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大平洋戦争末期の日本の海軍大将の鈴木首相は昭和20年4月のルーズベルト大統領の死去にさいし、ラジオや新聞で米国民に対して弔慰を示したと聞きます。彼個人の意志でしょうか?昭和天皇や政府首脳の合意を得た和平工作への布石だったのでしょうか?
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- 建て前としてですよ。たてまえ。対外的に一国家が『や〜い死んだ死んだ』でわ....。ま、国内的にわ違ったでしょうが。
- ナチスドイツは国内外に「悪魔の手先ルーズベルトは天罰が下って地獄に落ちたぁ!ざまぁみさらせぇ!」てな宣伝を速攻でぶちまけたそうですが、、、
- ↑そんなことやってるから勝て無かったんでしょうね。外交は、『大人』でなければ「できない」ものですし。
- いや、でも日本だって負けたジャン。弔意を示したから『大人』とは、限らなかったんですな。(N)
- 当時の首脳部は官僚の集団ですからね。内心はどうだったか知りませんが、マニュアルによれば他国の元首が死んだら弔慰を示すでしょう。
- もし東条の時代だったら、どうなっていたんでしょう?どうもドイツと同じようにやっていたんじゃないかという気もします。この時点でどこまでのレベルまでの合意があったのかは分かりませんが、和平工作の含みを持たせたものだったんじゃないでしょうか(EOS)
- ポーツマス市には日露講和条約を記念して日露両国が寄付をしてできた日露基金といる慈善団体があってそのお金を日露の国債に換えて利子を両国から得て運用していた。
- ロシア革命で露国からの利子はそいれっきり。日本からの利子は戦争中は為替停止で中断していたけど戦争後中断した年数と同じ年数だけ利子が倍額支払われた。戦争は延長された政治なのであって対話の余地を残すのが常道、ドイツのやり方はヒットラーに私物化された国家の特殊
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