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490  ソ連軍が出てくる書籍でしばしば「自動車化狙撃兵」連隊という単語を見かけますが、具体的にはどれくらい機械化された歩兵だったのでしょうか?
ただトラックに乗っている、という程度でしょうか

 またどういった編成や役割だったのでしょう、ご存知の方ぜひ教えてください。
西部

  1. http://dspace.dial.pipex.com/town/avenue/vy75/toe.htm
     編成が結構充実していますが、Motorised Rifle Regimentは見つかりませんね…。戦車軍団がドイツの戦車師団並みの国なので、一つ大きなのだとこれ。
    http://dspace.dial.pipex.com/town/avenue/vy75/rusmrb.htm
     1944年型だと、兵員は3238人(装備もほとんど変らず)。これには書いていませんが3個自動車化狙撃大隊に、全部でトラックが129台装備されていています。
    バツ

  2.  いかん、「WW2の」とは書かれていない!
     というわけで冷戦末期の自動車化狙撃連隊をば、編成は連隊本部、自動車化狙撃大隊×3(各兵員450人、BMP×31、120ミリ迫撃砲×6)、(以下1個ずつ)戦車大隊(220人、MBT×40)、砲兵大隊(240人、122ミリ榴弾砲×18)、偵察中隊(60人)、工兵中隊(100人)、防空中隊(65人、対空機関砲×4)、対戦車中隊(60人)、通信中隊(80人)、整備中隊(65人)、NBC防護中隊(30人)、衛生中隊(35人)、交通統制小隊(30人)。

     これが3個と、戦車連隊1個で自動車化狙撃師団になり、数の上でも一番多く140個師団ほどあったそうです(スカスカのも多いけれど)。縦深突破攻撃の第二波に投入されるのがキモだったのではないでしょうか。
     あんなにかっこよかったソ連軍なのに、今では…。
    バツ

  3. バツさんはじめまして。ありがとうございます、特に2のご回答が大変ありがたかったです。職場の同僚に薦められてこちらに来たのですが、彼の言うとおり早いお答えありがとうございました。
    西部

  4.  連隊の中にまで戦車大隊が存在しているというのがソ連らしいですね。陸自はたしか師団に1個戦車大隊しかなかったと思います。比較するとそれだけソ連陸軍は戦車重視ということでしょうか。
    西部

  5. >4
     陸自の場合は戦車の頭数が足りないという情けない事情もあるようですが・・・
     陸自の前身である保安隊は、当初米軍の編成に倣って各普通科連隊に戦車中隊を配していましたが、戦車不足等の事情から、米軍のように『各連隊配属の戦車中隊&師団単位の戦車大隊』というような編成は取れず、後に各連隊の戦車中隊を纏めて管区隊単位の戦車大隊という編成に改めました。

     なお、現在の陸自の各戦闘単位(師団・旅団)の戦車勢力は、新防衛大綱に基づく師団改変に伴って多様化しつつあり、第13旅団は戦車隊(中隊規模)に縮小され、空中機動旅団となった第12旅団に至っては戦車部隊を廃止しています。逆に戦車勢力の増強が図られた師団もあったと思いますが情報不足です。

     以上余談でした。
    ブラック・タロン

  6.  手元の資料では、WWII当時のソビエト自動車化歩兵は3個大隊で1個旅団をつくるか、1個大隊が戦車旅団に直属している例が多く、自動車化歩兵連隊はNKVD系の部隊にごくわずか存在するだけのようです。
     バツさんが挙げられたHPは前から知っていますが、トラックの台数が書き込まれているのには初めて気がつきました。1個小隊に1〜2台のトラックというのは、ドイツ歩兵が持っている馬車の数と同じです。つまりこれでは手持ちの弾薬食料その他を積むのが精一杯で、兵士を乗せる余裕はないのです。ドイツの自動車化歩兵連隊では、最低でも1個小隊に3トントラック3台を(編制の上では)あてがっています。
     つまり、WWII当時のソビエト自動車化歩兵は歩くか、戦車の背中に乗るかしかなかったということですね。
     独ソ開戦から1943年頃まで、自動車化歩兵大隊は2個小銃中隊、1個短機関銃中隊、1個迫撃砲中隊(82ミリ迫撃砲6門)から成っています。ソビエト軍の一般歩兵大隊と比べると、重機関銃中隊と対戦車砲小隊を欠いており、小銃中隊がひとつ短機関銃中隊に置き換わっています。この短機関銃中隊は乗車戦闘を意識して、分隊の人数を戦車に乗れるぎりぎりの人数とされた8人とし、分隊長以下全員が短機関銃を持っていました。現場では編制表を超えて、他の中隊に短機関銃小隊を作るなど、勝手に短機関銃の比率を高める例が多かったようです。
     1943年以降、機械化軍団(ドイツの装甲師団に対抗できる規模を持つ打撃部隊)の自動車化歩兵大隊には重機関銃中隊と対戦車銃中隊が配属されていきました。
     独ソ開戦直後、ソビエトは不足する戦車を各地でばらばらに使わざるを得ず、大規模な戦車-歩兵チームを組むことができませんでした。その時期を抜け出した1943年頃のソビエト戦車軍団・機械化軍団は、168〜229両の戦車・自走砲に3個大隊の歩兵という、当時のドイツ装甲師団より少し戦車の比率が高いものでした。ソビエト軍も深刻な人員不足に悩んでいたこともあり、この戦車優位は翌年にかけてもう少し強まって行ったようです。しかしこうした兵科連合の考え方は各国共通になっていましたから、自動車化歩兵の役割も、戦車を敵歩兵の接近から守り、他の歩兵部隊が追いついてくるまで占領地を確保する、という常識的なものであったでしょう。
    参考文献
    D.M.Glantz 'The Red Army in 1943'
    C.C.Sharp 'Soviet Infantry Tactics in World War II'

    マイソフ

  7.  ブラック・タロンさん、マイソフさん、さらにご親切なご説明痛み入ります。編成というものはつくづくその国の事情・情勢を反映していますね。編成というものからその国が垣間見れる気がします。
    西部


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