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旅順要塞は、国内の出版物では「日本がはじめてぶつかった西洋式の近代的要塞」と扱われがちですが、いいところ「近世」の産物(カポニエールとか)なのではないでしょうか。どの辺が近代的だったのでしょう?
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- 日清戦争時は旧式でしたが、ロシアの租借以後はベトンを主材料に地下坑道でおたがいをつないで通信補給を密接におこなえる近代的要塞として建設されていました。火砲と機関銃で巧妙に防御されており、工兵により坑道を掘削して爆破するのが効果的でした
- 構造そのものより、自動火器を大規模に配備していた点が「近代的」だったのではないでしょうか? 欧米諸国がこの手の「要塞」に遭遇したのはこの後の第1次大戦が初めてと言っていいはずですし、そういう意味では正に20世紀的な「要塞」の走りだったかもしれません。
- 旅順要塞の実体は2,3の堡塁をのぞけば露天の砲兵陣地主体でしょう?堡塁間を結ぶ地下坑道もほとんど無く、露天の交通壕主体だったのでは?機関銃の配備もロシア側の記録を読むとまばらなようですが。
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