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384 アメリカなどキリスト教諸国の軍隊には従軍牧師がいますが、近くにいる従軍牧師がカトリックの場合でも、プロテスタントの兵士は一緒にお祈りを捧げたり祝福を喜んで受けたりするのでしょうか(あるいはその逆)。信教の自由のため、兵士の属する宗派によっては、異なる宗派の従軍牧師の祝福等を無視することも許されているのでしょうか?
アリエフ

  1. 「史上最大の作戦」の中に、上陸前に連合軍の一人の牧師が兵士の求めに応じてイギリス国教会、プロテスタント、カトリック、その他の様式で祈りを捧げた、という記述が有ります。
    従って牧師の方が融通をきかしていたと思っていました。
    ただこんなことをしたら後で牧師がその属する教会から叱責を食らいそうなきがしますが…。
    山奥の人

  2. 参考程度の話ですが、
    上海には教会が1つしかないそうです(資料はちょっと古いです)。が、宗派はといえば、『気にしない』。
    カトリックであろうが、プロテスタントであろうが、イギリス国教であろうが、みんな集まるそうです。
    いざとなれば、宗派の違いはそれほど気にされないのではないでしょうか。
    かすた

  3. 便乗質問です。
    そういえば日本軍にも従軍僧というのがいたと思いますが、宗派が違うとかでトラブルはなかったのでしょうか。特に日蓮宗などは、僧も宗徒も我を通しそうな気がするのですが。
    山奥の人

  4. >3 私の通っていた幼稚園は日蓮宗のお寺が経営していたようだが(毎朝、南無阿弥陀仏と唱えさせられました)、クリスマス会もやったし(相手が幼児だから仕方ないか?)、大抵の寺はそんなにうるさくないのではないかと思いますが。日蓮宗と言っても色々な流派があるし。
    そう言えば、米海軍の空母の中にも教会があるそうだが、従軍牧師をどこかの教団が送りこんでいるのだろうか?ちなみに検索してみたら、ルーテル・メソジスト教会(カトリックだと思う)がサウジ派遣の米軍で従軍牧師が活動と宣伝していたが・・。
    アリエフ

  5. >4 ルーテルってマルチン・ルターのことだと思ってましたが...
    Sampon

  6. 4>日蓮宗で「南無阿弥陀仏」? いくら何でもそれはないと思うのですが…。

    山奥の人

  7.  以前、とあるテレビ番組で、米軍基地の紹介をしてました。で、基地内に設けられた祭壇も撮されていたのですが、複数の宗派に対応できるような作りになってましたよ。具体的に言うと、祭壇が回転しちゃうんです。クルっと回すと、別の宗派仕様の祭壇が現れるんですね。
     わざわざこんな物を作るぐらいですから、宗派の違いは重要なのかもしれません。確証はありませんが。
    ツカドン

  8. 宗派の違いについてはこだわる人はこだわるし、大らかな人は大らかです。
    一般の(軍人でない)クリスチャンがそんな感じですから、軍隊内においても
    同様だと思います。

    私は10数年前ですが横田基地内の礼拝堂に行ったことがあります。一つの
    礼拝堂をいろいろな宗派が時間を区切って使っていました。しかし基地の外に
    ある自分たちの系列宗派の建物に行く人もいました。

    思うに米軍においては軍の命令で従軍牧師の祝福を受けるのではなく、信仰を
    守りたいと言う軍人のニーズがあるので従軍牧師と言う職務が存在するのでしょう。
    はしもっちゃん

  9. >6 南無妙法蓮華経ですね。暑さでボケてました。
    アリエフ

  10. >4
    現役時代の空母インディペンデンスでミサを開いている写真がありましたがミサの会場はアンカールームでした。(椅子の隣りに巨大な鎖が!!)
    宗派ごとにこういった集まりがもたれているようです。
    ゆゆゆ

  11.  フランクリン(CV13)の従軍司祭だったJ.T.オカラハンの「空母フランクリン大破せり」を読むと、基本的に自分の宗派以外の宗教行事にはもとから加わらないことになっているようです。小型艦ではどうかわかりませんが、フランクリンには牧師と司祭の両方が乗り組んでいます。戦闘前に各部署を回るシーンでは、
    「『それでは一緒にお祈りだ。……カトリックでない諸君もこれにあずかることをお勧めしたい。……』……部屋のあちこちから声が起こって、……祈りをとなえ始める……」
     とあります。全員が唱和したわけではないような表現なのですが。
     また、プロテスタントのパイロットの言葉として、
    「私にはあなたのなさる儀式めいたことも、赦しなぞということもわかりませんが、……」
     ともあります。
     オカラハンは「軍隊では宗派の違いはあまり神経質に考えられない、プロテスタントもユダヤ教徒も私に親しくしてくれる」という意味のことを書いていますが、わざわざそう書くというのも、キリスト教徒にとって宗派の違いは超えがたいものだ、ということを示しているように思います。
     また、埴原和郎の「骨を読む」には、ユダヤ教徒の戦死体はきちんとキリスト教徒とは違った形で葬ってある、とあります。また、米軍の個人識別票(ドッグ・タグ)には、宗派を記入する欄があります。
     これらのことから考えると、アメリカでは、軍隊の中でも、他の宗派のお祈りをしたくない者はそれをしない自由はあったのではないでしょうか。もちろん、寛容な人はしてもいいわけです。従軍司祭や牧師は上官ではないわけですから、「命令でお祈りする」などということもないはずです。
    大名死亡


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