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第二次大戦中の帝国海軍の士官服(詰襟)白と黒が有りますが、 どちらが本当なのでしょうか、というのは、写真などでは黒い服が多、 映画やアニメでは、白い服です、両方あるのでしたら白と黒は、 どういうときに変えていたのでしょうか(こういうときには白、また 別のこういうときには黒)教えてください キリコ |
- ご質問の黒い服(実際は紺色)と言うのは第1種軍装と言います。
白い服の方は第2種軍装と言いまして、どちらも存在します。
被服規定でどのように決まっていたのかは(私は)未見ですが、一般に第1種は冬用、第2種は夏用と言われています。(ご存知の方はフォロー願います)
尚、余談ですが、第1種はウール、第2種は綿布で作られています。
また、上記の他に第3種と言われた緑色の被服も存在しますが、詰襟ではありません。
ウエストモーランド
- 大正3年(1914)2月27日制定の海軍服装令が終戦までの服制の基本となります。すなわち、1)正装、2)礼装、3)通常礼装、4)軍装(第一種、第二種)、5)略装の5種です。
昭和17年(1942)に防暑服が制定され、略装は昭和19年(1944)8月22日第三種軍装に改められましたので、最終的に6種が士官の服として存在したことになります。
蛇足ですが、夏期に着る第二種軍装に履くべき靴の色は黒が正式ですので御注意を。白い靴を履いてもOKなのですがこれは略式となります(映画などでことごとく白い靴を俳優が履いていますが)。
チャッピー
- 第一種は「夏季以外」、第二種は「夏季」の着用です。で、夏季とは6月1日〜9月30日を指すのですが、例えば赤道直下でこんなことしたらひどいことになるので、所在地の状況によりその地域の首席指揮官(東京においては海軍大臣)の権限においてその期間を変更することができました。
tac
- 補足 熱帯地方など特に暑い地方の場合、正装は一部の例外を除き「長剣を付ける他は第二種軍装と同じとする」という規定があります。また夏季においては礼装は「短剣の代わりに長剣の他は第二種軍装と同じ」という規定もあるため、海軍士官といえば白服、というイメージがありますね。
tac
- 蛇足 水兵の場合、秋口に上白、下黒になる「半白(はんばく)」と云うパターンもあったようです。昭和17年の「少女倶楽部」掲載の小説「島はほほえむ」に
「軍艦が着いたのかな。あ、水兵さんの服も、もう半白だ。」
と云う記述がありました。
印度総督
- 二種軍装(夏)から一種軍装(冬)に変わる時、上着は二種でスボンが一種の期間が
あります。逆に一種から二種に変わる時は、上着が一種でスボンは二種です。
これは士官も兵隊も同じです。私のHP「蒼空の果てに」4−5隊内点描に写真
があります。http://www.warbirds.nu/senri/
蒼空
- 第一種軍装と第二種軍装の組合せに関しては、海軍服装令[1]の第十條において
「各種服装ノ着用品及之ニ関スル特別ノ規定ハ左表ノ如シ」とある「特別規定」
中、第二種軍装の項目に「一 特例又ハ気候ニ依リ夏衣ニ代フルニ軍衣ヲ以テシ
夏袴ニ代フルニ軍袴ヲ以テシ又ハ夏衣夏袴ニ代フルニ軍衣軍袴ヲ以テスルコトヲ
得」がそれを規定します。なお「軍衣」「軍袴」はそれぞれ第一種軍装の上着と
ズボン、「夏衣」「夏袴」は第二種軍装の夫々です。
なお、「夏衣」に「軍袴」の組合せについては、東京における第二種軍装の着用
期間は六月二十日から九月二十日とされその期間中、雨の降る時はズボンだけを
冬服を着るように指示されており、それは東京の海軍大学校の学生は貧乏をして
いて洗濯代を節約させるため[2]とかいう真偽不明の話もあります。
士官の場合の着用例は、嶋田海軍大臣や矢野軍令部三部長などを含む、昭和17年〜
18年頃の総理大臣、海軍大臣、参謀総長、軍令部総長などが写っている記念写真
[3]にも認められます。
[1]海軍省,海軍諸例則 巻四(1),原書房,1988
[2]瀬間喬、続々・素顔の帝国海軍,海文堂,1977
[3]有末精三中将秘蔵アルバム 昭和史の将軍たち,丸八月別冊「戦争と人物」
10、新発掘 秘められた戦記,1994
今泉 淳