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『予備練』(予科練ではありません)の事に関して、制度とか、どこで教育されていたのかとか、どなたか詳しく教えて下さい。または資料を紹介願います。 大方解郎 |
- 『予備練』とは、正確にはなんと言うのでしょうか?
もし『海軍兵科予備学生』であれば、
『海軍兵科予備学生 心血をそそいだ学生隊長の記録』
野地 宗助 著 大原新生社刊 昭和52年 著者署名 印付き
が、一冊私の本棚で寝てはりますが? 違っていたらごめんなさい。
roht
- 「予備練」は「航空科予備練習生」だと思います。予備仕官ではなく、下士官予備員任用のための制度です。
「海軍戦闘機隊史」(原書房)をご覧になってはいかがでしょうか。
片
- 3>片さま。有難うございます。系統的な勉強をいたしておらず、基礎がなっておりませんもので。またいろいろお教えください。宜しくお願い致します。
roht
- ああ、いえ、こちらこそ……
片
「海軍豫備練習生」は、「海軍豫備員タルニ必要ナル教育ヲ施ス爲ニ」置かれ
たものであり、制度としては大正八年の「海軍豫備練習生に關スル件」によっ
て定めるところがあります。
予備練習生には甲種商船学校卒業者で海軍予備員を志願する者を採用しますが、
「海軍豫備練習生規則」によって航海科と機関科の二種に区分され、これを海
兵団にて教育する規程となっています。これが、大正十二年に「航海科機關科
及航空科」の三種に区分するよう改められたのが、航空科豫備練習生のはじま
りです。航空科は飛行機の免状を有することが採用条件となっており、飛行機
操縦士免状やら技倆証明書などの提出が必要とされています。
昭和九年には、航空科を甲種と乙種に区分していますが、これは主に年齢や学
歴による区分であると見倣せます。また、航空科甲種備練習生は霞ヶ浦海軍航
空隊にて六ヶ月の修業ただしそのうち一ヶ月は横須賀海兵団に派遣修業、航空
科乙種予備練習生は霞ヶ浦航空隊にて一年間の修業ただしそのうち二ヶ月は横
須賀海軍航空隊に派遣修業などとあります。ちなみに、昭和十四年の改正では、
前者が霞ヶ浦海軍航空隊で一ヶ月、その後十一聯空司令官の定める専修別に該
当する練習航空隊で五ヶ月、後者が霞ヶ浦航空隊で二ヶ月、その後十一聯空司
令官の定める専修別に該当する練習航空隊で十ヶ月修業させる旨定めています。
以上、細かい制度の変遷は煩雑になるため、要点のみ記しました。
従いまして、予備練習生の制度そのものは、何も航空科に限定されたものでは
なく、むしろ航海科や機関科が先にあったものであります。
なお、旧海軍において「練習生」とあったら被教育者が下士官兵、「学生」と
あったら被教育者が准士官以上と考えてほぼ間違いはありません。
今泉 淳