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560の便乗質問なのですが士官学校、兵学校、あるいはその雛型の出来たのはいつ頃なのでしょうか。またどこ(の国)がはじめたのでしょうか。すみませんが教えてください。 隙間風 |
- 史料が手元にないので記憶モードですが、一般的にはスェーデンのグスタフ・アドルフの頃だそうです。ただ、現在の様に卒業すると士官に任官できる学校というのとはちょっと違うようです。ここあたりは学校の歴史とも絡むようです。
いおーじま
- 18世紀ころには、歐州の絶対君主は貴族子弟を収容する幼年学校と士官学校を設けていましたが(フランスやプロイセンなど)、海軍の方はOJTで、候補生として乗組んでから艦内で勉強し、任官試験を受ける式で学校はなかったようです(英国海軍の例)。
19世紀になると、さすがにどこの国でも陸海軍の学校を整備し、英国海軍も廃艦利用の兵学校を開設し、やがて陸上に校舎を建て、教養ある士官つくりを目指したのでした。
陸軍では兵科よりむしろ砲工系技術将校の養成学校に熱心だったようで、ナポレオンの理工科学校(ポリテクニク)や米国のアナポリス(当初は工兵士官養成が目的)が日本の砲工学校該当として有名ですし、ロシアではドストエフスキーが工兵学校を卒業して工兵局に就職しています。
あるめ
- だいたい18世紀ごろですか・・・。
貴族専用なんてところが時代を感じさせますね。
フランスやプロセインなどの国にあったのならば先進国オーストリアなんかにもありそうですね。
でもそうなるとポーランドのような非占領地域の貴族たちの子弟なんか学校でいじめられたかもしれませんね(笑)。
学校いじめ問題って結構歴史あるもんなんですね。(ほんとかよ)
隙間風
- 「戦略戦術兵器事典3 ヨーロッパ近代編」(学研 歴史群像シリーズ)によると、陸軍将校より技術的知識を必要とする海軍将校の教育機関の方が歴史が古く、1669年のデンマーク及びフランスの海軍学校に遡る。OJT主義だったイギリスも1729年には海軍兵学校を設立する。
陸軍では当初、歩兵、騎兵よりも技術を必要とする砲兵、工兵の方に重点が置かれ、18世紀半ば頃、各国で本格的な陸軍士官学校が設立されている。なお、1717年にプロイセンで陸軍士官候補生学校が設立されているが、こちらは貴族階級の若者の教育機関としての性格が強いものだったのかな。
アリエフ
- はじめは技術士官養成学校だったんですね。
それならばあまり身分や出身は問題無かったかもしれませんね。
隙間風
- でも貴族といってもプロイセンのユンカーのような農村貴族もあるわけだし、地方名望家や貧乏貴族の子弟にとって、士官学校というのは出世と中央進出へのチャンスだったのでは。コルシカの貧乏貴族の子弟だったナポレオンも砲兵出身だったな。
アリエフ
- 欧州の軍学校には、国と時間系列により、いろいろなタイプがあり、同タイプであっても互いに細かい差異があって、個別に沿革をあたっていくと、なかなか面白いです。
近刊の菊地良生「傭兵の一千年史」(講談社現代新書1587)p194には、1616年のジーゲン士官学校(和蘭)が最古だと書いてありますが、はたしてどんな学校だったのでしょうね。
英国海軍最初の兵学校”Royal Naval Academy”(国王勅許候補生”King's Letter Boy”=”Volunteer”に代る制度)がポーツマスに1729年に創設され(1806-37 Royal Naval Collegeに改称)、1学年生徒40名(13〜17歳)の定員でしたが、これと並行し一般候補生”midshipman”用のOJTは士官補充の主流を占めており、勅任艦長連は兵学校教育に疑問を抱いていました。おかげで1773年には兵学校の生徒数は15人に減ってしまい、海軍将校の子弟には学費免除だの、入学年齢を早めるだの、定員を70人に増やして校舎を新築するだの、修学期間を縮めるだの工夫しましたが、1837には廃校となりました。
海洋小説の「ピーターシムプル」など1800年前後の士官候補生をモデルにした、いろいろな小説を読むと、兵学校出身者が時代の典型的な人物としては登場しないので、当時は少数派であったことが推測されます。
あるめ
- 菊地→菊池、 「一千年史」→「二千年史」 でした。
あるめ