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よくアメリカの映画などで国防総省の場面になるとき、数人で旗を立てる兵士の像がでてくるのですがこれは硫黄島の時の戦闘の写真からとっているのでしょうか? そうだとすればどうしてそれが選ばれたのでしょうか? 初歩的な質問で申し訳ありません。 ym |
- 兵士の像というのはIwo Jima Memorial のことですね。擂鉢山に星条旗を立てる兵士を撮った、ローゼンバーグの有名な写真が元になっています。ただし、擂鉢山に星条旗が翻ったのはこの写真の時が始めてではなかったはずです。旗を立てた兵隊も半数くらいはその後の戦闘で戦死したんだとか。
首都(メモリアルがあるのはバージニアですが)にこの像を置いたのは、硫黄島の闘いがアメリカが経験した戦闘でも最も激しいものの一つだったからでしょう。日本人としては面白くない記念碑です。自分はワシントンに2年半住んでいたことがありますが、この碑は不愉快なので一度も訪れていません。
Sampon
- 2月19日に米軍上陸開始。23日に擂鉢山を占領、米国旗が揚げられますがずっと小さな物でした。像の旗は、その3時間後に揚げられたものだとか。
バトゥ
- 例の4人で旗を立てる光景は、あちらのアニメーションや映画などで良くパロディにされていますね。
硫黄島の戦いの意義(アメリカ人にとっての)ももちろんですが、
あの写真が構図的に優れていて、誰にでも「ああ、あの…」ととっさに分かる点が、
後世にまで受け継がれて行く理由の一つであろうかとも思います。
歴史的に見れは、これが擂鉢山に最初にアメリカ国旗が掲げられた瞬間の写真でないことははっきりしているのに、
いまだに第二次大戦を代表する写真の一つになっているのも同じ理由でしょう。
便利少尉
- そう言えば、ベルリン陥落のとき、ソ連軍兵士が塔のような高い建物によじ登って赤旗を振るシーンも何となく宣伝臭いですね。
アリエフ
- 補足です。
>歴史的に見れは、これが擂鉢山に最初にアメリカ国旗が掲げられた瞬間の写真でないことははっきりしているのに、
これは歴史学的には立証されている、と言う意味で、
いまでもあの写真を見るアメリカ人の大部分にとっては、あれは初めて硫黄島に星条旗が掲げられた瞬間の写真でしょう、おそらくは。
便利少尉
- みなさん丁寧なご回答どうもありがとうございます。
ym
- >4
あれは「パクり」だそうです。何でも硫黄島の写真を見たソ連の従軍カメラマンが「あ、これいいな」とて、ベルリン入場時に近くの建物の赤いカーテンを引っぺがして国旗を急造、兵士に持ってもらって記念撮影したんだとか。昨年だったか硫黄島とベルリンの両撮影者の対談があってその席上出た話だそうです。
Schump
- >7
あの塔の先端の兵隊が妙に及び腰なのはそのせいですか。
SHI
- ちょっと旬は過ぎてしまいましたが、僕の分かる範囲で答えさせてもらいます。
硫黄島にて、最初にスリバチ山山頂に星条旗を掲げたのは、H・シュリアー中尉率いる40名の部隊です。部隊は、激しい攻撃を受けながらも、山頂に到達。戦闘が継続する中、落ちていた水道管に星条旗を結び付けて、星条旗を掲げました。1945年2月23日午前10時20分のことです。このときに、同部隊のリウェリー軍曹により、最初のスリバチ山山頂の星条旗の写真が撮影されてます。
そして、午後になって、後続の部隊が次々と到着します。そして正午すぎに、後続の部隊の兵士により、山頂部に2つめの星条旗が掲げられることになります。この様子を、同行してたAP通信社特派員J・ローゼンタールが撮影し、かの有名な写真が誕生することになったのです。
ちなみに余談ですが、2つめの星条旗が掲げられたとき、そのすぐ横には1つめの星条旗が健在でした。
この写真は、公表されるや、全アメリカ国民に感動を与えたそうです。撮影したローゼンタールは、ピュリッツァー賞を貰ってます。また、公表と同時に、アメリカ各地で、この写真をモデルにしたブロンズ像が建てられたと言います。
ちなみに写真の兵士6人ですが、3人は硫黄島で戦死。残りの3人ですが、有名人としてのプレッシャーに負けて酒に溺れて死亡するなど、末路は悲惨だったようです。ただ1人、ジョン・ブラッドレーなる元兵士だけは、マスコミとは無縁な静かな生活をおくり、1994年に亡くなってます。
・・・うーん、何か質問に直接答えてませんね。何かの参考になれば幸いなのですが。
ツカドン
- >1
ありゃ。撮影者の名前間違えてら...
Sampon