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第二次世界大戦終戦以前、日本において現在の海上保安庁が行う業務はどこの官庁がおこなっていたのでしょうか?海軍でしょうか? 裕 |
- 海図作成などは海軍水路部などではなかったでしょうか。軍艦扱いにならない測量船(第1ー6海洋、第36播州丸 など)を保有していたと思います。
ペンギン
- 海上保安庁水路部は、水路部(海軍の部署)が行っていました。
http://www.jhd.go.jp/cue/KANRI/jhd_hist9910.htm
ごるぴゐ
- ではわたくしめは航路標識業務について。
日本における近代的航路標識の整備は、明治2年に完成した観音崎灯台(慶応2年の条約に基づく国際的義務でもあった)に始まりますが、当初は所轄がはっきりしませんでした。明治3年10月に工部省の所管(他に鉄道、電信、製鉄)となり、翌年8月には工部省燈台寮が発足し、中央政府に航路標識の整備態勢ができあがります。
明治初年は利用者から利用料を取って整備・運営する私設燈台が主流であり、性能不足や料金のぼったくりによるトラブルが続発して社会問題になっていました。政府は18年6月の太政官布告で私設燈台を禁止、21年10月の燈台条例により航路標識の政府による集中管理態勢が成立(ただし自治体が中央の許可を得て設置することも可)しました。
なお、航路標識行政の所管は
・明治18年6月から逓信省燈台局
・昭和16年12月から海務院航路部
・昭和18年11月から運輸通信省海運総局
・昭和19年2月から運輸通信省燈台局
と変遷しています。
海上の治安維持及び海難救助の業務についてはお察しのとおり海軍が実施していましたが、沿岸域における海難救助については、帝国水難救済会等の民間団体も実施していました。
Schump
- 戦前に、千島列島付近で、海軍の旧式駆逐艦が、漁業保護に当たっていたようですね。
世界でベストスリーに入る海軍力と、御手本の英国の影響で、強力な沿岸警備組織の必要性は感じなかったのでしょうね。
又、「戦前、伊豆大島沖で、ヨットを転覆させてしまい。横浜の水上警察署で、こっぴどく叱られた。」という手記を見たことがありますので、限定された範囲で、警察も海上治安維持に当たっていたようです。
(現在の水上警察に毛が生えた程度?)
「戦前は、警察船という50トンの船を保有していたが、この度、県警にも警備艇が配備され・・」(記憶幾分あいまい。)という地方紙記事を見たことがありますので、海保の巡視艇程度の船は、警察も保有していたようです。
SAW
- >ごみレスですが、
水上警察署の舟艇は戦争末期に特設哨戒艇として根こそぎ徴用されているようなので、そのあたりから調べたら早いかもしれません。
ペンギン
- ちょっとゴミレスですが、興味深い話ではあるので、紹介させてもらいます。
明治時代の一時期ですが、燈台の維持、運用を、横浜地方裁判所が担当してた、という話を聞いたことがあります。行政ではなく司法、しかも地方裁判所という組み合わせは、かなり奇異に感じられます。
けど、これにも色んな経緯がありまして。
日本が燈台を整備したのは、幕末の通商条約により、欧米に燈台の建築を約束したからです。日本近海を航行する欧米の船にとって、日本沿岸の燈台の設置は、必要不可欠でした。
では、欧米との交渉の窓口をうけもった幕府の部署はというと、これが神奈川の奉行所だったわけです。そんな背景もあったので、神奈川の奉行所が、燈台の維持、運営を担当することになりました。
そして、明治維新により、神奈川の奉行所が、そのまま横浜地方裁判所に変わることになります。したがって、自然な流れとして、横浜地方裁判所が、日本全国の燈台の維持、運営を担当することになったわけです。
もちろん、これは新政府発足に伴う混乱の1つでしかないわけで、横浜地方裁判所はすぐに燈台の維持、運営から離れてます。しかし、おもしろいエピソードではありますね。
ツカドン