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初めて質問させてもらいます。 ひょんなことから、戦時中に、日本にいたドイツ人のおじいさん(当時、水兵)と知り合いました。1943年初春、横浜港から、偽装商船に乗り索敵機などに見つからないように南回りで帰国しようとしたようですが、南アフリカ沖で米軍により発見され、船を自沈させ退艦。漂流中に米軍の駆逐艦?に救助され、捕虜として米国本土に送られ、戦後帰国したそうです。 そこで質問なのですが、戦時中の日本滞在ドイツ兵の資料や書籍などが在れば、是非教えていただけないでしょうか。 ドゥーデン |
- 木馬書館「横浜港ドイツ軍艦燃ゆ」はどうでしょうか。横浜港で爆発事故を起こし沈んだドイツ仮装巡洋艦「トール」の乗組員の、事故後の日本での状況が書かれています。
少しお望みのものとは違う感じがしますが、内容的におすすめの書籍です。
なかがわ
- おお!ありがとうございます!そのおじいちゃんが、はじめに乗船してたのは、まさにその船だと思われます!!船が横浜港で爆発して、横浜に滞在をよぎなくされたって、言ってましたから。すぐに、取り寄せてみます!!ほんとに、ありがとうございます!
ドゥーデン
- >2
そのおじいさんはもしかしたら、爆発事故の火元である「ウッカーマルク」の乗組員の方かもしれません。
この爆発事故はまず「ウッカーマルク」がガソリン爆発を起こし、次いで火災により隣接していた「トール」に引火、搭載弾薬が爆発し港湾施設に多大な被害が発生しました。
爆発規模はTNT100トン級です。
なかがわ
- なかがわさんの情報がきっかけで、即座に詳しい話を電話でそのおじいさんにもういちど聞きなおしてみました。そして、私が如何に話を曖昧にきいていたかが明らかになってしまうのですが。。。訂正を含めて…。彼はトール(TOR)の乗組員でした。そして多くのトール号の乗組員は、その後、ミヒャエル号という偽装高速巡洋艦?(訳があってれば)、に乗り出港したそうですが、八丈島沖でアメリカ軍の潜水艦に撃沈され、ほとんどの乗組員がなくなったそうです。そのおじいさんは、横浜に残り横浜グランドホテルに、他の将兵とともに滞在していたそうです。
そして1944年(前回の記述の1943年初春はミヒャエル号の勘違いでした。。。)に、ヴェーザーランド号という船に乗り、ほか3隻とともに、神戸港から、ルソン方面に向けて出港シンガポールで補給の後、インド洋を大きく南回りして、インド洋上の島(この島については、また本人に会って確認したいのですが、この島がいったいなんなのか、電話では私にはわかりませんでした。)をへて、喜望峰をさらに大きく南回りしつつ大西洋に入り、ここで索敵機に発見され、1機目は撃墜したそうですが、時すでに遅く通報が行ってしまい、2機目が高高度で追尾してきて、遂に駆逐艦にも追跡され水上戦になり撃破されてしまったとのことです。この辺の事情を、詳しく聞きたかったのですが、時間の都合上…。また改めてカキコしたいと思います。その後、前回の書き込みのように、自沈させ退艦後、捕虜になりアリゾナの捕虜収容所に送られたそうです。
私が、ドイツ在住のためなかなか日本の資料を手に入れられないのが残念なんですが、大学の合間を縫って、ぼちぼち調べていきたいと思います。
関心をもって、情報を下さるのはほんとにありがたいです!ありがとうございます!ホント、お礼に、何か質問があれば、答えさせてもらいです。
ドゥーデン
- なかなか貴重なお話ですね。
以前TVで爆発事故生き残りのドイツ人乗員が箱根(だったと思う)の方に収容されていたという番組をやっていました。
SAW
- 「疎開仮想博物館」というホームページで特集をやっていますね。
http://www2.cds.ne.jp/~kyon/index.html
それによると、「箱根山のドイツ兵」新井恵美子・近代文芸社なる本もでているそうです。また、光人社「軍艦メカ開発物語」深田正雄にも、1942年秋に横浜港にやってきてその年11月30日に爆沈したドイツ仮装巡洋艦の話がのっています。名前は出ていませんが、「トール」のことでしょうね。
井中かえる