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昭和40年頃まで我が家に竹で作ったドラム缶ありました。容量100L程度のものでしたが、2cm幅ほどの竹を1周縦に並べて太鼓型にし、上中下部の3箇所を鉄のリングで巻いてありました。底板は覚えていませんが、上板はもうありませんでした。内装には油紙が張ってありました。竹の表面にはロシア語でいろいろと書いてありました。 父の説明では「これは大東亜戦争中にソ連の樺太方面からガソリンを輸入していたときの容器である」とのことでしたが、独ソ戦に必死のソ連が輸出する余力は無かったのではないかとも思います。当時、ソ連からガソリンを輸入していたという事実はあったのでしょうか。 gsz |
- 北樺太においてオハ原油、日本側で採油した物と、ソ連側から購入した物がありま
した。これらは日本に運びこまれていましたが、タンカーで輸送されており、ドラ
ム缶で輸送された話は聞いたことがありません。また精製された石油を購入した話
も聞いた事がありません。竹製ドラム缶は日本製に間違いありませんが、石油以外
の何らかの液体が輸入されていた可能性があります。
間借り人
- 日本側からソ連へ輸出されていた可能性もあります。品物としては、ヤシ油、大
豆油、魚油ひょっとするとクレオソート油、桐油が考えられます。
間借り人
- 質問者です。
間借り人様 ご回答ありがとうございます。
なるほど輸出の可能性もあるわけですね。ただ、側面にロシア語でなにやら数行、型紙を使って書いてあったのでロシア製と決めつけて考えていました。
gsz
- 王子製紙社史 第四巻 昭和34年 P149に次ぎのような記述が
あります。
戦時中、江戸川工場において製造した紙製ドラム缶の材料は、富士第
三工場の白ボール(紙)に東北パルプ秋田工場のスプルース・エックス
糊を以って機械的に張り合わせたもので、外装の竹枠材料は京都工場の
竹工場で調製したものである。(製紙博物館蔵)
間借り人