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350関連ですが、 いわゆる「十五年戦争」中、日本軍では戦闘神経症の研究がある程度すすんでおり、戦後、その症例研究の蓄積に目をつけた米軍が資料を全部接収した、という噂を聞いたことがあるのですが、本当でしょうか? Schump |
陸軍病院に精神科専門病棟が設けられ、大學醫學部の精神科醫が応召して治療にあたったと聞いております。東日本では、千葉の國府臺陸軍病院の第五内科が有名です。北杜夫氏のお兄さんが軍醫でそこに勤務していたとの由。また井上ひさし氏のお芝居「きらめく銀の星」(でしたっけ?正確な題名がウロ覚え)に國府臺から退院してきた軍曹さんがでてきます。
西日本では、金岡の陸軍病院に精神科があり、野間宏「真空地帯」の主人公が逮捕されたときのラシャ地の軍服を着て陸軍監獄から釈放されて原隊にもどると、事情を知らない内務班の古参兵どもが、ええ服着てるんやなー(古参兵は物資欠乏の折柄、ボロ服しか支給されていない)、長いこと金岡に入ってたんやのー、と勝手に思い違いする場面があります。詳細な症例研究は日露戦争時代から存在していましたが(二十七八年戦役陸軍衛生史などで窺える)、むしろ欧米の軍醫團のほうが第一次大戦当時以来、熱心に研究を進めていたようです。特にシェル・ショック症は民間の流行語になったほどです。
> 米軍が資料を全部接収した
当然、進駐軍は日本軍の資料は押収したのでしょうが、それ以前に日本軍の手で焼却されたものが多く、細菌戰資料のように重要視されたと云う話は私は聞きません。どなたかご存知でしたらご教示くだされば幸甚です。
あるめ
>戦闘神経症
日本陸軍では戦争神経症など皇軍ではありえないとの見地から「戦時神経症」って呼んでたそうです。たまたま戦時に神経症が発生したに過ぎないとの見方です。
>国府台
諏訪敬三郎軍医少佐(のち大佐)が院長だったそうです。
「…全国及び外地の陸軍病院に収容されていた精神病や神経症の患者を全て国府台に集めて治療し、研究し、その対策の資料にしようという構想…」と一億人の昭和史「日中戦争4」内の桜井図南男元軍医中尉(戦争神経症を担当)の記事にありますから、米軍が接収したということであれば、このへんが関わりあるんじゃないでしょうか?
米軍の接収の詳細については私も知りません。申し訳ないです。
じょーぢ
あるめ