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第二次大戦中なぜドイツは第三帝国と呼ばれていたのでしょうか 第一、第二があったのでしょうか 教えてください ヒトラーの尻尾 |
- 第一は中世の神聖ローマ帝国、第二は1871年にドイツを統一したドイツ帝国、ヒトラーの第三帝国はドイツに生まれたこれら二つの帝国に告ぐ三番目の帝国である、という意味らしいです。 総統=帝王なのかという疑問は別として・・・。
紅葉饅頭
- >総統=帝王なのかという疑問は別として・
その前のローマ帝国の皇帝という物自体が実質的に世襲制になっている部分もありますが本来、市民の歓呼を受けて就任できる物だったようなので、同じような物なのかも。
(もっとも末期(所謂ビザンティン帝国)では市民という意味のラテン語?名の役職の役人が控えていて就任の後歓呼の声を上げていたそうですが)
(専門外なので)
部外者
- 紅葉饅頭さんの答えでいいと思いますが、以下蛇足。
紅葉饅頭さん、部外者さんの疑問は、Reich=帝国って訳に原因があると思います。
ドイツ語のReichは、国、領域、などの広い意味を持っており、皇帝の有無はライヒと無関係です。Kaiser-reich なら帝国、 Koning-reich(ウムラウト省略)なら王国、皇帝や王のいない共和国でもライヒは使えます。たとえば、ドイツ皇帝が退位した後のドイツ(ワイマール)共和国も「ライヒ」です。したがって、第一次大戦後もドイツの通貨はライヒスマルク、国鉄はライヒスバーン、国防軍はライヒスヴェーアでした。ドイツ語に中国(現代の中国)を訳すとdas Reich der Mitte(真ん中のライヒ)となるようです。
ヒトラーとナチスがあまりに、ライヒ・ライヒ(=国家・国家)といったため、第二次大戦後は、「ライヒ」という言葉はドイツから追放され、みんな ブント(Bund=連邦)になってしまいましたが、ライヒ=悪の帝国というわけではありません。ただしライヒには統一されたドイツ(あるいは統一されるべきドイツ)というニュアンスがあることも確かで、その点も戦後のライヒ追放の一因になっているといえそうです。
カンタニャック
- 西ドイツ国鉄は戦後ブンデスバーンに改称されましたが、東独のはライヒスバーンのままでしたね。他の例は知らないのですが、東独では「ライヒ」への拒否感が少なかったということになります。「東」では真に民主的な社会主義国家を建設したという建前から、ナチス時代の清算は済んでいたということにしていたのでしょいうかね。さらに蛇足でした。
Sampon
- >4 いかん、ほんの10年すこし前まであったのに、「東」の事を完全に忘れていた。
Samponさんフォローありがとうございます。
カンタニャック