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以前、何かの本で読んだのですが、武装SSはドイツの正規軍ではなくナチ党の私兵集団なので、戦後も国防軍の元兵士とは違って、軍人恩給や年金が支給される事は無かった、という事です。 これは事実でしょうか? もし事実だとすると、戦時中の武装SS兵士の給料は、国庫からではなくナチ党の党予算の中から、『専従党員活動費』のような形で支給されていたのでしょうか? まぁ、それくらいならありえないこともない、かな、という気もするのですが、もっと疑問なのは戦車や小銃などの武器弾薬です。 武装SSのタイガー戦車などは、選挙用の宣伝カーなどと同じ“ナチ党の備品”だったのでしょうか? 武装SS師団には、国防軍よりも優先的に新型兵器が配備された、というような事情もあったようですが、国家存亡の折に、政権党とはいえ一政党に過ぎないナチ党の下部組織に、重要な兵器をまわしてしまう事の整合性は、たとえば法的にどう解釈すればいいのでしょうか? 鴫田 |
- 恩給等が戦後に支給されなかったのは事実です。
武装SSについてナチの私兵か否か、意見の分かれるところでハウサー将軍などは戦後「彼らもまた同じ兵士」という著作で彼らが決してナチイデオロギーの狂信者で無く純粋な愛国者であったと弁護されています。
事実、あくの強い指導者の元でWSSはASSからの独立性をかなり持ち、戦場では完全に陸軍の一部として戦っています(法的に陸軍の指揮下に入る事が規定されていた筈です)。
ただ、連合国はそうは見なかったようでWSS隊員は犯罪者と扱われたといいます(伝聞のみ、法的資料は分りません)。実際に多くのWSS隊員は投降に際して国防軍に偽装しました。
捕虜(というべきか?)の扱いは悲惨で建物はおろか身を寄せる樹木すらない野原に収容され食料は8人に一個のコンビーフ缶というありさまだったとある人は書いています。もちろん国際赤十字など見たことも無いそうです。
その連合国が主導した戦後ドイツですから恩給など望むべくも無いでしょう。
給料、装備についてですが、ご質問の回答になるか分りませんが説明、まず、SS隊員は「ナチ党員」ではありません。ASS,WSSに限らずSSだからといってナチ党員ではありません。(戦前はSSに入隊して仕事振りで党への忠誠を示し「党員」にしてもらうという事が多かったそうです)。
始まりこそナチの私兵集団でしたが政権獲得後の党=国家のような状況下である意味独立した政府機関になったと考えられます(実際SSは警察機構を併合した国家治安機関を目指し、そうなった)。
つまり、WSSは「警察が軍事機構を持った」とも考えられるわけで装備も党の備品なんて扱いではないと思います。(前述のように実質陸軍の指揮下だし)
じゃあ、何で「警察が軍事機構」なんてわざわざ持ったというと政権中央の権力争いの一言に尽きると思います。陸軍の伸長を嫌うヒムラーSS指導者がWSSを軍事組織にして、ヒムラーの伸長を嫌うゲーリング空軍元帥が空軍地上師団を作る。いい装備の取り合いも法的整合性云々よりここら辺が原因かと思います。
ジョン・ウェイン
- 芝健介『武装SS』によると、ナチ政権獲得直後に組織され、首相官邸護衛を任務とした最初期(1933年)の「アドルフ・ヒトラー親衛旗(無論のちの第1SS戦車師団)」は国法上は軍にも警察にも属さない地位にありながら、内務省(大臣はナチ党のフリック)から予算をもらっていたそうです。
バツ
- >政権党とはいえ一政党に過ぎないナチ党
そもそも、当時、世界一民主的な憲法と言われたワイマール憲法の下で、一政党が軍隊等の国家機関のようなものを造り、正式の国家機関を牛耳るようなやり方が堂々と認められること自体が憲法違反の疑いが強いのです。国家元首の非常大権を拡張適用したからだが。
で、ヒトラーが政権握ってからもワイマール憲法は存続していたわけですが、実質は憲法の三権分立や国家機関と政権党の機関の分離なんて、かなりいい加減になっとったわけで。実質上、憲法は殆ど停止されていたということかな。
だから、ナチス党政権の下でソ連流の一党独裁体制に倣ったような国家体制の改変が進められ(ソ連ほど徹底しなかったが)、その体制の下ではこのようなやり方が「合法」として認められてしまっていたということかな。とにかく、作り上げられた規制事実と言うのは強いのだ。
アリエフ
- >3(修正)規制事実→既成事実
アリエフ