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11 海軍航空隊の横須賀空、追浜空、18連空の関係について教えて下さい。
またこれらのことが掲載されている資料名等ご存知でしたらそちらもお願いします。
横須賀在N

  1.  海軍航空隊の総本山である横須賀航空隊は置くとして、
    追浜空は昭和17年11月の航空隊の名称変更に伴って新設された地名冠称の航空隊で
    作戦航空隊が常設、特設を含めて番号名称となった後の、これら地名冠称の航空隊の殆どは練習航空隊です。
     追浜空は整備教育目的の航空隊で、17年11月1日開隊、19年12月20日閉隊。
    時々間違われますが、横空と隣接していたのではなく横須賀航空隊と飛行場を共有、同居しています。
     この航空隊は整備教育とはいうものの零戦を装備していたり、機材は横空から移管されたのか、意外に充実していたようです。

    連合航空隊は、海軍航空隊2隊以上を以て編成され、昭和十三年十二月九日の「海軍連合航空隊令」によって定められたものです。
    当初は連合艦隊司令長官または艦隊司令長官の下に存在しましたが、昭和十六年一月十四日以降、
    鎮守府、要港部(十六年十一月以降、警備府)に属すことになった、練習航空隊を統合した組織です。

    解りにくいのは、これより先に戦時の実戦部隊である特設連合航空隊が定められており、
    これが廃止され航空戦隊となった後にも上記の常設の連合航空隊が残されていることで、
    それぞれの改正が前後しており、理解しにくいところです。

    十八連空は、そうした中で十七年十一月一日に編成され、当初は追浜空と相模野空が所属しています。
    その後、十八連空の所属が横須賀鎮守府から連空総隊に移り、第二相模野空、岡崎空他幾つかの航空隊を持ちますが、
    十九年十二月に追浜空が閉隊した後、二十年三月に解隊しています。

    十八連空解隊後は相模野空等は横須賀鎮守府所属の第二十連合航空隊に統合されますが、
    この二十連空には雷爆兵器教育を行う田浦空(二十年三月一日開隊、州ノ崎空(館山)横須賀分遣隊の後身)や
    藤沢空(十九年六月一日開隊、航空無線、電波兵器教育)等近隣の部隊の他、所在地が遠い第二鹿屋空等も含まれ、全国的な統合組織となっています。

    練習航空隊や乙航空隊についての資料は市販のものが少なく、安くて良い資料は残念ながら推薦できません。
    BUN


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