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旧日本軍の階級、役職ごとの給料は現在では、大体どのくらいの金額なのか教えて下さい。 山 |
- 現在と昔の物價が商品により著しく違うので、一概に「一圓=何円」と断定できないところが難しいのですが、例えば昭和初め頃の大学出のサラリーマンの初任給が50〜70圓くらいだったので、それから類推すれば、ほぼ正しい生活実態に至ります。金地金や米穀の値段のみで類推すると、生活の実感の比較としては、すこし正確さを欠くようなきがします。
タクシーは、東京市内(ただし旧市街、今の23区よりも狭い地域)どこでも「一圓」で、情況により値切れば半分くらいになります。
子供が50銭銀貨(いわるゆ「ギザ」)を握って電車にのって盛り場に遊びに行くと、映画を数本みて(ほかの館にも入れる共通券というのもありました)、ドンブリものか、洋食屋の安物のライスカレーを食べて、ちょっと余るくらいと、当時の風俗聞書きにあります。これってちょうど今で云う3000円くらいですね。食べ物が安かったので、実態としては、もうちょっと実質的に値打あったと思いますが。それに市内に住んでいると、たいていは市電に乗らず節約のため、どこにでも歩いていきましたから、余ったお金でお土産のセンベーや、さらに夜店のガゼネタなど買ってきて楽しめたと思います。
遊びの値段で類推すれば、もっとうまく分るのかと思いましたが、今の六本木赤坂あたりのペラペラした遊びと、既に廃れた奥深い三味線の音が洩れ聴こえてくる三業の世界とは、既に対比の対象とはならないので、これはうまくいきません。
少尉の年俸を月割にすれば、これがちょうど新卒サラリーマン(早稲田など大學専門部や専門學校の卒業)の月給とほぼ同じでした。今の生活では、アパート借りて、御飯たべて、スーツや普段着はバーゲンで買って、時々お酒のんで、携帯もって、PCは自分で安いメモリを増設して、節約すれば本やゲームを買える、くらいでしょうか。
この水準から上下に類推を広げていくと、軍人の給與表が陸軍関係のサイトで簡単に手に入りますから、だいたいの暮らし向きが分ります。気をつけるのは、三等給の曹長以下は營内居住が原則なので、營外居住手当が本俸から差引かれていることです。よく二等卒はたった月に4圓の給料、と云いますが、5〜6圓くらいもらっている上等兵が何かの理由で營外居住を許可されれば食住のための給與を増額して月に計20〜25圓くらいくれます。この額で最低の独身下宿生活が営めます。少尉にくらべれば半分以下ですが、将校准士官以上が自分の被服・装備(拳銃・軍刀・双眼鏡など)を全部自前で負担するのに較べれば、下士官兵は、その部分がぜんぶ官給なので、間尺に合っています。
将校さんも階級章が錆びたら新しいのに替えなければならないし、乗馬本分にでもなれば馬を飼わなければならないし、なかなか遣り繰りが大変だったでしょうね。
「えらいさん」になると、大尉〜中佐は、お役人でいう本庁の課長補佐、大佐は課長、少将以上は局長・次官クラスの給料となります。このお役人との比較類推方法は割と簡単で分り易いです。部隊長や司令官には高額の團隊長手当がつきますが、これは部下や訪問客が呑み食いしてしまうので、残りません。
警察との比較で言えば、県警本部長クラスが将官、警視長〜警視が佐官、警部が大尉、中少尉准士官が警部補、下士官が巡査部長・巡査長、上等兵が巡査、というところでしょうか。
まあ軍人もお役人の一種なので、今も昔もそこそこ暮せて、そんなに贅沢もできない、という水準なのでしょうね。当時の民間企業に較べて安いようですが、役人・軍人は退職してからも年金・恩給が生涯支給されるので、そのへんで取り戻しています。金鵄勲章など貰うと、現役でも別に高額の年金が出て、かなりの余裕がでたということです。(太平洋戦争になると、年金でなくなる)
あるめ
- 熊谷直氏の「日本の軍隊ものしり物語」(光人社)の中に
「第四章:給与制度・軍人に賜りたる泣き笑い給与談義」
として具体的な金額を上げて説明されています
ご一読をお勧めします
12yo