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第二次大戦中の日本軍に着いて、よく精神主義と批判されることがありますが、批判されるほど『他国と比べ』、精神論が強かったのでしょうか。 かすた |
- 日本軍の犯した愚かな決断や、間違った見通し、非合理的な行動は数え上げたらキリがありませんが、情報と物資の不足した状態で戦い続けた軍隊の敗因を精神主義に帰するのもあまりに感情的な判断でしょう。それが正しいか間違っていたかは別として「大和魂」「神州不滅」を口にする事もまた精神主義ではありません。戦争は、というか戦争を構成する多くの戦闘は、野蛮で残酷で、つまるところ強靭な精神でのみ実施し統制できるものだからです。気合も覚悟も無いだらしのない我々には世俗の争い事さえ向かないでしょう。
問題は何を以て「精神主義」と呼ぶかであって、「精神」が決定的な要因の一つとなり得る戦争にあたり、それを重視する事はいわゆる「精神主義」ではないということでしょう。
BUN
- おっしゃるとおり、どの国でも兵に精神力を求めたのは事実だと思います。
しかし、例えば日本が兵站を軽視したのは『飯がなければ戦えないのは女子供の言うことだ』という発想があったからだと聞きます。他のAns.Qから察するに、竹槍でB29を……、ということもあったようですし。
こういった(度を過ぎた)話が、外国にもあったのだろうか、という疑問を抱いているわけです。
かすた
- フと思ったんだが、これ以降の話題はちょっと矛先を変えるとヤな平行線に行き着
くこと必死なので、各論に移行するとき(旧特に日本軍の絡み)は議論ボードで話し
たほうがいいと思う。と、とりあえず。
>>かすた氏
事例を示すときは、ここの361番を一度良く目を通してからがいいよ。
sorya
- かすた氏がそう思ったのは何故なのかが知りたい所です。
ものの例えを事実と混同したり兵站を無視する近代軍隊が存在すると素直に思えてしまう心の方が私には「精神主義的」に見えます。
BUN
- さて、とあるユニークな大型掲示板サイトで、
ここは反論を許さぬカルトサイトだという見解が書かれていたので、
エキシビジョン的に。
師匠(B5N氏)、やはり、私には、米軍に比較して、
上層部が兵員に対して提供できたかった各種物資を
現場担当者の“精神”という概念での代替要求した度合いが
大きく思えてなりません。
同じ物理的条件を与えられた中で命を競い合うなら当然「心」の強い者が勝つでしょうが、
師匠が仰る「大東亜戦争」、私が言う「太平洋戦争」において、
日本軍が「明らかにバランスを欠いた形で精神面にバランスをかけた」
と考えるのは誤りでしょうか?
と、こんな莞爾、いや、カンジで
場合によっては議論ボードでお話しましょ、ね?
雪風2
- んとまた、いい加減な事を・・。
まったく、この世は悲しい事ばかり・・・。
破綻を迎えつつある局面での狂気じみた行動や発想は他国にも幾らでも例はあり、それを一概に辞書の意味通りの精神主義として括ってしまっては自ら目を閉じる事になるだけ。極端な観念論はいつの時代にも現れるお調子者の持ち物なんですよ。出遅れた左翼とかのね。
やろうとしても出来なかった事への情熱と構想を国本さんあたりは「哀しい」というんだな。調べれば調べるほどに精神主義と切って捨てられる事柄の背後にある何がしかの理性が見えてしまうからこそ「哀しい」んですよ。
気違いだと確信できるならいっそ楽でしょう。
BUN
- 「精神主義」をどう捉えるかにもよりますが、日本に限らず連合国も含めて国民に対し敵愾心の鼓舞等の宣伝が相当行われているんですけどね。軍や国民の士気を維持するためには、祖国防衛の意義やや敵国体制からその国民の風俗・価値観に至るまでの徹底的否定などの精神的・心理的な説明が最も効果的だが。独ソ戦当時のソ連で共産主義と愛国心のスローガンの下、ドイツや日本もやらなかったほどの全面的国民総動員を行い、強制的に軍需工場で働かせたり前線で闘わせ、撤退したりするようなものなら見せしめの銃殺刑が待っている、こうした体制は全国家的な徹底した「精神主義」でないと不可能ではないでしょうか?
アリエフ
- プロパガンダと精神主義は別物でしょう。精神主義は精神が物理的な存在に優越するといった考え方のことで、物資、情報の不足を精神面でカバーできるとした極端な観念論を指し、国民の精神的動員といったものはここでいう場合の精神主義とは若干ニュアンスが異なるものではありませんか?
BUN
- 雪風さ~ん、他のサイトがどうこう、ってのはどうでしょ。要らない前置きですよお。
さて、私も分別が無かった頃はそう思っていたんです。でも、少し、少し調べると別に精神論とか精神主義が兵器の立ち遅れとか物資の不足の代替にされていたんじゃないなあ、と思って来たんですが・・・
個別の戦闘、戦場、現場に関しては、なにせ敗戦国で負け戦が多かったですから、その様な事象も目立つのだろうけど。しかし、我が国「だけ」のコトではないでしょうねえ・・・
tackow
- (ゴミ覚悟)
私が「日本軍だけが精神主義」という言説に疑問を持つようになったきっかけをば。
WW2アメリカ軍航空機搭乗員の「20回(後に25回)出撃したら本国帰還」というのは、どのくらいの確率で帰れる話なのかを計算してみたところ(1944年のB-17ドイツ爆撃行の標準的な損失率3%で)、
0.97^20=54.4%…
…ざっと「半分死にます」。「強いアメリカ魂を注入されている」か「騙されている」かしないと、とても行く気になれない数字です。
思うに、日本人は「負けたので騙されたと気付いた」だけなのかもしれません。
Schump
- ちょっとフォーカスがボケてきたような気が。
議論すべきは
・旧日本軍は現在の通説になっているらしい「兵站・人命を無視しうるほど精神論
を重用」していたのか?
(このスタンスで議論すれば、兵站は重要視していたのだが、当時の状況がそれを
維持するのを許さなかった=精神主義にあらず/状況が切迫していた状態における作戦維持{指|命}令=精神主義ではなく軍令維持になると思われるよ)
という、当時の旧日本軍に対する共通認識ではと。
他のところもそうだっから、、、とかいう相対論は最終的な程度の評価の部分で出
すべきであって、とりあえずの主眼ではないような、、、というのが個人的な考え
でし。
sorya
- >4
>兵站を無視する近代軍隊が存在すると素直に思えてしまう心の方が私には
>「精神主義的」に見えます。
〝無視した〟とは思っていませんが、いくらか事実認識に間違いがあるような気がしてきました。
『イムパール作戦』とやらを見たのが悪かったのでしょうか。
ちょっと勉強しなおしてきます。
ただ、
>6
>破綻を迎えつつある局面での狂気じみた行動や発想は他国にも幾らでも例はあ
>り、それを一概に辞書の意味通りの精神主義として括ってしまっては自ら目を
>閉じる事になるだけ。
単語を、辞書にない意味で用いるには抵抗があります。
足りない物資、傾きかけた情勢などを兵の精神力によって補ったり、巻き返そうとしたのであれば、それは精神主義と呼べるのではないでしょうか。
もっとも、当時の状況を理解し、その行為の根底にあったものを知るべきだと主張されるのであれば、それには同意しますが。
そして、そうした精神主義的な発想は、どの国にもあったと思います。
しかし、その度合いは参戦各国、同じようなものだったのでしょうか。
もしそうだとすれば、アメリカ軍も、イギリス軍も、ドイツ軍も、
日本と同じような言い伝えや逸話が存在してるのでしょうか。
質問の意図はそういうことです。
書いているうちに、Ans.Qの内容じゃないような気がしてきました。やはり議論ボード行きでしょうか?
かすた
- これは私の感想であって、質問された方への返答では無いと思って戴きたいのですが、私は「竹槍でB29」の外国版を挙げる気にはなりません。
その理由は最初に言いました通り、戦争(実は仕事や人生も)はそのようにする物だからです。
物の不足や情勢の不利を精神力で補うことが求められるのは当たり前のことで、それをとりたてて精神主義と呼ぶのはおかしいのです。取り分けあのような戦争をしてしまった日本の場合、頭から精神主義呼ばわりされると当時の人々も立つ瀬が無いでしょう。問題点を全く無視して精神性のみに頼って放置しているならば何をいわれようと救いは無いかもしれませんが、殆どの問題に対して打開策が検討され、対策が実施されているのを見るにつけいわゆる精神主義とは少し別の姿が見えて来ます。イメージのみからの決め付けや、今の恵まれた時代の争い事から縁遠い人達の常識で判断してしまっては益する所が少ないのではないでしょうか。
BUN
- これって、どういった解答を望んでるかで変わるような気がするんですよね
「そんな事は無い」と答えたら多分左側の愉快な人たちが感情的な反論を出してくるだろうし
「そうです」と答えるのはBUNさんじゃ無いけど実態と違うような気がする
まず「精神主義」と「精神論」の混用が問題ではないでしょうか
これって同じ物なのですか?
様々なレベルで精神を昂揚させて気合を入れて行くのは何処の世界でもやってることだと思います
これを「精神論」とするならば、日本でも他の国でも差は無かったと思います
となると問題になるのは「精神主義」なる言葉ですね
これは何か他の言葉と対になっているように感じます
そう物質とか技術とか、何かそういった合理的なものと対比させて
非合理的なものとして「精神主義」という言葉が使われるような気がします
さて、では日本軍は非合理的な組織だったのでしょうか?
もっと合理的になれたと言う部分は有ると思いますが
私が知る限り、非合理的な組織だったとは思いがたいです
つまり、日本軍は精神主義ではなかったし
精神論の活用で見た場合、他国のそれと実際上違いは無かったと思います
思うに、そういった論が出てくるのは
敗戦の結果
1:負けてしまった
2:進駐してきた米軍の物量と技術に圧倒された
この2点が大きな影響を与えていると思います
日本軍の、自国の国力や国情に合致した合理的な見切りは
米軍のそれと比較した場合、個人の踏ん張りに多くを依存しているとは言えますし
つまり、それは最終的には各員の精神力に頼っているので
そういった部分では「米国と比べると精神主義より」と思えなくも無いです
ただ、その見切り、各兵員がどの程度まで耐えられるのかと言う判断はそれなりに合理的ですし
そして、それで判断したレベルに見合った分の兵站は常に確保しようとしていたと判断できます
また、負けてしまった事は
日本軍のやりかたは「間違っていた」と単純に考える事にもつながります
どうしてそれだけの物資を日本は用意できなかったのか
それは
日本にそんな物無かった>何故無かったのか>軍が精神で補えると思って手を抜いたからだ
とまあ、簡単に考えるのが一番楽です
誰かが悪いとしたほうが敗戦で傷ついた心にも慰めになりますし
まさか、日本の国力が全体的に足りなかったからで
その原因は、国のレベルが米国より大きく見劣りしたからだってのは
世界の一等国という幻想を(戦争に負けたとはいえ)捨てたくは無い一般民衆には耐えがたいものだったのではないかと思います
全部軍が悪い、自分達は悪くない、いや被害者だと思いたかったんでしょうな
SUDO
- 気合と根性を前面に立てて、理屈抜きに物事を進める事を
「精神論を実践する」というならば、
他国に比して精神論が強かったというのは間違いなくその通りだと思います。
一言で言うと「神の治める神の国」でして、そこにはまともな理屈の裏付けがないですよね。
国民の行動が、疑問&議論より無思考盲従となるのはある程度必然です、
そこに神様が居てよろしく思し召し頂いているのですから。それに加えて僅かの
疑問提起にすら徹底した弾圧が加えられたのですから、それらの障害を
乗り越えて理屈を語ろうとする奇特な人はもともと稀だった上に絶滅した
ことでしょう。(ある意味完全な国家の完成で、それが達成できたゆえ戦争も
ある程度まともに出来たのだと考えていますが)
そこまでの温床を得てしまえば、窮地に追いやられれば精神主義を
打ち出さない方がおかしいのではないですか。何を言おうが誰も止める人は居ない
(消してしまった)のですから。
とかいう考えはある意味ありきたりかも知れませんが、間違ってますか?
うにを
- >「神の治める神の国」でして・・国民の行動が、疑問&議論より無思考盲従となるのはある程度必然です
無思考盲従となったのは戦前の日本だけだったのでしょうか?ドイツでナチス党が政権を握り、多くの国民が積極的指示で無いとしても、その体制を容認していたのは何故でしょうか? 猪瀬直樹の「黒船の世紀」を読んでほしいんだな。いかに、マスコミの戦争プロパガンダが日米両国の一般国民を戦争に狩り立てたか。
アリエフ
- 私も無知なので他国との比較となると実際のところあいまいな基準しか
持っておりません。時間があったらご推薦の本も読んでみたいと思います。
余談ですが、過去ログの激論などを拝見して思うに軍事趣味というのは
なんというか・・・・気軽に楽しんで良いものではなさそうですね。
うにを
- >17
んなこと無いですって、気楽にも気重にも楽しんで構わないのではないでしょうか?
おおかたの「趣味」はそうなんじゃないかと思いますが。
tackow
- 気楽なはずの道楽に政治や教条主義的な倫理を持ち込んでしまうから大変なんですよね。
そういう事は脇に置いて眺める事が出来ないならば、こんな事を仕事でも無いのに調べ続けることはできません。
気楽にノンビリやれば良いのです。
BUN