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民主国家の軍隊の目的は国家・国民を守ることだと思うのですが(建前は)、このような意識が生まれたのはいつごろなのでしょうか。フランス革命を境にしてだとは思うのですが、叙述されている本・HPなどありましたらお教えください。 バトゥ |
民主主義の軍隊の最大の特徴は徴兵制にあります。選挙で一票持っている国民は軍隊に入る義務があるのが民主国家の特徴です。この制度が軍隊というものをどれほど変えたかについては、カイヨワの「戦争論」にはいささかオーバーに、クラウゼビッツの「戦争論」には回りくどく難解に書かれています。
「いや、ドイツや日本はファシズム、独裁国家で・・・」というのは、いささか狭隘な見解です。
BUN
ちなみに何も国民とは“守られる”つまり庇護の対象ではないのです。
この時代「主権者」とは自らが守る側、守ってあげる立場の者であって
それ故に自らが軍務に服する者が国政(民主共和制)の担い手に足りうると言う認識が欧州では生まれました。
(奴隷なら主人が替わっても何もかわらん訳だ)
であるから「民主主義国家」であるならば、当然民衆が国民(主権者)であって、
彼らによって軍隊を構成せよと言う道理になるのです。
これが(大規模)国民軍であったり市民軍であったりします。
フランス革命下の国民軍の思想です。
また強大な仏国国民軍に対抗する意味で、同様に民衆を動員して軍を編成した諸国も
同じく(逆説的ではあるが)必然的に民衆の権利が拡大して行きました。
本質問の場合の「民主国家の国民」とは権利を守るため、
(建前としても)民主主義国家を守るため軍務に服すわけですから
また「国民を守る」と言った場合も、その「生命(及び財産)」を守ると
いう意味で「守る」と言う表現を用いたなならば
軍隊に入営して戦闘に望むというのは“自殺”と言うこととなってしまいます。
寧ろ欧米的民主主義の原理では
民主主義の軍隊に「国民の生命及び財産を捧げよ!」と
大変ファナティックな目標を掲げます。
「国民」としての権利を有するならばその義務を果たせと
目的を達成のための手段として国民に応分の負担として要求します。
質問は何だか“本と末”が逆転していますが。
かっぱ
Schump
単純に“市民革命”や“独立戦争”などの経験が無いからではないでしょうか?
自分たちの血と涙で国家を勝ち取ったわけではない者たちが、自分たちの血と涙を流して国家を守ろうという概念を理解できないのはそれは普通のことです。
政治に対する関心の低さなども当たり前のことです。日本人にとっての国家機構とは、どっかの誰かが作った物にすぎないんですから。
また、重複するような話ですが、日本人は“民主主義的な国民軍”を持った経験もありません。
明治〜戦前までの大日本帝国軍は、たしかに国民軍ではありましたが、“天皇と国家機構を守るため”に存在していた以上、“自分たちの国家と権利を守る”という意識を国民全体に浸透させるのは無理というものです。
戦後の日本が持った自衛隊という組織は、職業軍人のみで構成されている以上、国民軍よりは傭兵隊に近い性質を持つ物です。
FIX
フランス革命を国民の団結による民主国家建設運動とする記述がよく見られるが、実は地方で農民の反革命運動が発生していたりする。この反革命運動を起こした農民が必ずしも無知頑迷だったというわけではない。フランス革命はロベスピエールなどの過激派による悲惨な弾圧が起きたりして、かなり残酷なものだったのです。むしろ、その後の権力者がフランス革命を賛美・美化して国民の教化を図ってきた、そして愛国心を高揚させ徴兵制や富国強兵政策を推進してきた、そして革命の暗黒面は忘れ去られてしまうかスケープゴートに責任を負わせる、そんなものでは。
このやり方をもっと徹底させて革命運動の美化を図ってきたのが、かつてのソ連や中国などの共産主義国。革命運動家の扇動により民衆は暴徒化し、反対派を徹底的に殺戮するなど残虐なことをしでかすものです。日本の戊辰戦争はそれに比べると相当温和なもの。
私はこうした残酷な革命運動の思想的起源は、ピューリタニズム等の宗教革命にあると思うんですがね。自己の思想を崇高なものとし反対派を徹底的に打倒する、善悪二元論的、原理主義的なやり方で共通する面がある。
アリエフ
これからもお手数をかけますが、ご鞭撻のほどよろしくお願いします。
バトゥ
バトゥ
消防士も警察官も単なる雇い人では無いように自衛隊員もまた、傭兵などではありません。
BUN