288 |
いつものあやふやQですが… 軍法会議にはどのようなランク(上に行くほどスゴイ…へんな表現だ)がありますか? また、法務士官とは、どのような兵科から選ばれるのでしょう。その司法権はどこまで およぶのでしょう? ご教授下さい まるき |
- 陸軍は常設の高等軍法会議、師団軍法会議の他に特設の軍軍法会議、独立師団軍法会議などがあります。海軍も同様で、高等軍法会議、東京軍法会議、鎮守府軍法会議、警備不軍法会議の他、特設の艦隊軍法会議等があります。海軍軍法会議に加わる司法官の資格を持つ法務科士官も、十七年までは文官であったようです。
しかし、ここまで調べる範囲を広げるなら、人に聞くのでなく、ちゃんとした資料を読んだ方がいいですよ。
BUN
- 法務将校(陸軍では法務士官と云わないようで)は、昭和十六年以前は法務官と称し、中将から少尉にほぼ相当する陸軍文官(将校相當官)でした。司法省で云う、判事・検事に該当し、軍法會議では両方の役目を適宜分担しました。判士長(法廷の裁判長)は佐官級将官級の兵科将校がなるので、必ず一人以上の法務官が陪席判事にとして判士(複数いる)に加わることになっていました。
軍人ではないので、司法官試補(今の司法修習生)の資格のある者が任官し、軍服に似た制服(帽の鉢巻と肩章の色は白が定色)は着ていましたが、士官學校は出ておらず、軍隊教育も通常は受けていません。俸給も軍人とは異なり、高等官の勅任官・奏任官の年俸を支給されていました。日露戦争までは、法官と云ったようで、法官部といっていましたが、明治末には既に法務部と改まっています。
昭和十七年に各部の相當官の名称を兵科並みに改め、軍人の扱いにしてしまったため、法務官は文官から武官の法務将校に身分替えとなり、軍服を着るようになりました。戦争末期になると、法務部将校が不足したので大學法学部卒業生ならば法務部見習士官になれました。昭和十九年までは、法務部の其の他の文官(録事、監獄長、看守長、看守)も法務准士官・下士官・兵と云う軍人になってしまいました。
あるめ
- 失礼、「昭和十九年までは」ではなく、「昭和十九年には」ですね。訂正します。
あるめ