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大学祭とかでマーチングバンドとか鼓笛隊の演奏を見に行くとユニフォームが軍服チックです。学校のマーチングハンドってもともと軍隊の軍楽隊をモデルにしているのでしょうか? ロックマン |
- はい、およそそのとうりです。
いおーじま
- March自体が行進曲ですか軍隊調になります。日本の鼓笛隊(?)の起源は、戊辰戦争の官軍の「宮さん宮さん」で、鼓笛隊の役割も一定歩調で行進させるものだったではなかったでしょうか。
能登
- 行進という行為自体が軍隊と切っても切れない縁のものですので,まぁそういうことになりますね.
ウマシカオ
- トルコ軍軍楽隊のマーチ演奏は、敵を威嚇したと云う話もありますね。
以前、某ドラマのテーマに使われた曲は、たしかにそれを感じさせる
旋律でした。
それと、マーチと云えばこれだろうと思う曲があるのですが、
こんなページがありました。
ttp://www.bunko.co.jp/writers/setoguchi-yoshihiro/gunkan-march/
毎度焦点のずれた書込みで失礼(汗)。
MB
- 私はこの様な見解に対しては概ね否定的ですがね。
軍隊の楽隊をモデルとしている、という限りにおいては確かにそう言えない事も無いのですが、
この表現では範囲が広くて実際上意味をなしていません。
米国では軍隊の、というよりも19世紀末期の例えばスーザーバンドの様な
「軍隊風の」一世を風靡した吹奏楽団の影響の方が強いような気が致しますし、
日本のマーチング・バンドの装束は全く無国籍の「(おとぎの国の)軍隊風」の物で
もはや起源を軍隊に求めることには違和感があります。
例えば日本でも有名な行進曲の「ラデツキー行進曲」も軍楽隊をメインに歴史を紐解くと
「ラデツキー元帥にちなんだ墺洪国陸軍『驃騎兵第五連隊行進曲』」という紛れも無い墺国の軍楽曲なのですが、
今日日本において吹奏楽団にて一般的に演奏される譜は
「英国ブーシー社版『ラデツキーマーチ』であったりします。
ここにあっては軍隊のカルチャーとの全く別個のものであって歴史の連続性は有りません。
また別の視点から見ると行進曲とは歩兵達の必須の要件であり、
歩兵とは確かに軍隊を構成する主たるものなのも事実なのですが、
軍隊のカルチャーというものは何も歩兵に留まるものでは有りません。
軍隊の軍楽隊の様式とは多岐に渡り、軍隊のカルチャーの外に在る者にとっては
モデルとして模倣したものと思い込んでいるものも、実際は極めて限定された一面を
モデル化としたものに過ぎない、という事もあります。
結果、両者の間には歴然とした差異が生じるのは別段不思議は無いのですが、
この場合、果たして「モデルとした」と評し切れるのでしょうか?
私は墺国のトリオを舞曲風に謳い上げる騎兵行進曲としてのラデツキー行進曲の方が好きなのですが、
(クラシックの世界でならば原典版が尊ばれるのですが)
マーチングバンドの世界ではあまり関係ないようです。
欧州ではそもそも人々の生活にこの様な楽隊がそれなりにマッチしていてかつ行進曲も軍隊の専売品ではありません。
また「マーチングバンド」が盛んなのは米国と日本といった類いの国や地域であって
ミリタリーカルチャーの中でレジメンタルなカルチャーが伝統的に根強く残っている国々では
現在の軍隊の楽隊よりも古い編制なり様式なりを維持している民間の楽隊も存在しています。
何というか、回答になっていませんね・・・(⌒ ⌒;
ナゾの人
- ↑日本で云えば、ほら貝やら陣太鼓の類と考えればよいのでせうね。
あるめ
- 5>私もこちらに賛成です。元祖ないし起源については
確かに軍楽隊が元でしょうが、その伝で行きますと「女
子高生のセーラー服は、元はと言えば海軍の水兵が着る
軍服である。」とか言う人も出そう。(笑)軍楽隊を
モデルとして強く意識したわけではないと愚考いたします。
4> 質問された方の意図とは関係ないカキコミを
して申し訳ございませんが、MB様の言われたドラマは、
NHKの「素直な戦士たち」、トルコの軍歌の名は、
「ジュッディン・ディディン(昔も今も)」だと思います。
りんちゅー
- ↑ 向田邦子「阿修羅のごとく」TVドラマにもでてましたね。
あるめ
- 7>すみません!訂正させてください。多分、「素直な戦士たち」は誤りだと思います。あるめ様のご指摘の「阿修羅のごとく」とゴッチャになっていました。ご迷惑をお掛けしました。曲名はあっていると思います。いらんこと書かなきゃよかった・・・。
8>あるめ様ありがとうございました。
りんちゅー
- ↑いやいや、本筋と関係ない話題を持ち出したわしがイカンす(汗)。
もうしわけなし。ちなみに記憶にあるのは正に「阿修羅のごとく」。(^^;;
MB
- 大昔、新橋〜銀座〜京橋の通りを、来日中のトルコ軍樂隊が演奏行進したのをTVで見た記憶があります。沿道に在日トルコ人が大勢、家族連れで並んで声援していましたが、遠く離れた極東の異国の首都の目抜通りで威風堂々の母國陸軍軍樂隊の大編成に接する気持はどのようなものだったでしょうか。
なんでも、その時は明治頃にトルコ軍艦が和歌山沖で遭難した現場を訪問して慰霊し、救助に携った現地の人々に謝意を述べるための来日だったと云うことでした。
話題のその曲は隊員の合唱付きで、歌詞は「我らが父祖の武勇はかくも偉大なりき、云々」なのだそうです。私は勝手に日本語の歌詞をつけて、時々歌っております。ほら吹き男爵の頃、ウイーンに迫ったトルコ軍も同じ曲を演奏していたのかなあ、と思いますが、確認してません。
あるめ