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故郷や旅先で太平洋戦争に従軍され、戦死された方の色々なお墓を見てきたのですが 将官や高級将校の物を除き、尉官、下士官、兵卒の方々のお墓に共通性のような物が見受けられたので質問致します。 陸軍の場合、星印、兵科、階級、名前の順で刻まれ、側面もしくは背面に戦死されたおおまかな場所、日付が刻まれており、信州や関東圏のお墓は大体この様式でした。 又、海軍の場合階級と名前のみですが背面もしくは側面に戦死した日付と共に乗艦していた艦船の撃沈された経緯もしくは戦死された際のおおまかな経緯が刻まれており、関東圏しか見る事が出来なかったのですがやはり大体この様式でした。 ここでふと思ったのですが戦死された方々のお墓には何か定められた様式が有ったのでしょうか。 又、海軍の方のお墓と陸軍の方のお墓の違い(お亡くなりになられた際の経緯の有無等)は何故なのでしょうか? 伊号 |
- 質問ですが、太平洋戦争当時の墓碑には位階勲等の記載はないのでしょうか。
もう少し古い時期(日清・日露頃)の戦死者の墓ですと、大部分「正○位勲○等」の記載があるような気がするもので。
カンタニャック
- 参考までに西日本の軍人墓を調査している方のHP
http://boboro-web.hp.infoseek.co.jp/gunjin-index.htm
私が家の近所(神奈川県南部)と一族の墓地(福島県)で見た墓碑はおおよそ
位階、勲位、兵科、階級、氏名が表面にあったような気がします。様式に関しては、
いずれも寺院の一族墓内か、同族墓域内にあったものなので、むしろ宗派の様式に
沿っているような気がしました。
陸軍兵士の墓碑しか見ていないのですが、戦死者個人の墓の場合、概ね日中戦争までの
墓碑の場合、略歴、軍歴、戦功、戦死時の概況が司令官(軍指令か師団長)の署名付きで
墓碑の側面か後面に彫ってありました。大東亜戦争の戦死者の場合、長い碑文と署名なしで
戦死した日付、戦死地が彫ってありました。
私の観察は、中世の墓碑探訪か墓参りついでの散漫なものなので、
あまりあてになりませんが。
昔不沈艦
- カンタニャック様、昔不沈艦様ありがとうございます。
左官から将官の方のお墓を見たことが無いのですが太平洋戦争に従軍された兵卒から尉官の方のお墓には位階や勲位のある物は見た事がありません、昔不沈艦様からご教示して頂いたHPを見ましたが、長崎県のお墓のいやはや何ともゴージャスというか立派というか今まで見た事も無い物でその余りの違いにびっくりしました。
旅先や故郷等でのちょっと見程度の物ですが私が見たものはいずれも簡素で寂しげな印象でした。
陸軍の物は比較的立派で大きい物が多かったのですが海軍の物は概ね簡素で陸軍の物よりも小さめな物が殆どですが墓碑に戦死された際の大まかな状況が彫られているお墓が多かったです。
お二人はよく旅行をされるのでしょうか?私は神奈川県西部に住んでおりますのでよく鎌倉や横須賀等に出掛けますがもし良ければお二人がよく行かれる旅先やお薦めの場所を教えて頂ければ幸いです。
伊号
- なんかご近所のような気がしますね。私は東海道沿線の方に居住しています。
旅行といっても出張か釣りが殆どで、あとは日帰りで鎌倉とか鎌倉街道巡り位で、
案内なんて出来る程の者じゃありません。
昔不沈艦
- 伊号さん、ご回答ありがとうございます。
私が見るのは、旧東京市内の墓地が多く、戦死者の墓碑で目立つものは大体日清・日露ごろでした。太平洋戦争の戦死者の墓碑の多くはもっと郊外にあると思われます。旧東京市内の墓地に葬られた人もいるのでしょうが、すでにある墓に合奏されるので、注意力不足の私などはあまり気がつかないのでしょう。
今度少し注意して歩いてみます。
カンタニャック
- 戦死者のお墓の外見的特長として、私の住む地方では墓石の形が将棋の駒のように先端がとがっているというのがあります。
オルジス