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戦艦の施設の酒保は売店みたいなものって聞いたのですが、どんな物が売っていたのでしょう?また酒保は乗組員は自由時間だったらいつでも利用できるものだったのでしょうか? ryu |
褌や手ぬぐい、ちり紙などの日用品を売っていたはずです。「自由時間」云々
はなんとも言いかねますが、「酒保開け」の号令をもって酒保が開店(?)したはずです。
今泉 淳
ですから別に軍艦に限らず陸軍でも兵営内に酒保(売店)は置かれていましたし
また兵隊の数少ない楽しみの一つで、
薄給はここでの物品の購入に費やされ消えていったとか伝え聞いております。
>「酒保開け」
これは営業の開始を告げるのではなく、放出の号令ではありませんでしたっけ?
かっぱ
めようがないもので。ただ、いつも酒保が開いているわけではないことは確か
だと思います酒保係も本来の配置があるはずなので)。
今泉 淳
いる訳ではなく、通常の日はたしか別科止め後ではなかったかと思うが、『
酒保開け』という号令により開かれていた。日曜、祭日など休日日課の日は
昼間から『酒保開け、武技遊戯許す』という号令がかかっていたように記憶
している」(瀬間喬「続々素顔の帝国海軍」)とあります。他にもこの手の話
が載っている本はいくらでもあるのですが、生憎参照できるものがほとんど
ありません。多分、私の記憶はこれ以外の本から得たものだと思いますが、
もしかしたら私が見たものの記述内容の間違い、あるいは私自身の記憶違い
の可能性もありますので、強く主張するものではありません。というのも、
同じ瀬間さんが書いている「素顔の帝国海軍」では「酒保許す」という号令
が紹介されているからです。個人的には「酒保開け」のほうが号令として多
く見たような記憶があるのですが。
ちなみに、私が言っているのは旧日本海軍に関してのみですので。
今泉 淳
酒保は、通常各分隊の班ごとに事前に注文を出しておき、「酒保
開け」の号令をもって受け取りに行くので、「開店」とかいう表
現があまり良くない、という意味でなら多分その通りだと思いま
す。なお留意してみます。
今泉 淳
酒保の営業形態はどう言うものだったんですか?
酒保の店員は係の兵?
酒保の仕入れ・売上はどうなる?
売れ筋商品は?
名無し
アリエフ
きちんとしたものを当ればもうちょっとしっかりとしたことが分かるの
だと思いますが、一応現時点で分かっていることを記します。例によっ
て旧帝国海軍に限定します。
酒保に関する法令は、「酒保設置規程」(明治33年)、横須賀鎮守府酒保
物品購買規程(大正12年)、「酒保事務細則標準」(大正14年)などが
あるといわれておりますが、実際の運営の細部は、各艦(所轄)で定め
ている内規によるとされます。運営は、一般に委員(士官、委員長は副
長)と委員附(下士官)によってされます。酒保の当初設置の際には、
乗員から醵出金による、鎮守府副官から借り受ける等(後には海仁会か
らの借り受ける形になったかもしれません)によって、それを基金とし、
直属上官に対する上申、許可を得て経て設置となります。なお、委員附の
下士官はそれ専属なのではなくて、「役員」(衛兵、従兵、厠番等の類)
として任命されるものです。そういえば、山本司令部で従兵長を勤めた
近江さんも、確か酒保委員附の経験があったかのようなことが、阿川弘
之「軍艦長門の生涯」に書いてあったような記憶があります。
酒保物品の仕入れは、被服物品や糧食品の調達、受込みとは独立してお
り、また各艦独自に仕入れを行います。卸値で仕入れますが、販売はそ
の仕入れ値に対してわずかの上乗せで販売し、その利益は委員附の手当
てとする他、余剰金は積み立て金として、公益・娯楽に用いたとされま
す。
なお、サイダーとラムネは、どうやらちゃんと区別があり、ラムネは大
和に限らず大型艦であれば製造機を備え付けてあり、これを酒保で売って
いました。ただしその製造は、運営は酒保と別とされたと言われます。
今泉 淳