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335の質問で思い出したのですが、20年程前に、富士山観光のバスの中で知り合った船場の旦那さんに聞いた話です。 「富士の裾野に、自分のようなええし(金持ち)の為の陸軍の学校が有り、ここに200円(2000円?)支払って入学すると1年(2年?)で、少尉になり卒業できる。しかもその後召集される事はない。自分もこの学校を卒業して、友人が徴兵で召集される時は、20歳で退役少尉として見送りにいった。」と言うのです。 古い話ではっきりと覚えていない処もあり申し訳ないのですが、本当でしょうか?長い間心にひっかかっています。よろしくお願いいたします。 roht |
- 短期現役士官とは違うのですが、そのような制度はありました。中学卒業者を対称としたもので、教育期間にかかる費用を自弁の上で、、、 という話だったと思います。ただ、徴兵制度の中で「金で階級を買う云々」の批判があり極めて短期間で無くなったと記憶しています。
徴兵制度は、大江志乃夫さんの「徴兵制」/岩波文庫 に詳しかったはずです。
ペンギン
- 「富士の裾野に」と云うのは、たぶん前橋にあった豫備士官學校のことと思います。
昭和7年までは幹部候補生は経費自弁で200圓くらいかかっていました(彈藥・食費・被服費などいっさいで: 街頭の呼売商人が上手く稼いで1圓になるかどうかの時代の200圓)。
昭和のはじまる前は、「一年志願兵」と呼んで、中等以上の學校卒業生(旧制の中學校・實業學校・専門學校・大學)が志願すると採用されたのですが、學校教練制度ができてからは、教練の成績が悪いと幹部候補生でも下士官任官となる例がありました。(甲種幹部候補生が少尉任官、乙種幹部候補生が下士官任官で、訓練終了時に成績によって振分けるのですが、ここで乙種にまわされてしまう)
「その後召集される事はない」は、
たぶん帰休兵(現役期間中にもかかわらず入營期間が短縮されて自宅待機している兵隊さん)となった、と云う事を説明したかったのでは、と思います。
兵隊さんと将校とでは、召集の順序がだいぶん違っていたはずなので、20歳の豫備役少尉が入營する友達を見送りにいったというのはありえる状況なのでしょう。
「20歳で退役少尉」
けれど、20歳では後備役になる45歳までには、まだ遠いし、退役はそれから6年後なので、きっとそのかたは「豫備役少尉」と云いたかったのでしょう。
そこで、そのかたは、
「富士の裾野の前橋に豫備士官學校があった。豫備士官といえば: 良家(ええし)の息子(ボンボン)は(中等以上の學校もでてるので)、普通は2年間入營しなくてはならない(現役)のに、200圓自弁すると1年間で除隊して、あと1年は帰休して家にいてよい、しかも豫備役少尉に任官できた。自分も豫備士官になって、友人が召集される時は、20歳で豫備役少尉として見送りにいった。」
と、おっしゃりたかったのだと、推測します。
あるめ
- ペンギンさま。あるめさま。有難うございました。半信半疑だったのですが、どうやら本当に、こんな制度もあったのですね。
「徴兵制」/岩波文庫。 読ませていただきます。
富士の裾野→前橋 バスが 富士自衛隊学校??のあたりを通った時に出た話ですので、私の思い込みで富士の裾野と思ってのかもしれません。
退役少尉も、豫備役少尉のまちがいだったと思います。
どうも本当に有難うございました。
roht
- 前橋 → 豊橋 の 打ち間違いです。 ごめんなさい。
あるめ
- チリです。 豊橋は、私の出生地です。
roht