QQCCMMVVGGTT
406 幕府伝習隊などの、幕末に編成された西洋式軍隊の階級はどうなっていたのでしょうか?佐官、尉官、曹、兵のような現代式の階級があったのでしょうか。

幕末史愛好家

  1. 私のようなものが答えるのもどうかと思うのですが、幕末当時ではそのような現代式の階級の呼び方はしていなかったようです。外国の階級を和訳するという形式だったようで、その和訳というものが陸軍惣裁や陸軍奉行、〜頭、〜目付、〜図役というものだったようです。現代式の佐官、尉官、曹、兵といった階級ができるのは明治三年からですね。

    しばいぬ

  2. 補足です。佐官、尉官、軍曹等は大昔(平安朝頃?)からあったようです。「階級制度」自体は西洋の近代的なものでも「個々の階級の名称」は復古主義的な傾向が強いように感じます。
    しばいぬ

  3. ↑律令制のもとでの朝廷における官職に、「佐」「大尉」「少尉」等があります(兵衛府、衛門府等)。近衛府には「将曹」があります。また、「軍曹」は、古代の鎮守府とかの役職にあったと思います。
    海機55期

  4. 補足 律令の「軍曹」は戦時編制の軍が作られた場合の将軍のスタッフです。
    兵1万人以上の部隊の場合、軍の司令部は、将軍1人、副将軍2人、軍監2人、軍曹4人、録事4人で構成されます。下士官というより中堅参謀といった感じですね。また、律令軍団には兵200人の指揮官として「校尉」がいます。
    カンタニャク

  5. 補足2 送れすぎてだれもよまないかな?
     近代的な軍隊階級制度ができたのは(しばいぬさんの仰るとおりで)、明治3年12月22日の「各藩常備兵編ノ儀」でしょう。各藩の常備兵は「大隊」編成を基本にすると定めた上で、大隊長を「少佐ト改称ス」、中隊長は「大尉ト改称ス」、副官と小隊長は「中尉ト改称ス」、半隊長を「少尉ト改称ス」とし、「下等士官」として「曹長」「権曹長」「軍曹」を、その他(下等士官ではない)に「伍長」を置くと決めています(砲兵については別の規定有り)。
     軍隊階級制度の確立というかなり基本的な改革が、「役職名の変更」のように見える形で行われているのはなかなか面白いですね。
    カンタニャック

  6. 補足3
     412のことを調べていたら、補足2の布告が見つかったので、そのまま書いてしまいましたが、考えてみると「少佐」があって、「中佐」や「大佐」あるいは将官がないのが変ですね。
     明治3年の時点ではまだ「御親兵」は発足していませんから、中央政府および兵部省には直轄兵力はない筈です。すると兵部省官僚が上級佐官や将官になるのかなあ。いずれにせよ、12月の布告前、たとえば、同年2月の「常備兵規則」や10月の「兵制統一の布告」に、近代的な階級名称が出てくる可能性はありますが、残念ながら私の手元資料ではこれらの布告の内容がわかりません(イヤー明治初期の法令って20〜30年代のヒコーキみたいで資料が少ない上に整理されてなくて大変なんです)。
     ということで、「少なくとも明治3年末には補足2の用語はあったが、もう少し遡れる可能性あり」です。
    カンタニャック

  7. 補足3
     海陸軍の大将・中将・少将の将官については、明治2年(第622号)によって設置。
    海陸軍大佐から少尉までの士官と陸軍の曹長・権曹長については明治3年9月18日(第897号)にある(この時の設置かは不明)。
    大元帥・元帥は明治4年(兵部省第57号)で設置。
    カンタニャック

  8. ↑この時の「元帥」は大将の上の階級として設けられたのですが、後に「元帥」は階級であることを止めて、老巧卓抜な大将がもらう称号に變更されました。(補足の補足)
    あるめ


Back