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大戦中の日本の陸軍と海軍って仲が悪かったんですか? made for you |
みよっさん
勝井
「日本の海軍と陸軍はけんかでもしているのか?」
と言うぐらい
日本の海軍と陸軍は仲悪い
富嶽
勝井
対日反攻軸決定のときのイザコザを見てもわかるように、
決して良好な関係ではありません。
かの国では最高指導者のリーダーシップが有効に機能したため、
表立った弊害が現れにくかったのです。
勝井
ささき
日本の海軍と陸軍は、仲が悪いという以上に、
風通しが悪かったという印象があるのです。
ささきさんが書かれたDB601の件ですが、
版権を陸海軍別々に買ったのは、
お互いの対抗意識からでしょうか?
単にお互いのやってることを「知らなかった」
だけなんじゃないのでしょうか?
また、勝井さんは
「かの国では最高指導者のリーダーシップが有効に機能」と書かれていますが、
日本には陸・海全軍に対して指揮権を持ってた人って、いなかったみたいですよね。
これではかの国の如くリーダーシップを発揮しようにも無理ってもんです。
なんにしても、日本軍の組織には
欠陥があったとは思います。
どんべ
> ささきさんが書かれたDB601の件ですが、
>版権を陸海軍別々に買ったのは、お互いの対抗意識からでしょうか?
>単にお互いのやってることを「知らなかった」だけなんじゃないのでしょうか?
以前どこかで次のような話を目にしました(何てタイトルの本だったかな?)。
「先に購入しようとしていた海軍の方から譲ってもらってはどうか?」
とドイツ側から忠告があり現地の武官室では納得し中央に報告したが、
肝心の中央で話がつかず結局別々にライセンスを購入することになった。
この話の真偽はどうなんでしょう?(便乗質問になってしまい申し訳ありません)
弥空
現場レベルでは陸海の協力が極めて上手くいった例がやはり散見されます。
特に小沢治三郎と今村均の組み合わせは、当時考えうる最良のものだったでしょう。
勝井
単純な陸海軍の対立というよりも、当時の技術政策上の問題が絡む問題であって
愛知が熱田を製造して陸軍に供給すれば合理的、といった簡単なことでは
なかったのだと私は考えています。
もちろん、作戦面においても勝井山のように単なる個人の相性の良し悪しで
陸海軍の協調が、現場レベルでさえうまく行くとは思えません。
何をやろうとしていて、何が美味く行ったのか、よく検証すべきでしょう。
勝井山の考察は浅すぎますね。四股が足らないから、受け売りに終わってしまいます。
BUN
あの、認識が誤っていたらご教示下されば幸いなのですが、多分緒戦期の頃
の話だろうと思うので、上記は第十六軍司令官今村均中将のことですよね?
第十六軍ってのは南方作戦で言うところの蘭印攻略の部隊、それに対して小
澤治三郎は南遣艦隊(後第一南遣艦隊)司令長官すなわち馬来部隊指揮官で
あっていわゆるマレー半島攻略の部隊ですので、無論ジャワ攻略作戦に馬来
部隊は全く無関係ではないですが、ちょっとこの組合せは不自然ではなかろ
うかと思います。今村、小澤のどちらを活かす(残すか)かにもよりますが、
陸海軍の仲不仲を議論する文脈においては、恐らく第二十五軍司令官山下奉
文中将と小澤の組合せ(つまり小澤を残す)のほうが、「陸海協力」という
意味では適切のように思いますが、いかがでしょうか。
今泉 淳
陸軍と海軍陸上部隊――牛島・太田コンビはどうだったのでしょうか?
FIX