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222 ドイツ人の凝りっぷりってよく話題になりますが,
あの民族性って,一体何に起因するものなんでしょう?
何かおもしろい関連本とかありますか?
(議論ボード向きネタかもしれませんが)
勝井

  1. 私がホームステイしていた頃の独はのんびりした農業国で、凝り性な民族性など薬にしたくとも見当たりませんでしたが、その後の19世紀後半からの進化論(生物学的、社会的、両面での)の世界的ブームとそれを受けた優生学の独での発展がマニアな民族性のようなもの(ある時代が作り上げた文化ではあっても民族固有のものだとは思わない。それこそドイツ的考え方でしょう。)を一気に作り上げた、と思います。この時代の雰囲気を知る為に河出書房新社「血液型と性格の社会史」は面白いと思います。進化論、優生学と軍隊と血液型性格分類について、また何故、日本陸軍は血液型性格分類を非科学的として捨てたか等、興味深い内容です。
    BUN

  2. ドイツの精密機械技術を支えているのは民族性だけでなく、伝統的に専門の職人養成教育が行われていることもある。ただ、職人の腕がものを言う中小規模の工場が多く、アメリカのように工場生産の規模を拡大しにくかったこと、従業員の腕が多少悪くてもQCなどのシステム改革によってカバーしようという発想が支配的でなかったという問題もある。
    イギリスに比べ産業革命が遅れ重工業中心の工業化を進めるとともに、比較的資源に乏しかったこと(石炭は出るが)から、国家政策として技術力強化が進められ、精密かつ高度な技術が特に重視されてきたということではないでしょうか。
    形而上哲学やカルビン派の厳格なプロテスタントをドイツ民族性の原因だとするような、単純な見方は取りにくいと思う。
    アリエフ

  3. warbirdsにはまったく関連のない分野になりますが。

    1960年代末から1970年代前半にかけての、ドラッグ万歳の時代。アシッドレコ
    ーディングと呼ばれるモノがありました。
    これは何かというと、要はメンバー全員アシッドキメてから、スタジオに入り、
    フリーセッションでダラダラとレコーディングするというモノ。
    クスリによる時間の遅延効果というのがありまして、本人達がほんの二、三分
    流したつもりでも気づくと二十分とか三十分とかかかっている。そうしてでき
    あがったモノは大抵が、聴いていて脳味噌がドロドロに溶けそうになるサウン
    ドであったりします。
    んでまあ、こんな具合で行われるアシッドレコーディングにはちゃんとカタチ
    に残るモノは当然ながら少なかったはずなのですが、なぜかドイツという国は
    この方法でカタチになったアルバムをもっとも多く輩出した国です。

    一説によりますと、きまじめなドイツ人は、クスリでラリってもレコーディン
    グはまじめにやり遂げていた、とか(笑) まあ、ヨタ話の類だとは思います
    が。

    ちなみに、70年代の欧州各国のロックムーブメントを見ると、ドイツってのは
    ひたすら異常であったりします。
    小笠原

  4. ゴミレス。
    「マリーのアトリエ」って、ドイツが舞台ですよね。
    ドイツと錬金術、何か関係あったのでしょうか?
    空気から火薬を作る「空中窒素固定装置」を作ったのもドイツ人でしたね。
    どんべ

  5. しつこく。
    >2
    ドイツでは職人は「マイスター」と呼ばれたのでしたっけ?

    どんべ

  6.  確かに
    >形而上哲学やカルビン派の厳格なプロテスタントをドイツ民族性の原因だ
    とする
     アリエフさんの言う通りに、これは原因と結果を取り違えていると思いま
    す。勤勉な人たちだから宗教も勤勉になった。そういうことですね。ただ、
    これって引用だとしても不確実な言い方ですよ。北ドイツではカルバン(カ
    ルビン)派よりもルター派の方がはるかに影響力が強いし、バイエルンなど
    南ドイツはカソリック教会の牙城です。ドイツを一般的に扱っていいものか
    なかなか難しいですね。
     ただ、北ドイツについてはルター派の影響は無視できません。ドイツ職人
    道?はルター派の影響おおありだと思います。J.S.Bachの伝記を読むともう
    定説化されております。従来のプロテスタント信仰と勤労精神の関係があま
    りにも観念化されて反発を感じる人も多いと思いますが、やはり職人ってい
    うのは働き方には道徳の裏づけがいります。本人たちがそう言っている以上
    勤勉な社会が勤勉な宗教を生み出し、自分たちが作った宗教に逆に影響を受
    けたという意味で、私はありだと思います。
     直接関係するかどうかはわかりませんが、近世以降のドイツ社会を考える
    ために中世ドイツ社会からアプローチしていくのも面白そうです。元一ツ橋
    学長の阿部謹也さんが扱っている題材ですね。ご存知の方は説明の必要はな
    いと思いますが、どれを読んでも面白いですよ。books.or.jpで探すと一覧が
    出てきます。
    tk

  7. 本題と関係あるような無いような・・・

    > ちなみに、70年代の欧州各国のロックムーブメントを見ると、
    > ドイツってのはひたすら異常であったりします。

    クラウス・ノミもこの類でしょうか。
    Das Reish

  8. ドイツ人が「凝り性」だというイメージそのものが日本ローカルなものなのではないか、とも思います。イメージとしてはドイツ=職人の作り出す道具=精密機械=凝り性なのでしょうけれどカメラはおろか、医療用の手術道具まで、かなり前から圧倒的にアメリカ製が主流です。奇抜で、凝っていて、かつ精密で信頼性のある道具を作り出している国は「おおらかな」はずのアメリカとアメリカ人なのではないですか?
    BUN

  9. ↑カメラはわが帝国の特産品ですが、数年前、一部勇敢なメーカーを残した大半の会社がAF関係のパテントで莫大な金を絞り取られた先はやっぱりアメリカなのです。
    BUN

  10.  よく考えてみると「凝りっぷり」というよりもマニアの劣情?を刺激して
    くれるものをたくさん作ってくれているという方が正しいような気がします
    けど。(特に兵器では)いかがでしょうか。そう考えるとアメリカ製品は合
    理的すぎてあまりマニアとしての楽しみが少ないような気がしますが。
    tk

  11. >5 職人の親方のことをマイスターといったのです。
    一般に職人のことはゲゼルといいますね。ゲぜルシャフトの
    ゲゼルです。徒弟、即ち丁稚小僧で入門し、コツコツ修行して
    職人となり、やがては各ギルドのマイスター試験に合格して
    晴れてマイスターと名乗れるのですが、相撲の年寄と同じで
    既に16世紀後半頃からマイスター株?が一杯になり、職人
    がマイスターになれる確率はどんどん低くなっていき、いわ
    ゆる「マイスター層」が固定化されるようになってしまった
    と聞いております。…tkさま、記憶モードなのでツッコミ
    をお願いします。
    桃水軒

  12.  調べてみました。(デジタル平凡社の事典からです)
     15〜16世紀ごろから「都市人口の増大とともに徒弟や職人の数も増加して
    いったが、親方株の数は定められており、親方になれない職人の数が増大し
    てゆき,大きな問題となっていた。そこで一定の期間職人として勤めた者が
    親方作品を提出し、審査に合格した者は組合加入金その他を支払って、やっ
    と親方になれるという道がつけられるようになった。しかし親方株が限定さ
    れていたため、親方の子弟がまず優先され、一般の職人には親方への道は遠
    かった。」とあります。
     他にも職人-親方階級制度の細分化や賎民・異民族の排除などといったこと
    もあったようです。もう少し調べてみないとわかりませんが、この時代は東
    方植民も一段落し、経済発展が止まった時代かとも思えます。
    tk

  13. 凝り性、と言っていいのかどうかは判りませんが。以前ドイツを旅行
    した時にはアウトバーンを走る大型車両の走りっ振りには感動しまし
    た。まるで、精密機械の様に。とでも言ったら良いのでしょうか?
    まぁ、一断面に過ぎませんが。
    takukou

  14. 先日南ドイツを小旅行しました。バイエルン地方は北(プロイセン)とは全く違う風景、町並み、服装、多分言葉もで、南の山岳地帯はもう完全にチロルと同じに感じます。だからドイツ、ドイツ人とくくるのは無理という意見に賛成。もし、バイエルンとプロイセンをくくれるならチロル(オーストリア)、南チロル(イタリア)、アルザス(フランス)、スイス北部中部もくくれてしまう事になりそう。バイエルン地方で売っていた(城を建てまくった)ルードウィヒIIの生涯という10頁くらいの小冊子の日本語版(ドイツ人著)がプロイセンとバイエルンを全く別の人間が住む二つの国と対比して書かれているのにびっくりしました。
    もしこれらの地域でくくれるものがあるとすると、旅行者を悩ますレストランのメニュー。安いけれど、材料が単純で、料理法は素材から考えると気が遠くなるくらい手はこんでいるもののいまいちで、量ばかり多くてしまいには恐怖ですね。家庭料理も基本的に同じならこの変化がない素材を気が遠くなるような手のこみようで調理する食生活が凝り性の国民を作ったのかもしれません。(んな馬鹿な?)

    関係ないですが、6月6日、D-Dayには小雨けむるベルヒテスガーデンでドイツの敗戦への道に思いをはせていました。
    SHI

  15. 元帥閣下、ドイツ滞在の経験からみていかがなもんでしょ?
    匿名


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