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冬戦争に明文化された“宣戦布告”は有ったのでしょうか?本を読む限り(ソ連の用意した筋書きを押し通しての)なし崩し的侵攻にとれるのですが。 紅葉饅頭 |
- ソ連は1939年11月28日にソ連・フィンランド不可侵条約を破棄し、同月29日にフィンランドに対して国交断絶通知書を手渡しています。
国際法に詳しくはないのですが、いかなる条約も結んでおらず、また国交のない国同士の場合、いつ戦端が開かれても特に国際法上問題はなかったと思います。
日米開戦の際に日本がアメリカに対して手渡したのも「宣戦布告文」ではなく、正確には「国交断絶通知書」かそれに類するもので、これが事実上の「宣戦布告文」と見なされていると記憶しています。
よって冬戦争の場合も、ソ連が1939年11月29日にフィンランドに手渡した「国交断絶通知書」を「事実上の明文化された『宣戦布告』」と見なしてよいのではないかと思います。
T216
- ありがとうございました。
紅葉饅頭
- …あの、最初の質問からはずれますが、日本が米国との開戦のときに行ったのは
「国交断絶通告」ではなくて、単なる「外交交渉打ち切り通告」です。
この通知文の最後は「今後交渉を継続するも妥結に達するを得ずと認むるの外
なき旨を合衆国政府に通告するを遺憾とするものなり」となっています。
実は、読んでわかるとおり、一部からは外交交渉を本当に打ち切りたいのか
すらも曖昧な表現といわれています。現在の日米交渉をうち切るというだけの
通告で、もちろん外交の断絶でもありません。二国間である交渉をうち切ると
いうことは良くありますよね。現在の日本と北朝鮮の国交正常化交渉のように。
ルーズベルトがこれを読んで、「これは戦争を意味する」といったことは有名
ですが、米国政府内ではこの打ち切り通告に続いて、外交断絶又は開戦通告が
あると観測していました。
日本は真珠湾奇襲前に宣戦布告しようとしたというのは一般に流布している説
ですが、東郷外相が後に日本の交渉打ち切り通告は実質宣戦布告に相当していた
と強く主張しただけであって、国際法的にはまったく、宣戦布告の体をなして
いないものなのです。もちろん、もちろんこれは国交断絶にも最後通牒にも該当
しません。
シュウスイ