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副官というのはどんな仕事をしているのでしょうか?また、どのポストに副官がつくのでしょうか? それと、副官をするということはエリートコース にのったということである、と読みましたがほんとでしょうか? 三つも質問してすいません。 冬将軍 |
海南島守備隊司令官副官の著者が中国軍のほか猫・トカゲと戦争しているのはともかく、
海南島にきた海軍省の人事担当者に「ああ。まだ生きていたのか」と言われるくだりは結構悲しい
ものがありまするよ。
大塚好古
しか書けません。また、都合により順序を変えてあります。
>また、どのポストに副官がつくのでしょうか?
既に書きました通り、聯合艦隊、艦隊、海軍省、軍令部、鎮守府、警備府、要
港部、学校、聯合航空隊、航空隊、病院、港務部などに副官が置かれていた事
実はあります。また、軍事参議官や元帥にも副官が置かれていたはずです(こ
れで網羅できているかどうかは全く自信がありません。また、実員が配員され
ていたかは別問題で、航空隊副官などは主計長が代理していた場合もあった模
様です)。
ちなみに、これら副官は「ポスト」に対しておかれるのではなくて、あくま
でも組織に対して置かれるもので、例えば「軍令部副官」とは呼んでも、「軍
令部総長副官」とは絶対に言いません。その意味で、「軍事参議官副官」はそ
の数少ない例外かもしれません。「元帥副官」は、「元帥」がポストでは無い
ので微妙なところではありますが。
>それと、副官をするということはエリートコースにのったということである、と
>読みましたがほんとでしょうか?
これは、私の感覚からすれば、「副官全般」という意味では特にエリートでも
なんでもないと思います。ただ、個人的に思うのは、海軍省副官は別かなあと
いうことです。
例えば、大正時代から昭和初めにかけての海軍省首席副官と軍令部首席副官を
列挙すれば、
海軍省:谷口直真、大角岑生、小林躋三、野村吉三郎、藤田尚徳、寺島健、小
槙和輔、古賀峯一、高橋伊望、岩村清一、田結穣(大正2年から昭和11年まで)
軍令部:山岡豊一、阪本則俊、白根熊三、山本信次郎、南郷次郎、大湊直太郎、
佐藤己之吉、津田静枝、糟谷宗一、小池四郎、伍賀啓次郎、代谷清志(大正2年
から昭和11年まで)
となります。全員の履歴を完全に追ったわけではないので、あくまでも感覚で
はありますが、後世に名をとどめた人がどっちに多いかを考えれば、おのずと
その差は明らかだと思います。そういう意味で、海軍省副官(先任副官)は別
格の感があります。海軍省次席副官に関しては手元に資料を得ませんが、副官
兼務していた大臣秘書官のリストには著名な人物を数多く見出すことができま
すので、概ね海軍省副官は優秀な人間を集めていた傾向はあるのではないかと
思います。
>副官というのはどんな仕事をしているのでしょうか?
これは、「どのポスト」の副官かによって、随分内容は違うと思います。私も副
官をやったことがない(当たり前ですが)ので詳しくは分かりませんが、いか
なる副官でも「こういう仕事をするんだ」という規定が公式文書にあるわけで
はなく、例えば艦隊の場合は「艦隊令」によって「聯合艦隊司令長官及艦隊司
令長官ニ當該司令長官ノ幕僚トシテ左ノ職員ヲ置ク」とあって、「左」に
参謀長
参謀
副官
機関長
軍医長
主計長
などと書いてあって、その後の条文で副官の所掌事項を規定しています。聯合艦隊及
び艦隊の幕僚たる副官は、「参謀長ノ命ヲ承ケ儀制人事及ビ庶務ニ関スルコトヲ掌ル」
とあり、また学校の一つである海軍通信学校の場合は「副官ハ校長ノ命ヲ受ヲ承ケ庶
務ヲ掌理ス」とあります。
で、この「庶務」とはなんぞやということになると思うのですが、非常に極端な話、
軍令部副官ですと允裁のための文書を清書したりなんてこともありますし、軍令部
次長が各国駐在武官を招いて宴会をやる場合に料亭とかのセッティングをしたり、
なんてこともやります。司令長官の幕僚たる副官の場合は長官のかばん持ちは基本
的に副官の役目ですし、いわゆるこれをして「庶務」というのはお分かりいただけ
ると思います。
実家の資料を漁れば、もう少し「副官が何をしていたか」の実例が挙げられるかも
しれませんが、一応こんなところで。
今泉 淳
幕僚の一人とは知りませんでした。わたし、従兵と副官を混同してました。
冬将軍
病院のそれは幕僚とは呼ばないですね。これは定員表とかを見れば一目瞭
然です。
従兵の件ですが、例の近江さんとかが本を出されているのでそれを見たほ
うが良いかもしれませんが(私は読んでませんが)、従兵というのは士官
の給仕役といえば分かりやすいかもしれません。ですので、副官とは全然
違いますので、お間違えなく。
従兵が何をするかは別途いくらでも書きようはありますが、取り敢えずこ
こまでということで。
今泉 淳