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艦船関係
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898 大和型戦艦の防御要領なんですが、司令塔やバーベットの側面は自艦の主砲に対し20000mで耐える、中甲板装甲等は30000mで耐えるとなっていたと思います。
ですが、司令塔の前面は側面より60mm薄く、バーベットの前・後面等も薄いです。
このような部位の厚さはどのように決定されたのでしょうか?
Mk.63GFCS

  1.  命中する割合が低いからではないでしょうか。
     大和クラスの場合は射程が大きいので、相手の懐に飛び込んでいって射撃するというのは、想定されていないはずです。同航戦か、反航戦、つまり、並行しての砲撃戦です。この場合、被弾率は、舷側側のほうが、首尾線側より高くなります。
     そして、同級は、集中防御方式をとっていますので、被弾する可能性が低い部分は軽い装甲、場合によっては貫通してもよいという考えになります。したがって、旋回するターレット部ならともかく、同じ側を向けるはずのバーレット部や司令塔は舷側部重視ということになり、曲面部により補うという考えではないかと思っております。
     もっとも、こちらは装甲の厚さが異なっていたことも知らなかった素人ですので、誤りがあったとしてもお許し下さい。
     
    hush


  2. 厚さを減らした理由は恐らくそれだろうと思っています。
    ただ、具体的に何ミリ減らすか、というのをどういう基準に基づいて決定したのかが知りたいのです。
    つまり、46cm砲弾に対して20000mから30000mの防御力を舷側装甲や中甲板装甲、司令塔やバーベット側面部の装甲厚を決定する基準としたのなら、それ以外の場所の基準は何だったのか、ということです。
    Mk.63GFCS


  3. 松本喜太郎著「戦艦大和 設計と建造」の「第三章 防禦計画について」に「甲鉄厚の計算」の項があり、弾丸と甲鉄の均衡状態を求めるのに「日本海軍では・・・Jacob de Marre氏の式を・・・用いていた」とあります
    甲鉄面に対して斜撃となる場合は撃角に対応する撃速修正率FMを実験により求める必要があるとのコトです
    46糎弾についてのFM曲線は焼却処分されたので陸奥設計時の40糎弾のデータを参照すると、撃角30度のトキはFMが1.4つまり撃角ゼロ時の1.4倍の弾速で均衡するコトになります(逆に言えば弾速×1/1.4に対応する甲鉄厚で良い)
    駄レス国務長官


  4. ええと、そういうことではなくてですね。
    舷側装甲や中甲板装甲は46cm砲弾に対し20,000mから30,000mの間で安全距離を持つことを基準としています。
    しかし、hush氏の言う通り砲弾が当たりにくい部分もあり、そこは薄くなっているわけです。
    となれば例えば安全距離を40cm砲弾に対し20,000mから30,000mや、46cm砲弾に対し25,000mから35,000mというように基準が下げられていると思われるのですが、具体的にどれぐらいに下げられたのでしょうか?
    ということを聞きたいのです。
    説明が下手ですみません。
    Mk.63 GFCS


  5. 知識は無いので受け売りですが、ここ興味深いですよ。
    下記を検索して見て下さい。

    おまけ2 艦砲と(略)日本戦艦編

    バーベット後面に付いては、そこに砲弾が至るまでに砲弾のエネルギーを殺す要素が沢山有るかと思います。で、史実の様な厚さになったのかと。
    暇人


  6. バーベットの露出部は厚かったですね。560?
    暇人


  7. 2万での貫通力が垂直490mm程度で考えて舷側410mm傾斜20°やら司令塔の500mmなのでしょう。条件は満たしているのでは無いでしょうか。

    敵艦を発見しまずは距離を詰める(前面の防御力が必要)主砲は敵艦の方を向いているので前面と天蓋が耐えれば良し。で、hushさんの書いた通り同航戦か反航戦で撃ちあうので、むしろ側面は強化されているのかと。

    主砲塔の側面に付いては、敵主力漸減してくる筈だった対巡洋艦防禦で良しとしたのでしょう。8インチ砲の貫通力とか調べられると良いかと。
    暇人


  8. 大和型の46cm砲はVC鋼鈑に対し20,000mで566mmで、これを基準に設計が行われたと思っていたのですが違うのでしょうか?
    本来ならVH鋼鈑に対して行わなければならないのでしょうが、実用化されたのが確か1937年で大和が起工する年、設計には間に合わずやらなかったものと考えていました。
    566mmとした場合、司令塔やバーベットの側面とほぼ合致する値だと思うのですが。

    494mmというのは36cm砲をクラスAアーマーに打ち込んだ時のデータに基づいてアメリカが試算した値で、実際に撃って出た実測値では無かったと聞きます。
    これが本当ならば、値はあまり信用できないのではないでしょうか?
    Mk.63GFCS


  9. 戦艦の舷側装甲の厚さは、敵艦が丁度真横かつ最直近の安全戦闘距離(大和であれば20000メートル)に位置しておれば、艦の進行方向を多少傾けるようにすることを考慮して決める(従って、正撃の場合の必要厚さの90パーセント程度とする)のが原則です(初期の世界の艦船の旧海軍造船官。例えば、福井氏のネルソン型戦艦に関する論文)。艦の丁度前方や後方の場合も、ケースとして希であり、万が一そのような場合には多少進行方向を傾けることにより対処するものとして、薄くしているのだと思います。

    UK


  10. 勿論、それは知ってます。
    私が知りたいのはバーベットや司令塔前面など、垂直においてるのに薄かったりする部分のことです。
    Mk.63 GFCS


  11. 薄くした部分に個々に安全距離を設定するのでなく装甲板の規格厚に従って(例えば1インチ刻みに)薄くしてるだけだと思いますけど
    駄レス国務長官


  12. そんな雑な手段で決めていたんでしょうか?
    Mk.63 GFCS


  13. 決して雑だとは思いません
    工業製品として常道的な手段だと思いますけどね
    司令塔だと560mm(22インチ)の下は500mm(20インチ)ですから変化率は9%に過ぎません

    雑なのはむしろ>4.の方でしょう
    >例えば安全距離を40cm砲弾に対し20,000mから30,000mや、
    ↑ だと一挙に1.5倍の変化率です
    駄レス国務長官


  14. >8
    >20,000mで566mm
    その数値は見ますね。過去ログで他の数値も有ったかと思います。

    バーベットに付いては前述の通りと思います。

    UKさんの意見は貴重なのでは無いでしょうか。
    それに置いては要目を満たしていませんか?
    暇人


  15. 駄レス国務長官さん
    あくまであの値は例として適当に出しただけです。
    私が言いたかったのは側面部などと比べて若干重要度が低いとはいえ防御のための装甲板の厚さを防御の観点から決めないのは雑なのでは雑なのではないか?ということです。

    暇人さん
    いま読み直したら私の認識が他の方の回答とごっちゃになっていたようです。
    なので10番の回答は取り消します。
    すいません。
    Mk.63 GFCS


  16. すいません。
    雑なのでは、が二回入ってしまいました。
    Mk.63 GFCS


  17. 10> 垂直においてるのに薄かったりする部分
    意味不明です。舷側装甲は、最初から20度の傾斜がついています。このため、進行方向を例えば同じ様に10度変えても、舷側と司令塔前面の様な垂直部分とでは、弾丸の撃角が相違してきます。従って、必要な厚さ、あるいは薄くできる割合は変化します。
    UK


  18. >15.
    例えば英KGV級(新しい方)だと背負式砲塔(A・B)のバーベットは側面の12-3/4インチに対して前後方向の外面(Aの前面・Bの後面)が11-3/4インチ、内面(Aの後面・Bの前面)が10-3/4インチになってますからタマの当たる確率(防禦の観点)と製造都合を適宜按配して決めてるのは明白じゃないでしょうか

    >17.
    質問者様は>15.で「10番の回答は取り消す」と書いてますけど
    駄レス国務長官


  19. なるほど。
    ではその手段を用いるとした場合、実際に何mm減らすかというのに細かな基準はあるのでしょうか?
    当たる確率、製造の都合はこの艦型の場合、こういう状況だから○○mm減らします、みたいな。
    Mk.63 GFCS


  20. 計画主任の勘と経験と度胸じゃないでしょうか
    駄レス国務長官


  21. 堤明夫氏にお尋ねしてみた所、設計者が既に亡くなられている為、詳細は分からないという事でしたが、御話の内容からする限り、流石に勘や度胸ではないと思います。
    Mk.63GFCS


  22. >19.で仰せのような「細かな基準」を確立するためには膨大なデータの蓄積と検証、理論式の導出などが必要なのはご理解いただけるかと存じます
    それらが整わない場合は設計者の直観力・洞察力に頼らざるを得ないわけで>20.で「勘」と書いたのはそういうコトです
    「経験」は先行事例と実戦での戦訓ですから異論は出ないでしょう
    「度胸」はいろんな条件に優先度を付けて計画を一本にまとめ関係者を動かす決断力・統率力を意味します
    ようは「設計者のセンス」が最重要でこれが無ければいかに「細かな基準」をいじくってもろくなモノは出来ません
    以上を以って当方の回答を終了します
    駄レス国務長官


  23. >21.
    当該サイトを見て参りましたが堤氏の回答のキモは
    「つまり艦船の設計というものは、決まり切った理論や数式で単純・簡単に計算して出来上がるというものではないということです。」
    これすなわち「設計者のセンス」に他ならないと言うコトじゃないでしょうか
    駄レス国務長官


  24. ふむ、なるほど。
    確かにそうかもしれません。
    Mk.63GFCS



897 自沈処分に限って質問です。どれも軍事上必要な有益性があったのでしょうか。開戦直後ならまだしも、軍事秘密などがあまり重要でなくなった場合など、わざわざ自沈する必要あるのでしょうか。旧日本海軍に限っていえば、現代から見て客観的に、どれも本当に自沈する必要があったのでしょうか。
キャンサードリーム

  1. 自沈の可否の判断基準は、その艦の置かれた状況や場所、相手勢力の強さなどにより違ってきます。

    例を挙げれば、南太平洋海戦で大破・放棄された「ホーネット」(CV-8)でも、日本海軍が衰え、追撃を心配せずともよい昭和20年頃であれば生還できたでしょうし、「フランクリン」(CV-13)も、昭和17年頃では自沈処分された可能性はあると思います。

    自沈処分に疑問を感じられる艦の具体的な艦名などを挙げられた方が宜しいかと思います。

    また自沈処分自体は、乗員や他の艦を救助するために足手まといとなる損傷艦を撃沈処分するものですので、自沈処分自体は有益なものです。
    Ranchan


  2. ・・・旧日本海軍に限っていえば・・・以下は、自沈させないで拿捕されてもたいしたことないのでは?というお尋ねかと思います。

    私の主観では、日本軍の艦船が拿捕された場合、シチュエーションはいろいろでしょうが、やはり悪影響はあると思います。

    その理由としては、
    1.戦闘後に艦を放棄せざるを得ない場合に、機密書類等の処分が完全にできるとは限らないこと(文書回収の実例あり)。
    2.当然ながら搭載兵器や艦内システムを丸々知られてしまえば良くないでしょう。米軍がそれまで推定として用いていた情報が確定情報になってしまいます。
    3.万一主力艦が拿捕された場合、戦力になるかはともかく、宣伝に利用されるでしょう。(例えば霧島がサルベージされて、その後の上陸戦に現れたりしたらどうですかね)

    など思い浮かびます。
    とおり


  3. 鹵獲して使用される事も有るのでは無いでしょうか。日本はやりましたよね。
    又、技術面でも米国からして見るべき所がまるで無い訳でも無いでしょう。
    暇人



896 今月号(2018年7月号)の丸に記載されていた記事について教えて頂きたく書き込ませていただきます。

日本海軍の潜水艦が空調不備で活躍できなかった、という趣旨の記事があったのですが、二酸化炭素吸着と気温・湿度調節機能の不十分が米水上戦闘艦に敗北した最大の理由、という結論でした。
実際問題として日本海軍の潜水艦(伊号潜水艦に限定したとして)が持つ上記の能力は他国の潜水艦に比してそれほど劣るものだったのでしょうか?
艦内容積という観点から見た場合、呂号潜水艦に近い独VII型Uボート等もこれらの問題が大きく影響しそうな気がするのですが……。
薩摩

  1. 逆に質問させて下さい。挙げられた雑誌は読んでいませんが、我国のみならず米国においても第2次大戦中に実戦に配備された潜水艦が気温や湿度の調節機能(設備?)を有していたのでしょうか。
    なお、炭酸ガスの吸収剤は、我国では苛性ソーダ、アルカリセルローズでしたが(世界の艦船の238号。日本潜水艦の居住性はどう変わったか)、米国ではリチウム系の物質を使用していたようです(昭和40年代初期の兵器と技術)。また、最大の敗北理由は、暗号を解読されて待伏せを受けたことだと思います。少なからぬ軍人(井上成美、千早正隆等)が暗号の被解読を疑っていましたが、対応がなされなかったようです。その他、レーダーやソナーや音響対策も劣っており、潜水艦の用い方等のソフトも多きかったと思います。空調不備などは枝葉の事項と思います。
    UK


  2. 追記ですが、日本の場合は白米を炊き、味噌汁を造りました。ドイツは、主食のパンは缶詰であり、副食はサラミソーセージや缶詰のジャガイモやタマネギ等でした。従って、湿気の発生防止からは、有利でした。その他、ビタミン剤も食品に混ぜるだけでなく、頓用が義務付けられていたようです。
    結局は、多くの事項(ノウハウ)の積み重ねです。
    UK


  3.  ようやく書店に赴いて当該記事を読んできたところ、ご指摘の部分は、概ね、以下に書かれていることと同様であると感じております。
     http://www.warbirds.jp/truth/ijn-sub.html

     ところで、こちらには日本の潜水艦に空調があることが書かれております。これは、そちらに書かれているようにフレオン(フロン)を使用するものですが、このフレオンはアメリカのデュポン社の商標です。また、空調設備を開発した大阪金属工業(ダイキン)も、自力で開発したわけではなく、国産化に成功したと記述されています。
     当然、日本の潜水艦に空調があったなら、アメリカの潜水艦にもあったでしょうし、性能はもっとよかったと思っております。もっとも、その具体例をいまだに見つけていないのですが、伯父は飛燕に乗っていて、空中でエンジンが焼き付いて九死に一生を得ています。そして、ドイツのあの直列エンジンをコピーする力が当時の日本にはなかったのだと、技術者でもあった伯父は怒っていましたが、空調においても、コピーはしたが、自家薬籠中のものにするまでには至っていない可能性のほうが高いと思っております。
     
    hush


  4. hush様

    はい、真実一路の当該記事を見たので疑問に思ったのです。
    丸の記事では結論と日本潜水艦の不備のみを強調しており、対する米潜水艦についての言及が皆無でしたので……。
    日本潜水艦と同じ状況に置かれた場合、米潜水艦はどの程度の状態であったのか?
    そういったデータ上の比較も何も書かれておらず、著者が導き出した結論はどのような資料を基に出したのかがさっぱり判りません。
    このため「記事にある能力について日本潜水艦は米潜水艦に比してそれほど劣るものなのか?」という疑問が出た事からこの記事を立てさせて頂きました。
    勿論日米の技術力差等を考慮した場合同等か勝っているとも考え難い事は承知しており、劣るにしてもどの程度かが全く判らなかったのでその辺の差を知りたかったのです。
    薩摩


  5. 追記させて頂きます。前記、世界の艦船では、
    戦前の大型艦の訓練では、「冷却機の音ばかり高くて能力は低く、潜行中はしばしば停止せざるを得ず、艦内温度は常に32℃以上で」と記されています(泉雅爾氏)。
    戦時中は、「冷房はあったがよく利かない上に電力を多く食い騒音を発する。どちらも潜水艦としては禁物なので余程敵情の心配ないときしか使えなかった」と記されています(筑土龍男氏)。
    米潜水艦も似たようなものだと思います。
    それよりも、暗号を解読されていた方が大きいと思います。
    UK


  6.  英語版WikipediaのGato-class submarineの項には、同級にはエアコンが完備されており、除湿機として使用することにより、38℃以上に達する艦内温度や高湿度により発生する水滴による電気関係のショートや火災から守ってくれ、同級が第2次大戦で成功する上で、重要な要因であったと書かれていますね。
     残念ながら、その実際の能力や発生する音がどの程度のものであったかまでは分かりませんでしたが、以下のサイトを丹念に調べれば分かるかもしれません。ただ、そこまでの英語力がないので、放置中です。
     https://maritime.org/doc/fleetsub/refrig/index.htm
     
    hush



895 いつもお教え頂きまして有り難うございます。

捷号作戦時の「大和」「武蔵」が甲板を黒く塗装していたのは有名ですが、栗田艦隊の他の戦艦−「長門」「金剛」「榛名」「扶桑」「山城」−は甲板の黒塗装をしていなかったんでしょうか?
(「大和」では戦闘詳報に「甲板を黒く塗った」との記録があると聞きましたが、他艦にはそのような記録はないのでしょうか?)

また、リノリウム張りの巡洋艦や駆逐艦は「黒塗装」の必要はないものなのでしょうか?

よろしくお願い致します。
Ranchan

  1. 長門に関しては副砲手の方の書いた本によって黒甲板にしたのは確実と言われてますね。金剛・榛名に関しては不明のようです。
    扶桑・山城は栗田艦隊ではありませんね。
    そもそもこの黒甲板塗装は夜間にサンベルナルディノ海峡からレイテまでを突破する際に大面積の甲板は視覚的に目立つ対策と言われていますので
    面積のあまり広くない甲板は手間の割には効果は薄いので施されなかったのではないでしょうか?
    ROCKS



894 日本の駆逐艦の艦名に旧暦の師走が使われなかったのはわかりますが、神無月もないのは縁起が悪いと思われたからでしょうか?
ぶらぼー

  1.  その可能性は高いと思うのですが、それを裏打ちする資料は存じません。
     ただ、2代目の睦月級駆逐艦の時代、4隻で駆逐隊を編成することになっていました。したがって、同型12隻の内から、もしも師走を外すとなると、駆逐隊の中で艦名の揺らぎが生じますので、神無月を、葉月、霜月とともに外したという考え方もできます。
     なお、明治時代には睦月が使用されておりませんが、これは明治天皇の名が睦仁だったためです。
     
    hush


  2. 横からおバカなことをお伺いし不躾で申し訳ありませんが、なぜ「師走」は駆逐艦名として使用されていないのでしょう?何か差し障りがあるのでしょうか?
    Ranchan


  3. >2
     不躾でも何でもないと思っております。
     実は、私も何ゆえ師走を外すのかという明確な回答を持ち合わせていませんでしたので、「もしも師走を外すとなると」としたのですが、しいて言うならば、この師が仏師を指すと考えられていたからと考えられていたからではないでしょうか。現在では、「年果つ(としはつ)」等の転訛ではと考えられておりますが、平安時代の「色葉字類抄」にはそう書かれており、当時の語源認識ではそれを踏襲していたと思われるからです。
     また、艦名が和歌に由来することが多いというのは、ご存知かと思いますが、師走は、ほとんど詠まれておりません。それどころか、現在、流布している「枕草子」にはありませんが、鎌倉期の「紫明抄」という「源氏物語」の注釈本に「すさまじき物、しはすの月」という一節があったようで、興ざめなものとして認識されていたようです。もっとも、「源氏物語」には冬の月を愛でる光が登場しますが、これも「人に違ひて」とわざわざ書いております。
     艦名の選択は、微妙なところがあり、意を尽くせませんが、長くなりすぎましたので、このあたりで終わらせていただきます。ただ、同型12隻に旧暦の月名をつけるのならば、12ヶ月全部をつければよいのに、忌避されたということは、和歌の約束事のようなものが影響しているのではと愚考致しております。
     
    hush


  4. ご回答有り難うございます。
    質問者様の質問文の中に「日本の駆逐艦の艦名に旧暦の師走が使われなかったのはわかりますが」とありましたので、「『師走』が艦名として忌避されているのは常識レベルということなのだろうか・・・?」と思いましたので質問させて頂きました。
    艦名の採用基準は複雑な要因が絡んでくるものですね。

    よく考えたら睦月型8番艦は自然に考えたら「葉月」となるべきなのに飛ばして9月の異称「長月」と命名しています。
    では何か「葉月」にも忌避要因があるのかと思いきや、後の秋月型駆逐艦に「葉月」(第369号艦)が存在しています(この艦は陰暦の月名異称から来ているのかは存じませんが)。
    また睦月型では飛ばされた「霜月」も同様に秋月型駆逐艦の一艦に採用されています。

    計画時期によって、艦名の採用基準が何か変化しているのかもしれませんね。
    Ranchan


  5. 回答ではなくてむしろ茶々入れに近いものですが・・・

    「神無月」がダメなら「神在月」にすればいいのに

    と雲州出身者として思いました・・・まあ、和歌関係ないですね。
    おうる


  6. >4
     葉月もあまり詠まれない言葉ではありますが、一部サイトにありますように全然詠まれなかったわけではなく、藤原定家をはじめとして作例はあります。ただ、葉月は葉落ち月から来ていると言われ、縁起が悪いと言えばそうなのですが、それなら、雨も雪も落ちるものです。
     翻って考えてみますと、旧日本海軍には、朝露という、考えようによっては非常に縁起の悪そうな艦名もありますし、水無月なども、海軍にとってはよろしからぬ名とも思えるわけです。また、伊42も伊49も普通に命名されています。
     したがって、縁起が好いとか悪いとかではなく、別の選名基準があったはずですが、それは和歌だったと思っております。
     実際、皐月は悪月とされますが、さ月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞするをはじめとして、多くの歌に詠まれていますので選ばれたと思っております。
     したがって、4隻で1ヶ駆逐隊を編制するので、8隻は旧暦の月名をつけたが、皐月に次いで和歌に詠まれることの多い長月を、順番を崩して採用し、残る4隻には天文としての月をつけるはずだったのが、菊花の宴等で知られた菊月を使ったということかなと思っております。
     1で申しましたことと、若干、異なってきておりますが、お許しください。
    >5
     駆逐艦神在月って、楽しそうですね。
     
    hush



893 関東大震災で廃艦になった天城ですが、完成していたら
加賀のように誘導煙突になっていたのでしょうか?


タイテエム

  1.  巡洋戦艦天城は公式図面が残されており誘導煙突で前の煙突と後の煙突と結合されております。
     戦艦加賀は籾山模型の写真では少し後ろに傾斜した直立煙突です。また平賀譲デジタルアーカイブにある土佐の一般艤装図も同様です。

    よしまさ


  2. 質問者様は「空母として」完成していたらとお訊ねではないでしょうか
    軸馬力が加賀の91,000shpに対して131,200shpと44%増で排煙も比例して増えますので加賀式だとイロイロ不都合と思われ
    仮にやられたとしても直ぐに赤城と同様に改正された可能性が高いかと
    実験目的であればいっそ歴史ントン風味の直立煙突なぞ如何でしょう
    駄レス国務長官


  3. >質問者様は「空母として」完成していたらとお訊ねではないでしょうか
     駄レス国務長官様 ご指摘ありがとうございます。
     再度、質問を読ませていただいたいたら確かに「航空母艦として」でした。

     タイテエム様申し訳ございませんでした。
     
    よしまさ



892 デモイン級重巡洋艦が日本に寄港したことはありますか?
ベレンゴ大尉

  1.  http://www.uss-newport-news.com/hist/firstDeploy.htm
     上記のサイトによるとニューポート・ニューズは1967年から68年の東アジア展開時に横須賀と佐世保に寄港しています。
     他にもあるかもしれませんが、とりあえず。
     
    hush



891 アイオワ級戦艦が600隻艦隊構想で復帰する際、様々な案があったことは有名だと思います。
ですが、模型が残されている航空戦艦化等を除き、イージスシステム搭載などの他の案は細かいところがどうなってたのか知られていない気がします。
これら他の案についてご存じの方はおられませんでしょうか?
もし、おられるのなら、御教えください
Mk.63 GFCS

  1. 例えばこのような ↓ トコロで尋ねられては如何でしょうか
    https://www.secretprojects.co.uk/forum/index.php/topic,21619.0.html
    駄レス国務長官


  2. この様なサイトがあるのですね。
    英語……頑張ります。
    Mk.63GFCS



890 12.7cmクラスの榴弾について質問です。日本の三年式は炸薬が下瀬火薬でおよそ1.8kgあります。ではアメリカのMk12 5インチやイギリスの4.7 inch QF、ソ連のB13 130mm砲、ドイツの12.7 cm SK Cの榴弾炸薬量はどのくらいなのでしょうか?
海軍兵

  1.  海軍の火砲については、以下のサイトが便利です。
     http://www.navweaps.com/Weapons/index_weapons.php
     列記されたものの中で炸薬量が載っていないものもありますが、Bursting Chargeでお調べください。
     
    hush



889 アイオワ級が近代化改装で砲塔にベンチレーターを追加した理由はなんですか?
Mk.63 GFCS

  1. シカとは判りかねますが中東方面への展開を想定してたんじゃないでしょうか
    駄レス国務長官


  2. 対毒ガス・細菌兵器攻撃、放射能降下物の脅威がなくなったからが近いように思います。新型のベンチレータを開発したか、中の人間のほうの防護服ができて、米海軍はこの砲塔に対する基準を下げたよう。または、砲塔の全自動化が完成したか。
    IWA


  3. >>2
    近代化改修後の1989年にアイオワが演習中に砲塔爆発事故(47名死亡)を起こしています。
    砲塔内の無人化はしていません。

    事故の検証番組での再現ドラマ(どこまで忠実かはわかりませんが)では、砲塔内の水兵達は誰一人防護服を着ていませんでした。

    アイオワ級ではありませんが、映画「ビスマルク号を撃沈せよ」では主砲への砲弾装填シーンで全身を完全に覆う防護服を着た砲塔要員が登場しますね。
    おうる


  4. 砲塔員の着用する防護服は防炎が主眼じゃないでしょうか
    https://en.wikipedia.org/wiki/Anti-flash_gear
    駄レス国務長官


  5. 皆様、様々な意見をありがとうございました。
    拝見させて頂いたところ、正確な理由はわからないようですね。
    後は個人的に調べてみます。
    Mk.63 GFCS



888 はじめてお訊ねします。
三段飛行甲板時代の赤城と加賀についてですが、中段飛行甲板が使われないことになり、格納庫から搭載機を引き出す開口部が閉鎖され、そこに艦橋が作られたわけですが、当初の予定どおり中段甲板が艦戦の発艦に使われていたとしたら、どこに艦橋を設置するつもりだったのでしょうか?
あれだけの大艦ですから“艦橋なし”というわけにはいかないと思うのです。
もしかしたら、過去ログにあるのかもしれませんが、発見できませんでしたので、お訊ねします。

スークー

  1. 艦橋は「無かった」のではなく、同じ場所に両側に分かれて設けられています。
    BUN


  2. ありがとうございます。
    なるほど、両舷に分かれているのですね。
    でも艦橋が2分割されていると、相互連絡などいろいろとしずらいでしょうね。

    両舷まったく同じ機能がダブルでしつらえられていて、偶数日は右舷を使い、奇数日は左舷を使うとか・・・まさかそんなことはないでしょうけど。
    スークー


  3. >2.
    前部艦橋と後部艦橋のようにリスク分散のため分置するならばともかく中心線対称に同一機能を並置するのは重量および建造費の増大を招きますので例えば右舷に羅針儀・舵輪・海図室などを集中し左舷は見張機能主体とするのが現実的ではないでしょうか
    駄レス国務長官



887 金剛型戦艦について質問なのですが
金剛型は改装時に速力低下と帝国海軍での「巡洋戦艦」と言う呼称の廃止に伴い書類上「戦艦」と分類されましたが
海外から見た金剛型の分類は「巡洋戦艦」のままだったのでしょうか?
とさ

  1. ジェーン年鑑では、日本の類別変更に従ったとされていますね。

    ユトランド沖海戦で、防御力不足が分り第一次改装となりました。
    水平防御やら水中防御やらが強化された事と思います。
    舷側防御は軍縮条約により強化不能だったとか。

    米軍の対戦チャートでは、実際の金剛型の水平装甲以上の物を想定していたとの記事を見た事が有ります。
    暇人



886 潜特型が通商破壊作戦をするために米東海岸に進出する際のルートですが、本土から直接南米回りでしょうか?
それともトラックあたりで一端補給した後に南米回りですすむつもりだったのでしょうか?
まさかアフリカ回りではないと思いますが。
よろしくお願いいたします。

フレドリクス

  1. 史実遣独潜水艦がたどった喜望峰回りを却下する理由は何でしょうか?
    駄レス国務長官


  2. 考えてみると、特に却下する理由はないですね。
    筆が滑りました。
    フレドリクス


  3. 大正9年より翌年にかけ練習艦隊浅間・磐手が世界周航の途次マゼラン海峡を西航したのが帝国海軍唯一南米大陸先端回りの経験ですが(潜航通過は多分無理でホーン岬経由?)喜望峰回りは遥かにポピュラーですしね
    潜特型の航続力水上14ノット37,500浬であればトラック(昭和19年2月の空襲でほぼ壊滅)に立ち寄らずとも米国東岸まで行き来するのは可能ですし途中の寄港で敢えて存在を暴露するコトも無いでしょう
    駄レス国務長官



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管理者


884  太平洋戦争中の日本側の戦果報告にやたらと防空巡洋艦撃沈とかありますが、これは何と誤認しているんでしょうか?
FM77AV40SX

  1.  軽巡洋艦に類別されていますが、戦後に防空軽巡洋艦となったアトランタ級が開戦直後から就役しています。これは1938年度の計画によるもので、日本側もある程度存在が分かっていたのではないでしょうか。
     
    hush


  2. 米側の被害報告と逐一対照するコトをオススメします
    駄レス国務長官



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