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航空機関係
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1529 さて私にとって武器、装備全般#841から始まる「長砲身か大口径か」の大トリの質問になります。

ドイツ空軍のフォッケウルフFw190D型戦闘機において、D-12型→D-13型の改良でプロペラ軸内武装がMK108・30ミリ機関砲からMG151/20E・20ミリ機関砲に変更されております。計画番号の新しい方が小口径化しているという一見不可思議な設計変更をしているわけです。

MK108はプレス加工を多用して生産性を上げているので、MK108の供給不足で取り合えずMG151/20Eを搭載した(日本軍によくあるヤツ)わけではないようです。

何かMK108にはカタログデータには出てこない特別な理由(例えば大戦末期の腕前が未熟なパイロットには爆発威力の大きいMK108より、長砲身で弾道が低伸し、発射時の衝撃がエンジンに与える影響の少ないMG151/20Eの方が好まれたとか)があって、あえて最新型に実績のあるMG151/20Eの方を搭載することになったのでしょうか?このあたりの事情についてご存じの方がいらっしゃたらどうぞ教えてください。

※蛇足
ちなみに私はFW190D−12もD-13もホビーボス社製のプラモ持ってますが、1/48では砲口径の違いなんて外目にはほとんどわからないという…。

備後ピート

誰か答えて下さい。

1528 https://youtu.be/KsPSr0tJQZA
映画のワンシーンですが、、P47がタキシングしてる際、各々の機体がジグザグにタキシングしてます。何のためでしょうか?
まさのり

  1. 三点姿勢では斜め前方しか見えないのでそのようにして前を見ます。
    BUN


  2. BUNさん回答ありがとうございます。ということは殆んどのレシプロ単発機は
    タキシングする際、ジグザグさせて前を確認するか主翼上に整備員を載せ誘導して貰うのですね。 
    まさのり


  3. もう一つ、片方の主翼に誘導員を座らせてまっすぐ進む方法もあります。

    BUN


  4.  エンジンが小さかった頃はパイロットが操縦席で立ち上がって・・・っていう方法もあったような。
    おうる



1527 連続質問失礼します。武器・装備全般にしようかととも思ったのですが、範囲が広すぎるので航空機用に限るということで、この板で質問させていただきます。

第二次大戦時、各国で装備した対航空機用前方固定機銃(旋回機銃、対爆撃機用上方斜銃、対地攻撃用下方斜銃等を除く)のうち20〜30ミリクラスの機銃ないし機関砲のうち、

1.初速(弾丸のスピード)の最も速いもの
2.発射速度(単位時間当たり発射弾数)の最も多いもの
3.弾丸重量の最も重いもの
4.弾丸重量の最も軽いもの
5.生産性に優れ実際に前線に大量配備されたもの

について教えてください。なお、試作品及び他からの転用で純粋に「航空機用機銃」と言い難いものは除く(こうなると縛りが多すぎてワケ分かんなってきますが)とさせていただきます。識者の皆様どうぞよろしくお願いいたします。

備後ピート

  1. ささき氏のKANON in the AIRは当然ご覧になってますね。
    http://www.warbirds.jp/crazy/jp/gun/index.htm、http://www.warbirds.jp/truth/。
    にも。


  2. にも。様。ご指摘がありましたので遅まきながら勉強させていただきます。感謝。
    備後ピート


  3. 上記サイトを閲覧しましたところ、20ミリ機銃・機関砲だけでもエリコン系、イスパノ・スイザ系、マウザー系、コルト・ブローニング系など、ほかにソ連の23ミリ、25ミリなど多彩な系列があることは学習いたしました。

    また、これらはあくまで「〜系」であって、導入された先で独自のサブタイプが改良・生産されていることも知りました。どうも私のカテゴライズした5つのパラメターで単純に比較できるものではないようですね。

    個人的には主要機関部をなすドラム弾倉を、世界で唯一ベルト給弾式に改良した海軍の99式2号20ミリ機銃や(こうなるともはやエリコン系と呼べるのかどうか)とか、コルト・ブローニング系12.8ミリ機銃を口径20ミリに拡大し、しかもプロペラ回転面からの同調装置まで開発した陸軍のホ5機関砲とか、我が国の航空機銃兵器の開発者もなかなかやるではないかと、なぜかうれしくなってきます。

    にも。様。良質な資料をご提示いただき、重ねて感謝いたします。
    備後ピート



1526 戦前日本陸軍がキー60、キー61用にドイツから液冷エンジンを導入する際、現場担当者は、わが国の技術水準にかんがみ保守的で構造の簡単なユモエンジンを推薦したにもかかわらず、日本海軍の空技廠が彗星用にDBエンジンの導入を決めていたため、それに引っぱられる形で(ライセンス料の統一の関係?陸海軍の技術者の対抗意識?)先進的で構造の複雑なDBエンジンの導入に至ったと何かの資料で見た覚えがあります。

これは事実なのでしょうか?それとも一担当者の「あの時ああしておけばよかった」という感慨に過ぎないのでしょうか?元資料が見つからずうろ覚えで申し訳ありませんが、識者の皆様、このあたりの正確な経緯についてどうか教えてください。
備後ピート

  1. 事実ではありません。そもそも選択権のある「担当者」など川崎航空機にはいません。陸軍はDB600系発動機の製造権購入交渉を独自の判断で開始していますし、DB601Aの製造権購入についても同様です。
    BUN


  2. 大変失礼な言い方になりますが「現場担当者(どこの?)」「何かの資料で見た覚え」というあやふやなお話をを
    「これは事実なのでしょうか」というのも何か違和感の有る質問では無いかと・・・
    陸奥屋


  3. BUN様、陸奥屋様。ご指摘ありがとうございます。まったく反省することしきりです。大変失礼いたしました。その上で恥のかき捨てのような質問になりますが、「現場担当者」を「陸軍のドイツ駐在(派遣)技術士官」とし、陸軍のDB600系発動機の選定時(当然この時点には彗星、キー60、キー61の仕様書など影も形もない)とした場合には成立する話なのでしょうか?

    私のあやふやな記憶の中でも「オレ個人はユンカースの方がダイムラーベンツよりいいと思ってたんだよ…。だけど上の判断で云々」という当該人物の述懐の記事を読んだことだけは、はっきりしているのですが…。
    備後ピート


  4. ウィキペディア等ネットの記事を読んだだけでも、その当該人物が実際に当事者であったとしても
    質問者様が紹介された述懐が後出しジャンケン(「見解」ですらない)事は証明できます。

    レシプロエンジンの空冷に対する液冷の絶対的なメリットは、
    外気に直接晒されないが故に気圧気温など外気の環境の急激な変化に惑わされず確実に動作し所定の性能を出せることです。
    正面面積の小ささ等では在りません。
    逆に云えば、
    必要なのは正面面積の小ささ「だけ」だ、
    装着する機体は気圧気温といった外環境の急変化を前提とする状況で運用する機種ではないのだから、
    ならば
    生産も兵站(整備)も段違いに負荷がかかる液冷列型など止めて、
    空冷星型の範囲で小径化に注力すべきです。栄や誉など、史実でそうした様に。
    その液冷に
    ユモ210、ユモ211は沸騰冷却を採用しているため外環境の急変化につられ、構造も嵩張ります。
    DB600シリーズは加圧冷却を採用し、外環境の急変化により惑わされず、しかもコンパクトです。

    そして日本がDB600シリーズのライセンス契約を結んだのは1936年です。ベルリンオリンピックです。
    三年後五年後に、ドイツそして日本が英仏蘇米と戦争をする事は、想定外でした。
    (正確には、そのような事は組織利害として想定外にすることが望ましかった、のです。)
    DB600シリーズの先進的な構造は、日本で生産困難だったとしても、いやそれ故にこそ
    日本の発動機生産力を先進国にキャッチアップするチャレンジとして、望ましい事ですらあったのです。

    にも。


  5. 同じ量の燃料を燃やして余った熱を気筒に直接外気を当てて捨てるか、冷却液を介してラジエーターで外気に当てて捨てるか、ですから「絶対的メリット」は無いと思いますよ。
    BUN


  6. レトリックであり、陳謝します。飽く迄「的」であり本物の「絶対」ではないとご解釈ください。
    日本の航空機用兵者の、只でさえ発動機に必要な技術の裾野が狭いのに
    正面面積正面面積正面面積と国産発動機開発者に無理を強い、
    一方で98軽爆そして彗星に液冷を採用するという愚行を見るに
    空冷液冷の特質は正しく啓蒙されねばならないと常々考えてるからです。
    にも。


  7. 九八軽爆の採用経緯はちゃんと調べれば理解できると思います。
    彗星もDB600系発動機を装備すべき理由があります。
    前面投影面積だけが問題だったのではないことは陸軍のDB601装備戦闘機の開発経緯の中で明らかになっています。

    勝手に歴史を作らないで頂きたいと思います。
    BUN



1525 XA-38グリズリーが搭載する75mm砲は自動装填でしょうか?それともB-25Hが搭載した75mm砲のような手動装填なのでしょうか?
まさのり

  1. https://twitter.com/shinabamorotomo/status/840607085440069632
    https://twitter.com/shinabamorotomo/status/840612860682158080
    >自動装填の機載75o機関砲T15E1
    >T15E1 75mm機関砲
    https://twitter.com/shinabamorotomo/status/840613299389587456
    にも。


  2. にも。さんありがとうございます。
    まさのり



1524
ボンディングワイヤー(Bonding wire)は、
ドイツ語で(Litze für elektrische Abbindug =電気結束用ワイヤー)と、BF109B 型のマニュアルに図解がありますが、
日本にこの知識が早く伝わっていれば無線が有効になり空中戦が多少は有利になっていたと思うのですが、
知る事が出来なかった理由は何なのでしょうか。

百九


  1. ü は、u のウムラウトで、(Litze fu”r elektrische Abbindug)
    u” なら文字化けしないとおもいますが。
    百九


  2. 初期の零戦でも沢山あり、動翼のワイヤまでもボンディングされています。
    A6M232



  3. A6M232さん有難う御座います。

    ここからは、私の記憶の話なので、信頼度はあまり高く無いと思って下さい。

    「無線が使えないのならと邪魔な無線柱を切り取ったパイロットが居た」
    「戦後、無線が駄目だったのはアースを取らなかったのが原因だと判った」

    上記の様な記事を読んだ憶えが有るのですが、間違えて記憶していたのかも知れません。
    良いサイト、書籍などご存知でしたらお教え下さい。

    百九



1523 日本海軍や中島が誉エンジンを史実以上に早期に開発できる可能性はなかったのでしょうか。
誉の問題は戦争の長期化による特殊金属や潤滑油の枯渇によるものが大きいと思うので、早期に投入できるならまた違った評価を受けられるように思えるのです。
チャカ

  1. フライングテストベッドに十一試艦爆なんか使っておらず、もっと早く銀河に切り替えろよ、とかそういうことなんですかね。うーーん・・・・。


  2. 片様、回答ありがとうございます。
    航空機の開発もそうですが、栄や護に回していたリソースを誉に回して早期に大馬力の戦闘機用発動機を開発できれば誉が失敗作と呼ばれるようなことになる可能性はなかったのでは、ということです。

    機械の扱いに慣れた整備兵も戦争初期ならまだ残ってるでしょうし。
    チャカ


  3. それで、栄二〇型が未完成のまま、それを欠いた状態で戦争を進めろ、ということですか?


  4. 誉は栄二〇型の目処が立ったところで発案され、それ以降は可及的速やかに設計 が進められていると思います。
    もっと早く思いつけよ、とかそういうレベルの話にしかならないのだと思うのですが。


  5. 栄二〇型は離昇出力の向上が目的だったわけで、だったら気筒数を増やす方向に行ってもいいのでは、と思ったのですよ。
    中川技師が課長からのアドバイスをきっかけに誉の開発を始めたという話が本当なら、栄の改良の時点で18気筒を狙った可能性は無かったかな、と。
    チャカ


  6. 栄二〇型で出力の向上が達成できる目処が立ったから、それを踏まえた技術的な次の段階として気筒数を増やす方向が提案されたわけです。
    途中の段階をとばすというのでは、それはオーパーツということになるのではないでしょうか。


  7. 栄が二〇型に改良される過程に誉の開発に必須となるどのような要素が含まれていたのかが分からないのです。
    チャカ


  8. そもそも、試製中の十二試艦戦を完成形とするために栄二〇型が要求されている時に、それはすっ飛ばして次の世代の発動機開発に移行しましょう、という提案はあり得ないと思うしかないですね。


  9. 栄が二〇型に改良される過程に誉の開発に必須となるどのような要素が含まれていたのかが分からないのです。
    チャカ


  10. 連投してしまいました。
    つまり十二試艦戦が栄と紐つけられていたことが誉開発の妨げとなった、ということでしょうか。
    チャカ


  11. まずは二速過給器。次いで18気筒。


  12. 日本海軍は手持ちの艦戦に高高度空戦を期待することが、発動機の出力向上よりも当時は優先順位が高かったのですね。
    チャカ


  13. 適切な過給器も、排気量の増加も、戦闘機の速度を向上させるためであるとは思われませんか?


  14. 両方とも、単位時間あたりにより多くの燃料を燃焼させてエネルギーに変えるための仕掛けであるはずなのですが。


  15.  排気量✕回転数✕過給圧=単位時間あたり燃料の燃焼量=エネルギー

    であるとして、18気筒化はこの中の一つの要素に過ぎません。

    栄一〇型は離昇で「2700RPM、ブースト+225」とか「2550RPM、ブースト+250」。
    これを、栄二〇型は「2800RPM、ブースト+300」へ持っていこうとしている。

    次の段階として、14気筒のままさらに回転数、ブースト圧を高めて1400馬力まで出力を向上させようとした。
    この段階で14気筒をやめて18気筒で考えるようになったのが誉です。

    誉の端緒は「栄二〇型の18気筒化」ではなく、その開発を終えた先、次の段階の物の18気筒化なのですから、「現に開発が進行中の栄二〇型を止めて誉に移行する」という関係は成り立たないのです。




  16. ✕は掛け算の記号です。


  17. 片様、ありがとうございます。
    栄一〇型を18気筒化できないか、と考えていたのですが、ブースト圧を上げる誉の傾向が栄二〇型からの特徴だったということですね。
    チャカ


  18. 発動機の性能向上のためにブースト圧を上げるのは、「栄二〇型からの特徴」というまでもなく、こうした発動機一般にふつうなことです。
    栄一〇型ですら、原型の+150から+200、+250に上げてきたものです。

    栄二〇型を控えて暫定的な中間状態にある栄一〇型の時期に考えられたのは、すでに完成されている光を18気筒にして大排気量化、高速回転化することです。44.9リッター。誉より排気量が25%も大きい発動機が得られます。
    そうしたことが行われた後に、次の要素として「排気量を抑えても小直径化」という観点が加えられ、栄の二〇より先の型をあえて取りやめて、誉を開発することが行われています。

    技術的な進化というのは、階梯を一段ずつ上がらなければ実現されないものなのです。



  19. 片様、ありがとうございます。
    光を18気筒化するなら排気量は65.2リッターではないのでしょうか。44.9リッターは護ではないでしょうか。
    チャカ


  20. 片渕監督が仰る栄二〇型を飛ばして誉があり得ないというのも事実ですが、
    ル号発動機(誉)が十五試ではなく十四試ル号であり得た可能性はゼロではありません。
    二速過給器は十三試へ号(火星)で試作に入っていますし、十四試リ号は十八気筒です。
    このように栄系の十八気筒化、金星系の十八気筒化はちょっと遅いのです。
    戦闘機発動機の試作の遅れの要因は三菱と中島に試作が命じられていた倒立V型十二気筒の液冷、空冷のモーターカノン発動機の試作なのです。
    これが無ければ戦闘機用十八気筒発動機は少し早く試作発注されていた可能性があります。
    ただし、史実より早い実用化を想定するならばアメリカの道義的禁輸措置が無い世界、
    すなわち日本に100オクタン燃料製造技術が無事に入って来た世界を想定しなければなりませんが、もしそれが可能ならば誉の実用化時期は史実より早まったことでしょう。
    BUN


  21. BUN様、ありがとうございます。
    液冷発動機はてっきり川崎が担当しているものと早合点しており、モーターカノンまで含めて関係しているとは思いませんでした。
    モラルエンバーゴが1939年.史実で誉の開発が始まったのが1940年.
    当時の軍がここまでに100オクタン燃料製造技術を確保できなかった時点で誉の失敗は開発前から決まっていたのでしょうか。


    チャカ


  22. >液冷発動機は川崎が担当

    それは陸軍向け発動機でBMW系とDB601を製造していただけです。
    川崎は寿系発動機や栄系発動機(双軽や一式戦用)の生産工場でもあります。


    >当時の軍がここまでに100オクタン燃料製造技術を確保できなかった時点で誉の失敗は開発前から決まっていたのでしょうか。

    誉は失敗してはいませんよ。
    この発動機の量産なくして戦争後期の陸海軍新鋭機はあり得ません。
    失敗とか成功とか批評的な結論を安易に前提にして物事を考えるのは間違いのもとです。そうした内容の本や雑誌記事などは警戒すべきでしょう。


    >当時の軍がここまでに100オクタン燃料製造技術を確保できなかった時点で誉の失敗は開発前から決まっていたのでしょうか。


    100オクタン燃料の有望な製造技術の購入失敗が大きな「if」になり得る理由は、昭和16年度までに日本がそれを標準燃料とする計画だったからです。
    栄二〇型、金星五〇型以降、火星といった新鋭発動機が全てそれを前提に試作されていたからです。
    戦時中に苦労した不具合の多くが高オクタン価航空燃料の製造困難のために生じているので、実用化が早まる、と仮定するならこの問題を何とかしなければ結局、水メタノール噴射装置の導入が決まり、史実と同じことになったでしょう。




    BUN


  23. BUN様、ありがとうございました。
    誉は失敗作ではない、確かにその通りです。
    むしろ安易に失敗扱いや成功扱いする方が危険ですね、思い込みしやすくなりますから。
    チャカ


  24. 「日本の」「航空機エンジン」「航空機用ガソリン」に留まらず、周辺を見てみると、どのぐらい大きなIFが必要なのか考える助けになるように思います。

    据え付けや機関車等でなく小型の移動機械でも動力機関の優位が明らかになるのは1860年代で、だから英国では抵抗勢力たる馬車組合のロビー活動により赤旗法が成立します。
    他方、馬車は地味に改良され、サスペンション型式が固まるのが1870年代、普及は1900年代にかけて緩やかに続きます。
    1914年に、ロンドンのバスが、馬車でなくすべて自動車になります。
    WW1初期の救急馬車もフォードTTトラック等に急速に置き換わります。
    WW1後、英国の農村では、畜力耕から動力耕への転換が急速に進みます。
    戦間期、先進諸国では、ガソリンエンジンが大きく進化します。ブロワード・ベントレーに見られるように自動車でも機械式過給器が実用化され、航空機においても、過給と減速機が一般化しますね。

    馬車の完成からWW1の熾烈な航空戦までって実はすぐなんです。赤旗法から誉までも地続きのように思います。零戦試作機を牛車で運んだのはだからごく自然なことなんです。米軍と、米軍と共同する連合国軍以外、各国とも輜重の畜力依存は終戦まで続くんですから。

    その英国の航空機用ガソリンでさえ長く77オクタンであり、かなり頑張って87オクタンになります。
    英国でも自国だけでは100オクタン化できませんでした。

    つまりアメリカのガソリン事情は突出していました。

    日本ではガソリンが配給になったことに庶民は気づかなかった、という話があります。生活に関係ありませんから。
    英国だと、少なくとも1934年ころ、ヘンドン航空ショーのお客さんつまり一般市民向けパンフレットに石油各社の広告が見られます。

    日本では、明治後期に食料増産のための「乾田馬耕」普及運動が始まります。
    WW2後、昭和26年、アメリカによる占領の終了を見越して自前で食料増産4するための食糧増産3750万石10ケ年計画が立てられ、これは翌年、食糧増産1850万石5ヶ年計画となります。
    これに際して、北海道の有名な馬産家・神八三郎の活動もあり、畜力耕用馬匹増産の必要が確認されています。
    結果的には、昭和32、33年頃から日本でも急速に動力耕が普及するために馬匹増産計画は尻つぼみにおわります。

    英国で動力耕が普及したのは1920年代。とうぜん、WW1中からはるかに工業力が高いアメリカでは同等以上に早く普及します(映画「シービスケット」に馬車屋さんが自動車屋さんに鞍替えする象徴的なシーンがあります)。

    日本で動力耕が普及するのは1950年代です。
    だから、頑張っても航研機。
    太洋横断競争にも、ペンディックス、シュナイダー、マックロバートソンのようなレースに参加できていませんし、自動車分野でもレースが出来るようになるのは戦後ですね。戦後も箱根を登れる車がえらい時代でした。

    1920年代の日本といえば、戦後恐慌、軍縮、そのうちに世界恐慌です。動力耕がこのころに普及するIFはなかなか大変なように思います。
    1920年代に動力耕が普及した英国でも100オクタンに手が届かなかったことを加味すれば、さらに早く動力耕が普及するIFが必要となり、すると明治維新を30年前倒しにしたい感じがいたします。



  25. >栄や護に回していたリソースを誉に回して
    ハ5系(ハ5・ハ41・ハ109・ハ44)が挙がらない理由は?
    近接する排気量の火星と金星が性能でも信頼性でも勝ってるので護と光の次くらいには整理さるべしと思われますが?
    栄は日本の軍用機の主力発動機です。いかな誉とて、栄への開発資源を減らす訳にはいかないのに
    一方でハ5系への開発資源は「誉に回して」と言わない。
    にも。


  26. >25 アメリカで接触分解法で高オクタン価燃料の量産が開始されれたのは1939年、連続処理で本格的な大量生産が可能になったのが1942年です。
    それまではイギリスやドイツと航空燃料のオクタン価は大きく変わりません。

    日本の戦闘機用空冷18気筒発動機の試作が昭和15年度以降の着手となった直接の原因は、

    三菱十一試空冷七〇〇馬力発動機(MK3A)
    中島十一試空冷七〇〇馬力発動機(NK4A)
    三菱十一試液冷七〇〇馬力発動機(ME1A)
    中島十一試液冷七〇〇馬力発動機(NE1A)

    三菱と中島の両社に以上4種のモーターカノン用倒立V型12気筒発動機を命じ、
    昭和15年初めまでその試作が行われていたことにあります。
    昭和14年の「性能標準」で艦戦と局戦にモーターカノン装備が謳われるのは
    これらの試作が進行中だったからです。

    こうしたきわめて具体的な理由があるので、
    戦闘機用の小型空冷発動機の18気筒化は遅れたのです。


    BUN


  27. 三菱や中島は空冷列型のみならず液冷列型まで試作させられており、
    それらがなければ、それらから見たプランBである栄や金星の十八気筒化はその分早くなっていた。
    そのことはBUN様の以前の書き込みで読んだ記憶がありますが、改めて挙げていただき、助かります。
    質問者様の
    >誉の問題は戦争の長期化による特殊金属や潤滑油の枯渇によるものが大きいと思うので、早期に投入できるならまた違った評価を受けられる
    >機械の扱いに慣れた整備兵も戦争初期ならまだ残ってるでしょうし
    と云った本末転倒な価値判断にかちんときた次第です。
    にも。


  28. プランBといった並行的なものではなく、単純に遅れていたのです。
    BUN


  29. 四エチル鉛の生産が出来ない時点で限界があると思います。
    ドイツでも生産出来ないで輸入していたんでしたよね。
    備蓄が尽きたらそれで仕舞でしょうね!。
    オクタンに色々混ぜて鉛で調整するのが当時の生産方法と聞きました。
    有鉛ガソリンでなければ、オクタン価100は無理なのでは?
    記憶違いでなければ、現代の無鉛ハイオクガソリンは100行ってなかった思いますが。

    青江


  30. 日本の四エチル鉛に関しては、大戦前には国産化されていたはずです。

    インターネット上では、この記事。
    https://yoshimimasato.hateblo.jp/entry/2017/10/19/220000

    日本海軍燃料史P.434『耐爆剤製造の研究』も四エチル鉛のことかと思います。

    曖昧な記憶に頼らずに、調べる癖をつけたいものです(自戒)。

    太助


  31. 四エチル鉛が国産できない、とは大きな勘違いですが、
    日本における戦前の航空燃料製造史は陸軍、海軍、民間の各社とそれぞれの立場から
    たとえ技術的な内容であってもどちらかといえば自分に都合よく書き残しているので
    それらを総合した「日本の航空燃料史」はなかなか見えて来ないのです。
    BUN



1522 97式艦上攻撃機に関する質問です。
本機を正面から見ると、主脚部付近を起点に、主翼が軽く上に反っています。
逆ガル翼で有名なF4Uや流星、九試単戦などは、その採用理由として「主脚を短くするため」、「爆弾取り付け作業時の利便性」、「前下方の視界確保」などが上げられています。
97艦攻はそもそも逆ガル翼ではないので、これらの効果のある・なしに意味はないと考えますが、それでは97艦攻の主翼は、どのような効果を狙って軽く反り上がっているのでしょうか。
駆逐艦ユキカベ

  1. 自分なりに考えた理由は、「外に向かって反り上げることで、主翼折りたたみ時の翼端の位置を相対的に低くする」というものです。

    空母の格納庫内は、広さだけでなく、高さにも制限があるでしょうから、「あれ? これが正解じゃね?」と一瞬思ったのですが、「この程度の反り上がりで、どれだけ高さを抑えられるというのさ」という、自分自身へのツッコミもあり、確信が持てません。

    主翼折りたたみ機構が可動するキットでもあれば、イメージしやすいのでしょうけれど・・・。

    駆逐艦ユキカベ


  2.  軽い上反角をつけることにより、飛行時の安定性を狙ったものではないでしょうか。
     
    hush


  3. 理由は逆ガル翼と同じですよ。
    艦攻は魚雷を搭載するための空間が胴体下に必要です。
    したがって真っすぐな主翼だと主脚が長くなってしまいますが、その対策としてあのような主翼形状にして脚を短く抑えたのです。

    上反角の意味はhushさんの述べたとおりですが、内翼より外翼のほうが上反角効果が高いため、内翼が水平でも影響はないのです。
    超音速


  4. 3行目の「真っすぐな主翼」というのは付け根から上反角がついた一般的な主翼のことです。
    超音速


  5. じゃあなんで三菱製の九七式二号艦攻の主翼はそうなってないんだろう?
    と考えると良いですね。
    二号艦攻は固定脚だからですね。
    一号艦攻は最初の実用的な引込脚機です。
    だから脚を短くしたかったんでしょうね。


  6. その引込脚のモデルとなったヴォートV-143をそっくり真似た、という観方もできるかと思います。


  7. >hush様、超音速様、片様
    まとめての返事にて、失礼します。

    「安定性確保のため、本来なら主翼の付け根から反らせたかったが、そうすると主脚が長くなってしまうので、主脚付近までは水平にした」ということですね。
    主脚収納状態の同機のプラモデルを正面から見た時、「ン? 何で?」と抱いた疑問でしたが、納得できました。
    ありがとうございます!

    まったくもって主観的な話ですが、上記状態の97艦攻に美しさと優雅さを感じ、しびれた次第です。

    駆逐艦ユキカベ


  8. 一番大きくは「ヴォートV-143をそっくり真似た」でよいと思います。
    ヴォートV-143の第一風防を見ていただければ、九七艦攻の第一風防がそっくり真似ていることも見て取れるのではないかと思います。
    ですので、ヴォートV-143にも美しさと優雅さを感じてしびれていただければ幸いです。


  9. >片様
    ヴォートV-143、画像検索しました。
    確かに第一風防は「そのまんま」感にあふれていますね。
    とはいえ、ヴォートV-143に美しさやら優雅さやらを感じられるかどうかは、まあそのなんつーかハイ、アレなんですが、P51のように洗練された優等生的機体よりは、「試行錯誤しましたけど、多分荒があるっぽいので、運用は慎重に」というメーカーのアナウンスを勝手に想像してしまうヴォートV-143のフォルムに愛おしさを感じます。

    駆逐艦ユキカベ


  10. >97艦攻はそもそも逆ガル翼ではないので
    97艦攻、ヴォートV-143、ノースアメリカンAT-6、ダグラスDC-3、その他その他、水平な中央翼が内翼を為す機体は逆ガル翼ではないのですか?
    「主脚を短くするため」、「爆弾取り付け作業時の利便性」、「前下方の視界確保」は、内翼が下半角を為さなくとも、水平であるだけである程度実現できますよね。
    質問者様は逆ガル翼というものがアプリオリにあると考えておられるのでは?「逆ガル翼」という言葉を忘れる事をお勧めします。
    にも。


  11. http://armahobbynews.pl/wp-content/uploads/pzl_p11_01.jpg

    先にガル翼というのが有り、それのサカサマ状の翼を逆ガルと呼びました
    個人的な整理分類方法をとやかく言う気はありませんが
    中折れの角度が大きくなるにつれ失速特性や干渉抵抗、フラップの隙間、上/下反角による曲げ荷重、垂直分力の目減りなど特有の問題が起こるので
    区別して考える意義もあるのではないでしょうか

    また、雷撃機の脚が長目になる理由として
    魚雷後部下端(框板)と地面とのクリアランス確保があります
    すでに超音速さんが>3で触れている事ですね

    https://www.the-blueprints.com/blueprints-depot-restricted/ww2planes/ww2-nakajima/nakajima_b5n1_kate-62270.jpg

    https://cdn.amz.appget.com/c/wp-content/uploads/2016/09/kcjshstz_005_01.jpg

    https://www.the-blueprints.com/blueprints-depot-restricted/ww2planes/ww2-aichi/aichi_b7a1_ryusei_grace-86741.jpg

    https://i.pinimg.com/originals/48/23/1e/48231e4c2311a30db5d39bb014dbfdd9.jpg

    着艦しないFw190は3点静止角が重要では無いのか尾輪を伸ばしてクリアランスを確保しています
    ガス欠


  12. まあ、ヴォートV-143をもうひとつ発展させたヴォートV-166Bが逆ガル翼のF4Uであるということでいいんじゃないでしょうか。

    九七式二号艦攻のことも考えたほうがいい、と申し上げたように、雷装はこの場合に原因になっている要素ではないのです。


  13. >にも様
    今回の質問を投稿するにあたって色々検索しましたが、「97艦攻は逆ガル翼である」旨記載のサイトに出会うことはありませんでした。
    その程度の事実関係でもって、「97艦攻はそもそも逆ガル翼ではない」と断定調の書き込みをしたことは、軽率な行為だったと反省しています。
    その上で、ですが・・・

    >97艦攻、ヴォートV-143、ノースアメリカンAT-6、ダグラスDC-3、その他その他、水平な中央翼が内翼を為す機体は逆ガル翼ではないのですか?

    他にはグラマンF6Fに99艦爆、といったところでしょうか。
    それぞれ主翼形状に差はありますが、これらの機体を「逆ガル翼である」と主張する勇気は私にはありません。

    >質問者様は逆ガル翼というものがアプリオリにあると考えておられるのでは?「逆ガル翼」という言葉を忘れる事をお勧めします。

    「逆ガル翼」という言葉がお嫌いなのか、上反角も知らない半端者がある単語を分類して語っていることが気に入らないのか存じませんが、余計なお世話です。

    駆逐艦ユキカベ


  14. >>8
    >>「ヴォートV-143をそっくり真似た」

    この部分ですが、何か文献や開発者の証言がありますか?
    ネットなどを検索しても一次資料が見つけられないのですが、書籍などに記載があるのでしょうか?
    まやん


  15. 遅くなりました。
    .11で示された97艦攻の三面図、内翼も機体左右の中心線で折れて僅かな上半角が付いてる様に見えます。
    若しそうだとしたら、主脚付け根直ぐ外側からのより大きな上半角は、試作機を飛ばして見つかった飛行特性への対応ではないでしょうか。
    機体中心の内翼から直さなかったのは、改設計箇所が増え特に主脚が長く重くなる事を厭うての事でしょう。
    翼途中からより上半角を付けるのに翼折りたたみ部からしなかったのは、
    折りたたみ部がより外翼であり且つプロペラ後流から確実に外れる為、よりきつく上反角を付けた翼途中から気流が剥離する事を恐れたのでしょう。
    纏めると、
    「胴体内から内翼として飛行する気流の中に現れた上で、翼幅の途中から上半角を付けるよう曲げられた翼」
    という、利点と欠点を共有するカテゴリの下部分類として
    1.翼幅中央から既に上反角が付けられているが、気流内に現れた翼幅途中から更に上反角を付けた翼
    2.翼幅中央は水平であり、気流内に現れた翼幅途中から上反角を付けた翼
    3.胴体内から緩く或はきつく下半角を付けて気流内に現れ、その翼幅途中から上反角を付けた翼
    があり、3.「のみ」を「逆ガル翼」と呼称するのは未だしも
    1.2.を積極的に「逆ガル翼ではない」とするのは明らかにおかしいだろ、と言いたかったのです。
    質問者様ご自身が
    >97艦攻はそもそも逆ガル翼ではない」と断定調の書き込みをしたことは、軽率な行為だったと反省しています。
    と述べられてる以上、私も以上述べた通りです。返答が遅れ申し訳ありません



    にも。


  16. 「胴体内から内翼として飛行する気流の中に現れた上で、翼幅の途中から上半角を付けるよう曲げられた翼」
    訂正
    「胴体内から内翼として飛行する気流の中に現れた上で、その翼幅の気流内にある途中から、より上半角を付けるよう曲げられた翼」
    にも@追加。


  17. 1.翼幅中央から既に上反角が付けられているが、気流内に現れた翼幅途中から更に上反角を付けた翼
    訂正
    1.胴体内から気流内に現れたとき既に上反角が付けられているが、その(気流内に現れた)翼幅途中から更に、上反角を付けた翼
    にも@追加。



1521 日本軍陸攻の爆弾搭載量についてお聞きします。

過去の掲示板で日本軍機の爆装量が少ない理由が燃料搭載のため、という話を見たのですが、だとすると96式陸攻などでは爆装量を2トンにしたい場合、航続距離をどれだけ減らすことになるのでしょうか。
チャカ

  1.  1式が2t強の桜花を搭載した場合、航続距離は30%減とあります。爆弾倉に搭載できれば空気抵抗が減るのでもう少し減少率は下がると思いますが、容積的には厳しいのではないでしょうか。
     
    hush


  2. hush様、回答ありがとうございます。
    一式の場合は確かに爆弾倉に入るかどうか問題になりそうですね。
    機体下部に吊り下げる方式ならどうでしょうか。
    チャカ


  3. >2
     桜花は吊下げですが。
     
    hush


  4. hush様、回答ありがとうございます。
    一式の場合は確かに爆弾倉に入るかどうか問題になりそうですね。
    機体下部に吊り下げる方式ならどうでしょうか。
    チャカ


  5. すみません、連投してしまいました。
    いや、容積の問題なら吊り下げればいいのか、と。

    チャカ


  6. >4、5
     3は御覧いただいたでしょうか。
     もっとも、桜花と爆弾では空気抵抗が違うかもしれませんが、爆弾倉開閉部に爆弾は吊下げられないでしょうから2tも搭載しようと思うと、翼下等に分散してとなり、桜花よりも抵抗が増える場合も出てきそうです。
     なお、桜花搭載時は巡航速度が10%減ともあります。
     
    hush


  7. 最大離陸重量に収まる限りは、爆弾でも燃料でも好きなだけ搭載できる理屈ですが、燃料には燃料タンクの容量があり、爆弾には爆弾倉や懸吊架の容積や形状、数量で限界があります。爆弾搭載量とは最大離陸重量から自重を引いた搭載量のうちどれだけを爆弾に割くと決めているか、ということです。
    BUN


  8. hush様、BUN様
    回答ありがとうございました。
    チャカ



1520  2020.5.30「乗りものニュース」に第二次大戦中の軍用機の生産数が載っていました。
 戦闘機では、1位がメッサーシュミットbf109の33,984機、2位がスピットファイアの22,997機、3位がフォッケウルフfw190の20,051機だそうです。
 さて、これらの航空機の値段はどれくらいしたのでしょうか?
 国によって物価が違うので、単純な比較は困難だと思いますが、「小銃1000丁」といった例えでもあれば、ご教示願います。
PIAT


  1. 三つのサイトに少し数字が有りました。

    https://ww2aircraft.net/forum/threads/compare-of-bf-109-and-fw-190-cost-of-production.3311/
    私は1944年の終わりまでに1つのFw 190A-8を知っていました。A-9またはD-9は56600RMで納入されました。 価格は各サブタイプで同じでした。
    1941年の終わりまでに、1つのBf109F-4が約56000RMで納入され

    http://forum.12oclockhigh.net/archive/index.php?t-4279.html
    1939年のBf 109の販売価格は、BFW-per 100(74,000 RM)、100-200(72,000 RM)、200-500(70,000 RM)。
    完全装備の148,000 RM、135,000 RM、130,000 RM の表に、エンジンコストが47,000 RMの別の行があります。

    http://simhq.net/forum/ubbthreads.php/topics/1376927/The_Cost_Of_A_Bf109.html
    Prices for un-motorized 109E.
    非電動109Eの価格。
    1938
    Bf 109E:101600 RM
    1939
    Bf 109E:73900 RM
    1941
    Bf 109E:58000 RM

    今日の価格に調整できない場合があります。戦争の資料では、価格、労働力はすべて統制され、配給されていました。旧ソビエト連邦のように、生産の真のコストはしばしば過小評価されていました。名目上のコストとは対照的に。

    以下のサイトでは簡単な事では無いとの記事です。
    https://www.quora.com/What-was-the-production-cost-of-a-Bf-109-during-WWII-If-possible-try-to-include-all-variants


    百九


  2. 百九様 情報をいただき、ありがとうございます。
     私は英語がまるでダメなので、翻訳ソフトで少しずつ読もうと思います。
     どなたか、要約していただけるとありがたいのですが・・・

     ゼロ戦について、少し調べましたので、計算してみます。
     「ゼロ戦 当時の価格」で検索すると、55,000円とか65,000円という記事が見つかりました。
     兵頭二十八『たんたんたた』には三八式小銃は85円だったと書かれていました。
     現在ライフル銃は10万円位すると思うので、55,000円を1000倍すると、55百万円になりますが、いくらなんでも安すぎますね。
     皆さまの情報をお待ちします。
     
    PIAT


  3. PIAT様
    零戦の55,000円とか65,000円とかは機体のみの価格です。
    実用には、別途調達したエンジン、計器や通信機器、武装を搭載しなければなりません。
    これらに、おおむね機体の2倍くらいかかったようです。

    PIAT様の換算にあてはめると、現在の価格で1機1.7〜2億円。
    当時と現在の米の価格で換算しても似たような価格帯になる様です。
    わんける



  4. https://freesoft-100.com/review/srware-iron.php
    上記で、ブラウザ(SRWare Iron)のダウンロードが出来ます。
    このブラウザで、外国語のページを開くと右上に(翻訳しますか)の囲みが出ます。
    出ない場合はページ上を右クリックして(日本語に翻訳)を選びます。

    インストール版とポータブル版など選べます。
    機械翻訳ですから、意味が不十分な事が多少有りますが。

    百九


  5. 「零式一号艦戦機体」が5万7千円だった昭和16年の「1円」は「今の2千円」くらいに思って換算するのがよさそうですね。
    このあとインフレが進みますが。


  6. 便乗質問で失礼ですが、
    こういった 当時の○式戦闘機が1機△万円、という話はよく聞くのですが
    実際の請求と支払いはどのように行われていたのでしょうか?
    今の日本の商取引だと 月末なり20日なりに締めて
    当月納品分の請求書を納入者から購入者に送って
    手形や現金(でんさいやファクタリングなんてのもありますが)で支払い、
    というのがよくあるパターンだと思いますが
    当時の航空機メーカーと軍との取引も同様なんでしょうか。
    かめ


  7. 零戦の機体価格(機体のみでエンジン、装備品は含まない)が現代に伝わっているのは契約書が残されているからです。
    数機から数十機で売買契約が結ばれ、それが完了して支払いが行われます。
    今月の締め日までに何機収めたので何万円、といった請求方式ではありません。
    BUN


  8. BUN様、丁寧なご回答 ありがとうございました。
    かめ



1519 AWACSに管制機能を持たせたのはなぜでしょうか。
警戒機は中継に徹して地上基地なり空母なりから管制を行ったほうが安いし安全なのではないかと思ってしまうのですが。
せつ

  1. 早期警戒管制機、空中警戒管制システム、空中警戒管制機
    airborne warning and control system, AWACSの日本語訳です。

    つまり管制機能をもった警戒機(AEW)です。AEW&C機という機種もあります。

    哨戒機の発展としてレーダーを持った警戒機(AEW)ができ、その警戒機に管制機能を持たせる要求が生じたと考えると解りやすいと思います。

    地上基地や母艦を介しての管制を、はるかに上回る効率があった。または、どうしてもそうしなければならない必要があったということです。当然、費用も危険性も織り込み済みということになります。

    ウイキペディアで良いですから一度読み通すことをおすすめします。
    タンジェント


  2. wikipediaは読んだつもりだったのですが... はるかに上回る効率について説明しているのはどのあたりですか?

    >また、レーダー情報の指揮管制部署への転送が必要など非効率な部分があった。 (wikipedia)
    転送すりゃいいじゃないかと思います。レーダーが一周するのに十秒オーダー、口頭で指示するのに数秒オーダーの遅れが生じるのであれば数十ミリ秒転送に時間がかかったところで問題ないと思います。
    せつ


  3. 無線通信技術の発達史には詳しくないので概論です。
    質問者様は、無線の帯域幅や、無線通信を敵に妨害される可能性についてどう考えますか?
    というのは、この2020年の無線通信技術を前提とする限りに於いては
    「警戒機は中継に徹して地上基地なり空母なりから管制を行ったほうが安いし安全」は事実ではないかと考えるのです。
    と云うか無人機の運用を見るに結構以前から実際にそうなってると推測してます。
    「レーダーが一周するのに十秒オーダー、口頭で指示するのに数秒オーダーの遅れが生じるのであれば数十ミリ秒転送に時間がかかったところで」
    というのは、AWACSだのAEW&Cだのが開発された半世紀前(!)の話ですよね。
    もう随分前からレーダーはフェーズドアレイだし、指示は鍵盤で打ち込むし、地上基地は地球の反対側だし。
    あとAWACSというのは米空軍の言葉で、海軍はAEW&Cと云ってます。内実は同じでも、セクショナリズムで違う様に言い合ってる側面があります。
    にも。


  4. >レーダー情報の指揮管制部署への転送が必要など非効率な部分があった。
    加筆
    >レーダー情報の指揮管制部署への転送に希少な無線帯域を費やす事が我の指揮管制の隘路且つ敵の妨害目標となっていた。
    にも@追加。


  5. 代替の効かない短波の無線帯域より、レーダーの指揮管制機能を飛行機に乗せるコストの方が、高いですか?
    にも@追加。


  6. 3の解説をもう少し判りやすく砕きます。
    警戒機のレーダーは様々な波長で非常に高速にスキャンします。
    データ量にすると、軽くGbps、おそらく数十GBpsの量になります。
    これは電波で通信できる速度ではありません。 光が必要です。
    航空機と基地局を光ケーブルで繋ぐことはできないし、信頼性を無視してレーザー通信を行っても見通し距離した通信できません。

    航空機の通信は電波の性質上HF帯で粉うのが普通ですが、この帯域でデータをのせてもせいぜい数十Kbpsがmaxです。
    つまり、取り扱うデータ量と通信できるデータ量が6桁も違って、基地でリアルタイムに情報を受信するのは不可能です。

    もちろんジャミングとか通信不良、暗号化するにしても機密の問題等、電波の性質以外の問題も多々ありますが。
    わんける


  7. AEW機のレーダー画像はデータリンクによって地上/艦上のCICでモニターできますが、データリンクの通信波はUHFのため水平線以遠には届きません。
    200キロ前後の距離までなら航空機と直接リンクできるものの、作戦機の行動半径がそれ以上伸びてくるとリンクが届かず、中継機を挟むにしてもなんらかのトラブルでリンク切れのリスクが大きくなるわけです。
    リンク切れが起きてもAEW機のレーダー操作員が管制を代行できる、または地上とリンクが届かない場所でも機上で本格的な指揮管制を行なおうというのがAEW&CもしくはAWACSです。
    超音速


  8. にも。さんのいうとおり近年は衛星通信が発達しており、事情もまた変わってくるかもしれません。
    ただ、国によっては戦時において衛星通信が利用拒否される可能性もありますし、先進国であってもASAT攻撃があることまで考えると衛星通信に全面的に頼るのはリスクとなり、当面はAEW&C/AWACSが維持されるだろうと思われます。
    もちろん最終的にはリスクマネジメントとコストのバランスで判断されるでしょうが。
    超音速


  9. >2、3

    失礼した、昔のウィキペディアには「前線のすぐ後ろ」での管制という表現があったと思ったが記憶違いだったようで。

    7.で超音速様が補足してくださった通り、基地や母艦とAWACS は直通できますが、管制すべき編隊とは、できるとは限らない。

    そして6.で、わんける様が説明された通り、前線のすぐ後ろで膨大なデータを処理して指示を下す機能を持った機体が必要になり、登場したのがAEW&CやAWACSです。

    その効率は、一方だけが運用している場合、運用側のワンサイドゲームになると聞きました。

    ちなみに機体が比較的小型で機能が限定されているのがAEW&C、大型の機体で十分な機能を持っているのがAWACSと区別していたこともありますが、現在では曖昧になっているようです。米海軍と空軍の呼称は、その名残があるかもしれません。

    タンジェント


  10. 無線の各周波数での帯域幅と、やり取りされ得る諸々のデータの数値化された量の相場値を、
    体感で掴めなければ話にならないのですね。自戒します
    にも。


  11. 皆さんありがとうございます。

    データ容量に関しては頭にありませんでした。納得しました。



    せつ


  12. 前記の技術的な原因や理由の他に、「重要な事項は多重に備える」という考えもあるのではないでしょうか。例えば、米国に限らずフランスでも潜水艦発射ミサイルの他に陸上発射のミサイル、巡行ミサイル(昔なら戦略爆撃機)、空母等を配備しています。
    UK



1518 キ-61三式戦闘機「飛燕」一型丙の塗装に関する質問です。

一型丙の写真は殆どが244戦隊のもので、これらは無塗装か部隊で施されたマダラ塗装ですが、雑誌や書籍に掲載される濃緑色ベタ塗りの写真を見たことがありません。
逆に、かかみがはら航空宇宙科学博物館の飛燕展で展示されていた、濃緑色に塗られた1型甲の下面カウルとスピナ(濃緑色の剥離部分に茶色が見えるので再塗装と判断)のような例が存在していることは存じておりますが、珍しい例のように思います。


@「歴史群像Vol.61飛燕・五式戦」によれば丙型はS19年7月までの生産ですが、工場出荷時に黄緑七号で迷彩塗装が施されるようになったのはS19年初秋頃と思います。したがってベタ塗りの1型丙はかなり不自然と思うのですがいかがででしょうか?

Aこちら(ttps://ww2aircraft.net/forum/threads/ki-61-help.41949/)や世界の傑作機No.17飛燕のP.80にある第39教育飛行隊の1型丙(田畑曹長乗機 / S20年横芝飛行場)は全面濃緑色となっていますが、こちらの機体の写真等はあるのでしょうか?
(39教育飛行隊所属の飛燕の写真すら見つけられませんでした)


もしご存じの方がいらしましたら、お答えいただけますと幸いです。
Shusui

  1. @については、一型丁の製造時期がわかるもので、銀色のものの終見が19年8月製、黄緑七号色ベタ塗り迷彩の初見もそれよりやや遅い19年8月製です。したがって、工場での迷彩が開始されたのは19年8月だった漏斗考えられます。一型丁と一型丙は同じライン上で組立てられていたことが写真からわかっています。従って、7月に生産が終わっている一型丙で、工場で黄緑七号色ベタ塗り迷彩塗装され例たはなかっただろうと推定できます。
    一方、工場で迷彩するようになったことには相応の理由があります。既完成機であろうともその理由から免れられるわけではないのですから、一型丙といえど陸軍に納入後に迷彩塗装されていた可能性は残ります。


  2. >>片さん

    ありがとうございます。
    丙型の工場塗装の可能性について知見をいただけて大変嬉しいです。
    確かに、ベタ塗りされたショートノーズ飛燕は244戦隊所属機の写真があるため、出荷時に迷彩塗装されるようになって以降は部隊でのベタ塗り迷彩が行われるようになった事はほぼ確実かと思います。
    ↓こちら機体(大日本絵画出版、244戦隊写真史42Pに実機写真掲載)
    (ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~s244f/14_nishikawa.jpg)

    そうなると
    >工場で迷彩するようになったことには相応の理由があります
    と言われるような理由が気になるところです。
    工場で迷彩することのメリットとしては、部隊に配給する塗料をコントロールしやすくなるという点と、被発見率の低下が思い浮かびます。
    しかし、迷彩を施せば使用する塗料量は増えますし、部隊でも迷彩塗装は十分にできていたはずだと思います。
    そう思うと、黄緑七号で迷彩塗装が施されるようになった具体的な理由がわかりません。
    なぜ部隊ごとの迷彩塗装ではなく、工場で画一的に迷彩を行うようになったのでしょうか?



    また、これは本題から外れてしまうのですが、ベタ塗りに使用された塗料の種類に関しても疑問があります。

    ●ベタ塗りの三式戦や五式戦で水平尾翼下に見られる「迷彩塗料」というステンシルは、迷彩に使用されている黄緑七号がニトロセルロース系であることを示すものであると歴史群像Vol.61にあります。ですが、「迷彩塗料」というステンシルがない機体も存在します。

    ●各務原で見たベタ塗り機体と思われる三式戦一型のスピナーは、6117号機の燃料口の蓋の内側にある黄緑7号よりもだいぶ青みがかっており、第21号緑色に見えました。
    ↓元の写真は左上ですが、実際に見た色味に近づけたのは右下の写真です。
    (ttps://f.easyuploader.app/eu-prd/upload/20200528065743_6e50714a474563376f56.jpg)
    ※こちらの機体は工場での再塗装なのか部隊での塗装なのか、S19年8月以降に塗装されたのかが定かではないこと、エンジンのアンダーカウルの塗り分けからしてベタ塗りされたのだろうという推定でしかありません。

    ●こちら(ttps://www.worldwarphotos.info/gallery/japan/aircrafts/ki-100/ki-100-of-the-59-sentai-found-by-us-forces-at-end-of-pacific-war/)の写真などを見るに、同じ五式戦でも明度が暗い個体があるように思います。

    これらのことから、ベタ塗りに使用された塗料はニトロセルロース系「迷彩塗料」の1種類だけではなく、黄緑七号自体に数種類あるか、あるいは21号緑色のような別色で塗られている機体も終戦までポツポツとあるように思うのですがいかがでしょうか?
    こちらの疑問に関しても迷彩塗装が行われた理由が分かれば、ある程度納得できる説が得られるのではないかなぁと思っています。
    Shusui


  3. 極めて基本的なこととして、19年7月にマリアナを失陥したことの意味は押さえておかれた方が良いと思います。そのことにより、戦闘機の塗装のみならず、日本の社会全体が大きな影響を被ったわけですから。

    そこで、練習機まで含めた全機種(当然、既生産機の方が多いです)に迷彩を施すことになり、塗料の需要が圧倒的に在庫を上回ったために代用されたのが、本来のものではないニトロセルロース塗料で、これは用法が違ったためにこの塗料で代用して塗装された機体には、その旨明示してあったわけです。

    なお、当時の塗料の生産ロットごとの色の誤差、それから塗装後の経時変化による変色はかなりのものがあると思って下さい。


  4. >>片さん
    ありがとうございます。
    マリアナ失陥に関しては防戦が決定的になった瞬間という程度の認識しかなかったので、一般的な社会情勢まで視野を広げて本を数冊注文してみました。

    黄緑7号に統合した理由は種類を絞ることで供給しやすくするためと思っていたのですが、それは因果が逆で足りなくなったから黄緑7号が出てきたんですね。
    生産中の機体のみならず、既生産機を含めて全機種に迷彩を施す動きだったとは知りませんでした。
    (そういえば、練習機なんかも上面が緑色にっていましたね……)

    部隊にすでに配備されている機体は在庫の緑色で塗装されるわけで、この点で「迷彩塗料」の表示の有無が説明できるんですね。

    ロットごとの誤差、経年変化の変色に関してもついつい無視しがちなので気をつけようと思います。
    Shusui


  5. >黄緑7号に統合した理由は種類を絞ることで供給しやすくするためと思っていたのですが、それは因果が逆で足りなくなったから黄緑7号が出てきたんですね。

    陸軍機のプロペラ、機体内面などへの使用塗料を黄緑七号色に集約したのは昭和18年6月で、機体外面を工場生産時に黄緑七号色迷彩としたのはそれより1年少し後です。

    >部隊にすでに配備されている機体は在庫の緑色で塗装されるわけで、この点で「迷彩塗料」の表示の有無が説明できるんですね。

    いいえ、工場生産時にも、塗料の入荷状況に応じて黄緑七号色の迷彩塗料が使用されていた、という意味です。


  6. 18年7月3日海軍『内令兵42号』

    「大東亜戦争中飛行機外面塗粧等に関し左の通り定む」
    1.作戦用機

      イからハは略。味方識別のマーキングなどについて
      二.其の他迷彩塗粧を施す
    2.練習用飛行機(練習機及び実用機)及実験機

      日の丸以外全機体を黄色(C1)に塗粧す
      但し作戦に使用することあるべき実用機及作戦地にある練習用飛行機は
      必要に応じ作戦用飛行機と同様に塗粧することを得


    19年8月8日海軍『内令兵61号』
     昭和18年内令兵42号「大東亜戦争中飛行機外面塗粧等に関する件」中、左の通り改正す
     第2号中「全機体中上半面は迷彩を施し下面は」に改む


    このような規定の変化の意味が読み取れるといいのですが。
    これはつまり、「作戦地ではないところはなくなった」ということです。
    これまで戦地だった外地のみならず、日本本土のすべてにおいて。


    内地が作戦地に変わった、ということでは、同じ内地にいる陸軍機に対しても同様なことが求められます。

    陸軍機はそれまで、工場完成時には全面灰緑色、または限られた機種では全面無塗装銀色で、戦地に送られる時点で迷彩塗装が施されることになっていました。
    それが、19年夏からは、工場からロールアウトした時点で即座に作戦地にいることになるわけであり、それゆえ工場で黄緑七号色迷彩をあらかじめ行っておくことに変わります。ここで黄緑七号色を使うのは、18年6月の規定で使用塗料を黄緑七号色に絞る措置が取られていたことに関連します。
    その他の既存機体も、練習機も含め内地にあるものすべてが作戦地にあるのと同じ位置づけに変わりましたから、全機に迷彩が施されることが建前となったのです。


    一方で、一般社会でも、建物や消防車に迷彩を施す、焼夷弾対策として木造家屋の天井板を外す、などの措置が取られていきます。これらはすべて、内地全域が作戦地と同様の扱いになったからです。


  7. 塗装後の変色については、機体外面用の塗料として使われていた軽金属用塗料のバインダー成分であるベンジルセルロースがなかなか不安定なもので、紫外線によって容易に黄ばんでいってしまいます。また、塗膜自体が紫外線によって破壊されるチョーキングも起こりやすいものでした。

    ベンジルセルロースはメーカー数も限られ高価で、つまり生産性があまりよろしくないものだったようで、このため、昭和19年夏からの迷彩のための大量使用には欠品が生じたものと思われます。この代用として持ち出されたのがバインダーにニトロセルロースを使う塗料で、これは既存の軽金属用塗料メーカーとは別の塗料会社を使って生産することが出来ました。
    この塗料の黄緑七号色のものを飛行機機体工場で、ベンジルセルロース塗料が欠品した場合の代用品として使用し、機体に「迷彩塗料」と表示しました。ニトロセルロース塗料にはアセトンで剥離させやすい迷彩塗料として使用されていた経歴があります。
    ニトロセルロース塗料は、おそらくベンジルセルロース塗料よりも、塗装後の変色が少なかったのではないかと思われます。


  8. >>片さん
    お返事が遅くなりましてすみません。
    元の私の認識がかなり間違っているようでしたので、後に見返した際にわかりやすいよう教えていただいたことを箇条書きですがまとめてみました。


    (1) 黄緑7号色を機内色などに用いるようになったのは、塗料の統合による効率化のため(S18年6月)

    (2) マリアナ失陥で日本全土が作戦地となり、工場出荷時から黄緑7号色の迷彩塗装が行われるようになった(S19年7月)
     →元から迷彩塗装の実施に関する基準は作戦地か否かであり、マリアナ失陥によって工場出荷時から機体が作戦地にあるという状況になった
     →迷彩塗装が黄緑7号で行われるのは(1)で黄緑7号に統合されている事に起因する
    【例】S18年7月3日海軍『内令兵42号』の練習用機に関する規定について、上面に迷彩塗粧を施すようにS19年8月8日海軍『内令兵61号』で示される

    (3) ベンジルセルロース系黄緑7号色は生産性がよろしくなく、大量使用では欠品が生じる

    (4) 飛行機機体工場で黄緑7号が足りない場合、既存の軽金属用塗料メーカーとは別の塗料会社を使って生産できるニトロセルロース系黄緑7号色で代用し、「迷彩塗料」と表示した

    (5) ニトロセルロース系塗料はベンジルセルロース系塗料に比べ、色に関して言えば変色しづらいと思われる


    >一方で、一般社会でも、建物や消防車に迷彩を施す、焼夷弾対策として木造家屋の天井板を外す、などの措置が取られていきます。
    こちらに関して、言われてみれば以前Twitterで迷彩の施された建屋の写真を見た覚えがあります。
    飛行機の色の変化も民間の建屋の色の変化も原因は同じで、それが今も残っているというのは一見地味ではあるもののかなり興味を惹かれました。

    黄緑7号色がベンジルセルロース系とニトロセルロース系の2種類(もちろん色としては両方黄緑7号なのですが...)とは認識しておらず大変勉強になりました。
    変色の傾向が違うという知識があれば、今後写真を見るときに「この機体はベンジルセルロース系かな、ニトロセルロース系かな」という視点も得られて大変楽しくなりそうです。
    ありがとうございました。
    Shusui



1517 Ta152 を検索していて、以下の表を見付けました。

https://luftkrieg-ueber-europa.de/wp-content/uploads/2017/12/Bf109_GB.png
https://forum.axishistory.com/viewtopic.php?t=239718

少しだけ翻訳してみました。

「The above data are realistic and valid for comparison unde similar battle conditions in all cases.
上記のデータは現実的であり、すべてのケースで同様の戦闘条件と比較して有効です。」

表の数字が正しいとしまして、一番気になったのは、
Bf109K-4 の、高度6000mにおける360度の旋回時間が他機より短い事です。
当時の各機はこれくらいの性能だったのでしょうか、他に参考になるサイト等有りますでしょうか、ご教示ください。

百九

  1. 引用元が書かれていますから、それを確認されるのが一番でしょう。
    そのサイトが何をどう述べていても出版物から引用して編纂したものですからすべて元の資料の数字の信憑性に懸かっています。
    個人的にはちょっと雑な数字かな、と思います。
    BUN



  2. リンク先を見てみました、機械翻訳ですので理解が足りないかも知れませんが、
    Wグリーンさんとか、その他の数字をまとめた表だと言う事ですね。
    ただ、どれだけ正確な数字が集められたかは、もっと沢山のデータを調べないといけないのでしょうね。

    以下のサイトでは、スピットが大分良い性能になっています。
    なんとも悩ましい所です。

    Spitfire IX Vs Me109G のグラフ
    http://www.spitfireperformance.com/spit9v109gspeed.jpg
    http://www.spitfireperformance.com/spit9v109g.html

    Spitfire XIV Vs Me109G/K のグラフ
    http://www.spitfireperformance.com/spit14v109g-level.jpg
    http://www.spitfireperformance.com/spit14v109.html

    Ta152 のデータはあまり見付けていません。検索を続けるつもりです。
    どうも有難う御座いました。

    百九



1516 私の上司のおじいさんが戦時中に三菱重工名古屋工場で徴用されていたそうです
 零戦の生産に関わっていたおじいさんはエンジンの納入遅延が最大の問題だったらしく、中島のほうが三菱より零戦の生産数が多いのはエンジンが中島製で優先的に納入されたからだと言っておられたそうです。

 個人の印象としては嘘のないことだと
思いますが、公平にみて違うと思うのですがどうでしょうか?
じおらま

  1. 戦争中期以降の三菱製零戦が装備した栄発動機の多くは中島製ではありません。
    石川島航空工業製なのです。
    BUN


  2. 20年度生産命令と実績

    三菱零戦
         4月  5月  6月  7月  8月  9月
    内示   140  170  190  200  200  200
    予定   120  150  160  120  160
    実績   37   38  23   15   6  
    達成率  0.26  0.22 0.12 0.08  0.03


    中島零戦
         4月  5月  6月  7月  8月  9月
    内示   280  270  270  270  270  260
    予定   250  250  250  250  250
    実績   230  247  185  138  85
    達成率  0.82 0.91  0.69  0.51 0.31

    三菱の方が達成率が低いのと、元々の内示数が三菱の方が小さく設定されているのとは、また違う話ですね。


  3. 先生方が発言されているのであれなのですが。

    中島飛行機 マスプロとかで検索されては如何でしょうか。
    また興味深いページが下記です。
    見られると興味深いかと。
    ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj/50/3/50_26/_pdf

    中島は零戦をそんなに作りながらも末期に四式戦を3000機以上量産しています。

    戦記とかで興味深かったのは、中島の零戦の塗装の品質が悪くて三菱製の零戦に乗りたかったなんてのを見た事が有ります。
    暇人


  4. > 3の方
    > 中島は零戦をそんなに作りながらも末期に四式戦を3000機以上量産しています。

    その理由は、生産ラインをどの機体用に何本整備したかによります。

    三菱
     大江 零戦 雷電 一式陸攻
     水島 一式陸攻 紫電改



  5. つづき

    三菱
     道徳 一〇〇式司偵
     熊本 四式重爆


    中島
     小泉 零戦
     半田 天山 彩雲
     大田 一式戦 二式戦 四式戦 キ一一五
     宇都宮 四式戦

    四式戦は陸軍の超重点機種なので、生産ラインも多数設置されています。
    そのため、一式戦生産は中島大田から立川に移されています。
    官側の施策がどのようであったのかが大事なところだと思います。
    それでいうならば、三菱は零戦から雷電や烈風(上の大江のところで述べ忘れました)に転換させ、それに伴い零戦の主生産は中島小泉に移す、ということが行われていたわけです。
    これが、「中島のほうが三菱より零戦の生産数が多い」理由の主な部分です。



  6. 量産の中島、といった話は戦後に作られたものです。
    例えば昭和十七年に航空本部の担当官は中島での零戦生産の実績が思うように伸びず「三菱の倍の工員を使って半分の実績しかない」と手厳しく批判しています。
    そして航空発動機の製造では中島飛行機は昭和十九年に三菱名発が被災壊滅するまで発動機の年度製造数で追いついていません。
    三菱での零戦生産数については片渕監督が触れているように航本の年度製造内示数が二号零戦問題や雷電増産によって揺れ動いた影響が大きいのです。
    BUN


  7. >5

    詳しい情報有難う御座います。
    キ43の生産を立川に移したり、重点機種としてのキ84は分かっていたのですが生産ライン数の差でしたか。

    >6

    >三菱の倍の工員を使って半分の実績しかない

    それは、初耳か見て忘却でした。

    >二号零戦問題や雷電増産

    零戦の改装やら雷電の開発に追われ、金星零戦やら17試艦戦の開発が進まなかった、というのが自分の今迄の感想です。
    何かやはり三菱のキャパが少ない様な気がしてなりません。
    暇人


  8. 試作と量産は分けて考えた方が良いですね。
    BUN


  9. >7
    試製と生産は別です。
    官から各社への生産能力拡充示達は次のように、生産機種まで指定されて行われます。

    昭和13年11月
    海軍生産能力第一次拡充示達
    目標15年度末

    三菱
    艦上戦闘機 35機/月
    中型攻撃機 40機

    中島
    艦上攻撃機 35機/月
    大型攻撃機 15機

    こうしたところからさらに、どの機種をどれだけ生産させたいから工場を増設しろ、と官側が要求を繰り返していったのです。
    「生産ライン数の差でしたか」というのでは申し訳ないですがちょっと単純すぎる理解で、「生産ライン数を官側の意図に沿って整備し、どのラインは何のため課まで指定されている」ということであり、三菱の海軍機生産ラインの増設は一式陸攻に対して特に手厚く行うよう設定されます。
    「三菱零戦・雷電・烈風」と「中島零戦」の生産数を比較するだけではまだ片手落ちで、「三菱零戦・雷電・烈風・一式陸攻」と「中島零戦・天山・彩雲」の生産数で比較しなければ、その会社の能力を計ったことにはならないのです。
    陸軍機の生産部門には、また別に陸軍から生産能力の拡充を指示されますから、それを混ぜてもやはりうまく計れないのです。


  10. 太平洋戦争期中島飛行機の機体事業と生産能率 https://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj/50/3/50_26/_pdf
    と戦前日本軍機の特質と戦後の自動車開発に関する一考察
    http://www.jshit.org/kaishi_bn2/17_1sato.pdf

    が参考になります。
    poran


  11. >8 >9
    >試作と量産は分けて考えた方が良いですね。

    言われてみるとそこでした。
    暇人



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