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私の父の話です.昭和20年だったはず何ですが,徳島県の那賀川流域を米軍機が機銃掃射をしていったそうなんです.これの日時をご存じの方がお出ででしたら,教えて下さい.機種は恐らくF6FかF4Uと思います(もう少しで,自分が出生前に殺されることになった事件なので興味があります). となりの大トロ |
- こういう質問はなかなか難しいんじゃないでしょうか?徳島県でしたら大阪とか
呉とかを空襲した帰りとかにまさに「行きがけの駄賃」とばかり機銃掃射したり
することがあったとおもいます。報告されてると限りませんし、正規の作戦外の
行動なら日時の特定は不可能に近いんじゃないでしょうか?
かくいう僕の曽祖父も近所(大阪府河内長野市)で機銃掃射を受け背中に「く」の
字のあとがあったそうです(僕はみてないんですが)。ただ、生身の人間が12.7mm
弾の直撃を複数うけて助かるもんなのか?と思ってるんですが。
taka
- takaさんのおっしゃる通り、大変難しいと思いますが、「溺れる者は藁をもつかむ」趣旨で、藁を提供します。
防衛庁戦史室著の『本土防空作戦』の付表に『本土来襲状況並びに邀撃、戦果及び損害一覧表(昭和20年2月16日〜8月15日)』という資料があります。
お説が正しいとして、艦載機(F6FかF4U)だとすると、四国方面への攻撃は、昭和20年の3月18日(翌日も?)、3月28日と29日には、主として九州へ、4月22日に南九州へ、5月13日・14日にも九州南部へ、5月24日・6月2日・3日・8日も同じ、などが目につきます。
B29の援護に来たP−51という可能性も頭に入れておいてください。
私の体験で言うと、ここまでわかったら、大きな図書館に行って、当時の新聞のマイクロフィルムを閲覧するんです。当時の新聞は全部で2ページですから、見るのはそんなに時間はかかりませんが、果たして出ているかどうかは怪しいです。
また、擦り切れたりして読めない可能性もあります。
まあ、せいぜい頑張ってください。
藤縄
- どうも貴重な情報ありがとうございました.一度図書館などで情報を調べてみます.
となりの大トロ