492 |
軍の組織の仕組みについて、ぼんやりとしか分からない私に組織の仕組みを教えて下さい。 最初の質問として副官について教えて下さい。副官の選び方、階級、立場等をお願いします。 素人 |
- Adjutant(副官)は、会社でいえば、庶務課長・秘書係長みたいなものです。
大隊以上の規模の團隊長には必ず副官が付いており、團隊長附属の事務を取仕切り、團隊の本部・司令部事務室の責任者です。團隊長公印の保管出納・文書の起草授受など、他部署のしない事を、なんでもやります。團隊長のスケジュール管理・随行など秘書業務もします。
大きな上級團隊になると、副官は複数おり、旧陸軍では、最先任の責任者を高級副官、次席を次級副官、團隊長の鞄持ちをする若いのは専属副官と称していました。階級は、大隊で中尉、聯隊で少佐〜大尉、旅團以上では佐官が高級・次級副官、尉官が専属副官であるのが一般でした。少将以上の階級を持つ副官はなかったようです。
副官になるのは兵科の将校ですが、それは所属の團隊長が決めるので、明確な基準はありません。ただ「副官適」というタイプがあったようで、あまり頭が固くて融通も気も利かないのは不適であったと思われます。
副官の下には、事務要員として下士官が複数おり、曹長クラスでした。文書の浄書・複写・郵便物の授受など雑務を処理しました。
副官は團隊長のスタッフなので、隷下諸隊に対する指揮権はありません。團隊長が倒れれば副官が代って指揮をとるということはありません。團隊の次級者が團隊長代理として指揮をとることになります。(聯隊ならば、聯隊附中佐、それがいなければ先任の大隊長)
あるめ
- 良く分かる説明でした、有難うございます。
陸軍意外でも同じ仕組みなのでしょうか。
素人
- 今では入手の難しい本ですが、図書館ではよく見かけるので、有名人の副官が書いた回想をご覧になるのもよいかもしれません。
(マンシュタインの副官)
回想の第3帝国(上・下巻)−反ヒトラー派将校の証言1932-1945− アレクサンダー・シュタールベルク著/鈴木直訳 平凡社刊20世紀メモリアル(1995)
(ロンメルの副官)
『ロンメル将軍』 ハインツ・シュミット著/角川文庫
マイソフ
- 海軍の副官業務の実態は良く分りませんが、主計科士官が副官の役目をしていたと聞きます。日本海軍は英国海軍の制度を導入したのでしたが、英海軍には昔から「secretary」と云う職種があって、准士官待遇の文官ないし乗組文官の身分を持ち、提督や艦長の副官業務を行いました。士官が辞令を貰う時には、提督の秘書にアポイントメント仲介や文書作成の手数料を払うのが慣例でした。内実はともかくとして明治初期の日本海軍でも「秘書」として海軍省官制や乗組員編成表に載っています。これを後に經理関係の乗組文官と一緒にして、「主計科」としました。このへんが、なぜ海軍では兵科士官が副官をしないのかの理由と考えています。副官は兵科将校ではないので指揮系統には入っておらず、戰闘は専ら兵科将校たる副長が指揮官を補佐しました。
あるめ
- 便乗質問ですが、帝国陸軍にも「中隊副官」という役職があったとなにかに
書いてあったような記憶があります。
これも上記のように「軍事秘書」のような役割だったのでしょうか。
ご教示よろしくお願いいたします。
SAW
- 中隊副官はいませんでした。中隊長の副官的役割は、中隊附の人事掛特務曹長(後の准尉)がしていました。中隊事務室を主宰し、主に下士官兵の人事と馬事を擔任しましたが、将校と下士官兵の間をとりもつ中隊のヌシみたいな存在で、その実力は絶大でした。
戦場では、中隊指揮班長として中隊長副官の役目をしていました。
あるめ
- 訂正: 海軍は兵科士官が副官をしないと書きましたが、海軍制度沿革の定員令付表を眺めていたら、兵科士官の副官は明治時代からいたことが分かりました。例えば、鎮守府には、司令長官「秘書」と「軍港司令官副官」とがあるといった具合です。
あるめ
- ご教示ありがとうございました。
SAW