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第二次大戦末期、軍艦を失った連合艦隊は日吉の慶応大学の地下にトンネルを掘って、そこで終戦を迎えたと聞かされ、爾来、55年にわたってこれを信じて来ました。ところが先日の新聞記事で、この地下壕の見学会が開かれ、歴史遺産としての保存運動もあるよし、それはそれでたいへん結構なんですが、記事は「艦政本部」になっていました。 連合艦隊司令部じゃなかったんですか? 連合艦隊と艦政本部はこの場合、事実上同じものなんですか? 戦時中の軍国少年が悩んでいます。誰か教えて下さい。 藤縄 |
- 日吉台地下壕は学生時代に入り口だけみたことがあります。
日吉壕にいたのは1.連合艦隊司令部 2.海軍軍令部第三部 3.海軍省人事局 4.海軍省経理局(空襲時のみ避難) 5.海軍航空本部第一部 6.海軍総隊司令部 で、艦政本部はよりによって20年8月15日に入居予定だったそうです。
慶応の生協に行くと保存会編の「日吉台地下壕」という本が売っています。
AJOR
- 昔、そのすぐ近所に住んでいたので、懐かしいのですが、壕への入り口というのは、あの新幹線からも見える矢上川に面した山腹に口を開けたあれなのでしょうか? 子どものころ、真っ暗な横穴をのぞき込んだことがあります。
片
- >2 私が見たのは、ストーンヘンジというか公園の東屋というか、ああいう形の竪穴式入り口ですが、壕はマムシ谷方面や新幹線の下にも広がってますからご覧になったのも入り口の一つでしょうね。もしかしたら通気口かも。
AJOR