美濃 出雲級:出雲・讃岐 常陸級:常陸・上総 (なお、加賀・紀伊・尾張・甲斐は既に使われている。) となっているのですが、これら艦名の関連性が分かりません。何か知っている方や閃いた方は教えてください。 あぼっけ |
頓馬天狗
おうる
1335 |
日本における戦艦の命名規則についての質問です。 「越後」「上総」など、前後や上下といった言葉の入った旧国名は戦艦に使われない(「肥前」「丹後」は戦利艦なので別)という話をネット上で見かけました。 しかし、これが何らかの根拠あってのものなのか、単なる推測なのか、恥ずかしながら確認できませんでした。 ですので、この法則に根拠はあるのか、あるとすればその資料は何か、ご存知の方がいらっしゃれば、何卒この二つについて教えていただけないでしょうか。 浪川 |
また、艦艇の命名基準というのは1905年8月1日に定められたとされるのですが、その第一着として、相模、丹後、阿蘇、宗谷、津軽、翌9月に肥前が命名されています。
もし、そういう都からの遠近でつけられる前後や上中下の文字のつく国名はつけないという規則があったのなら、最初から破っていることになると思われます。
後付けで考えた根拠だと思っております。
hush
hush
「薩摩」「石見」「日向」「長門」「土佐」・・・
有名な戦艦ですが、艦名となった旧国名は「中国−遠国」ランク(全16ランク中12番目)ですものね。
個人的には「大和型戦艦が計画通り量産されていたら、『武蔵』以降の艦はどう命名されたのだろう」との点に興味を持っております。
「大和」「武蔵」「紀伊」「尾張」「常陸」(徳川御三家)とかかな・・・とか妄想中。
Ranchan
常陸は常陸丸を思い出しますからね。
あと、信濃の姉妹艦の艦名が伝わっていないのに、798-9号艦の艦名が伝わっているというのは不思議に思っています。
hush
こちらのYahoo知恵袋によると「肥前・肥後、越前・越中・越後などは人為的な区分で趣がない」との理由から、明治の太政官令によって候補から除外された、とあります。(戦利艦は鹵獲地点や修復した工廠、古戦場に因むため例外であるとのこと)
しかしこれ以外に出典を示したソースが見当たらず、「明治の太政官令」も見つけられないで居るので、ご存じの方は教えてください。
Andow
だいたい、それでいったら、東や陸奥はどうなるのだろうと思いますし、本居宣長が申していますように日の本というのは中国の東という位置を表す語ですが。
「明治の太政官令」というのは、その中のどれかを指すのでしょうが、何を指すのかは存じません。
hush
それらを差し置いて「土佐」(中国−遠国)が選ばれていますし・・・。
艦名とするに相応しい謂れがあれば「大国」「上国」などの「国のランク」は気にせず命名してたのかな・・・という気も。
>4
「常陸丸事件」がありましたか・・・。
じゃあ797号艦は「駿河」(上国−中国)かな。
Ranchan
大和型三番艦に関しては、空母への変更に関わらず「信濃」であった、と聞きます(加賀
浪川
ほぼ確実なのは、2隻で対になるように命名することです。
土佐は加賀と南北軸、長門と陸奥は本州の両端、赤城と天城は艦名の類似というように多数の例がありますが、3、4番艦については、高雄(予定艦名愛鷹)、愛宕というように、それぞれのペアが優先されるように思います。
常陸丸は次代も沈んでいますから、民間船とはいえと思っております。
hush
すいません、途中送信です。
大和型三番艦に関しては、空母への変更に関わらず「信濃」であったと聞きます(加賀などと同様)。
無知を晒すようで恐縮ですが、この辺りについてもご享受お願いします。
また、一一一号艦並びに七九七号艦の艦名の予想についても、重ねてご協力いただきたく存じます。
浪川
軍艦は海軍大臣が艦名を選定し天皇が治定するものですので、一度、決まった艦名が変更になることはあまりありません。その数少ない例が、大鯨から龍鳳となったケースです(他に、安宅となった勿来の例があります)。したがって、信濃も戦艦としての候補艦名ではなかったと思っております。
もっとも、雲龍級の大量建造により空母らしい艦名の払底が予想されることから1943年に空母の艦名に山岳名が追加されていますが、国名も追加されたという文を読んだ記憶があります。今、調べてもどこに載っていたのか分からないのですが、これが本当なら、その一環として命名されたとも考えられます。というのは、大鳳級も大量建造が予定されており、その艦名も困ったと思うからです。
一応、信濃の命名は1944年7月1日と空母に改装中のことですので、上記のことに関しては推測でしかありません。
したがいまして、「無知を晒す」も何も、こちらも砂上の楼閣ですのでご安心ください。
なお、111、ならびに797号艦については、現状、何の情報もなく、推測以前となりますので、私は遠慮させていただきます。
hush
学研本48「日本軍艦発達史」P158に
「四隻の『大和』型戦艦が起工された。
このうち『大和』『武蔵』が竣工し、『紀伊』は航空母艦『信濃』と改名、改造されて竣工した。
しかし『尾張』または『飛騨』と命名されたであろう四番艦は、開戦により工事が中止され解体された。」(遠藤 明氏著)
とあるのですが、文中の110号艦「『紀伊』→『信濃』」、111号艦「『尾張』または『飛騨』」の根拠は触れられていません。
>11
>信濃も戦艦としての候補艦名ではなかったと思っております。
確認させて頂きたいのですが、上文は「信濃も戦艦としての候補艦名ではなかった『か』と思っております。」が正しく、「か」が脱落しているのではないでしょうか?(文意が逆転してしまうので・・・)
Ranchan
>「か」が脱落しているのではないでしょうか?
謹んでそのように訂正させていただきます。
肝心要のところで逆になるところがあって、どないしましょうと思っています。
>紀伊、尾張、飛騨
遠藤先生が仰ることですので、何かあるんでしょうね。
hush
「紀伊」「尾張」はともに「上国−近国」(全16ランク中6番目)の徳川御三家なので大和型戦艦の艦名に相応しいと思うのですが、なんで「飛騨」(「下国−中国」、全16ランク中15番目)が出てくるんでしょう?
「播磨」「駿河」「甲斐」とか、他に幾らでもあると思うのですが。
Ranchan
飛騨地方には「飛騨の口碑」なる伝承があるらしく、それは「日本で最初に海から浮かんだのは飛騨地方(の乗鞍岳)である」というものだそうです。
また他にも天孫降臨や天照大神の伝承も存在し、加えて縄文時代の遺跡も見られることから「飛騨王朝」なる説も存在するそうです。
「紀伊」「尾張」ならば徳川御三家で説明がつきそうですが、「紀伊」「飛騨」パターンの場合、飛騨側にはこの辺の伝承が絡んできそうです。
(付け加えるなら、飛騨の両面宿儺と、紀伊の金平鹿の鬼つながり。ただ両面宿儺は寧ろ信濃の建御名方神の方が馴染む気がするのが課題。)
Volgograd
ご教示有り難うございます。
ランクの低い国ですが、「飛騨」には「伊勢」「日向」の場合と同様日本神話上の重要な伝承があったんですね。
Ranchan
仮に「日本軍艦発達史」の説を正しいとした場合、一一〇号艦の名前をわざわざ信濃に変更した理由は何なのでしょう。
浪川
「紀伊」の名前は別の戦艦に使いたかった、等でしょうか?
命名時はまだ松代大本営の計画はなかった筈ですし、格式のある紀伊の名前は取っておくつもりだったのでしょうか。
Andow
>一一〇号艦の名前をわざわざ信濃に変更した理由は何なのでしょう。
hush様ご指摘のように「2隻で対になるように命名する」からではないでしょうか。
同型艦がもう確実に生じない「航空母艦110号艦」なら、以前より「尾張」とペアと見做されている「紀伊」より、日本の中心に位置し上国であり、かつ適当なペア国のない「信濃」という艦名が相応しい・・・というのはいかがでしょう?
Ranchan
C計画に基く戦艦信濃及紀伊は夫々横須賀及呉海軍工廠に於て起工(紀伊は予定より六ヶ月繰上げ)し二重底迄の船殻工事を終った時期に主として甲鈑の製造遅延の為一時建造工事を中止するに至ったが後日開戦後の軍備戦備計画の大改變に基き信濃は航空母艦として再現せしめ得たが紀伊は遂に解体することとなったものである。
【国会図書館デジタルアーカイブ】
海軍の軍備並びに戦備の全貌 其の三(開戦直前の応急軍備、戦備と(5)及び(6)計画の概要) (文書名: Japanese Monographs = 日本軍戦史 ; Monograph No. 160) (ボックス番号: 21)
https://dl.ndl.go.jp/pid/8815683/1/29
のP.11から転写したものです。
占領時に纏められた資料のようです(昭和26年2月調製)
ご参考まで。
太助
URLを変更します。
https://dl.ndl.go.jp/pid/8815683/1/10
太助
Ranchan
●前提1
1番艦=大和
2番艦=武蔵
3番艦=信濃?
4番艦=紀伊??
5番艦=?
●前提2
1番艦=大和 と 2番艦=武蔵 はペア
仮にD計画の797号艦も準大和型とみなすと、大和型が最大5隻ということもあり得ます。またまた仮に艦名はペアが望ましいとしても、この場合5隻÷2=2.5ペアと整数のペアにはできません。つまり1番艦から順に
@3隻+2隻の組合せ
A2隻+1隻+2隻の組合せ
B2隻+2隻+1隻の組合せ
C2隻+3隻の組合せ
の組合せが考えられます。
2隻+1隻、もしくは1隻+2隻は、3隻と括れますので、細分化すれば、
A2隻+1隻+2隻の組合せ ⇒@ACに派生
B2隻+2隻+1隻の組合せ ⇒BCに派生
になろうかと考えます。
何が言いたいかというと、3番艦と4番艦は必ずしもペア名称でなくてもよいのでは?ということです。
★A(大和武蔵ペア)+(信濃)+(紀伊5番艦ペア)
として111号艦と797号艦の名称ペアを考えるか、
★B(大和武蔵ペア)+(信濃紀伊ペア)+(797号艦)
として、信濃と紀伊のペア要素を考えるか、
★B(大和武蔵ペア)+(信濃111号艦ペア)+(797号艦)
として、信濃とペアになる111号艦名称を考えるか、
★B(大和武蔵ペア)+(信濃の元の名前?111号艦ペア)+(797号艦)
として、信濃の元の名前?と111号艦名称のペアを考えるか、
に別けて考えられるのではないかと、どれが正しいとかは判らないですけどね。もしかしたら5番艦が尾張なら1つ目の★になるかもしれないし(終わりって語呂は悪いですが)、信濃と紀伊のペア要素が何かあって2つ目の★になるかもしれない(どっちも万葉集に出てくるとか)。遠藤さんの仰るように信濃には戦艦時代に111号艦とペアになる別名があって4つ目の★が正解かもしれない。
以上が個人的見解で、以下も個人的見解ですが、1つ目の★は少なくとも>>20-21に転記した占領期の資料はある、ただ797号艦を含めて考察することに違和感がある人もいるはず。2つ目の★はこじつけ程度の根拠しか思いつかない。4つ目の★は797号艦を別物と考えると有り得るが元資料が不明だし、艦名を変えたとするのは違和感あり。
進水もしていない、正式な通知のない艦の名称を云々することが間違いなのかもしれませんが、まあ気にはなりますよね。突っ込んだことは書かずに3つ目の★で111号艦名称未決定と言って置くのがが正解に近いかな。もちろん>>19の考察もありだと思いますよ。
太助
紀伊、尾張といえば、徳川御三家ということで分かりやすいのですが、徳川家の話では学習院内ではかなり肩身が狭かったと申しております。
もちろん、樅級駆逐艦の9番艦が菊、10番艦が葵と命名されており第14駆逐隊を編制してはいるのですが、名誉回復がなされただろうかとは思っています。
和歌山市には日前(ひのさき)、国懸(くにかかす)神宮が並んでいますが、これは明治以前に神宮を名乗っていた珍しい神社です。また、この神社には伊勢神宮の八咫鏡と同等とされる鏡が祭られています。あと、いわゆる神武東征で二度目の上陸点となったのが熊野で、これも紀伊国です。
尾張国には熱田神宮がありますが、ここには草薙剣があります。
つまり、紀伊と尾張には三種の神器のうち、鏡と剣があるわけです。これで勾玉が信濃にあれば謎は解けたとなるわけですが、そのような話は聞きません(もっとも、三種の神器は二種が本当だったという説もありますが、これは措いときます)。
ただ、信濃には「梁塵秘抄」に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」と詠まれた諏訪大社があります。そして、祭神はオオナムチ(大国主)の子タケミナカタで、日本神話の国譲りで最後に恭順した神であり、天孫系から見ると、勝利の地です。
もっとも、飛騨となると記紀にそれほどの記述もないようですし、両面宿儺は日本書紀に少しだけでてくるだけです。
なお、金平鹿は坂田金平あたりから出てきた名ではないかと思うのですが、口碑にすぎません。
hush
大和型3番艦=信濃は(御上へ艦名の由来を説明する際はなにかそれらしい話を用意するにしても)、実際は国民に馴染みのある小説に登場する戦艦から採られた可能性はないものかな?
太助
Wikipediaによると、その信濃は、「第○艦隊旗艦の戦艦。名称のみ登場」だそうです。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1720498 で本は読めますが、国民の目に留まるほど登場するかどうかは怪しいかもですね。
hush
クロロ
松代大本営ですか?
Wikipediaによるとその計画は1944年1月に発案されたそうで(その時点では場所までは決まっていないか?)、信濃と艦名示達されたのが1944年7月とすると、確かに旬な名ではあるかもしれませんね。
まあ昭和天皇が1944年7月の時点で事実上の疎開をする気があったのか、また疎開先の地名を艦名につけるのを良しとされたのか。個人的には疎開先を艦名につけたとしたら、キツい部類の皮肉かなあと感じてしまいます。しかし、名は体を表す、本来は褒め言葉のはずですし、勝てないまでも負けない未来を想像したら、反転攻勢のきっかけになる良い名だったのかなとも思います。
太助
水木しげるが書いているように、当時も現役の船ですが。
hush
艦名の由来なんかは由緒正しいものを、後でそれこそこじつけるのかもしれませんが。
昭和期も明治期のごとく、和歌とかに由来して発想していたんでしょうかね?
もっとも、仮装巡洋艦信濃丸はこじつけだろうというのは同意します。現役の船から名前とってくるのはやり過ぎな感じです。
太助
>昭和期も明治期のごとく、和歌とかに由来して
命名権は途中から海軍大臣に移りましたので、単に伝統を重視しただけです。
でなければ、古歌の時代には他国だった夕張などという名はつきません。
>現役の船から名前とってくる
赤城丸も、長良丸もありますね。能代丸は、巡洋艦能代の建造が決まったからではないかと思いますが、能代川丸と改名しています。
hush
巡洋艦の艦名は天皇陛下がお決めになられるものと思っていましたが、違いましたか。詳しくないので教えて頂ければ助かります。
>>赤城丸
砲艦の赤城か、特設巡洋艦の赤城丸のことでしょうか?
砲艦の赤城は軍艦赤城の命名前に除籍・売却されているようですし、特設巡洋艦の赤城丸の場合は軍艦赤城の命名後でしかも徴用船ですよね。ちょっと意味をくみ取りかねております。ごめんなさい。
太助
ごめんなさい、寝ぼけていたようです。
hush
1334 |
近代戦艦は皆二重底になっています。しかしアメリカのノースダコタ級、アイオワ級は三重底になっています。これらは、艦底での魚雷、機雷の爆発に耐えることを目的としたようです。日本の大和級では従来の二重底です。無理に三重にしなくても二重でよい、というのが建艦当局の考えだったようです。 私は少し意地悪に考えています。すなわち、リベットで三重底を作るのがは面倒だからそれを避けたのではないでしょうか。二重ですとT字型の接合線が現れますがリベットでも何とか工作できます。三重にすると十字型の立体的な接続部分が現れますので結構面倒な気がします。溶接ならもっと簡単なのですが、日本海軍は重要部分はリベットでないとダメとしていました。アイオワ級は溶接が主だったので楽にできたのでしょう。 電気戦艦 |
Ranchan
電気戦艦
「中心からズレたところ」を「舷側に近い部分」に改めます。推進軸は4本ありましたから、この表現ではまずいです。
電気戦艦
また、確かアイオワ型の後期艦は2重訂にした筈です。理由は不明ですが、3重底採用の大きな原因である艦底で起爆する魚雷の開発失敗があったのかもしれません。
インターネットではなく、伊藤正徳氏、黛氏、牧野茂氏等の著作、記事によります。
老人
>アイオワ型の後期艦は2重底…魚雷の開発失敗があったのかもしれません
実際には1939年の水密試験で水中防御力の不足が発生し、設計を改めた結果だそうです。
ところで、また、ハンドル・ネームがおかわりになったようですが。
hush
老人様 ありがとうございます。しかし因果関係に少しズレがあります。信濃を空母にすると決めたので、対戦艦は考慮せず、重巡からの20cm砲弾に耐えればよい、ということで舷側装甲厚を200mmにしました。(では既にあった400mmの厚い装甲板は、どうなったのかについて何年か前に本欄で質問したことがります。結局再加熱して圧延し直したのでしょう)。
>5/
hush様 ありがとうございます。 アイオワ級の舷側内部にある傾斜装甲板の先端が艦底に接続される部分に弱点があることが実物大試験でわかったので改良したようですが、詳細を現在自分は知りません。何かリベットと溶接の比較があったらしいので、もう少し調べてみましょう。
電気戦艦
ここで「溶接とリベット」とあるのは勘違いですから取り下げます。溶接部分周辺に魚雷爆発時の圧力で割れが入ることを心配したようです。Wikiを読んでも図面が全くないので、詳しいことは理解できませんでした。すみません
電気戦艦
5.>4 水中防御力の不足が判明したことで、3重底を2重底にするというのも変な話ですね。
痴呆の老人ネーム変更
松本氏の著書によれば、起工してしてまもなく機関部の防御強化のため、設計を二重底の強化と一部の三重底化がなされたのであり、全てが三重底になっているとは言えないと思います。具体的なことは、この本だけではわからないのが現状です。
電気戦艦
但し、これらは四角の枠にきされた本来の質問とは無関係。従って、これ以上は止め。
痴呆の老人
ありがとうございました。いつか「世界の艦船」のバックナンバー見る機会ありましたら探してみましょう。
電気戦艦
それもそうかと思ってアメリカ人の研究者に聞いてみました。
1939年の水密テストの結果、アイオワ級の装甲が下まで伸びているので、魚雷命中時にその装甲の硬さで艦内を破壊してしまう。このため、ノース・カロライナ級のように途中で止めたほうが魚雷防御上有利となった。そして、二重底への変更は、そのために空隙部を増やすためではないかということでした。
もっとも https://www.navsource.org/archives/01/016613.jpg の写真のキャプションには三重底とありますので、二重底は単なる計画だけの話だったのかもしれません。
hush
興味深い写真ありがとうございました。ほぼ真ん中左寄りに装置があります。これは電気溶接用の電流制御用の装置と思われます。装置の左右に電力ケーブルが見えます。
傾斜舷側装甲板と三重底上部との結合に問題があるとされているようです。魚雷防御の観点からは、爆風により対応する隔壁が風船のように膨れ尚且つ三重底との結合が十分ならいいわけです。しかし、サウスダコタ級やアイオワ級のように傾斜装甲板の最下部が2インチ近くある場合は、剛性により三重底の上部水平面が曲げで引きちぎられる恐れを問題にしたのかと想像します。
電気戦艦
より分かりやすくしてもらい、ありがとうございます。
ご存知かと思いますが、アメリカ艦艇の写真なら https://www.navsource.org/archives/ で、網羅的に出てきます。
hush
大変役に立つ写真集の紹介ありがとうございました。戦艦のところざっとみまして気づいた面白いところ書き出しました。
1. アイオワ級の完成した4艦は、リベットと電気溶接が共用されていることが明記されています。モヤモヤしていたのではっきりしてよかったです。後続のイリノイとケンタッキーは全溶接で計画されていました。イリノイは1945年1月に起工したということです。アメリカの余力というか、官僚主義で決めたことはやるという態度が伺えました。
2. ノースカロライナの起工式の写真に巨大な馬蹄形の鋼製の装置が写っています。これが水圧(油圧ではありません)リベッターです。大型の部材を太いリベットで止める時に使います。日本の造船業では使用例があるかどうかわかりませんが、ボイラ製作には使われました。日本の造船業ではリベット手打ちから空気リベッターに一挙に替わったと思われます。
3. モンタナ級の水中防御システムはノースカロライナ級によく似ています。サウスダコタ級、アイオワ級の舷側装甲の艦底への取り付けかたで不安があったのでノースカロライナ風に先祖返りしたのでしょう。
電気戦艦
お役に立てたのなら幸いです。
hush
1333 |
日本海軍艦艇の炭酸ガス発生装置と火災消火方法について質問です。 これまで海軍艦艇で作られたラムネは酸素魚雷用の酸素発生装置の副産物で出る炭酸ガスで作られているものと理解しておりましたが、ラムネは魚雷を積んでない戦艦でも製造されています。 また、ネットで調べてみると「戦艦大和には消火用の炭酸ガス発生装置が積まれていて、それで得られた炭酸ガスでラムネを作っていた」という記事を見つけました。また一部には消火用の炭酸ガス発生装置について「窒息消火」という言葉が添えられている物もありました。 しかし、艦内で炭酸ガスを充満させて酸欠で消火させる窒息消火は非常に危険です。炭酸ガスは目に見えませんし、火災区画以外に炭酸ガスが流出すれば乗員を二酸化炭素中毒や酸欠で死に至らしめる危険もあり、また火災区画だけとはいえ艦内を二酸化炭素で満たすには相当な量の炭酸ガスが必要になると思われます。 美術館や博物館などで不活性ガスによる窒息消火システムがあるのは知っていますが、軍艦で炭酸ガスによる窒息消火が行われるとはにわかには信じがたいものがあります。炭酸ガスが消火に使われるとすれば消火剤の噴射や石鹸水の発泡に使われる程度だと考えますが、実際のところどうだったのか気になり質問させていただきます。 1.戦艦等に搭載された炭酸ガス発生装置はどういうもの? 2.炭酸ガス発生装置で得られた炭酸ガスの用途は消火とラムネ製造だけ?(一部に冷媒ガスとして使われていたという記事を見つけましたが、冷媒ガスは密閉されるから炭酸ガス発生装置から補充する必要まではなさそうな・・・) 3.消火の際の炭酸ガスの使い方は本当に窒息消火? 以上、よろしくお願いします。 おうる |
というのは、1920-60年代では炭酸ガスを用いる方式しかなかったようだからです。
詳しくありませんので、とりあえず調べたことだけ。
hush
回答ありがとうございます。
質問した後も少し調べてみました。
二酸化炭素消火装置が発明されたのは1914年のアメリカで、日本が二酸化炭素消火装置の国産化に成功したのが1933年。
船舶安全法が施行されて船舶に消防設備の整備が義務付けられ、軍艦を含め国内にも二酸化炭素消火装置が普及。
ただし、軍艦に搭載された消火用の二酸化炭素発生装置なるものは見つけられませんでした。
長門以前は戦艦も魚雷を装備していたので強力なコンプレッサーを装備していました。また、火薬庫の冷却に炭酸ガス式冷却装置が用いられていました。昭和5年版の日本海軍の教科書を見ると、コンプレッサーで45気圧以上に圧縮した空気を10℃に冷やすと液化炭酸ガスが抽出できるそうなので、コンプレッサーから副産物として液化炭酸ガスを抽出していたのではないかと推測していますが、確証が得られません。
おうる
1332 |
https://toyokeizai.net/articles/-/822419 上記のリンクは第二次大戦時の日本の潜水艦の弱点を書いた記事です。その中で空調の不備のため2日間しか潜航出来ないというのが有ります。空調の不備の原因とは具体的にどんな技術的不備が有ったのでしょうか? まさのり |
というかそんな何日も潜れる潜水艦なんて原潜くらいかと。まず中の人間が吸う酸素が持ちません。(原潜は大量に電気が使えるので海水を電気分解して酸素を生成できるのですが)
シュノーケルを用いれば潜水しながらの吸排気は可能ですがこの記事ではそこには触れてませんしやはり当時の潜水艦で潜航しながらというのは無理かと(現代はどうなのか?と問われると答えられないのですが……)
私は潜水艦に特段詳しいわけではないのですがこの記事はあまり真に受けないほうがいいかと
豆戦車マン
もちろん、意識を失くした状況が続けば死に至ります。
ところが呂108で8時間の潜水実験を行ったところ、発令所で3.05%まで上昇したそうです。
このため空気清浄装置を装備していましたが、艦内に送る電動ファンの騒音が大きく、発熱量も多く艦内温度がかなり上がったそうです。
また、シュノーケルなど持たない当時の日本の潜水艦は長時間の潜航は考えていませんでしたが、レーダーの普及とソナーの進歩により長時間無音潜航を余儀なくされています。
特に伊44は39時間15分もの潜航を行っています。
にもかかわらず、炭素濃度測定器も1943年になってようやく配備されただけで、ようやくアルカリセルロースによる応急清浄に成功しましたが、量産計画中に敗戦となっています。
もちろん、その他のガスも発生するわけですが、中には冷房用のフレオンの不足から冷媒にメチルクロライドを使用したため、漏れて乗員の大半が中毒したケースもあります。
hush
まさのり
>日本の場合発電機等の電気系の装置に問題が有った
遣独潜水艦を見たUボート関係者の感想に、「日本の潜水艦は軍楽隊を乗せているのか」というのがありました。
向こうにしてみたら、こんな歯車やベアリングで航行していたら音を立てるのは当たり前で、すぐに見つかるということでしょう。
これは、ドイツと日本で工作の精度が一桁か二桁か違うからです。
そもそも、日本の工作機械で精度がいいのはアメリカやドイツの輸入品ばかりで、国産品は劣っていました。
そういう中で艦内に送る電動ファンの騒音が大きいとわざわざ国内の記録に残っているぐらいですから、論外の品だったということでしょう。
>冷媒用、フィルター用の資材が足らなかった
何もかも足っていません。
そういう類はほとんど輸入品だったのではないかと思いますが、戦争はそれを止めてしまうわけですから。
あと、日本は世界の天然ゴムの8割を占めていたマレーシアとインドネシアを押さえたのに、艦船用の防振ゴムの研究は戦時中の1942年からでした。
それもドイツの情報を得てからでした。
hush
まさのり
第2に、50年程前の世界の艦船の居住特集に記された旧海軍の潜水艦の居住関係者の記事では、炭酸ガス吸収剤等の遅れは記されていますが、空調機器の遅れについては記されていません。そんなもの、実質無いに等しいようです。常時、湿度100パーセント、32℃以上のようです。
読書人
お書きになられたハード面とソフト面は当該記事にすでに書かれており、その上で「いずれも日本潜水艦がアメリカ海軍の攻撃をかわせなかった、逃げ切れなかった理由でもないからである」と書かれているのは御存じでしょうか。
あと、アメリカの空母打撃部隊の編成に原子力潜水艦が含まれているのは、空母を守るためと思っていましたが、これは間違いでしょうか。
なお、 https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6%E5%8F%B2-1979%E5%B9%B4/dp/B000J8CW8G に掲載された伊藤信義軍医大尉の記録によると、潜航後3時間で兵員室の温度は33度、5時間後の湿度は85%で、浮上するまで続いたとあり、潜航12時間で炭酸ガス濃度は3.24-3.62%となったとあり、軍医にとって、炭酸ガス濃度は関心事だったようです。
hush