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太平洋戦争開戦前の時点で 1、連合艦隊司令部 2、各艦隊司令部 3、戦隊司令部 4、水雷戦隊司令部 5、駆逐隊司令部 はそれぞれの「○○幕僚」は何人で構成されていたのでしょうか? 0918 |
- これはもちろん、実際に何名いたかをお知りになりたいのですよねえ。定員が何名だったか、ということであれば、九段下の「昭和館」図書室で、「内令提要別冊(定員関係)」を閲覧する事が出来ます。ただしここにあるのは昭和20年改正版で、開戦時とは定員数も変わっているものと思います。いずれにせよ「開戦時、実員が何人だったか」という御質問に対してはこれもゴミレスの類になってしまいますね。(^^;
参考までに、手元に写しがある分だけですが御紹介します。
「聯合艦隊、艦隊、戰隊司令部定数表」(昭和十二年四月二十三日内令第百六十九號改定)
司令長官 大中将 一
幕 僚
参謀長 少将、大佐 一
参 謀 中 佐 一 中少佐 三 少佐、大尉 一 機関中少佐 一
副 官 中少佐 一 少佐、大尉兼務一
機関長 機関大佐 一 軍醫長 軍醫大佐 一 主計長 主計大佐 一
計 士官十四人 内兼務一人
司令部附
少佐、大尉 一 特務中少尉 三 軍醫科特務士官 一 主計科特務中少尉一
軍樂兵曹長 一 兵 曹 十九 軍樂兵曹 十七 看護兵曹 一
主計兵曹 八
水 兵 九 軍樂兵 十五 主計兵 ニ
計 士官一人 特務士官五人 准士官一人 下士官四十五人 兵二十六人
司令官 中少将 大佐 一
幕僚
参謀 中少佐 一 少佐、大尉 一
計士官 三人
司令部附
兵曹 九 主計兵曹 四 水兵 五 主計兵 一
計 下士官十三人 兵六人
すいません、「駆逐隊」については写しを取ってきませんでしたが、士官はたしか司令と隊附が一人づつ、それに主計長がひとりだったように記憶します。
あとはもっと詳しい方にお願いします。
藤
- 以前若干言及しましたが、今回の質問に合わせて再掲及び新規に加筆した上で提
示いたします。
司令部の定員は、定員令が定める定員表にて示されており、「海軍制度沿革」の
「巻十」の「1」と「2」にその表を確認することができます。ただし、この表は
概ね昭和十四年頃までの変遷しか追えません。具体的には「巻十の2」の七五八
頁には昭和十二年四月二十三日改正の海軍定員令による聯合艦隊司令部、艦隊司
令部、戦隊司令部定員表が、第三十三表として示されており、これに対する昭和
十三年九月十五日の改正(この場合は追加項目のみが示されている)までしか追跡
できず、質問者の希望するところの「開戦前」(実は曖昧な表現ですが)にどこま
で応えられるのかが不明であります。
ただし、一般に司令部の定員表の以後の改正はそう大きなものはないようで、ほ
ぼ「海軍制度沿革」の表でも、「開戦前」の司令部定員の把握を歪めるものでは
ないと思います。
さて、それ以後の改正内容や改正された表は、内令や内令提要などを見る必要が
ありますが、質問者の希望にもっとも近いと考えられる、昭和十六年六月三十日
「内令堤要 追録第十九號(上)原稿」にて確認できる、聯合艦隊司令部、艦隊司
令部、戦隊司令部の定員表を「海軍制度沿革」の書式に準じて以下に示します
(改行位置の違いなどはありますのでご注意あれ)。
なお、本システムでは連続する半角は全て一つの半角と扱われるようで、全角ス
ペースを用いて極力表が乱れないように努力いたしましたが、あるいは罫線が乱
れるかもしれませんので、予めお許し下さい。
+------------------------------------------------------------------------+
| 聯合艦隊、艦隊、戦隊司令部定員表 |
+----------------+--------------------+------+-----------------+---------+
| | 幕 僚 | 計 |司 令 部 附| 計 |
+----------------+--------------------+------+-----------------+---------+
| |参謀長 少将、大佐 一| |少佐、大尉 一|士官 一人|
| | | +-----------------+---------+
| | 中佐 一| |特務中少尉 三|特務士官 |
| |参謀 中少佐 三| |軍楽科特務士官 一| 五人|
| | 少佐、大尉 二| |主計特務中少尉 一| |
| | 機関中少佐 一| +-----------------+---------+
|司令長官 | |士 官|軍楽兵曹長 一|准士官 |
| 大、中将 一|副官 中少佐 一|十四人| | 一人|
| | 少佐、大尉 |内兼務+-----------------+---------+
| | 兼務 一| 一人|兵 曹 十九| |
| | | |軍 楽 兵 曹 十七|下士官 |
| |機関長 機関大佐 一| |看 護 兵 曹 一|四十五人 |
| | | |主 計 兵 曹 八| |
| |軍医長 軍医大佐 一| +-----------------+---------+
| | | |水 兵 九|兵 |
| |主計長 主計大佐 一| |軍 楽 兵 十五|二十六人 |
| | | |主 計 兵 二| |
+----------------+--------------------+------+-----------------+---------+
| | | |兵 曹 九|下士官 |
|司令官 中少将 |参謀 中少佐 一|士 官|主 計 兵 曹 四|十三人 |
| 大 佐 一| 少佐、大尉 一| 三人+-----------------+---------+
| | | |水 兵 五| |
| | | |主 計 兵 一|兵六人 |
+----------------+--------------------+------+-----------------+---------+
備考
一 聯合艦隊、艦隊(練習艦隊ヲ除ク)及戦隊ノ司令部ニハ左ノ区分ニ依リ定員ヲ増加ス
+--+--------------------+-----------------------------------+
| | |幕僚 参謀 兵科佐官 一人|
| | | 幕僚 兵科佐尉官 一人|
|聯| | |
| | | 少佐、大尉 二人|
|合|聯合艦隊司令長官ノ司| 兵 曹 長 一人|
| |令部 |附 兵 曹 十九人|
|艦| | 看 護 兵 曹 二人|
| | | 主 計 兵 曹 三人|
|隊| | 看 護 兵 四人|
| +--------------------+-----------------------------------+
| |艦隊司令長官ノ司令部|附 少佐、大尉 一人|
| | | 兵 曹 六人|
+--+--------------------+-----------------------------------+
| |一、母艦ヲ主トスル戦隊 |
| |附 少佐、大尉 一人|
| |二、航空隊ヲ主トスル戦隊 |
| | 少佐、大尉 一人|
|航空戦隊司令官ノ司令部 | 飛行科 |
| |附 整備科 特務中少尉 一人|
| | 主計特務中少尉 一人|
| | 兵 曹 一人|
| | 水 兵 一人|
+-----------------------+-----------------------------------+
|戦隊司令官ノ司令部 |附 兵 曹 長 一人|
+-----------------------+-----------------------------------+
| | 軍医科尉官 一人|
|潜水戦隊司令官ノ司令部 |附 主計中少尉又ハ主計 |
| | 科特務士官、准士官 一人|
+-----------------------+-----------------------------------+
二 必要ニ応ジ聯合艦隊、艦隊(練習艦隊ヲ除ク)及戦隊ノ司令部ニハ左ノ区分ニ
依リ定員ヲ増加スルコトヲ得
+-----------------------+-----------------------------------+
|艦隊、戦隊司令官ノ司令 | 参 謀 少佐、大尉 一人|
|部 |幕僚 機関少佐、機関大尉 一人|
| | 機関長 機関大中佐 一人|
+-----------------------+-----------------------------------+
| | 参謀長 大 佐 一人|
|独立艦隊司令官ノ司令部 |幕僚 |
| | 副 官 少佐、大尉 一人|
+-----------------------+-----------------------------------+
|艦隊ノ一部ヲ率ヒ外国ニ |幕僚 副 官 少佐、大尉 一人|
|航海スル司令官ノ司令部 | |
+-----------------------+-----------------------------------+
| 各 司 令 部 |附 通 訳 官 一人|
| | 司 法 事 務 官 一人|
+-----------------------+-----------------------------------+
三 練習艦隊司令部ニハ左ノ通定員ヲ増加ス
参謀長 大 佐 一人
参 謀 機関少佐、機関大尉 一人
幕僚 副 官 少 佐、大 尉 一人
機関長 機 関 大 中 佐 一人
軍医長 軍 医 大 中 佐 一人
主計長 主 計 大 中 佐 一人
四 本表ノ外必要ニ応ジ司令部附トシテ士官ヲ置クコトヲ得
五 聯合艦隊軍医長ハ軍少将ヲ以テ補スルコトヲ得
六 聯合艦隊司令長官又ハ艦隊司令長官ノ直率スル戦隊ノ司令部ニハ其ノ定員ヲ
置カザルコトヲ得又聯合艦隊司令部ノ職員ヲ以テ兼務スル戦隊司令長官ノ司
令部ノ定員ハ別ニ之ヲ配員セザルモノトス
七 戦時又ハ事変ニ際シテハ聯合艦隊司令長官ノ幕僚ニハ参謀兵科佐官二人ヲ増
加シ参謀長ハ中将ヲ以テ補シ又戦隊司令官ノ幕僚ニハ参謀兵科佐官一人ヲ増
加スルコトヲ得
八 戦時又ハ事変ニ際シテハ前号ノ外必要ニ応ジ聯合艦隊又ハ艦隊ニハ参謀又ハ
司令部附トシテ陸軍各兵科佐尉官ヲ置キ他ニ本職アル者ヲ以テ兼補スルコト
ヲ得
九 航空艦隊司令長官又ハ航空戦隊 司令官ノ司令部ニ在リテハ特務中少尉、兵曹、
水兵ニ代フルニ夫々飛行科及整備科特務中少尉、飛行兵曹及整備兵曹、整備
兵ヲ以ッテ充ツルコトヲ得
これらには、例えば方面艦隊司令部の定員や参謀副長に関して規定するところが
ありませんが、これは定員表の改正をもってするのではなく別途内令によって定
めるのを例とします。
ちなみに、昭和十九年二月一日時点の内令においては、上記に対して
・GF長官の司令部に「司令部附特務中少尉 一」が追加される
・各司令部の「法務事務官」が「法務科 佐尉官」に置き換わる
・「看護兵曹」が「衛生兵曹」に置き換わる
程度の変化しかありません。
上記のように艦隊司令部や戦隊司令部の幕僚定員は、一般にその隊に依らず一律
に定められて、わずかに司令部附の員数が異なる程度であります。一方、これら
の定員に対しての実際の配員は、その隊の性格を考慮した上で行われたと見なし
て良く、また戦隊や水雷戦隊では戦時における参謀の配員数は概ね四人(多くの
場合、先任参謀、砲術参謀、通信参謀、機関参謀)が平均的と考えます。
無論、航空戦隊にあっては砲術参謀の代わりに航空参謀が配員されたり、あるい
はそれに加えて砲術参謀が配員されたり、陸上の航空戦隊であれば機関参謀では
なく整備参謀と呼称されるなどの幅がありました(多くの場合、配員された者の
マークに基づき呼称したと考えられる)。また、逆に四人に満たない場合もあり、
実員がどうであるかは定員表とは全く別であることを銘記しておきます。
別なところでも書きましたが、「○○参謀」はあくまでも司令部内での呼称であっ
て、かつ職務範囲を示すものではなく、海軍省の辞令においては「補第×艦隊参
謀」のごときです。さらに、司令部内での呼称も固定的なものではなく、時期に
よってその呼称が異なったり、豊田司令長官時代の聯合艦隊司令部の参謀のよう
に、首席参謀と次席参謀以外の各参謀が作戦参謀と隊務参謀に分かれた配置名を
与えられ、「配置別名」として「航空甲参謀」とも呼ばれるなどの場合もあり、
一律「第○艦隊には××参謀と△△参謀が置かれていた」などの議論もできませ
ん。
質問が何を求めているかが未だに明確ではありませんが、とりあえず定員に関し
ては上記のようになります。実際の配員に関しては、開戦時における艦隊司令部
や戦隊司令部の数からしてその全部を示すにはかなりの手間を要しますし、また
それを網羅的に示した信頼すべき資料は存在しません。小生の手元の資料でもそ
れなりの部分は分かりますが、正確を期し得ないがゆえにここで示すことは致し
ません。
ちなみに、司令部内の幕僚の主務事項は一般に戦時日誌に記載するところがあり
ますが、以下に手元のメモからその一例を示します(開戦時ではありませんが)。
第三戦隊戦時日誌 昭和十七年十月一日〜十月三十一日
+------+--------+------+----------+
| 職 |主 務| 官 | 氏 名 |
+------+--------+------+----------+
|司令官| |中 将|栗田 健男|
+------+--------+------+----------+
|参 謀|首 席|中 佐|有田 雄三|
+------+--------+------+----------+
| 同 |砲 術|少 佐|柳 稔雄|
+------+--------+------+----------+
| 同 |機 関|機少佐|久馬 武夫|
+------+--------+------+----------+
| 同 |通 信|少 佐|市来崎秀丸|
+------+--------+------+----------+
| 附 |掌暗号長|兵曹長|松井 勉|
+------+--------+------+----------+
第一戦隊戦時日誌 昭和十九年十月一日〜十月三十一日
+--------+----------------+----+----------+
| 職 | 主 務 | 官 | 氏 名 |
+--------+----------------+----+----------+
|司 令 官| |中将|宇垣 纒|
+--------+----------------+---------------+
|参 謀|作戦、砲術、航空|大佐|野田 六郎|
+--------+----------------+---------------+
| 同 |機関、工作、防御|少佐|矢口 良雄|
| |整備、補給 | | |
+--------+----------------+---------------+
| 同 |通信、航海、水雷|少佐|末松 虎夫|
| |運用 | | |
+--------+----------------+----+----------+
|司令部附|航空 |少佐|伊藤 敦夫|
+--------+----------------+----+----------+
なお、駆逐隊にはそもそも「司令部」がありませんし、駆逐隊司令には幕僚もい
ません。参考までに、昭和十二年四月二十三日における駆逐隊の定員表を示しま
す。
+------------------------------------------------------+
| 駆逐隊定員表 |
+-----------------------------+------------------------+
| 司 令 大 中 佐 一 | 兵 曹 四 |
| 機関長 機関中少佐 一 | 看 護 兵 曹 二 |
| 軍医長 軍 医 大 尉 一 | 主 計 兵 曹 二 |
| 主計長 主 計 大 尉 一 +------------------------+
| | 看 護 兵 二 |
+--+--------------------------+------------------------+
| | | 下 士 官 八人 |
|計| 士 官 四人 +------------------------+
| | | 兵 二人 |
+--+--------------------------+------------------------+
備考
一 各駆逐隊ノ駆逐艦長ノ中一人ハ司令ヲ以テ、各駆逐隊ノ駆逐艦機関長ノ中一
人又ハ之ヲ置カサル駆逐艦ノ中乗組機関科尉官一人ハ機関長ヲ以テ兼補スル
コトヲ得
二 主計兵曹ノ中一人ハ司令駆逐艦ノ定員ヲ以テ兼務セシムルコトヲ得
三 駆逐艦三隻以下又ハ五隻以上ヲ以テ編成スル駆逐隊ハ各駆逐艦ニ付看護兵曹
又ハ看護兵一人ヲ定員トス但シ一隊ヲ通ジ看護兵曹、看護兵各約半数ノ割合
トス
四 本表ノ外一等駆逐艦(吹雪型、初春型及朝潮型)ヲ以テ編成スル各駆逐隊ニハ
隊附トシテ少佐、大尉一人ヲ置ク
五 本表ノ外駆逐隊附トシテ軍医科尉官一人ヲ置クコトヲ得
六 本表ノ外一等駆逐艦ヲ以テ編成スル駆逐隊ニハ看護兵曹一人ヲ増加ス
七 必要ニ応ジ駆逐隊附トシテ士官ヲ置クコトヲ得
今泉 淳
- やはりスペースの関係など乱れが生じてしまいました。なんとか分かる
レベルかと思いますので、ご容赦ください。
今泉 淳
- ↑おおー、さすが今泉大先生、詳しいですね。こんなに詳しいなら、初めから自分で答えてあげればいいのに。この質問も回答無く何日置いて有りましたかねえ。誰かが間違った、又は足りない情報を出すのをじーっと待っているんですねえ。それから、やおら資料を引っ張り出して成敗、ああいやいや、「正確な情報の提示と議論」をなさるわけですねえ。うーん、象牙の塔にお住まいの方だけに、素晴らしいご人格で、感服しました。
今泉ファン
- わかってないですね。だから誰も回答しなかったんですよ。I泉氏のエジキになるのは見え見えなので。そういうところに回答した人のほうが悪いんです。申し訳ないけど。
その他
- 藤さん、今泉さん貴重なお話ありがとうございます
藤さん
>九段下の「昭和館」図書室で、「内令提要別冊(定員関係)」を閲覧する事が出来ます
そういうものが東京にはあるんですね。当方大分に在住でそういう場所があること事態初耳です。資料共々いい勉強になりました
今泉さん
>質問が何を求めているかが未だに明確ではありませんが
実を申しますと現在架空の駆逐隊を活躍を描いた仮想戦記を(まだ執筆の段階ですらないのですが)構想中であり「そういえば他の戦記や仮想戦記では連合艦隊司令部や戦隊司令部はよく出てくるけど駆逐隊司令部(この時点では今泉さんが指摘されております「駆逐隊にはそもそも『司令部』が無いし幕僚もいない」と言う事実を知りませんでした)って何人ぐらいで構成してたんだっけ?」と疑問になり又それを質問するならついでに上記の1〜4についてもあまり詳しい訳ではないので後学もかねて質問しようと思った次第でありとても勉強になりました
0918
- ↑いや、今泉様が書かれている「備考」以降の部分の写しもあったんですよ。しかし冗長になると思ってあえて書き込まなかったんですが、正確を期するという点からするとやはり省略するべきでは無かったですね。その意味で、今泉様からフォローを頂いて良かったと思います。
ただ、まあ、私が「内令提要別冊」から引用しているのに対して、同じ表を「海軍沿革」から引用するべきであると読める部分には、ちょっと異を唱えたくなりますが、これについて議論するつもりはありません。今泉様の方が正確な情報をお持ちなことは間違いないでしょうから、議論にならないと思います。
いずれにせよ旧海軍の人事制度に関しては今泉様の占有事項らしいので、以後は出しゃばるのはやめようと思います。失礼致しました。
藤
- おい、自分がそこまで詳しくないからって人に八つ当たりするのはやめようぜ!みっともないったらありゃしない。陰口叩いてないで、文句あるんなら堂々と議論すればいいだろ!
質問への回答ではありませんが。
アリエフ
- いくつかの議論があるかのように思いますので、小生の見解を書き記しておきま
す。
まず「司令部」は、「艦隊令」に規定するところがあります。
艦隊令
大正三年十一月二十八日(軍令一〇)
第七條 司令長官又ハ司令官ノ隊務ヲ掌ル所ヲ司令部ト稱ス
(注)この規程は、以後少なくとも昭和十三年まで改正されておりませんし、多分
以後も変わっていないだろうと考えます。
すなわち、「司令部」は司令長官や司令官に関してのみ存在する概念で、航空隊
や駆逐隊にあっては「司令部」の用語を使わないのが正しいということになりま
す。それを裏付けるかのように、小生が見た限りの当時の関係者が書き記したも
のの中に「駆逐隊司令部」という遣い方を見た記憶はありません(もっとも、関
係者が誤用しないとも限りませんが)。
本来の質問の趣旨は、「駆逐艦固有の乗員以外の『駆逐隊の職員の員数』」とい
う理解が正しいのだろうと思います。
さて、
>私が「内令提要別冊」から引用しているのに対して、同じ表を「海軍沿革」か
>ら引用するべきであると読める部分
別段、そのように「すべきである」などの意図は全くありません。敢えて書くな
らば、
1)情報の追跡過程を明示した
2)可能な限り参照が容易な資料を明示し、情報の再利用に留意した
ということを念頭においておりました。
「海軍制度沿革」には、既に示しました通り昭和十三年の分までしか掲載されて
おらず、その後の変遷に関しては別途調査を要します。とはいえ、実際には艦隊
司令部の定員がそう大きく改正されてはいないことは感覚的に把握しておりまし
たので、昭和十二年(表そのものは昭和十二年までしか示されておらず、追加分
は差分のみが示される)の表を元にすれば、全部を書き写す必要はほとんどあり
ません。もっとも、その改正分の確認作業は必要ですし、それをキーボードから
入力する作業も別途必要ですが。
また、内令堤要は、東京に住んでいれば比較的容易に参照できる資料であります
が、質問者の所在にかかわらずある程度の努力をすればたどり着ける資料として
は、やはり「海軍制度沿革」を挙げるのが適当だろうと考えます(もしかしたら
大分でも閲覧可能かもしれませんし、県内の図書館に問い合わせてみるのもよい
でしょう)。もっとも、小生も含めて既に本 Web で「海軍制度沿革」(の定員関
係)に言及しているますので、繰り返しになってしまいますが。
あるいは、「『海軍制度沿革』の書式に準じて」にそのようなニュアンスを感じ
られたとしたら、それは単に私が「海軍制度沿革」の表に、改正の情報をそのま
ま追加して内令堤要の表の体裁まで写してなかっただけのことを端的に書いただ
けで、それ以上の意図はありません。ただし、備考を省略してしまうと、例えば
戦隊参謀が二名でかつ機関科士官(機関参謀)の配員は有り得なくなってしまい、
戦記・戦史の類の内容との整合性がとれなくなるなどの問題を引き起こしてしま
います。
また、
>いずれにせよ旧海軍の人事制度に関しては今泉様の占有事項らしいので、
に関しては、そのような意図は毛頭ないことを表明するとともに、強く否定いた
します。
小生は、意見の披瀝は常にその内容に対する批判や新たな事実の発掘を喚起する
源と考えております。したがって、小生自身間違ったことを書いていれば、それ
を誤りとして堂々と指摘していただくにやぶさかでないですし、またそれによっ
て自分の不勉強も自覚でき、新たな研究課題が生まれると考えます。
ただし、小生が人事や制度関係に対して興味があることは事実ですし、そのよう
な質問や回答に関しては、他の方より敏感に反応することはあろうかと思います。
また、質問によって問題意識が生まれ、回答を書く書かないとは全然別に、調査
や研究を開始したこともあります。いずれにせよ、研究テーマは誰にとってもオー
プンであり、占有できるようなものではありません。逆に、ある問題に対する解
決のアプローチを早く出せるかどうかは研究の評価の目安になり得ますが、それ
とて誤った内容では評価の対象にはなり得ません。
色々な意見が出ているようですが、本質的には「疑問や質問に対する正確な答を
追求する姿勢」の問題かと思います。厳然とした事実をある程度の範囲で正確に
書くことは、これまた戦史や軍事の研究(に限らずなんでも)には不可欠なことか
と思います。また、正確なことを書こうとすれば、それなりの調査や検討の時間
が必要ですし、またそれを文書化する手間も必要であることは言うまでもありま
せん。それでもなお、最後の部分で推敲が足りず誤字脱字が多々あることは自覚
しております。
なお、小生が書いた「表」は、ブラウザによってはずれなどなくきちんと見える
ようです。
今泉 淳
- >アリエフ 様
あれあれ。私はそういうつもりではなかったのですが、そのように取れたのであれば申し訳ありません。まったくみっともないので、お詫びいたします。
>今泉様
今泉様の言われるとおりだと思います。
藤
- >藤さん
いえ、アリエフさんは4、5のくだらんレスに
憤ってらっしゃるのです。
あなたが詫びる必要はどこにもありません。
勝井
- 勝井山、横から余計な事を言うべからず。
皮肉を言った藤さんも確かに悪いんです。
上のほうで自作自演で揶揄している人物は論外です。
BUN