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305 日本軍が陥落させた二〇三高地の要塞ってラピュタでボコボコになってたあれみたいなやつだったんですか
紅葉饅頭

  1. 丘と塹壕。

    ラピュタでぼこぼこに・・・・てのは・・・・該当あるんかなぁ?
    あいまいな記憶とイメージでは「マジノ線+城塞都市」って気がするんだけど、さて?
    tow

  2. 素人ですいませんマジノ線って何ですか?II号のプラモの説明ににのってて気にはなってたんですが
    紅葉饅頭

  3. 203高地には永久堡塁は存在しません。
    旅順要塞の「穴」でして、工事未了の塹壕線とできかけの特火点があったきりでした。我が第三軍に囲まれてから、大急ぎで強化しましたが、野戦築城を最低限施した程度の強度の陣地です。
    とわさんがおっしゃるように、丘に塹壕を掘り、鉄条網で強化しただけの陣地です。

    旅順ポルト・アーサー要塞の強度に関しては多分にロシアの宣伝によって過大評価されていますが、セバストーポリやクロンシュタットの要塞に比較すれば全くちゃちなシロモノです。
    ラピュタのテディス要塞のような装甲砲塔なんて松樹山や東鶏冠山、老鉄山といった主要陣地にも一つもありません。

    まなかじ

  4.  つーか、あんなドーム型トーチカから角が2本生えたような回転式砲台なんて実際にあったんですか?(;^_^A(いや、やっぱアニメネタだし)
    ブラック・タロン

  5. 丘の上に塹壕と鉄条網ってことは・・・見とおしの良い山に穴掘って長篠の戦いで
    使ってた馬防柵を据え付けたって感じでよろしゅうございますか?
    紅葉饅頭

  6. >4
    ありますあります。ソ連時代の製作ですが、セバストーポリのマクシム・ゴーリキー砲台なんて、そりゃあもう立派な連装砲塔です。
    我が日本陸軍の要塞砲にもあります。フランス(シュナイダー・カネー)製とドイツ(クルップ)製とがありまして、これまた24センチの立派な連装砲塔です。
    もちろん本場のマジノ線要塞には大小さまざま。
    まなかじ

  7. >マジノ線って何ですか?

    インターネットに繋いでるんだから検索しようよ・・・・・って
    突き放そうと思ったんだけど、いざ調べてみるとあんまり出ないわな。
    なんで、出血大サービス。次はご自分で。
    英語は気合いでなんとかされたし。

    http://freespace.virgin.net/ian.bayley/ARTICLES/military/maginot/maginot.html
    http://www.geocities.com/Athens/Forum/1491/

    上におまんじゅう連装砲塔あるでよ>ブラック・タロン氏
    75mm連装砲塔・・・ここじゃ小型の部類かな?
    # しかも引き込み式だ!

    至極簡単に説明するとドイツ−フランス国境間に作られた大要塞。
    つながってるから「マジノ線」
    個人的にこれ作ったのは、フランスに取ってはあらゆる面でマイナスに
    働いたんじゃないかと思うっすよ。
    tow

  8. >4 日本にもありました。克式とか参式の十五センチ砲塔です。克式四十五口径二十七センチ加農の円蓋付き砲塔に至っては隠顕式で、それこそアニメのようです。そんなものが東京湾口にもあったのです。ちなみに、『ラピュタ』のは中世城郭を改造して近代要塞としたものだとか。


  9. >6 セバストーポリのマクシム・ゴーリキー砲台
     日本だって負けてません。海軍軍縮で余った連装主砲塔をあちこちの要塞に据え付けています。45口径20cm連装砲塔から45口径40cm連装砲塔まであります。まあ、長期間の難工事と保守の大変さのためか、その後、この種の工事は行わなかったようですがね(^^;)
    tomo

  10. アニメの話にかまけるのもどうかと思い、旅順要塞で鹵獲して、その後日本軍が使用した砲で以下のものが判明しましたので、挙げておきます。
    ・四十七粍速射砲
    ・馬式五十七粍速射砲(馬式=マキシム)
    ・七糎半速射加農
    ・斯加式十五糎加農(斯加式=シュナイダー・カネー)
    ・二十三糎加農
    ・二十五糎加農
     大口径砲の据え付け方は、日本軍の二十八糎榴弾砲を思い浮かべて下さい。


  11. >4
    要塞における装甲砲塔は1860年代に研究が進み、19世紀後期には広く普及しました。
    これは普仏戦争によって開放砲列を支持していたフランス学派が劣勢となり、
    装備思想の普及に拍車がかかったからです。

    大型砲、大口径砲に対しても装備が急がれ、
    装甲掩蓋(円蓋)が(初期のロシアの戦艦等の司令塔の様な形状のもの)
    1880年代には各国で実用化がされていきます。

    艦艇におけるこれと異なり垂直防御にあまり気を使わなくても良いことが
    この形状が採用された主因です。
    この様に同時期に進行していた艦艇における装甲砲塔の装備の歴史との
    比較考察は非常に興味深いところです。
    かっぱ


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