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583 戦前の兵站関係の資料を読んでいるのですが、
どうも旧日本陸軍は、兵站−特に食料−を現地での調達(含む徴発)を
前提して計画・行動していた様に思われる記述が多く見られます。

湾岸戦争等のイメージから行くと、
軍隊の兵站は、本土からどんどん物資を送り込み、
これを前線まで輸送しているような気がしていたのですが、
2次戦当時だと、どこの国でも現地調達というのが一般的だったのでしょうか?
WR

  1. 「現地」というのが前線か、それとも占領地域で前線への後方支援のための基地がある所かによって話が異なると思います。
    例えば、独ソ戦の時の独軍もウクライナを占領すれば、放棄されたソ連軍の倉庫の物資を活用したり、そこで食糧や資源を入手しているわけです。ウクライナがロシアのパン籠と呼ばれる食糧・資源が豊かな地域であるということもありますが。
    どこの国でも占領地域から食糧等が入手できるのであれば遠い本国から高いコストで運ぶ必要は無いし、特に長期戦ともなれば長距離の兵站輸送は可能な限り削減したいわけですから。
    ベトナム戦争や湾岸戦争の場合、大規模な米軍部隊の現地拠点となっている南ベトナム、あるいはサウジアラビアでは、食糧生産は自国民の需要をまかなう程度であり(サウジは食糧輸入もしているし)、現地で食糧調達を行うよりも、本国から米軍人の口に合い衛生も保たれている食糧を輸送した方が良いという判断があったからでしょう。もちろん、本国からの長距離の兵站ルートが脅かされていないから可能だったわけでもあるが。
    アリエフ

  2. ちょっと本題からずれるが、第二次大戦後の戦争で数ヶ月以上にわたり大規模な軍隊が他国に進出した例として、上記の湾岸戦争、ベトナム戦争の他、朝鮮戦争、それにソ連のアフガン侵攻といったものが思いつくけど、豊富な食糧生産力を持つアメリカは現地友好国での調達どころか、むしろその国に食糧援助やってたりする位。また、アフガンのように現地での食糧生産自体が極めて少ない国もある。
    現地調達やる必要性がない、あるいはそれができない、というケースが多いのでは?
    アリエフ

  3. 「一般的」かどうかはお答えしづらいですが。
     例えば北アフリカの英独両軍などの場合、現地調達など思いもよらず、気候の関係でジャガイモを送ってもらえなかったドイツ軍は壊血病患者すら抱えることになったそうです。東部戦線では何でもありだったようなイメージがありますが、例えば大戦中期までは部隊が移動する前にチョコレートを配るなど、ドイツ軍の食糧補給システムは曲がりなりにも本国から前線まで通っていました。また、兵士の家族から軍用郵便で届く食料も少なくなかったようです。
     ソビエト軍兵士は黒パン、小魚などいくつかの決まりきった食料品を持っていた、とするドイツ兵士の回想もあるので、ソビエト軍も現地にあるものを手当たり次第に食べるのでなく、規格化された糧食を前線に送り込んでいたと思われます。アメリカの(イギリスが行ったものや、対英援助をソビエトにそのまま振り向けたものは別)対ソ援助のうち、重量で量って47.1%はアメリカが贈与したソビエト船籍の貨物船により、ウラジオストック経由で送られましたが、これは日ソ中立条約により民生品しか積んではいけないことになっていました。したがってこの中身は食料や衣服や産業機械などの両用品であったと思われますが、これらのうちいくらかはそのまま前線に行ったでしょう。
     にもかかわらず、中隊以下のレベルでの現地購入、物々交換、あるいは略奪・窃盗が行われたと言う記述は、もちろんあります。

    マイソフ

  4.  二次大戦時でさえ補給品の半分以上は弾薬・燃料で占められますから、これらは主に本国で加工したものを送り込むことになってしまうでしょう。
     ただ、その基盤となる資源の方となると話は違ってきて、たとえば独ソ戦遂行にあたってドイツ軍は、
    「戦争3年目以降は必要な資源は、全て東部で手に入れることによってのみ戦争を遂行できる」
    と言った文章を作っています。
    バツ

  5. 様々なご返信、皆様ありがとう御座います。
    現地調達を必要としないor出来なかった例を除外すると、
    何処でもある程度は現地調達に依存していたという辺りなのでしょうか。

    因みに質問にある「読んでいる資料」というのは、
    『作戦給養作業ノ参考(乙)』(昭和16年8月改訂/陸軍経理学校)という本です。
    その中に『判断及計畫』という章が設けられており、
    13の具体的な兵站上の判断と実例が記述されています。

    13項目の内、3つは現地物資の利用そのものの記述、
    1つは運搬器具の徴集、3つは現地物資の利用推進に関する記述を含み、
    3つには「兵站部隊ノ給養ニハ努メテ現資ニ依ラシム」と記されています。
    尚、現地物資に関連する記述の無い3項目は、
    ・軍作戦計畫ノ例
    ・軍会戦指導方策ノ例
    ・師団ノ上陸給養計畫ノ例
    となります。

    これらの記述だけを見て、
    日本陸軍の現地調達依存率と、
    他の軍隊と比較した場合の多寡を語ってみるのは、
    乱暴に過ぎましたね。なんとか他国の同様資料を探してみようと思います。
    WR

  6. 旧軍の糧秣補給は、内地の兵站基地より兵站線路を経由して出征軍の兵站管區に内地調達の糧秣を送りこみ、出征軍の兵站管區に置いた兵站倉庫にこれらを備蓄して必要量を前線部隊に逐次輸送し補充する形が基本と考えています。
    現地の兵站倉庫には、これとは別に現地物資を徴発して加工備蓄する機能もあり、それ専用の兵站倉庫も設けることがありました。主に生鮮野菜・生獣の類は現地調達する必要がありました。
    部隊単位での現地徴発も可能です(經理部員による軍票の発行によって強制購入)。また駐屯間の部隊は、各隊の炊事軍曹レベルで、現地商人から副食類の購入が行われていたはずです。
    さらに敵軍の遺棄した糧秣物品を鹵獲して利用することも想定されていました。

    兵站線路上を流れる物資は、ほとんどが糧秣で、大きな戰闘や前進が生起した、或は予定される場合以外は、兵器の範疇に入る物資(主に彈薬、工兵器材など)や補充人員は大量には流れなかったように考えられます。

    時代と作戰地の特徴によって現地調達と内地直送の比率が変化してくるので、同じ軍でも何が一般的(標準)かは定まらないのでないかと思います。
    あるめ

  7. 5 の 「兵站部隊の給養云々」とある「兵站部隊」とは、軍兵站管監部隷下にある兵站管區に所属する部隊のことを指しているのだと思います。即ち、兵站衛生部諸部隊、兵站經理部諸部隊、兵站獸醫部諸部隊、兵站守備部隊などなどです。通過部隊も兵站管區に在る間は兵站司令部から給養を受けるので、含まれるかと勝手に思っています。
    あるめ


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