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続けて質問を失礼します。 NHK特集で放送したらしいのですがアメリカの占領下時(昭和25、26年)に後にほとんどが日本航空に入った日本人パイロット達がB−26にのってウラジオストクや洛陽にスパイを輸送していたというのはどのような作戦だったのでしょうか。 (中国軍機をふりきったらしいけどひょとしたら隼? 今回のゴルゴ13がその話ぽいですが) 太 |
ツッコミたくないんだが・・・
意味の通らぬ文章を読むことは体力を消耗する。
とりあえず、“書き込む”ボタンを押す前に
自分で読み直してみて欲しい。
雪風2
あなたはまだこういう質問文の作成に慣れてないように思えます。
しばらくは文章作成後、2度、3度推敲を行うことを勧めます。
はっきりいって、今のうちですよ、文章の練習するの。
今はまだ皆さん厳しいことを言って下さいますが、
この状況が続くようだと、あなたの質問には見向きもされなくなる日が必ず来ます。
頑張ってください。
皆さん、あなたを排除などしたくないから、厳しいことを言うのです。
勝井
ko
嘘か真かよくわからない、嘘と決め付けるだけの証拠も持ち合わせていない、というのであれば、このような作戦が当時の社会情勢や軍事技術的に見て可能だったかどうか、という観点から検討してみる価値はあるでしょう。まず、事実である可能性がどれくらいあるか、検討してみることが必要です。
アリエフ
1 連合国の一員たるアメリカが旧敵国の元軍人をスパイ活動や前線での活動に参加させるものだろうか?もし、日本人パイロットが捕まり身分がわかれば、アメリカは自ら連合国の旧敵国条項を侵害したと大々的に宣伝されるだろう。ソ連や中国どころか、西側諸国さらに米国内でも大変な軍への批判が発生する。そういう危険を冒してまで日本人パイロットを作戦に投入するのだろうか?
2 このような作戦になぜ日本人パイロットが必要なのだろうか?現地の事情に詳しい元軍人から情報を聞き出したり旧日本軍の資料を漁った上で、米軍パイロットに情報を教え込めば十分ではないのか?
3 飛行機からスパイを空中投下したのだろうか?現在でも空挺作戦は非常に危険が大きく、スパイがたいした武器を持っていなければ、かなり人目に見つからない所に着地してもらうしかない。洛陽などの大都市の近くにそのような所があるのだろうか。
4 中国軍機を振り切ったというのであれば、中国軍はこの飛行機の侵入を知っていることになる。最初は作戦通りうまくいったとしても、次回は警戒体制が厳しくなるだろう。そもそも、敵軍に侵入が悟られているスパイ活動はその時点で半ば失敗しているのではないか?
アリエフ
さて、質問の内容ですが、これは非日本航空系の旧軍出身民間パイロット間の共通の噂話としてかなり広く流布しているものではないでしょうか。「飛行20000時間」等にも同様の事が触れられていますし、何か、小規模でもこの話の元となる事実が存在していたのかもしれません。
ですから、この質問は荒唐無稽な質問では無い、ということです。
BUN
この番組は関係者が実名でインタビューされており、アメリカ軍は日本人パイロットをつかって、スパイを中国に送りこんでいたのは間違いないと断定した内容でした。迎撃してきた中国軍機を振りきるくだりも、体験した元パイロット自身がインタビューで語っていました。この番組の趣旨は、単に朝鮮戦争の秘話として、これを取り上げたのではなく、この作戦が実は日本の民間航空再開と意外な関係があると言う点です。
アリエフさんが提起しておられる疑問についても、番組の中で触れていました。数年前の事なので、どこまで記憶が正しいか自信がないのですが、番組の内容を要約すると以下のような事だったと思います。
1、まず、この作戦に従事した日本人パイロットは元軍人ではなくて、軍歴が全くない優秀な民間航空のパイロットです。個人が金の為と言うのではなく、日本の民間航空関係者(行政サイドも含めて)が裏で意図的に関与しています。アリエフさんのおっしゃるように、アメリカも万一の場合を考えて、旧軍人を使うのを避け、腕の良い民間パイロットを使ったのです。失敗した場合は、国民党政府の作戦としてシラを切るつもりだったようです。
2、私の記憶では、侵入したのは中国大陸で、ソ連領内ではなかったように思います。作戦は夜間に限られていたそうです。送りこむスパイは国民党政府が用意したスパイで、高速で大陸に侵入し、スパイを落下傘で降下させ、反転帰還するという方法です。夜間に中共の飛行場や基地などを避け、事前に設定した航路を正確に飛ぶ必要があり、日本と大陸との航路を熟知した日本の民間パイロットを選んだのです。当時の中共軍は、夜間に高速で侵入してくる航空機を迎撃する能力が低く、成功の確率が高い方法だとアメリカ軍は見ていたようです。
2、朝鮮戦争で、中共が突如参戦した為(名目は義勇軍ですが)アメリカ軍は中国内部の兵站その他の情報が欲しかった。国民党も大陸におけるスパイ網を強化したかったので、渡りに船だったのでしょう。この作戦はこれらが目的だそうです。アメリカ軍人を使わなかったのは、中共が正式に参戦していなかった事で、アメリカ本国の了解が得られなかったとされていたように思います。この作戦自体が、極めて秘密裏にGHQの独断で行われたようで、後のマッカーサー解任等を考えると納得出来る話しです。
日本の民間航空関係者が、このような危険を伴う作戦に協力したのは日本の民間航空の再開に関して、有利な条件を作り出す為だったそうです。当時アメリカは日本の航空禁止政策を徹底し、民間航空もアメリカ資本で行う考えがあったそうです。これには、日本の民間航空関係者は非常な危機感を持っていたそうです。
何とかこれを阻止したいと考えていた日本の航空関係者が大陸にスパイを送り込みたいGHQに協力しつつも、もし日本資本による民間航空の再開を認めないなら秘密をばらすと、半ばGHQを脅迫したような形になったそうです。いわば、秘密を守る替わりに、日本の民間航空再開を認めると言う闇取引をした形になったわけです。この辺りのアメリカ軍と日本側関係者の緊迫した状況の経緯も取り上げていました。
この作戦に従事したパイロットを人選した日本側の責任者は、後の日本航空の副社長になった人物で、協力した狙いも最初から民間航空の再開を日本にとって有利にする為だったそうです。パイロットも後に日本航空に入社したとされていたように記憶しています。日本側の関係者はすべて官民の民間航空の人間です。この件だけで日本資本による民間航空再開が許された訳ではないでしょうが、それなりの関係があたのではないかと言うのが番組の趣旨です。
ですから、BUNさんが書かれているような「非日本航空系の旧軍出身民間パイロット間の共通の噂話」ではなくて、この作戦の日本側関係者は、後の日本航空そのものです。言わば、日本航空の誕生に関する秘話のようなもので、日本側の関係者が総て現役を退き、時効になったという感じで、あの番組が放送されたのだと思います。NHKが関係者の直接のインタビューつきで放送したものですので、番組の内容は非常に信憑性が高いように思います。
colt45
の高山正之氏が発表されて文章が存在するとのことです。秦先生がその記事に
基づいて書くところによれば、ニッポン号で有名になった中尾純利操縦士を班長
とする民間飛行士グループが米空軍の要請で訓練をはじめたの1950年5月という
ことです。その後、52年末頃までに、ウラジオストク、サハリン、奉天、西安、
広東に蝶者を送る任務を続け、54年に解散式をやった後に、パイロットは日航
や全日空に散って行ったらしいです。
今泉 淳
BUN
太
夜間、月明かりのみで500ft以下での飛行。 洛陽に対してはソウルから黄海を越え江蘇省上空で方位確認。 黄河をさかのぼり洛陽の街の光で地形を確認し地上に点滅があったら人員降下。 この人員というのは中国人らしいというだけでよくわからないということになっていました。 この作戦に関与した日本人は3年間で15人30回以上の飛行を行ったそうです。 この作戦が行われたという証拠は、当時の週刊誌にこの作戦のことが載ったことと(このことで担当将校は操縦士に対して処刑してやるとわめいたそうです)30年ほどたってから操縦士に届いた米軍将校の手紙でforB−26friendsと書いてあっただけ。 米軍側の正式な資料(ナショナルアーカイブなど)は1950、1951は空白ばかりだそうです。
太
日本航空設立の件ですが、私が思うに、日本側関係者がGHQを脅迫することはできなかっただろう、と思います。「スパイ飛行をやらせた」と暴露しても、自身の立場を危うくするだけだったと思います。また「民間航空復活のため」とのことですが、「食うにこまっていたから」という実状もあったのではないでしょうか。
私は傭兵的な性格がつよかったと考えます。
くろねこ
(当時は現役日本航空機長に全日空重役)から直接インタビューしたものです。
この辺の事情は月刊文芸春秋(昭和六十年一月号)に掲載され、その後立花隆氏から
私の松尾静麿リーダー説に対し、児玉誉士夫コントロール説を週刊現代の記事で伝えてきました。
昨年のNHK・ETV特集はこの辺の事情を加味して放送したものです。その当時から背後には
GHQではなく米国のNSA(National Security Administration、現在のNSC)があり、直接このスパイ
空輸の指揮をとったといわれています。しかし、米国のナショナルアーカイブでもまだいまだ
公表されていないままです。なお、回答の中にあった「飛行20000時間」という本は正しくは
「飛行25000時間」で、私が日本の民間航空史を横軸にして、全日空機長森和人(もり・かずんど)
の生涯をえがいたもので、文藝春秋社から出版され、多分今はもう絶版のはずです。
私は今、産経新聞で夕刊コラムを執筆中で、もし興味ある歴史上の話があればお知らせください。
特に戦前、日本に留学して飛行操縦・整備などを学んだモンゴル、タイ、ビルマの学生の
話で何かご存知だったら教えてください。
追伸
終戦後、閣僚の一人が責任を取らず生き延びようとした際、その妻が自決をすすめ、夫もその
説得にこたえて夫婦ともども覚悟の自決をしたといわれます。この話の資料、あるいは書籍を
お持ちでしたらお知らせください。
高山正之
何でしたらこのコーナーの「8.情報、資料、検索」の方に質問を載せてみてはいかがでしょう。この質問(169)自体がかなり前のものですので、私のように気がつかないでいる方も他にいらっしゃるかもしれませんから。
気がつかなかった人