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ナポレオンやヒトラーの野望を打ち砕いたロシアの焦土(冬将軍)戦術は現在も使える戦術ですか? ぱるぱる |
ナポレオンの場合、最初の1ヶ月位で60万の兵力が20万に消耗し(補給部隊が追いつけなかった、そして徒歩で行軍する兵士に多くの犠牲、逃亡者が出たため)、ロシア軍がその気になれば、モスクワのかなり手前、スモレンスクでナポレオン軍を壊滅することが可能だったかもしれないのです(当時、ロシア軍の参謀だったクラウゼビッツはそのような作戦を主張している)。ただ、ロシア軍は弱気でボロジノ以外、本格的な抵抗を行わずに後退してしまいます。その後もナポレオン軍の戦力は消耗し続け、モスクワ入城の頃は10万を割っており、戦術の常識から言えば既に負けています。
一方、ヒトラーの独軍は、41年〜42年の時点では、ナポレオンに比べると比較にならないほど戦力が温存されています。もちろん、41年冬は苦しい局面を強いられたが、戦線が後退し膠着状況になったわけで、それだからこそ42年の進軍が可能だった。
また、ナポレオンは10月19日にモスクワを撤退、12月に殆ど壊滅状態になってポーランドに帰還しています。1812年の11月〜12月は比較的寒かったと言われているが、独軍はモスクワの手前で41年冬の厳しい寒さを過ごしているのです。
あれこれ書いたが、両軍に共通しているのは、補給が追いつかなかったことでしょう。冬将軍よりも、作戦規模が補給能力をはるかに上回ってしまったことが敗北の原因と考えます。
アリエフ
使えない要因:現代の軍隊の兵站のうち、食糧が占める割合は昔に比べて非常に小さくなっています。その分弾薬や燃料・交換部品の必要が高いのです(空軍がその最たるもの)。焦土作戦は、食糧についてしか影響しませんから、あまり効果が上がらないかも知れません。
さらに言えば、昔の軍隊の基本は「現地補給」ですから、現地に食料がないと行動不能になりますが、現代の軍隊は基本的に補給物資を後方から送ってもらいますから(自動車をはじめとした輸送機関の能力がけた違い)、行動不能になるということはないでしょう。
冬将軍が力を発揮する要因:これも同様に、冬季装備を輸送するのは兵站に対して負担になります。特にエンジン関係の冬季装備の必要量は莫大なものでしょう。
それと、雪が降るのはやはり部隊の機動力を殺ぎ、防御側が有利となります。
発揮しない要因:昔にくらべて、冬季装備そのものの必要は小さくなっています。我々の身の回りでも、冬だからといって自動車が使えないと言う状況はもはやあまり見られません。兵員レベルの防寒具も、昔にくらべてはるかに軽量かつ高性能なものが普及しています。航空機の全天候化も進んでいます。医療技術も進みました。昔のように、冬になるとばたばたと兵隊が死んでいくといった光景は、現代では見られないでしょう。
要は、クラウゼヴィッツの言う「抵抗」を大きくすると言う点では効果はあるでしょうが、そんなに決定的なものではないだろう、ということです。そもそもナポレオン軍は「冬将軍に敗れたから撤退した」のではなく、「撤退中に冬将軍に襲われて壊滅した」のであり、ドイツ軍をストップさせたのは冬将軍ではなく補給の限界でしょう。冬になってからドイツ軍の行動が鈍くなったということはないのでは。ロシアの11月は冬ですよ。日露戦争の日本軍は、寒い満州で元気に戦って勝ってますし。
ことさらに「ロシアの冬将軍」と言われるのは、ロシアが寒いからではなく、ただでさえ広いロシアでは「抵抗」が非常に大きくなるのに、冬がそれをさらに増幅するからでしょう。他の国が冬を利して勝った例はあまりありませんからね。
焦土作戦に至っては、18世紀以降の軍隊がそれで敗退した例を私は寡聞にして知りません。現代の軍隊は砂漠でも戦えるのですから。
大名死亡
「ロシアの冬の厳しさは、平均気温が低いということではなく、間歇的にやってくる強烈な寒気団(マロースってのはこれです)によるものだ」とありました。
やっぱりロシアの冬は寒いのかな? でもまあ、上に書いたことは大筋では修正いらないと思います。
大名死亡