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零戦の設計主任の堀越次郎氏は、その後(戦後)どうなったのですか?
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- 戦後、昭和27年に三菱重工の参事に就任され、東大工学部の講師も務められました。また戦後初の国産機YS−11の基礎設計にも関わっていらっしゃいます。(Key)
- 晩年は日大の工学部航空学科で教えていました。受講した先輩によると講義が聞き取れなかった、とのこと。お年でしたからね。
- YSー11といえば、日本の蒼々たる設計者がタッチした機体ですよね(堀越氏、土井氏、etc...)でも、「船頭多くして船山に登る」のことわざ通り、結局個性の強い設計者の意見調整が難しかったそうですね
- YS-11の基本設計(デメンジョン、空力概算、一般配置)には、堀越、大田、土井、木村氏など、そうそうたるメンツが関与していましたが、詳細設計は東条輝樹氏の設計チームが土井氏のアドバイスのもと実現させたんでは?
- 航空機の舵面操作における操縦索腕則変更比と操縦特性について」(正確な題名は忘れた)という内容で東京大学工学部で論文博士を取得なされたと聞いています。
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