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ここにあたるのかどうか、難しいのですが質問させて頂きます。 戦前、元老の影響力が無くなった後の内閣総理大臣はどのような基準で 任命されていたのでしょうか? 影響力が強かった所がはっきりとしま せん。宮中グループなのか、陸軍なのか、天皇自身なのか。実際はどう なっていたんでしょうか? 12式戦爆 |
- 東条内閣以降ということですかね。でも、元老の影響力が無くなってしまったわけではなく、木戸幸一を初めとする枢密院のメンバーは陸軍と牽制し合いつつ、海軍や政府の高級官僚等と組んだりしながら、結構、複雑な宮廷闘争(派閥対立と言ってもよいか?)を展開してますよ。こうした中で、その時の各勢力の力関係をも背景にしながら、内閣総理大臣を誰にするかが決められたわけです。今の自民党の派閥間の競り合い、話合いによる次期総裁の決め方に似ている所もあります。
アリエフ
- えーと、「犬養内閣以降、東条内閣以前」の話です。東条内閣は宮中の強い意向によるものですし、米内内閣は天皇の意向と聞いています。宇垣一成氏の内閣は天皇の意向にも関わらず、流産したと。そうなると、「決定権はどこ?」と思ったので。
12式戦爆
- >2 その宮中ないし天皇の意向というのは、あくまでも公式発表上のものであり、その裏では陸軍、海軍、元老、政治家等の駆け引きと主導権争いが繰り広げられていたと思いますが。法制上、天皇は国家元首として内閣総理大臣の任命等の権限を持ち絶対的な影響力を振るえるようになっていますが、実際はそうでもなかったわけで。天皇の個人的意思が明確に表明され強い影響力を与えたのは、大戦前なら226事件の首謀者に対し激怒し批判したということ位か。もちろん、次期総理大臣の指名など重要な政策決定に当たり天皇の意見を伺うとき、天皇は明確には意見を述べないものの、何となくこの人物にはさせたくないと受け取れるような意思表明をしていたようだけど。政策決定における中枢がはっきりしないというのが、日本の国家機構、戦争指導体制の特徴でもあるんだな。政治学者の丸山真男などが言っているが。
アリエフ
- アリエフさんありがとうございます。
12式戦爆