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旧海軍の戦艦などは複数年にわたるような長期間の改装期間がありますが、 その期間中、艦の乗組員は一体何をしているのでしょうか。 艦を使っての訓練はできないでしょうし、戦艦の乗員数ともなると全員を 他艦に配転することはできないでしょうし。 鎌田 |
- 艦の乗員って意外と有る程度の期間で転属してるのが多いようで
改装工事に入った艦からは転属する人が多いでしょうね
ただ改装終了時には既に一応は動けるわけですから
時と場合によるでしょうが、それなりの人数を確保していたのではないかと思います
それに艤装委員とかも居るのでは?(改装の場合は名称違うかも)
まあ、何処も人手は不足してますし、戦艦一隻空っぽにして千人出しても
アチコチに数人ずつ出したらあっという間になくなるでしょうね
私の大叔父は重巡から陸戦隊に送られたそうですが
艦以外にも行く場所っていっぱい有るわけです
SUDO
- SUDOさん、回答ありがとうございます。
1934-1936の戦艦改装だと改装期間中も艦長は任命されて
いることと、この時期は特に戦艦が仲良く改装中なので、
現代の日本企業がかかえる余剰人員どころではない数の
人間が海軍内で任務にあぶれていたのではないかと考えた
次第です。
金剛の佐世保鎮守府所属、横須賀工廠で改装のように
母港と改装場所が異なる場合に、乗組員の配属をその艦の
ままにすると、乗組員丸ごと転勤という大変な事態になる
ので、SUDOさんの言われるように別の部署に配転したと
考えるのが自然ですが。
大規模配転OKよ、という柔軟な組織だったのかな昭和海軍。
鎌田
- 余剰人員は、所属鎮守府の海兵團に収容し、だんだん行先を決めたのでないでしょうか。(士官は海軍省で一括管理しますが、下士官兵は鎮守府単位で管理するので、所属をなかなか簡単に変えられない)
海兵團は新兵教育や防備隊要員の他に、そういうプールの機能もあったと聞いているので、そうではないかと推測しました。詳しい方ご教示願います。(「願います」は海軍式語尾)(^^)
あるめ
- 私も詳しくはないのですが、手元の世界の艦船2001年11月号の特集の中に、予備艦についての記述がありました。それによれば
第1予備艦:ほぼ定員だけ乗員が配置され、短期間の整備で出動可能。大演習などでは仮想敵の中核を努めることが多かった。
第2予備艦:乗員を定員から20%程度減らし、ブイに係留して保存整備に努めたり、工廠で小規模な修理や改装を行っている艦。このレベルでも各種演習に参加することも多かった(らしい)。
第3予備艦:乗員を定員から50%程度減らし、大修理や大改装などで当分行動不能な状態にある艦。ご質問に該当するのはこのあたりかと思われます。
第4予備艦:乗員を定員から80%程度減らし、廃艦が間近な艦。
ということだそうです。
予備艦状態の乗員の任務については記述がありませんでした。想像ですが、個々の部署の整備・維持や、動かしても問題のない機器を使用した訓練などを行っていたのではないでしょうか。
ヒロじー
- ヒロじーさん、ありがとうございます。
>第3予備艦:乗員を定員から50%程度減らし、大修理や大改装などで当分行動
>不能な状態にある艦。ご質問に該当するのはこのあたりかと思われます。
なるほど第2,第3の意味は水準だったのですね。
1935-1940の改装で、比叡は第3,金剛は第2までいっているようです
ので、改装期間中はかなりの乗員の配置転換を行っていた可能性が強い
のですね。
鎌田