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東京大空襲のことなんですが、1945年3月9日、アメリカ第20空軍のルメー大将が部下に対し、 ・殆どが木造で燃えやすい東京の一般住宅に対してナパーム焼夷弾を用いて低空で夜間爆撃を行うこと。 ・焼夷弾を大量に搭載するため、銃を取り外すこと。 ・低空で飛ぶため、ガソリンを減らすこと。 ということ(作戦)を命令しましたが、次のようなことはどうだったのでしょうか? Q1.(作戦に対し)部下のみならず、アメリカ本国からの反発も考慮した上で作戦を出したのか? Q2.天気も考慮していたのか? (雨の中で焼夷弾を落としても殆ど意味が無いのは分かっていますが、夜間でもこの気象条件ならば乾燥していて火の回りが速いとかなど) Q3.ルメー大将はもしこの作戦が失敗したら、進退・責任などはどうするつもりだったのか? あと、この空襲でアメリカ軍の戦闘機が何機落とされたかということについても教えていただければ幸いです。 宜しくご教示お願い致します。 オーチー |
- Q2.
当然ながら作戦実施に際して天気予報もちゃんととっています。これが「春一番」の頃、乾燥してひじょうに風の強いシーズンであることにもご注目下さい。
硫黄島陥落前の時期であるこの作戦に、米軍戦闘機の随伴はありません。
片
- うわぁ、申し訳ありません。
「戦闘機」は「爆撃機」の間違いです。
本当に申し訳ありませんm(_ _;;)m
>1.
早速の返答ありがとうゴザイマス。
「春一番」のころを狙っていたんですね。
オーチー
- 米軍の事前の天候予測では伊豆諸島あたりに移動性高気圧が現れることになっていましたが、当日は西高東低の冬型気圧配置となり、結果的に激しい西風が吹き荒れています。
B-29の損失は14機。内わけは、対空砲火によるもの2機、事故・故障1機、その他・原因不明11機。日本側戦闘機の攻撃による損傷・損失は認められず。
片
- >3.
対空砲火によるものはそんなに命中していないんですねぇ・・・
低空でも当たらないものは当たらない?
追加質問ですが、当時の米軍や英軍、日本軍など各国の軍の気象予測の精度はどのくらいだったのでしょうか?
オーチー
- Q1およびQ3について。
軍事目標に対する昼間高高度精密爆撃から市街地に対する夜間焼夷弾爆撃への転換は、カーチス・ルメイ少将が一人で企図したものではありません。
正確に記述するには何冊か本を読み返さなければなりませんが、米軍上層部の方針として決定されたものです。
東京大空襲をはじめとした日本の都市空襲に使用されたM69油脂焼夷弾は、日本の木造家屋を攻撃対象として開発されたものです。開発には火災保険会社の(火災の)専門家も携わっていました。
もちろん、この方針に対しての反対意見もあったわけですが、精密爆撃を主張する前任者のハンセル准将が更迭されかたちでルメイ少将が着任したようです。
「アメリカの若者(米兵)の命を救うためには、敵対国の民間人を殺傷するのもやむを得ない」というある意味では免罪符的な考え方が、焼夷弾空襲から原爆の使用、さらには後の冷戦における核戦略、そしておそらく現在も根底にあると思われます。
この辺のことは『アメリカの日本空襲にモラルはあったか―戦略爆撃の道義的問題』(ロナルド・シェイファー (著), 深田 民生 (翻訳)、草思社、ISBN: 4794206801、1996)に非常に詳しく記述されています。
Q2の気象に関しては、たまたま風の強い日だった、という程度でしょう。作戦任務報告書に載っている予想天候と観測天候はかなり違っています。もちろん、この時期の太平洋側は乾燥して季節風が強いことも計算には入っていましたが、焼夷弾による空襲は終戦まで続きます。詳しくは『東京を爆撃せよ―作戦任務報告書は語る』(奥住 喜重 (著), 早乙女 勝元 (著)、三省堂、ISBN: 4385431574、1990)を参照ください。
なお、尾部以外の機銃を取り外したのは、重量軽減とともに味方機に対する誤射(同士討ち)を避けるためでもあります。残った尾部の機銃も、たしか対空射撃は禁止されていたはずで、地上の照空灯を叩くのが主目的だったはずです。
また、編隊を組まないことも燃料の消費を抑えるのが目的であり、高高度を飛行しないことはエンジンへの負荷を軽減してメンテナンスにかかる時間を短縮し稼働率を上げることに寄与しました。
帰還した機の燃料の残量は詳しく調査されており、なるべく搭載燃料を少なくして搭載弾量を増すように、次回以降の出撃の際に調整されています。
OPD
- OPDさん、詳しい説明感謝します。
>Q1について
米軍上層部の方針だったですね。なるほど。
>Q2について
今ほど予測が精密ではなかったんでしょうかね?
>Q3について
更迭の穴埋めだったとは。勉強になります。
オーチー
- >6
>Q3について
「穴埋め」ではなく、適任者にすげ替えた、と言うべきでしょう。
>Q2について
オーチー様のお年がお幾つかは存じませんが、10年前の予報と比べても現在の天気予報はかなり「当たる」ようになってきているのはお判りではないでしょうか。
1945年の戦時下では現在とは比較にならないほど頼りない予報です。
なにしろ、気象衛星もアメダスもスーパーコンピュータも無い上に、日本本土、台湾、朝鮮半島、満州および中国の日本軍占領地の観測情報は全く得られないわけですから。
OPD
- >OPDさん
>Q2
本当に正確な予測をしろというほうが無理な話ですね・・・
ヤブヘビな発言だったことお許し下さい。
>Q3
言葉は気を付けます(^^;)
オーチー
- 三月十日は陸軍記念日。 日露戦争の奉天会戦の勝利を
記念した日。 この日を狙ったアメリカの意図は明確。
陸軍記念日を選ぶことで政治的なインパクトと日本国民に対して
米軍の優越性を知らしめるためにあえてこの日とその前後を狙った。
吉田
- >9
日本側の資料等では、そのような記述を見たことはありますが、私の知る限り米軍側の資料にはそれを裏付けるものがありません。
私の不勉強とは思いますが、出典をご教示いただければ幸いです。
OPD
- >9.
陸軍記念日でもあり日露戦争の奉天会戦の勝利を記念した日でしたか。
勉強不足でした(^^;)
オーチー