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アントワーヌ・ド・サンテクジュペリの童話「星の王子さま」は皆さんもご存知だと思います。私は小学生低学年のころに初めて読んだのですが、その当時は印象は「あまり面白くない」というものでした。それ以後数年おきにあの本を何度も読み返したのですが、今に至るまで「理解」できないでいます。で、浅いながらもヒコーキを好きな人間がこのままでいいのだろうか、と人知れず悩んでいます。こんなことで悩んでいるのは私だけなんでしょうか。よろしければ、あの本についての皆さんの感想をお聞かせ下さい。 なんでや? |
「最期の出撃時に非武装のP38で出たのは、憂国の情に燃えたサンテックスが機銃による撃墜などという迂遠な手段では無く、必殺の体当たりを期しての事だ。」等と酒を呑んでは口走る為、「あなたのサンテグジュペリ観は歪んでいる」といった身に覚えのない暴言をしばしば受けますが、時代背景をしっかり把握できない日本の一般青少年諸君よりここに集われる方々のほうが余程「星の王子様」正しく読む下地があると思います。
作品に書かれている以上のことを云々するのはファンの仕事であって我々のすることではありません。
サンテグジュベリの把握は「実録空戦作家」で世界デビュー、Fw190D試作機に特攻体当たりで散華、と、これでほぼOK、何の心配も無し!(本当か?)
BUN
BUN
悲壮感あふれる偵察飛行が特攻隊を連想します。
でも「星の王子様」は読んだことがない。こんなことでいいのだろうか。
#ゴミだ。すいません。
こういち
ですからたとえば澤地久枝のミッドウエー物を読み、戦死した敵米海軍の兵士の愛読書がサンテグジュペリだった、等という記述に巡り会うのもロマンチックな偶然ではなくて、あれを愛読書とする兵士という物がベタな存在だったことによるのです。
BUN
なるほど、詩のようなもの、だったんですね。だったら、私が理解できないのは無理ないです。残念ながら詩に関するセンスは(も)全く持っていませんから(笑)。
でも、私があの当時のフランス人だったら「星の王子さま」はあまり読みたくないですね。余計気分が沈んで、王子さまみたいに死にたくなる。
以前に、あれは彼が記録目当ての飛行の途中、エジプトかリビアの砂漠に不時着し、その後発見されるまでの数日間に絶望の淵で考えたことがベースとされている、と聞いたことがありそれをそのまま童話?にしただけだと私は思っていました。
ただ、あの本は恋人や子供へのプレゼントとしてよく売れているらしいんですが、いつから「ロマンチックな」お話として捉えられるようになったんでしょうね。また、そういう捉え方自体もバレンタインデー同様に売る側の戦略の一環として産み出されたものなのかな。
「戦う操縦士」は読んだことはありませんが、ドイツ軍包囲下のベルギーのアラスへの偵察飛行を行った時の体験を軸にして書かれた作品だということは知っています。「有名人」の飛行ゆえ護衛の戦闘機を多数つけねばならず、関係者も大変だったと聞いた覚えがあります。でも、あの作品が多くの連合軍兵士の士気高揚に役立ったのであれば、本人のみならず、関係者の苦労も報われたといえるんでしょうね。
なんでや?
SHI
しかし、かわいい、だけじゃお札にはならないと思いますよ。お札になるのも「国士」?としての評価が今もあるからなのでしょう。
BUN
現在のつまり最後のフランスフラン札一家:以降ユーロになりますので。
20FFR;ドビュッシー(作曲家)
50FFR;われらが サンテク
100FFR;セザンヌ(画家)
200FFR;エッフェル(建築家)
500FFR;キュリー夫妻(科学者)
これを見るとサンテクジュぺリは政治に何かなした人というより「作家」として選ばれているような気がします。では、19世紀から20世紀にかけてのフランス最大の作家はサンテクか?といわれても困りますが。お札の図案は星の王子様とアフリカを中心とした長距離飛行家としてのサンテクジュぺリというようにとれます。
SHI
BUN
アリエフ